そうしたあおりを受け、2007年4月27日には業界第6位のダイエー(本社・会津若松市)が
東京地裁に民事再生法の適用を申請したことをはじめ、
2007年度のパチンコ店倒産件数は前年比37.1%増の大幅増加となった。
1964年、アメリカ統治下の沖縄で「オリンピアマシン」が誕生、現代のパチスロの嚆矢となった。
東京オリンピックに因んでオリンピアと名づけられたスロットマシン型のこの遊技機は、
ゲーム機メーカーのセガとタイトーが共同会社であるオリンピアを設立、
セガがかねてより在日米軍基地や欧州市場向けに製造していたスロットマシンを応用した
製品の製造を担当し、販売営業を分け合った。
1ゲームに投入できるメダルは1枚、絵柄の組み合わせの有効ラインは1つで、
ボーナスゲームはなかった。
0号機
1977年、0号機(1985年に施行された風営法以前に作られた機種の総称)の登場。
基準など無かった時代なので、極端にスベリの有るものや、
反対にスベリの少ないものがあり、目押しの出来るプレイヤーにとっては攻略の対象になった。
リールもギアで動くものだった機種では、窓を押さえることでリールを止めることができたものもあった。
役は、ボーナスゲームと小役ゲームのみで構成され、一度ボーナスゲームが当たると
次回のボーナスゲームが高率で当たり、店が設定した打ち止めまで続くようになっていた
(但し、機種や絵柄によっては、単発で終わるボーナスゲームが存在したり、
抽選などの要因により打ち止めに達する前に通常状態に戻る(パンク)場合もあった)。