【給付金は】禁スロマラソン39km【貯金します。】

このエントリーをはてなブックマークに追加
211( ´∀`)ノ7777さん
また当時川崎には指定席の発券システムがなく、不足した分は窓口の係員が座席表を逐一照合しながら
ゴム印で席番を打刻して観客に手渡す、という手作業で行われていたため、
チケットを求めて集まった観客の列に発券がいよいよ追いつかなくなった。
この時点では指定席にはまだ余裕があったものの、混乱を避けるため急遽席番無しの
立ち見券を発行するという異例の対応を実施した。
さらには「大人用」の台紙を使い切ってしまったため、「小人用」の台紙の「小人」の表記を
ペンで消去して使いまわすなど、係員は終始発券の対応に追われた。
こうしたことから、この10.19はチケットの売り上げ増にはそれほど大きく貢献しなかったといわれている。
だが、普段では考えられない大勢の観客が押し寄せたため、球場敷地内の売店は大わらわだった。
当時の川崎球場は施設そのものの老朽化が進んでいた上に普段から観客数が少なかったことから
売店の設置数が元々少なく、全ての売店がメインスタンドのネット裏周辺のみに集中して設けられており、
外野スタンドには物販スペースが一切設けられていなかった。
また売り子による巡回販売も行われていなかったため、観客は自ら売店へ足を運ぶ必要があった。
そのため、1階スタンド下の売店と場外のうどん店・ラーメン店・お好み焼店や
自動販売機には場内の観客が次々と詰め掛けて長蛇の列をつくり、食べ物や飲み物が売れに売れる
事態となった。
更に第1試合と第2試合の間のインターバルが夕食の時間とほぼ重なったため、
第2試合が始まる頃にはほとんどの食べ物、飲み物が売り切れてしまった。
一塁側場外のラーメン店も麺が底を突いて売り切れとなったが、あまりの空腹から、店主に
「せめてスープだけでもいいから分けてくれ」と嘆願する観客もいたという。
また当時の川崎球場のトイレは全て男女共用で、実際に女性が利用できるのはネット裏1階の
実質1箇所のみであった。