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253( ´∀`)ノ7777さん
日本における反オナニーの歴史
13世紀に編纂された『宇治拾遺物語』11話には、源大納言雅俊が僧に対して
「かはつるみはいかが候べき」(オナニーはどう=過ちなのか?)と青い顔をして訪ねたところ、
一同に大爆笑された、という記述がある。
「過ちかもしれない」と考える意識と、それを「笑える」おおらかさが同居していたことが伺える。
江戸期の儒医学者・貝原益軒の『養生訓』(1713年)では、オナニーと性交を区別する記述はないが、
精液を減損しないことが養生の基本とされ、性行為そのものを否定はしないが、
過度に陥ることは害とされる。
赤川学著「セクシュアリティの歴史社会学」(以下、赤川著「歴史社会学」)によれば、
このように精液減損の観点から健康維持を説き、性行為が過度に陥ることを戒める発想は、
江戸期の性を扱った書物に一般的なものであった。
中にはオナニーを性交と区別して否定するものもある。
このような発想は武士階層のみならず、漢方医の必携書にも同様の記述が見られることから
漢方医を通じ、町人、農民層を含めた広範な範囲に広まっていたと考えられる。
これが日本において、明治期の開化セクソロジーに見られる反オナニー言説がすんなりと受容される
土台となった。
だが、近代以前はそれ以降に比べ、オナニーに関して比較的おおらかであったと言える。
民俗学者・伊藤堅吉の山梨県南都留郡道志村調査によれば、道志村には明治末期まで
若者宿が残されており、気の合った若衆たちは娯楽場として若者宿に集い、
ペニスの大きさを競い合ったり精液の飛ばし合いをしていたという(石川弘義・野口武徳『性』)。
赤川著「歴史社会学」によれば、明治初期には、『造化機論』(アストン著、千葉繁訳)を嚆矢として、
セクシュアリティに関わる言説が多く生産される(開化セクソロジー)。