【もうすぐ】禁スロマラソン38km【春ですね】

このエントリーをはてなブックマークに追加
104( ´∀`)ノ7777さん
また、連チャンの規制も無かったので激荒の波を持った機種もあった。
尚『パチスロパルサー』には山佐パターンと呼ばれる独特のリーチ目があって、
リーチ目表(大量リーチ目タイプなので代表的なパターンのみ)がホールに張り出されていた。
このパターンは現在まで続いていて、パルサーシリーズのウリになっている。
なお、当時は今のように無制限で交換率が5〜7枚交換というものではなく、
ボーナス1回ごとに交換し(そもそも、パチンコでも「定量で打ち止め」が当たり前の時代である)、
交換率も10枚交換などというホールがざらにあった。またリプレイもなかった。
コインサンドもまだなく、通貨を50枚単位で包んであるのと同じものをカウンターで1000円で交換していた。
今でも高年齢の人が1000円を1本と呼ぶことがあるのはこのときの名残である。
また、メダル貸し出し単価や機械仕様が統一されておらず、
都道府県ごとに異なるレートが適応されていたり、
それに合わせて打ち止め枚数などの仕様が異なっていたりした。
都道府県ごとに規制が異なったため、0号機では、同一機種でも隣の県では異なるゲーム内容となっていた。

代表機種:パチスロパルサー(尚球社)、リバティーベル(ユニバーサル販売)

1号機

1985年、パチスロに新風営法に基づいた全国統一認定基準が定められ、
1号機が登場。現在のボーナスシステムと同等のゲーム性を搭載した。
その後、不正改造対策により1.5号機が登場。
Aタイプのみ存在。純増方式のみで、約360枚で打ち止めとなる。
ボーナス終了時に打ち止めとなるのは0号機時代の名残である。
代表機種:ニューペガサス(パル工業)