【給付金は】禁スロマラソン39km【貯金します。】

このエントリーをはてなブックマークに追加
114( ´∀`)ノ7777さん
(仁義なき戦い 続き)

そう言って、ステージで右の靴を脱ぎ「日本軍の銃は三八式銃といって、銃身が長く、
肩に担いで行進する銃。だから自決するといっても、こめかみに当てて引き金を引くことはできない。
みんな、銃口を、こう...口にくわえて、銃身を両手で握り、足で引き金を引くというか...
押す形だね。そうやって戦場で散ったのです」「山中正治は特攻隊の生き残りです。
だから戦地での自決をやらせたかった」と説明した。
子供の頃から歌手志望だった松方弘樹は、東映の人気俳優・波多伸二のロケ中の事故死による
穴埋めで父・近衛十四郎に説得され17歳で俳優デビュー。
1本だけの約束が東映の大量生産の煽りで次々と作品が決まり断れず、明けても暮れても撮影の日々。
出演作は軒並みヒットしたが、演技に厳しい父は全ての作品をダメ出しし一度も褒めてくれず。
やる気を失い、役者を辞めて遠洋のマグロ漁船に乗ろうなどと考えていたが、
父に一喝され踏み止まったものの、このまま役者を続けていく自信もなかったが、30歳の時、
この映画の第一部・坂井鉄也役に巡り合い変わったという。
壮絶なシーンの連続に役者の醍醐味を味わい、演ずることの面白さが実感できた。
演技力にも自信が生まれ、ようやく父に褒めてもらえると思った矢先、父は亡くなった。
第三部『代理戦争』で第一部に続いて再登板となった梅宮辰夫が演じたのが明石組幹部・岩井信一。
モデルとなった山口組幹部・山本健一の眉毛のない顔に似せるため、当初眉毛をロウでつぶす
メーキャップをしていた(実際の山本は眉毛がないのではなく薄かったという)が、
よく汗をかいて溶けるので面倒くさくなってある日、志賀勝を真似て眉毛を剃った。
京都の撮影所から東京に戻って娘・梅宮アンナを抱いたら、普段泣かない子だったのに
「ギャーッ!!!」と泣いたという。