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204( ´∀`)ノ7777さん
会の最後には選手会長の大石が「来年頑張ろう」と檄を飛ばし、
村上と吉田剛のインディアン・ダンスで気勢を上げた。
この後、引き分け制度への懐疑論が相次ぎ、セ・リーグは反省の結果1990年から
延長15回引き分け再試合制を導入した(2001年から試合数増のため延長が12回に短縮され、
引き分けが復活)が、パ・リーグでは後に時間制限が撤廃されたに過ぎなかった。
しばしば「勝ちに等しい引き分け」「うちのチームには苦しい引き分け」と試合終了後に
監督がコメントすることがあるが、まさしく「負けに等しい引き分け」がこれほど適当な試合も
他に例がないであろう。
試合終了後の選手のコメントの中にも「引き分けなのに負けた」と言うものがあった。
無念のV逸から360日後の1989年10月14日、近鉄は9年ぶりのリーグ優勝を成し遂げる。
この年は近鉄、オリックス、西武による三つ巴の激しい優勝争い(最終的に優勝した近鉄から
3位の西武まで0.5ゲーム、勝率2厘差)が最後の最後まで展開され、
近鉄にとっては前年の無念を晴らす形となった。
「前年の10.19がなければ、この年の近鉄の優勝はなかった」などという声も少なくない
(その事については後述)。
この試合に出場した近鉄の選手達が現役引退する際、「選手生活で一番印象に残る思い出は」
という質問に対して、殆どの選手が「10.19のダブルヘッダー」と答えている。
これらの試合に出場した選手は、2007年の吉井理人を最後にすべて引退した。
ちなみに、吉井はくしくもこの10.19の対戦相手であるロッテが現役最後の所属球団だった。
また、出場していない選手で当時両チーム所属選手のうち現役なのは2008年現在、
ロッテの堀幸一ただ一人である。