【ルール】
・ここは禁スロおよび禁スロマラソンの是非を問うスレッドではありません。
・禁スロ日数を積み重ねながら、ゲーム感覚で楽しく禁スロを行うスレッドです。
・取り敢えずのゴール(完走)設定は30日間クリアです。
・煽りや荒らしageでの書き込みは無視。「sage進行」でお願いします。
(メール欄に半角でsageと入れて下さい。)
・名前欄に(何日目)と記入すること。※カウントアップ形式です。
(例:「ひろゆき(○日目)」「ひろゆき(リセット)」)
・リセットしちゃっても諦めないこと。何度でも立ち上がれ。
・ゴール後も禁スロを続けましょう。
※なお、同じ禁スロ系スレでも自分に合うスレ、合わないスレというものがあります。
参加の前にスレッド内容・空気のご確認をお願いします。
また、過度な馴れ合いやスレ違いな議論は別スレでお願いします。
【確認事項】
・荒らし、煽りに反応することは荒れる原因になります。
・放置(我慢)と禁スロは似ている部分があります。
自分を鍛える為にも、煽り・荒らしは完全放置でお願いします。
・次スレは950を踏んだマラソン参加者が(無理であればそれ以降にレスをしたマラソン参加者が)
スレ立てを宣言をした上で、現スレでの議論を反映した次スレを立てる。
・複数立った場合は、参加者で議論をした上で本スレを決め、重複スレッドを削除依頼する。
・次スレを立てる際には、新たに殿堂入り資格を得た人をテンプレに反映するようにお願いします。
資格を得た人は800超えあたりから自己申告を行ってください。
例)
殿堂入りしましたので、次スレへ反映をお願いします
グレード:【365日クリア】プラチナ
名前:禁スロ太郎
殿堂入り日 07/06/02
【禁スロのヒント】
・財布には最低限必要な金だけ入れる(少し足りないくらいで丁度いい。できる限りシビアに)。
・カードも持ち歩かない。
・たとえトイレだろうが両替だろうがスロ屋には入らない。
・何があろうともスロ屋には入らない。
・とにかくスロ屋には入らない。
・スロ雑誌は捨てる。立ち読みも駄目。
・余計なスレッドは見ない。機種スレ等のブックマークも外す。
【禁スロのヒント2】
・彼女や友達に禁スロ宣言をして協力をお願いする。
・例えゲームだろうがゲーセンだろうがスロはやらない。
・スロ情報を極力遮断して、できる限りスロから離れる努力をすること。
・自らできるだけスロのない環境を作ろうとすること。
・打ちたいときや辛いときは毒が薄まろうとしているときです。乗り越えれば強くなれます。
・最初になぜスロをやめるのか、なぜやめなければいけないのかをきちんと考えること。
昨日負けたからもうやらない・・・なんていうんじゃ、きっとまた打ちに行ってしまう。
もっとしっかりした理由を自分の中に見出しておくべし。
・そして、このスレに「毎日カキコ」する。
思ったことや考えたことを文字にすることで、より深い理解のもとに禁スロが出来る筈。
・階級制度・・・禁スロクリア日数により昇格していく。
禁スロ完走の経験者は、名前に★マークをつけられます。
もちろん強制的なものではありません。
階級を付けたい人は自分が昇格したら各自セルフサービスで階級表を更新して下さい。
(例:ひろゆき Й∇Й(○日目))
【365日クリア〜】[総統 Й∇Й]
【180日クリア〜】[元帥 ∬Ж∬]
【120日クリア〜】[大将 IIIΨIII]
【090日クリア〜】[中将 IIΨII]
【060日クリア〜】[少将 IΨI]
【030日クリア〜】[准将 _Ψ_]
【026日クリア〜】[大佐 III§III]
【021日クリア〜】[中佐 II§II]
【016日クリア〜】[少佐 I§I]
【011日クリア〜】[大尉 III☆III]
【008日クリア〜】[中尉 II☆II]
殿堂入り達成者リスト1 (08/10/30現在)
【365日到達】プラチナ殿堂入り / 名前(敬称略):到達日
・背古井:04/10/16
・長文野郎:05/01/04
・みずほフィナンシャルグループ◆hXe27IGY1A:05/07/14
・一番茶☆超使用◆ZHvGRVw96c :06/02/16
・ガンリン◆GanRinaa/A:06/03/09
・二重モヤイ総統 ◆MU4lJh0mXk:06/05/31
・大阪元帥◆3WmQZKDzxM:06/12/10
・YAMEHA◆u4BCD6zW3g:07/03/27
・ふーる◆aBCnHSsjxw :07/05/28
・KAKM◆SBwcIAiCKM :07/05/31
・左院◆r8au5rRLU6 :07/06/01
・狂兎◆a3qcBndzcU:07/06/30
・転職男◆6RQCIAKXwE:07/08/06
・極悪非道の血のり◆T0OzwpC/R6:07/08/24
・エルモア◆p.N.KpK04s:07/09/03
・プラチナム ◆trxATxabp2 :07/09/07
・ドンキーコング:07/09/26
・ふみなお:07/10/01
・a.m:07/10/01
・アパパパパパ:07/11/03
殿堂入り達成者リスト2
【365日到達】プラチナ殿堂入り / 名前(敬称略):到達日
・トラッカー ◆Agz9kaBWIw :08/3/24
・お米 ◆n7EB6m.mzI :08/3/31
・禅玉 :08/4/3
・黄旅 ◆GZ.nVrr7l. :2008/06/25
・carib:2008/08/18
・いいちこ ◆.CHy34dEXc :2008/08/28
・nomo:2008/09/20
・しお:2008/09/26
300日到達】ゴールド殿堂入り / 名前(敬称略):到達日
・福耳♂◆SeiEwlBC8M :07/07/11
・ドンキーコング:07/07/23
・しまゆ:08/4/7
【200日到達】シルバー殿堂入り / 名前(敬称略):到達日
・阿☆匠◆Q6esYCGvTs:05/10/15
・アサム◆0fkLFv4weU:05/11/23
・みさき:2008/07/27
殿堂入り達成者リスト5
【100日到達】ブロンズ殿堂入り / 名前(敬称略):到達日
・光浦バニーXO:03/06/13
・ちろりん:03/06/21
・上総:03/09/08
・貧乏◆..PoorMJqM:03/12/08
・ぶどうぱん◆cSJ90ZEm0g:03/12/11
・なも◆7aiKMiEPWk:03/12/30
・どいん:04/03/10
・しちてんばっとう:04/04/30
・BIG MOUTH:04/05/22
・ぷーた:04/07/03
・フリーグラス:04/08/01
・100’s BOX:04/08/02
・後家殺し:04/09/03
・モンブラン◆iCbn790uw2:04/09/12
殿堂入り達成者リスト6
【100日到達】ブロンズ殿堂入り / 名前(敬称略):到達日
・第9世界の悪霊:05/10/05
・リセッター5:2005/11/14
・ほゆ:2005/11/25
・ナイトフィーバー:2005/12/28
・カリマジ:2006/1/2
・金屏風:2006/1/17
・石川県民:2006/1/17
・大山。:2006/1/24
・SMK:2006/2/17
・とりおとこ:2006/03/11
・CREAP:06/07/09
・ブビヲ:06/07/10
殿堂入り達成者リスト7
【100日到達】ブロンズ殿堂入り / 名前(敬称略):到達日
・影(⊂´⌒つ。Д。)つ)◆9r90Mg6DvU:06/11/30
・ブルー(腹ポコ) ◆9FWv1dyZX2:06/12/27
・ドンキーコング:07/01/04
・げろしゃぶ:07/02/24
・電池:07/05/18
・ぼいんちゃん:07/05/20
・馬鹿◆590pmBHwDI :07/05/23
・くらげ:07/07/17
・無我:07/10/26
・黒ロド:07/11/07
・佐藤:2008/07/28
・A:2008/12/21
・ブリッジ救出:2008/12/27
・はち:2009/1/25
ありゃ・・・。最後レイアウト間違えたな・・・。
という事でやっとこさ時間が出来て立てました。禁スロマラソン参加者の
皆様、コンゴトモヨロシクです。
男おいどん
『男おいどん』(おとこおいどん)は、4畳半の下宿である「下宿館」における
主人公、大山昇太(おおやま のぼった)をはじめとする若者たちの
青春群像を描いた松本零士の漫画作品である。
週刊少年マガジン(講談社)誌上で1971年5月9日号から
1973年8月5日号まで連載された。
老朽下宿で四畳半の部屋を借りて極貧生活を送る大山昇太を主人公とし、
彼を取り巻く人々の生活を描いている。
彼の部屋の押し入れにはパンツ(サルマタ)が山積みとなっており、
碌に洗濯もしないため、雨が降ればサルマタケと称するキノコが生える程の状況で、
あまりの貧困ゆえにサルマタケも食用にされる。
世界各国で出版されている同作者の主力となっているSF作品とは異なり、
日本の集合住宅である4畳半部屋の住人を扱った『大四畳半シリーズ』の1作品である。
本作は作品に描かれている人々の情や主人公の意気込みを描いた、
人情味あふれる描写が特徴である。
また、この作品は、作者である松本零士本人の回想録であるとみなされる場合も多く、
作者の人間観を強く現わしている作品と考えられることもある。
スター・システムを採用しているため、よく似た・もしくは
ほぼ同一キャラクターが他作品にもしばしば登場する。
その結果、貧しいながらも誠実で、大抵は空腹ながらもエネルギッシュな、
しばしばボロゆえの乱暴さとバイタリティーをもったキャラクターが
各々の作品に登場している。
80年代に一度実写版映画化の話があったが、
主演の予定の配役が「郷ひろみ」だったため、
原作者の松本が「郷さんに恨みはないが」と前置きした上で、
「昇太はいつも郷ひろみのような二枚目を『ちきしょーちきしょー』と
くやしがっていたのにそれじゃあ、あまりに昇太が可愛そうだ」
と納得しなかったため中止となったものの、
同じく『大四畳半シリーズ』の1作品である『元祖大四畳半大物語』が
1980年に実写映画化されている。
時は1970年代、場所は日本の東京・文京区・本郷。
昇太に届いた手紙の宛先が、「文京区弓町」と描かれている場面がある。
この町名は現在は残っていないが、本郷1丁目あたりである。
「無芸大食人畜無害」を信条とし、貧しくも概ね正直に
浪人生活を送り続けるチビでガニマタ・ド近眼・ブ男・サルマタ怪人
とまでに呼ばれる大山昇太の周囲には、
何故か様々な女性があらわれては通り過ぎてゆく。
大山昇太(おおやま のぼった)
おいどんという一人称をつかう主人公。
下宿館の2階の西向き4畳半の部屋に住む。
はっきりとした年齢は分からないが、物語中では、
16歳くらいから徐々に22歳くらいまで進行していると考えられる。
故郷は九州。中学校を卒業した後に東京に移り、
アルバイトをしながら高等学校の定時制の課程の夜間部(夜間高等学校)
に通っていたが、勤務先の工場をクビになった際、中途退学してしまう。
それでもめげずに学校に戻ろうとしているが、
状況は日々の生活を送ることで精一杯のようだ。
ストーリーの最後にほぼ必ず「トリよ、おいどんは負けんのど!」と言う。
それにたいしてトリさんは「なーにか」と返事をする。
トリにしか心情を吐露することが出来ないおいどんの孤独感を強調しストーリーを締める。
下宿館には風呂があるが殆ど入浴せぬゆえか、
自身がインキンであるために白癬菌感染症(→水虫)の治療薬に詳しく、
自他共に認めるインキンのオーソリティであるが、
それが生活の足しになった事は無い。
夏場は蒸れてインキンが悪化するため、
下宿内ではランニングシャツとサルマタだけでうろつく事があり、
新しく入った若い女性下宿人には些か不評だが、
暫らく住んでいる女性下宿人にはほとんど気にされていない
(むしろ同情される)という「人畜無害」ぶりである。
作劇の都合上、多くの美しい女性と接点がある。
下宿館のバーサン
下宿館の所有者であり、管理人でもある。
箒や包丁を振り回したりと、かなりパワフルな老婆であるが、人情家でもある。
死別した夫がいる(風邪をこじらせたらしい)。
大山昇太の家賃の支払いは滞っているようであるが、
追い出そうとはしないで、逆に空腹や風邪で倒れた大山に
卵酒や食べ物を与えたりもしている。
人の頭程の凄まじい大きさのステーキを焼いたこともある。
紅楽園のオヤジ
妻と中華料理店「紅楽園」を経営している。こどもはいない様子。
ちなみに大山昇太の好物は、この店のメニューにもあるラーメンライスである。
人情に篤く、しばしば大山昇太にはアルバイトを提供したりもする。
感動したり同情した場合には、オゴリと称してラーメンにライスや卵を付けるなどしている。
同店の経営状況は「繁盛せず、しかして潰れもせず」だが、
近所の労働者(ブルーカラー)層にも人気があるようだ。
トリさん
大山昇太の部屋にいる鳥。
下宿館の住人だった浅野さんから譲り受けた。
海外の船乗りから譲り受けたらしくよくしゃべるが、
かなりがらが悪い奇声を発する。
松本零士の漫画によく出てくる特徴的な姿をした鳥である。
よく、おいどんが「食うど」と脅すが、食べるとしたらとてもまずそうな鳥である。
サルマタケとインキンの薬が大好物と云う悪食で、
しばしば大山昇太と食べ物の奪い合いをしている。
この他にも大山昇太はしばしば「非常食」と称して野良猫を飼うなどしていたが、
交通事故で死なせるなどしており、
作品を通して飼われ続けたのはこのトリさんだけである。
作品には入れ替わり立ち代りヒロインが現れる。
大山昇太は必ず新しく登場してきたヒロインを好きになるが必ずふられる。
第1話から最終章までこの種のエピソードが大半を占める。
ヒロインたちの容姿や性格はどれも似通っており、
エピソードの後半になると見分けるのが難しいほどである。
おおまかにその特徴をあげると、
1.スラリとしたスタイル(作者の好み)
2.腰巻のようなミニスカート(当時の流行)
3.性格はクール(作者の女性観)。
以下第1話から順に登場したヒロインたちを紹介する。
伊藤朝香
おいどんが働いている工場で事務をしている。
おいどんに好意を持っていたが、故郷へ帰って結婚した。
秋山さん
おいどんが通っている夜間高校の同級生。
おいどんを、膝枕してくれたり旅行に誘ったりしてくれるが、
男として全く相手にしていない。
紺野由紀
おいどんの下宿に引っ越してきた女子大生。
おいどんに彼氏のグチを聞かせておいて、
よりが戻った途端引っ越して行った。
浅野さん
紺野さんに代わって下宿館に越してきた。北海道釧路出身。会社勤め。
彼氏あり。トリさんのもとの飼い主(友達から貰った)。
おいどんが心を寄せていることを知って、引っ越す時もなにも言わずに出て行った。
西尾令子
浅野さんに代わって越してきた3代目下宿人。練馬美大生。彼氏あり。
七人兄弟の末っ子で、家の経済事情により大学も辞めて、田舎へ帰った。
黒田美代子
西尾さんに代わって越してきた4代目下宿人。
神田大学の学生で、同級生の彼氏あり。
実家は自由が丘の高級住宅街にあり、親に見合いをすすめられて困っている。
西田邦子
おいどんの通う夜学の同級生。
学生でありながら不動産業を手がける実業家。
わが青春の四畳半
大ロマン大インキンタムシ
聖鎮魂歌13番の男
男無念のサルマタケ
狂乱のラーメンライス
わめく大股関節
食用扶養家族
恨みの夜なきネコ
大恋愛大四畳半
明日のために今日も寝て今日のために明日も寝る
四畳半天井裏の下張り
タマラーメン音なしの下宿館
男おいどん
大サルマタの怪人
妄想の夜行列車
死むな男の四畳半
男とも食いサルマタケ
大山兄弟死闘の海岸
無芸大食人畜無害
大快楽的四畳半
パンツドレス インキン時代
大無情的四畳半
むさぼる大惰眠
弱肉強食下宿館
ねがわくば神よ共に歩く人を造りたまえよ
哀愁のラーメンライス
百ワットの夜の西尾さん
男はどんなにくやしい時も笑ってにゃならん時もあるんど
魔のインキンタムシ
人は人 おいどんはおいどん
幻の赤き烙印
おいどんの夢は帰らず
モルモットが影をなでる夜
ドツボのねむり
大スキヤキ大四畳半
山もりぶとんのつめたい日記
四畳半−偉大な一年の物語
四畳半 押いれの中の夢
大古ラーメン
タマなしおいどん
23 :
( ´∀`)ノ7777さん:2009/01/31(土) 20:05:02 ID:JhPD/MK+O
(゚Д゚)ポカーン
インキンチャック
大回転焼き時代
パーチー
早名さんのフトン
夜なきオデン
ハナさけるサルマタケ
パンツラーメン生体実験
いってしまったむかしの春
ねむれる用心棒
新式レンズ
なくな男の四畳半
不滅のインキンタムシ
四畳半ハナの息
春が近い正義のタムシ
盛装おいどん
大ビフテキの世界
大ちくしょーの涙
おいどんの目はなぜか小さい
パンツの湯
三つのラーメンライス
食いモノの夜
慕情スケ番
ぬれた傘がなくよ
大洋食製造秘録
花柄パンツ
夜の雨ゼミ
男自由の大キャンプ
風雲大下宿館
おいどん独りの物語
大山式水中ラーメン
おいどんの夜空
男に花を タムシに薬を
ムシタ日のムシにタムシ
四畳半動乱のトキきたる
意地バラ 意地カゼ 意地タムシ
不滅の大四畳半
男の大ジャンパー
悪夢とオバチ
未練のパン五個
涙のパンツ人形
人は人なり されど気になる
ヒン死のトリさん
二代目の女
よか学校に五円 よか仕事に五円 よか女に五円 よかお金に五円 偉大なる未来に五円
ゲタの音が夜道にコダマする
パンツはためく下に
ハゲタムシ
雪国の想い出
煙突とネションベンと香水の物語
おいどんの四畳半
非情の大レストラン
心あらばネコに涙を
男と男の物語
火事ドロの部屋は寒い四畳半
サルマタケ力の血がにじむ夜
同級生狂詩曲
おいどんは死まず
恨みの大ドロボーさん
大三徳うどん店
3600円の同窓会
サカナ風呂
サクラの花しらく日おやじは来た
全裸は全裸 予定は予定
おいどんの春
フロいらず四畳半
ああ復学大パーチィー
無情不気味留巣番夜
血潮の大親友
お骨と食事の物語
メガネと未来は無限大印
虫机の惨劇
人造大停電
愛の新ズボン
わが青春の白ズイカ
恐怖の美術展
大バーサンの歌悲し
またひとりだけの夜が来る
大いなる四畳半は語らずおいどんは男の旅に出た
銭ゲバ
『銭ゲバ』(ぜにげば)は、ジョージ秋山による日本の少年漫画作品。
及びそれを原作にした日本映画及びテレビドラマ。
『週刊少年サンデー』(小学館)に1970年(昭和45年)13号から
1971年(昭和46年)6号まで連載された。
極度の貧困から、殺人を繰り返しながら金銭と名誉を掴む
1人の青年・蒲郡風太郎の波瀾万丈ストーリー。
『週刊少年サンデー』に当作が連載された際、
作品の表現問題から一部の都道府県では有害図書扱いされたことがあった。
単行本は2009年現在、幻冬舎から文庫版(上・下巻)が刊行されているのみで、
他に電子書籍がある。
蒲郡風太郎(がまごおり ふうたろう)は長野県松本市の極貧な家庭で生まれ育ち、
左目には幼いころに父親に暴力をふるわれたときに受けた大きな傷を持つ。
貧しいながらも、風太郎の心の支えとなっていたのは病弱な母親と
近所で風太郎に優しく接する近所の青年であった。
しかし、治療費が払えない母は病死、
自暴自棄になった風太郎は盗みに走り、盗みを咎めた近所の青年を手にかけてしまう。
それを機に風太郎は生まれ故郷を飛び出し、成長して大企業の社長一家に取り入って、
陰で金銭の為に殺人を繰り返すことになる。
遂には、社長一家を死に追い込み、企業の乗っ取りに成功し、政界進出も果たす。
しかし、栄耀栄華を極めた風太郎は誰もが予期せぬ末路を辿ることになる。
日本テレビ系列で、2009年1月17日より、
毎週土曜日の21:00?21:54(JST)に放送されている。
初回は15分拡大スペシャル(21:00?22:09)。主演は松山ケンイチ。
脚本は原作の内容を概ね踏襲したものとなっているが、
場面設定としては必ずしも原作が発表された1970年代を再現するものではなく、
派遣切りなど2009年現在の世相を色濃く反映させたものとなっている。
また、主人公の風太郎の左目にある傷は、
原作では先天的な障害でついたものに対し、
本作では幼い頃に父親から受けた暴力によるものに設定されている。
キャッチコピーは「金のためなら、なんでもするズラ。」。
ジョージ秋山
ジョージ 秋山(ジョージ あきやま、1943年4月27日 - )は、
栃木県足利市出身の漫画家。本名は、秋山 勇二(あきやま ゆうじ)。男性。
漫画家を目指して上京し、森田拳次に師事。
アシスタントをしつつ貸本などに作品を発表し、
1966年に『別冊少年マガジン』に掲載された『ガイコツくん』でメジャーデビュー。
ペーソスあふれるギャグを得意とした。
1970年に『アシュラ』『銭ゲバ』を発表し、露悪的ともいえる描写で
人間の善悪やモラルを問い、読者に衝撃を与えた。
『アシュラ』第1話には飢餓から人肉を食べ、我が子までをも食べようとする女の描写がある。
これを掲載した1970年8月2日号の『週刊少年マガジン』は一部地域で有害図書指定され、
作者本人にも取材が殺到し、秋山は一躍時の人になる。
その絶頂期、1971年11号の『週刊少年サンデー』にて『告白』を連載開始した。
人を殺した過去があるという告白を掲載した翌週には
先週の告白は嘘であると書くという行為を繰り返して虚実ない交ぜの過去をつづった後に、
数多く持っていた連載を全て終了させ、6月より日本一周の放浪の旅に出る。
3ヶ月後、1971年34号の『週刊少年ジャンプ』にて『ばらの坂道』で復帰。
以後は青年誌にも活動の場を広げ、1973年からは『ビッグコミックオリジナル』に
現在まで続く『浮浪雲』の連載を開始。
同作品は幅広い支持を得る大ヒット作となり、1977年度の花園大学の入試問題にも使われた。
第24回(昭和53年度)小学館漫画賞受賞(『浮浪雲』)。
壮年に入ってからは作品内でより哲学的な内容を問いかけ、
『ビッグゴールド』に連載された『博愛の人』『捨てがたき人々』は
同誌の白眉として支持する人も多い。
特に近年では、本名の秋山勇二で作品を執筆した。
さらに、『マンガ中国入門 やっかいな隣人の研究』(飛鳥新社より刊行)
を皮切りに国際問題や社会問題を作品のモチーフにするようになっている。
ギャグの大半を封印したにもかかわらず、深層心理に問いかける作品が多く、
「人間の善悪やモラルを問い正す」というデビュー当時からの方向性は
漫画家活動40周年を迎えても尚、変わっていない。
聖書の漫画化を手がけたことで、その存在をさらに印象付けた。
この漫画版聖書は幻冬舎より発行されている。
パットマンX(1967年 - 1968年、週刊少年マガジン、全5巻) 第9回講談社児童漫画賞受賞
デロリンマン(1969年 - 1970年、週刊少年ジャンプ、全2巻、
リメイクの後に単行本化されたため、単行本では「元祖デロリンマン」と改題)
ほらふきドンドン(1969年 - 1970年、週刊少年マガジン、全5巻)
アシュラ(1970年 - 1971年、週刊少年マガジン、全3巻)
銭ゲバ(1970年 - 1971年、週刊少年サンデー、全5巻)
告白(1971年、週刊少年サンデー、全1巻)
ばらの坂道(1971年 - 1972年、週刊少年ジャンプ、全3巻)
ザ・ムーン(1972年 - 1973年、週刊少年サンデー、全4巻)
浮浪雲(1973年 - 、ビッグコミックオリジナル連載中、既刊86巻)
花のよたろう(1974年 - 1979年、週刊少年チャンピオン、全15巻)
デロリンマン(1975年 - 1976年、週刊少年マガジン、全3巻、
旧作のリメイクだが終盤の展開が大きく異なる、詳しくは同項参照)
ぼんくら同心(1976年 - 1977年、週刊少年マガジン、全4巻)
ギャラ(1979年 - 1981年、少年キング、全8巻)
ピンクのカーテン(1980年 - 1984年、週刊漫画ゴラク、Part1:全15巻、Part2:全6巻)
シャカの息子(1981年、週刊少年ジャンプ、全2巻)
超人晴子(1982年 - 1984年、モーニング、全3巻)
海人ゴンズイ(1984年、週刊少年ジャンプ、全1巻)
恋子の毎日(1985年 - 1992年、漫画アクション、全32巻)
くどき屋ジョー(1986年 - 1987年、ビッグコミックスペリオール、全4巻)
ラブリン・モンロー(1989年 - 1993年、週刊ヤングマガジン、全13巻)
女形気三郎(1993年 - 2002年頃、ビッグコミックオリジナル増刊、全7巻)
博愛の人(1993年 - 1996年、ビッグゴールド、全8巻)
ドブゲロサマ(1995年 - 1996年、月刊少年ガンガン、全1巻)
捨てがたき人々(1996年 - 1999年、ビッグゴールド、全5巻)
弘法大師空海(1997年、MANGAオールマン、全6巻)
生きなさいキキ(2001年 - 2002年、漫画サンデー、全4巻)
WHO are YOU(2002年、ビッグコミックオリジナル増刊、全1巻。
雑誌掲載時は秋山勇二名義)
マンガ中国入門 やっかいな隣人の研究(2005年、飛鳥新社)
花粉症
花粉症(かふんしょう、hay fever / pollen allergy / pollen disease,
医 pollinosis または pollenosis )とはI型アレルギー(いちがた−)に分類される疾患の一つ。
植物の花粉が、鼻や目などの粘膜に接触することによって引き起こされ、
発作性反復性のくしゃみ、鼻水、鼻詰まり、目のかゆみなどの一連の症状が
特徴的な症候群のことである。枯草熱(こそうねつ)とも言われる。
現在の日本ではスギ花粉によるものが大多数であるが、
ここでは花粉症の一般記事を記載しスギ花粉症の固有の問題でまとめられるものは
該当記事にまとめることにした。参照のこと。
くしゃみ、鼻水、鼻づまりなどはアレルギー性鼻炎(鼻アレルギー)の症状であり、
花粉の飛散期に一致して症状がおこるため、季節性アレルギー性鼻炎
(対:通年性アレルギー性鼻炎)に分類され、その代表的なものとなっている。
目の痒みや流涙などはアレルギー性結膜炎の症状であり、
鼻炎同様に季節性アレルギー性結膜炎に分類される。
広義には花粉によるアレルギー症状全てを指すこともあるが、
一般的には上記のように鼻および目症状を主訴とするものを一般的に呼ぶことがある。
また、狭義には鼻症状のみを指し、目症状は結膜花粉症(または花粉性結膜炎)、
皮膚症状は花粉症皮膚炎または花粉皮膚炎)、喘息の症状は花粉喘息、
喉の不快感などの症状はアレルギー性咽喉頭炎などと別に呼ぶことがある。
この記事では、hay fever = 枯草熱、pollinosis = 花粉症というように、
古語・現代語、一般名・疾病名、の観点で呼び分けることもある。
枯草熱も医薬品等の効能に表記されるれっきとした医学(医療)用語であるが、
ここでは花粉症で統一する。
なお、pollen allergy は花粉アレルギー、pollen disease は
花粉病(花粉による疾患)の意である。
花粉症がいつ頃出現したかについては、
花粉が肉眼で見ることができないこともあって明確には判っていない。
紀元前500年ごろのヒポクラテスの著書『空気、水、場所について』の第三節に
さまざまな風土病が述べられているが、季節と風に関係しており、体質が影響し、
転地療養が効果的であるということから、現在でいうアレルギー(季節的アレルギー)の
機序を考えてよさそうなもの、すなわち現在でいう花粉症もあるかもしれないとの考えもある。
ローマ帝国時代の医師ガレヌス(紀元前130年〜200年)も
花粉症らしい疾患について述べており、紀元前100年ごろの中国の記録にも、
春になると鼻水および鼻詰まりがよくあるとのことが示されているという。
西暦1000年ごろのアラビアの医師によって、
花粉症らしい疾患とその治療法が記録されているともいわれる。
より近代医学的な記録で最古のものは、1565年(一説には1533年)の
イタリアの医師 Leonardo Botallus によるものとされる。
「バラ熱(Rose cold または Rose fever)」と呼ばれる症状で、
記録によれば、その患者はバラの花の香りをかぐとくしゃみやかゆみ、
頭痛などの症状をおこすという。
原則的にバラは花粉を飛散させないため、花粉症であるとは言い難いが、
現在でも Rose fever は「晩春から初夏の鼻炎」様の意味で
Hay fever 同様に用いられることがある。
花粉症であることが確かな最初の臨床記録は、1819年にイギリスの John Bostock が、
春・秋の鼻症状、喘息、流涙など、牧草の干し草と
接触することで発症すると考えられていた Hay fever と呼ばれる夏風邪様症状について
報告したものである。
彼自身も長年にわたって症状に苦しめられたというが、
有効な治療法は発見できなかったという。
彼は最初これを夏季カタルと呼んだ。
発熱(fever)は主要な症状ではないので、粘膜の炎症を示すカタルの方が適切ではあった。
この報告の後しばらくの間、この症状は「Bostockのカタル」と呼ばれたと言われる
(なお、 Hay fever は枯草熱と訳されているが、字義通りに解釈するのであれば、
干し草熱とした方が適切であった。Hay とはイネ科の牧草 grass の干し草を指すからである)。
1831年には同じくイギリスの J.Elliotson により、証明はなされなかったが
花粉が原因であろうとの推定がなされた。
そして1872年、北アメリカでブタクサが Hay fever の原因であるという報告がなされた。
ブタクサは Hay ではないが、その当時すでに Hay fever という名称は
定着していたと考えられる。
その後、イギリスの Charles H. Blackley によって、
Hay fever は気温の変化あるいは花粉が発する刺激性のにおいや
毒素などが原因とする考えが、実験的に否定された。
彼は空中花粉の測定、鼻誘発試験や皮膚試験など、現在でも通用する試験を行って
イネ科花粉症を実証し、遅発相反応にさえ言及した著書
『枯草熱あるいは枯草喘息の病因の実験的研究』を1873年に著した。
これにより Hay fever は Pollinosis (花粉症)と呼ばれるようになった( pollen は花粉のこと)。
これらのことから、自らも花粉症であった Blackley は花粉症の父と呼ばれている。
しかし、アレルギーという概念が成立するには20世紀になるまで待たなければいけなかったため、
この段階では花粉に過敏に反応する人とそうでない人がいるということしか分からなかった。
日本においては、1960年代に次々と報告されたブタクサ、
カモガヤ、スギ、ヨモギなどによるものが花粉症の始まりである。
しかし、その正確な出現時期は判っていない。
たとえばスギ花粉症の発見者である斎藤洋三(当時は東京医科歯科大学所属)は、
1963年に鼻や目にアレルギー症状を呈する患者を多く診察したのが
花粉症に気付くきっかけとなったというが、過去の記録を調べ、
毎年同時期に患者が急増することを確認している。
また、1989年に65歳以上の耳鼻咽喉科医師に対してアンケートを行った結果、
初めてスギ花粉症と思われる患者に接したのは1945年以前である
との回答が4.7%あったなど、総合的にみてスギ花粉症の「発見」以前に
患者に接していた医師は回答者の4分の1に達したとの調査がある。
さらに、高齢の患者を調べたところ、戦前の1940年以前に発症したとみられる患者もいた。
1935年と1939年には空中花粉の測定が行われ、
空中花粉数は少なくないが花粉症の原因となる花粉はきわめて少ないと報告された。
戦後、進駐軍の軍医により調査がなされ、気候風土などの関係により、
日本でのブタクサおよびイネ科の花粉はアレルゲンとして重要ではない
と結論した報告が1948年になされた。
これらにより、日本における花粉症の研究および患者の発見・報告等が遅れた
という指摘がある(1939年の米国帰国者の症例報告では、当地において
「バラヒーバー」と診断されたと記録されている。前述の「バラ熱」のことである)。
1960年後半からおよそ10年は帰化植物であるブタクサによる花粉症が多かったが、
1970年代中頃からスギ花粉症患者が急増した。
特に関東地方共通のできごととして1976年に第1回目の大飛散があり、
その後1979年、1982年にもスギ花粉の大量飛散と患者の大量発症があり、
全国的ではないにしろ、ほぼこの時期に社会問題として認知されるに至った。
「花粉症」という言葉が報道等で一般的に用いられるようになったのもこれ以降からである。
原則的に自然治癒は期待できないため、毎年のように患者数は累積し、
現在では花粉症といえばスギ花粉症を指すと思われるほどになっている。
花粉症のおよそ80%はスギ花粉症といわれ、新たな国民病とも呼ばれる。
なお、本邦初の花粉症の報告は、1960年の荒木によるブタクサ花粉症であり、
次いで1964年の杉田・降矢によるカモガヤ花粉症、堀口・斎藤によるスギ花粉症、
1965年の寺尾・信太によるイネ科花粉症、佐藤による
イタリアンライグラス(ネズミムギ)花粉症、1967年の我妻によるヨモギ花粉症などの順である
(報告年は文献により多少異なるが、初例報告か完成度を高めた研究報告かなど、
取りまとめる際の観点の違いによると思われる)。
2003年12月現在までに報告されている花粉症(花粉喘息等も含む)は、
一般的なものや職業性の特殊なものを含めて61種類となっている
(1998年2月現在で80種類との説もある)。
>>Aさん
乙です
環境が清潔すぎると、アレルギー疾患が増える
という衛生仮説は非常に話題となっていたが、
近年、ドイツを中心とする医科学チームの研究により乳幼児期における
エンドトキシンの曝露量が、以後の花粉症やぜんそくの発症に
密接に関係していることが明らかにされた。
これは、乳幼児期の環境が清潔すぎるとアレルギー疾患の罹患率が高くなる
という重要な報告である。
また、これらの研究を取り上げたドキュメンタリー番組
「病の起源 (NHKスペシャル) 第6集 アレルギー 〜2億年目の免疫異変〜」
が2008年11月23日(日) 午後9時〜9時49分にNHK総合テレビで放送された。
現在、日本国民の15%以上が花粉症であると言われる。
環境省は1998年の推計として16%という数字を挙げている。
だが、大規模な疫学調査は実際には行われておらず、その実態は推測によるしかない。
1994年の花粉症を含めたアレルギー性鼻炎の調査では、
その患者はおよそ1800〜2300万人と推定された。
信頼性に問題があるため、あくまでも参考値ではあるが、
2005年末から2006年にかけて行われた首都圏8都県市によるアンケートでは、
花粉症と診断されている人が21%、自覚症状からそう思うという人が19%、
すなわち花粉症患者は40%という数値が出されている。
また、ロート製薬によるアンケートでは、16歳未満の3割が花粉症と考えられるという。
その他、病院への受診者の推移などから、1970年代に患者数は3〜4倍に増加した
との報告や、最近10年で患者数が倍増したなど、さまざまなデータがある。
しかし、1990年代以降の患者数の増加は顕著ではなく、
今後もそう急激な増加はないだろうと考えられている。
使われる医療費は、1994年の推計では年間1200〜1500億円とされた。
1998年の調査では、有病率10%とした場合の年間医療費が2860億円 、
労働損失が年間650億円と推定された。
なお、第一生命経済研究所の試算によれば、患者が花粉症対策に用いる費用
(俗に花粉症特需といわれる)は639億円に上るが、
シーズン中の外出などを控えるために、1〜3月の個人消費が7549億円減少するという
(ただし、これはスギ花粉の大飛散があった2005年の場合である)。
最近はスギがない沖縄県や北海道へ、花粉を避けるための
短〜中期の旅行に出かける患者が増えているという(俗に花粉疎開と呼ばれる)。
旅行会社がそうしたツアーを売り出すことも行われており、
観光資源の一つとして誘致に名乗りをあげる地域もある。
患者が移住した例も報道された。医学的にみれば転地療養といえる。
一般に、小児期には男性に多く、成人では女性に多い傾向があると言われる。
自然治癒率についての確立した知見はないが、概ね1〜2割と言われる
(治癒とは、臨床的に3シーズン連続して症状を呈さない状況を言う)。
花粉症を引き起こす植物は60種以上が報告されている。
報告されていないものも含めればさらに多いであろうということは容易に想像できる。
春先に大量に飛散するスギの花粉が原因であるものが多いが、
ヒノキ科、ブタクサ、マツ、イネ科、ヨモギなど他の植物の
花粉によるアレルギーを持つ人も多くいる。
特にスギ花粉症患者の7〜8割程度はヒノキ花粉にも反応する
(よって、スギ・ヒノキ花粉症と呼んだほうがよいとの指摘もある)。
また、「イネ科」と総称されることからもわかるとおり、
その花粉症の患者は個別の植物ではなく
いくつかのイネ科植物の花粉に反応することが知られている
(○○科と総称されるのは光学顕微鏡による肉眼観察では区別がつかないためでもある)。
これらは花粉に含まれているアレルゲンがきわめて類似なため、
交差反応を起こしているからである(個別の花粉アレルゲンに重複感作されている場合も
もちろん考えられる)。
スギの少ない北海道ではスギ花粉症は少なく、
イネ科やシラカバ(シラカンバ)による花粉症が多いなど、地域差もある。
中国地方、ことに六甲山周辺において、大量に植樹された
オオバヤシャブシによる花粉症が地域の社会問題になったこともある。
北陸の稲作が盛んな地域では、他地域よりもハンノキ花粉症が多い
(シラカバ、ハンノキ、ヤシャブシ、オバヤシャブシなどは
口腔アレルギー症候群をおこしやすい)。
アメリカではブタクサ、ヨーロッパではイネ科の花粉症が多い。
北欧ではシラカバ等カバノキ科の花粉症が多い。
花粉症の原因となる植物は、風に花粉を乗せて飛ばす風媒花が一般的であるが、
職業性の花粉症にみられるように、その花粉を大量かつ長期にわたって吸い込んでいれば、
どんな植物の花粉でも花粉症になり得ると考えられている。
職業性の花粉症は果樹の人工受粉に従事する人など栽培農家によくみられるが、
華道家が発症した例もある。
2〜4月はスギ、さらに少し症状が続くようならヒノキ(およびヒノキ科)も疑ったほうがよい。
初夏から夏(または秋)は各種のイネ科植物(特にカモガヤ、オオアワガエリ、ホソムギ等の帰化植物。
秋は主に在来種の開花時期だがあまり大きな問題とはなっていない)、
秋はブタクサやオオブタクサ(クワモドキ)、ヨモギなどが多いが、
地域や年によって飛散時期や量は異なる。
スギにおいては、夏の間に大量につぼみつけた年は、
晩秋にも症状をひきおこすだけの花粉が飛散することもあるのが確認されている
(それが多い場合は、翌年は大飛散となる)。
早春期、スギに先駆けて花粉を飛ばすハンノキなどもあり、
早期に症状が出る場合、地域によってはこれを疑ってみる必要があるかもしれない。
北海道のシラカバは5月に最盛期となる。
なお、セイタカアワダチソウ(セイタカアキノキリンソウ)の俗名がブタクサということもあり、
ごく一部で混乱が生じている。
実際、過去に花粉症の原因植物と言われたこともあったが、
セイタカアワダチソウは虫媒花のため、原則的には花粉は飛ばさない。
ただし、大群落を作ることが多く、こぼれた花粉が周辺に飛散してしまうことはある。
花粉症の原因にもなり得る。
同じキク科のため、ブタクサやヨモギ等の花粉症の人は注意が必要である。
大群落という点では、果樹園や田畑の周辺に居住する人も要注意であるが、
日本人の主食となっている米をとるイネは、意外にも花粉症の原因になることは少ない。
開花期が早朝でごく短く、水田で栽培されるためである。
これらの原因花粉をつきとめるためにはアレルゲンの検査が必要であるが、
身近にその植物があれば患者自身でもわかりやすい。
花粉の観測を行っている施設は多いが、そのかなりはスギ・ヒノキの飛散期間のみであり、
通年で行っていたとしても、ほとんどはビルの屋上などに装置を設置しているため、
草花花粉についての正しい飛散情報は得ることがむずかしい。
また、飛散範囲が局地的であることも、草花花粉の飛散情報を得るのが難しい原因となっている。
患者レベルにおいては、季節が移って
飛散花粉の種類が異なると症状の出方も異なるということがよくいわれる。
しかし、それぞれの植物によりアレルゲン性の高さが異なるのは事実だが、
症状が強く出る部位が異なるなどのことが本当かどうかは調べられていない。
主な症状は、くしゃみ、鼻水、鼻づまり、目のかゆみとされ、
一般に花粉症の4大症状と呼ばれる。
(耳鼻科領域においては、目のかゆみを除外したものを3大症状と呼んでいる)。
鼻詰まりによって匂いが分からなくなることがある。
それにより口呼吸をするため喉が障害されることも多い。
後鼻漏と呼ばれる喉に流れる鼻汁により喉がイガイガしたり、
咳や痰が出るなどのこともある。
頻度は低いが喘息に似た症状が出ることもあり、
すでに喘息患者である場合はその発作が起きることもある。
目の異物感や流涙、目やにが出現する。
不適切にコンタクトレンズを使用している場合、巨大乳頭結膜炎などにもなり得る。
耳の奥の痒みが出現する。
小児の場合、痒みなどから鼻をいじることが多く、鼻血の原因になることも少なからずある。
副鼻腔炎などが合併することがあるので注意が必要である。
これは風邪と同様に鼻汁が粘度の高いものになり、
眉間や目の下など、顔の奥の部分に重い痛みなどを感じることが特徴であるが、
そうした症状を感じないこともある。
後鼻漏もおきやすい。
後鼻漏による鼻水が気道に入ると気管支炎の原因ともなり得る。
検査方法も適した薬剤も異なるので、症状が変化した場合には
早めに医療機関に受診することがだいじである。
特に副鼻腔炎は小児に多いといわれる。
頭痛や頭重感、微熱やだるさなどの全身症状を呈する場合もある。
ニセアカシアなどの花粉症では症状が比較的重く、これらの症状を示す場合が多い。
口から入った花粉や花粉を含んだ鼻水を飲み込むことにより、消化器症状が出る場合もある。
目の周りや目の下、首筋などによくみられる炎症などの皮膚症状は、
花粉症皮膚炎と呼ばれることもある。
また、アトピー性皮膚炎の患者が、花粉症シーズンにかゆみが増すことも知られている。
いずれも花粉による症状であれば、花粉の飛散期に一致して症状がおこる。
花粉の種類と量によっては、まれにアナフィラキシーショックを起こすこともある。
睡眠不足、集中力欠如、イライラ感、食欲不振等も生じてくる。
うつなど心理的影響を呈する場合もある。
花粉症は、水のようなサラサラした鼻水と目のかゆみが特徴的であり、
感染症である鼻風邪との鑑別点になる。
鼻風邪であれば、一般的には目のかゆみはなく、
数日のうちに鼻水は粘性の高いものになり、さらに黄色や緑など色のついたものとなる。
また、屋外のほうが花粉が多いため、おのずと症状も強くなるという点も風邪との違いである。
非常に似通った症状ではあるが、屋内のほうが症状が強い場合、
ほこりなどのハウスダスト等によるアレルギー性鼻炎を疑ったほうがよい
(一般に「アレルギー性鼻炎」と言った場合、こうしたハウスダスト等による
通年のアレルギー性鼻炎のことを指すことが多い)。
外部リンク:アレルギー性鼻炎の分類と判断基準も参照のこと。
スギ花粉飛散の前から症状を呈する患者も多くいるが、
実際にごく微量の花粉に反応している場合だけでなく、
季節特有の乾燥や冷気によるものもあると考えられている。
患者は自己診断に頼らず、専門家の診断を受けることが望ましい。
患者により、くしゃみや鼻水がひどいタイプと、鼻詰まりがひどいタイプ、
両方ともひどいタイプなどに分けられる。
症状の程度も個人により異なる。
そうした症状のタイプと重症度により、適した治療(薬剤)なども異なってくる。
目の症状の重症度などによっても治療法は異なる。
これらの重症度などはくしゃみの頻度などを花粉症日記に記録して
スコア化することによって調べることができる。
同じ花粉飛散量であっても症状の程度が異なるほか、
どの程度の花粉で症状が出るかの敏感さも個人によって異なる。
花粉飛散量が2倍になったからといって、症状も2倍ひどくなるわけではない。
簡単には、飛散量が1桁上がると症状は1段階ひどくなると思って大きな間違いではない。
多量の花粉に曝露されると症状も悪化するが、少量であっても連続すると
重症化していくのも特徴である。
また、いったん最重症化すると、少々の花粉量の変化では症状は変化しなくなる傾向があり、
花粉飛散期が終了しても、症状はなかなか改善しない。
目覚めのときに強く症状が出ることもあり、俗にモーニングアタックといわれる。
就寝中に吸い込んだ花粉が目覚めとともに症状を引き起こしたり、
自律神経の切り替えがスムーズにいかないのが、
鼻粘膜における高まった過敏性とあいまって症状が出ると考えられている。
緊張すると症状がおさまる、リラックスすると症状が出てくるなどのことも、
自律神経のバランスの具合によって説明されている。
リラックス時や就寝時には副交感神経が優位となるが、その場合に症状が出やすいという。
なお、自律神経の影響を強く受ける、すなわち鼻における自律神経失調症ともいうべき症状は
血管運動性鼻炎といい、一般に気温差などにより鼻水が多く出るのが特徴である。
雨の日なのに症状がひどい場合、花粉症にこれが合併していると考えることもある。
6 - 10時間程度遅れて出てくる症状を遅発相という。
花粉がないはずの室内で、就寝前などに強い鼻詰まりに
悩まされる場合などがこれにあたると考えられている。
空気清浄機等を使用しても症状の改善がない場合は、これであるかもしれない。
喘息様発作については、咳が多く出たり呼吸能の低下がみられ、
重症例では呼吸困難になることもある。
そうなった場合は無理をせずすみやかに救急医療機関を受診するか
救急車を呼ぶべきである。
従来は、花粉の粒子サイズから、それらは鼻で捕らえられるために
下気道の症状である喘息などは起きないとされていたが、
近年の研究でスギ花粉の周りにオービクルまたはユービッシュ体と呼ばれる
鼻を通過するサイズの微粒子が多数付着していることがわかり、
それらを吸引することで喘息が起こり得ることがわかってきた。
二次飛散を繰り返すうちに細かく砕かれる花粉もあるとの推測もある。
花粉のアレルゲン性の高さも異なり、花粉の種類と量によっては、
まれにアナフィラキシーショックを起こすこともある。
重症者や、特に喘息の既往症のある患者は、激しい呼吸によって
多量の花粉を吸引するおそれがあるような運動はなるべく避けるべきである
(スギ花粉のアレルゲン性はそう高くはない)。
果物などを食べると口の中にかゆみやしびれなどを生じる口腔アレルギー症候群(OAS)
を起こす場合もある。
特に北海道に多いシラカバ花粉症でよくみられるほか、
関西で多いヤシャブシ花粉症などでもみられる。
リンゴ、モモ、ナシ、イチゴなど、バラ科の果実に反応することが多い。
患者の多いスギ花粉症ではあまりないが、メロンなどに反応する例が知られている。
トマトにも反応するという。アレルゲンがきわめて類似しているためと考えられている。
外部リンク:口腔アレルギー症候群(OAS)も参照のこと。
花粉症は、患者が空中に飛散している植物の花粉と接触した結果、
後天的に免疫を獲得し、その後再び花粉に接触することで過剰な免疫反応、
すなわちアレルギー反応を起こすものである。
アレルギーの中でも、IgE(免疫グロブリンE)と肥満細胞(マスト細胞)による
メカニズムが大きく関与する、即時型のI型アレルギーの代表的なものである。
同じI型アレルギーが主であるアトピー性皮膚炎では、
IV型のアレルギー反応も部分的に関与するといわれる
(症例によってはIII型も関与するといわれるが確証はない)。
花粉症でも、皮膚症状が出る場合は、IV型(すなわち接触性皮膚炎。いわゆるかぶれである)
が関与している場合もあるだろうと考えられている。
ここでは、即時型のI型アレルギーのみを紹介している。
また、一つの仮説としてTh細胞バランスを紹介する。
花粉症の患者は、症状が現れる以前にそのアレルギーの元(アレルゲン)
になる花粉に接触している。
目や鼻などの粘膜に花粉が付着すると、花粉内およびオービクルから
アレルゲンとなるタンパク質が溶け出し、マクロファージ(貪食細胞)に取り込まれ、
非自己(異物)であると認識される。
この情報は胸腺由来のリンパ球であるヘルパーT細胞のうちのTh2を介し、
骨髄由来のリンパ球であるB細胞に伝えられる。
そして、B細胞はその花粉アレルゲンと特異的に反応する抗体を作り出す。
抗体は本来、体内に侵入した病原細菌や毒素などの異物を
排除・無害化するためのものであり、ヒトにはIgG、IgM、IgA、IgD、IgEの5つのタイプが存在するが、
花粉症の患者で最も重要なのがIgEである。
(こうした抗体が関与する免疫反応を液性免疫という。)
このIgEは、血液や粘膜中に存在する肥満細胞や好塩基球に結合し、
再び花粉アレルゲンが侵入してIgEに結合すると、
様々な化学伝達物質(ケミカルメディエーター)が遊離して症状を引き起こすことになる。
なお、IgEが一定レベルまで肥満細胞に結合した時を感作が成立したと言い、
発症の準備が整ったことになる。
どの程度までIgEが蓄積されると発症するかなどは個人差が大きいと考えられている。
また、IgEのレベル以外に発症を誘引する因子があるのかないのかなどについても
詳しいことは分かっていない。
いずれにしろ、ある年に突然に花粉症が発症したように思えても、
それまで体内では発症のための準備が着々と進んでいたということである。
このことを理解しやすくするため、一般にアレルギーコップという例えがよく用いられる。
すなわち、体内のコップに長期間かけて一定レベルの発症原因がたまり、
それがあふれると突然に発症するというものである。
感作が一旦、成立すると、原則的に花粉症の自然治癒は困難である。
病原菌などに対する免疫と同様、「花粉は異物である」との情報が記憶されるためである。
遊離したケミカルメデイエーターのうちもっとも重要なのは、ヒスタミンとロイコトリエンである。
ヒスタミン:知覚神経(三叉神経)を刺激してかゆみを感じさせたりくしゃみ反射を起こす。
また、分泌中枢を刺激することで腺からの鼻汁の分泌も増える。
ロイコトリエン:血管を広げ、水分などが染み出ることにより粘膜が腫れ上がる。
すなわち鼻詰まりがおこる。
目(眼瞼および眼球結膜)などにおける反応も同様である。
その他、PAF(血小板活性化因子)、トロンボキサンA2、プロスタグランジンD2などの
ケミカルメディエーター、各種のインターロイキンなどのサイトカインも
症状に少なからず関係するといわれるが、花粉症(鼻アレルギー)の実際の症状においては、どれほどの影響があるのかなどくわしいことは明らかになっていない。
こうした症状そのものは、体内に入ってきた異物を体外に出すための反応であり、
また引き続いて体内に入ってこないようにする正常な防衛反応であると解釈できる。
しかし、害のない異物と考えられる花粉アレルゲンに対して過剰に反応し、
それによって患者が苦痛を感じる点が問題となる。
症状を起こした粘膜では、血管から浸潤した炎症細胞(特に好酸球)からの
ロイコトリエン等によってさらなる鼻粘膜の膨張が起こる。
その他のケミカルメディエーターや酵素などにより組織障害も起きる。
抗原曝露後6〜10時間にみられる遅発相反応がこれで、アレルギー性炎症と呼ばれる。
こうした炎症細胞を呼び寄せるのも肥満細胞などから放出されるケミカルメディエーター
(上記のPAFなど)である。
症状が繰り返し起こることによって、粘膜過敏性は増加し、症状は慢性化する。
不可逆的な粘膜の肥厚なども起こり得る。
重症例では、花粉の飛散が減少または終了しても、病変はすぐには改善されない。
一つの仮説として、免疫系を制御しているヘルパーT細胞のバランスが関与する
という考えがある。
抗体産生細胞であるB細胞に抗原の情報を伝達するヘルパーT細胞は、
産生するサイトカインの種類により1型と2型(Th1とTh2)に大別される。
これらのうち、インターロイキン4などを分泌して
アレルギーに関わるIgEを産生するように誘導するのはTh2である。
いっぽうのTh1は主に感染症における免疫反応に関わる。
すなわちマクロファージやキラーT細胞などを活性化させ、
細菌そのものやウイルスに感染した細胞を障害する(細胞性免疫という)。
B細胞にIgGを産生させ、いわゆる正常の免疫を作ることにも関与する。
これらのことから、アレルギー患者においてはTh2が優位に働いている
ということがいえるが、なぜTh2が優位になるのかについてはよく判っていない。
幼少時における感染症が減ったために
アレルギーを起こしやすい体質になっているのではないかという説については、
この仕組みが関与していると考えられている。
成長期において細胞性免疫を獲得する機会が減っているため、
おのずとTh1よりTh2が優位になる人が多く、アレルギー人口が増えたというものである。
強く影響を与える感染症としては、過去に国民病ともいわれた結核が疑われている。
鼻症状に限定すれば、やはり過去には多かった副鼻腔炎の減少の関与を考える場合もある。
これらヘルパーT細胞のバランスは出生後数ヶ月のうちに決まるとも、
3歳程度までのうちに決まるともいわれるが、
のちに人為的に変化させることもできるという説もある。
なお、ヒトは胎内にいるときや出生直後はもともとTh2優位の状態であり、
また、Th1とTh2は相互に抑制しあう関係にあるという。
衛生仮説ともいわれるこの説は現在もっとも有力な説となっており、
概ね広く合意を得ている。
実際に結核のワクチンであるBCG接種によって花粉症の治療をしようという試みや、
結核菌と同じグラム陽性菌である乳酸菌の一種を摂取することが
治療に役立たないかどうかの研究も行われている。
菌のDNAの一部であるCpGモチーフを抗原ペプチドとともに投与して
減感作療法の効率をあげる試みもなされている。
環境中の細菌等が産生する微量の毒素が関係すると提唱する研究者もいるほか、
最近では、医療における抗生物質の多用(によるヒトと共生している菌のバランスの崩れ)
が関わっているのではないかという見方も出てきている。
ピロリ菌感染との逆相関が認められることも報告された。
しかし、近年の研究によれば、単にTh1/Th2バランスによってのみ
説明できることばかりではないこともあり、調節性T細胞の関与を考える説も出されている。
衛生仮説を説明したこのTh1/Th2パラダイムは1980年代後半に提唱されたものだが、
広く免疫を考えるときに重要なものであることは現在でも変わりがない。
花粉症の患者では、原因植物の花粉に対するIgE量が多いことは明らかであり、
これがアレルギーを起こす直接の原因である。
しかし、花粉症の原因となる花粉と接触しても全ての人が花粉症になるわけではなく、
IgEが多くても発症しない人がいる。
またIgEの量と重症度とは必ずしも相関しない。
なぜこうしたことがあるかについては、遺伝要因(遺伝的素因)や
環境要因などさまざまな要因の関与が考えられている(すなわち花粉症は多因子疾患である)が、
全貌は明らかになっていない。
遺伝要因については、広く体質(いわゆるアレルギー体質)と呼ばれるものが相当する。
しかし広義の体質は、遺伝による体質と、
出生後に後天的に獲得した体質とが混同されているため、
これらは分離して考える必要がある。
アレルギーになりやすい遺伝的素因、
すなわちIgEを産生しやすい体質は劣性遺伝すると考えられており、
それを規定する候補遺伝子は染色体11qや5qなどに存在するといわれるが確証はない。
こうした遺伝的要因については、IgE産生に関わるもののほか、
各種のケミカルメディエーター遊離のしやすさや
受容体の発現のしやすさの違いなども考えられている。
どんな物質に対してアレルギーを起こすかということも、
遺伝的に規定されているとの説もある。
なお、花粉症についての調査ではないが、両親ともアレルギーではない場合に
子どもがアレルギーになる率は26.7%、両親ともアレルギーの場合は57.4%、
母親または父親がアレルギーだと44.8/44.1%との数字がある。
他のいくつかの調査でもほぼ同様である。
大気汚染や生活環境の変化、衛生環境の変化による人体の免疫作用の変化との関連が
指摘されており、下記のような調査が進められている。
ディーゼルエンジンの排気ガス中に含まれる微粒子 (DEP) や、
ガソリンエンジンからも排出される窒素酸化物 (NOx)、オゾン (O3) などに
長期間暴露されることにより花粉アレルギー反応の閾値を下げる、
アレルギー反応を増幅する等の影響が指摘されており、様々な実験・調査がされている。
たとえば、動物実験の結果から、この微粒子が体内に入ると
抗体を産生する効果が増強(アジュバント)され、しかも IgE タイプの抗体が
優位に産生されるという報告がある。
ヒト細胞を使った実験でも、これが支持された。
この仮説は 1970年代ごろから花粉症患者が増えた原因を、
大気汚染の影響から説明するものとして注目されている。
モータリゼーションの進行とともに花粉症患者が増えたこともよく説明する。
ところが、「上記の実験は他の汚染物質等との比較対照実験がなされていないため、
これのみで結論付けることは科学的ではない」、「非現実的な条件を設定した動物実験や
試験管レベルでの実験を医学的根拠と考えるならば、
さまざまな健康食品も医学的根拠があることになる」、
「実際にディーゼル排ガス汚染地域の住民に
特異的に花粉症が多いという疫学調査の結果は存在せず、
花粉症が社会問題化したころから考えれば、広い意味での大気汚染は
改善しているのに患者数が増え続けていることは説明できない」、
「海外における、大気の清浄な地域でもアレルギーが増えていることも説明できない」
などの理由で支持しない向きがある。
大気汚染との関連は、世界的に支持されている説とはいえないとの指摘をする者もある。
最近は、遺伝的に炎症を回復させる抗酸化機能が弱い場合に、
ディーゼル排ガスなどの影響を強く受けて症状がひどくなるという研究が海外でなされた。
すなわち、自動車排ガスなどの大気汚染物質が症状を悪化させる要因
(回復が遅れる要因)のひとつになり得ることが示唆されている。
ことが考えられる)ことや、動物実験について臨床との差異があることを理由に
結果を否定しようとする向きがあること(前述)、
PM2.5 などこれまで充分に測定されていない物質の影響が調査できていない
といった問題もあることから、環境省や大気汚染が進む自治体などでは、
より広範な情報収集・調査を行うための観測地域や対象物質の拡大といった、
観測体制の整備が進められている。
大気汚染物質としては、前述の自動車排ガスのほか、
煙草の煙や換気の悪い室内での暖房時に出るガス状物質、
黄砂や土ぼこりなども、症状を悪化させるという報告がある。
寄生虫感染症との関連にも注目されている。
IgEは本来、ぎょう虫や回虫などの寄生虫が寄生したときに産生され、
これらを排除するために働くものだとされる。
1960年代以降の日本では衛生環境の改善によって寄生虫感染症が激減したが、
このことによって「攻撃する相手」を失った IgE が、
寄生虫の代わりに花粉を攻撃するようになったというものである。
寄生虫に感染していると大量の IgE が産生され、それがびっしりと肥満細胞を覆うため、
のちに花粉に対する IgE が産生されても肥満細胞に結合することができない
という説明もなされる。
寄生虫感染の多い東南アジアでアレルギーが少ないことなどが根拠のひとつとされる。
また、ニホンザルにおける調査で、花粉症有病率が長年にわたり一定であることも
この説を支持するという。
62 :
( ´∀`)ノ7777さん:2009/01/31(土) 23:32:17 ID:Gkx6X6mwO
梅〜梅〜梅卑怯な子。
大人になれない、可哀想な子♪
梅〜梅〜梅卑怯な子。
誰にも相手にされない可哀想な子♪
Aさん乙です。
なんか荒れてますがしれっと書き込み。
今のところ順調に、特に心のざわつきもなく無難に進行中。
ということで8日目クリア。
すなわち、寄生虫感染率も長年にわたり一定であるためであるという。
しかし、大きな話題となったこの仮説はその論拠が薄弱であり、
ヒトでの疫学調査では相反する結果が得られたり、
保存されている過去の血液の抗体検査をしても理論どおりの結果が出ない。
寄生虫感染がほとんどなくなった現在でも、アレルギーがなお増加していることは
説明がつかない。
東南アジアにおいても、アレルギーは増加しているという事実も非支持的である。
そのため、現在では市民レベルの噂話にのぼる程度のものになっている。
この説を一般向け書籍を出版することによって大きく広めようとしたのは、
著者自身の行う寄生虫学をもっとポピュラーにしようとの思惑があったのだと揶揄する人もいる。
この説そのものは、社会的に話題になる以前より
他の研究者によって提唱されていたものである。
ただし、寄生虫感染はIgE産生を亢進することは確からしく、
この理論が完全に否定されたわけでもない。
その理由として、あらかじめ寄生虫感染を起こしていると花粉症発症は抑制されるが、
花粉症になってから寄生虫感染を起こしても症状は抑制されないという
機序を考える場合もある。
上記の衛生仮説に含むこともある。
なお、こうした寄生虫のエキスなどを投与して症状を改善しようという試みは、
たしかに免疫のバランスが変化するものの、発ガン率が高まるおそれがあるなどの
副作用の問題が生じたといい、断念されているようである。詳細は不明である。
都市化との関連については、別項にて述べているように、
それによりいつまでも空中を漂い続ける花粉数が増えているという説もある。
そのほか、従来からの日本式家屋とは異なる高気密の住宅が普及したことも、
花粉症が増えた原因のひとつではないかという考えがある。
高気密ではあるが高断熱ではない住宅では局所的に湿度が蓄積されやすく、
不十分な換気などによってダニ・カビが繁殖しやすい環境になる。
これによって幼少児期のうちからハウスダストに対するアレルギー性鼻炎や
小児喘息などを発症し、中にはそれが原因で花粉症にもなりやすくなっている人もいる
との考え方である。
すなわち、なんらかのアレルギーになると、それがきっかけで
違うアレルギーにもなりやすくなるというものである
(逆に、そうした時期にアレルゲンを絶つとアレルギーになりにくいとの研究もある。
たとえば妊娠期および授乳期に卵を厳格に除去すると、
卵に対するIgEが低値であるだけでなく、ダニに対するIgEも低値であったという研究もある。
しかしさまざまなデータがあるため、現在では、それらの関連は不明であるとされている)。
しかし、こうした住宅事情の変化はハウスダストアレルギー増加をうまく説明しても、
前述のようにどのようなアレルゲンに反応するかは
遺伝的に規定されているという説によれば、これが花粉症増加の原因であるとはいいがたい。
ただし花粉症患者のかなりは、その発症以前に
ハウスダストアレルギーを発症しているという事実もあり、
花粉症の素因を持った人の発症時期を早める影響は否定できない
(そうであれば、高気密住宅の多い都市部に花粉症患者が多くなることも、
ある程度は説明ができる)。
都市生活ならではのストレスや食生活の変化(洋風化)などについては、
明らかなことはわかっていないが、個人により影響を強く受ける人もいるかもしれない
とは考えられている。
特に食品中のさまざまな栄養成分とアレルギーとの関連は、
実験的なデータや理論(仮説)はあるものの、疫学的に実証されているとはいいがたい。
建材などから発生する有毒化学物質や食品中の添加物の影響を考えるむきもあるが、
花粉症との関連は調査されていない。
授乳時の人工栄養や早期離乳などについてはいくつかのデータがあるが
結論はなされていない。
67 :
( ´∀`)ノ7777さん:2009/01/31(土) 23:41:35 ID:Gkx6X6mwO
梅〜梅〜梅おかしな子。皆に嫌われる嫌な奴♪
梅〜梅〜梅おかしな子。相手にしたら付きまとわれる♪
花粉症の検査は、その症状がアレルギー反応であることを証明すること
アレルギーの原因となっているアレルゲンを特定すること(花粉で反応しているかどうか、
感作されている花粉の種類の特定)
の2点が重要であり、そのための検査が行われる。
前述のように、感冒など、花粉症の症状に似た疾患があるため、
症状をしっかり把握し、問診によってアレルギーの既往症や家族歴があるかどうか
(アトピー素因があるかどうか)を調べることが必要である。
また、鼻内の粘膜の様子を検査する。
典型的な症状があって、実際に花粉飛散時期に一致しているのであれば、
概ねこれだけで鑑別がつくことが多い。
一般的に追加して行われる検査は、鼻汁好酸球検査であり、
これによってアレルギー症状であることがほぼ証明される。
アレルギー症状特有の好酸球という白血球が鼻汁中に増加していることを、
患者の鼻汁を採取し、染色法によって確認する。
これは、診療時に簡単に行うことができる。
血液中の総IgEの定量(RIST)も参考になる。血液検査で分かる。
ただし、重症度の目安にもなるが、必ずしも実際の症状とは相関しないので注意が必要。
副鼻腔炎などが疑われる場合はエックス線検査など、
他の検査も一緒に行われることがある
アレルゲンを特定するためには、血液中の特異的IgE(RAST)を測定する方法がよく行われる。
この血液検査は、採取した血液を検査機関に送付して行うため、
結果が出るまで数日かかるが、検査用アレルゲンを用意しておく必要がないので簡便である。ただし費用はかかる。
その他、微量のアレルゲンを皮内注射して反応を調べる皮内テスト、
針で小さく傷をつけたところにアレルゲンをたらして反応を調べる
スクラッチ(プリック)テストなどの皮膚テストや、アレルゲンを染み込ませた紙のディスクを
鼻粘膜にのせて症状を誘発させる鼻誘発テストなどがある。
これらの実際に反応を調べる方法は、テスト前に患者が薬剤を使用していると
正しい反応が得られない。
薬剤の使用を数日以上中止して症状を我慢させなくてはならないため、
シーズン以外での検査に適するといえる
(薬剤を用いていない初診患者であれば適用となる)。
ただし、検査によってアレルゲンを特定しても、治療法には変わりがないため、
その意義を疑問に考える医師もいる。
しかし、患者自身が自分のアレルゲンを知って効率的に対処できたり、
疾病に対する認識(自覚)が深まるようであれば、有用であるといえよう。
なお、花粉に限らずいくつかの代表的なアレルゲンは、
日本においては定期健診のオプションメニューで受診ができる場合もあるので活用されたい。
実際の重症度を調べるには、患者にアレルギー日記(花粉症日記)をつけてもらうのが
一番の方法である。
この利点としては、自分の重症度や日による症状の変化などを把握できるため、
アレルゲンが特定できていない場合、アレルゲンを推定するのに有用となることがある。
しかし、重症度とQOLの障害は別物であり、
近年はこのQOLを重視する方針での治療が推進されるようになっているため、
治療の経過を判断する材料にはなるが、それでけで判断することはない。
一般的には、花粉症の治療を受ける場合に適した診療科は耳鼻咽喉科であるが、
近年のアレルギー増加にともない、たいていの医師は一定レベルの知識を有している。
よって内科などでも充分な治療が受けられることがある。
小児の場合は、慣れているという点で小児科のほうがよいことがある。
同様に妊婦および授乳婦の場合は、産婦人科のほうがなにかと融通がきくことがある。
ただし、症状がひどい場合は、その部位の専門医にかかったほうがいいとはいえる。
すなわち鼻や喉の症状であれば耳鼻咽喉科、目の症状であれば眼科、
皮膚症状がひどい場合は皮膚科が適する。
これらの診療科の標榜とともに、アレルギー科の標榜がなされていると、
なおよいといえる(一般にアレルギー科単独で標榜していることは少ない)。
ただし、アレルギー科を標榜している医療機関に必ずアレルギー専門医がいるとは限らない。
>>Aさん
毎度毎度のスレ立て乙です
そして毎度毎度の中年おっさんだっけ?スレ埋め乙
で、いつになったらこのスレ終了すんのよ?
