【もうすぐ】禁スロマラソン38km【春ですね】

このエントリーをはてなブックマークに追加
496( ´∀`)ノ7777さん
この後、9月に東映はシナリオ作成を笠原和夫に指示。
笠原の「ノート『仁義なき戦い』の三百日」によると「実在する登場人物や組関係者がどのように
反応するか憶測もつかない」ため、笠原本人も映画化は実現不可能と二の足を踏んだが、
岡田社長の強い指示で取材に着手。実際に美能に面会した結果、
「呉での抗争事件だけならなんとかまとめられる」と引き受けた。
当初の予定では佐々木哲彦(劇中では坂井鉄也)を主人公にし、
この役を菅原文太にあてる予定だったが、シリーズ化を考えた東映によって急遽、
美能を主人公モデルにさしかえた。
第一作の撮影中に2作目「広島死闘篇」制作が決定し、東映は広島抗争の映画化を求めたが、
笠原は「広島事件を描くと当然神戸の山口組が登場することになり、かなり慎重な配慮と
手続きをしなければ」と苦悶。そ
の結果、第一次広島抗争を実際の時代設定より後にずらし、山上光治を軸にした
ストーリーを展開した。
だが、結局、シリーズ大ヒットで、東映は笠原に「私がいやだいやだと逃げ回ってる広島事件を
とうとうやれと言い出し」、本人も開き直った。
後日、笠原が小林信彦に語ったところでは、代理戦争における合田一家(劇中では豊田会:
笠原は合田一家の東進が広島戦争の原因としている)の評価も難しかったという。
監督の深作欣二は10月、別映画の編集中に俊藤浩滋から京都で製作するやくざ映画の
監督をする気があるか打診されている。
俊藤浩滋は東京撮影所で製作していた人斬り与太を評価。
これにより深作欣二の起用を強引にすすめたとされる。
深作自身は当時日本で最も評判の悪かったスタジオである京撮(京都撮影所)に対して
幾らかの先入観があったとされるが現場に入ってからは「深作組」の名の下、縦横の活躍を見せる。