【もうすぐ】禁スロマラソン38km【春ですね】

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422( ´∀`)ノ7777さん
特に阪神初の三冠王に輝いたバースは本塁打が54本と、
巨人の王のシーズン最多本塁打記録に迫る活躍をしたが、シーズンの最終2戦で、
記録保持者の王が監督として率いる巨人に敬遠攻めをされ、記録更新を阻まれた。
翌日のスポーツ報知は、“バース、記録達成失敗”との見出しで記事を載せ、
「自分は敬遠するよう指示しなかった」という王監督のコメントも掲載された。
ただ、元巨人のカムストック投手が、帰国後に米国のスポーツ誌のインタビューに解答したところによれば、
試合前に巨人の全ピッチャーに「バースにストライクを1球投げるごとに罰金100万円」
という脅しが出ていたという。
当時、巨人の親会社である読売新聞社には阪神ファンからの抗議が殺到した。
夏場まで首位を快走していたが8月12日に発生した日航機墜落事故で、
当時の球団社長だった中埜肇が急逝するという不幸に見舞われた。
訃報を受けた吉田は選手と共にユニホーム姿で中埜の霊前に優勝を誓った。
このシーズンは、強力打線に加えて中西清起、福間納、山本和行らのリリーフ投手陣も大車輪の活躍をみせた。
そして10月16日、神宮球場でのヤクルトスワローズ戦を終盤引き分けに持ち込んで
見事21年ぶりのリーグ優勝を果たした。
さらに11月2日、西武球場での日本シリーズ第6戦で西武ライオンズを下し(シリーズ4勝2敗)
悲願の日本一を達成した。MVPとなったバースは、翌年も三冠王を獲得した。
第一次低迷期(1986年 - 1992年)
1986年、バースがシーズン打率.389・シーズン長打率.777・7試合連続本塁打・13試合連続打点の
日本新記録をマークして大活躍したが、掛布の骨折と主軸投手の池田親興の負傷による
長期戦線離脱や、岡田などの主力選手の不振が影響し、夏のロードで
広島・巨人との優勝争いから脱落して3位に終わった。
1987年は球団史上最低勝率(3割3分1厘)を記録してシーズン最下位となり、吉田は監督を辞任した。