何ヶ月も前からこのスレ壊すとかなんとかいってなかったか?
ネタ切れコピペ埋め尽くしが限界か?
言い訳はもう聞き秋田のでこのスレあたりでそろそろ終了させろよな
クリアー
また、そもそも東京都内などほぼ全域にわたって大気汚染物質の濃度が高いところでは
疫学的研究による差が出にくい(比較的低濃度の地域であっても閾値を超えている
アレルギー専門医を調べるには、日本アレルギー学会や
日本アレルギー協会に問い合わせるとよい(アレルギー学会のサイトにて調べることもできる)。
なお、自治体の保健所などが相談体制を整えつつあるので、まずはそこで相談するのもよい。
治療は目的や方法によっていくつかに分けることができる。
一般に花粉症の各症状を抑えることが目的のものは対症療法と呼び、
花粉症そのものの治癒を目指すものは根治療法と呼ぶ。
医療機関における各種の薬剤治療(薬物療法)は対症療法であり、
現在のところ確実な根治療法は開発されていない。
唯一、減感作療法が根治療法にもっとも近いものといえる。
症状が出る前から予防的に薬を服用するなどのことを初期治療(療法)または予防、
季節前投与と呼び、症状が出てからも比較的コントロールできている状態に
維持すること保存的治療または維持療法などと呼ぶことがある。
いったん症状がひどくなってしまった場合、
その症状を押さえ込む治療を導入療法と呼ぶこともある。
医療者側からみた分類といえる。
初期治療を受け、花粉が飛散する前から薬の内服などをすると症状が出にくく、
出ても軽くすむことは実証されている。
スギ花粉症のシーズン前には、飛散開始時期の予測が出されるので、
それを目安に2週間程度前に受診し、適切な薬の処方を受けて使用をはじめるとよい。
症状がひどくなると炎症を抑えるのが難しくなる傾向があるので、
予防ができなかった場合でも、できるだけ軽いうちに受診したほうがよい。
薬の処方を受けるなど医療機関における治療(メディカルケア)とは別に、
患者自身が生活上さまざまなことに気をつけると発症を遅らせることができたり、
軽く抑えることができる。
こうした患者自身ができる対策をセルフケアと呼ぶ。
多くはアレルゲンの回避と除去が目的であり、考え方によってはもっとも重要な治療といえる。
薬局・薬店において市販薬(大衆薬)を購入して使用するのは
セルフメディケーションというメディカルケアであり、かつセルフケアでもあるといえよう。
薬剤の分類や呼び方は少々の混乱が生じている。
専門家における呼称と一般に広く用いられる呼称も異なったまま慣用されている。
花粉症はアレルギーであるため、その治療に用いられるものは抗アレルギー薬といえる。
それらは薬理作用により以下のように大別できる
(広義ではステロイド薬をも含めて抗アレルギー薬と考えることもある)。
肥満細胞からのケミカルメディエーター(化学伝達物質)の遊離を抑えるもの
(ケミカルメディエーター遊離抑制薬。肥満細胞安定薬とも)
遊離された後のケミカルメディエーターの作用を阻害するもの
(抗ケミカルメディエーター薬:抗ヒスタミン薬、抗プロスタグランジン・抗トロンボキサン薬、
抗ロイコトリエン薬など。受容体拮抗薬とも)
専門的には、1. の遊離抑制作用のみを抗アレルギー作用と呼ぶ。
よって、1. の遊離抑制作用のある薬のことを抗アレルギー薬と呼ぶ。
これは、初のケミカルメディエーター遊離抑制薬であるクロモグリグ酸ナトリウムのことを、
ヨーロッパの一部において抗アレルギー薬( anti-allergic drug )と呼んだことに由来している。
しかし、遊離抑制作用を持つものを抗アレルギー薬と呼ぶと定義すると
問題が生じることがある。
抗ヒスタミン薬の中には、抗ヒスタミン作用の効果だけでなく、
ケミカルメディエーター遊離抑制薬およびケミカルメディエーター遊離抑制作用を持つもの
(これを第二世代抗ヒスタミン薬と言う。)があり、
第二世代抗ヒスタミン薬も抗アレルギー薬に含まれるという分類になる。
患者向けとして広く一般に用いられている呼称はこれが多く、
第二世代抗ヒスタミン薬は抗アレルギー薬として普及してしまっている。
一方、ケミカルメディエーター遊離抑制作用のない第一世代抗ヒスタミン薬は、
単に抗ヒスタミン薬と呼ばれることが多い。
こうした薬剤の分類や呼び分けは、医師・研究者や治療する疾病の分野によって
やや異なることがある。
一般向けに出版されている書籍での説明や、インターネット上の
花粉症・アレルギーの説明を行う各種サイトによっても、微妙に異なる場合がある。
たとえば、第二世代抗ヒスタミン薬をさらに細分化し、
第三世代とのカテゴリーを設ける医師・研究者もいる。
過去にケミカルメディエーター遊離抑制薬(抗アレルギー薬)のことを
体質改善薬ということがあったが、抗ヒスタミン薬とは作用機序が異なる事実において
そのように呼ばれただけであり、いわゆるアレルギー体質は改善されない。
アレルギーの発症を予防する効果もない。
便宜的に患者に対してそう説明されることがあるというが注意が必要である。
古い第一世代抗ヒスタミン薬は抗コリン作用が現れやすく、
実用上では口が渇いたり眠気などの副作用が強い。
一方、新しいタイプの第二世代抗ヒスタミン薬は、そうした副作用などが現れにくい。
上述のように第二世代抗ヒスタミン薬は、ケミカルメディエーター遊離抑制作用
(抗アレルギー作用)がある。
第一、第二を含めて「症状を抑える」という対症的な治療効果であり、根治薬ではない。
肥満細胞から遊離したヒスタミンが、神経や組織にある受容体に結合するよりも前に、
その受容体に結合してしまう作用である。
すなわち、鍵穴に鍵が差し込まれる前に、鍵穴をふさいでしまう作用といってよい
(ただし、近年は受容体の活性を落とす作用がその主要な効果であると考えられている)。
一般にきわめて即効性がある。
ヒスタミンなどのケミカルメディエーターが肥満細胞から出てこないようにする作用である。
こちらは、一般に数日以上たたないと充分な効果が出てこない。
そのため、この作用を期待するには、予防的に発症前から薬を用いるとよい
(これは発症後に用いても無駄ということではない)。
飲んで数十分で強い効果が出てくる第一世代抗ヒスタミン薬は、
病院で処方されることもあるが、薬局・薬店で購入できる総合鼻炎薬の主剤となっている。
こうした鼻炎薬には、効果を増強するため交感神経興奮剤
(塩酸プソイドエフェドリン、塩酸フェニレフリン等)や抗コリン剤
(ベラドンナ総アルカロイド、ダツラエキス等)といった薬がブレンドされているが、
皮膚のかゆみなどの飲み薬には、ほとんど第一世代抗ヒスタミン薬だけというものもある。
鼻炎薬では効果が強すぎる場合(口の渇きなどの副作用が強い場合)、
かゆみの薬を試してみるのもひとつの方法である。
一般に下記の第二世代抗ヒスタミン薬よりも眠気などの副作用が強く出やすいため、
特に乗り物の運転や機械操作などには要注意である。
同じ成分は風邪薬にも含まれているため、鼻炎薬の持ち合わせがないときなど、
緊急避難的に風邪薬を服用して症状を抑えることも可能である。
第一世代抗ヒスタミン薬(内服)−−マレイン酸クロルフェニラミン、
d-マレイン酸クロルフェニラミン、塩酸ジフェンヒドラミン、マレイン酸カルビノキサミン(シベロン)、
フマル酸クレマスチン等
抗アレルギー薬(第二世代抗ヒスタミン薬)の投与
数日から2週間程度服用して充分な効果が出てくる第二世代抗ヒスタミン薬
(これを抗アレルギー薬と呼ぶことが多い)やケミカルメディエーター遊離抑制薬については、
医師の処方箋が必要であり、メキタジンを除き日本では市販されていない
(2007年現在、メキタジンに続いて塩酸アゼラスチン、フマル酸ケトチフェンが
スイッチOTC内服薬として市販されるようになっている。
後者は点鼻薬としても市販されている)。
多くの第二世代抗ヒスタミン薬は、ケミカルメディエーター遊離抑制作用などを併せ持っており、
鼻詰まりにも効果的な抗ロイコトリエン作用があるものもある。
現在、花粉症に対して病院で処方される内服薬の多くは第二世代抗ヒスタミン薬である。
予防薬として処方されるものも、これが多い。
第二世代は第一世代より眠気や口の渇きなどの副作用が少なくなっているが、
こうした副作用の出方は人によってかなり異なる。
なお、第一世代、第二世代という分類は欧米でおこったというが、
第二世代抗ヒスタミン薬が市販されている海外であっても、
少なくとも一般薬店レベルでは通じないといわれる。
鼻炎やアレルギー、かゆみの治療に用いられるものは全て抗ヒスタミン
(アンチヒスタミン)薬と呼ばれているためである。
第二世代抗ヒスタミン薬(内服)−−フマル酸ケトチフェン、
塩酸アゼラスチン、オキサトミド、メキタジン、フマル酸エメダスチン、
塩酸エピナスチン、エバスチン、塩酸セチリジン、ベシル酸ベポタスチン、
塩酸フェキソフェナジン、塩酸オロパタジン、ロラタジン等
ケミカルメディエーター遊離抑制薬は点鼻薬・点眼薬として処方されることもある
(数は少ないながら市販薬にもある)。
ケミカルメディエーター遊離抑制薬(内服)−−トラニラスト、ペミロラストカリウム等
ケミカルメディエーター遊離抑制薬(点鼻・点眼)−−クロモグリグ酸ナトリウム等
ステロイド薬は、遊離抑制作用や受容体拮抗作用などといった限られた作用ではなく、
アレルギーのメカニズムのほとんどを抑制する。抗炎症作用も強く、
多くはこの作用を期待して用いられる。しかし、強力にアレルギーを抑えるということは、
免疫そのものも減弱させるということでもあり、
不必要な長期投与など不適切な使用によって他の感染症を招いたり、
体内のホルモンバランスが崩れることにより重い副作用や後遺症が現れることもある。
その他の副作用も多く知られている。
リスク&ベネフィットをよく考慮して注意深く使用すべきである。
花粉症においては主に重症例に対する抗炎症作用を期待して用いられる。
抗ヒスタミン薬の内服などでは充分な効果がない場合、
副作用の心配があるので短期間または頓服として内服が行われる。
症状を抑える効果が高いこともあり、漫然と処方を続ける医師も存在するが、
副作用だけでなくステロイド離脱困難に陥ることがあるので注意が必要である。
特に小児に長期投与を行うと成長障害など重大な副作用が起こり得るので
厳重に注意する必要がある。
第一世代抗ヒスタミン薬ほどの即効性はなく、充分な効果が出るまで1日程度かかる。
基本的に短期であれば問題となる副作用はないが、
第一世代抗ヒスタミン薬との合剤では、その抗ヒスタミン薬の副作用である
眠気を感じることが多い。
点鼻薬のステロイドの場合は、局所に作用したのち体内ですばやく分解されるものもあり、
副作用の心配も少ないため、重症の鼻炎がある場合には積極的に用いられる
(医師により、重症でない場合も積極的に用いる場合がある)。
特に遅発相による鼻詰まりに効果的とされる。
鼻血が出やすくなる副作用を感じる患者もいる。
目の症状がひどい場合もステロイドの点眼薬が出されることがあるが、
副作用に注意して慎重に使う必要がある。
眼圧などの検査ができる眼科専門医に処方してもらうことが望ましい。
ステロイド剤(内服)−−ベタメタゾン・マレイン酸クロルフェニラミン配合剤、プレドニゾロン等
ステロイド剤(点鼻)−−プロピオン酸ベクロメタゾン、プロピオン酸フルチカゾン等
ステロイド剤(点眼)−−フルオロメトロン等
スポーツ選手が行っていたり、口コミで話が広がっている治療であり、徐放性ステロイド療法という。
1回の「注射」で治ると噂になっている治療だが、統計によれば
1回だけの注射で満足な効果を得られる例はそう多くはない。
鼻アレルギーの診療ガイドラインにおいても、望ましくない治療とされている。
内服と同様、全身のアレルギー(免疫)や炎症を抑える方法であるが、
デポ剤という、油に薬剤を溶かした徐放性のものが用いられるため、
筋肉内にとどまった注射液から数週間にわたって薬剤が放出され続ける点が異なる。
報告されている副作用も多く、のちのちの体調に影響する後遺症の心配もある(骨粗しょう症など)。
なにをやってもかんばしくなかったという患者の最終手段に近い治療法、
または事情があってどうしても薬の内服などができない場合の治療法であり、
もしも副作用が出ても体から薬を抜く方法がないというリスクを考え、
インフォームドコンセントを確実に行い、注射前後の検査を怠らぬよう慎重に実施すべきである。
もちろん根治療法ではない。
ステロイドであることを隠して注射をする医師がいたり、
患者もなんの疑問も持たずに気軽に注射を受けているなど、
なにかと問題の多い治療法といえる。
本来は保険適用の治療法であるが、自由診療(保険外診療)として
高額な治療費を請求する医師もいる。
注射した部位がへこむなどの副作用で訴訟になった例もあるといわれる。
注射の副作用だと気づかなかったり、医師から示談を提示されるなどのため、
表に出てこない事故も多いと考えられている。
相談や苦情をいう第三者機関が事実上存在しないため、
事故があっても患者は泣き寝入りをするしかないことも多いとみられる。
ステロイド剤(デポ注射)−−トリアムシノロンアセトニド(ケナコルトA等)、
酢酸メチルプレドニゾロン(デポ・メドロール等)等
(備考)デポステロイド筋注による副作用の例−
−満月様顔貌3.9% 副腎皮質機能低下0.1% 皮膚・皮膚付属器障害3.9%
月経異常ほか3.9% 適用部位障害(萎縮ほか)1.4%
IPD(アイピーディー)というTh2活性阻害薬(内服薬)が、症状に応じて使用されることがある。
IPD(アイピーディー)は、アトピー性皮膚炎や気管支喘息でも使われる薬剤である。
花粉症では、Th2細胞活性の亢進・サイトカインの中のIL−4・IL−5
(アレルギー症状を誘発するもの)の産生の増加がみられることがあるが、こ
の薬剤はTh2細胞の活性を低下させIL-4・IL-5の産生を抑制する作用があり
効果があるとされる。
ただし、即効性はなく、効果が現れるのに数週間ほどの時間がかかるという特徴がある。
鼻詰まりが強い場合、いわゆる血管収縮剤(α交感神経刺激薬)
と呼ばれる薬剤の点鼻薬が処方されることがあるが、
連用すると効果が弱まるだけではなく、かえって鼻詰まりがひどくなり、
依存(離脱困難)になることもある。
そうした副作用が出やすいため、短期間に限って処方されることが多い。
鼻詰まりがひどい患者がステロイド点鼻を行うとき、薬剤が鼻腔内に入っていきやすいように、
あらかじめ鼻粘膜を収縮させるために用いる場合がある。
この種の薬剤は市販のほとんどの点鼻薬に含まれており、
即効性と高い効果があるため、説明書の注意書きを守らずに乱用してしまいがちである。
花粉症に使われる市販薬でいちばん問題になるのが、この点鼻薬の副作用である。
幼児の場合、まれに重い副作用が出ることもあるので使用を避けるべきである
(原則的に5歳以下には用いない)。
血管収縮剤は充血を取ると称する市販の点眼薬にも多く含まれており、
やはり連用するとかえって充血がひどくなることがある。
副交感神経遮断薬である抗コリン薬はエアゾール剤の関係で製造を中止している。
血管収縮剤(点鼻)−−硝酸ナファゾリン、塩酸トラマゾリン等
病気によっては禁忌となっている薬もあるので、持病のある人は
たとえ気軽に買える市販薬であっても、その使用については医師・薬剤師に相談すべきである。
他に薬剤を常用している人や、乳幼児、小児、妊婦、授乳婦も同様である。
なんらかの副作用を感じたら、早めに医師・薬剤師に相談すべきである。
今日から2月ですね。
新年度に向けてスロットのない時間を進んでると思うと
なぜか爽やかな気持ちになります。春って単語は好きです。
今日も頑張ります。
>Aさん
スレ立てありがとうございます!
引き続きよろしくお願いします。
83 :
( ´∀`)ノ7777さん:2009/02/01(日) 08:52:18 ID:vSSbSw4LO
コテハンの誰にも相手にされず、ついに狂った梅ちゃんに乾杯
作用と副作用とのバランスを考え、効果が不充分なものであったり、
眠気などの副作用があまりに日常生活に支障があるようであれば、
違う薬および治療法に変更してもらうよう医師に相談することも大切である。
あまりものわかりのよくない医師であると感じたら、病院を変更するのも一つの方法である。
花粉症の確実な根治療法はまだ確立されておらず、
この減感作療法がもっとも根治療法に近い。
広く免疫療法とも呼ばれ、広義では変調療法ともいわれる。
一般的には下記の抗原特異的減感作療法を指す。
新たな知見にもとづいて減感作療法をさらに効率的に行う治療法、
たとえばプルラン(多糖類)修飾を行った抗原の投与、
合成ペプチドまたはCpGモチーフと結合させたペプチドの投与、
体内でアレルゲンを発現させるDNAワクチンなどの研究・開発が進められており、
よい結果が得られているものもあるが、確実に花粉症が治せる保証はないのが現実である。
遺伝子操作によって作られた花粉症緩和米も、経口摂取によって
減感作を行おうというものである。
民間療法における特定の花粉(エキス)の摂取なども、この効果を期待したものと思われる。
こうした根治療法に近いものとして、IgEに結合することで
アレルギー反応を起こさせないようにする抗IgE抗体というのも試験中であり、
実用化が待たれている(海外ではすで使われている)。
減感作療法を併用しつつ、シーズン前に1回の注射を行った場合、
かなりよい効果が得られているという。
アレルギーの元となる花粉のアレルギー物質を、濃度の薄いものから
だんだんと濃度を上げつつ体内に注射していくことで、
体をアレルゲンに慣れさせてアレルギーの症状をなくす療法。
そのメカニズムは完全に明らかにはなっていないが、Th細胞のバランスを整えたり、
免疫寛容を誘導するのではないかと考えられている。
IgEではなくIgGを多く産生させ、アレルゲンがIgEと結びつく前にIgGと結びつくことにより
アレルギー反応を弱めるという説もあった。
このためIgGは遮断抗体とも呼ばれたが、鼻粘膜におけるIgGの量は変化がないことから、
この遮断抗体の関与には疑問が呈されている。
100年近い実績があり、効果と安全性は確かめられている。
約6割〜8割の患者に効果があるといわれるが、
そのうち完治と呼んでいいほどに症状が改善するのは、さらに半分程度といわれる。
1年〜5年の長期に渡って何度も注射せねばならず、治療の即効性はない。
一般的には、花粉症のシーズンが終了してから(次のシーズンに向けて)治療を始める。
早い人では注射を始めた次のシーズンから効果を実感できる。
きわめてまれにではあるがショック症状などが出る危険性も指摘されている。
しかし、多くは濃度や量の間違いなど、治療のミスによるものだろうともいわれる。
注射後の監督不行き届きや、患者自身が異常を医師に伝えないことなども、
副作用を早期発見できない原因となる。
日本では皮内注射による療法が一般的だが、海外では舌下投与も広く行なわれており、
現在日本でも保険適用をめざして治験中である(自由診療として行っているクリニックも存在する)。
舌下投与は副作用が出にくく、大量の抗原を投与できるので、効果の発現も早いという。
また、自宅で治療が行えることも大きなメリットである。
現在広く行われているのはスギやイネ科およびブタクサ程度のみと考えてよく、
花粉症の種類によっては希望する治療が受けられないのが実情となっている
(海外から薬剤を輸入して治療することもある)。
治療用エキスが標準化されているのはスギのみである。
薬がよく効かない人や重症の人向けの治療といわれてきたが、
年齢の若い人ほど効果が高いなどのこともあり、通院時間の都合がつき、
意欲のある患者にとっては試してみる価値のある治療法といえる。
通院の関係上、社会に出る前、学生のうちに実施するとよいといわれる。
妊婦および授乳婦にも安全とされる。
ただし、脱落する患者が多く薬剤が無駄になることがあったり、
保険における評価が低いためか、実施している医療機関は少ない。
季節前の数ヶ月のみ注射する季節前法や、数日〜2週間程度入院して行う
急速減感作という方法もある。
ヒスタミン加人免疫グロブリン(ヒスタグロビン)や
ワクシニアウイルス接種家兎炎症皮膚抽出液(ノイロトロピン)を数回にわたって
ルーチン注射する抗原特異的ではない減感作療法もあるが、
一部の医療機関を除き近年はあまり実施されない
(これらは減感作療法には含めないこともある)。
アレルゲンが特定できない場合に行われたり、
特異的減感作の効果をあげるために並行して行われることもある。
アレルギー疾患患者の尿から採取した抗アレルギー物質である
MSアンチゲンも使われてきたが、現在は製造を終了している。
内部のアレルギー症状をおこす部分の粘膜にレーザー光線を照射して焼灼し、
その部位を変質させることで鼻水・鼻づまりを押さえる治療法。
原則的には鼻詰まりの治療法である。
保険が効くが、美容整形クリニックなどで自由診療(保険外診療)として行っている場合がある。
レーザー照射をしてから数日は、傷(やけどのようなもの)のために
花粉症以上の鼻水が出て苦しむこともある。
一般的にはシーズンの1〜2か月前に予防的に行う。
効果の程度は個人差があり、有効でない場合もある(医師の技術にもよる)。
効果の持続は整形手術などとは違い、短ければ数か月、長くて2年程度のことが多い。
そのため毎年行う患者もいるが、そうした繰り返しの処置による不可逆的な組織の変化、
すなわち後遺症については、歴史が浅いこともあって明らかな知見はない。
安全だという医師もいれば、毎年はやらないという方針の医師もいる。
細かくみれば、レーザー光線の種類や術式の違いもある。
いうまでもなく鼻の処置であるため、目の症状には効果はない。
レーザーと同様な原理で、鼻粘膜に対する超音波メスによる処置や、
高周波電流を使った鼻の処置が行われている。
薬剤の塗布によって鼻粘膜を化学的に焼く方法もある。
治療成績や後遺症については、レーザー同様、確立した知見はない。
特に通気性の改善のため、鼻中隔湾曲など鼻の器質的な異常に対する手術も行われる。
鼻水がひどい難治例にはビディアン神経切除術なども行われる。
麻酔科からのアプローチとして、首にある星状神経節のブロックという方法も行われる。
治療成績は明らかでない。
目の涙管に抗アレルギー薬を注入するという治療法も一部の眼科で行われている。
保険適用ではない。
その他、その医師の独自の考え方により特殊な治療法が実施されることもある。
治療成績はもちろん、安全性についても明らかでないものがあるので注意が必要である。
各種の漢方薬による治療も行われる。
漢方薬は症状ではなく体質によって薬を選択するので、
本格的には専門家の見立てが必要である。
一般の西洋医学の医師は、効果のマイルドな薬という観点で西洋薬的に用いることが多いが、
それは正しくないともいわれる。
体質との相性がよいとかなりの症状の改善が期待できるが、
現代医学的に効果が確かめられたものは小青竜湯だけである。
病院で処方を受ければ保険が利く(しかし、一般の病院では漢方の専門知識をもった医師はめったにいない。
理想的には和漢診療科などがよい)。
上記抗ヒスタミン薬などの西洋薬との併用も行われる。
女性の妊娠・授乳期にも比較的安全といわれる。
症状を抑える即効性の薬のほか、長く飲み続けて体質を変えて根治をねらうとされる種類の薬もある。
多く誤解されているのが、漢方薬なら副作用がないということだが、
決してそのようなことはない。
特に小青竜湯や葛根湯に含有されるマオウは、
体質または服用量により動悸や血圧上昇などが起こりやすい。
ただし、抗ヒスタミン薬のような眠気はない。
花粉症によく用いられる漢方薬−−葛根湯、柴朴湯、小柴胡湯、小青竜湯等
患者レベルで高い興味がもたれている民間療法であるが、その定義はなく、
科学的に実証されているわけではない。
食品や飲料の摂取などのほか、さまざまなグッズ類を使用したり、
鍼灸などの伝統医療や整体、医師によらない漢方治療なども民間療法といえる。
有効なものもあるとは考えられるが、多くはそれらの成分や機序が解明されていない。
患者の口コミなどによって広まるものもあるが、プラセボ(偽薬)効果もあると考えられている。
テレビ番組などによって毎年新たに話題になっては消えていくものも多い。
ごく一部の医師により治療の補助として用いられることもある。
以下に主なものを示すが、太字はある程度の研究がなされているものである
(ただし、その研究のレベルは大きく異なる)。
近年においては、衛生仮説とも関わりのある乳酸菌類の研究がいちじるしく、
ヒトにおける臨床試験や、メカニズムの解明が進められている。
また、地方の特産品の消費推進のため、その健康効果を実証する試みも
多く行われているようである。
そうした研究によれば、下記の植物生薬の一部においては
ポリフェノール(その種類は4000〜5000種類あるという)と呼ばれる植物の
苦味・渋み成分が広義の抗アレルギー効果を示すという。
成分中のビタミンの一種が症状の軽減に有効とされたこともある。
しかし、そうした効果がある程度実証されているものであっても、
その多くは劇的な効果は期待できない。
これらの成分とビタミン・ミネラル等を配合したサプリメント類や清涼飲料水など、
いわゆる健康食品類も多く出ている。
患者においては、過信・盲信せず、多大な経済的被害はもちろん、
健康被害などをこうむらないように注意が必要である。
自分に効いたものが他人にも効くとは限らない点にも注意が必要である。
これらのほか、漢方的・栄養学的見地などから、特定の食品の制限や積極的な摂取なども行われる。
薬効を期待するというより、いわゆる健康法であろう。
なお、2007年2月、スギ花粉(実際はスギのつぼみ)をカプセルにつめた健康食品にて、
服用した患者が一時意識不明になるという事故がおきた。
また、花粉症との関連はないが、高濃度のにがりでも事故が起きている。
「食品だから」「薬ではないから」安全であるという根拠はまったくないということを
使用者は強く認識しておかなければならない。
植物生薬
甜茶、ラカンカ、日本山人参、霊芝、シジュウム(グァバ)茶、紫蘇の葉、ニンニク、
アマランス(アマランサス)、緑茶、凍頂烏龍茶、杜仲茶、ナンテン、ドクダミ、アロエ、
タマネギ抽出物、クロレラ、柿の葉茶、ミント、ネトル(西洋イラクサ)、花粉(スギ花粉)、
スギ茶、カリン、青ミカン抽出物、ハトムギ茶、つくし、クミスクチン、メチル化カテキン
機能性食品
パパイヤエキス、エゾウコギ、月見草種子エキス、リノレン酸、ショウガ、ゴボウ、青汁、
各種乳酸菌、にがり、フコイダン、ヨード卵、DHA、じゃばら、フキ(西洋フキ)
理学療法
鍼、灸、電気治療、整体、指圧
その他
気功、アロマテラピー、ホメオパシー、マイナスイオン、自己尿
花粉症の症状はアレルゲンと接触したときにのみ現れるので、
それを防ぎさえすれば症状は現れない。
このため花粉との接触を断つことがもっとも効果的な対策である。
治療としてみた場合、アレルギーの原因にさかのぼって対処するため、
原因療法といわれることもある。症状が出てから対策を行うのではなく、
症状が出る前から予防的にケアを開始するとより有効である。
すなわち自分で行う初期治療である。
このような対策によりアレルゲンとの接触をできるだけ避け続けていれば、
年を経るごとに抗体値がだんだんと下がっていくことが期待される。
接触を続けていれば抗体値も上がり、症状もひどくなる。
すなわち、薬剤治療により症状を抑えているからといって、
なんの対策もしなくてよいということにはならない。
患者にとっては、こうしたセルフケアはもっとも基本的なことといえる。
花粉症の症状は目や鼻で強く現れるため、外出時にゴーグルやマスクを着用すると効果的である。
マスクの質よりもつけかたが問題であり、すきまを作らないことが肝要である。
ゴーグルほどの目の保護機能がなくとも、いわゆるだてメガネでも有効であることが
実験によって示されている。
特にマスクにおいては、スギ花粉症のシーズン特有の乾燥や低温から
鼻粘膜を保護することにもなり、シーズン前から(発症前から)の着用が推奨される。
室内に花粉を持ち込まないよう、花粉の付着しにくい上着を着用したり、
帰宅時に玄関の外で花粉を落としてから入室するなどの対策も有効である。
換気などのために窓を開けることはもちろん、洗濯物や布団などを屋外に干すことも避けるべきである。
干す場合は取り込むときによくはたく、ブラシではらう、
または掃除機で吸い取ることが推奨されている。
同居の家族にも協力してもらったほうがよい。
しかし、どうしても花粉は屋内に侵入してくるので、掃除も有効な対策となる。
床の花粉を舞い上げないよう、掃除機ではなく濡れぞうきんによる拭き掃除が推奨されている。
室内に浮遊している花粉を除去する空気清浄機や、
清浄機能のあるエアコンを使用するのもよい。
空気清浄機は風量の豊富なものを選択し、花粉が落下する前に吸い取ることを考えるべきであり、
装置の自動運転を過信しないことが大事である。
加湿器も、浮遊している花粉を湿らせて重くし、落下を早めるために有効とされる。
湿度を高めることは鼻や喉の粘膜のためにもよい。
ただし湿度を上げすぎるとダニやカビの問題が出てくる。
一般に湿度50%程度が適当といわれる。
加湿器がない場合、ぬれたタオルなどを室内干しするのも効果がある。
地域によっては花粉の飛散量が少ないため、花粉症の症状が現れないところもある。
スギに関していえば、沖縄諸島や奄美諸島、小笠原諸島、札幌以北の北海道がこの例に当たる。
こうしたところに転地療養として旅行するのもよい。
ただし、旅行中に症状が出なくとも、シーズン全体を通しての症状に
どれだけ好影響があるかは不明である。
スギは日本および中国の一部にしかないのでこの時期の海外旅行もよい。
ただし、ヒノキ科の針葉樹は海外にもあり、それが花粉を飛ばしている地域では、
スギ花粉症患者でも症状が起こる可能性がある。
地域により花粉飛散量が多い時間なども異なる。
近年広く提供されるようになったリアルタイムデータやシミュレーション予報などを参考に、
外出時間や窓を開けての掃除をする時間等を考慮するのもよい。
一般に夜間〜早朝が少ないといわれるが、必ずしも当てはまらないこともある。
天候によっても飛散量は異なり、晴れて気温が高く、湿度の低い風のある日が花粉が多い。
雨の日であれば飛散量は少ないかゼロである。
ただし、原因は不明であるが、必ずしも雨のほうが楽だという患者ばかりではない
(その場合、血管運動性鼻炎が合併しているのであろうとの見方もある)。
雨の日の翌日に晴れると、2日分の花粉が飛ぶといわれるので要注意である。
原因植物自体を排除することも、自宅の庭に生えたキク科やイネ科の植物などが
アレルゲンになっている場合には有効である。
河川敷や公園などの植物が原因と考えられる場合は、
管理者である自治体などに相談するとよい。
不規則な生活リズムや、睡眠不足、過労や精神的ストレスによる
自律神経のバランスのくずれはアレルギー症状を悪化させることがあるため、
これらを避けることは症状軽減に有効である場合がある。
また、大気汚染と花粉症との関連は明らかにはなっていないが、
汚染物質は症状を悪化させることもあるといわれるので、
呼吸する空気はきれいであるにこしたことはない。
高たんぱく・高脂肪の、いわゆる西洋風の食生活との関連も指摘されており、
食事内容の見直しも有効である場合がある(和食がよいともいわれる)。
飲酒は血管を広げて鼻水を増やすため避けたほうがよい。
翌日にも影響する場合もあるといわれるが、ごく少量であれば、人によりほとんど問題にならない。
タバコも避けたほうがよいといわれるが、もともとヘビースモーカーである患者が
そのせいで症状が悪化するということはあまりないと考えられている
(少量の喫煙はIgE産生をうながし、多量の喫煙は抑制するともいわれるが確実ではない)。
自身のためではなく、他人のために避けるべきであろう。
特に「親が喫煙者である家庭の子どもはアレルギーを発症しやすい」との統計もあり、
妊娠中および幼小児のいる家庭では喫煙は避けるべきである。
また、「花粉症に罹患したことで喫煙を控える傾向があることから、
花粉症診断歴の有る群は喫煙率が低い傾向がある」という調査結果がある。
鼻内の花粉の洗浄も行われる。生理食塩水による鼻うがいや、
洗浄のためのグッズ類も市販されている。
目の洗浄なども行われる。
いずれも頻回に行うとよくないといわれる。
洗浄に用いる生理食塩水は33度程度に温めるとよいとされる。
水道水での洗浄は避けたほうがよい(特に鼻洗浄は粘膜上の繊毛が障害されるので禁忌である)。
温かいスチームを吸入するという治療法(局所温熱療法)もあり、器具も市販されている。
この効果は医学的にも確かめられている。
100%有効であるわけでもなく、その効果も弱い(スコアで1段階の症状の軽減程度)が、
薬剤を使わないため、妊娠・授乳期の女性には第一選択となる治療法である。
スチームの温度は43度程度が適するといわれているが、38度でも効果があるという実験がある。
1日数回の吸引を繰り返すとよい。
器具がない場合、蒸しタオルなどを顔にあてて湯気を吸入するとよい。
目のかゆみに対しては、冷やしたタオルなどをあてる(局所冷罨法)と一時凌ぎになるといわれている。
こうした目の症状が出やすい人はドライアイの人に多いともいわれるので、その対策にも気を使うとよい。
原則的にコンタクトレンズは使用禁止である。
使う場合はレンズの洗浄を確実に行うか、1日使い捨てタイプの使用が推奨されている。
前述のアレルギー日記等を記録して、自分にとってなにが悪化要因だったのかを
つきとめることも有用である。
また、薬剤の効果を確かめることにもなり、医師の協力が得られれば、
それを治療計画に役立てることもできる。
すでに述べたように、ヨーロッパではイネ科の植物、アメリカではブタクサが多い。
日本のスギ花粉症を含めて、世界の3大花粉症ともいわれる。
ヨーロッパのうち、大陸では各種の樹木による花粉症も少なくはないが、
花粉症発祥(発見)の地であるイギリスではことにイネ科の花粉症が多く、
人口の15〜20%以上が発症しているという[要出典]。文献的にはスペインにも多い。
一般に北欧と呼ばれるスカンジナビア地域ではシラカバなどの
カバノキ科の花粉症が多いといわれ、10〜15%程度という数字がある。
最近ではこうしたカバノキ科の花粉症をヨーロッパの花粉症の代表的なものとして述べることもある。
地続きであるロシアでは極端に少ない。
アメリカ合衆国における有病率は5〜10%程度といわれる。
ブタクサがほとんどともいわれるが、国土が広大なため、
地域によってさまざまな種類の樹木・草本が問題になっているようである。
北欧と同じく寒冷な地域であるカナダではカバノキ科の花粉症が多く、
6人に1人という数字もある。
アジア太平洋地域では、文献的にはトルコやオーストラリアなどが40%以上という
異常に高率の有病率を示しているが、この数字には疑問が残る。実際には10〜20%と推測される。
世界的にみて、先進工業国ではおおむねアレルギーが増えており、
花粉症も全人口の1〜2割というところではないかとみられている。
いずれも、英語圏でなくとも、あるいは Hay(干し草)が原因ではなくとも、
Hay fever の病名が慣用されることがある(そのため、花粉症の説明において、
干し草が原因ではないとのことが述べられることもある)。
さらに、アレルギー性鼻炎全般を Hay fever と代名詞的に総称することすらあるようであり、
一般向けの病気についての解説等は、日本の感覚では疑問を持たざるを得ないことがある
(もっとも、症状や治療方法はほぼ同じであるため、原因物質によって区別する必要もない)。
これらのうち、カバノキ科の花粉症が多い北欧やカナダでは
口腔アレルギー症候群を示す患者も多く、カナダでは花粉症患者の半数程度が経験するという。
こうした海外の花粉症については、プロスポーツ選手の海外進出などにともなって、
ニュースとしてよく目にするようになってきている。
日本国内であればマスクや薬の入手は容易であるが、他の国ではそうとは限らない。
特に欧米では日常的にマスクをする習慣がないため、奇異な目で見られるということもある。
街角でポケットティッシュを配るなどのことも行われてはいない。
その反面、国によっては日本では処方薬となっている第二世代抗ヒスタミン薬が
一般の薬店で買えるなどのこともある。
しかし、それが自分の体質に合っているとも限らない。
特にヨーロッパでは、当地の伝統医療であるホメオパシーのレメディを勧められることもあるという。
これらのことにより、花粉症患者が事情がよくわからない海外へ訪れる場合は、
シーズンを問わず、念のために自分に適した薬とマスク程度は持参したほうがよいといえる。
一般に花粉症はきわめてまれと考えられている、
いわゆる南洋の島などに観光旅行に行ったさいにも、
原因不明の花粉症様の症状に苦しめられたとの情報もある
(多量に栽培されているマンゴーやサトウキビなどによる可能性がある。
これは国内でも、南方へ旅行した際に同様なことが起こる可能性がある)。
特に病院で抗アレルギー薬の処方を受けている患者が、
シーズン中に短期(1週間前後)の旅行を行う場合は、その効果を減弱させないためにも、
旅行中も薬の服用を欠かさないほうがよい。
やや長めの旅行であれば一時中断してもよいが、帰国時が花粉症シーズンであるならば、
その数日前から予防的に薬を服用しておくとよい。
これは初期治療と同じ原理である。
近年ではペットの花粉症も問題となっている。
イヌの花粉症は98年に、ネコの花粉症は00年に初めて報告されたとされるが、
ヒトの場合と同様、それ以前から存在したと推測される。
特にイヌにおいては、ヒトのような鼻症状より毛が抜けるなどの皮膚症状が多く見られ、
見た目にも悲惨な状態となることが多いといわれる。
獣医師により検査や治療は可能だが、イヌにおいてはヒトと違って抗ヒスタミン薬が効きにくく、
ステロイドに頼らざるを得ないことが多い。
重症の場合は減感作治療が行われることがある。
ネコにおいては検査も治療も困難であるといわれる。
近年はこうしたペット向けのサプリメント類も販売されるようになってきている。
文科省の第8回技術予測調査によれば、日本において重要な課題の第2位が
「花粉症やアトピーなどのアレルギーを引き起こす免疫制御機構や環境要因の解明に基づく、
即時型アレルギーの完全なコントロール技術」であり、これが実現する時期は2015年、
さらに、それが社会的に適用されるのは2027年であると予測された。
参考文献
鼻アレルギー診療ガイドライン2002(鼻アレルギー診療ガイドライン作成委員会)
鼻アレルギー診療ガイドライン2005(鼻アレルギー診療ガイドライン作成委員会)
鼻アレルギー基礎と臨床(奥田稔)
花粉症の最新治療新編(斎藤洋三)
アレルギー疾患ガイドブック2004(東京都)
花粉症保健指導マニュアル(環境省)
花粉症対策と治療法(順天堂大学医学部)
専門のお医者さんが語るQ&A花粉症(大塚博邦)
ここまで進んだ花粉症治療法(佐橋紀男+花粉情報協会)
東京の環境2004(東京都環境局総務部企画調整課)
スギ花粉症(三好彰)
アレルギーなんかこわくない!(三宅健)
好きになる免疫学(多田富雄/萩原清文)
なぜ花粉症は激増するのか(北村美遵)
環境問題としてのアレルギー(伊藤幸治)
新版花粉症の科学(斎藤洋三/井手武/村山貢司)
すぐわかる森と木のデータブック2002(日本林業調査会)
文化における花粉症
イギリスの劇作家ノエル・カワード( Noel Coward 1899〜1973)の戯曲に「Hay Fever」がある。日本では「花粉熱」と題されて2003年に上演されたことがある。
Sunflower's Gardanのアルバムに「ひまわり花粉症」(2004年発売)というものがある。
沢田亜矢子のシングルレコードに「花粉症」(1982年発売)というものがある。
チャーリー浜のシングルCDに「私は涙の花粉症」がある。
パチスロ
パチスロとは、「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律」
によって規制を受ける7号営業店=パチンコ店等に設置されるスロットマシンのことである。
正式名称は「回胴式遊技機」。
保安電子通信技術協会(保通協)によって行われる型式試験に合格しなければ設置できない。
登場当初はオリンピア物産(現在のオリンピアとは別の会社)製の機械がメインだった為、
「オリンピアマシン」とも言われた。
パチスロ登場以前は、ラスベガスなどでお馴染みのいわゆる「アップライト型」
が主流であったが、大型のスロットマシンは店舗への導入が困難である事から、
パチンコの枠にそのまま設置できるスロットマシンが開発された。
スロットマシンがリールの自動停止を待つのに対し、
パチスロでは遊技者がストップボタンでリールを停止する。
これはパチンコとともに法的に遊技者が最低限の技術介入を求められているためである。
パチンコと共に庶民に最も身近な遊技のひとつ。
パチスロはスロットマシンをパチンコ台の空間に入るよう製造されたもの
(ただし0号機の時代はその限りではなく、筐体はそのまま外国のスロットマシンと同じものだった)。
そのため当初からパチンコを設置している店の一角にパチスロのコーナーが設けられていて、
換金方法もパチンコの方式をそのまま流用しているところがほとんどである。
遊戯に使用するメダルの借り賃は1枚20円以下と定められており、
一般にはメダル50枚(1000円)を単位として貸し出しを行う店が多い。
換金率は、かつてはパチンコの換金率から換算されていたことから
同じホールでの換金率はパチンコもパチスロもほぼ同じであったが、
最近はパチスロ台の機械割が全体的に低下しているため、
パチスロに限り等価交換を導入しパチンコと換金率に差を付けているホールも増えている。
但し、パチンコでも最近になって大当たり1回で得られる出玉が減少しているため、
パチンコも等価交換を導入して換金率に差がなくなる例や、
ゲームの起伏がなだらかになり利益が取りにくくなったために換金率を下げ、
パチンコとの逆転現象がおきるケースも見られ始めている。
パチンコとの遊技性の違いは、「ある程度の技術介入」要素が明確であり、出玉を左右しやすい点にある。
つまり打ち手のレベルやテクニックによって目に見えて差が開きやすい。
しかしながらシステムや遊技方法にある程度の理解が無いと遊技する上での楽しみや
興奮が少なく、始めるにあたり敷居が高い、と思う者も多い。
特にパチンコとの顕著な違いは「あらゆる役が当選しても、
遊技者がその絵柄を決められた位置に止めないと払い出しを受けられない」という部分である
(ただし本来は、パチンコでも、役が当選しても、開放した入賞口に玉を入れられなければ
払い出しを受けられない部分は同じである)。
ボーナスに限っては店の従業員に止めてもらうことも出来るが、
その他の小役は基本的に遊技者が止める必要がある。
4号機が発売されていた時期はパチンコのホールをパチスロ専用のホールとして改装する店が多くあった。
これはパチスロの演出の変化により店内のBGMや放送及び照明が
パチンコのものと両立しなくなってきたためである。
もちろん当時のパチスロ人気の高騰も原因の一つだった。
これはパチンコの出玉に関する規制が一時厳しくなったために、
より爆発力の大きいパチスロに客が流れたことに原因があった。
しかし5号機の時代に入りパチスロの出玉規制が強化されたため、
ここ1〜2年ほどは逆にパチスロ専門店がパチンコ併設店またはパチンコ専門店、
場合によってはゲームセンター(8号営業)へ転換するケースも多く見られる。
このことからもわかるように、遊技者は大量のコインを短時間で獲得できるような仕様の
パチスロ機を求め、設置するホールも客の求める機種を多く設置するため、
メーカーもそのような機種を発売する。
そのために常にギャンブル性(射幸性)の高さが問題となり、
そのたびに当局より規制を受けることになる(パチスロの進化と変遷の項を参照)。
ちなみに全国的にパチスロが普及した後も、三重県では公安委員会が
パチスロの導入を認めないという理由でパチスロ台が1台も稼動していない状況が続いていたが、
2000年にはパチスロの導入を認める方針に転換し、
同年7月より三重県内でもパチスロが一斉に導入された。
2005年、これまでのメダルではなく、パチンコ玉にて遊技するパチスロ機(通称「パロット」)が
SANKYOから登場。
メダル3枚に相当するパチンコ玉15発が一回の遊技代となるが、
上記のようにスロットとパチンコで換金格差がある関係で
どうしてもスロットと同じように遊技できるという状況ではなく、
メダルでの遊技ができるスロット機が主流となっている
(現在ホールがパチスロのシマをもてあましており、
わざわざパチンコのシマに設置する必然性が無いという理由もある)。
また、筐体の変化も様々で、床置きタイプの筐体なども少ないながら存在した
(箱型以外のパチスロ機はホールには現存しない)。
ストックによる大当たりの連荘が人気だった後期4号機を含むすべての4号機以前の
パチスロが2007年9月末までに全て撤去されたことにより客離れが見込まれたため、
金融機関もパチンコ業界へのファイナンスに対し非常に慎重になった。
そうしたあおりを受け、2007年4月27日には業界第6位のダイエー(本社・会津若松市)が
東京地裁に民事再生法の適用を申請したことをはじめ、
2007年度のパチンコ店倒産件数は前年比37.1%増の大幅増加となった。
1964年、アメリカ統治下の沖縄で「オリンピアマシン」が誕生、現代のパチスロの嚆矢となった。
東京オリンピックに因んでオリンピアと名づけられたスロットマシン型のこの遊技機は、
ゲーム機メーカーのセガとタイトーが共同会社であるオリンピアを設立、
セガがかねてより在日米軍基地や欧州市場向けに製造していたスロットマシンを応用した
製品の製造を担当し、販売営業を分け合った。
1ゲームに投入できるメダルは1枚、絵柄の組み合わせの有効ラインは1つで、
ボーナスゲームはなかった。
0号機
1977年、0号機(1985年に施行された風営法以前に作られた機種の総称)の登場。
基準など無かった時代なので、極端にスベリの有るものや、
反対にスベリの少ないものがあり、目押しの出来るプレイヤーにとっては攻略の対象になった。
リールもギアで動くものだった機種では、窓を押さえることでリールを止めることができたものもあった。
役は、ボーナスゲームと小役ゲームのみで構成され、一度ボーナスゲームが当たると
次回のボーナスゲームが高率で当たり、店が設定した打ち止めまで続くようになっていた
(但し、機種や絵柄によっては、単発で終わるボーナスゲームが存在したり、
抽選などの要因により打ち止めに達する前に通常状態に戻る(パンク)場合もあった)。
また、連チャンの規制も無かったので激荒の波を持った機種もあった。
尚『パチスロパルサー』には山佐パターンと呼ばれる独特のリーチ目があって、
リーチ目表(大量リーチ目タイプなので代表的なパターンのみ)がホールに張り出されていた。
このパターンは現在まで続いていて、パルサーシリーズのウリになっている。
なお、当時は今のように無制限で交換率が5〜7枚交換というものではなく、
ボーナス1回ごとに交換し(そもそも、パチンコでも「定量で打ち止め」が当たり前の時代である)、
交換率も10枚交換などというホールがざらにあった。またリプレイもなかった。
コインサンドもまだなく、通貨を50枚単位で包んであるのと同じものをカウンターで1000円で交換していた。
今でも高年齢の人が1000円を1本と呼ぶことがあるのはこのときの名残である。
また、メダル貸し出し単価や機械仕様が統一されておらず、
都道府県ごとに異なるレートが適応されていたり、
それに合わせて打ち止め枚数などの仕様が異なっていたりした。
都道府県ごとに規制が異なったため、0号機では、同一機種でも隣の県では異なるゲーム内容となっていた。
代表機種:パチスロパルサー(尚球社)、リバティーベル(ユニバーサル販売)
1号機
1985年、パチスロに新風営法に基づいた全国統一認定基準が定められ、
1号機が登場。現在のボーナスシステムと同等のゲーム性を搭載した。
その後、不正改造対策により1.5号機が登場。
Aタイプのみ存在。純増方式のみで、約360枚で打ち止めとなる。
ボーナス終了時に打ち止めとなるのは0号機時代の名残である。
代表機種:ニューペガサス(パル工業)
2号機
1988年に2号機が登場。
ボーナスの抽選方法が完全確率方式に統一され、吸い込み方式などは全廃された。
コインを50枚まで貯留できるクレジット機能が採用されて操作性が向上したうえに、
シングルボーナスや集中役など新しい遊技機能が許可されたことにより、
ゲーム性が従来と比較して格段に向上した。
その一方で、1ゲーム4秒(3号機以降は4.1秒)の規制が加わり、スピーディなプレイが難しくなった。
代表機種:アラジン(開発:サミー、販売:ニイガタ電子精機)、バニーガール(オリンピア)、
センチュリー21(瑞穂製作所)、アニマル(アークテクニコ)
3号機
1990年に3号機が登場。2号機のギャンブル性を抑えた仕様であり、
人気のあった集中役に対する規制が強化された。
ゲーム性が画一化されてしまい、結果的に連チャンを誘発する仕掛けなど違法な裏モノが多く出回った。
それへの対処として大規模な基板改修や再封印が行われた結果、パチスロ人気が急落した。
末期にはCR機の試作機も作られたが、さまざまな障壁により、
製品化は2006年に発売された「CSスロ原人」(アビリット)まで待つことになる。
代表機種:コンチネンタル(瑞穂製作所)、ワイルドキャッツ(アークテクニコ)、リノ(ニイガタ電子精機)、
スーパープラネット(山佐)
4号機
1992年に4号機が登場。3号機よりもコイン持ちをよくするために、
再遊技(リプレイ)が新たに搭載されるようになった。
フラグ告知機能も許可されたが、当初はあまり活用されなかった。
他にも、オートリセット機能(3号機まではビッグボーナス終了のたびに
店員を呼んでリセットをしてもらう必要があった)の搭載、
払い出しに関係のない絵柄(多くの機種における中・右リールのチェリーなど)も4号機から認められている。
さらに、ビッグボーナスに「期待値方式」を採用し、
獲得枚数が毎回変化するようになったことも特筆される。
また、3号機までは1メーカーにつき2機種までしか販売が許可されなかったが、
4号機からは何機種でも販売できるようになっている。
4.0号機
4号機の規定の盲点をついた「小役回収打法(DDT打法、KKK打法とも呼ぶ)」
「リプレイはずし」など、打ち手の技術介入度が高い機種が続々登場。
「目押し全盛時代」と言われる。
1998年にチャレンジタイム(CT)が許可され、「ウルトラマン倶楽部3」をはじめとしたCT機が流行。
その一方で、「ジャグラー」(北電子)や沖スロに代表される、
リーチ目がわからなくても特定のランプが点灯すればボーナスが確定する
完全告知マシンが高齢者や初心者を中心に人気を集める。
代表機種:クランキーコンドル、ニューパルサー、サンダーV
4.1号機
完全確率をベースとした規制であるが、規定の拡大解釈により、大幅な変貌を遂げる。
後期に大量獲得機の登場やアシストタイム(AT)がブームになり、射幸心を煽る形に発展した。
2003年にはいくつかの機種は検定を取り消され、4.5号機の早期投入が行われた。
また、初のストック機「ブラックジャック777」が登場。
また、4.1号機の後期ごろより、リール以外の手段を用いて演出を表示できる筐体が登場する。
当初は簡易なドット絵やフラッシュが主流であったが、その後4thリールや液晶搭載機
(ゲゲゲの鬼太郎が初搭載)の登場などで筐体そのものも大きな進化を遂げた。
代表機種:獣王、キングパルサー、スーパーリノ、ハナビ、大花火、アステカ
検定取り消しの代表機種:アラジンA、ミリオンゴッド、サラリーマン金太郎
4.5号機
ギャンブル性が高すぎたAT搭載の4.1号機を抑えた規制。
サイレントストック型のストック機がメインに。
代表機種:北斗の拳、主役は銭形、吉宗
4.7号機
4.5号機の後継機として導入される。
4.5号機より出玉性能が抑えられたものが多くあったが、
一撃の出玉においてはそれに引けを取らない、という機種も多くあった。
代表機種:北斗の拳SE、押忍!番長、秘宝伝、俺の空
以上の機種は2007年9月末をもって検定期間満了によりホールから撤去された。
ただし、これらの4号機をはじめとする「みなし機」は換金性はないものの、
(正規のパチスロ機への悪用防止のため)コインセレクターなどに若干の改造を加えられて
ゲームセンターなどで新たにメダルゲーム機として転用され、遊技可能である(いわゆる七号転用機)。
5号機 詳細は5号機 (パチスロ)を参照
2005年、5号機の登場。
ボーナスゲームの仕様が大幅に変更され、4号機で必須となった
期待値方式相当の抽選方式はそのままに、0号機とほぼ同等の
「枚数による打ち止め」が導入された。
但し、0号機〜3号機が「純増枚数による管理」であったのに対して、
5号機では「総払い出し枚数」で制限されるため、
ビッグボーナスの消化に掛かるゲーム数が多くなると、手元に残る枚数は少なくなる。
射幸性が高くなりすぎた4号機と比較して出玉性能が大幅に制限される反面、
技術介入面での差はさほどなくなり、打ち手に平等になったと思われた。
しかし、一部メーカーによりリプパンはずしという新しい技術介入要素が考案され、
それによって実質的な機械割を上げることができる機種が増えている。
ただし、2007年9月申請分よりART機能を対象とした新たな書類添付が義務づけられ、
出玉性能を飛躍的に上げることを目的としたリプパンはずし仕様は実質的に難しくなった
(ゲーム性の一環としては採用可能)。
ただ、5号機そのものはまだ確立されている状態ではなく、メーカーの試行錯誤が続いている。
2008年現在、ボーナスのみの連チャンでコインを増やす「ノーマル機」、
ATとRTの組み合わせ「ART」でコインを増やすタイプの「ART機」など、
ある程度のジャンル分けが行われるようになってきてはいる。
代表機種:新世紀エヴァンゲリオン、南国娘、シェイクII、スパイダーマン2、
アイムジャグラーEX、リングにかけろ1、青ドン、パチスロ戦国無双、
新世紀エヴァンゲリオン まごころを、君に
なお、2008年秋に登場したモデルより主に演出面での規制緩和が行われた。
従来の5号機では小役が成立していてもボーナスが成立していた場合
ボーナス図柄揃いを優先するリール制御だったが、
4号機以前のように小役を優先する制御が可能となった。
また、レバー入力後にリール始動まで任意のウエイトがかけられるフリーズ機能も復活している。
2002年以降、出玉上の規制が行われ、スペックの変化は様々であるが、
出玉設計以外の分野においても規制の余波が届いている。
ホール営業
原則的に「来店客に対し、射幸心を煽る店内行為」が自粛されている。
過剰なアナウンスの自粛
プレイヤーの射幸心・期待度を極端に煽るおなじみのアナウンスが自粛された。
通常空き台の案内やイベント案内程度が主流。
出玉公開・写真
出玉ランキングにおいて、以前のような掲示方法が変わりつつある。
大量獲得者の写真は、獲得者が強盗犯罪等に巻き込まれる可能性から、最近では無くなりつつある。
イベント
設定を断言するなどの行為が自粛される。
その代わりに「(設定を)上げ・キープ」、「爆裂札」、「ゴロゴロ(5656)祭」、
「エビアン(海物語シリーズの5・6絵柄であるエビとアンコウ)祭」、
「ドラゴンボールの星の数で告知」などの告知方法が多く、
建前上は告知を行っていないという姿勢をとっている。
また、これを逆手に取り嘘の設定を告知するホールもある。
客が正確な設定の確認をすることはほぼ不可能であることもこのことを可能にしている。
営業時間の厳守
開店・閉店時間が厳格に守られるようになった。
閉店時間に客が完全に退店していなければならなくなり、
その結果、遊技を終了する時間が閉店時よりも早まっている(10〜15分前)ので、
その時間を計算して遊技を終了しないと、ボーナスやRTを取りきれずに
終わらなければならないこともあるので注意が必要である。
また、プレイ終了があまりに遅くなったり、混雑などの理由で景品交換が
閉店に間に合わなかった場合、出玉を捨てて退店しなければならない場合がある事にも
注意が必要である
2007年10月から、すべての遊技場(パチンコ店やパチスロ専門店)に設置できる機種は
5号機のみとなり、4号機は設置できなくなった。
しかしながら、4号機での『北斗の拳』→『北斗の拳SE』、『吉宗』→『押忍!番長』『秘宝伝』への
入れ替えのように、一気に十台単位で入れ替えるという傾向は見られない
(4号機ジャグラーシリーズから『アイムジャグラーEX』への入れ替えは除く)。
メーカーによっては4号機の下取り、新たなリースプランの導入などで
入れ替えの経費を押さえ、促進しているにもかかわらず、数台ずつ導入していく店がほとんどである。
なかには、シマを改造してパチンコ台に入れ替えたり、
ベニヤ板で台の入っていた場所をふさいで総台数を減らしたりするところもある。
4号機人気によってパチスロ専門店として改装・開店した店が、
再びパチンコとの併設店(甚だしい場合はパチンコ専門店)に戻ったり、
店自体を廃業したりすることも少なくない。
2号機以前から営業していたような老舗の閉店も相次いでおり、事態は深刻である。
2007年度のパチンコ店倒産件数は前年比37.1%増の大幅増加となった。
また2007年秋以降、一部のパチスロ店で4号機以前のパチスロ機を意図的に
撤去せずに設置し続ける例や、4号機以前の台を並べた無許可営業店
(俗に「地下スロ」と呼ばれる)が現れており
(このような店では、貸メダル1枚の単価が100円を超えるような高レート営業が行われることもある)、
これについての摘発事例も報道されている。
地下スロについては暴力団が関与している疑いも浮上している。
パチスロは日本国内だけではなく国外にも存在する。
これらは基本的に日本で開発された台を利用したものである。
韓国では、ソウル市内を中心に多数の店舗が存在していた(2006年2月末日現在)。
説明書きなどはハングルに直されている場合もある。
機種は古いものでは『大花火』、新しいものでは『ヒデキに夢中!!』まで確認されている。
店の規模は40-50台程度のところが多く、ほとんどの店は韓国の法律に照らすと不法営業である。
貸しコインは1万ウォン(約1200円)で90枚貸してくれ、
交換するときは100枚で1万ウォン分の商品券をくれる。
そのまま使えば1万ウォンは1万ウォンだが、現金に(それなりに堂々と)変えてくれるお兄さんを通すと
そこから更に10%引かれるので、交換率で言うと6.3枚交換程度になる。
ただし2006年末に「韓国版パチンコ機」ともいえるメダルチギが非合法化されているため、
現在もこれらの店が営業しているかどうかは不明。
北朝鮮では、平壌市にあるボウリング場「平壌ゴールドレーン」の中にもあり、
日本と同様景品と交換できる。
モンゴルでは、ウランバートル市内で数店舗が営業を行っている。
台湾では台中市などにパチスロ店が存在する
(台湾では本来パチンコ・パチスロ店の営業は法律で禁止されているが、
実際には相当数の非合法店が営業している)。
パチスロは、日本国内では5号機に移行したため、
4号機以前のパチスロ台は2007年秋までに撤去されている。
これにより、一部業界関係者は「海外のカジノ等で、日本人客を対象に
旧式のパチスロ機による営業を行うところが増えるのではないか」との声もある。
但し、同一のゲーム性のままでカジノに設置することが不可能な国や地域も多い。
例えば、ラスベガスなどではスロットマシンにストップボタンを設置することが出来ない。
なお日本国外でパチスロを打つ場合、日本における保安電子通信技術協会(保通協)や
公安委員会による検定制度に相当する制度が存在しない、
あるいは制度が存在しても検定基準が異なるといった理由から、
台に改造が加えられゲーム性が当該機種本来のものと異なる(いわゆる「裏モノ」化している)
可能性がある点には注意が必要である。
アルゼやIGTは、一部パチスロ機の海外バージョンを正式発売している。
但し、デザインはパチスロと同じだがゲーム内容はスロットマシンのものとなっている。
アルゼは、かつてはパチスロ筐体と同じ筐体(但し、沖縄仕様のアップライト型)から
ストップボタンを除去した筐体を使用していたが、現在は海外ではオリジナルの筐体を使用している。
日本のパチスロメーカーの一覧 すべて五十音順。
現存するメーカー
同一グループに属するメーカーは主メーカーのところにまとめて掲載している。
アイジーティージャパン アクト技研 アスワン東京 アビリット アリストクラートテクノロジーズ
アルゼ(エレコ・ミズホ・メーシー) イレブン エール SNKプレイモア エマ オーイズミ 岡崎産業
北電子 KPE サミー(銀座・ロデオ) SANKYO(ビスティ) 三洋物産 JSI(日本回胴式遊技機工業)
ジェイピーエス 清龍ゲームジャパン 大一商会 大都技研 タイヨー タイヨーエレック トリビー
西陣 ネット パイオニア バルテック バンガード ファースト 藤興 藤商事 平和(オリンピア)
ベルコ 弁慶 マツヤ商会 ヤーマ 山佐(ニイガタ電子精機) ユニオンマシーナリ ラスター
リックコーポレーション
かつて存在したメーカー
アークテクニコ クリエイトツーワン ナコル パル工業 マックスアライド
社名変更したメーカー
エイペックス→トリビー エーアイ→大都技研 エレクトロコインジャパン(ECJ)→エレコ
興進産業→テクノコーシン→ラスター サミー工業→サミー 尚球社→岡崎産業
大東音響→藤興 ダイドー→ビスティ 日活興業→ネット バークレスト→ロデオ
瑞穂製作所→ミズホ メーシー販売→メーシー ユニバーサル販売→アルゼ
営業方法
等価〜6枚交換は無制限営業、7枚交換以下は1回交換が多い。
5号機時代になって、従来のメダル1枚20円から5円ないし10円に
単価を下げた営業もみられるようになった。
特徴としては中間設定付近をメインとし、客を長時間座らせることを目的としている。
但し、換金率を下げ、還元率を低めに抑えることが多い。
4号機の時代に比べて、射幸心を煽るような営業方法は自粛されるようになってきている。
ハイリスク、ハイリターンという時代の名残なのか、
最近の最新機種には機械割が高いものが多くなっている。
5号機 (パチスロ)
パチスロにおける5号機(ごごうき)とは、風俗営業等の規制及び
業務の適正化等に関する法律第20条に定めのあるところにより、
国家公安委員会が定めた遊技機の認定及び型式の検定等に関する規則の
2004年7月1日付改正以後に、保安電子通信技術協会(保通協)によって行われる
型式試験に申し込みを行い合格したパチスロ機を指す言葉である。
最初にホールデビューした機種はパロットの『CRP花月伝説R』(SANKYO、2005年)だが、
通常のパチスロ機としては『新世紀エヴァンゲリオン』(ビスティ、2005年)が最初となる。
4号機までと比較して、全般的に時間当たりのコインの増減(特に増える方向)
の波を穏やかにするため、大方の台では通常時のコイン持ちが良い。
特にメインとなる小役の出現率を設定によって変え、
設定が良いほどコイン持ち(1000円単位のゲーム数)が良くなっている機種が多く、
リプレイタイム機能やアシストタイム機能を採用することでコインの減り具合を緩和し、
その間にボーナスが成立することによって連チャンに似た感覚を遊技者に持たせている機種も少なくない。
短時間の差枚数や連チャンなど、出玉の面でのアピールの弱さをカバーする目的もあり、
アニメなどとのタイアップ機や萌えスロも多く発売されている。
また、液晶画面を搭載している機種ではボーナス時の単調さをカバーするために、
出玉には直接影響しない「ミニゲーム」を盛り込んでいるものも増えており、
ボーナス時の液晶画面の演出などに設定差をもたせて設定推測のヒントにしているものもある。
ただし、設定に関しては必ずしも従来の6段階とは限らない。
初期のアルゼ系機種では設定1・6のみの2段階設定の機種も存在したほか、
2008年現在山佐・ネット・SANKYO・アルゼ・大都技研などが4段階設定を導入しており、
設定の段階数を減らす動きが広がりつつある。(山佐、SANKYOは1・2・3・4の4段階、
