【もうすぐ】禁スロマラソン38km【春ですね】

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37( ´∀`)ノ7777さん
この報告の後しばらくの間、この症状は「Bostockのカタル」と呼ばれたと言われる
(なお、 Hay fever は枯草熱と訳されているが、字義通りに解釈するのであれば、
干し草熱とした方が適切であった。Hay とはイネ科の牧草 grass の干し草を指すからである)。
1831年には同じくイギリスの J.Elliotson により、証明はなされなかったが
花粉が原因であろうとの推定がなされた。
そして1872年、北アメリカでブタクサが Hay fever の原因であるという報告がなされた。
ブタクサは Hay ではないが、その当時すでに Hay fever という名称は
定着していたと考えられる。

その後、イギリスの Charles H. Blackley によって、
Hay fever は気温の変化あるいは花粉が発する刺激性のにおいや
毒素などが原因とする考えが、実験的に否定された。
彼は空中花粉の測定、鼻誘発試験や皮膚試験など、現在でも通用する試験を行って
イネ科花粉症を実証し、遅発相反応にさえ言及した著書
『枯草熱あるいは枯草喘息の病因の実験的研究』を1873年に著した。
これにより Hay fever は Pollinosis (花粉症)と呼ばれるようになった( pollen は花粉のこと)。
これらのことから、自らも花粉症であった Blackley は花粉症の父と呼ばれている。
しかし、アレルギーという概念が成立するには20世紀になるまで待たなければいけなかったため、
この段階では花粉に過敏に反応する人とそうでない人がいるということしか分からなかった。