【もうすぐ】禁スロマラソン38km【春ですね】

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141( ´∀`)ノ7777さん
1941年、太平洋戦争勃発。
1942年、戦時体制により、パチンコは不要不急産業として全面禁止。パチンコ店は閉店し台は処分される。
1946年、禁止されていたパチンコが復活する。
1948年、風俗営業取締法(改正前の風営法)制定により、パチンコは許可営業となる。
「正村ゲージ」が登場。
1949年、貸玉料金が1円から2円に値上げされる。
丸新物産(現:ニューギン)が名古屋市で設立。
1950年、竹屋商会(現:竹屋)が春日井市で設立。
1951年、法改正により18歳未満の入場が禁止される。
ソフィア(西陣)が桐生市で設立。
1952年、菊山徳治考案のオール20連発式(機関銃式)が開発される。
京楽が名古屋市で設立。
大一商会が愛知県(現在の北名古屋市付近)で設立。
1953年、 第1期黄金時代到来。パチンコ店387,664軒にのぼる。製造メーカーは約600社。
循環器第1号機(高速度連射可能機:160〜180発/分の玉が自動的に発射)開発。
これによりパチンコブームが加熱し、射幸心をそそるとして後の連発禁止令の要因となる。
1954年、東京都公安委員会が「連発式パチンコの禁止」を決定、全国に広がる。
豪快不況が到来、全国軒数も半減。
1955年、モナミ商会(現:三洋物産)が名古屋で設立。
1956年、第一回業界編成期を迎える。
1957年、神武景気を意識した「ジンミット」が登場。
「竹屋式無人機」の登場で、従業員がシマの中に入らなくてもよくなった。
役物コミック機登場。
1958年、藤商事が大阪市で創業(法人としての藤商事設立は1966年)。