ネットは1・3・5・7で4段階。アルゼの『青ドン』は1・4・6・Hで4段階、
大都技研の『新・吉宗』は1・3・5・6の4段階)
4号機後期のようなボーナスのストック機能が認められなくなり、
いわゆるゲーム数天井で強制ボーナス放出がなくなったため、延々とボーナスを引けない場合も起こりうる。
ただし、ボーナス成立が終了要件のRT機能などが付属している機種
(『逮捕しちゃうぞ』のループボーナス、『マジカルハロウィン』のスーパーカボチャンスなど)
の場合はそれによって逆に多くのコインを獲得できる。
また前回ボーナスから一定ゲーム数を経過するとリプレイタイムやアシストタイムが発動する、
「天井RT」「天井AT」によってハマリ救済を行っている機種もある
(天井RTは『サンダーVスペシャル』『青ドン』など。天井ATは『餓狼伝説』など)。
後述のような仕様上の特性(完全確率による抽選のみによってボーナスが当選する)から、
ストック機に比べて偏り(低設定でも一時的に爆発するなど)が少なく、設定に沿った出玉を得やすい。
4号機では機械割の高い機種でも低設定主体に高設定を数台という配置で前述のような
「ストック放出の偏り」によって出玉感を出すこともできた(設定の高低の配置率がわかりにくかった)が、
5号機の場合は1日単位でも確率に収束しやすいため、設定の高低の配置率がわかりやすくなった。
5号機導入に伴って4号機が一掃されていった2007年以降、
ユーザーのパチスロ離れが深刻になってきたこともあり、
日本遊技機工業組合(日工組)と日本電動式遊技機協同組合(日電協)
は2007年11月に警察庁に対して21項目の規制緩和を陳情した。
これに対し警察庁は21項目のうち9項目について緩和を認める回答を行い、
これを受けて2008年3月にパチスロ規格の解釈基準が変更された。
この規制緩和により、リール回転中や回転終了後のフリーズ演出やリール回転順の変化、
ボーナスより小役を優先するリール制御などが認められ、演出面において大きな変化となった。
その一方で、出玉性能に関する規制緩和陳情はことごとく拒否されていることから、
警察当局のパチスロに対する見方は依然厳しいものがあることをうかがわせる。
なお、規制緩和された基準に基づいて製造されたパチスロのことを「5.1号機」と呼ぶことがあるが、
日電協等により規定されている呼称ではない。
試射試験
機械試打では従来同様ランダムにボタンを押してリールを止める適当押し
(押し順まですべてランダム)による試打に加え、「成立役が全て入賞した」という前提での
シミュレーションを行い、双方の結果が後述の出玉率以下であることを要求する
(4号機における、リプレイはずし・アシストタイム (AT) 等の技術介入による機械割の大幅上昇を防ぐ狙い)。
しかし新たにリプパンはずし等の手法が登場したため、
2007年9月以降に保通協に検定申請を行う機種については、
さらに「最も出玉率が高くなる(完全技術介入での)遊技方法での試打を行う」という内容が追加された。
出玉率
4号機の17,500Gで55% - 120%未満に加え、5号機では400Gで300%未満、6000Gで150%未満という制約が追加された。
さらにリプレイのOUT枚数0枚、リプレイの次ゲームIN枚数が0枚として計算されるため、
出玉率がユーザーの考える出玉率と異なる検査が行われているとされる。
一般的な計算例
IN(3枚) OUT15枚
IN(3枚) OUT 3枚(リプレイ)
IN(3枚) OUT 3枚(リプレイ)
IN(3枚) OUT15枚
計 IN(12枚) OUT(36枚)=300%
試射試験での計算例
IN(3枚) OUT15枚
IN(3枚) OUT 0枚(リプレイ)
IN(0枚) OUT 0枚(リプレイ)
IN(0枚) OUT15枚
計 IN(6枚) OUT(30枚)=500%
ボーナス
払出し枚数固定方式となった。最大465枚以下の既定枚数を超える払出しで終了するため、最大払出し枚数は480枚となる。
CT機能を持つものについてはさらに最大払出し枚数が360枚以下でなければならない。
4号機までの「BIG=小役ゲーム+REGボーナスを2回または3回」という概念はなくなったが、
『デビルメイクライ3』や『ラブリージャグラーA』など、JACIN役をボーナス中に成立させ、
擬似的に4号機のようなボーナスゲームを楽しめる機種もある。
(ただし4号機と違い、最大払い出し枚数を超えるまで何度でもJACINする)またボーナス入賞時の払出しは無い。
そのため、4号機でのボーナスは最小限の純増枚数が決まっていて技術介入で
そこから増やすという考え方(REGではほぼ純増枚数は一定)から
「成立した小役は全て取る」というものだったが、5号機では最大限の純増枚数から減らさない
(REGも同様)ために、メイン役以外の役をはずしたり、
何回かとってあとははずすという最大払出枚数に対しての獲得枚数調整という考え方になった。
なお、機種によってはボーナスを常時1・2枚がけで行うことによって
通常時(3枚掛け)と小役の払い出し枚数を変化させ、獲得枚数をほぼ一定にしたり、
常時3枚掛けのときよりも獲得枚数が増えるようにしている。
また、有効ラインによるボーナス確率の制限がなくなった。
なお、REGについては従来と同様だが、通常通り小役を抽選しなければならず、
すべての役が入賞1回とカウントされる。
BIG中に(JACINでない)REGが成立した場合、REGを入賞させるまでJACINの抽選を行わなくなる。
SINも残されているが、集中役が禁止されたため、CTのパンク目的やRT抽選契機
(SIN中のみ成立する小役でRT発動など)として使われる程度である。
SIN中にもボーナス抽選が行われる。
CT(チャレンジタイム)
規定上は2種BBに分類され、特定役の入賞を契機に発動する。
いずれかのリールの制御が変わり(多くは左リールが1コマまでのスベリ、
『超お父さん』(SNKプレイモア)のような例外もあり)、特定の箇所を狙うことで
総獲得枚数を増やすことができる場合がある。
253枚以下の規定枚数を超える払出しで終了するため、最大払出し枚数は268枚となる。
4号機にもCTは存在したが名称が同じだけでシステムは異なる。
なお、REGまたはSINボーナス成立でも終了する。
このため、REGを採用せず、内部的に枚数の少ないBIGやCTをREGの代用とする機種がほとんどである
(CTのパンク抽選をさせる目的でSINを搭載する機種もある)。
役物比率
ボーナスによる払出し枚数と非ボーナス時の払出し枚数の比率による規制。
CT機能を持たないものは、ボーナスによる払出しが6割未満。
CT機能を持つものはボーナスによる払出しが7割未満。
リール絵柄と演出
絵柄は10種類まで可能。演出面ではリール回転からコイン払い出し終了までの間の消灯と点滅、
リール前面での演出、バウンドストップ、ウエイト中のスルースタートが禁止。
ただし2008年3月より演出面で規制緩和が行われたため、今後は従来禁止されてきたフリーズ演出等が可能になる。
リール制御
1つのフラグに1本しか制御をもてないため、抽選により異なる制御をとることが出来ない。
成立役は最大限引き込まなければならないため、揃わない制御によって取りこぼすといったことが出来ない。
また、フラグが成立しているボーナス絵柄をチェリーをはずすために枠外に落とすといったリール制御もできないため、
リール配列にも制約が生じている(チェリーの上下にボーナス絵柄を配置できない=5ラインの場合、など)。
なお、自動停止(空回し)した場合には入賞が禁止されているが、既にプレイヤーが停止させたリールに
チェリーが出現している場合はどのように停止させてもチェリーの入賞を防ぐことはできないため、
入賞禁止の対象とはならない。
「リプレイを取りこぼす」制御は、「自動停止時」「CT中で、かつ小役(チェリー)入賞がCT対象リールで確定した場合
またはCT対象リールを最後に押して、CT制御では引き込めない場合」以外は禁止されている。
リール配列
「小役とボーナスの同時入賞」「リプレイとボーナスの同時入賞」が発生するような配列にすることが出来ない。
また、リプレイの取りこぼしが発生する配列も禁止されている。
重複当選
ボーナスと小役もしくは、小役と小役の重複当選が可能。
例えばチェリーとBIGボーナスが重複当選する仕様の場合、
チェリー入賞後に期待感が持てるといった演出面でのメリットがある。
重複当選の場合の優先度は当初は「小役<ボーナス<リプレイ」となっており、
小役との同時抽選時はボーナスが優先され、リプレイとの同時抽選時
(『南国娘』(オリンピア)、『アクアビーナス』(平和)など)
はリプレイが優先して揃う形となっていたが、2008年3月よりこの規制は緩和され、
「ボーナス<小役<リプレイ」という優先度のものも認められるようになった。
また、RTにもこの制御が利用される。
絵柄とフラグの関係
当初は「1つのフラグと1つの入賞図柄が1対1に対応する」ものとされていた。
例えば、赤7を揃えることができるフラグと青7を揃えることができるフラグはそれぞれ異なるフラグとなる。
ただし小役については、4号機までと同じく1つのフラグごとに複数の図柄が対応しているように
見える機種も存在するが、これは図柄の組み合わせ1つずつに別のフラグが存在し、
それらを常に重複フラグにするという手段によって実現させているものであり、
4号機までのように複数の小役で1つのフラグを共用しているのではない。
この時に揃わず取りこぼしとなった重複フラグも機械割に含まれる
(例えば、「チェリー15枚+ベル15枚+スイカ15枚」というフラグの場合、
実際に獲得できるのは15枚だが機械割計算上は45枚役として見なされる)。
ただ、2008年3月よりこの規制も緩和され、「同一フラグに対する同じ性能を持つ
複数の図柄の割り当て」が認められた。
これを採用している機種も発売されており、例えば『南国育ち』(オリンピア)では、
4号機と同様にビッグボーナスが成立すると赤7・青7のいずれの絵柄でも
揃えられるようになっている。
内部方式
ストック機能(2個以上のボーナスフラグストック)は認められない
(ボーナス同士の重複当選もない)。
アシストタイム (AT) は禁止されてはいないが、4号機で見られた「高確率で成立する
小役のアシスト」は、前述の試射試験に抵触するため事実上搭載できない。
よって、例えば同時にフォローできない2種類のチェリーのどちらが成立しているかを指示するようなATや、
RTと組み合わせてのARTであれば実装可能である。
(前者は『ゴルゴ13 ザ・プロフェッショナル』 (HEIWA BROS.) や『リオパラダイス 』(ネット) など、
後者は『怪胴王』(アリストクラート)や『パチスロ戦国無双』 (山佐) などの実装例がある)
但し、純粋なATの搭載は実質的な機械割がAT非搭載機よりも低くなってしまう。
パチンコ
パチンコとは、ほぼ垂直に立つ、多数の釘が打たれた盤面に、
小さな鋼球を弾き入れてこれを特定の入賞口に入れる遊技(ゲーム)である。
遊技機(ゲーム機)そのものは「パチンコ台」と呼ばれる。
パチンコ設備を設けた施設は、最も一般的には、「パチンコ店」または「パチンコ屋」と呼ばれるが、
パチンコ業界やパチンコ雑誌、ファンの間では、モダンで明るい印象となることを意図して「パーラー」と呼ぶ例もある。
このような遊技施設は、1930年に最初の店舗が開店し、
その後第二次世界大戦により一時は全面禁止となったが、終戦後に復活した。
客にパチンコをさせる営業(以下「パチンコ営業」)は日本では、
風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律(以下「風営法」)
第二条第一項第七号で「設備を設けて客に射幸心をそそるおそれのある遊技をさせる営業」
として定める風俗営業である 。
営業者は客が遊技の結果で得た鋼球を賞品と交換する。
風俗営業者として、十八歳未満の者について、営業所に立ち入ってはならない旨を
入り口に表示するよう義務づけられる(風営法第十八条)とともに、
客として立ち入らせることを禁じられている(風営法第二十二条第一項第五号)。
パチンコ遊技施設は、現在ではギャンブル的要素を持った庶民の身近な娯楽施設として
都市や地方を問わず国内各地にくまなく存在しているが、同時に多くの社会的問題も抱えている。
パチンコ店以外では、ゲームセンターや露店などにてもパチンコ台が、設置、運営される。
コンシューマ分野においては、中古のパチンコ台を個人向けに売買する市場があり、
また、このようなパチンコ台の特徴を模した玩具や、シミュレーションゲームとしてのビデオゲームもある。
2008年現在、日本以外ではアメリカのグアムなどにパチンコ店が存在している。
また中華民国(台湾)では、法律上は禁止されているものの、
実際には台北市を除く多くの都市に非合法のパチンコ店がある。
パチンコ台は、多くは木製の板に多数の真鍮製の釘が打ち込まれた盤を
ほぼ垂直に立て(この立てた盤の傾斜を「ネカセ」と呼ぶ)、前面を二重のガラス板で覆い、
ここに直径11mm、重さ5gのパチンコ球と呼ばれる鋼球を据え付けられている発射装置によって弾き入れる。
弾かれた球は、盤面上の釘や羽根、回転体などの構造物に当たりながら
複雑な軌跡で下に落ち、この間に球が入賞口(セーフ穴)に入ると、
1個から15個の、規定数の入賞球を獲得することができる。
盤面には、遊技の妙味を増すために、「役物(ヤクモノ)」と呼ばれる特別な入賞口や仕掛けが施されている。
役物は機械仕掛け・電気仕掛けにとどまらず、近年ではデジタル部品を駆使したデジパチと呼ばれる
ハイテク度の強い機種が主流である。
パチンコ遊技料金は、国家公安委員会規則である風営法施行規則で玉1個につき4円以下
と定められており(2008年8月1日現在)、最低の貸し出し単位は25個(100円)である。
ただし業界の監督官庁である警察庁は、2000年12月に「消費税分は1個4円以内という制限に含まれない」
との見解を示しているため、一部店舗では100円で25玉に満たない貸し出しの可能性を検討している。
1997年の消費税率改訂時には、貸し玉料金に消費税を上乗せ出来なかったホールは、
売上以外に転嫁して自己負担する形になった。
レジャー白書2005に依れば、パチスロを含めた遊技への参加人口は1,790万人に及び、
市場規模は29兆50億円である。
パチンコチェーンストア協会によると、就業人口は約44万人であり、就業人口に対して売り上げが大きいとされる。
現在は娯楽の多様化や、高くなったギャンブル性と依存性が指摘されるようになっていることから、
ピークの参加人口からは年々減少傾向にある。
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2004年7月に改正された遊技規則の影響を受け、
2004年6月以前に保安電子通信技術協会(保通協)の検定を通過した
パチンコ遊技機やその他の遊技機は、遅くとも2007年9月末までに全て撤去することが義務付けられた。
また大当たりの連チャンが人気だった4号機パチスロ機も同時に撤去対象となっており、
これに伴いパチンコホールは入替のために多額の費用負担を強いられた上、
射幸心を煽る遊技機の規制により大幅な客離れが見込まれたため、
金融機関もパチンコ業界へのファイナンスに対し非常に慎重になった。
そうしたあおりを受け、2007年4月27日には業界第6位のダイエー(本社・会津若松市)が
東京地方裁判所に民事再生法の適用を申請したことを代表に、
2007年度のパチンコ店倒産件数は前年比37.1%増の大幅増加となった。
風俗営業としてのパチンコ営業では、客が遊技の結果で得た玉などを賞品と交換する。
風営法は営業者に、現金や有価証券を賞品として提供することや
客に提供した賞品を買い取ることを禁じたり(23条1項)、
賞品の価格の最高限度に関する基準(国家公安委員会規則で定める。
2008年8月1日現在で1万円 )に従った営業を義務づけ(19条)たりして、パチンコの射幸性を抑制している。
提供される賞品は、一般的に、「一般景品」と、「特殊景品」の2種類に大別される。
風営法施行規則35条2項2号では景品として「客が一般に日常生活の用に供する
と考えられる物品のうちから、できる限り多くの種類のものを取りそろえておくこと」を店舗に求めている。
そのため、タバコや菓子のほか、店によってネクタイ・ハンカチ・靴下などの洋装小物、
電気製品、化粧品、アクセサリー、 CDやDVD、食料品など様々で、
大型のパチンコ店内の景品交換コーナーは小型のスーパーマーケットにも似る。
なお警察庁では2006年12月に、パチンコ景品として最低500種類以上
(ホールの設置台数が500台以上の場合はその台数と同数以上の種類。うち最低200種類は実物を展示)、
品目としては家庭用品・衣料品・食料品・教養娯楽用品・嗜好品・身の回り品・
その他の7品目中5品目以上を取り揃えるよう求める通達を出している。
特殊景品とは、パチンコ店外に設置されている、各都道府県の公安委員会に
古物商の許可を受けた景品買取所に売却することを前提とする景品を指す。
これによりパチンコはギャンブル的な要素を持つとされている。
しかし、前出した風営法23条1項の禁止規定があるので、
パチンコ店が景品交換所を経営することはできない。
そのため、パチンコ業界はパチンコがギャンブルでは無いという建前で、
三店方式(もしくは四店方式)と呼ばれる方法を採っている。
客は特殊景品を景品交換所に持参すると、古物商である景品交換所は
特殊景品を現金で買い取り景品問屋が景品交換所から特殊景品を買い取り、ホールに卸す
四店方式の場合は、ホール、景品交換所、集荷業者、卸業者と経由する。
つまり、法律的な位置づけでは「古物の売買」になり換金にはあたらないとされ、
ホール、景品交換所、景品問屋の三店がまったく違う経営主体という建前のもと、
パチンコ業界は違法性を逃れている。
しかし、神奈川県川崎市高津区のパチンコの景品交換所では
「持ち込まれた景品に偽物が混じっていた」として、偽造景品による詐欺事件が発覚したが、
この被害届が景品交換所ではなく、ホールから届出されていた。
景品交換所とホールの関係が証明されたにも関わらず、
神奈川県警は取締りを行っていないことや、パチンコ店チェーンが
ジャスダック証券取引所に株式上場を求めたところ、
「出玉の景品を換金する業界慣行の合法性があいまいなため、投資家保護を果たせない。」
として上場を認めないなど、様々な疑義が提示されてはいるものの、
検察が、パチンコを賭博罪として起訴した例は無く、裁判所によって、
パチンコ及び三店方式が、刑法の賭博罪に当たるかどうかについての判断は示されていない。
2007年には、東京都で使用される特殊景品である金地金の価格上昇のため、
出玉を交換した結果として得られる特殊景品を景品交換所に持ち込むよりも
通常の貴金属店に持ち込んだほうが価格が高くなる、という逆転現象が起きたため
(このため一部では「単純に現金を玉(メダル)に交換して景品を受け取り売却するだけで儲かる」
とも噂された)、急遽金地金景品の流通価格が値上げされた。
しかしこの際に取られた対応は、旧価格で交換された景品の交換所への持込を防ぐために
「値上げ後の対象景品にシールを貼る」だけというものであり、今後金価格がさらに
上昇した場合には同様の問題が再燃する可能性が高い。
また「シールの貼付により自動払い出し機に不具合が出る」
「一部の問屋が金地金景品を抱え込み、それ以外の問屋の営業に支障が出ている」
などの問題も報告されており、システムの運営が懸念されている。
1970年代後半頃までのパチンコ台は、玉を弾くスプリングを戻す強さの加減を
レバーを使って手動で行いながら一発一発打っていた。
現在のパチンコ台は玉の自動射出機構を備えており、
ハンドルに手を添えるだけで玉を打つことができる。
玉の射出頻度は、パチンコで0.6秒に1発、アレパチでは0.5秒に1発以内と規定されている。
ハンドルに手を添えている間は永続的に玉が射出されるため、
射出を一時的に停止させる押しボタンが、ハンドルの付近に搭載されている。
パチンコ遊技には最低限の技術介入が求められるため、
ハンドルを器具などで固定する遊技方法を防止する目的として、
ハンドルには、素手で触れていることを検知するセンサーが取り付けられている。
CR機の導入以降、1回の大当たり(特賞)の入賞球を増やしたり、
確率変動(確変)を導入して大当たりの確率を高める代わりに
特賞以外の入賞球を減らすなど、射幸心を煽る傾向にある。
本来の風営法では客に射幸心をそそるおそれのある遊技機を禁止しているのにも関わらず、
脱税対策を建前としたCR機の普及の為に、射幸心を煽る傾向にある遊技機を
認可したことが原因であると言われる。
近年のパチンコ台では、タイアップ機と呼ばれる、かつてのアニメーション・特撮ドラマなど
子供向けキャラクターを題材にしたもの、あるいは著名芸能人が監修またはモチーフとするものが
殆どを占めている。特に2006年あたりから、超一流の人気歌手・人気アイドルとタイアップした機種が目立って増加している。
実際2007年度のJASRAC賞で銀賞を受賞した「エヴァンゲリオンBGM」においては、
パチンコ・パチスロでの著作権使用料が同楽曲の使用料全体の44%を占めており、
パチンコ台から得られる版権収入がカラオケ・着うた等と並んで
音楽業界において無視できない金額となってきたことを示している。
インターネット上では近年のパチンコ台をゲームにしたパチンコゲームと呼ばれるものも人気を集めている。
しかし、一方でパチンコ台の題材にアニメが使われる事についてアニメの原作ファンの否定的な意見も存在する。
遊技機は国家公安委員会の指定試験機関である保安電子通信技術協会によって
規定上の条件を満たしているか試験が行われ、その後各都道府県の公安委員会の検定を受け、
その後ホールに設置され、ホール所轄の警察が試験を行う。
全ての試験を合格して初めて客が遊技することが可能となる。
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検定の有効期間は3年間とされ、有効期間を過ぎた遊技機は
現行法下の遊技機については設置は可能だが、検定が満了しているため変更が一切認められない。
そのため故障などの場合は、部品などの交換や修理が出来ないため、
故障のまま放置するか、新しい遊技機と入れ替える必要がある
(故障したまま稼動を続けることは出来ない)。
ここでみなし機撤去について誤解があるようだが、
この撤去は現在の遊技機の基準を満たしていない(法が改正された)ために
行われたものであり、現行法が改悪されない限り、
現行法下での検定を合格した遊技機は、検定期間が満了した際に撤去しなければならない、ということではない。
また、現行機については、認定を受けることで、認定日から更に3年間、
設置運用(部品交換等の変更可)が認められる。
現在の遊技機は、以下の基準に沿って作られている。
大当たり確率が最低でも1/400以上。また、異なる確率を採用する場合
(確率変動や、始動口で異なる確率にする場合)、2種類までの確率を採用できる。
1回の確率変動で獲得できる平均出玉は8000個以下。
総出玉のうち、役物による出玉(役物比率)が60%以下。
打ち込み6000個(1時間)の出玉率の上限は300%、打ち込み60000個(10時間)での
出玉率の上限が200%、下限が50%。
パチンコでは、玉を借りる際、台に付属されている機械にお札又はICコイン・ICカードを挿入し、
玉貸ボタンを押すという手順が一般的で、通常のパチンコでは、玉貸単位が500円125発、
1円パチンコでは100円100発であるが、そもそも、ここからパチンコの敷居の高さが窺える。
ゲームセンターでは100円玉、もしくは50円玉で遊技出来る施設が数多くあり、
大衆娯楽の中でいきなり最低でも1000円札が必要なものはパチンコ・スロットのみと言っても過言ではない。
店によって硬貨の投入も可能な現金サンドを設置している場合もある。
この場合、100円玉or500円玉からの遊戯が可能となっている。
パチンコ台は、所謂甘デジ機を除けば大当たり確率が1/250〜400に大半が収まる。
甘デジ機とは大当たり確率が1/100未満の台を指す。
(しかし、出玉無し、所謂2R確変のガセが含まれている台が存在し、実際はこれ以上である場合が多い。
一例を挙げると、CR花の慶次ならば大当たり確率1/399.25となっているが、
大当たりを出玉があるものに限定した場合は1/530以上である。)
交換率が違えど1000円毎の平均回転数(4円パチンコ)は10〜25回にまず収まり、
大手パチンコチェーンでは13〜22回に大半が収まる。
平均連チャン回数は2〜7回でまず収まる。
大当たり1回当たりの出玉数は、甘デジ機を除けば通常の台ならば
1200〜1700個に大半が収まるが、複数の出玉数が設定されている台もかなり存在し、
例えばCRパトラッシュ2REDならば170個or1300個、ぱちんこCR北斗の拳ならば、
ケンシロウverを例に挙げても480個or1550個or1600個であり、
現在ホールで稼働中の台の中では最高の出玉数を誇るラオウverのHYPER BONUS
ならば2250個である。ちなみに甘デジ機では400〜500個程度に大半が収まる。
交換率は25〜50発に大多数が収まる。
例えば、大当たり確率1/300、1000円あたりの平均回転数20回、平均連チャン回数3回、
出玉1500発の台を、25発交換のホールで遊技し、全て確率通り
(平均回転数はあくまで結果論)だった場合、投資金額は15000円であり、総出玉4500発、
換金は18000円となり、収支計算では3000円のプラスとなるが、
1000円あたりの平均回転数が15回であった場合は投資金額が20000円となり、
2000円のマイナスとなる。
このように、平均回転数が総合収支に大きく影響するため、ボーダーラインという言葉が存在する。
以上の例では、総合収支が理論上±0になる平均回転数は1000円あたり16.666…回であり、
これがボーダーラインに相当する。
機種毎に、交換率と平均回転数と遊戯時間を入力しただけで期待収支が計算出来るサイトも存在する。
しかし、出玉を削っている場合や、確変・時短中の玉数の変化など、一概に言えない部分もあるため、
あくまで参考程度に留めておく必要がある。
一般的には総合収支が±5万円以内の場合が多いが、2000回以上回しても大当たりが出ない場合
(−8〜20万円以上)や、50連チャン以上(単純換金金額で12〜39万円以上)する場合もあるので、
実際には単純な確率論で勝負するのは難しい。
パチンコでは0.6秒に1発玉が発射され、アタッカーに玉が入らなかった(入賞玉を獲得できなかった)場合、
250発(1000円)は2分30秒で無くなってしまう。
1000円で20回玉が入った場合、60発残っており、2分30秒で190発消費した計算になる。
このペースで1時間遊技すると4560発の消費となり、
実に18240円に相当する。
大当たりが出なければ50000円はすぐに無くなってしまい、
開店から閉店まで回し続けても出なかった場合、
約20万円を消費してしまう。
このような極端な場合でなくとも、数万円の負けは一般的であり、
長期的に数百万円以上を失う人間が後を絶たない。
パチンコは特殊景品による換金行為、及び中毒性などからさまざまな問題となっている。
以下に例をあげる。
パチンコ依存症
ご自身の健康問題に関しては、専門の医療機関に相談してください。
免責事項もお読みください。
精神医学においては「病的賭博(pathological gambling)」という精神障害のことである。
一般的には「ギャンブル依存症」とも呼ばれる。
パチンコの大当たり時には脳から大量のβ-エンドルフィン、ドーパミンなどの神経伝達物質
(脳内麻薬とも呼ばれる)が分泌される。
このため一種の薬物依存に近い状態に陥り、パチンコに依存する恐れがある。
このパチンコ依存症により、勉学意欲や勤労意欲を喪失する例や、
借金をしてまでパチンコにのめり込むあまり多重債務に陥る例や、自殺にまで陥る例があり、
消費者金融の在り様と併せて社会問題視(クレサラ問題)されたことから、
2005年頃から東京都遊技業協同組合などの業界団体でも
パチンコ依存症に対する注意の呼び掛けや問題解消のためのカウンセリングの紹介
といった事業が始められている。
2006年からは日本全体の業界団体である全日本遊技事業協同組合連合会でも
同様の取り組みを開始しており、パチンコ依存症は治療を要する病気であると共に、
業界団体としても救済を必要とする問題と位置付けて5年間分の運営費1億円を負担、
同依存症に対する研究を進めるほか、専門相談員の育成にも乗り出している。
また民間では回復施設「ワンデーポート」と女性用の「ヌジュミ」が活動を始めている。
パチンコ業界主導の依存症対策には疑問を投げかけている。
回復者本人で精神保健福祉士が運営する相談カウンセリングセンター
「横浜メンタルヘルスサポートセンター」も活動し効果を上げている。
元臨床心理士で作家の松岡圭祐は、著書の催眠や千里眼の教室といった
複数の作品中で、パチンコ依存症を、パチンコ台が「大音量の音楽」、「点滅するネオン」、
「回転するデジタルスロット」、そして「“大当りが出たら儲かる”という欲求」などの
複数の要素を巧みに用いることで、交感神経系優位で被催眠性の高い(熱中しやすい)
人間をトランス状態、一種のリラックス状態に導くことが出来る。
これにより理性が弱まり大金を浪費してしまったり、遊技中の快楽感が癖になり
依存症や中毒になってしまうと分析している。
またそれらの特性からパチンコそのものを強く批判している。
児童の車内放置
パチンコに熱中した保護者がパチンコ店の駐車場に止めた自動車内に子供を放置して、
子供が熱中症や脱水症状などで死亡する事件(→ネグレクト)が発生し、
社会問題になっている。
そのため全日本遊技事業協同組合連合会は子どもの車内放置は児童虐待の防止等
に関する法律の児童虐待にあたるとして車内放置根絶を目指し
注意を喚起するキャンペーンを行っている。
対策として、加盟店内の一角に壁で仕切られた遊び場を設けて子供を預かったり、
あるいは駐車場を店員が巡回して注意を呼び掛けたりしている。
同会の報告によると、巡回などで見つかった車内放置のケースは2006年度で37件、
56人になり増加傾向にある。
警察との癒着
警察庁は、パチンコ業界の監督官庁として、その外郭団体である保安電子通信技術協会で
遊技機の仕様が適正であるかどうかを調べる試験を行ったり、
さらに、試験に通過した機種を実際に営業に供して良いかどうかの検定を
各都道府県の公安委員会で行ったり、あるいは店舗営業の許可を与えたりするなど、
業界の生殺与奪の権を握る立場にあるため、癒着が発生し易い関係にある。
例えば、遊技機の型式試験を行う保安電子通信技術協会の前会長は
前警察庁長官であった山本鎮彦であり、職員の1/3を警察出身者が占めることや、
パチンコメーカー・アルゼでは前警視総監である前田健治を常勤顧問として迎え入れていたなど、
関連団体や企業への天下りとも解釈できる例が見られる。
脱税
CR機導入以降は減少してはいるものの、依然として脱税が多く、業界全体として、
国税庁の2004年度の調査では不正発見割合でみると50.3%と過半数が脱税の疑いがあり、
「不正発見割合の高い業種」、「不正申告1件当たりの不正脱漏所得金額の大きな業種」では
4206万2000円と、ともにパチンコがワースト2位にランクされている。
売上データを改ざんするように、ホールコンピューターを改造する事例もある。
不正営業
業界各団体の健全化推進の努力が継続的に行われているにもかかわらず、
コンピュータープログラムの内容を書き換えた違法改造ROMへの換装や遠隔操作など、
風営法で禁じられている無承認構造変更や、玉貸機や計数機を改造して
不当な利益を上げようとする、詐欺罪に相当する不正などの、
業界の信頼を失う不正行為が根絶できていない。
ただし、遊技機の無承認構造変更については、犯罪組織や個人がパチンコ店から玉などを盗むことを
企図して行われる場合もあり、必ずしもパチンコ店による不正とは限らない。
クリア
>>1 Aさん
スレ立てありがとうございます。
周囲に与える影響
パチンコ店はネオンサインやLEDを使った電光掲示板などにより派手に外装してあることが多く、
景観の悪化を嘆く声がある。
特に光害の大きな原因となるサーチライトに関しては、岡山県の旧美星町(現:井原市)の例をはじめ、
条例により規制する動きも広がりつつある。
近年では外装に予算をかけずマスコミ媒体に予算を使った広告戦略を行う店も増えている。
また、店舗内の音楽が周囲にもれて騒音となっているところも少なくない。
大量の現金を扱うことから、景品交換所では窃盗・強盗事件がしばしば発生している。
パチンコ店のCMが教育上好ましくないという声がある。
なお、全国放送されているのは主に大手メーカーのそれで、
店のCMはほとんどが地方局での放送である(ローカルのテレビやFMラジオが多い)。
これに対し北海道や新潟県、島根県では射幸心をあおる傾向にあることや、
多重債務を招く恐れがあるとして、テレビCMの自主規制を行うこと決めている。
また2009年4月より、子供が視聴することが多い時間帯である午前5時 - 午前9時
及び午後5時 - 午後9時でのCM放送を自粛することが決められた。
廃棄処分になったパチンコ台・スロット台の殆どは香港、中国などに輸出され、
不正なブローカーの手に渡ると、有害物質の鉛が適正に処理されず、
中国国内で健康被害を引き起こし問題となっている。
18歳未満の者の立ち入り規制が厳しく取り締まられていない。
しかしその一方で、上に挙げた「車内放置」の問題もあり、
特に核家族では家庭に幼児を置いておけないなどの問題も絡んで、店舗でも徹底しにくい傾向も見られる。
託児設備のあるパチンコ店も一部にはあるが、全国的にみても地方郊外店以外では
導入に積極的ではない面もある。
これについては、2006年5月から施行された改正風営法により、
明らかに18歳未満と分かる者を入場させたホールに対して罰則規定が盛り込まれた。
これにより立ち入り規制の徹底がされた店もあるが、以前と比べても立ち入り規制が
取り締まられていない店も少なくない。
但し、取締りの強度は所轄の方針に左右され、大阪府などのように
乳幼児まで含め完全に規制が徹底されているケースもある。
かつては分煙が徹底されておらず、店舗によっては店内に煙が充満している店も多々見られ、
煙に巻かれて気分を悪くする者もいたが、2000年ごろより社会的に分煙志向が強まったこともあり、
空調設備の完備、女性客の増大を見込んでの「清潔で過ごしやすい店内」を
実現する上での分煙化なども行われており、紫煙渦巻くような店舗は改善される傾向にある。
パチンコと在日韓国・朝鮮人
自営業が可能なパチンコ産業では、国籍・出自による就職差別影響する他産業に比べ、
就業者に占める在日韓国・朝鮮人の割合が高いとみられ、
日本に約1万6000〜7000店ほど存在するパチンコ店の経営者に占める割合は
7割から9割とも言われている。
民団傘下の「在日韓国商工会議所」では所属する1万社のうち、
約7割がパチンコ業に係わっており、日本の公安当局はパチンコが民団、
及び朝鮮総連の資金網と見ている。
また、各メディアにおいても北朝鮮送金問題に関して北朝鮮の資金源として、
朝鮮総連に関係するパチンコ業界があるのではないかと言われ、
AP通信ではパチンコで負けた損失が核開発に流用されているのではないかと危惧する
パチンコファンの声や、パチンコの収益が北朝鮮政府や軍に渡っているという
専門家の声を伝えている。
パチンコと政界
パチンコ推進議連として自民党遊技業振興議員連盟、
民主党娯楽産業健全育成研究会などがあり、パチンコの換金を合法化するなどの案が発表されている。
また業界団体パチンコチェーンストア協会には政治分野アドバイザーとして
多数の政治家が挙げられている。
2008年には、在日本大韓民国民団の代表たちが、
韓国の李明博次期大統領当選を祝うために訪韓し、
「パチンコ産業への規制による経営の苦しさ」を訴えた。
李明博はこれを受け、小沢一郎民主党代表との会談の際に、
民団から聞いたこととして小沢へこれに関心を持って欲しいと注文し、
小沢は後日に民団から聞くと応じた。
後日、民団と在日韓国商工会議所が母体の「レジャー産業健全化推進協会」の
協会幹部たちが「遊技業業界の規制緩和を訴える陳情書」を小沢へ提出することとなった。
歴史
パチンコのルーツとされる「ウォールマシン」
正村ゲージ1925年、大阪で横型コリントゲームを改良した
パチンコが始まる(パチンコの発祥)。
1930年、風俗営業第1号店が名古屋で許可されパチンコ店が開店。
1936年、高知でパチンコが大流行、半年で35店が開店。
1937年、日中戦争勃発。
戦時特例法によりパチンコ店の新規開店が禁止される。
現在のパチンコと同じ鋼球式のパチンコが登場。
クリア
1941年、太平洋戦争勃発。
1942年、戦時体制により、パチンコは不要不急産業として全面禁止。パチンコ店は閉店し台は処分される。
1946年、禁止されていたパチンコが復活する。
1948年、風俗営業取締法(改正前の風営法)制定により、パチンコは許可営業となる。
「正村ゲージ」が登場。
1949年、貸玉料金が1円から2円に値上げされる。
丸新物産(現:ニューギン)が名古屋市で設立。
1950年、竹屋商会(現:竹屋)が春日井市で設立。
1951年、法改正により18歳未満の入場が禁止される。
ソフィア(西陣)が桐生市で設立。
1952年、菊山徳治考案のオール20連発式(機関銃式)が開発される。
京楽が名古屋市で設立。
大一商会が愛知県(現在の北名古屋市付近)で設立。
1953年、 第1期黄金時代到来。パチンコ店387,664軒にのぼる。製造メーカーは約600社。
循環器第1号機(高速度連射可能機:160〜180発/分の玉が自動的に発射)開発。
これによりパチンコブームが加熱し、射幸心をそそるとして後の連発禁止令の要因となる。
1954年、東京都公安委員会が「連発式パチンコの禁止」を決定、全国に広がる。
豪快不況が到来、全国軒数も半減。
1955年、モナミ商会(現:三洋物産)が名古屋で設立。
1956年、第一回業界編成期を迎える。
1957年、神武景気を意識した「ジンミット」が登場。
「竹屋式無人機」の登場で、従業員がシマの中に入らなくてもよくなった。
役物コミック機登場。
1958年、藤商事が大阪市で創業(法人としての藤商事設立は1966年)。
1960年、画期的な「チューリップ」が登場。
リモートコントロール方式をはじめて発売。
第2期黄金時代到来。
平和が桐生市で設立。
豊丸が名古屋市で設立。
パチンコメーカー60社が集まって日本遊技機工業協同組合
(日本遊技機工業組合の前身)を結成。
1962年、盤面のファッション化に拍車がかかる。
1963年、分離式(ユニパック)発表。
メダル式パチンコ機登場。
1965年、パチンコ店1万軒を越える。オリンピアマシン(パチスロの前身)登場。
1966年、三共(SANKYO)が名古屋で設立。
1972年、電動式ハンドルが認可される。貸玉料金が2円から3円に値上げされる。
1973年、太陽電子(現:タイヨーエレック)が名古屋市で設立。
1975年、間寛平の「ひらけ!チューリップ」が100万枚の大ヒット。サミーが東京都で設立。
1978年、貸玉料金が3円から4円に値上げされる。
1979年、「パチンコの日」制定(毎年11月14日)。高尾、三星(現:サンセイR&D)が名古屋市で設立。
1980年、現在のデジパチの基本である「三共フィーバー」が登場。
1981年、現在の羽根モノの基本である「ゼロタイガー」が登場。
警察庁がフィーバー機の大当たり時に開く大入賞口開閉時間を30秒×10ラウンドに規制。
1982年、権利モノが初めて登場。
1983年、大同(現:ビスティ)が東京都で設立。
1984年、フィーバー機の大当たり時の大入賞口開閉時間を15秒×10ラウンドに規制強化。
1985年、保安電子通信技術協会によるパチンコ機の検定制度開始。
1986年、「全国パチンコ・パチスロファン感謝デー」制定。
1988年、警察庁が「CR機構想」を発表。日本レジャーカードシステム設立。
東洋商事(現:フィールズ)が名古屋市で設立。
1989年、日本遊技関連事業協会設立。
1990年、遊技機規則改定。最大大当たりラウンド数が10ラウンドから16ラウンドに緩和。
1990年代、このころ車に置き去りにされた子供の熱中症事故が問題視され始める。
1992年、最初のCR機「CRフラワーショップ」が登場。
1993年、「ダービー物語事件」。
1996年、射幸性の高い機種(約70万台)を自主撤去、同時に確率変動の連続を
最大80ラウンドに制限する(いわゆる5回リミッター)規則改定が行われる。
1999年、遊技機内規変更。5回リミッターが事実上の廃止。
2002年、遊技機内規変更。最低賞球数が5個から4個に、大当たり確率の下限が
1/320から1/360に緩和。大当たり終了後の時短が認められる。
2004年、風営法施行規則改定。新基準機が登場。パチンコの種区分が廃止。
確変割合の上限(50%)撤廃、内規により最低賞球数が3個(規則上は1個)、
最低大当り確率が1/500まで認められることとなった。
2005年、1/500以上まで緩和された最低大当り確率の内規が見直され、1/400以上となる。
2006年、規則改定。
2006年5月、風営法改定。閉店前やトラブル時の出玉保証の禁止、明らかに18歳未満
と分かる者を入場させたパチンコ店に対する罰則規定などが盛り込まれる。
2006年7月、「みなし機」の完全撤去。
2006年8月8日、有限責任中間法人遊技産業健全化推進機構設立。
2007年4月、有限責任中間法人遊技産業健全化推進機構が「誓約書」を提出した
全国のパチンコホールに対して、「随時・不通知」の立入検査を開始。
2008年3月、内規変更。2004年の規則改定以降なくなった連続予告が復活。
用語
モーニング
後述する「ブラボーキングダム」を始めとする機種などには、「モーニング」機能が備わっていた。
これは、攻略法と言うより、ホール側の「サクラ」台で「客寄せパンダ」になってもらうことで
稼働率アップを狙ったものである(開店後、無銭飲食(食い逃げ)防止の為、
一定時間は出玉交換禁止のホールもあった)。
これは、遊技台の電源を投入すると一定の確率、
又は意図的なセットで内部乱数が連チャンゾーンからスタートし、
ホールの朝一から「連チャン」が起きる仕組みだった。
豊丸産業のドンスペシャルという機種は朝一番で単発回し
(保留玉を点等させないように打つこと)をして大当たりすると、
通常よりも連荘率が上がることで「朝一単発」という言葉も生まれた。
当然ながら「モーニング台」につくためには、他の客より早く行列に並ばなければならず、
「早起きは3万円の得」と言う新諺まで生み出した。
尚、「モーニング」は、前日のゲーム状態に関係なくセットされるので、
「モーニング台」を確保したからと言ってそれが優秀台であるという保証はない。
リーチ
詳細はリーチ (パチンコ)を参照
ダブルリーチ
画面上のリールがあと一つ揃えば大当たりとなる演出のうち、
麻雀のリーチでいう「待ち」が二つある状態のこと。
麻雀の「ダブルリーチ」とは意味合いが異なる。
連荘(連チャン)
大当たり終了直後の「次回まで確率変動」または「次回まで時間短縮」中に再び大当たりに当選すること。
偶然早い回転数で引いた場合はこう呼ばないことが多い。
語源は麻雀の「連荘(連続してあがること)」から。
確率変動(確変)
大当たり確率を通常時よりも上昇させて大当たりを誘発する機能。CR機にのみ搭載されている。
詳細は確率変動を参照
時間短縮(時短)
大当たり終了後、強力なデジタル変動の短縮と電チュー開放による
スタート入賞のサポートを組み合わせて持ち玉を減らさずに効率よく回転させる機能。
又は保留玉が貯まった時にメインデジタルの変動時間を通常よりも短縮して
時間効率を高める機能。
詳細は時間短縮 (パチンコ)を参照
フィーバー
大当り状態のこと。通常のデジパチの場合、同一の絵柄や数字が3つ揃うとこの状態になる。
ただ、この『フィーバー』は三共の登録商標であり、大当りした時に「フィーバー!!」と叫ぶのは
三共、ビスティの機種のみである。
実際に、三共の機種には「CR FEVER●●」と、必ず『フィーバー』と名付けられている
(ビスティでも機種名にはフィーバーが付けられていたが、「CRフィーバーツインズ」を最後に廃止された。
但し、フィーバー夏祭りなどのパチンコ移植作のパチスロなどには今でも付けられることがある)。
電チュー
玉が入ると開いて次の入賞を容易にする役物をチューリップと呼び、
電チューは玉が特定の穴やゲート通ると電動で一定時間開いて閉じるチューリップのこと。
交換率(等価交換など)
遊技客側から言う「交換率」とは一般的に特殊(換金性のある)景品と交換する際の価値を指す。
景品買取所で換金した場合の価値を「100円あたり玉何個必要か?」という表現をする。
例1 25玉交換 = 特殊景品100円分は玉25個で交換できる = 4.00円/1玉の価値。
例2 28玉交換 = 特殊景品100円分は玉28個で交換できる = 3.57円/1玉の価値。
貸し玉料金は「玉1個=4円」と規定されているが、景品と交換する際の価値はというと
警察の見解として「等価交換」とされている。
景品として交換される品物の人気としては、特殊景品が95%以上にのぼることから、
遊技客側からみた「玉1個の価値」は「買取所での買取価格を基に計算する」のが常識となっている。
ハイエナ
攻略法を知っている客が、他の客が打っている台に目をつけて、
その客があきらめて台を空けるのを待つこと。
以前はオカルトとしか言えない攻略法しかないのであまり意味は無かった。
しかし確率変動状態でありながら簡単に見分けのつかない
「潜伏確変状態」を持つ機種が出現したため注意が必要である。
ハマリ
相当の金額を投資しても、大当たりが出ないこと。語源は「深みにはまる」から。
ジェットカウンター
獲得した出玉を計数する機器(計数機)のこと。
シマの中央にあったり、両端にあったり、小規模な店舗では景品カウンターにあったりと、
存在する位置は様々である。
割数
ホール側から見た出玉率のこと。
ホールコンピュータにより一台ごとの出玉率は瞬時に演算されて、
この割数と交換率の組み合わせによってホール側と遊技客の儲けがわかる仕組み。
営業割数と機械割数の二種類がある。
フルスペック
その時点での内規の規定いっぱいに設計された機種。
現在完全なフルスペックの機種を作ると実射試験でほぼ不合格になる。
時代によって、その内容は変化する。
CR機中期においては、確変割合1/3、確変図柄での大当たり後通常図柄が
2回連続で当たるまで継続(2回ループ)の機種。
CR大工の源さん(初代)など。現在このような機種を作ることは出来ない。
1回ループ(確変割合1/2、1回継続)の機種と対比して使う。
全ての通常大当たり終了後に時短が付く機種。
確変中の通常大当たりのみ時短が付く機種(ハーフスペック)と対比して使う。
大当たり確率が内規の下限(400分の1)近辺になっている機種。
大当たり確率が300分の1前後になっている機種(ミドルスペック)と対比して使う。
ブドウ
遊技機に打ち込まれた釘と釘の間に玉が挟まり動かなくなったところに、
次々と放たれた玉が上から被さっていき、終いには台の中で玉が一塊りになって詰まってしまうこと。
この玉の塊が葡萄のように見えることから、こう呼ばれる。
玉の重みで自然と崩れることもあるが、通常は店員を呼んで取り除いてもらう。
滅多にできるものではないが、ブドウができた場所によっては、
スルー釘やヘソに繋がって入賞しやすくなることがある
(但し、ブドウを作って入賞させる行為は不正行為と見做される)。
[編集] 台の区分・種類
CR機
正村ゲージ
現金機
デジパチ
羽根モノ
権利物
一般電役
普通機
一発台
アレンジボール(アレパチ…登録商標)
スマートボール
日本のメーカー一覧
パチンコ遊技機等製造会社の組合として1960年設立の
日本遊技機工業組合(日工組)がある。
奥村遊機 三洋物産 SANKYO(ビスティ) 京楽産業 サミー ニューギン
大一商会 藤商事 平和 西陣 豊丸産業 マルホン工業 サンセイR&D
高尾 タイヨーエレック エース電研 まさむら 竹屋 銀座 アルゼ(ミズホ・メーシー) オーイズミ
仮面ライダー
『仮面ライダー』(かめんライダー)とは、石ノ森章太郎(当時は石森章太郎)が原作者として
設定・デザイン・漫画版の執筆等を担当し、毎日放送をネット及び制作局に、
NET(現:テレビ朝日、1975年のネットチェンジからはTBSに変更)系にて放送、
大ヒットした東映製作の特撮ヒーロー番組の主人公であり、
その番組ならびにシリーズ作品のメインタイトルである。
制作キー局は関西の毎日放送で制作会社は東映。
このコンビでのシリーズは『仮面ライダーBLACK RX』まで続く事になる。
優秀な科学者でオートレーサーでもある本郷猛(ほんごう たけし)は、
その能力に目をつけた悪の組織ショッカーに拉致され、バッタの能力を持つ改造人間
(サイボーグの一種)にされてしまった。
しかし、脳改造によってその意思を奪われる寸前、ショッカーの協力者にされていた
恩師・緑川博士の手引きで脱出に成功した。
緑川博士は脱出行の途中でショッカーの怪人・蜘蛛男に暗殺されるが、
その遺志を継いだ猛は腰につけたベルトの風車に風のエネルギーを受けて
仮面ライダーに変身、ショッカーに立ち向かう。
猛は、オートレーサーとしての師・立花藤兵衛や緑川博士の遺児ルリ子、
そしてレース仲間であり実は FBI 捜査官としてショッカーを追う滝和也(たきかずや)
らの協力を得て、ショッカーの送り出す戦闘用改造人間である怪人たちを次々に倒していった。
多くの怪人たちを倒されたショッカーは、ライダー打倒のためカメラマン一文字隼人(いちもんじ はやと)を
猛と同型のバッタ型サイボーグに改造するが、隼人は脳改造前に猛に救出され新たな仮面ライダーとなった。
こうして誕生した2人の仮面ライダーは日本と海外に別れて戦い、時には共闘しながら、
ライダーガールズや少年仮面ライダー隊、多くの仲間たちの協力を得て、
改造人間として苦悩しつつもショッカーと戦っていく。
特撮テレビ番組『仮面ライダー』は、1971年(昭和46年)4月3日から
1973年(昭和48年)2月10日にかけて毎週土曜日19:30 - 20:00に毎日放送・
NET(現:テレビ朝日)にて放送された(全98話)。
本作は『タイガーマスク』をヒントにした作品である。
このため逃亡者の仮面のヒーローであることなど両者に共通点がある。
しかし従来の覆面もの・超人ものなどのヒーロー作品とは一線を画した
「異形」のヒーロー像と、怪奇ドラマ的な演出(吸血鬼ドラキュラに題材を求めたと言うべき、
鋭い牙で人間の首筋に噛み付き猛毒のビールスを注入して
吸血鬼に変えて操る人間コウモリの登場する第2話など)、
そして颯爽とバイクを駆り「ライダーキック」などダイナミックなアクションを見せる
スピーディな映像、毎回登場する多彩で特異でグロテスクな怪人たちの表現などが
当時の視聴者に衝撃を与えた。
また単騎で敵と戦う等身大のヒーローの姿はテレビを見る子どもたちの心をしっかりと捉え、
それが社会現象となり「ライダーごっこ」はそれ以降日本の子どもたちの
典型的な遊びの一つとなる。
特に仮面ライダー2号の登場に際して生み出された「変身ポーズ」は、
以降のシリーズのみならず数多くのヒーロー番組に影響を与えた。
本作終了後にも登場人物や敵組織、または時系列、世界観そのものを替え、
多くのシリーズが製作された。
それぞれの番組は基本的に、主人公となる「ライダー」( = 仮面ライダー)の名称をタイトルとしている。
一般にこれを仮面ライダーシリーズという。
それらの詳細については仮面ライダーシリーズを参照のこと。
小さくクリア
なお、1979年に発表されたシリーズ第6作のテレビ番組名も同じく『仮面ライダー』であるが、
新聞や文献等では「(新)」を番組名に付記する方法で第1作とは区別されていた。
現在では同作品における主役のライダーである「スカイライダー」を番組名に付記する方法で区別されている。
この第6作については仮面ライダー (スカイライダー)を参照のこと。
社会現象
全仮面ライダーシリーズ中、最も長期間放送した作品であり、未だその記録は破られていない。
石ノ森章太郎が原作を担当し、少年向け雑誌「週刊ぼくらマガジン」
(後に「週刊少年マガジン」に連載誌を変更)に漫画版の連載を開始した。
第1回の放送の関東での視聴率は8.1%(裏番組に『お笑い頭の体操』があったため)だったが、
関西では20.5%を記録。
事故による主役俳優の交代を機におこなわれた種々の強化策によって、着実に視聴率を伸ばしていった。
9月末頃には平均して関東でも15%、関西では20%の視聴率を超えるようになった。
全98話の平均視聴率は関東が21.2%、関西が25.9%(プロ野球中継のため
翌週の金曜19:30 - 20:00に振り替え放送された69話(1972年7月28日放送)を除く)、
最高視聴率は関東が30.1%(1972年1月8日放送)、関西が35.5%(1973年2月10日放送)。
(ビデオリサーチ調べによる)
カルビー製菓(現:カルビー)の仮面ライダースナックに付いていた仮面ライダーカード、
ブリヂストン自転車から発売された仮面ライダー自転車、
ポピー(現バンダイ・ボーイズトイ事業部)から発売された仮面ライダー変身ベルト
といったキャラクター商品も大ヒットし、その商品化権料は12億円に達し、
それ以前のヒットキャラクター「鉄腕アトム」、「オバケのQ太郎」、「ウルトラマン」
などの商品化権料を凌駕し、当時の過去最高のキャラクターになった。
このため仮面ライダーは社会現象として大人向けのメディアにも頻繁に取り上げられた。
番組終了から30年以上経過してもなお、CM出演、ヒーローショー、TVゲーム化、
パチンコ・パチスロ台の登場など、人気と知名度は大きい。
仮面ライダー誕生まで
「仮面ライダー」の企画は、1970年初頭に書かれた企画書「マスクマンK」までさかのぼる。
この企画書では仮面のヒーローが秘密結社ショッカーと戦うという基本線はすでに決定していた。
しかし、その内容は当時のヒット作品タイガーマスクに言及し、
「自分も仮面をつければヒーローになれる」という児童の願望を指摘していること、
主人公・九条剛が普通の体育教師で鍛錬によってヒーローの力を得ているなど、
当時流行していたスポーツ根性ものの影響が認められる内容であった。
次に提出された「仮面天使(マスクドエンジェル)」では、主人公の名が本郷猛に決まり、
恩師緑川教授殺害の容疑をかけられた逃亡者という設定になった。
また、主人公は高圧電流の事故で特異体質となり、人間以上の力を得るという
SF的な設定が加味されている。
この「仮面天使」の企画書はさらにドラマ性が高められ「クロスファイヤー」となる。
ここで構想されたストーリーでは、本郷を父の仇と信じるヒロインや、
殺人者・本郷を追う刑事などの登場人物が配され、主人公の逃亡者としての苦悩が一段と強化された。
主人公の仮面については、怒りの感情が高まると顔に感電事故による
十字形の傷跡が浮かび上がり、それを隠すためにかぶっているという
ドラマチックな設定が加えられている。
石森章太郎が原作者として本格的に参加するのはこの段階あたりと思われ、
クロスファイヤーの姿などのスケッチが現存している。
一方、石森は自身の作品『スカルマン』をこの企画に応用した「仮面ライダースカルマン」も提案していた。
ここで、主人公が敵怪人と同じ改造人間であるという設定が確立し、
逃亡者の設定や一部のキャラクターが整理されてよりシンプルな物語としてほぼ完成した。
しかし、テレビ局サイドから「モチーフがガイコツ(ドクロ)では営業上の支障がある」
との意見が出され、企画はさらなる検討を求められる。
ここで石森は、バッタの顔が髑髏に似ている事に気づき、バッタをモチーフにしたヒーロー案を提示。
この案も局内には非力な昆虫をモチーフにすることに懸念の声があったが、
石森は「バッタは小さいから強く見えないだけで、(昆虫の能力が)人のサイズになれば強い」
と説得し、最終的に認められた。
マスクのデザイン案は、いくつかの候補を石ノ森が息子(小野寺丈、当時5歳)に見せ、
石ノ森自身は一番不気味だと思っていたものがいいと言ったのでそれに決定したという。
以上の経緯により完成を見た本企画は「仮面ライダーホッパーキング」の仮題を経て
「仮面ライダー」のタイトルで製作が決定された。
また出演者ついては、本郷猛以外の人物はすべて放映と同じだが、
本郷猛を演じる役者は近藤正臣に予定されていたが、
制作スケジュールの遅れから出演不可能となり、代りに藤岡弘に変更した。
元々、本作は『ウルトラマン』のような巨大ヒーローと怪獣が戦う作品にしたかったという。
しかし予算がないので等身大ヒーローになり、敵は上半身のみ着ぐるみ、
下半身はタイツという「怪人」になった。
ちなみにスタッフの間では巨大ヒーローへの思いが強く、後に2号ライダーを出すときには、
2号を巨大化させようという案も出た。
物凄く平和にクリア。基本的に引きこもって過ごしました。
ずーっとこまごました品物の片付け。手元のテープメディアを
DVDとかMP3に変換して処分していけば長いことかかってる
部屋の片付けも終わるなあ。
>>マラソン参加者の皆様
スレ上では色々ありますが、引き続きスロのない平和な日々を送りましょ〜。
スレ立てするのは空き時間見つけてやればいいのですが
【 】←これの中に入れる言葉のネタが早くも枯渇してきてます(^^;
紆余曲折を経て開始された「仮面ライダー」であったが、当初は順風満帆とは行かなかった。
前例のない形式の番組の制作は試行錯誤の連続であったが、第9,10話の撮影中、
本郷猛役の藤岡弘がバイクで転倒し、全治3-6ヶ月の重傷で撮影に参加できなくなった。
番組開始早々の危機的状況で、更に第1話の視聴率は、
キー局のある関西地区では20.8%とまずまずであったが、
関東地区では8.1%にとどまるという厳しいものであった。
ここで番組は、本郷の登場シーンを既存の映像から流用した藤岡の姿と
声優の納谷六朗による吹き替えで制作し、変身後のライダーのシーンを増やし、
さらに新キャラクター・滝和也の活躍をつなぎ合わせるなどの措置で急場をしのぐことになる。
その間に、方向性の再検討と新たな主役について討議された。
現存する会議録によれば、原作漫画同様に本郷が戦死する案をはじめとして
様々な展開が検討されている。
その結果、「本郷猛は外国のショッカー支部との戦いに赴き、
その後を継ぐ新しい仮面ライダーが登場する」という形の新展開が決定し、
新主役・一文字隼人には佐々木剛が選ばれた。
佐々木はオファーを受けた当初、劇団NLTで同期であった藤岡の役を奪うことになると
難色を示していたが、「藤岡が復帰するまでの代役」という条件で引き受けたという。
また、主役交代を機にそれまでの反省点が一気に修正されることになる。
舞台をスナックからレーシングクラブに移し、レギュラーヒロインを増やすなど
ドラマの雰囲気を明るくした。
一文字隼人を、本郷猛よりもユーモラスで都会的なキャラクターに設定し、
ヒーロー性を強化した。
仮面ライダーのデザインをやや派手なものにして、キャラクター性を強化すると共に、
夜間撮影時の困難を避けるため暗闇にとけ込みにくい配色にした。
例としては「蝙蝠男」戦の夜間撮影での失敗でライダーの身体に
銀のラインを付けるなどの配慮が行われた。
仮面ライダーに変身ポーズを設定し、一文字の意思による能動的な変身を取り入れた。
このような経緯で仮面ライダー2号が登場し、番組の中に複数のヒーローが存在する展開になる。
また、主役交代に合わせて番組強化策を一気に実行したため、
番組強化にありがちな舞台の急変や主人公の性格変更に伴う違和感を払拭できたのは、
不幸中の幸いといえる。
その後9ヶ月間は2号が主人公となり、地方ロケによる舞台の拡大や、
大幹部の投入によるショッカー側の強化などの展開が順調に行われ、
番組の人気は急上昇していった。
特に、変身ポーズの発明は児童層への影響が絶大であり、
脚を開き、両腕を大きく動かしながら「変身!!」と掛け声を叫ぶ2号の変身ポーズは
たちまち子供達の間で流行してブームを盛り上げた。
やがて、1972年正月からは藤岡の治癒によって1号ライダーがゲスト出演する
「ダブルライダー編」がイベント的に挿入されるようになった。
東映側はダブルライダーの定着を考えていたが、佐々木剛が
「藤岡君がカムバックするまでという約束で引き受けたのだから、当然、藤岡君に返すべきだ。
自分がいたままでは彼が付録のようになってしまう」と頑として拒否。
新一号単独の路線でいくことになった。
こうして同年4月には一文字隼人がショッカーを追って南米へ向かったという設定の元、
スタイルを一新し変身ポーズも得た新1号ライダーが満を持して主役に返り咲いた。
ヒーローが2人いる(ダブルライダー)という展開は、物語世界の拡大をもたらし、
次作『仮面ライダーV3』やその後の仮面ライダーシリーズが長期にわたり人気を得る原因となった。
2号の登場がなければ、孤独な変身ヒーローを描いた単発作品で終わっていた可能性もある。
はさv(・∀・)vまれ
さらにはこの「複数ヒーロー」のコンセプトは『秘密戦隊ゴレンジャー』をはじめとする
スーパー戦隊シリーズに受け継がれるなど、まさしく「怪我の功名」といえるだろう。
また、変身ポーズは、後の仮面ライダーシリーズ、さらには他の特撮ヒーローものにおいて、
もはや定番パターンとして受け継がれ、これもまた藤岡の負傷にはじまる主役交代劇が残した
思わぬ遺産であった。
この路線変更以降、初期の物語が持っていた仮面ライダーの「異形」という要素は
徐々に影を潜めて行った。そして、2号から新1号へ、そして『V3』以降へと
シリーズを重ねながら仮面ライダーというブランドのヒーローは徐々に姿を変えていった。
ヒーローとして、キャラクターとして、あるいは戦闘に特化した姿としての
洗練されたデザインになっていったのである。
その一方で、番組初期のテーマであった「改造人間の苦悩」というテーマも
一文字や帰国後の本郷が、わずかに苦悩をうかがわせる形とはいえ残り、
そして後のシリーズにおいても様々な形で取り上げられている。
現在の視点で見れば不自然な演出や矛盾した展開も多いのは否めないものの、
それを補って余りある魅力を見せ、そして現在の特撮ヒーローの原型となった事は
大いに評価出来る。
仮面ライダーとその協力者達
本郷猛 / 仮面ライダー1号
1948年8月15日生まれ。世田谷区出身。
城南大学(1話のみ城北大学と呼称)の生化学研究室所属の科学者で、オートレーサーでもある。
IQ600、スポーツ万能の超人的な才能をショッカーに見込まれ改造人間にされたが、
脳改造寸前に脱出しショッカーと戦うことを決意した正義漢である。
本来は明るい熱血漢であるが、自分が通常の人間ではないということに強い苦悩を抱いており、
そのために仲間達と一歩距離を置いている印象がある。
第13話を最後に海外へわたり、主にヨーロッパ支部のショッカーと戦うことになる。
そして第40話で死神博士を追って一時帰国。
何度か帰国して一文字隼人と共闘。
第53話から再び日本でのショッカーの戦いに身を投じる。
これらの戦いの経験を経てからは、ショッカーを倒すという強い使命感から
精神的にも成長を遂げ、戦士としての苦悩を心の奥に封印して、
仲間たちにも心を開きながら戦うようになった。
また以前に比べて熱血漢然とした側面も強く見せるようになっている。
※OP字幕テロップの配役紹介では「本郷猛、仮面ライダー/藤岡弘」または
「一文字隼人、仮面ライダー/佐々木剛」とされ1号、2号の明確な区別はなかった。
劇中でも変身後も互いに「本郷」「一文字」と呼び合っており「2人の仮面ライダー」と言う扱いだった。
次作「仮面ライダーV3」以降は区別されることが多くなる。
一文字隼人 / 仮面ライダー2号
1949年10月10日生まれ、国籍は日本だがイギリスのロンドン出身。
外交官の父、一文字博之と母、一文字スミの間の子として生まれる。
ロンドンで育ったフリーカメラマン、左利き(演じた佐々木剛が左利きだったので、
