【もうすぐ】禁スロマラソン38km【春ですね】

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499( ´∀`)ノ7777さん
中には「ワシが出とらん(私が出ていない)」というのもあったらしい。
試写室に呼ばれた某親分の謎の一言が逸話として有名。
現在は初公開時からは既に30年以上が経過し、モデルとなった人達の多くは他界している。
初公開時には『ゴッドファーザー』の影響を指摘され、評論家筋の評価は低かった事は有名。
キネマ旬報ベスト・テンでは2位であった。1位は『津軽じょんがら節』。
同じ年に公開された『代理戦争』が8位、『広島死闘篇』が13位となっているので、
シリーズモノで票が分散したという不利な点はあったかも知れない。
但し読者の選出では見事1位(『広島死闘篇』4位)となっている。
脚本の笠原和夫は『ゴッドファーザー』の影響を否定し、戦前1936年のフランス映画、
ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の『我等の仲間』を参考にしたとしている。
もう一本、笠原の脚本執筆にあたり多大な影響を与えたのは神代辰巳監督、1972年の日活作品
『一条さゆり 濡れた欲情』である。
広島抗争の取材を重ねて材料は充分に整ったが、その料理法に行き詰まった。
エネルギッシュで生々しく、残酷でいてなにか浮世ばなれしたズッコケたヤクザ・ワールドの
人間葛藤図は、それまでの任侠映画のパターンに収まりきらず、といって他にパラダイム(典範)
として模すべき映画は見当たらず。『ゴッドファーザー」や『バラキ』といったマフィア物も見たが
参考にならなかった。『
仁義なき戦い』は戦後日本の風土のなかで描いてこそ活きる素材だったからである。
八方塞がりの時、たまたま入った映画館で観たのが『一条さゆり 濡れた欲情』で、
一条さゆり、白川和子、伊佐山ひろ子の三女優の裸身が、文字通りず組んずほぐれつ、
剥き出し性本能をぶつけ会う1時間余りの映像は、この上なく猥雑で、従順で、
固唾を呑む暇もないほど迫力があった。
これからの映画はこうでなければならないと信じ、この手法を持ってすれば『仁義なき戦い』の
材料は捌けると強い自信をも抱いた。