1960年、画期的な「チューリップ」が登場。
リモートコントロール方式をはじめて発売。
第2期黄金時代到来。
平和が桐生市で設立。
豊丸が名古屋市で設立。
パチンコメーカー60社が集まって日本遊技機工業協同組合
(日本遊技機工業組合の前身)を結成。
1962年、盤面のファッション化に拍車がかかる。
1963年、分離式(ユニパック)発表。
メダル式パチンコ機登場。
1965年、パチンコ店1万軒を越える。オリンピアマシン(パチスロの前身)登場。
1966年、三共(SANKYO)が名古屋で設立。
1972年、電動式ハンドルが認可される。貸玉料金が2円から3円に値上げされる。
1973年、太陽電子(現:タイヨーエレック)が名古屋市で設立。
1975年、間寛平の「ひらけ!チューリップ」が100万枚の大ヒット。サミーが東京都で設立。
1978年、貸玉料金が3円から4円に値上げされる。
1979年、「パチンコの日」制定(毎年11月14日)。高尾、三星(現:サンセイR&D)が名古屋市で設立。
1980年、現在のデジパチの基本である「三共フィーバー」が登場。
1981年、現在の羽根モノの基本である「ゼロタイガー」が登場。
警察庁がフィーバー機の大当たり時に開く大入賞口開閉時間を30秒×10ラウンドに規制。
1982年、権利モノが初めて登場。
1983年、大同(現:ビスティ)が東京都で設立。
1984年、フィーバー機の大当たり時の大入賞口開閉時間を15秒×10ラウンドに規制強化。
1985年、保安電子通信技術協会によるパチンコ機の検定制度開始。