それに合わせたとされている)。
設定では、カメラマンとしてレースを取材したのが縁で、改造前から本郷とは面識があったとされている。
父の仕事の都合上、世界各国を飛び回り6ヶ国語が堪能になる。
ちなみに両親は1971年に飛行機事故で2人とも逝去している。
ロンドン美術大学では写真学部に身を置いていた。
柔道6段空手5段の腕前を持つ格闘技の達人でもある。
その能力と素性をショッカーに見込まれ、第二の仮面ライダーとして改造されるが、
脳改造前に仮面ライダー・本郷に救出されショッカーとの戦いを決意する。
本郷と比べると陽気でユーモラスな性格で、仲間に対しても心を開いているように見えるが、
改造人間としての苦悩やショッカーへの怒りは強い意志で内に秘めている。
他のライダーたちと比較しても目に付くほどの大の子供好きで、
クラブに出入りする五郎少年を弟のように可愛がっている。
オートバイの腕前は元々レーサーだった本郷には及ばなかったが、
立花レーシングクラブで鍛えられショッカーのオートバイ部隊とも渡り合えるほど向上しており、
本郷、風見共々「レースに出場すれば間違いなく優勝できた」と立花に評価されている
(『仮面ライダーX』第9話)。第52話を最後に、日本の守りを本郷と交代し南米へ旅立った。
その後も何度か帰国してダブルライダーとして戦っている。
旧2号時期よりも芝居気が目立つようになり、日本に現れる時は
いつも唐突にタイミング良く登場している。
このあたりも事前に何らかの連絡を入れて帰国する本郷とは対照的である。
立花藤兵衛
全話に登場。本郷猛のオートレーサーとしての師。
本郷の秘密をもっとも早く知った人物で、仮面ライダーの協力者として
物心両面から支援する一方、トレーナーとして戦闘訓練にも立ち会い
仮面ライダーの実力を引き出した。
当初はスナックアミーゴを経営していたが、本郷が日本を離れるのと同時期に
バイク用品店「立花オートコーナー」を開業し、立花レーシングクラブを立ち上げた。
一文字隼人や滝和也、レーシングクラブの女性メンバーたちに対しても父親のように接し、
ショッカーとの戦いやレース活動のリーダーとして若者たちを指導した。
やがて、少年仮面ライダー隊を組織するとその会長に就任し、
仮面ライダーへの支援にいっそうの力を入れるようになる。
トレーナーとしての指導力はショッカーからも一目置かれており、
死神博士がライダーとの最終決戦にあたって自身のトレーナーとするため
組織に招請するほどの実力を示していた。
自身もショッカーの戦闘員と渡り合える程度の実力があり、
怪人に対して啖呵を切るシーンもある。
ゲルショッカーが壊滅した後も、歴代の仮面ライダーの後見人となり、
仮面ライダーストロンガーまでの7人ライダーがデルザー軍団を全滅させるまで、
その戦いを支援し続けた。
当初、本郷や一文字からは「立花さん」と呼ばれていたが、
31話より「親父さん」と呼ばれるようになり、レーシングクラブ員や
少年ライダー隊のスタッフからは「会長」と呼ばれていた。
ファンの間では「おやっさん」と呼ばれているが、これは劇中で使用された通称ではなく、
本郷猛を演じた藤岡弘の癖のあるイントネーションで「親父さん」がそう聞こえることから、
後年ファンの間で愛称として定着したもの。
愛煙家で、パイプを愛用している。
立花を演じた小林昭二は『ウルトラマン』でも隊長役を演じ、
代表的な二大特撮ヒーロー作品で重要なポジションをつとめている。
緑川弘博士
1話のみの登場。本郷の恩師で生化学の権威。
ショッカーに拉致されて改造人間の研究にたずさわっていたが、組織の目的を知って、
脳改造寸前の本郷を救出した。
気の弱い面が見られ、本郷を被験体に推薦したことに負い目を持ち、
ショッカーへの反逆についても恐怖心から迷い続けていた。
脱出行の途中で蜘蛛男に暗殺されてしまう。
劇中でははっきりと描かれていないが、設定上は仮面ライダーを開発した中心人物である。
緑川ルリ子(みどりかわ ルリこ)
1 - 13話に登場。
緑川博士の娘で、城北大学に通いながら立花の経営するアミーゴでアルバイトをしていた。
父・緑川が暗殺された際、居合わせた本郷を犯人と誤解していた。
その誤解が解けた時から本郷の協力者となり、パートナーとしてショッカーとの戦いに貢献した。
猛に想いを寄せていた節があり、13話で猛の後を追ってヨーロッパへ渡った。
その後の消息は不明だが、番組のプロデューサー平山亨が後年執筆した小説では、
オーストリアにおいて猛がルリ子の想いを振り切るべく、
ルリ子の幼なじみである青年科学者カールとその一家にルリ子を託したとされている。
ルリ子を演じた真樹千恵子は、第11話でゲバコンドルをおびき寄せるための
偽装結婚のシーンで、生まれて初めてウエデイングドレスを着用した。
しかし、怪人ゲバコンドルに追いかけられるというシーンであり、
「若い女の子の夢をめちゃくちゃにしてくれて」とコメントしている。
野原ひろみ(のはら ひろみ)
ルリ子の学友で、アミーゴでアルバイトしていたことから事件に巻き込まれ、
以後本郷たちの戦いに協力するようになる。
本郷とルリ子が去った後も立花レーシングクラブに残り、一文字に協力した。
史郎(しろう)
2-15話に登場。アミーゴのバーテン。
気は弱いが善良な青年で、本郷たちに休息の場を与えていた。
立花オートコーナーとレーシングクラブの開業に関わったのを最後に姿を消している。
滝和也
11話より登場した本郷のライバルにあたるオートレーサー。
自分の結婚式がショッカーに襲われたのを機に戦いに参加するが、
その正体はショッカーを追っていたFBIの秘密捜査官である。
シナリオによれば結婚式もショッカーを追うための偽装結婚であったとされているが
劇中では描かれていない。
一文字隼人の登場とともに本格的に仮面ライダーと共闘するようになり、
ショッカーによる犯罪の捜査や公的機関とのパイプ役などの役割を担う一方、
戦闘や仮面ライダーの訓練でもライダー1号2号のパートナー役を務めた。
改造人間ではないが捜査官としては優秀で、戦闘員数人を相手に互角に渡り合う格闘力と、
優れた情報収集能力をもってゲルショッカーの壊滅までライダーを支え続けた。
少年仮面ライダー隊結成後はその隊長を務め、子どもたちの良き兄貴分にもなっていた。
近年では漫画『仮面ライダーSPIRITS』にも登場し、ライダー達と並んで主人公格になっている。
ライダーガールズ
仮面ライダーの戦いを支援した女性たちの総称。
劇中でこの呼称は使われていないが、緑川ルリ子が13話で降板したのちは
主人公のパートナーとしてのヒロインは登場せず、複数のヒロインが仲間として
主人公を支援するストーリーになったため、商業誌等で彼女たちを総称する際に
この名称が使われている。
ユリ
野原ひろみの友人として登場したライダーガールズの1人で最古参。
メンバーの殆どが説明無く姿を消す中で、彼女だけは14話で登場してから最終話まで活躍を続けた。
空手2段(後に3段に腕を上げる)の使い手。
当初は他のライダーガールズ同様に軽いノリの女性だったが、
後半はガールズのリーダー格的存在として仮面ライダーの戦いをサポートした。
石倉五郎(いしくら ごろう)
立花レーシングクラブの発足と同時にクラブに出入りするようになった少年。
他の大人たちとともに良く事件に巻き込まれるが、情報提供などで事件解決に貢献することも多い。
腕白だが利発な少年で、家族のいない一文字や滝からは実の弟のように可愛がられていた。
友人のナオキとミツルをレーシングクラブに紹介した後、
彼らにその役割をゆずるかのように65話を最後に降板した。
少年仮面ライダー隊
立花藤兵衛が仮面ライダーに協力する少年少女を集めて結成した組織。
会長は立花藤兵衛で滝和也が隊長を務める。
ショッカーの行動が公然となり、事件に巻き込まれる子どもが増える中での
自衛組織的な意味合いもある。
仮面ライダーのマスクを模したヘルメットと赤いネクタイの制服がトレードマークで、
専用の自転車で行動しショッカーについての情報を収集する。
集めた情報は、ペンダント型の通信機や伝書鳩を使って本部へ通報し、
仮面ライダーに伝えられるシステムになっている。
本部は東京近郊の3階建てビルに置かれ、立花レーシングクラブの女性メンバーが
本部要員として情報収集や事務に当たっている。
隊員は全国規模で組織され、ショッカーならびにゲルショッカーと戦う上での大きな力となった。
ナオキ、ミツル
五郎の紹介で62話よりレーシングクラブに出入りするようになった少年たち。
2人で行動することが多く、そのキャラクターは五郎ほど描き分けられていなかった。
少年仮面ライダー隊結成後はリーダー格として活躍し、
ゲルショッカーとの最終決戦までその役割を全うした。
仮面ライダー1号・2号
悪の秘密結社ショッカーによって改造された戦闘用改造人間。
本郷の変身する仮面ライダーは仮面ライダー1号、一文字の変身する仮面ライダーは
仮面ライダー2号と呼ばれている。
なお劇中での2人の仮面ライダーは基本的にお互いを「本郷」「一文字」と
本名で呼び合っていた。
2人とも脳改造をまぬがれてショッカーのアジトから脱出し、
ショッカーから人類を守る戦士となる。
後述する基本スペックは両者同一であるが、前者は多彩な必殺技を持ち、
後者は高い格闘能力と破壊力を備えることから、雑誌展開等で「技の1号・力の2号」と評された。
タイフーンと呼ばれるベルトの風車から取り入れた風力エネルギーで
体内の小型原子炉を起動させ動力源としている
(当初の設定である風力発電ではエネルギーとしては小さすぎるため、
後年になって書籍等で見られるようになった設定。)。
なお、人間より広い視界と赤外線による暗視能力、ズーム機能を持つ複眼Cアイ、
4キロ四方の音を聞き取る聴覚、電波送受信を行う超触覚アンテナ&対怪人用の
脳波探知機Oシグナル(共に探知範囲4km。Oシグナルは怪人が100m以内に
近づくと発光して危機を知らせる)、100tの衝撃を吸収する足のショックアブソーバなど、
基本的な機能面は1号2号共通である。
以下、ストーリーでの登場順に記す。
仮面ライダー1号
1 - 13話、40 - 41話、49話、51 - 52話、映画『仮面ライダー対ショッカー』に登場。
本郷猛がベルトの風車(タイフーン)に風圧を受けることによって変身した姿。
活動エネルギーは風で、風力のないところでは変身することや
仮面ライダーの姿を維持することができない。
後にデザインが大幅に変更された「新1号」と区別する際には「旧1号」と呼ばれる。
第40話で一時帰国した後、何度か帰国して一文字隼人と共闘した。
この時期、1号用として新調されたスーツは、複眼がクリアレッドから真紅に変わり、
色も微妙に変化したため、ファンからは2号と初共闘した場所にちなんで
「桜島1号」と呼ばれることもある。
しかし、細部のカラーリングは初期からも話数によって微妙に変化しており
(これは改良や補修を現場で行っていたという制作上の事情)、
この時点の設定では初期と同一の「旧1号」とされている。
媒体によっては、この桜島1号を新1号と旧1号の間の途中形態と解釈していることもある。
身長:180cm、体重:70kg。主な能力は、垂直跳び:15.3メートル、
幅跳び:48.7メートルのジャンプ力(改造直後のスペック)と、そこから繰り出すキック力である。
これらの能力は、その後の訓練によって向上していった。
なお、技とスピードを特徴とする設定は後のものだが、
旧2号と交代するまでのわずか13話の間に旧2号とほぼ同数の技を披露している。
仮面ライダー2号
14 - 52話、映画『仮面ライダー対ショッカー』に登場。
エネルギー源が風であることは1号ライダーと同じだが、
一定の変身ポーズと「変身」の掛け声によってベルトの風車に装備されたシャッターを開き、
より能動的に変身できる。
姿形は1号と同型ではあるが、頭部中央や腕と脚に一本の白いラインが入り、
ベルトが赤になるなど全体的に鮮やかな配色になっている。
梅dまだ起きてたんだ
おいどんはさっき挟まれたし明日早いから寝るお
おっちゃんも早く寝ないと明日の朝後悔スルヨー
身長:172cm、体重:65kg。基本的な戦闘能力は1号と同等だが、
ベルトには風のない所で変身するための風を貯める風力備蓄機能と、
ジャンプ1回分で得られる風力で変身に必要なだけのエネルギーを生み出すために
1号より直径の大きなダイナモが装備され、全身の筋肉量も1号より多くなっている。
さらに格闘能力の高い一文字を素体とすることもあって1号よりパワーに特化した
能力パターンとなっている。
その結果腕力、特にライダーパンチの威力は旧1号のものと比較して段違いに強力で
カニバブラーなどはジャンプで威力を高めずとも一撃粉砕したほどであった。
なお、旧2号から追加された能力は他にエネルギーを電気に変換し指先から放電する
「ライダー放電」がある。
仮面ライダー新1号
53 - 98話、映画『仮面ライダー対じごく大使』に登場。
姿形は2号をベースとしているが、マスクの配色が明るくなり、
手袋とブーツは銀色に変更された。
腕と脚のラインは2本になり、ベルトも2号と同じ赤色の新しいものに換装されている。
一文字とは異なる変身ポーズと「ライダー変身!」の掛け声による
能動的な変身が可能になっている。
身長:180cm、体重:70kg。能力は腕および足の破壊力が旧1号時の4倍、
ジャンプ力が25メートル(資料によっては35メートル)に向上し、
必殺技の数が大幅に増えた。100メートル走は1.5秒(時速240km相当)と、
2号や仮面ライダーV3と比べても0.1秒ながら上である。
こうした技の多彩さゆえに、「技の1号」の異名を持つようになる。
カラーリングの変更については劇中では特に説明はない。
新1号編OPや86話の回想シーンでは本郷の再改造シーンらしき新規撮影カットがあるが、
再改造については触れられていない。
放送当時はライダーカード等で、「再改造され内部メカを一新し
全面的に強化された体となった」とは語られていたが認知度は低かった。
改めて後年「ショッカーにわざと捕獲され、死神博士の手で再改造手術を受け、
脳改造の際自己催眠によって洗脳を逃れ自力脱出した」との設定が、
出版サイド主導で作られ、石森プロや東映サイドもこれを了承した。
しかし、その設定が定着したとは言えず、今でも「特訓によるパワーアップ」
「自分自身による改造」などメディアによって様々な説が語られている。
ゲスト出演
仮面ライダーV3(1,2,21,33,34,劇場版)
仮面ライダーX(劇場版のみ)
仮面ライダーストロンガー(38〜39)
全員集合!7人の仮面ライダー!!
仮面ライダー (スカイライダー)(27,28,54,劇場版)
仮面ライダースーパー1(劇場版のみ)
10号誕生!仮面ライダー全員集合!!
仮面ライダーBLACK RX(41〜47)
ウルトラマンVS仮面ライダー(声:藤岡弘(バンク使用)、スーツアクター:前田浩)
※回想シーンやイメージのみでの登場は除外
仮面ライダー新2号
72、73、93、94、98話に登場。姿形は新1号同様明るい配色になり、手袋とブーツは赤くなった。
この変化の理由も、1号同様本編では特に語られていない。
身長:172cm、体重:65kg。能力は腕および足の破壊力が旧2号時の3倍、
ジャンプ力も35メートル(資料によっては25メートル)まで強化されている。
パワーアップした経緯に関しては明確な設定はないが、
特訓による強化説が近年の書籍では有力視されている。
100メートル走は2秒(時速190km相当)。
1号に対してパワーで押していく印象が目立ち「力の2号」の異名を持つ。
その一方で、1号の技であった「ライダーきりもみシュート」を会得するなどより強力な技も
新しく身に付けており、必要十分な数の技は備えている。
2号ライダーの技はいずれも強力であるが、旧2号時代から一貫して
「ライダーキック」を決め手にしているため、それ以外の技の使用回数は少ない。
なお、新2号の仮面の色は本来新1号と同じだが、その後は1号との明確な差別化という
撮影スタッフの方針(講談社ファイルマガジンより)によって
旧2号と同カラーの仮面に戻る事も多く、一定していない。
また93話以降に登場した際、72・73話登場時より白のラインが細くなり
ボディや脇にもラインが入るようになった。
(「仮面ライダースーパー1」までは同様だったが、「ZX」以降は以前の太いラインに戻った。)
ゲスト出演
仮面ライダーV3(1,2,21,33,34,劇場版)
仮面ライダーX(33,34,劇場版)
仮面ライダーストロンガー(38〜39)
全員集合!7人の仮面ライダー!!
仮面ライダー (スカイライダー)(27,28,36,37,39,40,52〜54,劇場版)
仮面ライダースーパー1(劇場版のみ)
10号誕生!仮面ライダー全員集合!!
仮面ライダーBLACK RX(41〜47)
※回想シーンやイメージのみでの登場は除外
『10号誕生〜』放送当時、佐々木は火災による負傷が完治していなかったため、
仮面ライダー2号の声としてアフレコのみ出演している。
専用マシン
仮面ライダーの特徴として、「ライダー」の名の通り高性能の専用オートバイを
使用することが挙げられる。
サイクロン号
ベースモデル:スズキT20
最高時速:400km/h
ジャンプ力:30メートル
登坂力:45度(垂直の壁を登ることも可能)
仮面ライダー1号が最初に使用したオンロード型の超高性能バイク。
※但し同型のバイクを2号も使用。
動力源は原子力エンジン。ハンドルのスイッチを入れることにより、
本郷猛の常用バイクが変形。常用バイク形態の方がモトクロス戦には有利なため、
2つの形態を瞬時に使い分けている。
ライダーベルトから遠隔操作を行うことも可能。
テレビ作品中では製作者は語られていないが、原作の漫画版では
緑川博士が用意したとの記述がある。
誘導ミサイルと対超音波砲を装備しているが劇中未使用。
当時流行のカフェレーサー風のフルカウリングが特徴で、
後方に6本出された排気管はジェット噴射口。
劇用車のデザインは美術スタッフの三上睦男によるもので、
複眼のようなヘッドライトや6本足のマフラーは昆虫をイメージしている。
なお、カウリングは前面にスリットの入ったもの、そのスリットが切り広げられているもの、
スリットのないものの3種が写真で確認されている。
作品中ではスリットなしのみが使用されている
(変身シーン用のバンクフィルムではスリット入りが確認できる)。
これは当初作ったスリット入りカウリングが大きすぎて前輪に干渉したため
切り欠きが入れられ、それでも不都合があって最終的に大きく削られたのだという。
6本のマフラーは水道管を加工して取り付けたもので、
上部の一対のみが本物の排気管である。
アクションに不向きであるため、前述の通りジャンプやオフロードのシーンでは、
常用オートバイスタイルに戻っているシーンが多々見られた。
そのため2号編では出番が少なくなったが、改造サイクロンと併用でほぼ1年近く使用され、
桜島ロケで1号が乗ったのが最後の登場となった。
カウルには“オートバイに重なったR”のエンブレムが記され、
仮面ライダーのマークとしての印象が強いが、実際は「立花レーシング」のもので
第1話で仮面ライダーに改造される前の本郷も使用している。
外装のためベース車の判断が難しく、1998年にKAZeが仮面ライダーのゲームを製作した際の
レプリカ製作イベントではコレダT125が使用された。
石森章太郎の原作漫画で、冒頭に本郷がのっているのはウルフT125で、
型番は同じだが全く別のオートバイである。
改造サイクロン号
ベースモデル:ホンダSL350K1[15]
仮面ライダー2号および新1号が使用したバイク。
※初披露目は14話のOPからだが(旧)サイクロンに乗った2号のカットも使用されている。
本郷が欧州へ旅立つにあたり、日本を守る一文字に託したマシン。
セミカウルのデュアルパーパスマシン(オンロードとオフロードの兼用マシン)で、
旧サイクロンと比べ出力増強と車体の大幅軽量化が行われているため、
旧サイクロンよりも小回りが利き、機動性が高い。ジャンプ力も40メートルにアップし、
垂直の壁面を登る能力と救助用ロープの射出能力が追加されている。
劇中では旧サイクロンと別車両であるという描写はなく、
2種類の車両で同一のマシンを表現していただけであり、書籍等でも区別はされていなかった。
しかし、形状が明らかに異なるため後年の書籍類でオフロードタイプを“改造サイクロン”と
記述するようになった。
書籍によっては旧サイクロン号と同一の車両が変形しているという解釈もある。
2号はもちろん、1号自身も日本への帰国後はこの改造サイクロンを愛用。
昨日の分クリア!
充実した週末でした。
今週も頑張ります!
もともとはサイクロン号の常用タイプ劇用車にカウリングを付けたものである。
撮影時期によっていくつかのバージョンが存在するが、
新1号編に入ってからは旧サイクロンのカウルの流用によって
旧サイクロンっぽさを多分に残す最終バージョンが一貫して使われている
(画面の上でもダミーライトの形状から容易に判別可)。
撮影用車両のSL350はオフロード(当時はスクランブラーと呼ばれた)車。
正面から見たときにV字型の集合マフラーが特徴。
「CB400(または350)DTがベース」と誤記されることが多いが、
これはSL350がオンロードのCB350と同じエンジンを使用していることから誤解されたこと、
またその表記がいくつかの商業誌に使用されたことから広まったものと推測される。
(なお、DTはヤマハのトレール(デュアルパーパス)バイクの名称であり、
ホンダCBとは全く関連がない)。
劇場版の第1作ではダブルライダーが並走するため、1号用に2台目が用意された。
SL350K0が使用されたと推測される。
急造のため、サイクロンの円筒形マフラーが流用されている
(この時2号が乗るサイクロンのカウリングは新造されているが、
幅が狭く「ライダーマーク」の位置が異なるなど若干の相違がある)。
新サイクロン登場まで活躍する。
72話で新2号が乗ったのが最後の登場。
新サイクロン号(ニューサイクロン号)
ベースモデル:スズキハスラーTS-250III
最高時速:500km
ジャンプ力:50メートル
新1号ライダーがシリーズ後半で使用し、後に新2号も搭乗した新型バイク。
本郷猛、滝和也、立花藤兵衛による設計・開発。本郷が常用するセミカウルのオートバイが、
仮面ライダーへの変身に合わせて自動変形する。
かつてのサイクロンをあらゆる面で凌駕する。
カウルの両側にウィングを展開させることでグライディング飛行が可能である。
急制動用にパラシュートを装備している。
必殺技はフロントカウルを細かく振動させた状態で体当たりを決めるサイクロンアタック
(イノカブトン戦で使用)。
初登場は第68話だが、第74話からリペイントされ、よりスタイリッシュになった。
オンロードの性格の強い前2車に比べ、専用のデュアルパーパスバイクとして設計された
車両であったため設定上だけでなく実際の撮影車両の操縦性能のほうも格段に高くなった。
なお、変身前の常用車両はGT380Bにビキニカウリングを付けたもの。
撮影用車両は1台のみの製作だったが、ショッカーライダー用に2台目が製作され、
そのまま2号用に流用された。
この2台の車両は、『仮面ライダーストロンガー』39話の撮影まで使われている。
その後のゲスト出演時に使われたバイク
『仮面ライダー (スカイライダー)』時には、CM撮影用に歴代ライダーマシンが新調され、
1号は改造サイクロン、2号は新サイクロンを愛車とした。
しかし、ベース車が125ccとスケールダウンし、小型ゆえバイクスタントには向いているものの
造形的にはオリジナルとの差が出てしまった。
特に、シンプルなデザインであるサイクロンは、オリジナルとの差が目立つ結果となり
強い違和感を残している。
また、2000年にオートレースのCMに仮面ライダーが登場し、その撮影用に新サイクロンが製作された。
大型のラジエーターやチャンバーがカウル内に確認できるため、
当時の水冷2サイクルのオフロードバイクが使用されたものと判断されるが車種は不明。
必殺技
物語の進展とともに、「ライダーキック」という跳び蹴りが必殺技として確立する。
ライダーキックは上空へジャンプ、宙返りを経た後に怪人めがけて蹴りこむ技として
表現されている。
しかし、ライダーごっこの最中にライダーキックの真似をして
怪我をする子供が現れたことが問題となり、ライダーキックを真似る子供に
本郷猛が注意を呼びかけるシーンや、ライダーの特訓シーンを見せつつ
滝が子供達にライダーキックの危険性を諭すシーンも劇中挿入された。
このほかにもライダーは多数の格闘術(ライダーキックのバリエーションはもちろん、
ライダー返しやライダーきりもみシュートのような投げ技も多い)を決め技として用い、
「ライダーダブルキック」に代表される1号・2号の合同技も時に繰り出された。
後のシリーズにおいてもライダー達はライダーキックとほぼ同様のキック技を始めとした、
多数の必殺技を用いるようになっている。
本作の直前に多くの同スタッフによって制作された『柔道一直線』の技が、
仮面ライダーの必殺技のベースになっている。
必殺技の撮影では、柔道一直線で多用されたトランポリンを使いジャンプや回転するシーンを
撮影し、これを編集でつないでいく手法がとられている。
2号の場合は「仮面ライダーX」でのゲスト出演以降、1号と区別する為に
「2号ライダーキック」または「ライダー2号キック」と呼称される事がある。
1号、2号共有技
ライダーキック
共通して最も多様された必殺技。
バッタ(正確にはトノサマバッタ)の改造人間であるライダーの脚力をフルに生かしているので
凄まじい破壊力がある。
威力は力が秀でてる分、2号の方が優れてるとされている。
1号には「月面キック」「反転キック」「スクリューキック]「ポイントキック」などバージョンが多い。
後期ショッカー怪人やゲルショッカー怪人はかなり強化されているので、
必ずしも「一撃必殺」とは言えなくなっている。
イカデビルは「キック殺し」と言う返し技を使用した。
ライダー返し
空中で相手を投げると言うより、身体を引っ繰り返し敵を背面から地面に叩きつける。
ダブルライダーの連携としてツープラトン使用も可能。
ライダーきりもみシュート
1号が編み出した強力な投げ技。
文字通り相手を錐揉み回転させるので真空状態が起こる。
その為、海洋生物の特性を持つ改造人間に効果があり、イカデビルなどのトドメに使用した。
2号が使用したのはエイドクガー戦のみだが、やはり海洋の怪人であった。
※パンチやチョップなどスタンダードな技は省く。特色として技の威力は力の分、
2号優とされているが児童誌によるとスピードなどの総合力は若干1号優とされている。
1号(含む新1号)
ライダー投げ
「ライダー返し」に似ている空中で行われるシンプルな投げわざ。
1話の蜘蛛男戦で既にそれらしき技は使っていたがこの時は呼称はなく番組途中からになる。
ライダーシザース
両足で頭を挟みこみ投げ飛ばす。プロレス技の「ヘッドシザース」に似ており違う点は
相手も空中で投げるところ。
比較的初期(旧1号編)から使用されている。
電光ライダーキック
旧1号が日本をたつ前の最後の強敵トカゲロンの「必殺シュート」を破る為に特訓より編み出された。
この特訓には立花藤兵衛も協力しており、後のシリーズの定番である
「オヤッさんとの特訓」となりV3、Xでも行う事になる。
その名の通り電光の様に光る。
基本は打撃技ではなく「必殺シュート」によって打ち放たれた岩石を打ち返す為に考案された。
ライダーニーブロック
新1号初期から使用。空中で「ニーパット」を行う。
主にヒットポイント(打撃目標)は敵の「脇腹」。
ライダーフライングチョップ
ライダーハンマーキック
ライダーローリング
敵をうつ向せにし背中に担いで回転して振り回す。
「エアプレーンスピン(飛行機投げ)」に似ており「技の1号」にしては珍しい力技。
ライダーヘッドクラッシャー
「ライダーシザース」の発展型。
違うところは最後に敵の脳天を打ち砕く点。
新1号の技で「ライダーきりもみシュート」と並んで最も威力のある部類の技。
※他にも「ライダーキック」バリエーションも豊富に存在しているが、
パワーは2号に譲るものの1号が強力な改造人間には変わりない。
打撃も強力で死神カメレオン(カメレオン男)を「ライダーチョップ」で葬ってる。
2号
大車輪投げ
パワーが特色の2号の独特の技。
「バックブリーカー」から投げ飛ばし「人造人間キカイダー」のものとは異なる。
技の呼称はなくケイブンシャ発行の「仮面ライダー大百科」からの抜粋。
印象に残るものではシオマネキング戦で使用。
ライダー二段返し
その名の通り、ライダー返しを二度を行う。ナメクジラを倒した。
ライダー卍キック
滝との特訓により編み出された自身を横回転させ威力を増し打ち出すキック。
身体をひねらせて卍(まんじ)の様に見えるところが名称の所以。アリガバリ戦で使用。
後に後輩であるV3の「スクリューキック」やストロンガーの「ドリルキック」などに
大きな影響を及ぼす。
※上記の様に2号は自身で技を編み出す能力があり、決して「技が下手」言う訳ではない。
あくまで「技の1号・力の2号」は特色を示しただけのものであり、
両者とも優劣付けがたい能力を有している。
後は1号と共有の技が多い。
特筆としてはゾル大佐である狼男をダイビングしての「ライダーパンチ」で葬っている。
※「技の1号・力の2号」についてTV本編では語られる事はなかった。
V3のダブルタイフーンの風車がそれぞれ、
右が1号の技、左が2号の力を受け継いでいることがわかる(V3 第3話)。
また「全員集合!7人の仮面ライダー!!」で藤兵衛の発言より、
「力の1号・技の2号」と称するシーンが存在する。
ツープラトン(共合)技
ライダーダブルキック
最強の必殺技でショッカー、ゲルショッカー怪人では攻略不可能であった。
文字通り1号と2号が同時に「ライダーキック」を行うのだがタイミングが難しく
相手を戦意喪失状態にしてからお互い「今だ!!」と合図して万全期してから放つ事が多かった。
当初は互いに「ライダーキック」と呼称して放っていたが、ユニコルノス戦あたりから
「ライダーダブルキック」と呼称する様になる。
最終使用は劇中では「仮面ライダーV3」の劇場作品「仮面ライダーV3対デストロン怪人」が最後となる。
ライダー1号・2号がそれぞれ、単独での撃破が困難とされる強力怪人に使用された。
ショッカー怪人のスノーマン、ゴースター、イソギンチャック、ユニコルノス、ギルガラス、
ザンジオー、モスキラス、シオマネキング、ゲルショッカー怪人のナメクジキノコを倒した。
またデストロン怪人タイホウバッファローに使用し続けざまに放ったV3キックで
撃破できるほど大ダメージを与えた(V3は通常、V3キックを決め技としないため)。
「RX」にゲスト出演し、10人ライダーの特訓時にダブルライダーキックという呼称だった。
尚、後輩の仮面ライダー達が二人でライダーキックを放った場合では、
ライダーダブルキックとの呼称はされなかった。
ライダー返し
「ライダー返し」を2人で行う訳だが、威力も倍増すると見られる。
ライダー車輪
超吸引力のあるイソギンチャック戦で使用。
一気に接近戦に持ち込む為の技。お互い組み合って前転を行う。
ライダー車輪(対ショッカーライダー用)
名称は同じだが用途全然異なる。サークル(円)を描いて高速走行し相手にも共走させ、
その後同時にジャンプし自分たちは反転で回避し空中で相手達を互いに激突させ自爆させる技。
これも藤兵衛との特訓で編み出した。
ヘッドクラッシャー
1号の「ライダーヘッドクラッシャー」とは別の技。
ダブルライダーの「頭突き」により強固な壁も破壊する。
最終回で敵アジトから脱出する時に使用。
ライダーハンマーキック
1号の「ライダーハンマーキック」と名称は同じだが別の技、2対2で使用する技と思われる。
それぞれ怪人と肩を組みジャンプ、空中で怪人同士を叩き付ける技。
「劇場版仮面ライダー対ショッカー」で復活したプラノドン、ギルガラスを倒した。
※その他ダブルライダーの連携は素晴らしく他の後輩ライダー達のものより群を抜いている。
名称はないがダブルパンチ連打やOシグナルにより意志が共有出来て、
洗脳された1号を2号が意識を回復させる能力を見せている(OシグナルはV3も共有している)。
敵組織
ショッカー
世界征服を企む国際秘密組織。
メンバーは知力体力に優れた人間に改造手術を施し洗脳した怪人を中心に構成されており、
その怪人達を正体不明の首領が操って様々な犯罪や破壊工作を行っている。
ナチスの残党が前身という説もある。
首領の所在と姿は秘密になっており、各国ショッカー基地においてシンボルである
鷲のレリーフから声だけで指令を発している
(首領の発声に合わせて、胴体部分にはめ込まれたランプが点滅する)。
34話では、首領の所在地がアンデス山中にあるらしいことが示唆されている。
ショッカーの怪人たちは、基本的に実在の生物を人間と融合させた姿を持っており、
「蜘蛛男」「キノコモルグ」などモチーフとなった生物からネーミングされている。
仮面ライダー自身もショッカーに「バッタ男」として改造されて誕生したという経緯があり、
そのことは仮面ライダーの異形さを際立たせている。
例外的に実在の古代生物をモチーフにしたザンブロンゾやプラノドン、
架空の古代生物をモチーフにしたユニコルノスやピラザウルス、
UMA をモチーフにした雪男怪人スノーマン、無機物であるマグマをモチーフにしたゴースター、
古代人のミイラを改造したエジプタス等々、現存する生物にこだわらない者も登場した。
ショッカーのアジト内部は、毎回メインとなる怪人のモチーフとなった動物が壁面に描かれていた。
※その他ダブルライダーの連携は素晴らしく他の後輩ライダー達のものより群を抜いている。
名称はないがダブルパンチ連打やOシグナルにより意志が共有出来て、
洗脳された1号を2号が意識を回復させる能力を見せている(OシグナルはV3も共有している)。
怪人達はおおむね脳改造を受けてショッカーに忠実な操り人形となっているが、
中には様々な思惑で自ら改造手術を受けた者も存在し、
脳改造を受けていない節の見える怪人も散見する。
当初は改造素体に知力や体力が並外れた人間の使用が絶対条件だったショッカーの改造技術は、
後に特に知力や体力が優れているわけでもない一般人を素体に
怪人を製造できるまでに進歩している。
地獄大使着任直後には本郷が帰国した事を意識してか、ゴキブリ男、海蛇男など一部
末に「男」が着く怪人も登場している。
地獄大使編後半に入ると、本格的ライダー対策として対ライダー用特殊能力を兼ね備えた
強化怪人(ギリザメス以降の怪人全員。白ベルトに金色のエンブレムの付いた通称
「黄金ショッカーベルト」を付けている)が製造されたり、
シードラゴン、ウニドグマの任務に見られる怪人の量産仕様や
改造人間の大量製造計画によって戦力の補充を画策するようになった。
当初、ショッカー日本支部では怪人が「幹部」として直接に首領の命令を受けて、
配下の戦闘員とともに作戦行動を行っていた。
死神カメレオンやサボテグロンのように指揮能力や作戦立案能力に秀でた指揮官型の怪人や
トカゲロンやサボテグロンなど組織内での地位の高さを窺わせる怪人も存在していた。
しかし、仮面ライダーによって日本での征服計画が大幅に遅れたためか組織強化が図られ、
ゾル大佐が日本支部指揮官として着任した。
以降、ショッカー日本支部の作戦は首領の信任を受けた大幹部が、
怪人や戦闘員を指揮していくことになる。
ゾル大佐が仮面ライダー2号に敗れて戦死した後は、死神博士が着任。
死神博士が1号再改造において洗脳に失敗した責を問われ左遷された後は地獄大使が着任したが、
いずれも有効な戦果を上げることが出来ず、それぞれの最後の戦いで怪人に変身して
自らライダーに戦いを挑み敗北していった。
数々の作戦をことごとく仮面ライダー達によって妨害されられ、
さらに大幹部達を失った首領はショッカーを見限り新たな組織を再編成させる。
ゲルショッカー
首領がアフリカの暗黒宗教組織ゲルダム団とショッカーを合併させ誕生した新組織。
ショッカー末期から暗躍しており地獄大使死亡後に本格的に活動を開始した。
ショッカーをはるかに凌ぐ科学力を誇る。
ゲルショッカーの怪人はショッカーの怪人とは異なり
2種類の動植物を合成させた合成怪人であり、
合成怪人は移植した二つの素材が互いの欠点を補い合うことによって恐るべき強さを発揮する。
そのためショッカー怪人の約3倍の強さを持つ。
戦闘員もショッカー戦闘員とは比べ物にならないほどに強く人間の約四倍の強さを誇る。
日本征服のためには殺戮、暴動、破壊の限りを尽くす恐るべき組織である。
最終作戦で今までの怪人たちを蘇らせ一気に地上を征服しようとするが
1号、2号によって阻止されブラック将軍も戦死、首領も本部と共に自爆し
ゲルショッカーは壊滅する。
しかし首領は逃げ延びており新たな組織を再び結成させる。
ショッカー首領
ショッカーとゲルショッカーを操っていた謎の存在。
普段は基地においてあるレリーフから声だけを出して大幹部や怪人たちに
命令を送っている。
正体は一つ目の怪人で体は赤マントで覆われている。
1号と2号が本部に乗り込んだときは赤頭巾を被っておりさらにその中には
無数の蛇で覆われた顔があった。
武器は体から出す赤い毒ガスと強烈な光。
98話で本部をライダーたちに急襲され本部と共に自爆した。
しかし首領は逃げ延びており新たな組織デストロンを結成させる。
その後の作品でのショッカー首領
上記の通り、ゲルショッカー壊滅後も生存しており、
続編『仮面ライダーV3』ではデストロンを結成している。
『仮面ライダーストロンガー』では、岩石大首領として登場して、
それまでの組織を影から操っていたことを語る。
なお、これらの作品では登場する度に姿が違い、
本当に同一の存在であったのかも不明となっている。
TVシリーズ以外にも、漫画版の続編『仮面ライダーEVE-MASKED RIDER GAIA-』では
寄生生物として登場しており、HERO SAGAの『MASKED RIDER EDITION -ここより永遠に-』では、
ネオショッカー・ドグマ・ジンドグマの首領と同じくB26暗黒星雲の関係者と設定されている。
大幹部
ショッカー時代
ゾル大佐(演:宮口二郎)
ショッカー中近東支部より日本に派遣された大幹部。規律に厳しい軍人然とした大幹部である。
なお、ナチスの軍人を思わせることはあったが、劇中ではそのことについては明かされていない。
殺人を楽しむ残忍な性格である反面、部下の服装の乱れを叱責するなど
軍人らしい生真面目さも併せ持つ。
自ら変装して敵を攪乱する行動力や、子どもを洗脳して作戦に利用するなどの
謀略的な作戦を得意とする一方、大規模な破壊作戦も数多く行った。
最期は人間を人狼化するウルフビールスを使った狼作戦に失敗して
配下の中堅幹部を全滅させられてしまい、改造人間・黄金狼男としての正体を現して
ライダー2号と対戦。
指先から発射する弾丸を武器に、肉弾戦でも互角の攻防を展開するが、
空中からのライダーパンチを受けて爆死した。
このゾル大佐は、キャラ的に組織的になりすぎて神秘性と怪奇性に欠けると
毎日放送側からのクレームが付いたため、初登場の第26話放送の時点で降板が既に決定していた。
そのため怪奇性の不足の解決策として後任の日本支部長には
怪奇色の強い死神博士が設定されることとなるが、ショッカー初代大幹部としての
ゾル大佐の存在が”首領‐大幹部‐怪人‐戦闘員”といった組織構成を確立させ、
ミステリアスな雰囲気ばかりが強かったショッカーを悪の”組織”だと明示したため、
その存在意義は大きく、この組織構成は後のシリーズに登場する敵組織にも若干の独自要素を加味しつつ
受け継がれていくこととなる。
各種書籍の設定では、前身はナチス・ドイツの大佐で、
フルネームはバカラシン・イイノデビッチ・ゾル。
第二次大戦中はアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所の管理人をしていた経歴を持ち、
終戦後ショッカー首領にドイツ軍人の身分のまま招かれた。
しかし実際は第三帝国崩壊と同時に戦犯となり、ドイツでは国外逃亡者として
指名手配されているので、正規のドイツ軍人ではなくなったが、
軍服と階級はショッカーに入ってからも使用している。
死神博士(演:天本英世)
戦死したゾル大佐に代わってスイス支部より日本に着任した大幹部。
暗いアジトの中で下から照明を当てるなどの怪奇性を強調した演出も印象的な天才科学者。
改造人間研究の第一人者でその科学力はUMAや太古の化石、
無機物からの改造人間の製造も可能。
白のスーツに黒マントという吸血鬼のような服装がトレードマークで、
特に障害が無いにも関わらず車椅子を愛用する屈折した一面がある。
また、科学者でありながら占いや催眠術にも精通。戦闘の際には大鎌を用いる。
改造手術の第一人者ゆえ配下の怪人はゾル大佐の時期よりも強力で、
度々の旧1号の再登場及び援護がその強さを裏付ける格好となった。
これら多くの強力怪人を使って科学者らしい大規模な作戦を展開したが、
仮面ライダー1号と2号によって阻止され続け、南米支部に左遷された。
その後は南米に渡った一文字隼人と戦っていたものの、ヨーロッパ以来の宿敵・本郷猛を
自らの手で倒すことに執着し、強力怪人を携えて何度か来日する。
最期は密かに自らを強化改造していた怪人イカデビルに変身しライダー1号と決戦に及ぶ。
ライダーキックを受け付けず初戦は完勝、再戦でもぎりぎりまで1号を追いつめたが、
自ら立花藤兵衛にうっかり口を滑らせた事で弱点が頭部である事がライダーの知るところとなり、
ライダーチョップとライダーきりもみシュートの前に敗北した。
なお、本編中で死神博士が使っていたムチは天本の私物だそうである。
死神博士はライダーシリーズの悪役の中でも人気が高い。
v(・∀・)v
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(・∀・)y-~~
怪人体のイカデビルの方も人気はすこぶる高く、藤岡弘も「イカデビルが好きだという人が多い」
と自らのサイトで語っている。
この死神博士と地獄大使は実際に演ずる事になった天本英世と
潮健児の両名がキャラを考案する段階で既に平山より挙がっていた
「演技者ありきのキャラクター」である。
『仮面ライダーV3』27話と28話で再生されて登場。
ドクトルGの補佐をするといった形で、大阪地区の作戦指揮を行う事になっていたが、
V3によって阻止される。
各種書籍の設定では、本名はイワン・タワノビッチ。
日本人とロシア人のハーフで、戦前の少年時代は日本の東京で育った。
幼少時から本人の意志に関係なく、何故か彼の赴く所には必ずといっていいほど
死人が出た事から「死神」のあだ名が付き、更に学生時代に
「ギャラクシー(銀河系)における死に方と変身」という論文で博士号を取得。
よって「死神博士」の異名を持つ。
その後、召集令状を受けて日本と国交のあったナチスドイツに派遣され、
臓器移植の研究をさせられる。
もともと天才であった故に少年時代から数多くの心の葛藤を抱え、
更に戦争で最愛の妹を失った事により、様々な社会の矛盾に対するジレンマを切り捨てて
悪魔に魂を売るようになる。
終戦後はショッカーに入り、ヨーロッパ各地で指揮官として戦果を残す一方、
怪人の製造にも功績を挙げた。
地獄大使(演:潮健児)
度重なる失態で南米支部に左還された死神博士に代わって
東南アジア支部から日本に着任した大幹部。
首領への忠誠心が異常に強い。
エジプトのファラオの仮面をモチーフにした特異なコスチュームと
特注のショッカーベルトをまとっている。
その他の幹部にはない異形さは児童の人気を泊し以下のシリーズにも継承されて行く事になる。
指揮能力は死神博士より高く、大規模基地の建設や全国規模のテロなど
大がかりな作戦を得意とし、数多くの作戦を指揮した。
また、自ら前線に赴くことも多い。
しかし感情の起伏が激しく、冷静さや緻密さに欠け、
そのため作戦の詰めが甘くなりがちな一面があった
(次作『仮面ライダーV3』で一時復活した際も、その短所を他の大幹部から指摘されていた)。
現場で部下に気さくに声をかけるなどの鷹揚さも合わせ持っていたが、
死神博士とは折り合いが悪いようで、自分の在任中に彼が来日した際は、
協力的な素振りを見せつつ互いに牽制し合っていた。
この時は、仮面ライダーを倒す能力を有していた怪人ナマズギラーを
死神博士から提供されたが、地獄大使がナマズギラーの弱点を理解していなかったために
作戦は失敗に終わった。
ゲルショッカーの台頭によって自らの大幹部としての立場が危うくなり、
ショッカーを裏切ったふりをして仮面ライダーに近づく捨て身の作戦に出る。
この作戦については、本編にないシーンのスチールから、
新組織への幹部としての参加を前提としていたとの説もある。
しかし、自分の知らないところで活動していたガニコウモルの登場をきっかけに
首領への忠誠心が揺らいでいることを窺わせる描写もあるため、
作戦実行に至る背景には謎が多い。
いずれにせよショッカーに対する忠誠は揺るぎないものであったようで、
改造人間としての正体である怪人ガラガランダに変身した最後の戦いでは
腕の鞭や地面からの奇襲攻撃で1号を苦しめる。
最後はライダーキックを受けながらも、ショッカーを称えつつ爆死した。
本編の地獄大使は人間味あふれる任侠的な悪役だが、
原作者の石ノ森章太郎は人間味を感じさせない機械的なキャラとして考えていたようである。
そのアイディアは、石ノ森による漫画版の方で「ビッグマシン」という
機械的な幹部に形を変えて登場することとなる。
地獄大使の(特異な風貌とは裏腹な)そそっかしいお調子者の側面は、
およそ大幹部という立場に立つものらしからぬ強烈な個性で、
他の大幹部と行動を共にすると極めて目立つことになる。
最たる例が『仮面ライダーV3』の27、28話において他の2幹部と
ブラック将軍ともども復活したエピソードで、自らの失態により、
監禁中の風見志郎に脱出されて作戦を失敗に追い込んでいる。
(本人もそれを自覚はしており、仲間に人質にされた自分もろともV3を攻撃するように
意見している。)
各種書籍の設定では、前身は東南アジアのゲリラ指揮官ダモン大佐。
アメリカ出身だが数奇な人生を辿り、従兄弟で幼少時から影武者を務めていたガモンとともに
新興国家のゲリラ軍を指揮していた所をショッカーにスカウトされた。
その際、ガモンは袂を分かって脱走し、後年秘密結社バダンの指揮官・暗闇大使となって
仮面ライダーZXと対戦することになる。
この設定は、後に、『仮面ライダーSPIRITS』でも生かされている。
※ショッカー3大幹部は次回作『仮面ライダーV3』の27、28話で復活してゲスト出演している。
※大幹部の設定は劇中ではあまり描かれず、書籍などの設定によるものが多い。
また、書籍によっては前身の設定が微妙に異なるものがある。
※ショッカー日本支部以外の幹部としてはモロッコ支部長のモハメッド
(演:ウィリー・ドーシー)、ジブラルタル支部長のハンフリー、
シンガポール支部長のヤン(演:A・モロズ)、香港支部長のチャン・フォーティらが
68話に登場している。
しかし、ライダーを罠にかける「V作戦」の性質と首領のセリフから察すると、
彼らは幹部ではない可能性がある。
ゲルショッカー時代
ブラック将軍(演:丹羽又三郎)
第80話でゲルショッカー結成と共に日本支部指揮官として着任した。
ゲルショッカー結成時にショッカー構成員を虐殺して、その残忍さを見せつけた。
指揮能力・作戦立案能力は高く、大規模な作戦を数々実行した。
自らの作戦には絶大な自信を持っており、細部に渡って指示を出し水も漏らさぬ指揮を執る。
その一方で、ショッカー時代より強化された強力怪人を采配して、
ライダー1号を何度も追いつめた。
後のデストロンが多用する”一つの計画に複数の新型怪人を投入する”手法を用いる事も少なくない。
特に、首領の正体に関するデータテープをめぐる作戦では、
ショッカーライダー6体と新型怪人3体を投入、さらに2段構え3段構えの作戦をもって
指揮官としての能力の高さを見せ付けた。
また、初戦で任務を全うできなかった怪人については”弱さを理由に処刑”を主張する
首領を宥め、強化改造を加えて再出撃させるなど柔軟な運用も行った。
最後は怪人ヒルカメレオンに変身して、先のショッカー最高幹部連同様に
改造人間である事を明かして再生怪人軍団を指揮する一方、
自ら囮役をつとめてライダー1号&2号と戦い、首領を賛美しつつ爆死した。
冷酷な性格ながら、その勇敢さは、仮面ライダーや怪人達にも評価されていた。
近世ヨーロッパ風の軍服と兜を着用している。
なお、80話のみ左手にドリルを着用していた。
演ずる丹羽のこめかみを震わせる演技が、ブラック将軍の神経質さを印象づけている。
次作『仮面ライダーV3』の27、28話で復活してデストロンに協力している。
各種書籍の設定では、前身は帝政ロシアの将軍で、その才覚で若くして将校になった。
勇猛さで戦地にも名を轟かせていたが、敵兵には容赦無い性格で、
捕らえた捕虜を嬲り殺すのを楽しんでいた事で各国の軍隊間で恐れられてもいた。
日露戦争でも陸兵を率いて日本軍と戦った事もある。
ロシア革命で帝国が崩壊した際に脱出し、その後はアフリカの奥地で組織された
密教集団ゲルダム団に入り猛訓練を受けた。
ヒルカメレオンに改造されたのもゲルダム時代で、
その事でゲルショッカー幹部着任時まで生きながらえていた。
ロシア軍所属時の階級と軍服を死ぬまで着用した。
なお胸の勲章はその組織で数々の殺戮の実績を上げた功によるもの。
「ブラック」という名は本名なのか、それとも軍服の色から付けられた異名なのかは、
設定上も明らかにされていない。
下級幹部
ゾル大佐が日本支部に着任する以前は、大幹部ほどの実権を持たない下級幹部が、
首領を補佐して怪人を指揮することがあった。
また、ゾル大佐が着任して大幹部が日本支部の指揮を執るようになってからも、
下級幹部が現場指揮や作戦の立案に当たるケースがあった。
ハインリッヒ博士(第6、7話)
カメレオン男と共にナチスの財宝を探る一方、仮面ライダーの弱点を突き止めて罠を張った。
綾小路律子(第10話) コブラ男の再改造を指揮した。
マヤ(第16,17話) ピラザウルスの改造と作戦指揮を担当した。
ハリケーンジョー(第16,17話) ショッカー怪人軍団のトレーナーだが、改造人間ではない。
マヤの護衛も担当する。
軍服姿の幹部(34話) 日本列島分断計画に使用する核爆弾を輸送してきた。
狼作戦に参加した幹部たち(39話) ゾル大佐が「狼作戦」を記念するパーティーと称して
各国支部から招集した幹部たちで、いずれも軍服姿。
D博士(第97話) ゲルショッカーの科学者。
仮面ライダーの戦いを映像から分析し、その弱点を見抜いた。
戦闘員
怪人の配下で作戦の実行にあたる最下級の構成員。
現場での作戦行動や仮面ライダーへの集団攻撃を、ほぼ毎回担当している。
以下、組織の変遷に伴うスタイルや設定の変化を解説する。
ショッカー時代
番組当初から第52話まではリーダークラスの赤いコスチュームの戦闘員と最下級構成員である
黒いコスチュームの戦闘員が存在していた。
設定によれば、赤戦闘員は人間の2倍、黒戦闘員は人間の1.5倍の体力があり、
黒戦闘員は人間でもある程度太刀打ちが可能である。
名前はナンバーで呼ばれており、基本的に消耗品扱いである。
任務の失敗による粛正や怪人の能力の実験台として命を落とす者も多い。
開始当初はベレー帽を着用し素顔に指揮官の怪人に合わせたペイントを施していたが、
途中でアイマスクを被るようになり、2号ライダーの登場後はベレー帽を廃し
指揮官の怪人のマークを描いた覆面を被るようになった。
この変更には諸説あるが、ペイントから覆面に変えた事で
撮影時にメイクの手間を省く事と、覆面で素顔を隠す事により
同一の俳優が毎回戦闘員を演じる不自然さをカバーする目的があったと考えられる。
「立ち回りで汗をかくとメイクが落ちてしまう」とのスタッフの証言もある。
また、番組初期は各怪人に専属すると言う設定であり、
その区別の為に胸や額にその怪人を模したマークが付けられていた。
なお、15話で捕虜となった黒戦闘員のように秘密漏洩を防ぐ目的で
会話能力をオミットされている個体が存在する。
第1話と第3話にはマスクペイントに網タイツ姿の女戦闘員も登場。
誘拐や裏工作が主な任務と言う設定の為、戦闘シーンは無い。
第53話(厳密には劇場版第1作)より黒戦闘員の2倍の力を持つとされる、
タイツに骨イラストを入れた黒強化戦闘員が登場した。
コスチュームは全員黒で統一され、赤戦闘員のようなリーダータイプは見られなくなる
(第67話にて、外国(アルプス山脈が担当区域)の戦闘員として
「骨イラストの入った赤戦闘員」が登場するのみ)。
額のマークはショッカーの象徴である鷲を象った汎用マークに統一された。
棍やレイピアを武器に仮面ライダーと戦った。
オートバイ部隊や火炎放射器を装備した者(第60話)も存在し、
登場当初はライダーと互角の勝負を演じるほどであった。
白覆面にマーキングが緑で、白衣を着用した白戦闘員という科学班も存在する。
74話には、「ドクター」と呼ばれる白戦闘員が登場した。
トレーナーなどの人間構成員が、紺色に骨イラストのタイツを着用して登場した事も数例ある。
ショッカー壊滅後、残った戦闘員はゲルショッカーによって虐殺された。
※児童誌等の分類は下記の様になっている。
名称等も児童誌からで明確な分類は劇中されていない。
ベレー帽戦闘員
リーダーである赤いタイツの「赤戦闘員」を筆頭に黒タイツの「黒戦闘員」で構成されている。
ベレー帽の下は素顔に染料(メイク)を行ったもの。各怪人の特徴によりメイクが異なる。
旧1号時代の戦闘員。
黒戦闘員
上記の「黒戦闘員」にフルフェイスマスクを着けた戦闘員。
各怪人の「エンブレム」を額に有しているが,後半はショッカーエンブレムに統一される。
主に2号編で活躍。
赤戦闘員
上記の「ベレー帽戦闘員」の赤にマスクを着けた戦闘員。
同じく怪人幹部に次いで「黒戦闘員」の指揮官。2号編前半の登場が多い。
骨戦闘員
タイツの胸の部分に「骨(骨格)」模様が入っている以外は「黒戦闘員」と変わりないが、
かなり強化されている。同「赤戦闘員」も確認されているが出番は少ない。
新1号、地獄大使登場からショッカー壊滅まで活躍した。
ゲルショッカー時代
ショッカー戦闘員と違い、青・赤・黄のカラフルなコスチュームを着用していて
(青の部分が紫がかった者もいる)、この三色の板や布に身を隠して襲い掛かる。
戦力はショッカー戦闘員よりアップしておりパワーは人間の4倍で、
「初期ショッカー怪人に匹敵」と記した書籍もある。
三人一組で行動することが多く、ショッカーの様なリーダータイプの戦闘員は存在しない。
裏切り防止の為に開発された特殊な薬「ゲルパー薬」を3時間置きに飲まないと
体が炎上して死んでしまう。人間への変身能力もあり、人間に乗り移ることも出来る。
科学者タイプの戦闘員は、覆面が白地に赤のマーキングで、白衣を着用している。
ゲルショッカー戦闘員
かなり強力で格闘技の達人の滝と互角かそれ以上の能力を有する。
ショッカーライダー
91〜94話に登場(2号以降は93話より)。
ゲルショッカーのホープ怪人で、仮面ライダー1号と同じ性能を有する。
ゲルショッカーが打倒仮面ライダーの為にライダーの設計図をもとに作り上げた
仮面ライダーと同型の改造人間で、No.1〜6まで全部で6体存在する。
本物と違って手袋とブーツは黄色。
また、マフラーの色も全員違い、複眼の周囲が黒く縁取られているため、そこで見分けがつく。
本郷と同じ声を出す事も可能。
また、指先から弾丸を発射したり、つま先に隠し短剣を仕込むなど、
怪人特有の特殊武器も有している。
その使命はゲルショッカーの活動を妨害するアンチショッカー同盟を壊滅させる事と、
彼等が手に入れた首領の正体が記録されたコンピューターテープを強奪する事である。
ショッカーライダーの初出は、石ノ森が書いた漫画版であり、
この漫画版とTV版を意識したオマージュとして、後の作品にもショッカーライダーは
設定を変更した上で登場している。
ショッカーライダーNo.1
マフラーの色は黄。怪人ムカデタイガーと相打ちになって生死不明になっていた
ライダー1号に成りすまし、アンチショッカー同盟からテープを奪おうとした。
怪人ハエトリバチと共闘して、一度はライダー1号を破る事に成功している。
設定では口から火炎を吐く事が出来る(劇中未使用)。
なお、92話ではハエトリバチとの模擬戦でハエトリバチが
ショッカーライダーと互角の強さを持つ強豪怪人であることが、
ライダーを加えた2対1の戦いでは1号のライダーキックと
ショッカーライダーのライダーキックが同威力であることが画面ではっきりと示されている。
また、PS用ゲーム『仮面ライダー』で登場したショッカーライダーは
おそらくこのNo.1(1Pカラーのマフラーの色が黄)であり、
この作品では「にせライダーきりもみシュート」という投げ技も使用している。
ショッカーライダーNo.2
マフラーの色は白。怪人エイドクガーと共に少年仮面ライダー隊本部へ潜入し、
駆け付けた本郷を撃退して少年仮面ライダー隊のスタッフを拉致した。
本編ではライダーニーブロックも使いこなしている。
設定では体から毒煙を放つ事が可能(劇中未使用)。
ショッカーライダーNo.3
マフラーの色は緑。ショッカーライダーの一体。
設定では爆雷を内蔵している(劇中未使用)。
ショッカーライダーNo.4
マフラーの色は青。ショッカーライダーの一体。
設定では地割れを起こす事が出来る(劇中未使用)。
ショッカーライダーNo.5
マフラーの色は紫。ショッカーライダーの一体。設定では放電攻撃を行える(劇中未使用)。
ショッカーライダーNo.6
マフラーの色は桃。ショッカーライダーの一体。設定では溶解液を噴射する(劇中未使用)。
身長:180センチ(No.2のみ172センチ)
体重:70キログラム(No.2のみ65キログラム)
ショッカーサイクロン
にせサイクロンとも呼ばれる。
ショッカーライダーの専用マシンで、新サイクロンと同じ外観・性能を持っている。
劇中ではNo.1のみが使用しており、92話では1号の新サイクロンと激しいバイク戦を展開した。
また、93話でも使用しているが、2号とのバイクチェイスの末に破壊されている。
94話にて、首領がいるとされる筑波山へやってきた1号・2号を6人全員で待ち伏せしたが、
大乱戦の末に1号・2号の新技・ライダー車輪を受け、互いに空中で激突して全滅してしまう。
出演
本郷猛/仮面ライダー1号(声):藤岡弘(9 - 13話の声:納谷六朗、66、67話の声:市川治)
一文字隼人/仮面ライダー2号(声)佐々木剛
滝和也:千葉治郎
ゾル大佐:宮口二朗
死神博士:天本英世
地獄大使:潮健児
ブラック将軍:丹羽又三郎
緑川ルリ子:真樹千恵子
マリ:山本リンダ
ひろみ: 島田陽子
ユリ:沖わか子
ミチ:中島かつみ
エミ:高見エミリー
ミカ:杉林陽子
トッコ:中島真智子→中島マチ子
ヨッコ:中田喜子
チョコ:ミミー
五郎:三浦康晴
ナオキ:矢崎知紀
ミツル:山田芳一
史郎:本田じょう
ショッカー首領(声):納谷悟朗
立花藤兵衛:小林昭二
ナレーター:中江真司
主なゲスト出演者
緑川博士:野々村潔(第1話)
砂田辰夫:神田隆(第6、7話)
マヤ:真理アンヌ(第16、17話)
伊藤達也:穂積隆信(第74話)
峰信太郎:佐々木功(第81話)
木暮精一郎:上野山功一(第92、93、94話)
石神千恵:小野恵子(第92、93、94話)
スーツアクター
仮面ライダー旧1号:藤岡弘、岡田勝、中屋敷鉄也、中村文弥、甘利健二、他
仮面ライダー旧2号:中村文弥、岡田勝、飯塚実、佐々木剛(14,15,25話の一部。
佐々木の著書によれば左利きとなっているシーンが該当する),
中屋敷鉄也(46話のみ ※2号編最終ロケの為、新1号を務めた中屋敷が入った)
仮面ライダー新1号:大杉雄太郎、中屋敷鉄也、 他
仮面ライダー新2号:千代田恵介(72,73話)、岡田勝(72話の一部シーン)、
大杉雄太郎(93,94話)、中屋敷鉄也(93,94話)、河原崎洋夫(98話)
怪人:岡田勝、佐野房信、中村文弥、岩本良子(蜂女)、大杉雄太郎、
飯場昇、甘利健二、石丸強志、瀬島達佳、大久保利雅、新堀和男、滑川広志、他
スタッフ
原作:石ノ森章太郎
連載:週刊ぼくらマガジン、週刊少年マガジン、たのしい幼稚園、
おともだち、テレビマガジン、冒険王
企画:平山亨、阿部征司(東映)
脚本:伊上勝、市川森一、島田真之、滝沢真理、山崎久、長石多可男、塚田正熙、鈴木生朗、
大野武雄、石森史郎、長谷川公之、平山公夫、山田稔、桶谷五郎(関口恭司)、石ノ森章太郎、丸山文櫻
監督:竹本弘一、折田至、北村秀敏、山田稔、内田一作、田口勝彦、塚田正熙、石ノ森章太郎、奥中惇夫
音楽:菊池俊輔
助監督:福島孔道、長石多可男ほか
制作:毎日放送、東映
放映リスト
放送日 話数 サブタイトル 登場怪人、他 スタッフ
1971/4/3 1 怪奇蜘蛛男 蜘蛛男(声:槐柳二)
ショッカー科学者(演:石丸博也、丸山純二、他) 監督:竹本弘一
脚本:伊上勝
1971/4/10 2 恐怖蝙蝠男 蝙蝠男(人間蝙蝠)(人間体:佐野房信/声:峰恵研) 監督:折田至
脚本:伊上勝
1971/4/17 3 怪人さそり男 さそり男(人間態:渚健二/人間態の声:市川治/怪人体の声:
池水通洋) 監督:竹本弘一
脚本:伊上勝
1971/4/24 4 人喰いサラセニアン サラセニアン(サラセニア人間)(声:梶哲也)
戦闘員NO.3(演:石橋雅史) 監督:折田至
脚本:市川森一、島田真之
1971/5/1 5 怪人かまきり男 かまきり男(声:辻村真人) 監督:北村秀敏
脚本:滝沢真理
1971/5/8 6 死神カメレオン 死神カメレオン(カメレオン男)(声:沢りつお/人間体:不明)
ハインリッヒ(演:A.ウンガン/声:市川治) 監督:折田至
脚本:伊上勝
1971/5/15 7 死神カメレオン・決斗! 万博跡
1971/5/22 8 怪異! 蜂女 蜂女(演:岩本良子/声:沼波輝枝)
赤戦闘員影村(演:岩城力也) 監督:北村秀敏
脚本:滝沢真理
1971/5/29 9 恐怖コブラ男 コブラ男(声:水島晋) 監督:山田稔
脚本:山崎久
1971/6/5 10 よみがえるコブラ男 改造コブラ男(声:水島晋)
綾小路律子(演:新井茂子)
1971/6/12 11 吸血怪人ゲバコンドル ゲバコンドル(声:谷津勲)※2 監督:折田至
脚本:長石多可男
1971/6/19 12 殺人ヤモゲラス ヤモゲラス(人間態:藤沢陽二郎/声:水島晋)
監督:折田至
脚本:滝沢真理
1971/6/26 13 トカゲロンと怪人大軍団 トカゲロン(人間体・声:堀田真三)
再生蜘蛛男(声:水島晋)
再生蝙蝠男(声:市川治)
再生さそり男(声:水島晋)
再生サラセニアン(声:水島晋)
再生かまきり男(声:水島晋)
再生死神カメレオン(声:中村文弥)
再生蜂女(声:市川治)
再生改造コブラ男(声:市川治)
再生ゲバコンドル(声:市川治)
再生ヤモゲラス(声:市川治) 監督:北村秀敏
脚本:伊上勝
1971/7/3 14 魔人サボテグロンの襲来 サボテグロン
(人間体:ジョン・エアーズ/声:鈴木利秋) 監督:折田至
脚本:伊上勝
1971/7/10 15 逆襲サボテグロン
1971/7/17 16 悪魔のレスラー ピラザウルス 実験用ピラザウルス
ピラザウルス(人間体:穂高正伸/声:谷津勲)
女幹部マヤ(演:真理アンヌ)
ハリケーンジョー(演:原田力)
1971/7/24 17 リングの死闘 倒せ! ピラザウルス
1971/7/31 18 化石男ヒトデンジャー ヒトデンジャー(声:池水通洋) 監督:山田稔
脚本:滝沢真理
1971/8/7 19 怪人カニバブラー北海道に現る カニバブラー(人間体、怪人体の声:梶哲也)
監督:折田至
脚本:島田真之
1971/8/14 20 火を吹く毛虫怪人ドクガンダー ドクガンダー(幼虫)
(人間体:大阪健/声:辻村真人※1) 監督:山田稔
脚本:山崎久
1971/8/21 21 ドクガンダー大阪城の対決! ドクガンダー(成虫)(声:辻村真人)
1971/8/28 22 怪魚人アマゾニア アマゾニア(声:八代駿) 監督:山田稔
脚本:塚田正煕
1971/9/4 23 空飛ぶ怪人ムササビードル ムササビードル(声:辻村真人) 監督:折田至
脚本:島田真之
1971/9/11 24 猛毒怪人キノコモルグの出撃! キノコモルグ(人間体:富士乃幸夫/声:八代駿)
監督:山田稔
脚本:滝沢真理
1971/9/18 25 キノコモルグを倒せ!
