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21( ´∀`)ノ7777さん
日米交渉の決裂と南進論の活発化
米国は対日情報戦略を強化し、1940年9月には日本側(外務省・海軍)が使用していた暗号解読機
(九七式欧文印刷機)のコピーマシンを完成させ、12月までに8台を製作。
米政府・米軍・イギリス側に配備され、その後の対日外交・戦略に活かされた。
一方日本は、1940年、徹底抗戦を続ける重慶中華民国政府への軍事物資の補給ルートを遮断するために
親枢軸的中立国のヴィシー政権との協定をもとに9月、フランス領インドシナに進駐し、
援蒋仏印ルートを遮断したが、新たに援蒋ビルマルートが作られた。
第32代アメリカ大統領
フランクリン・ルーズベルト
米国立暗号博物館
九七式欧文印刷機部品1941年4月から日本の近衞文麿内閣は関係改善を目指してワシントンD.C.で
アメリカと交渉を開始したが、日本軍は7月2日の御前会議における「
情勢の推移に伴う帝国国策要綱」(対ソ戦準備・南部仏印進駐)の決定に従い、
7月28日に南部仏印へ進駐した。
これに対しアメリカは7月25日に在米日本資産を凍結、8月1日には「全ての侵略国」への
石油輸出禁止の方針を決定し、日本に対しても石油輸出の全面禁止という厳しい経済制裁を発令し、
イギリスとオランダもただちに同調した(ABCD包囲陣)。
この制裁は石油や鉄類、工作機械などの70%以上をアメリカから輸入していた日本にとって
致命的なもので、対日制裁を決めた会議の席上、ルーズベルトも「これで日本は蘭印に向かうだろう。
それは太平洋での戦争を意味する」と発言している。
9月3日、日本では、大本営政府連絡会議において帝国国策遂行要領が審議され、
9月6日の御前会議で「外交交渉に依り十月上旬頃に至るも尚我要求を貫徹し得る目途なき場合に於ては
直ちに対米(英蘭)開戦を決意す」と決定された。