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221( ´∀`)ノ7777さん
翌年の10.12へ
翌年1989年のパ・リーグは、オリックスの開幕8連勝で始まり首位を独走、6月末時点で
2位近鉄に8.5ゲーム差をつけたが、ここから近鉄が猛追、7月を14勝6敗1分けで大きく勝ち越し
オリックスを捉えた。
さらに、9月に入ると西武も猛追、首位が目まぐるしく入れ替わる大混戦を演じた。
10月5日、対オリックス戦に敗れた近鉄は自力優勝が消滅した。
また同日、当時の近鉄球団のオーナーだった佐伯勇が逝去。
翌10月6日の対オリックス戦は、重苦しい空気のまま延長にもつれ込んだが10回裏、
ハーマン・リベラのサヨナラ3ラン本塁打により5-2で勝利した。
リベラのコメント「このホームランを、妻とおなかの子と、故佐伯オーナーにささげる」
そして近鉄は、10月7日の対日本ハム戦に勝利、10月8日は近鉄・阿波野秀幸と日本ハム
・西崎幸広の初の直接対決となったが4-0で勝利した。
しかし10月9日の対ロッテ戦は6-7で敗戦、近鉄は残された西武との4試合、2敗を喫した時点で
優勝が消滅するという状況に追い詰められた。
そして天王山、10月10日からの西武対近鉄直接対決3連戦を迎えた。
この時点で首位西武と3位近鉄とのゲーム差は2.0。
10月10日、西武対近鉄戦。
西武が敗れ同日オリックスがロッテに勝利すれば、オリックスにマジック4が点灯する状況だった。
試合は西武先発渡辺久信と近鉄先発山崎慎太郎の緊迫した投手戦となったが、
8回表、リベラの勝ち越しソロ本塁打により3-2で近鉄が勝利した。
山崎のコメント「負けたら終わりなんだと思えば自然と力が抜けて気負いが無くなった」。
なお、オリックスは投壊により4-17でロッテに大敗したが、試合後西武の敗戦を知らされた、
オリックス・上田利治監督は「そうかっ」と表情を変えたという。