1971/9/25 26 恐怖のあり地獄 地獄サンダー(声:山下啓介) 監督:折田至
脚本:伊上勝
1971/10/2 27 ムカデラス怪人教室 ムカデラス(人間体:中村文弥/声:沢りつお)
再生ゲバコンドル(声:富士乃幸夫)
再生サラセニアン(声:飯塚実)
1971/10/9 28 地底怪人モグラング モグラング(声:峰恵研)
モグラ人間 監督:内田一作
脚本:滝沢真理
1971/10/16 29 電気怪人クラゲダール クラゲダール(声:沼波輝枝) 監督:田口勝彦
脚本:滝沢真理
1971/10/23 30 よみがえる化石 吸血三葉虫 ザンブロンゾ(人間体:河原崎洋夫/声:池水通洋) 監督:内田一作
脚本:滝沢真理
1971/10/30 31 死斗! ありくい魔人アリガバリ アリガバリ(声:村越伊知郎) 監督:田口勝彦
脚本:伊上勝
1971/11/6 32 人喰い花ドクダリアン ドクダリアン(人間体:中曽根公子/声:沼波輝枝) 監督:折田至
脚本:滝沢真理
1971/11/13 33 鋼鉄怪人アルマジロング アルマジロング(声:池水通洋) 監督:田口勝彦
脚本:島田真之
1971/11/20 34 日本危うし! ガマギラーの侵入 ガマギラー(声:沢りつお)
ショッカー幹部連絡員(演:飯塚実) 監督:山田稔
脚本:滝沢真理
1971/11/27 35 殺人女王蟻アリキメデス アリキメデス(人間体:真船康子※2/声:由起艶子) 監督:田口勝彦
脚本:伊上勝
1971/12/4 36 生きかえったミイラ怪人エジプタス エジプタス(声:関富也) 監督:田口勝彦
脚本:島田真之
1971/12/11 37 毒ガス怪人トリカブトのG作戦 トリカブト(声:沢りつお)
再生カニバブラー
再生ムカデラス
再生モグラング
再生アルマジロング 監督:折田至
脚本:島田真之
1971/12/18 38 稲妻怪人エイキングの世界暗黒作戦 エイキング(声:谷津勲) 監督:田口勝彦
脚本:伊上勝
1971/12/25 39 怪人狼男の殺人大パーティー 実験用狼男(人間体:富士乃幸夫/声:市川治)
黄金狼男(声:宮口二郎/鳴き声:池水通洋)
ショッカー幹部連絡員(演:エンベル・アルテンバイ) 監督:山田稔
脚本:伊上勝
1972/1/1 40 死斗! 怪人スノーマン対二人のライダー スノーマン(声:池水通洋)※3
1972/1/8 41 マグマ怪人ゴースター 桜島大決戦 ゴースター(声:八代駿)
再生アルマジロング(声:安原義人)
再生モグラング(声:池水通洋)
1972/1/15 42 悪魔の使者 怪奇ハエ男 ハエ男(人間体:根岸一正/声:八代駿) 監督:山田稔
脚本:島田真之
1972/1/22 43 怪鳥人プラノドンの襲撃 プラノドン(声:沢りつお) 監督:田口勝彦
脚本:鈴木生朗
1972/1/29 44 墓場の怪人カビビンガ カビビンガ(声:山下啓介) 監督:田口勝彦
脚本:滝沢真理
1972/2/5 45 怪人ナメクジラのガス爆発作戦 ナメクジラ(声:辻村真人) 監督:山田稔
脚本:大野武雄
1972/2/12 46 対決!! 雪山怪人ベアーコンガー ベアーコンガー(人間体:依田英助/声:阪脩)
監督:塚田正煕
脚本:島田真之
1972/2/19 47 死を呼ぶ氷魔人トドギラー トドギラー(声:池水通洋) 監督:田口勝彦
脚本:石森史郎
1972/2/26 48 吸血沼のヒルゲリラ ヒルゲリラ(声:山下啓介) 監督:内田一作
脚本:鈴木生朗
1972/3/4 49 人喰い怪人イソギンチャック イソギンチャック(声:沢りつお)
アフリカ支部戦闘員(演:大野剣友会) 監督:山田稔
脚本:長谷川公之
1972/3/11 50 怪人カメストーンの殺人オーロラ計画 カメストーン(人間体:中井啓輔/声:辻村真人) 監督:田口勝彦
脚本:石森史郎
1972/3/18 51 石怪人ユニコルノス対ダブルライダーキック ユニコルノス(人間体:富士乃幸夫/声:八代駿) 監督:山田稔
脚本:長谷川公之
1972/3/25 52 おれの名は怪鳥人ギルガラスだ! ギルガラス(声:上田耕一) 監督:内田一作
脚本:伊上勝
1972/4/1 53 怪人ジャガーマン 決死のオートバイ戦 ジャガーマン(人間体:中屋敷鉄也/人間体・怪人体の声:池水通洋)
監督:山田稔
脚本:伊上勝
1972/4/8 54 ユウレイ村の海蛇男 海蛇男(声:市川治) 監督:田口勝彦
脚本:伊上勝
1972/4/15 55 ゴキブリ男!! 恐怖の細菌アドバルーン ゴキブリ男(人間体:平松慎吾/声:峰恵研) 監督:山田稔
脚本:滝沢真理
1972/4/22 56 アマゾンの毒蝶ギリーラ ギリーラ(人間体・声:建部道子)
1972/4/29 57 土ぐも男ドクモンド ドクモンド(声:辻村真人)
1972/5/6 58 怪人毒トカゲ おそれ谷の決闘!! 毒トカゲ男(人間体:里木佐甫良/声:関富也) 監督:田口勝彦
脚本:山崎久、島田真之
1972/5/13 59 底なし沼のミミズ男 ミミズ男(声:八代駿)
ショッカー運搬人(演:中原正之、飛世賛治、中屋敷鉄也) 監督:塚田正煕
脚本:島田真之
1972/5/20 60 怪奇フクロウ男の殺人レントゲン フクロウ男(声:山下啓介) 監督:内田一作
脚本:滝沢真理
1972/5/27 61 怪人ナマズギラーの電気地獄 ナマズギラー(声:関富也) 監督:山田稔
脚本:平山公夫、山田稔
1972/6/3 62 怪人ハリネズラス 殺人どくろ作戦 ハリネズラス(人間体:吉原正皓/声:沢りつお)
監督:山田稔
脚本:伊上勝
1972/6/10 63 怪人サイギャング 死のオートレース サイギャング(人間体A:富士乃幸夫、
B:岡田勝/声:山下啓介) 監督:山田稔 脚本:島田真之
1972/6/17 64 怪人セミミンガ みな殺しの歌 セミミンガ(声:槐柳二) 監督:塚田正煕
脚本:伊上勝
1972/6/24 65 怪人昆虫博士とショッカースクール カブトロング(声:池水通洋) 監督:内田一作
脚本:伊上勝
1972/7/1 66 ショッカー墓場 よみがえる怪人たち カミキリキッド(人間体:島映二/声:二見忠男)
再生ザンジオー(声:峰恵研)
再生ジャガーマン(声:谷津勲)
再生毒トカゲ男(声:関富也)
再生ハリネズラス(声:八代駿)
再生サイギャング(声:山下啓介) 監督:塚田正煕
脚本:伊上勝
1972/7/8 67 ショッカー首領出現!! ライダー危うし ギリザメス(声:八代駿)
アルプス支部戦闘員(演:大野剣友会)
ピエール・アンドレ(演:エンベル・アルテンバイ)
1972/7/15 68 死神博士恐怖の正体? イカデビル(声:二見忠男)
復讐サイギャング
復讐カブトロング 監督:山田稔
脚本:伊上勝
1972/7/28 69 怪人ギラーコオロギ せまる死のツメ ギラーコオロギ(声:八代駿) 監督:山田稔
脚本:島田真之
1972/7/29 70 怪人エレキボタル 火の玉攻撃!! エレキボタル(声:市川治)※4 監督:塚田正煕
脚本:桶谷五郎
1972/8/5 71 怪人アブゴメス 六甲山大ついせき! アブゴメス(人間体:佐藤京一/人間体・
怪人体の声:八代駿) 監督:塚田正煕 脚本:伊上勝
1972/8/12 72 吸血モスキラス対二人のライダー モスキラス(人間体:岩上瑛/声:八代駿)
シオマネキング(声:沢りつお) 監督:山田稔
脚本:鈴木生朗
1972/8/19 73 ダブルライダー 倒せ! シオマネキング シオマネキング
1972/8/26 74 死の吸血魔 がんばれ!! ライダー少年隊 シラキュラス(声:池水通洋)
監督:塚田正煕 脚本:伊上勝
1972/9/2 75 毒花怪人バラランガ 恐怖の家の秘密 バラランガ(人間体:松沢のの/声:沼波輝枝)
監督:塚田正煕 脚本:鈴木生朗
1972/9/9 76 三匹の発電怪人シードラゴン!! シードラゴン(人間体:高山久/声:村越伊知郎/
予告編:市川治)監督:山田稔 脚本:石森史郎
1972/9/16 77 怪人イモリゲス じごく牧場の決闘!! イモリゲス(声:山下啓介/予告編:辻村真人)
監督:塚田正煕 脚本:伊上勝
1972/9/23 78 恐怖のウニドグマ + ゆうれい怪人 ウニドグマ(声:辻村真人)
ガニコウモル(声:池水通洋)
1972/9/30 79 地獄大使!! 恐怖の正体? ガラガランダ(声:峰恵研)
ガニコウモル
1972/10/7 80 ゲルショッカー出現! 仮面ライダー最後の日!! ガニコウモル(声:西崎章治)
監督:山田稔 脚本:伊上勝
1972/10/14 81 仮面ライダーは二度死ぬ! サソリトカゲス(人間体:大杉雄太郎/声:八代駿)
1972/10/21 82 怪人クラゲウルフ 恐怖のラッシュアワー クラゲウルフ(声:沢りつお) 監督:塚田正煕
脚本:島田真之
1972/10/28 83 怪人イノカブトン 発狂ガスでライダーを倒せ イノカブトン(人間体:飛世賛治/声:市川治)
監督:塚田正煕 脚本:石森史郎
1972/11/4 84 危うしライダー! イソギンジャガーの地獄罠 イソギンジャガー(人間体:大神伸/
声:辻村真人) 監督:石森章太郎 脚本:石森章太郎、島田真之
1972/11/11 85 ヘドロ怪人 恐怖の殺人スモッグ ウツボガメス(人間体:富士乃幸夫/声:西崎章治)
監督:山田稔 脚本:島田真之
1972/11/18 86 怪人ワシカマギリの人間狩り ワシカマギリ(声:谷津勲) 監督:山田稔 脚本:滝沢真理
1972/11/25 87 ゲルショッカー 死の配達人 クモライオン(声:辻村真人)
死の配達人(演:芹川洋) 監督:塚田正煕
脚本:伊上勝
1972/12/2 88 怪奇! 血をよぶ黒猫の絵 ネコヤモリ(人間体:大橋一元/声:山下啓介) 監督:塚田正煕
脚本:島田真之
1972/12/9 89 恐怖のペット作戦 ライダーを地獄へ落とせ! カナリコブラ(声:辻村真人)
ネズコンドル(声:西崎章治) 監督:山田稔
脚本:石森史郎
1972/12/16 90 恐怖のペット作戦 ライダーSOS ネズコンドル
改造ネズコンドル(声:西崎章治)
1972/12/23 91 ゲルショッカー恐怖学校に入学せよ ムカデタイガー(声:倉口佳三) 監督:塚田正煕
脚本:伊上勝
1972/12/30 92 凶悪! にせ仮面ライダー!! ハエトリバチ(声:山下啓介)
ショッカーライダーNO.1(声:池水通洋)
1973/1/6 93 8人の仮面ライダー ショッカーライダーNO.1(声:池水通洋)
ショッカーライダーNO.2(声:市川治)
ショッカーライダーNO.3(声:谷津勲)※2
ショッカーライダーNO.4(声:関富也)※2
ショッカーライダーNO.5(声:倉口佳三)※2
ショッカーライダーNO.6(声:富士乃幸夫)
ハエトリバチ
エイドクガー(声:倉口佳三) 監督:山田稔
脚本:伊上勝
1973/1/13 94 ゲルショッカー首領の正体 ショッカーライダーNO.1
ショッカーライダーNO.2
ショッカーライダーNO.3
ショッカーライダーNO.4
ショッカーライダーNO.5
ショッカーライダーNO.6
エイドクガー
ナメクジキノコ(声:辻村真人)
1973/1/20 95 怪人ガラオックスの空飛ぶ自動車 ガラオックス(声:池水通洋) 監督:奥中惇夫
脚本:島田真之
1973/1/27 96 本郷猛 サボテン怪人にされる!? サボテンバット(人間体:小山源喜/声:八代駿)
監督:奥中惇夫 脚本:丸山文櫻
1973/2/3 97 本郷猛 変身不可能 ヒルカメレオン(声:辻村真人)
再生ガニコウモル(声:八代駿)
D博士(演:東龍明/声:倉口佳三) 監督:塚田正煕
脚本:伊上勝
1973/2/10 98 ゲルショッカー全滅! 首領の最後!! ゲルショッカー首領
ヒルカメレオン
再生クラゲウルフ
再生イノカブトン(声:安原義人)
再生ウツボガメス
再生クモライオン
再生ムカデタイガー(声:八代駿)
再生ハエトリバチ(声:安原義人)
再生エイドクガー(声:倉口佳三)
再生ガラオックス(声:倉口佳三)
再生サボテンバット(声:八代駿)
※本作から仮面ライダーストロンガーまでの5作品はOPでの怪人声優表記と
実際の怪人声優が異なることがある。
これは予定した俳優の都合がつかなくなった為と思われるが、真実は不明。
なお、1972年7月22日はプロ野球オールスターゲーム第1戦中継のために休止。
中京広域圏は名古屋テレビ放送が遅れネットで毎週日曜19時から放映していたが、
1972年10月7日の第80話のみNET・毎日放送と同時ネットでの放映となった。
この異例の同時ネットのいきさつについては、名古屋テレビ放送の沿革の項を参照のこと。
※番組撮影終了後100話記念と3号(V3)誕生を祝してスタッフ間で
「われらの仮面ライダー」が上映された。
内容は中江真司のナレーションによる「仮面ライダー」の総集編であるが
配役紹介や視聴率紹介がなされ、スタッフ向けになっている。
アイキャッチ間には「V3の変身ベルト」のCMと「マジンガーZのジャンボマシンダー」の
CMが挿入されている。
後年になり東映ビデオから「仮面ライダースペシャル2」として発売され
(ZXとのカップリング)初めて視聴者の元に提供された。
「仮面ライダースペシャル」のDVD化の際に本作は未収録。
劇場版
ゴーゴー仮面ライダー』
1971年7月18日公開 - 東映まんがまつりの一編として13話を上映。
仮面ライダー対ショッカー』
1972年3月18日公開 - 東映まんがまつりの一編として公開。
督:山田稔、脚本:伊上勝
登場怪人:ザンジオー(声:辻村真人)再生怪人軍団
再生怪人声優一覧
梶哲也(担当怪人:ハエ男(人間態:宮裕之)、ユニコルノス、カニバブラー、スノーマン、
さそり男、ギルガラス)
阪脩(担当怪人:モグラング、ムカデラス、カメストーン、トリカブト、ゲバコンドル、
プラノドン)
鈴木利秋(担当怪人:サボテグロン、アリガバリ、アルマジロング、ナメクジラ、黄金狼男、
トドギラー、
蜘蛛男、ガマギラー、イソギンチャック、蝙蝠男、死神カメレオン、アリキメデス)
山下啓介(担当怪人:ドクガンダー、ザンブロンゾ、エジプタス、ゴースター、ドクダリアン、
地獄サンダー
(鳴き声は鈴木利秋)、ヤモゲラス、エイキング、ムササビードル、サラセニアン)
※トカゲロン、ピラザウルス、その他の怪人も登場したが声は不明。
『仮面ライダー対じごく大使』
1972年7月16日公開 - 東映まんがまつりの一編として公開。
監督:山田稔、脚本:伊上勝
登場怪人:カミキリキッド(声:二見忠男)、再生怪人軍団
再生怪人声優一覧
八代駿(担当怪人:カブトロング)
峰恵研(担当怪人:セミミンガ、ミミズ男、ドクモンド)
谷津勲(担当怪人:ジャガーマン、エイキング、ザンブロンゾ(鳴き声は峰恵研))
山下啓介(担当怪人:ハリネズラス、サイギャング、ゴースター、毒トカゲ男)
市川治(担当怪人:ゴキブリ男、キノコモルグ、ムササビードル)
関富也(担当怪人:ギリーラ、海蛇男、プラノドン、ザンジオー)
上記の3作品は2003年12月5日発売の昭和の仮面ライダーシリーズの映画作品を収録した
「仮面ライダーTHE MOVIE BOX」及び単品では2006年発売の「仮面ライダーTHEMOVIE VOl,1」
に収録されている。
主題歌
主題歌も大ヒットした。
OP曲「レッツゴー!!ライダーキック」は当初は本郷役の藤岡が歌ったヴァージョンが使用されていた。
当時は低予算で製作されていたため、藤岡本人が主題歌も歌うよう打診された。
歌手の経験の全くない藤岡はそのために歌のレッスンに通ったという。
その後、藤岡の降板により藤浩一(後の子門真人)が歌ったものに変更され、
シングルの音源も差し替えられた。
また、一文字役の佐々木剛が歌ったヴァージョンも存在し、
1998年発売のCD「石ノ森章太郎 男も泣けるTV主題歌集」にて発表された。
2000年には2000ver.として新たにロック調にアレンジされ、
藤岡とRIDER CHIPSによりカヴァーされている。
また、2006年には関東のラジオ番組で新たに歌ったものが放送された。
藤浩一による同曲は好評を博し、90万枚という1972年の日本コロムビアの
シングルレコード売上では第3位(1位はぴんからトリオの「女のみち」の400万枚、
2位はちあきなおみの「喝采」の130万枚 = いずれも数字は公称)、
また当時の日本のテレビドラマ主題歌シングルでは最大のヒット曲となった。
経営悪化で一度は傾きかかった日本コロムビアは、
この大ヒットシングル3枚で完全に立ち直ったばかりか、
あまりの売れ行きにレコードの生産が追いつかないと嬉しい悲鳴となった。
なお、本作は日本の特撮ヒーロー番組としては初めて歌のみで構成されたアルバム
『仮面ライダー!ヒットソング集』が制作された。
収録曲の一部は挿入歌として劇中に使用され、番組を盛り上げた。
特に「ライダーアクション」は評判が良かったらしく、
第71話からエンディングテーマとして、第89話以降はオープニングテーマとして使用されている。
オープニング
初代:「レッツゴー!!ライダーキック」(第1 - 13話)
作詞:石ノ森章太郎/作曲、編曲:菊池俊輔/歌:藤岡弘、メール・ハーモニー
2代目:「レッツゴー!!ライダーキック」(第14 - 88話)
作詞:石ノ森章太郎/作曲、編曲:菊池俊輔/歌:藤浩一、メール・ハーモニー
3代目:「ライダーアクション」(第89 - 98話)
作詞:石ノ森章太郎/作曲、編曲:菊池俊輔/歌:子門真人
エンディング
初代:「仮面ライダーのうた」(第1 - 71話)
作詞:八手三郎/作曲、編曲:菊池俊輔/歌:藤浩一、メール・ハーモニー
2代目:「ライダーアクション」(第71 - 88話)
作詞:石ノ森章太郎/作曲、編曲:菊池俊輔/歌:子門真人(映像での表記は「藤浩一」)
3代目:「ロンリー仮面ライダー」(第89 - 98話)
作詞:田中守/作曲、編曲:菊池俊輔/歌:子門真人
※1号と2号のテーマ曲分けとしては「レッツゴーライダーキック」両者、
「ロンリー仮面ライダー」挿入歌「かえってくる仮面ライダー」が1号で
「仮面ライダーのうた」「ライダーアクション」が2号の要素が強い。
「かえってくる仮面ライダー」は新1号のテーマとして有名だが他にも劇場作品
「五人ライダー対キングダーク」のEDや「パチンコ仮面ライダー」にも使用され、
「ライダーアクション」は「仮面ライダーX」でも2号のテーマとして使用され、
プレイステーションゲーム「仮面ライダー」の2号のテーマとしても使用。
「仮面ライダーのうた」は「仮面ライダーストロンガー」時と
「仮面ライダーBLACK」の特番時に2号のテーマとして使用された。
関連商品
仮面ライダースナック
詳細は仮面ライダースナックを参照
本放送当時、スポンサーであったカルビー製菓(現:カルビー)より発売されたスナック菓子、食玩。
袋には「カルビースナック 仮面ライダー」と印刷されており、
赤、白の縞模様を背景にライダーがサイクロン号に乗った絵が大きく描かれていた。
これには「仮面ライダーカード」がおまけとしてついていた。
このカードには表に作品中の登場人物や怪人の写真が、裏には様々な設定の説明文が印刷されていた。
説明文は、企画段階の情報や児童誌向けの設定も多いため、
TVに先行する情報がある一方で、実作品と比較すると奇異な印象を受ける文章もあった。
カード番号は546番まで存在したが、同番号の異種カードもあり最終的に600種類近く発行された
と見られている。
なお、初期発行分は105番までで、106番以降は新カードと呼ばれた。
子供たちがカードだけ取って菓子を捨ててしまう事や、捨てられたスナックを小売店が回収し、
事情の分からぬ親たちにカード無しで販売してしまう事も多く社会問題となったものの、
ライダーカードは子供達の間で大変な人気となり、
後のトレーディングカードの先駆けとなった。
現在、数が少なく貴重な一部のカードには、かなりのプレミアがついている。
また、後年本作がLDボックスとして発売された際に特典として
復刻版カードが全種添付されていた。
なお、菓子が捨てられたのは、甘口で子どもたちの嗜好に合わなかったことも原因と言われる。
なお一時期、並行して「かっぱえびせん」が入った仮面ライダースナックも発売され、
オリジナルの赤い袋とは異なり黄色い袋であった。
また一ケース分(50袋)毎に一枚ラッキーカードと
裏面に印刷されたライダーカードがあり、カルビーの会社宛に送付すると
専用のカードアルバムと交換してもらうことができた。
そのアルバムを入手するためにケース単位で購買する人も見受けられた。
仮面ライダースナックは累計で6億2000万袋を売ったという。
当時の定価は20円だったので、124億円を売り上げた計算になる。
参考書籍
木下正信『仮面ライダー・仮面ライダーV3カード 完全図鑑 Media Books Special』 ISBN 4812403006
堤哲哉 (編集)『仮面ライダーカード』 ISBN 4537023864
堤哲哉 (編集)『仮面ライダーV3カード』 ISBN 4537026421
仮面ライダー変身ベルト
本放送当時、ポピー(現バンダイ)から本作のキャラクター玩具の1つである
「変身ベルト」が1500円(当時)で発売され、約380万個[26]を売り上げる大ヒットとなった。
変身ベルトは次作『仮面ライダーV3』でも関連玩具のラインアップの1つとして発売され、
以後の仮面ライダーシリーズの玩具のラインアップには欠かせない物になった。
モーターで回る風車の羽に発火石が埋め込まれており、
これが内蔵のヤスリと接触する事で火花が散り“光る”構造、
これは先行してタカトクトイスから発売されたギミック無しの
500円の変身ベルトとの差別化のためである。
元々ポピー(現バンダイ)では、タカトクトイスが先行して発売していたため、
製造・販売する計画はなかった。
しかし、当時のポピーの常務である杉浦幸昌が自分の3歳の長男のために、
風車が光って回転するようにタカトクのライダーベルトを改造したところ、近所の評判になった。
ここに商機があるとみて、社内の反対を押し切り販売された経緯がある。
この際、1000円で十分な利益が出るベルトを、版権元がタカトクの
500円ベルトとあまり差がないという理由で1000円では許諾せず、1500円で許諾した。
このため本来1000円の物に1500円の付加価値をつけるため、
ポピーは水野プロダクションにデザインを頼み、蛍光色を多用した派手なデザインしてもらった。
このようにポピーの変身ベルトは版権元が要求したからタカトクのと差別化されたという一面がある。
本放送開始の年から35年目の2006年3月には、成人向けサイズで撮影用実物を意識した造形の
「仮面ライダー新1号変身ベルト」がバンダイから発売され、
仮面ライダーファンの話題を呼んだ。同年5月末までに8000個以上を販売した。
ポピニカ
「変身ベルト」とならんで、ポピーが発売した商品でシリーズ長期に渡って制作された。
「サイクロン」のミニカーで仮面ライダーの容姿が変わると塗装変更される配慮がされたが
基本的には同型の商品である。「新サイクロン」は未発売である。
続くシリーズも制作され最後はバンダイから発売された仮面ライダークウガの
「トライチェイサー」までが確認されている。
ゲーム作品
どちらもバンダイより発売されている。
スーパーファミコン用ソフト
バンダイより1993年11月12日にスーパーファミコン用のアクションゲームとして発売。
プレイステーション用ソフト
バンダイより1998年12月20日にプレイステーション用の格闘アクションゲームとして発売。
続編に同じプレイステーション用ゲーム『仮面ライダーV3』が存在する。
ストーリーモードは、番組の内容を追体験するストーリーと、
ショッカー怪人を操作して勝ち抜き戦を行う「ショッカーストーリー」の2本が用意されている。
各ゲームモードをクリアすることで得られる「ポイント」を使い、
仮面ライダースナックの仮面ライダーカードを意識した
「デジタルカード」を収集することもできる。
舞台版
戦闘員日記シリーズが舞台として公開されている。
メガバックスコレクションの舞台であるが、佐々木剛や千波丈太郎・中屋敷哲也など、
仮面ライダーシリーズに出演した多くの俳優が出演しており、
石森プロなどのサイトでも宣伝されていた。
また、ポスターは講談社の月刊マガジンZで『仮面ライダーSPIRITS』を
連載中の村枝賢一による描き下ろしとなっている。
仮面ライダー 戦闘員日記
戦闘員を主人公にしたスピンオフ作品。
仮面ライダー 戦闘員日記2
ショッカー日本海支部を舞台としている。
その後の作品
原作『仮面ライダー』の続編にあたる作品として、
小説『仮面ライダーEVE-MASKED RIDER GAIA-』が『特撮エース』に連載された。
仮面ライダーV3 = 風見志郎から仮面ライダーZX = 村雨良までの後輩ライダーも登場し、
テレビシリーズに準じた形で歴代ライダーの戦いが続いていたことが語られている
(但し、あくまでもテレビシリーズからは独立した企画であるため詳細は不明)。
新たなキャストによる本郷猛と一文字隼人を主役に、本作を新解釈で映像化した
『仮面ライダー THE FIRST』が劇場用映画作品として2005年11月に公開された。
藤岡弘の事故がなく、主役交代せずに物語が進んでいたらという仮定で描かれた小説作品
『仮面ライダー 誕生1971』『仮面ライダーVol.2 希望1972』(和智正喜・著)
が2002年、2003年にそれぞれ発表された。
映像ソフト化
ビデオ(VHS、セル・レンタル共通)は全26巻が東映ビデオよりリリースされた。
全話収録だが、当初は傑作選の予定だったため、収録順は放送順と一致していない。
2002年7月21日にDVD-BOXが東映ビデオより発売された。
2005年10月21日〜2006年2月21日にかけて単品のDVDが発売された。
全16巻で各巻6話(Vol.1、Vol.16は7話)収録。1〜4、5〜7、8〜10、11〜13、14〜16は
それぞれ同時リリースされた。
2008年7月21日発売の「石ノ森章太郎 生誕70周年 DVD-BOX」に第1話が収録されている。
声の出演
仮面ライダー1号
池水通洋(第1、3話、10号誕生!仮面ライダー全員集合!!ほか)
納谷六朗(第9 - 13話)
市川治(第66、67話)
楠田竜平(8人ライダーVS銀河王)
島田敏(劇場版仮面ライダースーパー1)
鳥居賞也(仮面ライダーBLACK RX第41〜47話)
仮面ライダー2号
桑原たけし(仮面ライダーBLACK RX 第41話~47話)※44話のみ
岸野一彦(仮面ライダーBLACK RX 第41話~47話)※46話のみ
山崎たくみ(ゲーム『仮面ライダーV3』)
関連項目
特撮
ウルトラマン(国産TVヒーローとして本作とは双璧を成し、対比される。
また、ウルトラマンVS仮面ライダーにて競演)
KIKAIDER00
仮面ライダー THE FIRST
仮面ノリダー
お化けマンション(第5話、第8話、劇場版第2作など数回にわたって撮影が行われている)
万博記念公園(第7話「死神カメレオン・決斗! 万博跡」で撮影が行われている。
ちなみに、万博記念公園の近くには制作局・毎日放送の千里丘スタジオが所在していた)
リクルート(転職情報誌「ビーイング」テレビCMキャラクター)
加山雄三 (1986年の「第37回NHK紅白歌合戦」で少年隊の「仮面舞踏会」を言い間違えた)
京楽産業. (一号・二号をモチーフにしたパチンコ台「CRぱちんこ仮面ライダー〜ショッカー全滅大作戦〜」
を出している。またCMとしても放映されていた)
東洋水産 (「マルちゃん・麺づくり」迫る食感編)
山根巌 (柏レイソルでの応援歌の元ネタ)
仮面ライダー龍騎(本編に登場する二人の主人公、城戸真司と秋山蓮の変身ポーズが、
それぞれ1号と2号のものを踏襲している)
仮面ライダーキバ(紅音也→イクサへの変身ポーズ)
ほれほれ手が止まっとるぞw
もっと人生を無駄にしろや
はやく
クリア
>>230 煽るのはやめてもらえないでしょうか?
自分でも煽ってたくせに何を言ってるんだろうこの人は
ヤッターマン
『ヤッターマン』(英語表記:Yatterman)とは
1977年1月1日から1979年1月27日までフジテレビ系列で毎週土曜18:30 - 19:00(JST)
に全108話が放映された、タツノコプロ制作のテレビアニメである。
『タイムボカンシリーズ』の第2作目にあたり、正式作品名は『タイムボカンシリーズ ヤッターマン』。
上記を基に2008年1月14日から日本テレビ系列で毎週月曜夜(JST)に放送されている、
讀賣テレビ放送制作の第2作目(リメイク版)のテレビシリーズである。
正式作品名はタイムボカンシリーズは入らない『ヤッターマン』。
詳細は#アニメ第2作(リメイク版)を参照。
上記を基に制作された、松竹・日活にて2009年3月に全国公開予定の実写映画である。
正式名称は『YATTERMAN ?ヤッターマン?』。詳細は#実写映画を参照。
地球上のどこかにある“お宝”のありかを示したアイテムをある個数集めようとする、
ヤッターマンとドロンボー一味との戦いを描いた作品。
ヒーローに変身する男女ペアの主人公、ゾロメカ、おだてブタ、三悪メカ爆発時のドクロ雲など、
後にシリーズを象徴することになる要素のほとんどが本作で誕生した。
テレビアニメ1作目では、お宝は大金鉱脈で、集めるアイテムはドクロストーン。
4つ存在し、うち1つはドクロベエが持っている。だが実は・・・
アニメ2作目では、集めるアイテムはドクロリングで、5つ集めると願いが叶う。
その内容次第ではお宝を得られる。
ドロンボー一味がインチキ商売で稼いだ金でその商売にちなんだメカを作る。
インチキ商売の店舗にはシンボルのドクロマーク(前作「タイムボカン」では白だったが
本作より赤に変更)が必ず付いている。この地下にメカ工場がある。
インチキ商売で物を売りつける時の額はおおむね10万円と決まっている。
こうして荒稼ぎした額は(札束の数から見て)数千万円 - 数百億円にものぼる。
ただし、ドクロベエがその大金の殆どを巻き上げてしまうこともある。
ガンちゃん(ヤッターマン1号)とアイちゃん(ヤッターマン2号)の2人が
インチキ商売を嗅ぎ付け、潜入して様子を窺う。
地下のメカ工場への入り口は外から見える場合とカモフラージュされている場合があるが、
どんなにうまくカモフラージュしてもオモッチャマが見つけ出す。
ドロンボー一味、ドクロベエの怪しげな指令情報を元にドクロストーン探しに出る。
ヤッターマンはそれを追跡する。
多くの場合、メカが地上に出る際にインチキ商売の店舗を破壊する。
先にご当地に着くドロンボー一味、地元のトラブルに乗じて言葉巧みにヤッターマンを陥れ、
ドクロストーンと思しきものを詐取。
誠意もしくは実力で危機を脱したヤッターマンと馬脚を露わしたドロンボー一味との戦闘。
白兵戦はヤッターマンが圧倒、メカ戦に移行し序盤はドロンボー一味が優勢だが、
ヤッターマンの「メカの素」で生み出されたビックリドッキリメカで形勢逆転。
そしてドロンボーメカはビックリドッキリメカに解体され爆発
(自爆スイッチで爆破の回などもある)、ドクロ雲を残す。
最後にヤッターマンは勝利のポーズを決める。
勝利のポーズは前期、ヤッターアンコウ登場時、
後期と大きく分けて3種類がある。
ちなみに後期には白兵戦はなくなった。
多くは誤解に基づくご当地トラブルはドロンボー一味の成敗と共に無事解決し、
奪還されたターゲットがドクロストーンでないことも判明する。
ドロンボー一味、3人乗り自転車(通称「タンデム自転車」「おしおき三輪車」)で
敗走する途中、「おしおきだべぇ」の一言でドクロベエの「ママより恐いおしおきタイム」が
始まる。おしおきの際、ドクロベエが「ミュージック」とコールすると、
ベートーヴェンの『運命』のイントロ部分が、おしおきファンファーレとして流れ、
直後におしおきが執行される。主に動物(象、鮫、鯨、お化け、ロボットなど)や
爆発物(ミサイルや爆弾など)、重いもの(椰子の実、雪球、隕石など)に襲われる、
幻を見せられる、檻に入れられる、水中や砂地獄などに落とされたりするパターンが多い。
後期には、おしおきポーズが登場し、その決めセリフは「ドクポンタン」
(意味は、ドクロベエのスカポンタン)。ヤッターマン、ナレーションと共に凱旋する。
テレビアニメ(1作目)では、上記のフォーマットにのっとり2年と1か月、
計108回にわたって延々と続けた。
ちなみにこの放送期間内で放送休止となったのは1週のみであった。
制作者側もマンネリを開き直っている様子が後期エンディングテーマ
「ドロンボーのシラーケッ」の歌詞から窺える。
一方、前作のパターンだった「とどめの手段を巡っての(責任の)なすりあい」
は一切使われなかった。
ただし、時々脱出する際にさっさと逃げようとするドロンジョにボヤッキーが怒るという描写はあった。
後期に入るとナレーションの富山敬がBGMに合わせて
「♪がんばーれー ヤッター ヤッターマーン」と歌うこともあった。
テレビアニメ2作目も、概ねこのフォーマットを踏襲している。
時折これらのパターンが破られることがあり、視聴者を飽きさせない工夫がされている。
アニメ第1作(オリジナル版)
オモチャ屋の息子・ガンちゃんは、ガールフレンドのアイちゃんと一緒に
父親が製造途中で放棄してしまった大きな犬型のロボットを密かに完成させる。
父親がロボット犬を金儲けの道具にしか使わないことを危惧したガンちゃんは
このロボット犬を正義のために役立てることを考え、
自らも正義を守るヒーロー『ヤッターマン』となることを決意した。
一方イカサマ商売で活動資金を荒稼ぎする悪党・ドロンボー一味のもとに
泥棒の神様を自称するドクロベエと名乗る謎の人物から
「大金塊のありかを記したドクロストーンが4つに割れて地球の方々に散らばっていて、
1つは自分が持っている。もし残り3つのドクロストーンを見付けることができたら、
金塊は折半しよう」という申し出を受け、ドクロベエに従う。
ドロンボーの計画を知ったガンちゃんたちは、ロボット犬=ヤッターワンを駆って
一味に立ち向かう。
企画段階ではタイムボカンとは無関係の作品とされており、
シリーズの多くの作品とは違いタイムトラベルをしない。
(第36話はストーリーとしてはタイムトラベルではあるが実はボヤッキーの夢だった)
題材は初期には世界七不思議(雪男・モアイ・ネッシーなど)や世界各地の風物
(カーニバルなど)、世界的に有名な俳優・歌手などを扱っていた。
放映4か月目以降より、タイムボカンのように名作児童文学や昔話、
伝記などのパロディーが激増する。
舞台も明らかに現代とは思えない話が多い。
サブタイトルの大半や登場人物・舞台は、これらの物語の元になっている話が分かるような
ギャグパロディーとなっていた。
2年間の平均視聴率は20.1%と、タツノコプロ制作のアニメの中で最も高い数字を残している。
タカトクトイスが発売したヤッターワンの玩具は出荷数120万個を超えた。
登場人物
ヤッターマン
2人揃って「ヤッターマン」。
ヤッターワンを完成させた2人はドロンボー一味の悪巧みを知り、ヤッターマンとなって戦う。
基本的に何らかの形でドロンボーの企みを察知するが、
事前に彼らのアジトを急襲することはしない。
ガンちゃん(ヤッターマン1号) 声:太田淑子(『タツノコ VS. CAPCOM』では喜多村英梨)
本名は高田(たかだ)ガン。
父の高田徳兵衛(たかだ とくべえ。名前の由来はメインスポンサーのタカトクトイスから)
が経営する高田玩具店の一人息子。身長165cm。武器はケンダマジック。
前作の丹平と同様に13歳という設定だが、体格は20歳前後の青年のものであり、逞しい。
いつもは常に青色のツナギを着ており、変身時は空に投げたツナギを裏返しに着装して
ヤッターマン1号となる。
決めゼリフの後に歯をキラリと光らせるが、62話では股間を光らせ、三悪をズッコケさせ、
ドロンジョに「光ってりゃいいってもんじゃないよ!」と言われた。正義感溢れる性格。
アイちゃん(ヤッターマン2号) 声:岡本茉利
本名は上成愛(かみなり あい)。ガンちゃんのガールフレンド。
父の上成吾呂三(かみなり ごろぞう)が経営する電気屋の一人娘。身長161cm。
武器はシビレステッキ。
12歳だが、ガンちゃんに合わせて20歳弱程度の女性の体格で描かれている。
変身時は空に投げたツナギを裏返しに着装。決めゼリフの後に目をキラリと光らせる。
2人の決めゼリフの後にドロンジョが「目医者と歯医者のコマーシャルやるな」
などとしばしば反発する。
シリーズ後半でドロンジョに「2号さん」と揶揄される。
オモッチャマ 声:桂玲子
サイコロ型ロボットで、ガンちゃんの父親が経営する高田玩具店のマスコット。
前作のチョロ坊と同様にロボットでありながら喜怒哀楽の感情を持つが、
ガンちゃんには感情を否定されている。
乾電池をエネルギー源とし頭からプロペラを出して飛行することができる。
ドロンボー一味のアジトに乗り込み、悪事を一番先に察知する役割。
ドロンボーのインチキ商売を自ら手を下して暴いたこともある。
成人男性を吊り上げることもできる(81話で判明)。
ヤッターキング用のメカの素を内部に格納していたこともあるが、
1度取り出すと重すぎてなぜか自力では持てなくなり乾電池が切れてしまう描写がある。
ヤッターキングの内部仕様変更後はメカの素を取り出す直接的な描写は見られない。
一人称は「ボッチ」で、語尾は「○○だ(で)コロン」。
タイトルの読み上げ、次回予告のナレーションも担当
(但し本放送当時は無く、再放送で日の目を見た)。
後期の次回予告では作品中で初めて「三悪」という言葉が使われている。
ドロンボー一味
イカサマ商売で活動資金を得て泥棒家業を働く悪党にして義賊泥棒(自称)。
3人揃って「ドロンボー一味」。
本放送の放映中は前作の『タイムボカン』のマージョ一味が改名したという設定だった。
ドロンジョ 声:小原乃梨子
ドロンボー一味のリーダー兼お色気担当。身長173cm。24歳。
「ドロンジョ様」「ドロンコ」などの呼称を持ち、金銀宝石を愛するドロンボーの女ボス。
本名はササッガワ・ヒロッコで、名前の元ネタは総監督の笹川ひろし。
スタイル抜群で頭脳明晰な美女だが本シリーズ歴代女ボスの中でも最も特徴ある
大きなフード型の仮面を被っており、素顔は序盤では、インチキ商売でしか見られず、
2クール目以降(14話〜)からはインチキ商売でも仮面を着用して素顔を見せなくなる
(ただし95話のみ1クール目同様、インチキ商売に限り素顔を見せている)。
フライドポテトが大好き。
ドロンボーが解散になった際、ボヤッキーとトンズラーに「いい女は振り返らないもの」
と涙ながらに語っていた。
ネーミングモデルはフランスの女優で小原の持ち役でもあるミレーヌ・ドモンジョに由来。
加えて、元々は忍者映画からの比喩で、泥棒はドロンと消失する如く逃亡することにも由来している。
ボヤッキー 声:八奈見乗児
フルネームはブツクサ・ボヤッキー。
この本名は、『ドクロベエさまに捧げる歌』においてネタとして使われている。身長168cm。25歳。
ドロンボー一味のメカ設計開発・作戦担当。福島県会津若松市出身。
故郷におハナちゃんという恋人を残し、ドロンボー一味に入るため上京してきた。
オネエ言葉で話すがゲイではなく女子高生好きで知られる。
一人称は「アタシ」または「ボクちゃん」、ごくまれに「私」や「俺」の場合もある。
後半に入ってからは、ナレーターの伝説のフレーズ「説明しよう」を多用するようになった。
「全国の女子高校生の皆さん」やボタンを押す際の「ポチッとな」などの決まり台詞がある。
ガンちゃんと同じようにいつもは黄色のツナギを着ている。
物語の中期から後期にかけては、完成したメカを披露する際に「全国○×協会推薦です」
の一言が入ることがある。
普段からゴーグルを着用しており、ゴーグルを外した素顔はOVA「タイムボカン王道復古」
においてしか見ることができない(トンズラーも同様)。名前の由来は「ぼやき」から。
トンズラー 声:たてかべ和也
ドロンボー一味の怪力担当。身長138cm。30歳。本名はスタコラ・トンズラー。
ボヤッキー同様、本名は『ドロンボーの失敗の唄』においてネタに使われている。
元プロレスラーで岩手県出身だが、なぜか関西弁を多用し語尾に「〜まんねん」を付けて話す。
本作ではインチキ商売において暴力を振るう場面が少なくない。
名前の由来は逃げるという意味の「とんずら」から。
ドクロベエ 声:滝口順平
「泥棒の神様」を自称する謎の男。三悪をそそのかしドクロストーンを探させる。
一人称は「我輩」。毎回やられてぼろぼろのドロンボー一味に対し、
趣向を凝らした「ママより恐いおしおき」を行う。
これがシリーズを通して人気を博した。
ドクロストーンの情報をドロンボー一味に与えて捜索させるが不正確な情報が多く、
ドロンボー一味に無駄足を踏ませることが大部分。
しかし、負けて敗走中のドロンボー一味へのおしおきに関しては割り切って必ず行う。
ドロンボーがガセ情報について抗弁しても無駄であり(抗議に対して逆ギレすることの方が多い)、
おしおきは100%執行される。
すごいすごいw
段々と良スレになってきてるね
作戦が成功してドクロストーンを手に入れたにもかかわらず
「いつもやっていることなのでやっておかないと気持ち悪いから」
という理不尽極まりない理由でおしおきを執行するが、それもそのはず、
このおしおきはドクロベエの唯一無二の趣味だった。
しかも趣味が高じて後半では、誤った情報を流したことに反省したり、
お詫びとしてドロンボー一味に親切にしたりする場面が見られるが、
その実体は「おしおき」であり、結局痛い目に遭わせて楽しんでいるだけだった。
インチキ商売の売れ残りなどに似せたメカか映写機の映像で現れることが多い。
指令が終わると『スパイ大作戦』のパロディで自爆することが多い。
実はドロンジョのファンである。また、阪神タイガースのファンでもある。
その他
ナレーター 声:富山敬
要所要所で「説明しよう」などのフレーズで、様々な解説を行う。
ただし、回が進むと「メカの素」などについてははぐらかすこともしばしばあった。
声を担当した富山はこれ以外にもおだてブタ・おほめブタ・なげきブタも演じていた。
また、劇中の青年キャラも演じることもあった。
登場メカ
ヤッターメカ
ヤッターワン 声:池田勝
ガンちゃんたちが作り上げた犬型ロボ。地上戦専用であり飛行能力はない。
ホネ型のメカの素を食べてパワーアップ、様々な生き物(カバやアリなど)のゾロメカ
「ビックリドッキリメカ」を出動させる。
こんな手の込んだ埋め始めて見たかもw
v(・∀・)v
しかも自我を持っており意外と女好きで、ガンちゃんやオモッチャマの命令は聞かないが
アイちゃんの言うことだけは聞く。
エンジンの起動は手動のクランクハンドル式であり、初期オープニングはガンちゃんが
これを回し起動させるシーンから始まる。
これは、乗員が機外に掴まって移動することとあわせてモチーフになったのが消防車であるためとの
指摘が『BSアニメ夜話』においてなされている。
他にも、頭部エンブレムから紐、エンブレムが開くとそれを引く手が出ていて、
鼻の上の鐘に結び付けられていて、それが鼻の上の鐘を鳴らしている。
その音たるや、当時の消防車のそれである。
更に右手もサイレンを回し、その音もまた然りである。
Wii用ソフト『タツノコ VS. CAPCOM CROSS GENERATION OF HEROES』の宣伝映像として、
2008年12月にみんなのニンテンドーチャンネルで配信された笹川ひろしのインタビューにおいて、
「ヤッターワンの乗り方はSLがモチーフ」「SLを車庫に入れる際、
(乗務員が)SLにぶらさがる姿が好きだった」という趣旨の発言がされている。
自前の攻撃手段には尾の手前にあるノズルからの放水や、
鼻からパチンコ玉の様な弾を連射する「チンジャラ砲」がある。
第2話の予告のみ、鼻から火炎放射をだした。
生身の犬同様縄張り意識が強く、第4話では出動中に「帰り道がわからなくなったときのために」
という理由で電柱におシッコを引っかけマーキングしている場面が見られた。
第45話で大破してしまう。その後、ガンちゃんによってヤッターキングに改造された。
マーキングワロスw
>>241 さすが変態。
言うことが違うね(・∀・)
>>231 煽り続けてこいつの人生無駄に過ごさせた方が
よっぽどだめ〜じじゃね?w
何年続くか見物やなwww
ほれほれ手を動かせよ実験用マウスw
>>243 まぁお得意のどっかのコピペだわな十中八九
>>247 煽り続けても良いことないですよ。
他の人も迷惑するので、煽るのだけは、ほんとやめてください。
250 :
( ´∀`)ノ7777さん:2009/02/02(月) 20:17:35 ID:S2DkQ0MA0
>>247 うん、俺もそう思うようになった
おい、梅垣w
手が止まってるぞw
ありゃまあ、ど、ど、ど、ど、
どんより君ったら相変わらずなんだからぁppppp
ヤッターペリカン 声:池田勝
ペリカン型ロボ。初登場は第14話。
主に飛行による移動を行い空中戦を得意とするが、陸上走行も可能である。
甲高い声が特徴。ペリカンの大好物がドジョウということで、メカの素もドジョウ型。
このドジョウ型メカの素で、鳥形のビックリドッキリメカ
(初期においては「ビッグショックメカ」と呼称)を作る。
ヤッターキング登場後は、最終回の全機出動まで出動はなかった。
ヤッターアンコウ 声:池田勝
アンコウ型メカ。初登場は第27話。主に水中移動を行い水中戦を得意とするが、
飛行や陸上移動も可能である。第28話では出動2度目にして宇宙に出動した。
アンパン型のメカの素で魚類などのビックリドッキリメカ
(当初は「ビックラヒャックラメカ」とも呼称)を作る。
ヤッターマンが内部に乗り込むことができる潜水艦メカであるが、
他のヤッターメカ同様に機外に掴まって搭乗することもできる。
通常の口以外にもコクピット内にある口からもメカの素を食べさせることができる
(この機能はヤッタードジラに継承されている)。
ドロンジョには「ヤッターナマズ」と呼ばれていた。
なお、ヤッターアンコウがゾロメカを出すときのファンファーレは
前作の「タイムボカン」で「今週のハイライト」
(マージョ一味が丹平たちを爆殺しようとする)の場面に使われていたものに、
水泡音のエフェクトをかけたものである。
武器はヤッターワン同様の放水や背びれのカッターなど。
さらには口の中にハンマーや鉄鍋などの凶器を隠していた。
ヤッターキング登場後は、第54話でヤッターキングに格納される形で出動した他は、
最終回の全機出動まで出動はなかった。
ヤッターキング 声:池田勝
第45話で大破したヤッターワンを改造、第46話より登場した。
遙かに大型化し、後方に大幅に長くなった胴体部を持つ。
ヤッターマンたちは外部側面に捕まって移動するが、
第64話で宇宙に出動した際には内部に乗り込んだ。
メカの素はヤッターワンと同様に骨型だが、重量が10倍重くなっており、
その分パワーも10倍である。
ヤッターワン同様、様々な生き物のビックリドッキリメカを出すが
ヤッターワンの時とは違った生き物が出てくることが多く、
ヤッターワンの時の「常連」のゾロメカ(カバやスカンク)も出てくることがあった。
また、赤鬼や河童、昔話の主人公(桃太郎など)が出てくることもあった。
チンジャラ砲や放水も、ヤッターワンから継承されている。
後に胴体部に他のヤッターメカを格納できるようになり母艦(もしくは移動要塞)役としても
働くようになった。第54話でヤッターアンコウを格納したのが最初である。
第58話からは毎回ヤッターパンダ&コパンダ、ヤッタードジラ、ヤッターブルを格納して
基地を発進するようになった。胴体部の前半分が上に持ち上がって格納メカを発進させる。
ただ最終回でヤッターペリカン、ヤッターアンコウを格納して出動したときのみ、
口からスロープを下ろして発進させている。
ちなみに第54話と最終回ではヤッターキングとヤッターアンコウの大きさの比が
画面上で明らかに異なっている。
ヤッターゾウ 声:池田勝
第91話より登場した、ヤッターキングの後継機となる大型のゾウ型母船メカ。
ヤッターキング同様巨体で、これまでのメカと同様外部側面に捕まって移動するが、
内部に乗り込むこともできる。ダンボのように耳を駆使して飛行が可能。
キングと違い、ビックリドッキリメカを出動させるシーンが無かったため、
ゾロメカを製造することができるかどうかは不明。
また戦闘シーンもこれと言って無かったが鼻から水を放水可能。
ブル、ドジラ、パンダ&コパンダ、よこづなを搭載している。
勝利のポーズの後起こす地響きはキングをも上回る衝撃で、
最終回はキングと並んで勝利の四股を踏んだ。
ヤッターパンダ&コパンダ 声:池田勝・滝沢久美子
パンダ型のメカ。コパンダは名の通り子供で、普段はパンダの頭上に乗り、
サイレンを手動で回す。初出動は初登場した第58話。
パンダの主食は笹なのだが、なぜかサトウキビ型のメカの素で野菜と果物をモチーフにした
ビックリドッキリメカを作る。肩からフットボールタイヤが飛び出して攻撃する。
ファンファーレはコパンダの咥える笹笛。
ヤッタードジラ 声:田中勝、富山敬(58話)
恐竜型の小型潜水艇メカ。第58話でその姿が披露され、初出動は第59話。
脚部の足部分はスキー板状になっており、水上や雪山の滑走などが可能である。
ひょうきんな印象を与える表情の顔ととぼけたしゃべり方が特徴で語尾に
「○○ズラ」を付けて話すクセがある。
ドラ焼き型のメカの素で日用品をモチーフにしたビックリドッキリメカを作る。]
他のヤッターメカとは違い、ゾロメカを複数作ることがあり、これらを組み合わせて攻撃する。
メカの素は口に放り込む以外にコックピット内にあるドジラの顔型レリーフの口からも
食べさせることができる。尻からファンファーレメカの卵を産む。
ファンファーレメカは鍵盤ハーモニカでの演奏が終わると跳びあがってドジラの尻の穴に戻る。
ドロンジョにビア樽と揶揄される回もある。
ヤッターブル 声:池田勝
ブルドッグ型メカ。第58話でその姿が披露され、初出動は第63話。第64話では宇宙で戦った。
逆立ちをした変わった姿で行動。
少し恥かしがりやな性格だが、タフで一度噛み付いたら絶対に離さない。
ホットドッグ型のメカの素でビックリドッキリメカ
(ボヤッキー曰く「犬が拾ってくる物」(靴など))を作る。
ドロンジョにはさまざまな名前(ヤッタースピッツ、ヤッタードーベルマンなど)で呼ばれる。
出番は11回と一番少ない。最終回以外ヤッターゾウから出動してない。
ヤッターよこづな 声:緒方賢一
横綱(闘犬)型メカ。初登場はヤッターゾウと同じ第91話。
白い球形(番組内では白星型と説明していた)のメカの素で
お菓子やパンなどをモチーフにしたビックリドッキリメカを作る。
闘犬をモチーフした割には体格が異常に華奢であり、
毎回悪玉メカと相撲をとるも負けてばかりいた。
ドロンジョが「ヤッター前頭三枚目」、「ヤッターおむすび」または
「ヤッターふんどしかつぎ」とおちょくる。
ビックリドッキリメカを出す際には化粧廻しをブラウン管に見立ててそこに呼び出し
(声:滝口順平)が登場し、メカの名前を読み上げるという趣向になっていた。
ビックリドッキリメカ(ゾロメカ)
各ヤッターメカのピンチに際しガンちゃんの与える「メカの素」により、
ヤッターメカの内部で大量生産される、毎度姿の異なる小型メカ。
当初は「ビックリドッキリメカ(ワン)」「ビッグショックメカ(ペリカン)」
「ビックラヒャックラメカ(アンコウ)」と、各ヤッターメカにより「正式名称」
は若干異なっていたが、後に「ビックリドッキリメカ」に統一された。
ドラムロールあるいはファンファーレの後に登場、例えば「鍋!鍋!鍋!……」
「ひつじ!ひつじ!ひつじ!……」など、自分の姿その物の名前を延々と連呼しながら出てくる。
ほとんどの場合ヤッターマンのエンブレムを身に着けている。
よってたかってドロンボーメカに取り付き、切り刻み、喰い荒らし、解体し、最後は爆発させる。
中期からはヤッターマンに対抗してドロンボー一味もゾロメカを出すことが多くなる。
そのメカはまるで事前に打ち合わせでもしたかの様に、
その回のヤッターマン側に対抗したもの(例(カッコ内はその回でのビックリドッキリメカ)
バリカン(羊メカ)、中学生用の鞄(ランドセルメカ)など)。
もちろん身に着けているのはドクロマーク。ヤッターマンの裏をかいたつもりのようである。
終盤は双方のゾロメカが合戦や歌合戦、クイズ合戦などで対戦し、
負けた方の本体が自爆するというパターンに落ち着く。
最終回はヤッターキング以下ヤッターワン以外の全てのメカが登場、
ヤッターキングのファンファーレと共にビックリドッキリメカ大行進となる。
出動メカの選択
1977年期(第27話〜第47話)
第14話のヤッターペリカン登場後、ヤッターワンとどちらを出動させるかについては
特に描かれなかった。
ただ、ヤッターワン出動時のみガンちゃん・アイちゃんの通常と異なる
変身パターンが描かれた。
ちなみにその変身パターンはヤッターアンコウ登場後は見られなくなっている。
第27話のヤッターアンコウ登場後、ヤッターキング登場直後までは、
基地における出動メカの選択シーンが描かれた。
コンピュータシステムと連動した壷でサイコロモードのオモッチャマを振り、
出た目の数が1,2ならヤッターワン、3,4ならヤッターペリカン、
5,6ならヤッターアンコウを出動させた(ちなみに2の目は一度も出ていない)。
ただし、回によってはルーレット型システムやスロットマシン型システムが用いられた。
第41話ではヤッターアンコウの提案でメカ同士でじゃんけんをして、ヤッターワンが出動した。
第44話ではオモッチャマが中途半端に止まってしまい、1と4が出てしまったため、
ワンとペリカンがそろって出動した。これが初の複数メカ出動となる。
第46話,第47話では1が出てヤッターキングが出動する。
第48話からは基地でのメカ選択シーンは描かれなくなった。
1978年期(第58話〜90話)
第58〜79話ではグー子、チョキ子、パー子(いずれも声は滝沢久美子が担当。
外見上区別がないので名乗らないとわからない)による椅子取りゲームで、
ブル・ドジラ・パンダ&コパンダのいずれか一体を選択し発進させる。
グー子が勝てばヤッターパンダ&コパンダが、チョキ子が勝てばヤッタードジラが、
パー子が勝てばヤッターブルが出動する。
ただ、:第66話では椅子取りゲームがドロンボーメカに妨害されたためいずれも発進できず、
ヤッターキング自ら応戦しビックリドッキリメカを出動させた。
第80〜90話ではお見合いダック(声:滝沢久美子)
(エンディングでは「アヒル」と表記された)が用いられた。
回によってはメカの選択シーンが省略された。
第91話以後、母艦がヤッターゾウに代わってからは出動メカの選択シーンは描かれていない。
ドロンボーメカ
ドロンボー一味のメカ
第1話でのレストラン→台所用品をモチーフにしたダイドコロンなど、
その話のインチキ商売がテーマとなっているデザインのものがほとんど。
ヤットデタマンのミレンジョ一味の巨大メカと同じくコアとなるメカが存在しないのも特徴。
脱出用自転車
ドロンボー一味が敗北しメカが爆発した後、帰還するために使用する自転車。
3人で「エイホ」と声を掛け合いながら漕ぐ。
特に固有の名称はないが、先頭部分にドクロベエからの受信機が付いており、
大体これを漕いでいるときにドクロベエのおしおきを受けるため
「おしおき三輪車」と通称されている。
構造は縦列3輪で一輪車を3両繋いだ構造をしている。
補助動力なのか、何らかの噴射機構のような物を三基備えているように見えるが、詳細は不明。
また、ステアリング機構がない。
コクピットメカ
なんまんだぶ 声:富山敬
袈裟をつけた坊主型ドクロのメカ。
ドッチラケメカ 声:田中勝
メカ爆発時に「ちんちろりんのドッチラケ」と登場する骸骨型のメカ。
一見すると女子高生のような服装だが、ヒゲが生えている。
アクション予報メカ 声:富山敬
ゲタの形をしたメカで天気予報風に戦いの結果を予言する。
おだてブタ 声:富山敬
本作中では代表的なコクピットメカ(キャラクター)の一つだが、登場は意外と遅く、
後半の60話以降から。
その名の通り♂ブタ型のコクピットメカで、ヤシの木を登って
「ブタもおだてりゃ木に登る」と言う。
主にボヤッキーがドロンジョにメカの出来栄えを褒められ、
得意気になった頃合いに現れる事が多い。のちにテーマ曲も作られている(後述)。
お褒めブタ 声:富山敬
65話にて初登場。扇子を持ち、赤いちゃんちゃんこを着たブタメカシリーズ第2弾。
なげきブタ 声:富山敬
67話にて初登場。負けそうになったり、負けが確定すると現れる
おばさんブタ型コクピットメカ。時折台詞が変わることがある。
おだてブタ、お褒めブタと違い、色は赤。
名称不明のカラス
58話にのみ登場。3羽のカラスが出てきて「アホー、アホー、アホー」と歌うと引っ込む。
トリオ・ザ・ビックリ 声:富山敬
第99話で出てきた三人組のメカで「ビックリー」「トックリー」「シャックリー」と歌う。
アキレカエル 声:西川幾雄
第106話にのみ登場した帽子をかぶった紳士風のカエル型メカ。
10日目クリア!
