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212( ´∀`)ノ7777さん
しかも用を足す際には、わざわざ男性用の小便器が並ぶ中を通り抜けて
個室に行かねばならなかったため、初めて川崎を訪れた女性の観客からは
苦情が多数寄せられたという。
ロッテ球団は1978年の川崎移転以来、川崎市に対して球場の改築・改修を求め続けてきたが、
市側は財政難や球団の不人気を理由に消極的であった。
しかし、この10.19で施設面の様々な問題点が噴出したことを契機に、
市は翌1989年秋から総額約14億円を投じて2箇年計画で改修工事を実施する運びとなった
(川崎球場の項目も併せて参照)。
この日の川崎球場には「本日仰木胴上げ日」という横断幕を掲げて応援するファンもいた。
観客の9割近くが各地から動員された近鉄ファンおよび(どちらのファンでもないが)
近鉄を応援する人々であり、さらにホーム応援席にはロッテの勝利を願う西武ファンもいたため、
ホームである真のロッテファンはさらに少なかったことになる。
現在のホームである千葉マリンにはもちろん、ビジター時にも存在する熱狂的ともいえる
ロッテファンは当時は存在せず、本当にホームの球団なのかという応援団の少なさだった。
同じ関西地区の南海、阪急の応援団も近鉄優勝をと、一致団結して
西武戦等では熱心に応援していたという。
しかし、身売りの決まっていた南海の大阪球場最終試合となった10月15日対近鉄戦に勝利。
阪急も西武のシーズン最終戦となった10月16日の試合で敗戦、
さらに翌17日の対近鉄戦では勝利を収めてしまい(この敗戦で近鉄はロッテ3連戦
引き分けも許されない状況に陥った)近鉄のアシストすることはできなかった。

マスコミ
この日の夕方、阪急ブレーブスがオリエント・リース(翌年4月、社名をオリックスに変更)に
売却されることが発表された。