【もうすぐ】禁スロマラソン38km【春ですね】

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143( ´∀`)ノ7777さん
1986年、「全国パチンコ・パチスロファン感謝デー」制定。
1988年、警察庁が「CR機構想」を発表。日本レジャーカードシステム設立。
東洋商事(現:フィールズ)が名古屋市で設立。
1989年、日本遊技関連事業協会設立。
1990年、遊技機規則改定。最大大当たりラウンド数が10ラウンドから16ラウンドに緩和。
1990年代、このころ車に置き去りにされた子供の熱中症事故が問題視され始める。
1992年、最初のCR機「CRフラワーショップ」が登場。
1993年、「ダービー物語事件」。
1996年、射幸性の高い機種(約70万台)を自主撤去、同時に確率変動の連続を
最大80ラウンドに制限する(いわゆる5回リミッター)規則改定が行われる。
1999年、遊技機内規変更。5回リミッターが事実上の廃止。
2002年、遊技機内規変更。最低賞球数が5個から4個に、大当たり確率の下限が
1/320から1/360に緩和。大当たり終了後の時短が認められる。
2004年、風営法施行規則改定。新基準機が登場。パチンコの種区分が廃止。
確変割合の上限(50%)撤廃、内規により最低賞球数が3個(規則上は1個)、
最低大当り確率が1/500まで認められることとなった。
2005年、1/500以上まで緩和された最低大当り確率の内規が見直され、1/400以上となる。
2006年、規則改定。
2006年5月、風営法改定。閉店前やトラブル時の出玉保証の禁止、明らかに18歳未満
と分かる者を入場させたパチンコ店に対する罰則規定などが盛り込まれる。
2006年7月、「みなし機」の完全撤去。
2006年8月8日、有限責任中間法人遊技産業健全化推進機構設立。