と流れを読まず携帯から書き込み。
スタッフ
製作 - 吉田竜夫(36話まで)、吉田健二(37話以降。クレジット表記はされず。)
企画 - 鳥海尽三、酒井あきよし
原作 - タツノコプロ企画室
音楽 - 神保正明、山本正之
協力 - 魔人社音楽工房
チーフディレクター(総監督) - 笹川ひろし(全話)、原征太郎(58話まで)
プロデューサー - 柴田勝、永井昌嗣
キャラクターデザイン - 天野嘉孝、中森恵子、高田明美
メカニックデザイン - 大河原邦男
美術担当 - 岡田和夫、横瀬直人
制作協力 - アニメルーム
制作担当 - 内間稔、鈴木利幸、大野実(読売広告社)、嘉義良隆、小林正典、中野政則、
横尾潔(タツノコプロ)
制作デスク - 横尾潔
制作 - フジテレビ、タツノコプロ
吉田竜夫は放映中の1977年9月5日に他界。
その後は竜夫の後を継いだ弟の吉田健二が製作の指揮を執った。
しかし本作では健二の名はクレジットせず、最終回まで竜夫を製作者とした。
主題歌・挿入歌など
レーベルは全てビクター音楽産業。
特に『ヤッターマンの歌』は山本正之の歌唱作品としては
最大の50万枚を超える売り上げを記録した。
ツルマルボウイさん、ここまで荒らされるとさすがに怒りが込み上げてきます。
そこで書き込み止めようかと考えてます。
梅垣対策はそれしかないのでは?
住民がこのスレから去っていったのと同様に、梅垣の回りには誰もいないのでしょう。
梅垣は人として終わってます。
>>262 荒らしに屈するのはうざいので、ここはここで荒らしが去るまで
継続するとして、ギャンブル板にでも避難スレを立てるのがいいのかな?
で、次スレを立てるときは
>>1に、避難先を書いておいて、
新規の人を誘導するのはどうでしょう?
264 :
( ´∀`)ノ7777さん:2009/02/02(月) 21:03:15 ID:hgeyeYfdO
埋めネタのコピペ捜し4時間 スレ張る用のコピペ 8時間 オナヌー用のネタ探し 3時間 オナヌー 3時間 睡眠 6時間
梅垣です。こんな一日ですが何か?
30日目クリア!
順調順調。
>メイトピアさん
みんながその対策をしたらスレがなくなってしまいます・・・。
止めることはできませんが・・・。
俺はまだまだ頑張るですよん。
人生の対局にいる人間を反面教師にできるってのは経験として悪くないかと。
梅垣ってリアルじゃ絶対に見ることのできない人種ですよね。
う〜ん、パソコンから専用ブラウザで見ている人はあぼ〜んすれば問題
ないですけど、携帯派の人にはつらい状況ですね。
避難先は俺が間違えて立てた重複スレか、特に利用されていない禁スロ雑談?
スレなんていうのがあるみたいなのでそこを活用しますか?
>>究極美猫さん
1ヶ月達成オメ!です。すみません、お名前、どう読んだらいいのか
教えてください(^^;
梅垣さんな〜。これ手動でWikiから引っ張ってきてるんですかねえ・・・。
書き込み速度の機械的正確さを見ると自動投稿しているようにしか
みえません。
ツルマルボウイさん、移転もいい案ですね。
梅垣に人としてのプライドの欠片が残ってれば、移転先には来ないでしょう。
>Aさん
おめレスありがたしです。
適当に付けたハンドルなんで、自分でも読み方がよくわかりません(笑
別板移転案もいいかもですね。
板違いにならない程度で。
>>究極美猫さん
勝手にきゅうきょくメイマオ(後半中国語読み)と読んでました(^^;
特に読みは無いんですね。把握しました!
移転案が出ていますね。俺は出来ればこの板でやっていきたいなとか
思います。禁スロならスロサロかな?と検索してたどり着いた人間なので。
他の板にスロットや、ギャンブル依存克服スレがあるなんてまったく
考えもしなかったんですよね(^^;冷静に考えるとおかしいですよね。
271 :
ステップ野郎:2009/02/02(月) 21:45:13 ID:dSRPZTXRO
みんな
闇金牛嶋君読んでくれ
スピリッツでコンビニ行けばあるから。。
今週号は辞める決意固まるぞ。。
メイトピアさん、究極美猫さん
移転じゃないですよ。「一時的に」避難所を作るだけで、
スロットサロンにも残す予定です。
荒らしが去ったら、またこちらで復活ですわ。
>>271 情報サンクス。
早速明日読むことにします。
>>270 冷静に考えなくてもおかしいけど…
ま、A君はおいどんと同じ『ややあっち系のカテゴリー』くさいからいいや。
>>271 年末に全巻一気読みしました。今週のはギャンブル関連の話
なのかなあ。俺も読みに行きます!
>>274 リアル生活では「話せばわかるヤツばっかり」な人生送ってき
たもので、なんか必死こいて色々レスつけまくってたので「あっち」
の人と思われても仕方ないですね。
世の中そうでもないということを学びました。
>>276 ツルマルボウイさん
そこに立てたらそっちが本スレになりそうですねw板的に。
おいどんね、なんで梅dがこんなに張り切って埋めてるのかがサパーリ分かんないけど
一時的の非難ってあんま意味ないと思うよ。
だって梅dは超古参だもん。
戻ってきたところで見つけ次第同じことするだろうね。
飽きてたら別だけど、みんなが変わらない限りね。
嵐をスルーするといいつつ出来ない。
クリアと書き続ける事すら嵐がいると出来ない。
禁スロ以前に何かをやり続ける根性が足りないんじゃない?
嵐がいたってクリアぐらい書けるだろーに。
スルーも出来ない人々はどっかに逃げるのがお似合いなのかもだけど
みんなで相談してせーのっで避難とは……
仲良しで羨ましいからおいどんも(・∀・)ついて行っちゃう♪
>>277 やっぱりか!!
お前のヌクヌクした書き込み…おいどんと同じ平和ボケの香りがプンプンだっ!!
書き忘れてました。クリア!です。あと7日で5ヶ月!盛り上がってまいりました。
このテンションを維持しつつ、クリアしたいな。
ちょw
独りで盛り上がっww
さぶっwww
みんななーんか梅を誤解してる気がする(´・ω・`)
そりゃ
わっかるかな〜
わっかんね〜だろ〜な〜
言われるわ。
>>279 平和といえば平和ですねw職場、友達関係でどうにもこうにも
嫌い!な人間って4〜5人しかいないような変な性格なので。
たまたまなんですかね、相互理解不可能っていう人間に今まで
出会わなかったのは。
おっと俺のこととかどうでもいいや。無駄に連続投稿
してしまいました。
>>278 これみよがしの避難ですよね
いまの悪がきと同じで
「あいつがうぜえからあっちで遊ぼうぜ」
って見えます
そして誰とは言わないけど自演が発覚してます
腐ったにほいがプンプンしますよこのスレッド
いっとくけど
梅垣さんに疎外感を味合わせようとしても無駄ですよ
今では只の埋め作業ではなく「書き込む意味のある情報」を2ちゃんねるに与えていますから
仮面ライダー然り、ヤッターマンもね
彼をまだ荒らしと呼ぶあなたたちは
その単語でこの問題を片付ける狭量さを身をもって知るべきだと思います
あなたちの「くりあ」と梅垣さんの知識情報コピペではどちらが価値があるのか
第三者から観たらあなたたちはどう映るのかをよく噛み締めるべきとも思う
リアルでも中途半端に逃げ回る姿が本当に目に浮かぶようですよ
お金から
仕事から
自分自身から
ずっと逃げていれば楽だよね
う〜ん、いまいち
このひとたちにはインパクト無いだろうなあ
もうおいらじゃなくても誰かに言われてるだろうし
289 :
( ´∀`)ノ7777さん:2009/02/02(月) 23:05:34 ID:hgeyeYfdO
凄い自演でつね♪
(゚Д)゚ ビックラコイタw
>>284 そうなんだよね〜
で、なんかどっと疲れる瞬間があるんだよね〜
>>286 ごめん。おいどん実はおいらなんだ…おいらがおいどんでおいどんがおいらで…
つかマジレスなのに
>仮面ライダー然り、ヤッターマンもね
↑
内容がwww
>>293 どうせここの人達こんな文章読んでないからいいやって書いてポチっとしたんだ
見直してからヤベって思っちったww
戦闘?誰もおいらの相手になんないでそ?
295 :
はち:2009/02/02(月) 23:32:19 ID:bmCJI2D+O
別スレでも参加者の禁スロが続くのなら非難スレは賛成
俺はこのスレに多少愛着があるのでここで続けます
へんなのも数人おるけど、このスレのおかげで禁スロが続いているので
これからもクリアーを重ねます
でもスレ立てだけはどうかどなたかお願いします(^_^;)
>>294 >仮面ライダー然り、ヤッターマンもね
↑
これ見た瞬間、今ならおいどん勝てるかもってオモタ
けどおいら君は陰陽師だから刃向かわないが吉
>>295 変なのって><
2ちゃんでフツーにしてても><
最近ミッチーいないのねン
>>296 呪い殺さないから安心汁w
もう無駄だなって思ったらごめんなさいしちゃうから
喧嘩にすらならないおきっと
だから戦闘にはならないとゆー
>>299 手から変な粉出しながら何言ってんの>< コェー
>>300 これはだんご粉や!
自前で作ると楽しいお?白玉だんごとかあんころもちとか
もう少しでよもぎも採れるからよもぎモチとかさ
やっぱ自然派だよねー
とか言ってたら料理いたの主婦にフルボッコにされたんだけど
2ちゃんねるって奥が深いよねー
いやいや、戦闘じゃなく
こういう寒い夜こそ、v(・∀・)vちゃんとおいどんちゃんと一緒に
スーパー銭湯やろもんwww
しっかし、こいつら見てると日本の未来は大丈夫なんかのぉーーー
おいもそげん言うごたる歳になったかて思うと
うれしかーーーーーーーーーwwwww
>>302 なかなか粋な埋めかたに感心しきりですよ
スーパー銭湯よりちゃんとした温泉行きたいんだけども
おいどんもおいらも人見知り激しいから実現は来世になりそっかな?
それはそれでもいいと思ってるけど、
おいらは梅垣さんやおいどんと2ちゃんねるで会話ができるのが何より嬉しいですよ
>>262 あなた、他人様を語れるんですね
そういうあなた様に評価していただき真にありがとうございます
>>263 新規のひとは来ないよ
あんたらのヘタレな姿見てもうたからね
>>264 名無し潜伏 乙!
>>265 当たりまえじゃん!ここ2ちゃんだよw
>>267 手動ですよー、プライベートでも、色んな器具とか使うの嫌いです
>>268 だから、おまえに人間ってもんが語れるのかってーの?
気付いてないのか?自分の薄っぺらさを曝け出してるだけだぜ
心配せんでも、移転先には行かんよ
オレはこのスロサロに相応しくない住人によって
不法占拠されたスレを葬り去ろうとしてるだけだから
人を語るのは自分を知ってからと思うな
自分を知らないままに他人を語る人は滑稽に見えるんだ
それが演技なら笑えるだろうからそれでもいいけど
それがマジレスなら哀れとしか言いようがない
「ある誰か」を貶める為にそれを書いているのならば
恥を知れと思うんだ
>>303 例の外野から意見さんが、意味の無い連続コピペだけはやめろ!
とか言ってたんで、ちょっと趣向を変えてみただけですよ
ペーストしながら自分でも、あれ、そうやったのかとか
懐かしいなとか思ったり思わなかったりwww
でも、おいどんちゃんはどうしてここに出現したんでしょうかねぇ?
それだけが大いなる謎ですwwwww
リアルでは・・・・・とか
いい加減恥ずかしいから、
そのパターンはもうやめといたほうがいいと思うよ
『ヤッターマンの歌』『天才ドロンボー』を収録したシングルは、
2008年にJVCエンタテインメントのflying DOGレーベルからCDで復刻された。
その際、「タイムボカン王道復古」のために制作された『ヤッターマンの歌'93』が追加され、
それぞれのカラオケも収録されている(『天才ドロンボー』のカラオケのみモノラルでの収録)。
『ヤッターマンの歌』(第58話まで)
作詞:若林一郎 補作詞/作曲:山本正之 編曲:神保正明 歌:山本正之、少年少女合唱団みずうみ
初代オープニング。
『ヤッターキング』(第59話以後)
作詞・作曲:山本正之 編曲:神保正明 歌:山本まさゆき、スクールメイツ・ブラザーズ
2代目オープニング。
リメイク版の1話では、アイちゃんの携帯電話の着信メロディとして同曲のBメロが流れていた。
『天才ドロンボー』(第58話まで)
作詞・作曲:山本正之 編曲:神保正明 歌:小原乃梨子、八奈見乗児、たてかべ和也
初代エンディング。劇中ではメカを作る際によく歌っていた。34話の劇中では
高速バージョンで流れた。
シリーズであることを強調するため、前奏や間奏を『タイムボカン』のEDである
『それゆけガイコッツ』とものを流用しており、同じ理由で劇伴も一部は
「タイムボカン」のものを流用している。
本作があまりに有名であることからこのベースの旋律が三悪の象徴として扱われる。
しかし、実際にはテレビシリーズのEDとして使用されたのは
『それゆけガイコッツ』と『天才ドロンボー』のみで(他にはOVAのEDである
『さんあく18年?君を離さない チュ☆』、『怪盗きらめきマン』挿入歌の『壊盗ドロンボー』がある)、
さらに三悪の担当声優が歌った物は後者のみである。
『ドロンボーのシラーケッ』(第59話以後)
作詞・作曲:山本正之 編曲:神保正明 歌:小原乃梨子、八奈見乗児、たてかべ和也
2代目エンディング。Yahoo!動画やカートゥーンネットワークの再放送では、
エンディングは初回から『ドロンボーのシラーケッ』を流している(途中で背景のアニメが変わる)
(キッズステーションの再放送でも、放送枠によって同様に流している)。
また『タイムパトロール隊オタスケマン』の第6話にて、何らかの手違いがあったのか
EDとして使用されたこともある。
なお、DVDでは本放送と同様に『ドロンボーのシラーケッ』がかかるのは『ヤッターキング』が
オープニングになった回からである。
『おだてブタ』
作詞:松山貫之 作曲・編曲:筒井広志 歌:筒井広志、スクールメイツ・ブラザーズ
挿入歌として使用された。
『ドロンボーのなげき唄』
作詞:松山貫之 作曲:山本正之 編曲:神保正明 歌:小原乃梨子、八奈見乗児、たてかべ和也
セリフ:富山敬、滝口順平
アナログ17cmシングル盤『おだてブタ』のB面だったが、本編では使用されなかった。
『ドクロベエさまに捧げる歌』
作詞:若林一郎 作曲:山本正之 編曲:神保正明 歌:山本正之、小原乃梨子、八奈見乗児、
たてかべ和也
自転車で逃亡時に、このインスト型がよく流れる。
山本正之が歌う歌入りバージョンは劇中では使用されていないが、
第9話、第10話では三悪がインスト型に歌を乗せている。
『ヤッターマン・ロック』
作詞:若林一郎 作曲:山本正之 編曲:神保正明 歌:山本まさゆき、少年少女合唱団みずうみ
インスト型が戦いのシーンでよく使われる。
なお、歌入りのバージョンは第33話の冒頭で聴くことができる。
各話リスト
話数 サブタイトル 脚本 演出 作画監督
1 ヤッターマン出動だコロン 鳥海尽三 笹川ひろし 宇田川一彦
2 プジィプトの水売り娘だコロン 鈴木良武 奥田誠治
後藤雷太 芦田豊雄
3 フロダリビーチの大王だコロン 山本優 石黒昇
後藤雷太
4 北極海のアザラシだコロン 奥田誠治
長谷川康雄 宇田川一彦
5 イルカ王国の宝だコロン 石井喜一 石黒昇
後藤雷太
6 トンカの神殿を守るコロン 鈴木良武 布川ゆうじ 田中英二
7 レオのカーニバルだコロン 陶山智 石黒昇
長谷川康雄 さかいあきお
8 イマラヤの雪男だコロン 山本優 奥田誠治
後藤雷太 海老沢幸男
9 アフリシャ探検だコロン 掘田史門 大貫信夫
10 ナス湖のナッシーだコロン 山本優 小林三男
長谷川康雄 宇田川一彦
11 ナゾの三角領域だコロン
(最高視聴率28.4%) 原征太郎 みぶおさむ
12 トースター島の秘密だコロン 佐藤和男 奥田誠治
後藤雷太 宇田川一彦
13 びっくりアマゾメスだコロン 毛利元 真下耕一
14 大怪盗ドンパンだコロン 山本優 芦田豊雄
長谷川康雄 芦田豊雄
15 ナイプスの少女だコロン 平和元 布川ゆうじ 田中英二
16 ヤメタイ国の女王だコロン 毛利元 石黒昇
後藤雷太 宇田川一彦
17 ビートラズは歌うでコロン 山田ひろし 芦田豊雄
長谷川康雄 海老沢幸男
18 赤ちゃんパンダが生れるコロン 原田益次 真下耕一
19 ああ!フンバルジャンでコロン 山本優 布川ゆうじ
真下耕一 田中英二
20 暗黒街のカッポレだコロン 奥田誠治
後藤雷太 宇田川一彦
21 燃えよ!レッドスリーだコロン 掘田史門 奥田誠治
長谷川康雄 アベ正己
22 ナイババの宝だコロン 鈴木良武 大貫信夫
23 フラダースの猫だコロン 小出良一 奥田誠治
後藤雷太 入間市
24 ナイチンガールは天使だコロン 鈴木良武 奥田誠治
長谷川康雄 宇田川一彦
25 ナゼカ平原の宇宙人だコロン 芦田豊雄
野村和史 海老沢幸男
26 狼女がやって来たコロン 掘田史門 真下耕一
大貫信夫 大貫信夫
27 地底国の大冒険だコロン 山本優 布川ゆうじ
原征太郎 田中英二
28 月世界のかぐや姫だコロン 毛利元 石黒昇
長谷川康雄 アベ正己
29 ソーケー牧場の決闘だコロン 石井喜一 奥田誠治
野村和史 林政行
30 キングモングの島だコロン 山本優 原征太郎 田中英二
31 ドビンソン・クロースルだコロン 吉田喜昭 長谷川康雄
芦田豊雄 海老沢幸男
32 南極点のドクロだコロン 桜井正明 奥田誠治
野村和史 芦田豊雄
33 モーロック・オームズだコロン 山田ひろし 布川ゆうじ 田中英二
34 謎のヘンクツ王だコロン 山本優 奥田誠治
野村和史 アベ正己
35 海底ほとほとマイルだコロン 鈴木良武 大貫信夫
36 ハルメンカスバに帰るコロン 竹内進 奥田誠治
野村和史 林政行
37 ケチスの商人だコロン 山本優 真下耕一 田中英二
>>306 おいどんとおいらはたぶんもう一蓮托生なんですよきっと
おいらが磯巾着ならおいどんはクマノミ
みたいな?
>>306 うん。だいたいそんな感じ(梅の想像してる通り)であってるとおもry
>>314がいるとは知らずに書いた
>>315の背中が泣いている…
今夜もそっとおセンチ気分でハミングするの
>>314 あ、なんか学生時代の連れション腐女子思い出した
>>315 いや、そんな感じって、全然答えになってませんからww
38 忍者サスケは男だコロン 毛利元 奥田誠治
長谷川康雄 宇田川一彦
39 エカコシストだコロン 山本優 富野喜幸
長谷川康雄 芦田豊雄
40 ブーブルースのカップだコロン 是恒雄太 大貫信夫
41 ピノッキンは良い子だコロン 掘田史門 奥田誠治
長谷川康雄 宇田川一彦
42 国際列車パニックだコロン 竹内進 奥田誠治
野村和史
43 白鳥の王子だコロン 鈴木悠紀 奥田誠治
長谷川康雄
44 ドロンボー三銃士だコロン 鈴木良武 芦田豊雄
長谷川康雄 海老沢幸男
45 雪女の秘密だコロン 石井喜一 奥田誠治
野村和史 林政行
46 アイアムテルは勇者だコロン 小出良一 芦田豊雄
案濃たかし 酒井あきお
47 家あり子の冒険だコロン 海老沼三郎 奥田誠治
長谷川康雄 宇田川一彦
48 死のレースに挑戦だコロン 山田ひろし 野村和史 海老沢幸男
49 オニエ山のスッテン童子だコロン 山本優 奥田誠治
長谷川康雄 アベ正己
50 柿太郎の鬼退治だコロン 平和元 奥田誠治
野村和史 林政行
ではでは、とりあえず2日間での目標容量達成したので寝ますわ
おやすみなさい ノ
なんかもうよくわかんなくなってきたなあ。知恵熱出そう。
俺もいつまで継続できるか正直わかんないですけど時間作れる
限りはこのスレにクリア書き込みしようかな。ふら〜っと違うとこ
いくかもしれないけど今はちょっとそういう気が起きないような。
避難スレにはここのテンプレとか卒業された方たちの名前とか継承
されるのかなあ。見守ろう。そうしよう。
おはよー(・∀・)
2ちゃんで知恵熱とかやめてー(^Д^)
ウホッ!良い男!
公園でベンチに座った男がファスナーを下ろし
「やらないか?」
↑
これくらい有り得ないからw
>>323 くそみそテクニック
くそみそテクニックは「薔薇族」1987年漫画増刊「バラコミ」2号に掲載された
山川純一の一話完結の漫画である。
インターネット上での「ヤマジュンブーム」の火付け役となった作品であり、
山川純一の代表作。コミカルな作風と魅力的かつ個性的なキャラクター、
独特の語彙で同性愛者でない者にまでファンを生み出した。
山川作品としては比較的後期の作品に当たる。
シチュエーションは初めて出会ったホモ同士が尻の中に小便をするというだけの内容である。
1987年に初めて発表されて以降10年以上の年月を経て、
2002年頃からあやしいわーるどなどのネット掲示板で作品の一部が違法公開されたことから、
注目を浴びる。
ユーモラスな内容と、同性愛者でなくともそれほど抵抗感なく読める作風であったため
話題となり、さらに2ちゃんねるなどへ飛び火、作中のセリフ「ウホッ! いい男……」
「やらないか」などの「ヤマジュン語」が、一部のネットユーザなどの間でブームとなった。
2004年にファンの強い要望により復刻された作品集「ウホッ!!いい男達
ヤマジュン・パーフェクト」では、本作の登場人物が表紙絵として使用された他、
2007年放送のTBS系列の番組個人授業IIでも紹介されるなど、
山川作品の中でも最も高い人気を集めている。
爆発的なブームは既に過ぎ去っているが、「ウホッ!いい男」や「
やらないか」などの言葉はネット上で定着しており、2ちゃんねるなどで頻繁に使用されている。
また、二次創作も活発に行なわれており、小説や歌、アニメ、朗読、ダンス、
コラージュなどの作品が多数製作されている。2008年11月には「やらないかTシャツ」も発売。限定品ながら即完売となった。
予備校に通う「男に興味がある以外はごく一般的な男の子」である道下正樹。
ある日、帰宅途中に尿意を催し、公園の公衆トイレ目指して急いでいた道下は、
その近くのベンチに座っていた男前の男性・阿部高和を一目見て、
思わず「ウホッ! いい男」と欲情してしまう。
すると彼は突然ツナギのホックを外し始め、自らの逞しい陰茎を道下に見せ付け
「やらないか」と誘うのだった。
突如、このトイレがハッテン場として有名であったことが道下の脳裏をよぎった……。
道下は、阿部に誘われるままホイホイとトイレの個室に連れ込まれて裸に剥かれ、
口技により射精寸前まで導かれた所で尿意を思い出す。
すると阿部は自らの肛門内で放尿するよう命じ、自らもあっという間に全裸になり道下を促す。
戸惑う道下だが、阿部の臀部の格好の良さに感じ、
意を決して背後から阿部の肛門に陰茎を挿入し、放尿し終るとともにオーガズムに達する。
直腸に注入された尿を排出した阿部は、自らの睾丸が大きいことを道下に確認させると、
有無を言わさず道下の肛門に陰茎を挿入する。しかし道下は便意を訴え……。
便意を訴える道下に阿部がツッコミを入れるシーンで物語は終っているので、
その後どうなったのかは不明。
登場人物
道下 正樹(みちした まさき)
この物語の主人公。予備校に通う学生であり、同性愛者であると自覚している。
公衆トイレでのホモセックスは未経験であるにもかかわらず、
いい男が居れば尿意さえも忘れてホイホイ付いて行ってしまう好き者。
その他の個人情報は作中では一切触れられていない。
「僕の性活論」と言う同作者の短編には同じく道下姓を名乗る男性が登場するが、関連性は不明。
阿部 高和(あべ たかかず)
自動車修理工の男性。ツナギを袖まくりで着ているのが特徴。
道下と同じく、その他の細かい個人情報は一切不明である。
主人公の「ウホッ! いい男……」と言うセリフからもわかるように、容姿は男前である。
なお、同性愛者なのか両性愛者なのかは不明である。
ホモ・セックスの熟練者であり、ノンケでも構わず肉体関係を持つことができる。
道下に「すごく…大きいです…」と言わしめるほどの睾丸の持ち主。
性格は大胆で、やったこともないような特殊なプレイでも思いついたら
物怖じせずにどんどんやってみるタイプである。
道下との間では、終始余裕の態度で彼をリードしてやり、
自らは作中では一度も射精しなかった。
男性
最後のワンシーンに突然現れたスーツ姿の中年の男性。
顔を赤らめ、道下と阿部の声が聞こえてくるトイレの個室の方に目線をやっている。
顔が赤いのは、単に飲酒していたせいなのか、
それとも二人の行為に気付いたためなのかは不明である。
「ウホッ! いい男…」
山川純一作品全体を総括すると言っても過言ではないほどの名言。
インターネット上で大人気となり、後に発刊された作品集のタイトルにも用いられた。
作中では「いい男」「イイ男」など、表記に若干のぶれがある。
「すごく……大きいです……」
道下が阿部に、阿部のキンタマを見た感想を求められた時の一言。
インターネット上のヤマジュンファンの間では、
何かを評価したい時に「すごく……○○です……」のスタイルで用いる。
「しーましェーン!!」
阿部に大便の便意を催したことを咎められた際の珍妙な謝罪の一言。
朝からこの展開…
ウホッ!!
おはようございます!
今日は一日中雨な地域在住のAです。今日も張り切って禁スロしよっと。
今週はこう、ちょっと気合の入った料理を作りたいなと思案中。
パチ屋に向けたい足をスーパーに軌道修正して打ちたい気分を押さえてます。
材料購入で時間潰す→作って→ウマー!を繰り返すとスロ欲求に「そんなことより
うまいもん作ろうぜ!」な気持ちが上書きされてイイカンジです。と、思い込もう。
料理は食べてくれる人がいる方が楽しいお
だから彼女作れお
でも彼女ができたら料理より楽しい事がたくさんあるお
だから彼女作れお
おいどんは彼女いない歴12年だけど、たぶんきっと彼女は良いお
彼女?なにそれ美味しいの???
食べさせたい子は居るがファミレス行った時に
「野菜食べたくないでござる。肉と白米だけで生きたいでござる。」
って言ったので野菜大好きな俺のレパがほとんど通用しない件。
51 カエルの王子様だコロン 掘田史門 奥田誠治
長谷川康雄 酒井あきお
52 海賊船長ジルバーだコロン 山本優 芦田豊雄
長谷川康雄 海老沢幸男
53 怪力ヒネクレスだコロン 鳥海尽三
鈴木良武 奥田誠治
野村和史 宇田川一彦
54 赤鯨を狙えだコロン 鈴木良武 芦田豊雄
長谷川康雄 林政行
55 カン流島の大決闘だコロン 佐藤和男 押井守
野村和史 海老沢幸男
56 ピンクペアのベルトだコロン 毛利元 奥田誠治
長谷川康雄 酒井あきお
57 カッパ河原の決戦だコロン 平和元 奥田誠治
野村和史 中村たかし
58 舌切りインコだコロン 山本優 笹川ひろし
長谷川康雄 林政行
59 ボケトルマン参上だコロン 佐藤和男 押井守
野村和史 海老沢幸男
60 アタランデスの
海坊主だコロン 毛利元 布川ゆうじ
長谷川康雄 酒井あきお
61 マンジュとスシ王だコロン 山本優 奥田誠治
案濃たかし 林政行
62 空飛ぶ孫六空だコロン 芦田豊雄
長谷川康雄 海老沢幸男
63 イヤミ重太郎だコロン 環忍
長谷川康雄 中村たかし
64 タコの惑星だコロン 八尋旭
案濃たかし 落合正宗
65 らしょう門の鬼だコロン 酒井あきよし 八尋旭
長谷川康雄
66 ハレマンジャロの大爆発だコロン 西島大 八尋旭
福村典義 植田悟
67 剣道一直線だコロン 掘田史門 芦田豊雄
案濃たかし 酒井あきお
68 雪の女王だコロン 鈴木悠紀 野村和史
福村典義 植田悟
69 マボロスト山征服だコロン 鈴木良武 芦田豊雄
福村典義 海老沢幸男
70 くらい山のひよ若丸だコロン 酒井あきよし 八尋旭
植田秀仁 大貫信夫
71 泣き虫鉢かぶり姫だコロン 佐藤和男 八尋旭
長谷川康雄 林政行
72 ネムール森の美女だコロン 高木良子 環忍
長谷川康雄 植田悟
73 釜ゆでゴエモンだコロン 山本優 山田朝吉
案濃たかし さかいあきお
74 ハシレメドスの友情だコロン 山田ひろし 八尋旭
福村典義 植田悟
75 忍術ジライヤだコロン 鳥海尽三
海老沼三郎 芦田豊雄
案濃たかし 海老沢幸男
76 天の川の決闘だコロン 酒井あきよし さかいあきお
77 銅仮面だコロン 鈴木良武 長谷川康雄 林政行
78 ランプ売りの少女だコロン 山本優 布川ゆうじ
福村典義 植田悟
79 グズの魔法使いだコロン 佐藤和男 八尋旭
福村典義
80 サトミ三犬伝だコロン 山本優 布川ゆうじ
案濃たかし 海老沢幸男
81 凡才画家ゴーマンだコロン 酒井あきよし 八尋旭
福村典義 植田悟
82 塚原ボケ伝だコロン 山本優 布川ゆうじ
長谷川康雄 さかいあきお
83 半里の長城だコロン 海老沢幸男
84 勇士スパルタオスだコロン 大貫信夫
植田秀仁 大貫信夫
85 人魚姫だコロン 鈴木悠紀 山谷光和
案濃たかし 林政行
86 ジャンダックは聖女だコロン 毛利元 八尋旭
長谷川康雄 佐久間信
87 アラランの魔法のランプだコロン 高木良子 八尋旭
福村典義 植田悟
88 赤毛のランだコロン 海老沼三郎 布川ゆうじ
長谷川康雄
89 ノンキホーテだコロン 山本優 八尋旭
長谷川康雄 さかいあきお
90 コロンボスの珍大陸だコロン 布川ゆうじ
福村典義 海老沢幸男
91 わらしべノン太だコロン 佐藤和男 布川ゆうじ
長谷川康雄 佐久間信
92 春の夜の夢だコロン 鈴木悠紀 林政行
93 あっぱれトマトコケルだコロン 山本優 植田秀仁 大貫信夫
94 レフト兄弟だコロン 佐藤和男 矢沢規夫
岩田弘 長谷川憲生
95 ユメノパトラだコロン 山本優 山谷光和
案濃たかし 中村たかし
96 夕さぎの恩返しだコロン 筒井ともみ 八尋旭
長谷川康雄 前田康成
97 ぶんぶくお釜だコロン 日高武治 八尋旭
岩田弘 木下ゆうき
98 迷犬ラッキーだコロン 山田ひろし 布川ゆうじ
長谷川康雄 アベ正己
99 アーサー王の剣だコロン 鈴木良武 山谷光和
案濃たかし 林政行
100 エンゼルとグレートルだコロン 高木良子 矢沢規夫
岩田弘 長谷川憲生
101 アレスサンダー大王だコロン 山本優 山谷光和
長谷川康雄 中村たかし
102 ヤシントン大統領だコロン 植田秀仁 平山則雄
103 シッパイツァーだコロン 山田ひろし
104 イヤ王だコロン 佐藤和男 山谷光和
長谷川康雄 前田康成
105 コレクター博士だコロン 酒井あきよし 八尋旭
岩田弘 鈴木英二
106 二宮銀次郎だコロン 海老沼三郎 布川ゆうじ
高井戸仁 中村たかし
107 ドジソンの大発明だコロン 山本優 岩田弘 木下ゆうき
108 アワテルローの戦いだコロン 八尋旭
岩田弘 鈴木英二
なお、演出が2名居る場合は、前者が絵コンテ担当。
1名の場合は演出・絵コンテを兼任。ただし、エンディングテロップでは「演出」と連名表記。
声の出演、そして出演者たち
声の出演者たちのクレジットは他の多くのアニメ同様、エンディングで表示されている。
本作品における表示順序は(1)ガンちゃん:太田淑子、アイちゃん:岡本茉莉、
オモッチャマ:桂玲子、ヤッターメカ:池田勝、(2)ドロンジョ:小原乃梨子、
ボヤッキー:八奈見乗児、トンズラー:たてかべ和也、ドクロベー:滝口順平、
(3)ゲスト声優、ナレーター:富山敬、であった。
(1)のヤッターメカは、第45話(ヤッターキング登場前まで)は出動したメカのみが表記された。
第44話では「ヤッターワン・ペリカン」と表記された。
なお、ヤッターアンコウは「ヤッターアンコー」と表記されている。
第46話のヤッターキング登場後は、キングの登場しなかった第91話〜107話を含め、
ヤッターキングが表記された。
ヤッターゾウ:池田勝、ヤッタードジラ:田中勝、ヤッターヨコズナ:緒方賢一は
(3)のゲストの欄で表記された。
田中勝と滝沢久美子はレギュラー出演以前、以後とも、しばしば別の役でも登場しており、
その役名とともにクレジット表記がされている。
緒方賢一もヤッターよこづなが登場する以前にもゲストキャラとして出演している。
滝口順平はドクロベーやヤッターヨコズナの「呼び出し」以外にも、
ドロンボー以外の悪人などしばしば別の役で登場しており、
同様に富山敬も勇敢な青年キャラクターからドロンボーのインチキ商売にだまされる客まで
幅広い役を演じているが、この2人についてはクレジット表記されていない。
オモッチャマについては、しばしば企画書での名称である「サイコロン」
との表記がなされることもあった。
第41話ではヤッターアンコウから「(サイ)コロンはうるさいの!」
と言い返される場面がある。
太田淑子、岡本茉莉、桂玲子の3名の善玉役は前作の『タイムボカン』の善玉役から引き継いでいる。
善玉の声優が前作から引き継がれたのはシリーズ中、唯一本作のみである。
登場人物のその後
本作のキャラは、後にリバイバル企画「タイムボカン王道復古」のOVAにおいて
その後が描かれた。
三悪についてはCD『タイムボカン名曲大全』で、タイムボカン王道復古までの
解散後のエピソードを聞くことができる他、平成タイムボカンでは
再びドロンボーを結成し主役を務めている。
ガンちゃんとアイちゃんは結婚し、見ている方が恥ずかしくなるほどのアツアツ新婚生活
(いわゆる「バカップル」)を送っていた。
オモッチャマがドロンボー復活を知らせに駆け込んできても、相手にしてもらえなかった。
因みに普段の服装はツナギではない。
ヤッターキングは再度改修され、ヤッターワンFZ(ファイナルゼット)へとパワーアップ。
全身にミサイルポッドなどの強力な武器を装備している。
ドロンジョも西麻布のスナックのママを経た後、ドロンボーのメンバー以外の男性と結婚し、
既に子持ちとなっていた。7歳を筆頭に5人の年子がいるという。
ボヤッキーはドロンボー解散後、一時期六本木のホストクラブでヘルニアのボヤという
有名売れっ子ホストになるが、その後は故郷・会津若松市に住む恋人・おハナちゃんと結婚し
喜多方蕎麦屋を国分寺市で経営する。
「王道復古」の作中ではガッチャマンのメンバーと南部博士にコロッケそばを食い逃げされていた。
「平成タイムボカン」ではハッピーという名前の娘も登場する。
トンズラーはウサギ売りのテキ屋をやっていたが、その後芸能プロダクションのマネージャーに転職し
辣腕を振るっている。
この設定については演ずるたてかべが当時はタイムボカンシリーズや
『ドラえもん』など旧来からの役を除いて既に声優業から殆ど引退し、
声優プロダクションのマネージャーをしていたことが元ネタではないかとの指摘もある。
放送局
放送局 放送期間 放送曜日 時間
フジテレビ・系列局(一部除く) 1977年1月1日 - 1979年1月27日 土曜日 18:30 - 19:00
フジテレビ系列 土曜18:30枠
前番組 番組名 次番組
タイムボカン タイムボカンシリーズ
ヤッターマン(アニメ第1作) タイムボカンシリーズ ゼンダマン
2009年1月現在、スカパー!276chキッズステーションで再放送中である。
アニメ第2作(リメイク版)
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概要
2008年1月14日から、日本テレビ系列で月曜19時台前半(月曜19時アニメアワー前半)にて放送開始。
本作品では“タイムボカンシリーズ”と銘打たれてはいないが、
シリーズとしては初のリメイク作品となる。
ハイビジョン制作(アナログ放送は13:9サイズの上下に微妙に帯が出たサイドカット)で
ステレオ放送、ならびに字幕放送。
2008年5月5日放送から地上デジタル放送とワンセグ放送でデータ放送を開始した。
探し物が「4つのドクロストーン」から「5つ集めると願いが叶うドクロリング」に変更され、
それを探しに各地を巡る話になっている点をはじめ、
第1作とは後述する様々な点において相違が見られる。
オリジナル版ではタイムトラベルをしないが、今作第14話や第18話ではタイムトンネルに入り、
石器時代や昭和30年代、未来の東京へとタイムトラベルしている。
2007年10月より『名探偵コナン』アニメ版放送枠内で番組宣伝スポットCMが放送され、
初回は関東地方では10.5%という数字ではあるが、
実質的な前番組の「結界師」が一度も10%を越えなかったことを考えると
まずまずのスタートとなったためプロデューサーの諏訪道彦は自身のブログの2008年1月15日、
1月21日分において「2ケタ数字に大感謝」などとコメントした。
また、制作局のある近畿広域圏(関西)では、同時間帯に関西テレビは自社制作の
『快傑えみちゃんねる』を放映しており、関東広域圏の裏番組にあたる『ネプリーグ』が
同時ネットされていないため、17.7%と高視聴率を取り、
テレビ新潟でも『ネプリーグ』が裏番組であるものの、20%を取った。
しかし、その後はほとんど2桁に乗ることがなく、現在は5 - 8%台で推移している。
年末年始や期首改編時には特別番組や「名探偵コナン」の映画などが放送されるため
ヤッターマンの放送が休止となるが、2008年9月8日の第24話から2008年11月10日の第25話までの
間丸々2ヶ月間(8週分)、また2008年12月15日の第28話から2009年2月2日の
第29話までの1ヵ月半(6週分)放送が無く、1周年を迎える2009年1月の時点での話数が
スペシャルを含めても30話にようやく達する程度で、
旧作が元日や大晦日にも放送していたのとは対照的に年間で5ヶ月以上も休止される
と言う異例の編成となっている(ただし、2009年4月からの時間帯移動以降は、
放送時間に特別番組を編成する必要がほとんど無いため、この問題は解消される見通しである。)。
そして同年10月以降より「アニメ☆7」内の後半枠として「名探偵コナン」と統合され、
約30分繰り下げの月曜19時台後半からとなった。
これに伴い、番組スポンサー枠もそのまま反転となる。
前番組の結界師と同じ放送形式で放送しているため、本編の途中で提供クレジットを表示する。
その際提供読みは毎週違うキャラクターが担当し、言い回しもそれぞれで異なっている。
2009年4月より、平日19時台(JST)の時間帯にて生放送バラエティ番組
『サプライズ』が開始されることが発表された。
これに伴い、本番組は2009年4月よりローカルセールス枠という形で、
『所さんの目がテン!』の後番組として読売テレビのみ日曜7時台前半に移動することが決定した。
だがこの時間帯には、メ?テレ制作日曜朝7時枠のアニメが放送されている為に苦戦が予想される。
第1作目(オリジナル版)との主な相違点
ドクロストーンがドクロリングになっている以外に、以下の点で第1作目と異なる。
ヤッターマンの主な相違点
主人公のガンちゃんの普段の姿は、怠け者のヘタレキャラ(ダメ少年)。
しかし、スイッチが入れば1作目同様の正義感溢れるヤッターマン1号に変身する。
ガンちゃんとアイちゃんの二人の関係は、アイちゃんの片思いで留まっている。
オモッチャマはアイちゃんが造った。
メカの元は基本的にアイちゃんが投げている。
武器のケンダマジックとシビレステッキが腰に装備された。
ドロンボー一味の主な相違点
マスクの額にある文字が、旧作では全員D(ドロンボーの頭文字)だったのが、
ドロンジョは"D"、ボヤッキーは"B"、トンズラーは"T"と各人の名前の頭文字になった。
ヤッターマンの武器に対抗した設定なのか、ボヤッキーは「とっかえガン」、
トンズラーは「ポットガン」と言う武器を腰のベルトに装備された。
ボヤッキーとトンズラーの出べそが普段は露出してない。
逆にドロンジョはヘソを露出したコスチュームになっている。
インチキ商売の前に流行などのリサーチをすることもある。
インチキ商売で物を売りつける時の額は基本は最初高値を出し、
客が批判した後に値段を下げるようになった(その影響でドロンボーメカの
製作予算不足に陥ることもある。)また、客に暴力を振るうシーンなどは旧作に比べて減少した。
殆どの回でドロンボー一味がターゲットを奪取している。
脱出用自転車のドクロマーク(受信機)にターゲットをかざし、
ドクロリングかどうかを判定する。本物であれば花火が打ち上がり、
ターゲットが本当の姿(ドクロリング)へと変身する。
勿論、本物・偽物に関らず、「ママより恐いおしおきタイム」は執行される。
三基あった噴射機構のような物は最後尾に一基のみになった。
第24話以降から、おしおきタイム専用のパート「今日のおしおきコーナー」が
エンディング後に設けられた。
「おしおきファンファーレ」は行われていない。
シナリオフォーマットなど、その他の相違点
パロディが多いのも特徴であり、歴史上の人物ではなく、タレントや他のアニメ作品、
時には他のテレビ局の番組のパロディまで登場する。
特にアニメ関連のパロディは多く、『ナースウィッチ小麦ちゃんマジカルて』と同等に
同タツノコプロの作品(もちろん、ヤッターマン以外のタイムボカンシリーズ作品のネタも
登場する)のネタを含むパロディもある。
他局のアニメのパロディでは、小原とたてかべがかつて担当していたアニメ『ドラえもん』
に関連したものが目立つ。
ヤッターマンの奥の深さに乾杯
時々、芸能人をモデルに作られたドロンボーメカ
(例・ワダアッコー、エドハルミヨン、サチコDX(ディーエックス)等)
ビックリドッキリメカ(例・オマカセメカ、パーメカ))や、ゲストキャラクターが
登場することがあり、声もほとんど本人が担当する。
登場人物
ヤッターマン
第1作目と同様にドロンボーの悪巧みを阻止するのが目的だが、
今作で2人がヤッターマンになった経緯は明確には語られておらず、
第1話から特に説明などはなしに変身している。
「2人揃ってヤッターマン!」など1作目と共通点が多い中、主人公のガンちゃんは怠け者だったり、
2人の関係がアイちゃんの片思い止まりなどの相違点がある。
ガンちゃん(ヤッターマン1号) 声:吉野裕行
この物語の主人公で、13歳の少年。
作中では改善されていくが、第1作目とは正反対に、普段は怠け者で優柔不断で鈍感な性格。
しかし、1度スイッチが入れば(怠け癖は若干残るものの)
1作目同様の正義の心あふれるヤッターマン1号に変身する。
アイちゃんのためにメカの素を軽量化するなど優しさを見せることもある反面、
乙女心には鈍感すぎて彼女からデートの誘いがあっても、「面倒くさい」や
「興味ない」の一言であっさり却下してしまう。
おまけに(特にドロンボーのターゲットになった)かわいい女性や芸能人に対しては
思わず一目惚れするなど、ミーハーな傾向もあり、
その度にアイちゃんからは妬きもちをやかれている。
だが、「アイちゃんみたいな性格の子も好き」と発言したこともあり、
実のところ彼女をどう思っているのかは判らない。
武器のケンダマジックは腰に吊るされるように装備された。
1作目の初期に見られた電撃は今作では使用していない。
アイちゃん(ヤッターマン2号) 声:伊藤静
話す言葉に「○○パー」(パーセントの意味)を付けるのが口癖(例・「100パー感激」、
「メガパー大好き」など)。第1話で13歳の誕生日を迎え、星占いで山羊座と言っている。
ガンちゃんに好意を抱いているものの片思い止まりな点が1作目と大きく異なり、
デートに誘って欲しいなど様々なアピールを実行するのだが、
乙女心に鈍感な彼にはなかなか思いが通じず、妬きもきする日々を送っている。
そんな彼女でも内心はとてもしっかりした性格で、怠けてるガンちゃんに喝を入れたり、
ドロンボーの変装や企みを真っ先に察知することも多い。
変身時や決めゼリフの後に目をキラリと光らせる他に1号同様に歯がキラリと光ったり、
ウィンクや投げキッスでハートを飛ばしたりしている。
武器のシビレステッキは腰に吊るされるように装備された。
また、ビリビリ攻撃のパワー調節機能が追加されている。
オモッチャマ 声:たかはし智秋
ボディに描かれたサイコロの目の配置が第1作目と異なっているほか、
製作者がアイちゃんに変更されている。
目にサーモグラフィを内蔵している以外に、
サイコロの目から様々なアイテムやメカの素を出現させることが可能。
今作では声にエフェクトがかけられている。
ドロンボー一味
5つ集めれば願いが叶うドクロリングを集める為に、
第1作目同様にインチキ商売で資金を荒稼ぎしてドロンボーメカを作り、
ドクロリングの持ち主(殆どが誤報)から手段を選ばず強引に盗もうとする、はた迷惑な悪人トリオ。
アジトは最新のCGアニメを駆使した豪勢な造りの部屋になっていたが、
「最近の物価高で家賃が払えず追い出された」と、第24話以降から1作目同様のボロい地下室に戻された。
ドロンジョ 声:小原乃梨子
24歳。ドロンボー一味の女性リーダー。
年齢による衰えを感じ始めており、もしも自身がドクロリングを手に入れたら
永遠の若さと美貌を手に入れたいと願っている。
第1作目やOVAの『王道復古』と違い、始めからペルソナを着用して素顔を隠している。
また、根っからの悪党(ボヤッキー談)ゆえにインチキ商売にはプライドを持っており、
段ボール肉まん騒動にジェラシーを感じたり、第18話ではインチキ商売で
逆に客から喜ばれてしまったために気分が悪くなった。
第1作目と同じ火皿がドクロの形をしたキセルを愛用しているが、
今作では放送コードの関係により、それでタバコを吸っているシーンはほとんど見られない。
「ヤッターマン×トウシバ」のwebアニメでは、就寝時にネグリジェを着用している。
ボヤッキー 声:八奈見乗児
25歳。ドロンボー一味のメカ作り担当。
相変わらず女子高生が好きで、もしも自身がドクロリングを手に入れたら、
今より少しハンサムになってモテたいと願っている。
第1作目と同様に出べそだが、普段は露出してないところが異なる。
新たな武器に「とっかえガン」と呼ばれる銃を腰のベルトに装備された。
この銃の先を交換することでレーザー光線銃や火炎放射器になったり、ドクロリングを奪い取るアームにもなる。
トンズラー 声:たてかべ和也
30歳。ドロンボー一味の怪力担当。
ヤッターマン2号(アイちゃん)が好きで、彼女をお嫁さんにすることを夢見ており、
もしも自身がドクロリングを手に入れたら、婚約指輪としてプレゼントしたいと願っている。
ボヤッキーと同じく出べそだが、普段は露出していない。
新たな武器に「ポットガン」と呼ばれる機関銃を装備された。
普段は筒状の形で腰のベルトに装備されており、
伸ばすと銃口とグリップが出てきて機関銃に変形する。
「ヤッターマン×トウシバ」webアニメ第10話では2号への恋煩いで食事が喉を通らず、
それによりスリムで6頭身の精悍な外見(一人称も「わい」ではなく「僕」)になったが、
想いは受け取られず、食欲に負けて元の体型に戻った。
ドクロベエ 声:滝口順平
第1作目における名称は「ドクロベー」であったが、今作では「ドクロベエ」に変更されている。
正体不明だが、OPで正体と思われる影で登場している。
「我輩はドクロベエだべぇ?」と、ドロンボー一味をそそのかし、
ドクロリングの所在(殆どが誤報)を指示して取りに行かせている。
指令の後に「ドクちゃんの豆知識」と称してドクロリングがあるとされる場所や
今回の話に関係したトリビアを披露してから、第1作目と同様にドロンボー一味の目の前で爆発する。
また、「ママより恐いおしおき」にも趣向を凝らし、
ドロンボー一味が本物のドクロリングを手に入れても、
「視聴者サービス」「クイズに不正解」などの理不尽な理由や、
情報ミスのお詫びと称して親切にしつつ、実体はおしおき執行するのも、第1作目と同様である。
限定版第2弾では、私用に役に立ったためにおしおきを実行しなかったが、
その後で代わりに挿入されたイッパツマンネタの『人間やめて何になる?』内では相変わらず3人にきつく当たっていた。
その他
ナレーター(山ちゃん) 声:山寺宏一
タイムボカンシリーズ第5代ナレーター。
第1作目の「説明しよう!」でお馴染みの初代ナレーター・富山敬と同様に、
おだてブタやゲストキャラクターの声も多く演じており、
加えて今作では全てのヤッターメカ(ワン・ペリカン・アンコウ・ヨコヅナ)も演じている。
富山敬のスタイルをほぼ継承しているが、富山がいつも負けてばかりいるドロンボー一味に
半ば同情していた演出とは対照的に、山寺は時折ドロンボー一味(時にはヤッターマン側にも)
にツッコミを入れることがあるほか、自身が2頭身キャラとして登場したり、
ゲスト出演したタレントには「○○さんお疲れ様でした!」とコメントする事もある。
ドロンボー一味からは山寺の愛称である「山ちゃん」と呼ばれている。
その他、『ものまねバトル』にものまねタレントとして出演している山寺らしく、
芸能人の物真似での出演もあり(第28話の美川憲一の役など)。
歴代タツノコキャラ
限定版1に三船剛&マッハ号やガッチャマンが、第26話に過去の三悪がゲスト出演した以外にも、
時折歴代のタツノコキャラが通行人や見物人、看板や石像のオブジェに紛れて
カメオ出演している場面を度々見かける。
例えば、第1話ではハクション大魔王の石像があったり、
第3話ではキャシャーンが描かれたトラックが画面を横切る場面があった。
ゲストキャラ
豪華有名人がそのままキャラクターになってる。
また、限定版1では、朝の情報番組『ズームイン!!SUPER』のズーミン&チャーミンも登場。
第24話以降からは、ほぼ毎回のように実名と当の本人の声で特別出演するようになった。
出演した芸能人は以下の通り。
叶姉妹(第7話)
みのもんた、久本雅美(限定版1)
ルー大柴(第20話)
黒瀬真奈美(第24話)
世界のナベアツ、さかなクン(第25話)
生瀬勝久、深田恭子、ケンドーコバヤシ、笹川ひろし(限定版2)
松村邦洋(第26話)
エド・はるみ(第27話)
小林幸子、西尾夕紀、神谷明(第28話)
登場メカ
ヤッターメカ
声は全て山寺宏一
ヤッターワン
主人公メカ。以下の外見上の相違点があるが、基本的な性能は特に旧作から変化はなく、
チンジャラ砲や放水もそのまま継承されている。設計は第1作目同様ガンちゃんの父親。
語尾に「〜ワン」と付けて話す。
第1作との相違点
頭のパトランプの形状
排気管、肩、左足の操縦桿(前後だけではなく左右にも動かせるようになっている)
手を使って格闘戦を行なえる
足首に内蔵されている車輪の数
本作では「アイちゃんの誕生日までには修理して、一緒にドライブをする」
という約束を果たすために復活させられたと言う設定になっているが、
前述のガンちゃんの性格から誕生日当日になっても未完成のままで、
その日アイちゃんのピンチを察知して復活した。
ドロンジョから「でかワンワン」と呼ばれている。
戦闘ではドロンボーメカの不意を着いた一撃によってパワーダウンし、
その後メカの素を食べて逆転することが多い。
ファンファーレ担当の犬型メカたちは時折ヒゲにサングラスを掛けたり、
帽子のデザインが変わっていたりとバリエーションが存在。
ヤッターペリカン
第14話より登場(正確には2代目OPより)。
未来のガンちゃんにより開発された最新型を現代へこっそりと持ち帰ったという設定。
英語を交えて会話する。一人称は「Me(ミー)」。
当初は指図されることを嫌い、また、自分が高性能メカであると鼻にかけて
旧型であるヤッターワンを見下していたが、自身がドロンボー一味にあっさり騙されたことや、
ヤッターワンの持つ正義の心に強く心を打たれたことなどを経て彼を「先輩」と呼ぶようになる。
とはいえ、後から作られた自分の方が高性能だと主張して
ヤッターワンを落ち込ませる姿はその後もたびたび見られる。
ドロンジョから第1作目同様「ヤッターアヒル」と呼ばれて激怒した。
次第に離陸前に坂上二郎のギャグ「飛びます飛びます」と振り付きで言うようになる。
デザイン上のディテールに関しては以下のとおり、新旧のヤッターワン以上に
非常に異なっている。腹部には旧作と同様ペリカン型のファンファーレメカを搭載。
353 :
( ´∀`)ノ7777さん:2009/02/03(火) 21:37:54 ID:O747P3YfO
^^
クリア!
クリア!
>>345=ツルマルボウイさん
スレ立て乙です。
第1作との相違点
羽根やブースターなど、前作と比べ飛行用のアイテムが増えている。
飛行モードへ変形可能
ヤッターワンを背中に乗せること(ライドオン)もできる。
両翼にウイングカッター(飛行モード時に敵メカを一瞬で切り刻む)を装備。
背部に「ペリカン砲(二連装式バズーカ砲)」を装備。
ヤッターアンコウ
第25話より登場(正確にはアニメ7アバンタイトル部分より)。
現代のガンちゃん設計・製作による初のヤッターメカで、性格はガンちゃんのそれと同じだが、
ある芸人のような口調で話を振るため、初登場時にはガンちゃんから本当に自分の性格か疑われた。
一人称は「俺(お)ら」で語尾に「〜ダス」を付けて話す。
声を演じる山寺の持ちキャラである『それいけ!アンパンマン』の
かまめしどんのような東北弁風の方言訛りの言葉で喋り、
時々(東北弁風の)方言訛りを交えたラップを披露する。
ドロンボー一味からは「ナマズ(第1作目と同様)」、もしくは「田舎もん」と称され、
特に「田舎もん」と言われると手が付けられなくなるほど激怒する。
ちなみに、ガンちゃんは新メカのモチーフをアンコウにした理由について
「不機嫌なアイちゃんの顔にそっくりだった」からだと(迂闊にも)話してしまい、
その結果として外からはヤッターアンコウの装甲がゴムの様に引き伸ばされて見えるほど
コクピット内で叩きのめされた。
上記のヤッターペリカン同様、デザイン上のディテール等が新旧で以下のとおり大きく異なっている。
>>355 バカじゃねぇのw
バカは避難所逝ってやれよwww
第1作との相違点
腹部に旧作デザインに見られた車輪ではなくキャタピラ(航行中には格納される)が装備
旧作では目の中にあったコックピットが今作ではヘルメット状の前頭部の中に移動し、
目の部分には黒眼が付き表情が豊かになった。
ビックリドッキリメカを出すときのファンファーレの音楽は旧作と異なっている
メカの素で登場する腹部のアンコウ型のファンファーレメカの他に2機のハリセンボンメカを搭載している。
メカの素の与え方は旧作と同様、コクピット内の口から食べさせる。
ヤッターヨコヅナ
第27話に限り登場した横綱(闘犬)型メカ(今回はゲストメカ扱い)。
江戸時代のガンちゃんのご先祖様である高田岩之介(たかだ がんのすけ)(声:菅沼久義)
が作った巨大からくりとして登場。旧作では「よこづな」だったが、「ヨコヅナ」とカタカナ表記に変わっている。
木と紙だけで作られたからくり仕掛けの張り子に近い作りだったため、
さすがに鉄製のドロンボーメカ・エドハルミヨンに呆気なく倒されてしまった。
ビックリドッキリメカ
各ヤッターメカのピンチに際し基本的にアイちゃんが「メカの素」をヤッターメカに与える設定に変更されている。
ただし、限定1時間SPではガンちゃんが「メカの素おかわり」と二つ目を、
第12話ではオモッチャマが与えるなどの例外もある。
第1作目と異なり、名称が最初から「ビックリドッキリメカ」に統一されている。
今作では、CGによるビックリドッキリメカの製造工程も見ることができる
(話によっては尺の都合上省略されることもある)。
ドロンボーメカ
ドロンボー一味のヤラレメカ
ドロンボー一味が搭乗して目的地に向かい戦闘により毎回破壊されてしまうメカ。
行き先を意識したかのようなデザインが多い。
また、限定版第2弾では旧作の第1話に登場したダイドコロンが登場している。
おしおき三輪車
噴射機構のような物は最後尾に一基のみ備えている。
ハンドル部分のドクロマークはドクロベエとの通信機になっている。
このマークはドクロリングの真贋を判定する機能も持っている。
コクピットメカ
第1作目からのメカ
おだてブタ 声:山寺宏一(予告編第6弾やテレビCM編:富山敬)
第1作では椰子の木をゆっくり上っていくのに対し、本作では椰子の木を駆け上る。
多数のバリエーションが存在する。第1作と異なり、今作では首にスカーフを身に着けている。
ドッチラケメカ 声:山寺宏一
なげきブタ 声:山寺宏一
第1作目とは台詞が異なる。
アクション予報メカ 声:たかはし智秋
おほめブタ 声:山寺宏一
「この世に生まれて幸せだぁね」という台詞が追加。
第2作目のオリジナルメカ
アフロアヒル 声:たかはし智秋
アフロをかぶったアヒル型のメカで、「アッハハハ〜ァ」と笑った後、
「あ〜ぁ、その気になってやんの」とため息をついて消え去っていく。
タイムボカンシリーズの他作品からのメカ
ゼンダマンより
コーラスガラス 声:山寺宏一
4羽一組のカラス型のメカ。最初の大きい3羽は1羽ずつ「やるーぅ!やるーぅ!やるーぅ!」と
コーラスの合唱で応援するが、なぜか最後の小さい1羽が「やられるよ。絶対、なっ!」
と敗北を案じさせる一言を言って消え去っていく。
オシイ星人 声:不詳
第1作目に演出として参加していた押井守がモデル。
本来はあと少しで勝てたのに結局負けてしまった時や、
余りにも惜しい出来事が起こると歌を唄いながら去っていくメカ。
タイムパトロール隊オタスケマンより
オハヤシ星人 声:たかはし智秋、伊藤静
顔がチャック付きの財布のような2人1組の宇宙人。
最初は「やってみろ!やってみろ!やってみろ!」と舞妓さん風に扇子を煽って応援するが、
最後に「無駄だと思うけどやってみろ!チャック!」と敗北を案じさせる一言を言って
口のチャックを閉じて消え去っていく。
ドージョ 声:徳本恭敏
ボヤッキーがスイッチ押す際に「ドージョ」と一言言った後に去っていくドジョウ型のメカ。
お笑いカラス 声:たかはし智秋
3悪がやられる直前に「アッハハハハハハハハ」と笑うだけで何も意味がないメカ。初登場は16話。
占いママさん 声:たかはし智秋
今後の戦況を天気予報で占うが、決まってドロンボー一味の敗北を案じさせる内容しか言わない。初登場は7話。
ヤットデタマンより
オロカブ 声:たかはし智秋
ヤットデタマン以降の作品でも頻繁に登場しているメカ。
「愚か」と「(野菜の)カブ」をかけた中年女性型のメカ。3悪がヘマをすると登場する。
また今作のOPにも登場している。
ドレミファオタマ 声:伊藤静、たかはし智秋、小原乃梨子
唄を歌った後に、ため息をついて去る、わざわざドロンボー一味の敗北を予言する不吉なメカ。初登場は16話。
逆転イッパツマンより
ヤカン 声:山寺宏一
目がついたやかん型。3悪がヘマをすると関西弁で「あかん、ヤカン、あかんがなー」と言って沸騰し
去っていくメカ。
女子高生メカ 声:伊藤静、たかはし智秋、小原乃梨子
デザインが現代の女子高生(コギャル風(?))を意識したものとなっている。
28話では某おバカ系イケメン3人組ユニットの格好で登場した。
スタッフ
この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。
企画 - 成嶋弘毅(タツノコプロ)
原作 - タツノコプロ企画室
シリーズ構成 - 高橋ナツコ
キャラクターデザイン - 上北ふたご
メカニックデザイン - 大河原邦男
美術監督 - 中村光毅
撮影監督 - 入部章
編集 - 奥田浩史
音楽 - 神保正明、山本正之、深澤秀行
音響監督 - 清水勝則
音楽協力 - ユニバーサルミュージック
OP絵コンテ・演出・作画監督 - さとうけいいち
ED絵コンテ・演出 - 羽多野浩平
監督 - しぎのあきら(第1話 - 第17話)、菱田正和(第18話〜)
総監督 - 笹川ひろし
プロデューサー - 永井幸治 (読売テレビ) 、栃平吉和(タツノコプロ)
チーフプロデューサー - 諏訪道彦(読売テレビ)、田中修一郎(タツノコプロ)
タイトルロゴデザイン - グラパチ、モギシンゴ
コンテンツプロデューサー - 斎藤朋之 (読売テレビ) 、渡邊季之(タツノコプロ)
制作 - 読売テレビ、タツノコプロ
総監督・笹川ひろしとメカデザイン・大河原邦男以外は全スタッフが入れ替わった。
主題歌・挿入歌
オープニング・エンディング共に定期的に変更されている。
また、エンディングテーマは歌詞中に本作の内容を直接的に表す
言葉がほとんど使用されていないタイアップ色の強いものになっている。
『ヤッターマンの歌』
作詞:若林一郎 補作詞/作曲:山本正之
編曲・歌:音屋吉右衛門(第1話 - 第10話) レーベル:ドリーミュージック
初代オープニング。原曲とは対照的に、アコースティック・ギター主体のシンプルなアレンジになった。
主題歌制作の作業は、山本が参加しない中で進められた。
既に仮録音が完了していた音源をニセの「主題歌歌唱アーティスト募集」告知が発表された翌日に
聞かされた山本は、オケがほとんどギターのみだった上に
ボーカルがメロディーを踏み外していたことからこれをデモテープであると思いこんでいたなど、
制作にあたって山本との意志の疎通がうまくいかなかったことや、
視聴者の反応などがインターネットを中心に話題となる。
なお、演奏に使用されたギターはギブソン製で、シングルのジャケットでは、
ヤッターマンがそのギターを手にした姿が描かれている。
編曲:NAOKI-T 歌:ET-KING(第11話 - 第17話) レーベル:ユニバーサルJ
2代目オープニング。軽快なアップテンポ調のアレンジが特徴。
編曲:深澤秀行 オリジナルアレンジ:神保正明 歌:西尾夕紀(第18話 - 第28話) レーベル:コロムビアレコード
3代目オープニング。通常使用されているものは山本正之の歌唱による
オリジナル(原曲)版に限りなく近いアレンジになっているが、
第22話ではCDのカップリングに収録されている演歌調にアレンジされたものが使用された。
なお、OPアニメ自体の内容は2代目OPアニメと全く共通であり(25話よりアンコウのシーンが追加)、
更にWebアニメの『ヤッターマン×トウシバ』のOPテーマにインストゥルメンタル・バージョンとして
使用されている。
編曲:成田忍 オリジナルアレンジ:神保正明 歌:腐男塾(第29話 - ) レーベル:インペリアルレコード
4代目オープニング。
『diverge』(第1話 - 第10話)
作詞:Hiroko and Mitsuyuki Miyake/Hidemi Ino 作曲:Mitsuyuki Miyake
編曲:Mitsuyuki Miyake/Takasui Morio 歌:mihimaru GT レーベル:ユニバーサルJ
初代エンディング。デビュー前のデモ楽曲を流用。EDアニメ自体は大変シリアスな内容となっている。
『皆既日蝕』(第11話 - 第17話)
作詞:秋元康 作曲:水沢狛江、ババダイスケ 編曲:ババダイスケ、JULEPS
歌:JULEPS レーベル:ユニバーサルJ
2代目エンディング。EDアニメ自体は哀愁を漂わせる内容となっている。
『恋想曲』(第18話 - 第24話)
作詞:黒瀬真奈美、leonn 作曲:籐子、日比野元気
編曲:河野伸 歌:黒瀬真奈美 with 12人のヴァイオリニスト レーベル:ユニバーサルJ
3代目エンディング。EDアニメ自体はドロンボー一味の視点で描かれた2代目までと異なり、
アイちゃんの視点で描かれている。
尚、黒瀬真奈美本人は第24話にゲストとして出演している(黒瀬先生役)。
『今』(第25話 - 第28話)
作詞:ET-KING 作曲&編曲:ET-KING 、NAOKI-T 歌:ET-KING レーベル:ユニバーサルJ
4代目エンディング。再びEDアニメがドロンボー視点に戻った。
『GIVE ME UP』(第29話 - )
歌:玉置成実 レーベル:ユニバーサルJ
5代目エンディング。
『天才ドロンボー'08』
作詞・作曲:山本正之 編曲:安部潤 歌:ドロンボー(小原乃梨子、八奈見乗児、たてかべ和也)
レーベル:ユニバーサルJ
「子供たちにも聞かせたい」というファンからのリクエストに応え、
挿入歌として限定版や第24話で使用(インスト版は第1話の時点からBGMとして使用されている)。
歌詞の一節がオリジナル版の『ドクロストーン』から今回は『ドクロリング』に変更されている。
シングルカットされ、アニメ史上最高齢ユニット誕生としてニュースになった。
シングルのジャケットには、ドロンボー一味の「おしおきポーズ」が描かれている。
第28話のみ小林幸子の歌唱による特別バージョンが挿入された。
『マッハゴー・ゴー・ゴー』(『マッハGoGoGo』より)
作詞:吉田竜夫 作曲:越部信義 歌:ボーカル・ショップ
限定版のみ挿入歌として使用された。
『ガッチャマンの歌』(『科学忍者隊ガッチャマン』より)
作詞:竜の子プロ文芸部 作曲:小林亜星 編曲:ボブ佐久間 歌:子門真人、コロムビアゆりかご会
限定版のみ挿入歌として使用された。
『地上の星』(『プロジェクトX?挑戦者たち?』より)
作詞・作曲:中島みゆき 編曲:瀬尾一三 歌:中島みゆき
第16話と第26話に挿入歌として使用された。
クリア
14 名前:三連単7−4−3 投稿日:2009/02/03(火) 23:30:59 ID:/9Sr2epP
■スロサロ現行スレ
【もうすぐ】禁スロマラソン38km【春ですね】
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/slot/1233391224/ 米病的な粘着コピペ荒らしが湧いていますが基本スルーでお願いします。
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
相変らずヨカニセ自体が一番スルー出来てねぇなあー´Д`)
つか、あんまり調子こいて挑発するような態度だと
むこうにも出張カキコしてあげるよ?ーーーwwwww
368 :
( ´∀`)ノ7777さん:2009/02/04(水) 05:41:57 ID:ItT0BPl60
>>367 お前、信念もなにもねーな
ここの板にあるのが嫌だったんだろ?
結局荒らしたいだけなんだろ??
自己を正当化してんじゃねーよ。荒らしカスが。
369 :
( ´∀`)ノ7777さん:2009/02/04(水) 12:21:20 ID:4/uUUJrhO
368に一票。
>>368 信念が無いなんて今更でしょ。日をまたぐと言うことが180°変わるしね。
人に見られてることを意識して楽しいことを書けとか言って騒いでたけど、
クリアマラソンは黙認とかね
挑発したら他板まで出張して荒らすとか、何様なんだよって話だよな。
おはよー(・∀・)
信念信念難しいこと書いてるけど
このスレの人たちは、スロをやめることは真であると理解して
禁スロと言う考えをもって行動している はず。
即ち信念をもってるにも関わらずスロしちゃう。
信念って難しいですね
おいどんのような小学生には理解できません。
嵐はスルーしましょう
↑
とか言っときながらスルーも出来ないのに他人に『信念』押し付けるとか
素敵(*´д`*)ハァハァ
このスレって梅を叩く時だけ普段ロムってる名無しがわいてくるの?wwwなんだか不思議ーーー
エビフライって結局タルタルとレモンが無いとただの揚げ物だなwwwww
タルタル最高(・∀・)
エビフライにはソースでしょ。
ところで、荒らしの方はなぜ荒らしてるのですか?
おいどんは嵐だと思われてるから嵐なんだろうか?
いや、嵐じゃなくておいどんはおいどんと言う生き物だよ
>>372 信念を押し付けるとかじゃなくて、
荒らすならそれなりの理由とか信念とかあるんじゃないの?
ここの荒らしはその理由や信念がぶれまくってて、
ただなんとなく荒らしてるだけなんじゃないかと。
それじゃ住人はたまったもんじゃないよ。
>>378 あなたはここの住人?それともロム名無し?はたまた通りすがり?
ここって判別固定ばっかりなのに突如名無しがヘビーなレスつける不思議なスレなんだよね
このことについてどう思う?
↑
おいどんのこの質問くらい馬鹿げてる
ここは2ちゃん。と言うかネットでしょ?
相手が誰でなに考えてるかなんて所詮わかりっこ無いんだよ。
おいどんは始終禁スロは反対じゃないし、誰かを叩くつもりはないって書いてるよ。
おいどんの書き込み自体が嵐だと思うのなら、クリアしか書かないここの住人の方が
2ちゃん的にはよっぽどいらない存在だからスレごとどっかに行けば良いと思うお
って言うのは建て前で、
内心はクリアって書いて禁スロできるんだったら
それはそれで(・∀・)イイじゃんって思ってるよ。
そんなの個人の自由なんだから好きにすれば(・∀・)イイ
って言うのは建て前で
判別固定でも固定なんだからクリアしか書けないなら失せろと思うよ
って言うのは建て前で、
おいどんは小学生だからそろそろお風呂入る
384 :
( ´∀`)ノ7777さん:2009/02/04(水) 19:26:19 ID:2GCMg30RO
>>382 それなら、梅が立てたクリアーマラソンスレを真っ先に叩きに行けよ。
385 :
( ´∀`)ノ7777さん:2009/02/04(水) 19:26:56 ID:ItT0BPl60
おいどん=スロ中毒の主婦
旦那からは相手にされないデブス
って言うのは建て前で、
>荒らすならそれなりの理由とか信念とかあるんじゃないの?
ここの荒らしはその理由や信念がぶれまくってて
ここの荒らしって言うけどおいどんのレス読んだことある?
おいどんの信念がぶれまくってると言うのなら
あなたが思うおいどんの信念が何で、どのようにぶれてるのか述べてみて。
おいどん頭が良すぎてそのような抽象的なレスにどう答えれば良いのかわからない(・∀・)
387 :
( ´∀`)ノ7777さん:2009/02/04(水) 19:29:47 ID:ItT0BPl60
>>384 やだね(・∀・)
書くのも書かないのも自由だもん
義務で書いてる訳じゃあるまいし
>>379 こんだけ盛大に荒らしておいて、しかも常時age進行なのに、住人以外知らんとでも思ってるのか?
>>389 ここネットだよw
そう言う質問くらい馬鹿げてるって書いてるんだけど。
>>386 レスの流れをみて信念のぶれてる荒らしってあなたの事じゃないとは思わなかった?
あなたはスレ違い野郎だけど荒らしって程ではないだろ。
>>390 でしょ?だから住人以外にも梅に対して不満を持ってる人が多くて
それで、名無しの書き込みも多いんでしょ
はい、クリア。
>>391 おいどんにアンカーついてたから。
>>392 だーかーらー
みんな好きにしたら良いじゃん。自由なんだから。
そのレスは建て前なんていくらでも書けるでしょって例えで
誰かを叩くとか失せろとかおいどんの趣味じゃないし。
>>393 警察の尋問で怖い警官と優しい警官を交互に出して白状させるじゃん
だんだんおまいがなだめ役の警官に見えてきた…
里のおかあちゃんが泣いてるぞとか言うなよ><
絶対に言うなよ><
>A
楽しそうだね
今日はあんまり楽しくないです。まだ業務中なので。
>>397 …まぁ禁スロ的には忙しくていいんじゃん。
あ(゚Д゚)もう8時だノシ
ねもいねもい
|・⊥・)
クリア。
携帯じゃ、きついな。
クリア。
今日は会社の呑み会。
いつも電話でしか話さない人達と話せて楽しかった。
不況だけどまだまだ頑張る。
おいどんもクリアーだお(・∀・)
信念ですかwwwww
ひとついいことを教えてあげよう
信念とはおまえらみたく、自分に都合のよい理性によって
もたらされるもんじゃないんだよw
なあ、理性でもって自分のしょうもない感情を
コントロールできてるつもりの住人さんがたよ
>>393 wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwぷ
405 :
( ´∀`)ノ7777さん:2009/02/05(木) 00:39:36 ID:AmY19n5A0
各話リスト
この「各話リスト」は、まだ完結していない作品や終了していない番組に関する節です。
ある程度ストーリー・番組内容がまとまってから編集するようにしてください。
放送日 話数 サブタイトル 脚本 コンテ
演出 作画監督 舞台になった場所
(主にドクロリングがあるとされる場所)
2008年
01/14 1 ヤッターマン 誕生だコロン! 高橋ナツコ しぎのあきら
剛田隼人 井口忠一 東京・赤坂
01/21 2 ナニワのたこ焼王決定だコロン! 菊池一仁
荻原露光 西城隆詞 大阪
01/28 3 バカデミー賞を獲るのだコロン! 加藤陽一 しのゆきひろ 高橋和徳 米カリフォルニア州
ハリウッド
02/04 4 北の国キャラ2008だコロン! 平見瞠 石屋義畝
鈴木清崇 草間英興
後藤圭佑 北海道・札幌
02/11 5 王子とチョコレート城だコロン! 武上純希 中村憲由
矢花馨 古池敏也 チェコ・プラハ
02/18 6 花の都のファッションだコロン! 本田雅也 大庭秀昭 高木信一郎 フランス・パリ
02/25 7 セレブ姉妹もつらいよだコロン! 渡邊大輔 鈴木幸雄
つるやまおさむ さいとうもも モナコ
03/03 8 おだいばテレビに潜入だコロン! 加藤陽一 中村憲由
萩原露光 西城隆詞 東京・お台場
406 :
( ´∀`)ノ7777さん:2009/02/05(木) 00:40:15 ID:AmY19n5A0
03/10 9 オタンカーメンの呪いだコロン! 平見瞠 中村憲由
矢花馨 飯田宏義
古池敏也 エジプト
03/17 10 タイガードラマーアツヒメだコロン! 武上純希 しのゆきひろ 高橋和徳 鹿児島
04/14 11 ドロンジョ様はお年頃だコロン! 高橋ナツコ 玉川真人 井口忠一 宮崎
04/28 12 オモッチャマ危機一髪だコロン! 本田雅也 西本由紀夫 渡部圭祐 米ネバダ州
ラスベガス
05/05 限定版1 今夜限りのドロンボーVSみのもんた!
アナタも一緒に脳力対決!!
ガッチャマンやマッハ号も登場スペシャルだコロン!
加藤陽一 大庭秀昭
鈴木幸雄
中村憲由
しのゆきひろ 宍戸久美子
高橋和徳
高田晃
錠前龍治 東京・港区
05/12 13 ぶらり巣鴨のカリスマだコロン! 渡邊大輔 古川順康
萩原露光 川口弘明 東京・巣鴨
05/19 14 ヤッターペリカン登場だコロン! 武上純希 中村憲由
鈴木清崇 羽山賢二 地球・石器時代
06/16 15 ヤッターメカが仲間割れ? だコロン! 高橋ナツコ 中村憲由
小林浩輔 古池敏也 神奈川・横浜
06/23 16 悟空探しはゴクウロウだコロン! 武上純希 しのゆきひろ 高橋和徳 アノ国
407 :
( ´∀`)ノ7777さん:2009/02/05(木) 00:41:08 ID:AmY19n5A0
06/30 17 お宝鑑定ならプライスレスだコロン! 平見瞠 さいとういたる
青柳宏宣 相坂ナオキ
山崎正和
井口忠一 石川・金沢
07/07 18 OldDays 下町の夕日だコロン! 武上純希 玉川真人
上村泰 井口忠一 東京・六本木
(昭和30年代)
07/14 19 無人島でブータレキャンプだコロン! 池田眞美子 榎本守 中武学 無人島
07/28 20 崖っぷちのトールーだコロン! 高橋ナツコ 佐藤照雄 戸部敦夫 神奈川・江の島
08/04 21 はりきりホッター魔法の宝だコロン! 平見瞠 しのゆきひろ
鈴木幸雄
中島豊秋 高橋和徳 茨城・つくば
08/11 22 ご当地ヒーロー大活躍だコロン! 渡邊大輔 山崎和男
雄谷将仁 川口弘明 香川・琴平
09/01 23 クリスタルスカル発見だコロン! 武上純希 中村憲由
小林浩輔 古池敏也 東京・浅草
09/08 24 USAの選挙は大接戦だコロン! 渡邊大輔 菱田正和
上村泰 井口忠一 大分・宇佐
11/10 25 ヤッターアンコウ登場だコロン! 高橋ナツコ 菱田正和
羽多野浩平 草間英興 海底
11/24 限定版2 今夜限りのドロンボーVSドロンボー!
生瀬・ケンコバ・深キョンに
あのヒーローも登場スペシャルだコロン! 加藤陽一 菱田正和
上村泰 中島豊秋 井口忠一 高橋和徳 東京・日活スタジオ
408 :
( ´∀`)ノ7777さん:2009/02/05(木) 00:42:38 ID:AmY19n5A0
12/01 26 歴代三悪オールスター勢揃いだコロン! 本田雅也 中村憲由
矢花馨 古池敏也 兵庫・西宮
甲子園球場(の隣)
12/08 27 決戦エド・はるみ 江戸でグーだコロン! 武上純希 大久保政雄 高橋和徳 日本・江戸時代
12/15 28 年末SP紅白メカ合戦は大混乱だコロン! 渡邊大輔 山崎和男
榎本守 中武学 東京・渋谷
2009年
02/02 29 フィギュアスケート女王決定だコロン! 本田雅也 羽多野浩平 井口忠一
02/09 30 バレンタインはラブ工場見学だコロン! 渡邊大輔 中村憲由
矢花馨 古池敏也
02/16 31 アイちゃんに恋のライバル!?だコロン!
本放送日は制作元の読売テレビでの放送日を基準とするが、遅れネット局が無いため、全国同一の放送日となる。
但し、日曜日7時へ移動する2009年4月以降は未定(一部系列局がローカルセールス枠となっているため)。
放送局
放送局 放送期間 放送曜日 時間
読売テレビ制作・日本テレビ系列 2008年1月14日 - 9月8日 月曜日 19時00分 - 19時30分
2008年11月10日 - 19時29分45秒 - 20時00分
2009年4月 - 日曜日 7時00分 - 7時30分
この節には予定される事象を扱っている文章が含まれています。
性急な編集をせず事実を確認の上投稿してください。
日本テレビ系列・読売テレビ制作 月曜19時台前半
前番組 番組名 次番組
秋のミステリーアワー
409 :
( ´∀`)ノ7777さん:2009/02/05(木) 00:44:11 ID:AmY19n5A0
(名探偵コナン・金田一少年の事件簿)
※1時間枠 ヤッターマン(アニメ第2作)
(2008.1.14 - 9.8) 名探偵コナン
※同番組よりアニメ☆7前半枠
日本テレビ系列・読売テレビ制作 月曜19時台後半
名探偵コナン ヤッターマン(アニメ第2作)
(2008.11.10 - )
※本番組のみアニメ☆7後半枠 サプライズ
※同番組よりバラエティ枠
ヤッターマン×トウシバ
番組スポンサーの東芝が、自社公式サイト内に自社製品をモチーフにした
大河原邦男の書き下ろしによるオリジナルメカなどが登場するWebアニメ。
全12話。ストーリーはアニメと同様であるが、ドクロリングならぬLSIの形をした
ドクロチップを手に入れる展開となっており、ヤッターメカのパワーアップアイテムである
メカの素がICチップが組み込まれたセミコンメカの素に変更されている。
南明奈が本人役でオモッチャマと共演するバージョンもあり、第8話でもゲスト出演している。
サブタイトル
パワー・メタブレインで高画質だコロン!
1台4役のすぐれものだコロン!
真空圧縮で輝くゴハンだコロン!
夢の二大スター競演だコロン!
※ゲストキャラとして東芝製携帯電話のイメージマスコットキャラクターである
「トウシバ犬」と骨をモチーフにしたマスコットキャラクターの「ホネ子」が登場する。
410 :
( ´∀`)ノ7777さん:2009/02/05(木) 00:45:51 ID:AmY19n5A0
ツイン冷却で新鮮野菜だコロン!
きれいな空気で大清快だコロン!
ずっとそっとのサイクロンだコロン!
マイクロメモリで楽しい思い出(メモリー)だコロン!
ヒートポンプで純白ふんわり仕上げだコロン!
石窯オーブンは恋の味だコロン!
プライドをかけた戦いだコロン!
発見! スンバらしいお宝だコロン!(最終話)
他メディアへの展開
このアニメ化と連動する形で以下のメディアミックス作品が展開されている。
ただいま参上!!ヤッターマン - 「コロコロイチバン!」第14号から連載。
ヤッターマン外伝 ボケボケボヤッキー - 「月刊コロコロコミック」08年2月号から連載
(萬屋不死身之介が作画)。ボヤッキーを主役としたスピンオフ作品である。
ヤッターマン - 「テレまんがヒーローズ」2008年春号から連載(あおきけい&みかまるが作画)。
ヤッターマン - 「小学館の学習雑誌 小学一年生・小学二年生・小学三年生」2008年4月号から連載
(こしたてつひろが作画)。
ヤッターマン デンゲキ大作戦 - 「デンゲキニンテンドーDS」2008年5月から連載。(帯ひろ志が作画)
実写映画
この節には発売・提供前の新製品・サービス、開店前の店舗、
営業・運用開始前の交通機関・車両などに関する記述があるため、性急な編集をしないでください。
実写版「YATTERMAN ?ヤッターマン?」が2009年3月7日、全国松竹・東急系劇場にて公開を目指し、
製作が進行している。配給は松竹と日活の共同配給。
411 :
( ´∀`)ノ7777さん:2009/02/05(木) 00:46:42 ID:AmY19n5A0
キャスト
ヤッターマン
ヤッターマン1号(高田ガン):櫻井翔(嵐)
ヤッターマン2号(上成愛):福田沙紀
オモッチャマ(声):たかはし智秋
ドロンボー一味
ドロンジョ:深田恭子
ボヤッキー:生瀬勝久
トンズラー:ケンドーコバヤシ
ドクロベー(声):滝口順平
映画オリジナル
海江田博士:阿部サダヲ
海江田翔子:岡本杏理
ナレーター、ヤッターワン(声)、 おだてブタ(声):山寺宏一
スタッフ
制作総指揮:佐藤直樹、島田洋一
監督:三池崇史
脚本:十川誠志
キャラクター&メカニカルリファインデザイン:寺田克也
キャラクター・スーパーバイザー:柘植伊佐夫
撮影:山本英夫
美術:林田裕至
音楽:神保正明、山本正之、藤原いくろう
412 :
( ´∀`)ノ7777さん:2009/02/05(木) 00:48:02 ID:AmY19n5A0
アクションコーディネイト:辻井啓伺
特殊メイク:若狭新一
CGIディレクター:坂美佐子、太田垣香織
プロデューサー:千葉善紀、山本章、佐藤貴博
エグゼクティブプロデューサー:奥田誠治、由里敬三
企画制作:日活
制作プロダクション:日活撮影所
制作協力:ジャンゴフィルム
制作:日活、日本テレビ、タカラトミー、松竹、バップ、読売テレビ、文化放送、ジェイ・ストーム、ホリプロ、OLM、タツノコプロ
配給:松竹、日活
主題歌
『Believe』(3月4日発売)
作詞・作曲:100+ 編曲:吉岡たく 歌:嵐
劇中歌
『ヤッターマンの歌2009』
作詞:若林一郎 補作詞/作曲/歌:山本正之
※実写版の公開決定に伴い、新アレンジで再レコーディングされた。
その他
ヤッターワンの撮影は全長5.5mのものを製作し、そこにCGを駆使して撮影が行われた。
尚、このヤッターワンは2008年8月23日 - 8月31日に開催されたわくわく宝島で展示されていた。
11月2日 - 11月3日に浜松市で行われた「浜松町グリーンサウンドフェスタ」では
最新ポスタービジュアルが配布されていた。
映画版の宣伝の一環もかね11月24日放送のアニメ版1時間SPにおいて
実写版ドロンボーの3人がゲストとして出演。
413 :
( ´∀`)ノ7777さん:2009/02/05(木) 00:49:41 ID:AmY19n5A0
アニメ版ドロンボー一味が実写版ドロンジョこと深田の指輪を狙うという内容でメカでの対決も行った。
なお、この話でドロンボー一味3人のコスチュームが解禁されたほか、劇中で予告編が流れた。
舞台は、セットであり、破壊された渋谷駅の前である。
ドロンボーメカは、アニメ1作目第1話に登場したダイドコロンをデザインリファインしたものが
登場する予定で、限定1時間SPにも登場していた。
主演を務めている縁から、12月28日放送の「驚きの嵐!世紀の実験 学者も予測不可能スペシャル5」では
櫻井が「ドクロ雲は制作可能か?」と言う実験を、空気砲や花火や風船の中に小麦粉をいれた物を使い、
やったことがある(結果は「CGでないと不可能」)。
2009年元日に、ガンちゃんの衣装を着た櫻井翔の写真付き年賀状が裏面に印刷された、
日本郵政グループからの挨拶状が全戸配布された。
ゲームソフト
NEWヤッターマン 難題かんだいヤジロベエ(1996年3月22日発売。スーパーファミコン用、ユタカ)
ヤッターマンDS ビックリドッキリ大作戦だコロン(2008年4月発売。ニンテンドーDS用、タカラトミー)
ヤッターマンDS2 ビックリドッキリアニマル大冒険だコロン(2008年10月発売。ニンテンドーDS用、タカラトミー)
ヤッターマンWii ビックリドッキリマシンで猛レースだコロン(2008年12月発売。Wii用、タカラトミー)
パチンコ・パチスロ
パチンコ・CRヤッターマン(2001年・平和)
パチンコ・CRドロンジョにおまかせ(2005年・平和)
パチンコ・CRAポチッと一発!おだてブタ(2008年・平和・オリンピア)
パチスロ・ドロンジョにおまかせ(2003年・平和)
パチスロ・ヤッターマン只今参上(2007年・平和)
携帯電話用アプリ
RPGヤッターマン - 2006年・ケムコ・iアプリ、EZアプリ (BREW3.1)、S!アプリに配信。
シナリオは寺田憲史。キャラクターデザインはテレビアニメ第1作に準拠。
414 :
( ´∀`)ノ7777さん:2009/02/05(木) 01:50:24 ID:AmY19n5A0
アクションメカバトル ヤッターマン - 2008年・ケムコ・S!アプリ、iアプリに先行配信。
EZアプリ(BREW3.1)に近日配信予定。ヤッターマンの世界観を再現したバトルシミュレーションゲーム。
キャラクターデザインはテレビアニメ第2作に準拠。
ヤッターマン×ボンバーマン[14] - ハドソン・2008年11月27日よりEZアプリ (BREW3.1/4.0) にて
先行配信。ボンバーマンとのコラボレーションを実現した対戦型ゲームアプリで
Bluetoothインターフェイスを搭載したauの一部のKCP+対応端末に限り、
対人対戦が可能な「対戦モード」に対応する。
ちなみに本アプリにはモグラ叩きと同じ要領で携帯電話のテンキーを押して
制限時間内に画面上のおだてブタを叩いていくというルールのミニゲーム
『ドロンボーのピコっとな♪』が付属する。キャラクターデザインはテレビアニメ第2作に準拠。
関連項目
フジテレビ系アニメ
日本テレビ系アニメ
外部リンク
ヤッターマン総合ポータルサイト
無料動画GyaO ヤッターマン(第1作)無料動画配信
ytv・アニメリメイク版HP
実写映画版・公式HP
ヤッターマン特集 【コドモ.DOGATCH】
ヤッターマン × トウシバ ?ビックリドッキリ東芝メカ? キャンペーンHP
表・話・編・歴タイムボカンシリーズ
415 :
( ´∀`)ノ7777さん:2009/02/05(木) 01:52:10 ID:AmY19n5A0
テレビシリーズ タイムボカン - ヤッターマン - ゼンダマン- オタスケマン -
ヤットデタマン - イッパツマン - イタダキマン - タイムボカン2000 怪盗きらめきマン -
ヤッターマン(リメイク版)
OVA タイムボカン王道復古
ラジオドラマ 平成タイムボカン
ゲーム ボカンと一発!ドロンボー - ボカンですよ - ボカン伝説 - ボカンGo Go Go -
ドロンジョにおまかせ(PS2版) - ヤッターマンDS - ヤッターマンDS2 - タツノコ VS. CAPCOM
パチンコ CRヤッターマン-CRドロンジョにおまかせ
パチスロ ドロンジョにおまかせ - ヤッターマン只今参上
主要スタッフ 吉田竜夫 - 吉田健二 - 九里一平 - 鳥海尽三 - 小山高生 - 笹川ひろし - 天野喜孝 -
大河原邦男 - 山本正之-神保正明
常連声優 小原乃梨子 - 八奈見乗児 - たてかべ和也 - 滝口順平 - 富山敬
用語 ポチっとな - 三悪
416 :
( ´∀`)ノ7777さん:2009/02/05(木) 01:58:30 ID:AmY19n5A0
阪神タイガース
阪神タイガース(はんしんタイガース、HANSHIN Tigers)は、日本のプロ野球球団で、
セントラル・リーグの球団のひとつ。
運営法人は阪急阪神東宝グループの系列下である阪神電気鉄道。
兵庫県を保護地域とし、同県西宮市にある阪神甲子園球場を専用球場(本拠地)としている。
二軍(ウエスタン・リーグ)の本拠地は、同市にある阪神鳴尾浜球場。
2005年 - 2007年度ペナントレースでの観客動員実数は12球団中で唯一300万人を超える。
2009年のチームスローガンは「Focus on this play, this moment!!」(そのプレー、その一瞬に集中せよ)。
1935年、前年末の大日本東京野球倶楽部(東京ジャイアンツ)設立をうけて、
阪神電気鉄道が職業野球団を組織する準備を始めた。
ジャイアンツは読売新聞が部数の拡大を目的として設立した球団で、
特定のリーグに所属しないそれまでのプロ球団とは違い、数チームでリーグを結成した上で
安定した興行を行いたいという新聞本社の考えから対戦相手を探していた。
特に、東京、大阪、名古屋の三大都市圏で試合を行うことを目指していたので、
大阪近郊に甲子園球場という日本最大の球場を持っていた阪神電気鉄道が
球団を設立することになった。
1935年10月25日の門前眞佐人との入団契約を皮切りに山口政信、藤村富美男、藤井勇といった
甲子園のスター選手と都市対抗野球の強豪・大連実業の松木謙治郎らを集め、
同年12月10日に「株式会社大阪野球倶楽部」、球団名大阪タイガース(おおさかタイガース)が発足した。
日本運動協会、天勝野球団、大日本東京野球倶楽部に続く日本で4番目のプロ野球チームであった。
417 :
( ´∀`)ノ7777さん:2009/02/05(木) 02:01:19 ID:AmY19n5A0
翌1936年にも、1月9日に川崎コロムビアの若林忠志、2月28日に立教大学の景浦將など
有力選手と契約し、同年4月の球団結成記念試合までに17名の選手を獲得した。
同年2月5日には、東京ジャイアンツ、名古屋、阪急等と共に日本職業野球連盟を結成している。
これは、現在の日本野球機構にあたる組織であり、同日が日本プロ野球リーグのはじまりである。
本拠地・阪神甲子園球場で応援するファンの様子1936年の公式戦は、
春(第1回日本職業野球リーグ戦)・夏(連盟結成記念全日本野球選手権)・
秋(第2回全日本野球選手権)の3シーズンに分けて東京、大阪、名古屋の各都市圏で
いくつかの大会を開催する方式だった。
最初のシーズンである春は、東京ジャイアンツがアメリカ合衆国遠征を行っていて出場しなかった
(後に名古屋金鯱軍も内外遠征を行っている)ためシーズン優勝は決めなかった。
しかし、開催された3大会で松木や景浦率いる打線にエースの若林といった布陣で臨んだが、
タイガースはいずれも1位を逃した。
1936年夏と秋のシーズンは、各大会で1位になった回数でシーズン優勝を決める勝ち点制だった。
夏、名古屋大会で1位になったタイガースは、東京大会、大阪大会で1位になった名古屋、阪急と
優勝決定戦を行うこととなっていたが、直前になって中止され、初優勝を逃した。
また親会社同士が競争関係にある阪急に勝てなかったことから、初代監督の森茂雄が解任され、
石本秀一が監督に就任した。
同年秋、打倒沢村栄治に闘志を燃やす松木や景浦を中心として各大会を戦い抜き、
24勝6敗1分の成績を残したが、優勝を決める勝ち点は2.5で東京ジャイアンツと並んだ。
このため、同年12月に洲崎球場で優勝決定戦が行われたが、1勝2敗で惜敗した。
戦前・戦中は常に東京ジャイアンツ(1940年に「東京巨人」に改称)と優勝争いを繰り広げた
強豪チームであった。
418 :
( ´∀`)ノ7777さん:2009/02/05(木) 02:03:25 ID:AmY19n5A0
特に1937年秋、1938年春には、御園生崇男に加えて1937年春から豪腕西村幸生が加入した
磐石の投手陣と、松木、山口、景浦、藤井、田中義雄らの強力打線を擁して
プロ野球初の2連覇を達成した。
さらに、春秋2シーズン制を採用していたこの2年間は、
春と秋のシーズン優勝チーム同士が戦う年度優勝決定戦でいずれもジャイアンツを破り、
年度優勝に輝き球団初の日本一、さらには2年連続日本一となった。
1940年9月、戦局悪化によって敵性語である英語の使用禁止を受け、
球団名を大阪タイガースから阪神に改称した。
軍の召集により選手数が不足する苦しい状況で、1944年には監督兼主戦投手の若林忠志が
35試合中31試合に登板してタイトルを総なめにし、3度目の優勝を遂げた。
戦争が激化するなか、1944年の総進軍大会、ならびに1945年1月の正月大会(非公式大会)に
「猛虎(阪神と産業の合同チーム)」の名称で参加したのを最後に、同年3月に活動を停止した。
戦後期(1946年 - 1959年)
戦後、1945年11月の東西対抗戦(非公式大会)より復帰し、
1946年3月に球団名を大阪タイガースに戻した。
したがって、翌1947年に大リーグに倣って職業野球全球団がニックネームを導入した際、
タイガースだけは球団名の変更を行う必要がなかった。1946年の愛称は「猛虎」(参照)。
1947年、若林が1944年と同様に投手兼監督として最高殊勲選手賞(MVP)を受賞する活躍をみせ、
戦後初優勝となる通算4度目の優勝を飾った。
1番打者・呉昌征から始まり金田正泰、藤村、土井垣武などリーグ屈指の強打者を並べた打線は
「ダイナマイト打線」と呼ばれた。
特に4番打者であった藤村は、物干し竿と呼ばれる長いバットを用いて本塁打を量産し、
「ミスタータイガース」と称された。
1949年には、チーム順位が6位にもかかわらず藤村が最高殊勲選手賞を受賞した。
419 :
( ´∀`)ノ7777さん:2009/02/05(木) 02:06:33 ID:AmY19n5A0
1949年オフの新球団加盟問題では、当初は毎日オリオンズら新球団の加盟に消極的ながら賛成していた。
しかし最終的には反対派にまわり、2リーグ分立に際して読売ジャイアンツ等と共にセ・リーグを創設した。
阪神に裏切られた形となった新球団毎日は、戦力確保のためにタイガースの選手を
集中的に引き抜いた。監督兼主戦投手の若林を始め、打撃、守備の中心である呉(1番中堅手)、
別当薫(3番右翼手)、土井垣(5番捕手)、本堂保次(6番二塁手)ら6名が毎日に移籍した。
また別府星野組の左腕投手・荒巻淳もタイガース入団が内定していたが、毎日に奪われている。
さらに遊撃手・長谷川善三が西鉄クリッパースへ、門前眞佐人が大洋ホエールズへ移籍し、
ダイナマイト打線は崩壊した。
セ・リーグ元年の1950年、阪神は移籍した若林に代わり松木が監督に就任し、
毎日に引き抜かれずに残留した藤村、金田、後藤次男、藤村隆男、梶岡忠義、白坂長栄らを中心に
チームを構成して前年を上回る4位という順位を確保した。
しかし新規に加盟した球団を除けば最下位であり、レギュラーの3分の2が流出した影響は深刻だった。
一方、チームの再建のため、ファームの結成や本格的なスカウト制度の導入などの改革により、
世代交代の準備を進めた結果、1950年代には吉田義男、渡辺省三、小山正明、田宮謙次郎などの
若手選手達が次々と主力になり、好成績を収めた。
しかし投打が今一歩噛み合わず、水原茂監督率いる巨人が黄金時代の真っ直中にある中で
タイガースは優勝から遠ざかることになった。
1959年6月25日の巨人11回戦は、プロ野球史上初の天覧試合となった。
試合は藤本勝巳の本塁打と、小山-村山実の継投で優位に進めるも、
9回裏に長嶋茂雄の放った左翼ポール際の打球を本塁打と判定され、4-5で惜敗した。
フランチャイズ制度の正式導入に伴って保護地域が兵庫県となったことから、
1961年に社名を「株式会社阪神タイガース」、チーム名も阪神タイガースに変更した。
しかし、チームの成績が低迷した上に、主力選手と度々衝突を繰り返した金田正泰が
シーズン中に監督を解任されるなど、チームは混乱した。
420 :
( ´∀`)ノ7777さん:2009/02/05(木) 02:09:24 ID:AmY19n5A0
金田の後任として、巨人時代に7度のシーズン優勝を誇り、当時ヘッドコーチを務めていた
藤本定義が監督に就任した。
1962年、藤本の下、小山、村山の両エースの力投と遊撃手・吉田、三塁手・三宅秀史、
二塁手・鎌田実らによる守りの野球で2リーグ分立後では初となる通算5度目のリーグ優勝を果たした。
日本シリーズでは東映フライヤーズと対戦したが、2勝4敗1分で敗退した。
1964年、エース小山と大毎オリオンズの4番打者山内一弘とのトレードを成立させて
打撃を強化する一方、ジーン・バッキーらが小山の穴を埋め、6度目の優勝を果たした。
大洋ホエールズがあと1勝すれば優勝という絶体絶命のピンチに追い詰められながらも、
最後に9連勝で逆転優勝を決めた奇跡的なシーズンだった。
しかし、東京オリンピックの影響で早く始まった日本シリーズでは、
南海ホークス相手に先に王手を掛けながらジョー・スタンカに2試合連続完封負けを喫し、3勝4敗で惜敗した。
迷走から日本一へ(1970年 - 1985年)
1970年、村山が選手兼任監督に就任。
江夏豊と田淵幸一の「黄金のバッテリー」や吉田からレギュラーを奪った藤田平といった
個性的で人気と実力を兼ね備えた選手が揃ったが、当時は王貞治や長嶋茂雄ら
群を抜いた戦力を持つ巨人が絶頂期を迎えており、太刀打ちできなかった
(1970年2位、1971年5位、1972年2位)。
1971年のオールスターゲームでは、江夏が9者連続奪三振を記録した。
1972年に村山が監督の肩書のまま投手に専念したため、金田正泰が監督代行を務めている。
村山はこの年限りで引退。
1973年、金田監督が復帰して9連覇を目指す巨人と激しい優勝争いを行い、
残り2試合で1勝すれば優勝というところまでこぎつけたものの、
中日球場での中日ドラゴンズ戦では星野仙一を攻略できずに2-4で敗れ、
地元甲子園での最終戦では巨人に0-9と完敗して優勝を逃した。
421 :
( ´∀`)ノ7777さん:2009/02/05(木) 02:12:35 ID:AmY19n5A0
1975年、吉田が監督に就任。田淵が王を抑えて本塁打王を獲得するも、エース江夏の不調などから3位に終わった。
そしてオフに江夏を江本孟紀、島野育夫らとのトレードで南海へ放出。
翌1976年は当時新記録のシーズン193本塁打など打撃陣は好調。
ハル・ブリーデン、マイク・ラインバック、掛布雅之らの活躍により、
巨人と激しく優勝争いを演じるが結局2ゲーム差の2位に終わる。
1977年も序盤は好調だったが、中日戦で8勝18敗と負け越したことが大きく響いて4位に終わった。
後藤次男監督時代の1978年には球団初の最下位に沈み、後藤は責任を取る形で辞任した。
1978年オフ、小津球団社長が就任。
小津は低迷するチームの改革を図るためには大規模な改革が必要と考え、
正捕手・4番打者の田淵とエース級の古沢憲司を西武ライオンズの竹之内雅史、真弓明信、
若菜嘉晴との交換トレードで放出。
さらに空白の1日事件で巨人が江川卓と契約しようとすると、これに対抗してドラフトで江川を強行指名した。
しかし、巨人入団を強く望む江川との交渉は難航し、結局当時の日本野球機構コミッショナー金子鋭の指示、
所謂“強い要望”により江川を巨人に移籍させ、その見返りとして巨人のエース・小林繁を獲得した。
1979年、ドン・ブレイザーが監督に就任。
掛布が48本塁打を放ち、小林が巨人戦8勝を含む22勝を挙げたが、
江夏を擁する広島東洋カープに夏場で離されて4位に終わる。
1980年、新人の岡田彰布の起用法を巡る対立などにより、ブレイザーがシーズン途中で監督を辞任。
以降、中西太、安藤統男が監督に就任したが、チーム成績は3〜5位が続いた。
1985年、吉田が監督に復帰。
1番・真弓、3番・ランディ・バース、4番・掛布、5番・岡田らの強力打線(第2次ダイナマイト打線)が活躍し、
特に4月17日の甲子園球場の巨人戦ではこのクリーンナップトリオが
所謂バックスクリーン3連発を放って開幕ダッシュに弾みをつけた。
このシーズンは最終的に219本塁打を記録し、これは2004年に巨人に破られるまでセ・リーグ記録だった。
422 :
( ´∀`)ノ7777さん:2009/02/05(木) 02:15:25 ID:AmY19n5A0
特に阪神初の三冠王に輝いたバースは本塁打が54本と、
巨人の王のシーズン最多本塁打記録に迫る活躍をしたが、シーズンの最終2戦で、
記録保持者の王が監督として率いる巨人に敬遠攻めをされ、記録更新を阻まれた。
翌日のスポーツ報知は、“バース、記録達成失敗”との見出しで記事を載せ、
「自分は敬遠するよう指示しなかった」という王監督のコメントも掲載された。
ただ、元巨人のカムストック投手が、帰国後に米国のスポーツ誌のインタビューに解答したところによれば、
試合前に巨人の全ピッチャーに「バースにストライクを1球投げるごとに罰金100万円」
という脅しが出ていたという。
当時、巨人の親会社である読売新聞社には阪神ファンからの抗議が殺到した。
夏場まで首位を快走していたが8月12日に発生した日航機墜落事故で、
当時の球団社長だった中埜肇が急逝するという不幸に見舞われた。
訃報を受けた吉田は選手と共にユニホーム姿で中埜の霊前に優勝を誓った。
このシーズンは、強力打線に加えて中西清起、福間納、山本和行らのリリーフ投手陣も大車輪の活躍をみせた。
そして10月16日、神宮球場でのヤクルトスワローズ戦を終盤引き分けに持ち込んで
見事21年ぶりのリーグ優勝を果たした。
さらに11月2日、西武球場での日本シリーズ第6戦で西武ライオンズを下し(シリーズ4勝2敗)
悲願の日本一を達成した。MVPとなったバースは、翌年も三冠王を獲得した。
第一次低迷期(1986年 - 1992年)
1986年、バースがシーズン打率.389・シーズン長打率.777・7試合連続本塁打・13試合連続打点の
日本新記録をマークして大活躍したが、掛布の骨折と主軸投手の池田親興の負傷による
長期戦線離脱や、岡田などの主力選手の不振が影響し、夏のロードで
広島・巨人との優勝争いから脱落して3位に終わった。
1987年は球団史上最低勝率(3割3分1厘)を記録してシーズン最下位となり、吉田は監督を辞任した。
423 :
( ´∀`)ノ7777さん:2009/02/05(木) 02:18:14 ID:AmY19n5A0
1988年、村山実が監督に復帰。「少年隊」トリオと呼ばれた和田豊、大野久、中野佐資を登用するなど
若手への世代交代を進めたが、バースの帰国、掛布の引退などが重なって2年連続最下位。
1989年は新外国人のセシル・フィルダーが活躍するも、三振してバットを叩きつけた際に骨折して帰国。
順位は5位で、辛うじて3年連続最下位は免れたが、シーズン中から浮上した監督問題で
村山は監督を辞任した。
1990年、中村勝広が監督に就任。前ヤクルトのラリー・パリッシュや岡田が5月中盤まで好調だったが、
投手陣はエースのマット・キーオが怪我で退団し、規定投球回数に達したのは5勝11敗の猪俣隆と
4勝13敗の仲田幸司のみという惨状で2年ぶりの最下位。
1991年も、開幕5連敗、6月に10連敗を喫するなど、開幕から55試合で15勝40敗と成績は振るわず、
結局2年連続の最下位となった。
後半戦は、猪俣、葛西稔といった若手投手が台頭し、5連続先発投手完投勝利を収めた。
また、オフにビートたけし率いるたけし軍団と対戦して敗れるという失態もあった。
1992年、衰えが見えていた主力の岡田や真弓らに代わり、
それまでほとんど実績が無かった亀山努、新庄剛志の両外野手に加え、
和田豊、トーマス・オマリー、ジム・パチョレック、八木裕らが活躍。
特に亀山と新庄の台頭は「亀新フィーバー」と呼ばれた。
甲子園球場のラッキーゾーンが撤去されて外野が広くなったこともあり、
仲田、中込伸、湯舟敏郎、野田浩司、弓長起浩、田村勤ら投手陣も奮起し、
ヤクルトと優勝争いを繰り広げ、巨人と同率ながら2位となった。
第二次低迷期(1993年 - 2002年)
1993年、主力選手の故障に加え、外国人枠を巡ってパチョレックが退団、
昨年絶好調だった投手陣が崩壊し、4位に終わった。
なお、この年に野田と交換トレードで獲得した松永浩美がFAを宣言して
福岡ダイエーホークスへ移籍した。
>>403 はちもおいどんだったのかお(・∀・)
奇遇でつね(・∀・)
下柳はパッと見外人枠。
426 :
せ:2009/02/05(木) 13:30:58 ID:IQ3C9ddCO
はいはい2日目くりあくりあ
はい、クリア。
はい、引き続き阪神wikiでお楽しみくだちぃ
1994年、FAでオリックスから石嶺和彦を獲得。
新人の藪恵壹、オリックスから移籍の古溝克之が活躍してシーズン後半まで首位争いに加わったが、
終盤の7連敗により2年連続の4位。同年オフ、長打力不足などを理由にオマリーを解雇した。
1995年には、FAでオリックスから山沖之彦を獲得。
開幕から和田、石嶺といった日本人打者の不振もあって極度な成績低迷が続き、
中村がシーズン途中で監督を辞任。藤田平が監督代行で指揮を取るも4年ぶりの最下位に終わった。
1996年、藤田が正式に監督へ就任。
怪我の亀山に代わり桧山進次郎が台頭するも、チームは開幕から低迷。
5月終了時点で借金15と、早々にペナントレースから脱落し、最終的には2年連続最下位となった。
新庄や主力選手との確執により、藤田がシーズン途中で監督を辞任した。
1997年、吉田義男が3たび監督に就任。中盤まで上位を狙える位置にいたが、
マイク・グリーンウェルの途中退団、新庄剛志ら主力選手の不振により失速し、5位に終わった。
オフに久慈照嘉と関川浩一を中日へ放出し、大豊泰昭と矢野輝弘を中日から獲得。
1998年は、新人の坪井智哉が奮闘したものの、アロンゾ・パウエル、大豊といった主力打者が不振。
8月の死のロード中に球団ワースト記録となる12連敗(横浜、ヤクルト、中日、巨人の4チームに
3タテ)を喫して2年ぶりの最下位となり、シーズン後に吉田は監督を辞任した。
1999年、前ヤクルト監督の野村克也が監督に就任。
6月には一時首位に立ったが、先発投手陣の不振から徐々に失速、最下位に終わった。
2000年、4月に9連勝して首位に立ち、5月には近鉄からトレードで吉田剛・西川慎一を獲得。
吉田がいぶし銀の活躍を見せ、さらには新庄剛志が自己最高の28本塁打を放ったが、
結果は3年連続の最下位。オフに新庄がニューヨーク・メッツにFAで移籍した。
1994年、FAでオリックスから石嶺和彦を獲得。
新人の藪恵壹、オリックスから移籍の古溝克之が活躍してシーズン後半まで首位争いに加わったが、
2001年、井川慶が防御率2位の活躍、濱中治の台頭、赤星憲広が盗塁王・新人王を獲得したが、
イバン・クルーズら外国人打者の期待外れもあり、球団創設以来初となる4年連続最下位。
野村は、チームの柱となる選手の獲得をたびたび球団に要請するも金銭的な理由で断られ、
夫人の野村沙知代の脱税の責任を取って、この年限りで監督を辞任した。
2002年、前中日監督の星野仙一が監督に就任。FAで片岡篤史が日本ハムから加入。
開幕7連勝と好スタートを切って優勝争いに絡んだが、矢野輝弘や赤星憲広がケガで離脱し
夏場以降は巨人に圧倒されて結局は4位だった。
しかし、巨人との直接対決の試合で、マジック対象チームの敗戦で巨人の優勝が
試合中に確定していたものの、劣勢だった試合を延長戦でサヨナラ勝ちし、
巨人を「試合に負けて原辰徳監督を胴上げ」という事態にさせた。
オフには所属選手の解雇・放出を断行した一方、元ニューヨーク・ヤンキースの伊良部秀輝を獲得し、
日本ハムから下柳剛や野口寿浩らをトレードで獲得した。
また、広島から金本知憲をFAで獲得した。
名門復活(2003年 - )
2003年は開幕より快進撃を続け、優勝マジックをセ・リーグ史上最速となる7月8日に点灯させ、
9月15日に18年ぶりのリーグ優勝を果たした。
日本シリーズは福岡ダイエーホークスと戦い、第7戦までもつれ込んだが3勝4敗で敗れた。
シリーズ終了後、星野は体調不良を理由に監督を退任した。
この試合はテレビ東京系列で29年ぶりの日本シリーズ中継として放送された。
なお、星野に招聘されたコーチ陣のうち、島野育夫はフロントに転出して管理部長として、
オマリーは駐米スカウトとして球団に残ったが、田淵幸一と達川光男、西本聖は退団した。
アテネ五輪出場による離脱で大幅な戦力低下が響いて4位だったが、
翌2005年、ジェフ・ウィリアムス、藤川球児、久保田智之(「JFK」)や桟原将司、橋本健太郎、
江草仁貴(「SHE」)などの救援陣の活躍、アンディ・シーツ、金本知憲、今岡誠による
クリーンナップの安定した成績で、この年から導入された交流戦で好成績をあげて首位に立つと、
シーズン終了まで1度もその座を譲ることなく5度目のリーグ優勝を飾った。
また、下柳剛が規定投球回未到達ながら最多勝を獲得するという珍事もあった。
千葉ロッテマリーンズとの日本シリーズは0勝4敗で敗退した。
2006年は最後まで中日との優勝争いを繰り広げ、シーズン終盤に9連勝したものの、
今岡の不振と負傷、久保田の負傷など、主力選手の不振が響いて2位となった。
しかし、1985・1986年以来20年ぶりに2年連続のAクラス及び球団史上初の2年連続80勝を達成し、
2005年から実施された実数での観客動員数は2年連続で300万人を超え、
1試合平均観客動員数は12球団一の4万3,000人台だった。
オフに井川慶がポスティングシステムでニューヨーク・ヤンキースへ移籍した。
2007年は4月から5月にかけて先発・打撃陣の不振で9連敗を喫し、
交流戦でも9勝14敗1分の10位と低迷して借金は最大で9を抱えた。
リーグ戦再開後は、打撃陣が挙げた少ない点数をJFKを筆頭とした中継ぎ陣で守り抜く野球で、
上位の巨人・中日と戦った7月の13戦を10勝3敗で切り抜け、この月を15勝6敗と大きく勝ち越す。
8月の長期ロードも12勝8敗1分で2年ぶりに勝ち越し、シーズン終盤には10連勝して一時首位に立った。
しかし、9月後半にJFKが失点を許す場面が目立ち、さらに先発・打撃陣ともに不振に陥って
8連敗を喫するなど失速し、最終的には3位に終わった。
クライマックスシリーズ第1ステージではリーグ2位の中日と対戦。
1戦目・2戦目共に初回の大量失点と打撃陣の不振が響き、2連敗で敗退した。
この年は、先発陣の完投が杉山直久、能見篤史、上園啓史による3回だけ(12球団最少)で、
2003年のオリックス・ブルーウェーブ以来4年ぶりに、規定投球回数に到達した投手がいないという事態に陥った。
2004年、岡田彰布が監督に就任。
1年目は片岡篤史ら主力選手の不振、更に藤本敦士、安藤優也、ジェフ・ウィリアムスの
また、打率・得点も12球団中最下位だった。
オフに、広島からFA宣言した新井貴浩、トレードで金村曉、平野恵一、阿部健太を獲得。
代わって、FAの人的補償で赤松真人、トレードで中村泰広、濱中治、吉野誠を放出した。
2008年はシーズン序盤から首位を独走し、5月6日の対巨人戦では、巨人に次いで
プロ野球史上2球団目の球団通算4,500勝を達成し、さらに7月8日時点で巨人に最大13ゲーム差をつけ、
7月22日に優勝マジックを点灯させた。
だが、今岡・久保田の不振に加え、主力である新井・矢野・藤川の北京オリンピック出場による
戦線離脱の影響を受け失速し、巨人の驚異的な猛追を交わしきれず、
10月8日の直接対決最終戦で破れ、2位に終わった(いわゆるメークレジェンド)。
13ゲーム差を逆転されての2位はセ・リーグワースト記録で、各メディアから
「歴史的V逸」と評された。
リーグ優勝を逃した直後、岡田は責任を取るとして監督辞任の意向を表明。
クライマックスシリーズ第1ステージではリーグ3位の中日と対戦するが、
一歩及ばず1勝2敗で2年連続の第1ステージ敗退となった。
岡田はクライマックスシリーズ後に正式に辞任、真弓明信が後任に就いた。
チーム成績・記録
1950年以降の順位の変遷。赤い丸は日本一を示す。
優勝 9回 (1937年秋 - 1938年春、1944年、1947年、1962年、1964年、1985年、2003年、2005年)
日本一 1回 (1985年)
年間王者 2回 (1937年 - 1938年)
Aクラス 47回 (1936年秋 - 1940年、1942年 - 1948年、1950年 - 1960年、1962年 - 1970年、
1972年 - 1973年、1975年 - 1976年、1981年 - 1982年、1985年 - 1986年、1992年、2003年、2005年 - 2008年)
Bクラス 27回 (1941年、1949年、1961年、1971年、1974年、1977年 - 1980年、1983年 - 1984年、
1987年 - 1991年、1993年 - 2002年、2004年)
連続Aクラス入り最長記録 11年(1950年 - 1960年)
連続Bクラス最長記録 10年(1993年 - 2002年)
最多勝利 87勝 (2003年、2005年)
最多敗戦 84敗 (1995年)
最多引分 13分 (1976年)
最高勝率 .829 (1938年春)
最低勝率 .331 (1987年)
最多連勝 14連勝 (1937年秋、1946年)
最多連敗 12連敗 (1998年、1999年)
その他の記録
最小ゲーム差 0.5ゲーム (1937年春、1973年)
最大ゲーム差 37.5ゲーム (1987年)
最多本塁打 219本 (1985年)
最少本塁打 1本 (1944年)
最高打率 .345 (1936年夏)
最低打率 .197 (1941年)
最高防御率 1.53 (1944年)
最低防御率 4.79 (1978年)
連続2ケタ安打 10試合 (2008年)
球団名称
ニックネームの「タイガース」は阪神電鉄社員の公募によって決定した。
この際、何人かが「タイガース」という名称を応募したが、抽選の結果、
事業課所属の松原三郎が考案者として認定された。
大阪の姉妹都市のデトロイトを本拠地としていたデトロイト・タイガースを参考にして
松原がこの名称を応募したとされているが、デトロイト・タイガースとは無関係に
「タイガース」というニックネームを考えた者も多数いたと言われている。
このニックネームについては、英語表記「Tigers」を発音すると
「タイガーズ」のほうがより近いが、正式名称は日本語の固有名詞であるため、
タイガーズとするのは誤りである。当時の球団名においては、
複数形のsを英語で「ズ」と発音する場合にも正式名称を「ス」とすることは一般的だった。
その後「タイガース」の名は、戦争中の英語が使えなかった時期を除き、
一貫して使われてきた愛称である。
戦前のプロ野球チームでは「セネタース」「イーグルス」などの愛称があったが、
球団の消滅にともないこれらの愛称もなくなり、現在でも使われているものは、
2005年に復活した「イーグルス」を除けば、「ジャイアンツ」と「タイガース」だけである。
球団名「阪神タイガース」は、親会社が「阪神」電鉄であることと、
本拠地である甲子園球場が大阪市と神戸市の間の「阪神」地区に位置していることとの
2つの意味をあわせもった球団名である。
設立当初は「大阪タイガース」という球団名であったが、タイガース以外にも阪急、南海が
大阪にあったことから略称として「阪神」が使われており、
さらに甲子園球場が大阪府ではなく兵庫県に位置していたため、当時ヘッドコーチだった
青田昇等の意見により、1961年に改称した。
改称以前の1954年に発足したファームの新日本リーグにも、神戸を本拠とした事もあり、
阪神ジャガースの名称でチームを組織していた。
球団名を一文字で表記する時は一般的に「神」とする。
本来であれば略称「阪神」の一文字目の「阪」の字を用いるところだが、
かつて阪急との混乱を避けるために、阪神は「神」、阪急は「急」としていた名残りである。
六甲おろし
詳細は阪神タイガースの歌を参照
球団歌は『阪神タイガースの歌(旧:大阪タイガースの歌)』である。
歌詞の冒頭をとって六甲おろし(ろっこうおろし)と呼ばれる。
『阪神タイガースの歌』は球団結成と同時に『大阪タイガースの歌』として作られたもので、
戦前から現在まで用いられている球団歌は他にない。
他球団の応援歌は、歌詞に問題があったり、球団が消滅するなどして、
いずれも現在では使われていないが、『大阪タイガースの歌』だけは、
歌詞中の大阪タイガースという単語を阪神タイガースに変えただけで現在も使われている。
なお、歌詞の中で連呼される感嘆詞「オウ」は大阪タイガースの「大」に掛けたものであるが、
球団名を改めた後もそのまま残った。
試合開催地について
歴代本拠地
1936年 - 現在 阪神甲子園球場(1964年2月までの名称は甲子園球場)
詳細は阪神甲子園球場を参照
設立当初から親会社所有の阪神甲子園球場を使っている。
現在のプロ野球で本拠地となっているものの中では最古の球場である。
元々は高校野球開催など、多目的にスポーツ行事で使うことを目的として造られた球場だった。
ただし、アメリカ軍によって接収されていた1946年のみ使用できなかった。
専用球場を変更していないのは新設の東北楽天ゴールデンイーグルスを除けば
プロ野球の現存球団で唯一である。
なおフランチャイズ制仮導入までは、ホームゲームを本拠地で行う習慣はなく、
甲子園球場や後楽園球場、阪急西宮球場などの中から日程上都合のいい球場を選んで行っていた。
甲子園球場は高校野球が先に使用していたこともあり、
選抜高等学校野球大会と全国高等学校野球選手権大会の日程が優先される。
特に後者の大会は2週間以上にわたるため、この時期の長期遠征を「死のロード」と呼ぶようになった。
ただし近年はその時期も関西での試合が増えているため、死語になりつつある。
2軍の本拠地は阪神鳴尾浜球場である。
甲子園球場と鳴尾浜球場は互いに徒歩圏内にあり、二軍の選手も一軍から声がかかれば
自転車でもすぐにファーム本拠地から一軍本拠地に行くことができ、非常に利便性が高い。
12球団の中でも一軍の本拠地とファーム本拠地間の距離は埼玉西武ライオンズの次に短く、
互いの球場を徒歩で行き来できるのも12球団の中では阪神と西武の2球団のみである。
地方開催
詳細は阪神タイガース主催試合の地方球場一覧を参照
主に関西を中心とした西日本で開催されることが特徴である。
現在は大阪ドームで3カード・9試合程度、倉敷マスカットスタジアムで1試合を開催している。
以前は西京極球場でも毎年1試合を行っていたが、2005年の西武戦を最後に主催試合がない。
2006年は1試合を予定していたが甲子園球場に振りかえ、2007年はオープン戦すら行っていない。
また2005年と2006年には2試合を松山坊っちゃんスタジアムで開催している。
大阪ドームは1997年の開場以来、使用しているが2005年 - 2007年は
兵庫県のオリックスが大阪府の近鉄を吸収合併したことによる暫定処置で
兵庫県・大阪府のダブルフランチャイズとなったため、京セラドーム大阪を
準本拠地として使うことが認められていた。
開催時期はまだ寒い開幕の時期、夏の高校野球の時期などになっている。
また2007年より3季に渡って行われる10月以降の甲子園球場の改修工事の影響で、
2008年のクライマックスステージは京セラドーム大阪で行われている。
大阪ドーム開場以前は、グリーンスタジアム神戸(現・スカイマークスタジアム)や、
阪急西宮スタジアム(旧・阪急西宮球場)を夏の高校野球の時期を中心に使っていた。
また甲子園球場にナイター設備が導入されるまでの1953年 - 1955年には
大阪球場でナイターを行うことがあった。他にも平和台野球場などで試合を行っている。
ホームゲームの開幕戦
前述のように甲子園球場での選抜高等学校野球大会の開催のため、
タイガースは前々年(2002年以前は前年)にAクラスに入り本拠地開幕権を得ても
甲子園で開幕戦を迎えることができないことが多い。
選抜高校野球大会は毎年3月下旬から4月上旬まで甲子園で行われるが、
セントラル・リーグの開幕がこの時期になると当然甲子園でのプロ野球開催が
不可能になってしまう。
かつては連盟が阪神に配慮して第1節を選抜開幕前、もしくは終了後に設定したというケースがあったが、
クライマックスシリーズ導入後は日程面から終了後に開幕を設定される可能性は少ない。
なお甲子園で開催できない場合の対処として以下の4つのパターンがあった
(フランチャイズ制が確立し、現行の6球団制となった1953年以降、
大阪ドームで開幕戦を行った2005年以前に絞る)。
前年Bクラスチームの本拠地で開幕を迎える
1953年:後楽園球場(国鉄スワローズ本拠地)
1955年・1958年:川崎球場(大洋ホエールズ本拠地)
1960年:広島市民球場(広島カープ本拠地)
1977年:明治神宮野球場(ヤクルトスワローズ本拠地)
1982年・1986年:横浜スタジアム(横浜大洋ホエールズ本拠地)
前年Aクラスチームの本拠地で開幕を迎える
1957年:中日球場(前年3位の中日ドラゴンズ本拠地)
1976年:広島市民球場(前年1位の広島東洋カープ本拠地)
地方球場での主催ゲームで開幕を迎える
1968年・1974年:岡山県営球場(1968年は対広島東洋カープ、1974年は対大洋ホエールズ)
地方球場でのビジター試合で開幕戦を迎える
1954年:中津市営球場(大洋松竹ロビンス主催 当時のロビンズは大阪球場が本拠だった)
なお選抜開幕前にシーズン開幕戦を甲子園で開催したのは1956年、1964年、1973年のみで
これ以外の年は全て選抜終了後に甲子園でシーズン開幕を迎えている。
本拠地に準ずる扱いの大阪ドームの完成後は、パシフィック・リーグの開幕と重なって、
且つ大阪ドームを本拠地とするチームが本拠地開幕権を持っていなければ、
地元開幕を大阪ドームで迎えられるようになり、2005年・2007年〜2009年は
大阪ドームでの開催となった。
選手・監督の起用に関する特徴
プロ野球ドラフト会議においては、長期的視野を要する高校生よりも大学生、
社会人選手を進んで取る傾向にあり、逆指名制度、自由獲得枠、希望選手枠といった即戦力を
獲得するための制度を最も積極的に使っている。
しかし、2004年のドラフト会議で指名した辻本賢人はドラフト会議史上最年少の15歳といった例もある。
監督はチームの生え抜き選手が就任することが多い。
438 :
( ´∀`)ノ7777さん:2009/02/05(木) 20:36:12 ID:WxuLpxdXO
これですわ
>>438 ど、ど、ど、どれですか?(by どんより君)
白いボールのファンタジー
作詞 嶋田富士彦 作曲 中村八大
青空に輝く スタジアム
フィールドに浮かぶ ユニフォーム
子供のころに 夢見た姿は
今も昔も 変わらぬままさ
白いボールの ファンタジー
流れる雲に こだまする
その名は その名は パシフィック
我らの 我らの パシフィックリーグ
我らの 我らの パシフィックリーグ
スタンドにわき上がる 熱いメロディー
スターとファンの ハーモニー
いくつもいつでも 手に汗握り
心を燃やす ひととき求め
白いボールの ファンタジー
きらめく夜空に こだまする
その名は その名は パシフィック
我らの 我らの パシフィックリーグ
我らの 我らの パシフィックリーグ ♪
ひ、ひ、引き続き、阪神タイガースwikiでお楽しみくだちぃ
しかし、優勝から遠ざかっていた1960年代には藤本定義、
低迷が続いた後の1999年以降は野村克也や星野仙一といった
他球団で実績を残した人材を起用したことで、両時期とも低迷を脱した。
球団マスコット
球団マスコットは次の2つである。
ともに、チーム名「タイガース」にちなんで虎をモチーフとしている。
初期のトラッキーには初登場の年を表す背番号「1985」があったが、
背中には名前だけを書くようになり、「1985」は胸番号に移行した。
だが2007年、ユニフォームの大幅モデルチェンジを期に背番号「1985」が復活した。
なお、親会社の阪神電気鉄道およびその関連企業のマスコットとしても使われている。
トラッキー (TO-LUCKY) - 背番号1985
ラッキー (LUCKY) - 背番号なし(2006年までは初登場の年を表す胸番号「1994」があったが、
2007年のユニフォームの大幅モデルチェンジを期に現在はなくなっている)。
球団旗
球団旗は、結成当初から黒と黄色の横縞に、左上に赤い丸で囲まれた猛虎のマークが使われている。
1984年に虎のイラストと丸の大きさが変更され、「HANSHIN Tigers」の球団ロゴが付け加えられるという
マイナーチェンジが施されただけである。
しかし、版権という概念が確立されていなかった1960年代には他球団も含めて
いい加減な扱われ方をされており、正面を向いた猛虎のイラストが黄色い丸で囲まれた球団旗も
当時出版された選手名鑑などで見受けられる。
また、ホーム用ユニフォームの胸に描かれる "Tigers" の書体も、
1960年に細部が変更されたのみで創設以来一貫して使われ続けている。
一時期、球団旗の虎が現在の横向きではなく、正面を向いている球団旗も存在した。
関西密着
この節の内容に関する文献や情報源を探しています。ご存じの方はご提示ください。
出典を明記するためにご協力をお願いします。
セントラル・リーグでは唯一の関西の球団である。
1リーグ時代には南海ホークス、阪急ブレーブスなども関西の人気チームであったが、
2リーグ分立後は読売ジャイアンツの試合は常にテレビ中継が行われるようになり、
同一リーグのために日本シリーズや交流戦以外でも巨人と対戦するタイガースは
自ずとマスコミへの露出が関西の他球団より突出して多くなり、
さらに1969年に開局したサンテレビが開局直後から局の目玉として
阪神戦の完全中継『サンテレビボックス席』の放送を開始。
兵庫県だけでなく周辺の大阪府等でも広い全域で受信できるために、
関西に広く人気を集めるようになった。そのため、関西版のスポーツ新聞の1面を飾ることが多い。
しかし、読売新聞系の「スポーツ報知」に関しては、タイガースの公式イヤーブック(球団発行)で
スポーツ新聞の広告で唯一除外されている(読売系列の讀賣テレビ放送の広告は掲載されている)。
1985年10月16日に関西テレビ放送が放映した明治神宮野球場でのヤクルト戦
(21年ぶりの優勝が決まった試合)の関西地区での視聴率は56.7%(ビデオリサーチ調べ)。
これは関西地区におけるプロ野球中継の最高視聴率である。
球団の伝統
時代に合わせて本拠地球場・応援歌など球団のあり方を変化させてきた
読売ジャイアンツなどの他球団に対し、各節で前述した通り、
タイガースは伝統を重んじるとして大きな変更を行っていない。
また、プロ野球最初の公式リーグ戦である1936年春から現在まで
戦争による中断を除いた全公式シーズンに参加し、かつ創立当時から親会社が変わっていないのは
タイガースのみである。
同様の球団は他に読売ジャイアンツがあるが、アメリカ合衆国遠征のために
1936年春のシーズンを欠場している。
タイガースのように、非常に長い期間経営母体が変わらずに存続するプロ野球チームというのは、
世界的にも極めて少ない。テレビ中継などでは阪神巨人戦は「伝統の一戦」と紹介される。
幾つかの特有の伝統行事も持つ。
代表的なものとして、タイガースが全選手・監督・コーチをそろえて
毎年キャンプイン前の1月に広田神社(武運長久⇒優勝を祈願)に参拝する行事は、
球団創立時からの伝統である。
また、現在では開幕前の3月に西宮神社(商売繁盛⇒球団収益を祈願)に
参拝することも伝統行事となっている。
阪神ファン・応援スタイル
阪神ファンを参照
ユニフォームの変遷
「ユニフォームの変遷」については、ユニフォーム物語も参照
1936年 - 1940年 球団創設時は「Tigers」2種類、「OSAKA」1種類のユニフォームを使用。
縞帽子はこの頃から登場している。ロゴは黒で縁取りは黄色。
1940年 - 1944年 軍部の指導によりロゴを漢字の「阪神」(左胸に縦書き)に変更。
1944年からは国防色の採用が義務付けられ、グレーの縦縞が廃止される。
ホーム用はラインを廃止(袖の猛虎マークは消滅しなかったが戦後に入ってからいったん消滅している)。
1945年 - 1948年 戦前期の縦縞ユニフォームを復活。
しかし、耐用期間が短くわずか3年間で廃止された。
1947年 - 1951年 縦縞なしの無地で前立てライン付きのユニフォームを採用。
2リーグ分裂後も使われたが1951年夏で廃止。
1948年 - 1949年 ユニフォームの生地に濃紺を採用。
このユニフォームは縦縞の生地が手に入らなかったために間に合わせで作られたものだが、
第1次ダイナマイト打線の時代と重なったこともあって老若男女問わずファンの認知度は高い。
1951年 - 1953年 オールスターを境に前立てラインの無いユニフォームに変更。
ホーム・ビジター共に同一スタイル。
1953年 - 1960年 伝統の縦縞と白地の縞帽子が復活。
1954年 ビジター用のロゴが「OSAKA」となる。
1958年 ロゴの黄色の縁取りがなくなる。ホーム用の白地の帽子とストッキングを廃止し、
ビジター用と同じものに統一。
1960年 ホーム用ユニフォームの「Tigers」の書体が変更になり、胸番号を採用。
帽子のマークをOからOTに変更。
1961年 - 1965年 球団名が「阪神タイガース」になり、ビジター用の胸ロゴを「HANSHIN」に変更。
チームの象徴ともいえる帽子のHTマークが登場する。
1962年後期 - ビジター用の胸番号が背番号と同じ丸い書体になる。
1965年 - 1973年 襟・袖・パンツに太いラインがつく。背番号書体がホーム用は丸ゴシック、
ビジター用は角書体、胸番号がホーム、ビジター共角書体になる。
ただし、ホーム用は背番号と書体が異なる。
ホーム用の左袖に「OSAKA」が復活、ビジター用は猛虎マーク。
クリア
背番号が小さくなった。かつて阪急のユニフォームに採用した背ネームのように
長音母音にマクロン(長音記号)が付いた正式な訓令式ではないが、
例えば川藤幸三はヘボン式表記の「KAWATOH」ではなく「KAWATO」と、長音の「H」を省略した。
この表記は一部を除き1985年頃まで続いた。
この年入団した大野久の背ネームは「OHNO」であったが、
当時在籍していた工藤一彦や伊藤文隆(背ネームの表記はそれぞれ「KUDO」、「ITO」)
がいたため混在していた。翌1986年に入団した遠山昭治の背ネームは「TOHYAMA」となっており、
この年より徐々にではあるが正式なヘボン式表記になる。
1972年 帽子のHTマークの「H」が黄色、「T」が白となる。
1974年 - 1975年 ニット素材のユニフォームを採用し、帽子のツバ、胸ロゴ、背番号、
袖・首・パンツのラインに、それまでの黒に加えてチームカラーの黄色が入る。
またホーム用の縦縞の色がグレーから黒になる。
1975年 - 1978年 ビジター用のユニフォームの色が、グレーからスカイブルー地になり、
袖、パンツのラインがギザギザのラインになり派手な印象となった。
このギザギザラインは永井一正がデザインしたもので、「輝流ライン」と呼ばれた。
由来には「虎の牙」と「赤穂浪士の法被」の2つの説がある。
1976年より、ホーム用もギザギザラインになり、さらに左袖の「OSAKA」のロゴが消え、猛虎マークになる。
1979年 - 1981年 ブレイザー監督就任と同時にギザギザラインを廃止し、
従来の黒と黄色のラインに変更、ボタン式からプルオーバー式になる。
ホーム用からパンツのラインが消え、縦縞が若干太くなる。
ビジター用は左肩の猛虎マークが「Tigers」のロゴに変わり、1983年まで継続して使われる。
また、この年からストッキングの黄色の2本ラインも廃止されて黒一色になる。
1982年 - 2006年 安藤統夫監督就任により、ホーム用が大幅にモデルチェンジする。
チームカラーの黄色を廃止し、モノトーンスタイルと縞帽子(ツバ、THマークは黒)が復活。
またホーム用のスパイクが白地に黒ラインになる。
途中マイナーチェンジを重ねつつ、基本デザインは2006年の25年間に渡り使用。
この間1985年・2003年・2005年の3度のリーグ優勝を果たした。
1984年 - 2000年 ホーム用の背番号の書体が丸ゴシック体からビジター用と同様の角型となる。
1988年 - 1991年 ボタン型のユニフォームになる。
1992年 - 2000年 1985年の日本一にあやかり、プルオーバータイプが復活する。
2000年 - 2006年 ホーム用の縞帽子が、ビジター用と同一のものに統一される。
2000年 - スパイクが黒地にシルバーのラインとなる。
2001年 - 2006年 ボタン付きプルオーバータイプ(ボタンが外れるのは上から数個まで、残りは飾り)
が復活し、背番号、胸番号の書体が高校野球型になる。
1984年 - 2000年 ホーム用に2年遅れて、ビジター用が大幅にモデルチェンジする。
ホーム用同様黄色が消えてグレーの縦縞となり、首、袖のラインが消える。
また帽子が黒地に白のHTマークとなり、ビジター用の胸番号がホーム用と同じ書体になる。
1988年 - 1990年 ホーム用同様、ボタン型のユニフォームになる。
1988年 - HTマークが白から銀に変更され、ビジター時に着ていた黒地に白ラインのスパイクが、
ホーム同様、白地に黒ラインになる。
2001年 - 2006年 ビジター用デザインが大きく一新。縦縞が消え、黒白のラケットラインと袖ラインが入る。
また「HANSHIN」の胸ロゴがピッツバーグ・パイレーツ型のものになり、
ホーム用同様背番号、胸番号の書体が高校野球型になる。
2001年のみ左袖の虎のマークをモノトーンに変更。翌年から従来のものに戻っている。
また、2001・2002年は背ネーム無しだった。
1970年 猛虎マークが若干変更され、背番号の上にローマ字で選手名が入ったため
2005年は左袖の虎のマークが、ホーム用、ビジター用ともに球団創立70周年記念のロゴマークに
置き換わった(ただし、ホーム用とビジター用で若干の色の違いがある)。
2007年 - 大幅モデルチェンジ。ホーム用は25年ぶりの大幅変更となった。
チームカラーである黄色が1981年以来久々に取り入れられ、
わき腹の部分には黒色を配したデザインとなった。
ビジター用はホーム用と同じく、わき腹部分に黒色を配したデザインとなる。
また背番号、胸番号の書体が1962年夏 - 1965年まで使われた
欧州系の書体を彷彿させるデザインとなった。
「HANSHIN」のロゴの書体が若干違うタイプが復活。
帽子も1974年 - 1981年(ビジター用は1983年まで)に使われたものに変わる。
ビジター用は従来の黒帽子のつばのフチに白のラインが入れられている。
2008年 - 交流戦明けより、ビジター用の帽子のデザインが変更。
好評だった交流戦専用のビジター用のものを、空気穴とトップのボタンをグレーから黒色に変更の上で
引き続き使用。
スポンサー
セ・リーグでは、各球団の申し合わせにより、2002年からホーム用ユニフォームに限定して、
スポンサー広告を掲載できるようになった。
ユニフォーム袖 Joshin(2003年 - )
ヘルメット あしなが育英会(スポンサーではなく、球団がボランティアで2002年に掲載した)、Joshin(2003年 - )
歴代監督
※太字は優勝達成監督を表す。登録上の監督ではなく、
監督代行など実際の指揮権を持っていた者を記す。
森茂雄(1936年春 - 1936年夏)
石本秀一(1936年秋 - 1939年)
松木謙治郎(1940年 - 1941年【第1次】) ※ここから阪神
若林忠志(1942年 - 1944年【第1次】)
藤村富美男(1946年【第1次】) ※ここから大阪タイガース(第2次)
若林忠志(1947年 - 1949年【第2次】)
松木謙治郎(1950年 - 1954年【第2次】)
岸一郎(1955年)
藤村富美男(1955年 - 1957年【第2次】)
田中義雄(1958年 - 1959年)
金田正泰(1960年 - 1961年【第1次】) ※ここから阪神タイガース
藤本定義(1961年 - 1965年【第1次】)
杉下茂(1966年)
藤本定義(1966年 - 1968年【第2次】)
後藤次男(1969年【第1次】)
村山実(1970年 - 1972年4月21日【第1次】)
金田正泰(1972年4月22日 - 1974年【第2次】)
吉田義男(1975年 - 1977年【第1次】)
後藤次男(1978年【第2次】)
ドン・ブレイザー(1979年 - 1980年)
中西太(1980年 - 1981年)
安藤統男(1982年 - 1984年)
1984年6月13日 - 6月15日は佐藤孝夫が監督代行
吉田義男(1985年 - 1987年【第2次】)
村山実(1988年 - 1989年【第2次】)
中村勝広(1990年 - 1995年7月23日)
藤田平(1995年7月24 - 1996年9月11日)
柴田猛(1996年9月12日 - 1996年末)
吉田義男(1997年 - 1998年【第3次】)
野村克也(1999年 - 2001年)
星野仙一(2002年 - 2003年)
岡田彰布(2004年 - 2008年)
真弓明信(2009年 - )
永久欠番
永久欠番は以下の3つとなる。実績・功績はそれぞれの項目を参照のこと。
#10 藤村富美男(1959年より)
#11 村山実(1973年より)
#23 吉田義男(1987年より)
欠番扱い
#02 松永浩美
1993年に所属した松永浩美がシーズン途中から背負った02については、
その後日本野球機構が0と00を除く0番台と100番台以上の番号を
支配下登録選手には使わない方針に変更したため、今後使われることはないと考えられる。
ノーヒットノーラン達成者
阪神ではこれまでに球団史上9人の投手がノーヒットノーランを達成している。
年月日 選手名 スコア 相手 球場
1940年8月3日 三輪八郎 1-0 巨人 大連
1946年6月16日 呉昌征 11-0 セネタース 西宮
1948年8月24日 梶岡忠義 3-0 南海 神宮
1952年5月7日 真田重男 12-0 広島 甲子園
1965年6月28日 G.バッキー 7-0 巨人 甲子園
1973年8月30日 江夏豊 1-0 中日 甲子園
1992年6月14日 湯舟敏郎 6-0 広島 甲子園
1998年5月26日 川尻哲郎 2-0 中日 倉敷
2004年10月4日 井川慶 1-0 広島 広島
特に江夏のケースは、11回裏に自らサヨナラホームランを放ってノーヒットノーランを達成するという
名勝負となった。延長でのノーヒットノーランはこれが唯一の記録である。
なお、完全試合達成者は球団創設から現在までなし。
歴代の球団歌
大阪タイガースの歌(作詞:佐藤惣之助 作曲:古関裕而
歌:中野忠晴とコロムビア・ナカノリズムボーイズ、若山彰)
大阪タイガース行進曲(歌詞だけを変えたもの。
発表当時球団・日本蓄音器商会[現:コロムビアミュージックエンタテインメント]
で製作された上記の曲のレコードのB面に収録された。)
阪神タイガースの歌(球団名変更にともなう改題、歌詞変更
歌:立川清登、中村鋭一、道上洋三、唐渡吉則ら多数)
公認の球団歌はこの「タイガースの歌」(通称:六甲颪)だけだが、その他に球団応援歌も多数ある。
タイガース音頭/進め!タイガース(歌:中村鋭一)
トラトラマーチ(歌:植草貞夫)
阪神タイガース数え歌(歌:道上洋三)
トラトラ阪神応援歌(同上)
タイガースよ永遠に/今日も勝ったよタイガース(歌:平田勝男、吉竹春樹、池田親興=1985年タイガース所属選手)
阪神タイガースの優勝を知らない子供たち(戦争を知らない子供たちのパロディー替え歌。
歌:リリアン、板東英二、やしきたかじん、桂雀々)
他多数
主なキャンプ地
沖縄県宜野座村営野球場
高知県安芸市営球場
キーワード
ミスタータイガース
詳細はミスタータイガースを参照
元は、球団創設時から在籍し、1940年代後半に不動の4番打者となった藤村富美男が初代。
藤村の引退後は、村山実、田淵幸一、掛布雅之が称された。
タイガース打線の代名詞。1946年に日刊スポーツの記者が命名し、1947年の優勝時に広まった。
1940年代後半を第1次、1985年を第2次、2003年を第3次という。
また、命名前の1930年代後半を第0次と呼ぶこともある。
第0次:松木謙治郎 - 藤村富美男 - 山口政信 - 景浦將 - 藤井勇 - 伊賀上良平 - 田中義雄 -
西村幸生 - 岡田宗芳
第1次:呉昌征 - 金田正泰 - 別当薫 - 藤村富美男 - 土井垣武 - 本堂保次 - 安居玉一 - 若林忠志
- 長谷川善三
第2次:真弓明信 - 弘田澄男 - ランディ・バース - 掛布雅之 - 岡田彰布 - 佐野仙好 - 平田勝男 -
木戸克彦 - リッチ・ゲイル
第3次:今岡誠 - 赤星憲広 - 金本知憲 - 桧山進次郎 - ジョージ・アリアス - 片岡篤史 - 矢野輝弘 -
藤本敦士 - トレイ・ムーア
バックスクリーン3連発
詳細はバックスクリーン3連発を参照
1985年4月17日、甲子園球場での巨人戦の7回裏。巨人の槙原寛己から、3番ランディ・バース、
4番掛布雅之、5番岡田彰布がバックスクリーンへ3者連続ホームランを放ち、
阪神21年ぶり優勝への勢いを決定付けた。
また2003年5月9日、横浜スタジアムでの横浜戦の3回表。横浜の吉見祐治から、
4番濱中治、5番片岡篤史、6番ジョージ・アリアスがレフト方向に3者連続でホームランを放った。
こちらは「平成の3連発」とも称される。
ダイナマイト打線
詳細はダイナマイト打線を参照
加えて2006年9月30日、山形県野球場で行われたファーム日本選手権の千葉ロッテマリーンズ戦でも、
1回裏にエンタイトルツーベースで出塁した先頭打者の赤松真人を2塁に置き、
千葉ロッテの成瀬善久から、2死から4番喜田剛がツーラン、5番桜井広大、6番藤原通がソロホームランを
センター - レフト方面に放った。
この3者連続ホームランは2006年度ファーム日本一を決定付ける3連発となり、
この時のヒットは全てスタンドインという稀なケースでもあった。
いろは順背番号とポジション順背番号
1936年春、設立したばかりのタイガースは在籍していた選手17名の背番号を
名前のいろは順で決めた。ただし、若林忠志と佐藤武夫は、当初与えられた背番号4と背番号13は
縁起が悪いと考え、空き番号であった18、19にそれぞれ変更している。
エース若林が偶然付けた18番は、後にエースナンバーと呼ばれるようになった。
1950年、リーグが分立し、ファームの結成などの改革を行ったタイガースは
背番号をポジション別に改めた。
1 - 8が投手、9 - 11が監督、助監督、主将、12 - 14が捕手、15 - 20が内野手、21 - 24が外野手、
それ以降をファームの選手とした。
9 - 11が捕手に使われていないのは、1リーグ時代からの功労者である背番号9の松木謙治郎と
背番号10の藤村富美男の番号を変えないように配慮したためである。
伝統の一戦・阪神vs巨人戦
阪神と巨人の対戦カードを伝統の一戦と呼ぶ。
「西の景浦、東の沢村」「職業野球は沢村が投げて、景浦が打ってはじまった」と呼ばれて
戦前の野球ファンの注目の的となった豪腕沢村栄治と強打者景浦將の対戦にはじまり、
ミスタータイガース村山実とミスタージャイアンツ長嶋茂雄、奪三振王江夏豊と本塁打王王貞治、
ミスタータイガース掛布雅之と巨人のエース江川卓といった幾多の名勝負を生んだ。
年度優勝決定戦と太平洋ホームラン
1936年秋は複数大会開催による勝ち点制だった。
各大会ごとに単独1位のチームに勝ち点1、同率1位のチームに勝ち点0.5を与え、
6大会の勝ち点の合計でシーズン優勝を争った。
タイガースは最後の東京第2次リーグ戦(第2次東京大会)を残して勝ち点2となり、
首位の巨人の勝ち点2.5に迫っていた。
第2次東京大会ではタイガースと阪急が1位を争っていたが、巨人が故意に阪急に敗退する
公認の八百長試合を行ったことで、タイガースは単独1位を逃し、
勝ち点2.5で巨人と並んだため年度優勝決定戦を行うことになった。
同年12月に洲崎球場で行われた年度優勝決定戦では、1勝2敗で惜敗したものの、
景浦將が打者として12打数6安打、投手として13回を自責点1に抑える驚異的な活躍をみせた。
特に第1戦で巨人のエース沢村栄治から放った場外ホームランは東京湾に落ち、
「太平洋ホームラン」と呼ばれた。当時のボールは本塁打さえ滅多に出ないほどに飛びにくいもので、
その上景浦が打ち返した球が魔球として知られる沢村の三段ドロップだったことから、
この場外ホームランは多くの野球ファンを驚かせた。
1936年秋の優勝決定戦では破れたものの、1937年秋のシーズンに
初優勝して臨んだ春優勝チーム・巨人との年度優勝決定戦(7戦4勝制)では、
沢村栄治を打ち崩して4勝2敗で前年の雪辱を果たした。
さらに、翌年春のシーズンを制して迎えた年度優勝決定戦ではまたも巨人と対戦し、
初戦のサヨナラ勝ちで勢いに乗ると4連勝で年度連覇を果たした。
同年限りで2シーズン制は終了し、年度優勝決定戦は廃止された。
なお、1937年と38年の日本一はリーグの通算優勝回数には数えられていない。
これはこの2年間のリーグ戦はそれぞれ独立したシーズンであるためで、
阪神の通算優勝は1937年秋季大会、1938年の春季大会でそれぞれカウントされている。
世紀の落球とV9
1973年のシーズンは、8連覇中の巨人と激しい優勝争いをしていた。
8月5日の巨人戦、9回2死から池田純一がセンターフライを落球して逆転負けを喫した。
この年、阪神が僅差で優勝を逃したことから、これを世紀の落球と呼ぶようになり、
池田が戦犯のごとく扱われた。この年、池田は勝負強い打撃と好守でチームの優勝争いに貢献した
(詳しくは池田の項目を参照)。
その後、8月30日に江夏のノーヒットノーランで中日を事実上優勝戦線から脱落させたが、
翌8月31日には巨人が首位に立った。
10月10日の後楽園での巨人-阪神戦では、田淵幸一が倉田誠から逆転満塁ホームランを放ち
、江夏豊が最後を締めて勝利、流れは阪神に傾いたかに見えたが、
翌10月11日の同カードは、一時は7-0とリードしながら巨人が追い上げ、
逆転に次ぐ逆転で10-10の引き分けに終わった。
残り2試合を残して僅差の首位、あと1勝で優勝というところまで迫っていた
10月20日の中日戦(中日球場)では、中日キラー上田の先発が予想されたが、
金田正泰監督は裏をかいて先発投手に江夏を指名した。
この時、オーダー表を提出する役目を担っていた当時の岡本伊三美ヘッドコーチは、
先発投手の名前に「江夏」と書かれているのを見て「本当にこれでいいんですか?」
と金田監督に念押ししている。
しかし、江夏が木俣達彦にホームランを打たれて勝ち越されると、
打線は星野仙一らに抑え込まれて2-4で敗戦した。
星野は巨人への反骨心とすでにAクラス入りが決まっていたことから
真ん中にボールを集めたといわれるが、かちかちになった阪神打線はこれを打てなかった
(詳しくは中田潤の「新庄くんは、アホじゃない!」を参照)。
この試合が間もなく終わろうとする時間に、中日球場の近くを通る東海道新幹線に
巨人ナインを乗せたひかり号が通り過ぎたという逸話があり、
ひかり号が通過していくのが映った試合映像が現存している。
ナインの1人はスコアボードを見ようと頑張ったが果たせず、
名古屋駅到着時に巨人ファンが試合経過を知らせ、
それを聞いて車内のムードが明るくなったと伝えられている
(山際淳司のドキュメント小説では、
新幹線車内で選手が持ち込んだラジオの試合中継を
ナインが聞いており、中日勝利が決まった途端王貞治がうれしさのあまり叫んだ、
と描写されている)。
この時の情景は、翌年放映のテレビアニメ『侍ジャイアンツ』第38話に取り入れられている。
こうして、10月22日(本来は21日であったが雨天で順延)の対巨人最終戦で
勝ったチームが優勝ということになった。
48,000人の大観衆を集めたこの試合も、阪神は0-9で大敗を喫し、巨人のV9を許した。
午後4時18分、最後の打者ウィリー・カークランドが三振に倒れた瞬間、
敗戦と不甲斐なさ過ぎる阪神に怒った一部の「阪神ファン」が暴徒と化し、
一塁側スタンドから巨人ベンチに乱入した。
選手は試合終了と同時に胴上げもせずダッシュでベンチ裏に退散したが、
王貞治は下駄で殴られ、森昌彦はキャッチャーマスクを盗られた。
このため、近所の甲子園署から200人、また兵庫県警の機動隊70人が出動した。
この際に県警からの要請で金田監督がファンの前で謝罪した。
県警に追い散らされたファンは「帰れ!」コールを浴びせかけ、
最後は阪神選手を翌日までロッカールームに缶詰めにした(後藤和昭談)。
この試合は、テレビは読売テレビが日本テレビ系列(解説・村山実)で、
ラジオは数局が中継していたが、途中から実況席にも危険物などが投げ込まれ、
500人ほどのファンが襲い掛かってきた。
テレビはマイクコードを抜かれ、また中継の最後の方では
荒れ狂う甲子園のグラウンドの映像のみとなり、放送終了後にテレビカメラや
当時高価だったVTR機材といった放送機材はファンによって徹底的に破壊された。
読売テレビ側は犯人を特定できず、弁償請求できなかったという。
またこの暴挙のため優勝の瞬間は鮮明なVTR映像がなく、
映画フィルムに転写したもの(キネコ)が残っているのみである。
読売テレビ以外にも取材カメラが襲われたものの、
朝日放送とサンテレビに関しては「ウチらの味方だから壊すな」と
一部の阪神ファンから守られ無傷だった
(朝日放送は当時中村鋭一がアナウンサーとして所属し、
阪神ファンから絶大な支持を集めていた。サンテレビは開局以来
阪神タイガースの試合を熱心に中継していた事が功を奏した)。
阪神は「優勝」を想定して、田淵を起用した日本シリーズ用のポスターを
あらかじめ準備していたが(制作時点ではパ・リーグの覇者が
決まっていなかったため、「阪神-パリーグ優勝チーム」という表記だった)、
当然お蔵入りとなった。
また、優勝記念に作られたマッチも外に配れず、
阪神電鉄の保養所で使われていた。
一方、江夏は自伝「左腕の誇り」の中で、「阪神の長田球団社長から
10月20日の中日戦の前日に呼び出され、明日の中日戦には勝つなと
八百長を指示された」と記している。
史上最短試合と史上最長試合
1946年7月26日の対パシフィック戦(阪急西宮球場、1-0で勝利)では
13時15分の開始から14時10分の終了まで試合時間わずか55分という
日本プロ野球史上最短試合時間記録を達成した。
この試合では先発の渡辺誠太郎が5安打・88球で完封勝ちし、
パシフィック先発の湯浅芳彰も7安打・93球で完投したが、
両軍合わせてファウルが6球しかなかったことがこの記録につながった。
クリア(・∀・)v
1992年9月11日、優勝をかけての直接対決となった対ヤクルト戦(甲子園)では
日本プロ野球史上最長の6時間26分という試合時間を記録した。
この試合では9回裏、八木裕の打球がレフトフェンスのラバーに当たった上でスタンドに入り、
いったんはサヨナラ本塁打と判定されたが、ヤクルト側の抗議により、
審判団が協議した結果エンタイトルツーベースに訂正された。
タイガース側がこの判定に抗議して、37分間試合が中断した。
結局、延長15回(当時は時間無制限で延長15回引き分け再試合制)3-3の引き分けとなった。
なお、この試合を中継していたサンテレビは完全生中継を行った。
また、試合終了時刻「午前0時26分」は日本プロ野球史上最も遅い試合終了時刻となった。
投手の偵察メンバー第1号
1950年4月22日、熊本の水前寺での対中日ドラゴンズ戦でのこと。
中日の先発投手が左の清水秀雄か右の服部受弘か迷った松木謙治郎監督は
メンバー表の1番に「左翼手・干場一夫」と書いて提出、
服部の先発が分かると干場に代えて左打者の金田正泰を送った。
この策は成功し、金田の二塁打を足がかりに阪神が1点を先制したが、試合は7-9で敗れた。
2度の放棄試合
プロ野球で、複数の試合を放棄試合として没収されたのはパシフィックと
タイガースの2チームだけである。
パシフィックについては、プロ野球が再開された1946年に戦前までタイガースに所属していた
藤井勇らを強行出場させたため、彼らが出場した4試合共に試合終了後に没収試合
(試合記録は成立したがスコアは0-9でパシフィックの負け)となっただけで、
試合途中で複数回にわたって試合を没収されたのは2度の放棄試合を記録したタイガースだけである。
クリア
1度目の放棄試合は1954年7月25日、中日を大阪球場(当時甲子園には設備が無かったため、
ナイターは大阪球場で行った)に迎えた試合。
10回裏の攻撃で杉村正一郎球審へ暴力行為をはたらいた藤村富美男が退場を宣告されたが、
杉村球審は「退場」とは言わず「風呂で汗を流しては?」などと言い、
これを藤村が理解していなかったため、本当に風呂で汗を流した後再び打席に立とうとして
杉村球審に阻止された。
この光景が奇異に写ったのか、事情を理解していないファンがグラウンドになだれ込んで抗議を行い、
事態収拾が付かなくなったため、ホームチームのタイガースに責任があるとして没収試合となった。
この騒動で藤村は出場停止20日制裁金5万円、松木謙治郎監督は出場停止5日制裁金3万円の
処分を受けた。
2度目は1967年9月23日、地元甲子園に大洋を迎えた試合。
1回表に大洋が3点を奪い、なお2死満塁で森中千香良を打席に迎える。
2ナッシングからジーン・バッキーの投げた3球目を森中は空振りし、
捕手の和田徹がショートバウンドで捕球し森中にタッチしようとしたが、
森中はベンチに引き上げようとしていたため「1塁に行く意思がない」と判断。
森中にタッチ、ホームベースを踏む、1塁送球のいずれも行わずに
ボールをマウンドに転がしてベンチに引き上げた。
これを見た大洋ベンチは森中に1塁に走るよう、また3塁走者の松原誠には本塁突入を指示。
松原が生還したことで大洋に追加点が入った。
ここで大谷泰司球審が阪神ベンチへ行き、藤本定義監督に
「今のは3ストライクのジェスチャーで、アウトの成立ではない」と説明
(ルール上、この場面では振り逃げが成立するため、スリーストライクをとられた時点では
アウトとならないが、打者が振り逃げを放棄した動作をした場合は、アウトになる)し、
阪神ナインに再び守備につくように命じた。
これに対し藤本は「スリーアウトと言ったから和田は引き上げた」と反論し、
後藤次男・山田伝両コーチを交えて抗議。その際に大谷の胸を何度か突いた。
33分間の中断後、大谷が「暴行を働いた藤本監督を退場させることを条件に試合を再開する」
と説明したが、これに対し阪神側の態度が再び硬化。
その後も阪神ナインは守備に就くことを拒否し続けたため、放棄試合が成立した。
2005年にも放棄試合になりかけた試合があった。
9月7日にナゴヤドームで行われた首位の阪神と阪神を2ゲーム差で追う2位の中日との首位攻防戦。
シーズン終盤での天王山決戦という優勝の行方を大きく左右する重要な一戦だっただけに、
1点を争う緊迫した試合展開となった。
3-1で迎えた9回裏、抑えの久保田智之が打たれて無死2・3塁となり、
谷繁元信が打った2塁ゴロを2塁手の関本健太郎がバックホームしたが、
クロスプレイの判定はセーフとなり、3塁走者のアレックスが生還した。
この直前の9回表に同じような微妙な判定で中村豊が本塁でアウトになっていたため、
アレックスがセーフという判定に対して岡田彰布監督が猛抗議し、
選手全員をベンチに引き上げさせてしまった。
その際に、橘高淳主審に暴力行為を振るおうとした岡田監督を止めに入った
平田勝男ヘッドコーチが橘高を突く形になり、退場処分を受けた。
結局阪神の牧田俊洋球団社長が岡田監督を説得し、試合は18分間の中断後に再開された。
その後、中日が井上一樹の犠牲フライで同点に追いついて試合は延長戦にもつれ込んだが、
阪神が延長11回表に中村豊のソロホームランで勝ち越し、4-3で勝利を収めた。
佐野事件
1977年4月29日、川崎球場での大洋戦で起きた事故。
阪神が7-6とリードした9回裏1死1塁で、大洋の清水透が打った大飛球を
左翼手の佐野仙好がフェンスに激突しながらも好捕した。
しかし、当時の川崎球場のフェンスはコンクリートが剥き出しだったため、佐野は頭蓋骨を陥没骨折して、
ボールを捕球したままうずくまった。
レフト線審の田中俊幸は捕球を確認してアウトを宣告したうえで担架を要請するしぐさを行った。
佐野は目を剥いており、ただ事ではないと思った中堅手池辺巌も外野から同様の合図をしたため
(重傷者が出たのだから当然ボールデッドになるものと思っていた)選手、コーチが心配して
佐野に駆け寄った。
その間に、一塁走者の野口善男がタッチアップして本塁に到達し、7-7の同点となった。
これに対し、吉田義男監督は「突発事故の発生によりタイムが宣告されるケースだから
得点は認められない」と田中線審に抗議したが、審判団は「守備側プレーヤーの負傷では
プレー中にタイムを宣告することができない」として抗議を退けた。
結局、吉田監督は提訴試合とすることを条件に試合再開に応じ、試合は時間切れのため
7-7の引き分けに終わった。
提訴を受けたリーグは「この件は規則に定められた突発事故に当たらない」と結論づけ、
阪神の提訴は取り下げられた。
野球規則5.10(c)には「突発事故によりプレーヤーがプレイできなくなるか、
あるいは審判員がその職務を果たせなくなった場合(球審は"タイム"を宣告しなければならない)」とある。
しかし同時に、同5.10(h)に「審判員はプレイの進行中に、"タイム"を宣告してはならない。
ただし、本条(b)項、 または(c)項の〔付記〕に該当するときは、この限りではない」となっている。
病気が治らない。
辞めよう、と思って三年。回数こそ減ったが辞めてはいない。
毎回今回こそ、と思って失敗している。
今回は流石に辞められると思い書き込みしました。
地道に頑張って辞めます。
コテハンで日数カウントさせてもらいます!
先ずは30日頑張ります。
禁スロマラソン参加者の皆様、おはようございます!
>>486 スレ立て乙です!
今週は普段よりも少しだけ手の込んだ料理を作ってみようと考えてます。
材料に合わせ調味料で下味つけてから調理するだけなんですけどね。
目分量でどんだけのものが出来上がるか挑戦してみます。
禁スロも引き続き挑戦中。5ヶ月達成も近いし、がんばるぞ〜〜〜。
(b)項は「ライトの故障のために、審判員がプレイを見るのに困難となるか不可能となった場合」であり
付記もライト故障に準じるものである。
(c)項付記は「プレイングフィールド外への本塁打、または死球の場合のように、
一個またはそれ以上の安全進塁権が認められた場合、走者が不慮の事故のために、
その安全進塁権を行使することが出来なくなったときは、その場から控えのプレーヤーに代走させる事ができる」
という攻撃側の突発事故を想定したものとなっている。
つまり審判が試合中にタイムをかけられるのはこの2つに限られており、
佐野負傷という守備側に問題が発生した状況は野球規則上に書かれている審判が
タイムをかけられる状況には当たらず、タイムを宣告しなかったのは規則に則った正しい処置であった、
と結論付けられた。
しかしながら規則上は正しい処置ではあったとしても人道上の問題ありとして規則が再検討され、
人命に関わるような事態の場合にはプレイ中であっても審判がタイムを宣告できるように
内規が定められた。
この事件以降、川崎球場をはじめとしたフェンスが剥き出しになっていた球場は
安全のためにラバーを張ることとなった。
なお、佐野はグラウンド内に乗り入れた救急車で病院へと運ばれて一命をとりとめ、
その後復帰して1985年の優勝にも貢献した。
道頓堀
詳細は阪神ファン#道頓堀への飛び込みを参照
「阪神優勝」のロゴ商標問題
18年ぶりのリーグ優勝で大きく話題になった2003年に、
千葉県在住の男性が「阪神優勝」の商標登録届を出し、Tシャツや靴下などの商品を
全国量販店などで発売したが、阪神タイガースの商標権侵害の恐れがあるとして球団と係争となった。
男性は「阪神地区の優勝の意味」と主張したが、同年末に特許庁は商標を無効とする判断をした。
なお、この男性は同時に「巨人優勝」の商標登録を申請したが、即座に却下されたという。
JFK
詳細はJFK (阪神タイガース)を参照
阪神タイガースにおいては、ジェフ・ウィリアムス、藤川球児、久保田智之の3名のことを指す。
村上ファンドと阪神電鉄の阪急との経営統合
ウィキニュースに阪神タイガースに関するニュースがあります。
阪神タイガース球団の加盟料徴収問題、1億円のみの支払いで決着へ
村上ファンド、阪神株38%取得
村上世彰率いる投資会社「MACアセットマネージメント」(通称・村上ファンド)が
2005年に阪神電鉄の株式を買い増しし、電鉄の筆頭株主になった。
村上ファンド側は「既成権力に立ち向かう反骨精神や関西人の気骨がグループ全体に影響をもたらすだろう」として、
タイガースの株式上場を提案。
これに星野仙一シニアディレクターは「タイガースはファンのもの」だと反論し、
更に牧田俊洋球団社長も「株式上場の計画はない」とコメント。
2005年10月11日、村上と阪神電鉄首脳が会談を行い、村上は「(タイガースの株式上場は)
ファンの意見を聴いた上で考慮したい」とコメントした。
2006年6月19日、阪急電鉄等を傘下に持つ阪急ホールディングスがTOBにより、
村上ファンドが保有する阪神電鉄株式を取得。
その後、阪急ホールディングスは阪神電鉄を子会社化した(阪急・阪神経営統合参照)。
経営統合の話し合いの中で、タイガースに関しては「阪神タイガース」のままで存続することになったものの、
これが7月5日に行われたプロ野球オーナー会議で、阪神電鉄から阪急阪神ホールディングスに
経営スポンサーが変更される「経営譲渡」と見なされ、
阪急ホールディングスは加盟料30億円の支払いを課されることとなった。
しかしこの決定には十分な論議がなされておらず、阪神側はこの対応を不服として
減免措置を含め再検討を要求した。
この結果、同年末に加盟手数料1億円を除く29億円を免除することがオーナー会議で決定された。
交流戦専用ユニフォーム
2005年から日本版インターリーグ(交流戦)が開始されたことを受けて、
タイガースでは交流戦期間中に限り、専用ユニフォームを着てゲームを行っている。
これは交流戦が開始された2005年が球団創立70周年という記念の年に当たること、また、
綱島理友が1999年から2004年まで週刊ベースボールで連載していた「ユニフォーム物語」で
歴代のユニフォームが紹介され、それによって「オールドユニフォームを着て闘う選手の姿が
見てみたい」というファンの声が高まったこと、さらに岡田彰布監督の「交流戦では普段
見られないものを見せるべきだ」という考えが一致したことによる。
2005年はホーム用のみ過去のデザインを復刻させた“復刻版ユニフォーム”を
専用ユニフォームとして使用。
縦縞に黄色と黒色の縁取りを施した、1979年 - 1981年までのモデルを採用した。
ビジターでは復刻版ユニフォームは着ず、通常のビジター用ユニフォームで試合を行っている。
この復刻版ユニフォームは好評で、その後他球団へも波及していった。
2006年は「縦縞をビジターでも見てみたい」というファンからの要望が多かったため、
2005年度に使った復刻版ユニフォームをビジターの試合で着た。
ホームでは逆に、同時期(1979年 - 1983年)にビジターで着ていた水色地のモデルを使用。
従って、ホームゲームでは結果的に「ビジターvsビジター」、ビジターゲームでは
「ホームvsホーム」という趣で行われた
(東北楽天ゴールデンイーグルス・カラーユニフォーム対決の項を参照)。
2007年の交流戦用ユニフォームは復刻版ではなく、
服飾デザイナーのコシノヒロコがユニフォームをデザイン。
70年以上一度も変更されることのなかった胸のロゴデザインが改められ筆記体となり、
背番号はかつてコシノが手がけた近鉄のユニフォームと同じ書体になった。
どちらも文字色は黄色であり、ホーム用・ビジター用共に同じものを用いている。
藤井寺球場時代の近鉄と同じラグランスタイルが採用されており、ホーム用は白地に黒の縦縞、
ビジター用は黒地に黄色の縦縞が入っている。
ラグランスリーブは共に黒で、黄色のラインが配されていた。
2008年は“リアルタイガー”をコンセプトに、プロ野球界で初めて従来はアップリケだった
胸のロゴや袖のマーク・背番号を生地に印字することで、これまでよりも100グラム軽い
約400グラムに軽量化。
より“虎”をイメージしたデザイン面は、伝統のタテジマの幅を
倍の5ミリにしグラデーション加工を施し、場所によってシマの濃さが変わる。
さらに「流線形」でスピード感を表すように、すそや胸のロゴに向かって色が薄くなっている。
さらに帽子もホーム用は空気穴とトップのボタンを黄色にした交流戦限定タイプ。
また、ビジター用の帽子のツバにはグレーが用いられた。
なお、このユニフォームはキャンプ中に岡田監督が自ら提案した。
関連項目
阪神ファン
阪神タイガースの選手一覧
Template:阪神タイガースドラフト指名選手
阪神タイガース主催試合の地方球場一覧
死のロード
尼崎中央・三和・出屋敷商店街
京セラドーム大阪
阪急阪神東宝グループ
男どアホウ甲子園
決戦・日本シリーズ
阪神タイガース (小惑星):阪神タイガースにちなみ命名された小惑星
関連番組
虎バン(朝日放送)
BRAVO!(読売テレビ)
熱血!!タイガース党(サンテレビ)
虎辞書なる!!(サンテレビ)
サン虎検定(サンテレビ)
ホームとビジターゲームの中継制作局・番組
毎日放送(ラジオ・テレビ)
MBSタイガースナイター
朝日放送(ラジオ・テレビ)
ABCフレッシュアップベースボール
スーパーベースボール
関西テレビ
読売テレビ
テレビ大阪
TVO BASEBALL LIVE(ローカル放送では『全力!!虎中継』)
サンテレビ
サンテレビボックス席
ホームゲームのみの中継制作番組
GAORA(毎日放送)
sky・A sports+(朝日放送)
フジテレビ739(関西テレビ)※東京ヤクルトのホームゲームと重なる場合は
フジテレビ721に移して中継している。
日テレG+(読売テレビ)
Tigers-ai(阪神コンテンツリンクが衛星放送向けに制作している阪神戦の中継)
地元ケーブルテレビ局
ベイ・コミュニケーションズ(オリジナル番組制作)
検定
タイガース検定:12球団初の球団公認の検定試験。
脚注
[ヘルプ]
^ 同様の事件が2001年9月30日の福岡ダイエーホークス対大阪近鉄バファローズ戦で発生し、
当時55本塁打を打っていた近鉄のタフィ・ローズがダイエーから連続敬遠四球を受け
シーズン最多本塁打記録の更新を果たせなかったが、その時のダイエー監督がまたも王貞治であった。
当時の川島廣守コミッショナーは翌10月1日異例のコミッショナー宣言を出し、
個人記録への妨害を意図する行為の排除を強く求めるに至った。
^ プロ野球ワースト記録は、西鉄ライオンズに14.5ゲーム差を逆転された1963年の南海ホークス。
^ 1950年代は神戸市民運動場野球場、1979年から1993年は阪神浜田球場
^ 雑誌「週刊ベースボール」(ベースボールマガジン社刊)2008年7月28日号11-13ページ復刻ユニフォーム物語」
外部リンク
阪神タイガース公式サイト
阪神タイガースヒストリー
阪神タイガース資料室
阪神ファン
阪神ファン(はんしんファン)とは日本のプロ野球球団・阪神タイガースを支持・
応援する人のことである。タイガースファンとも言う。
阪神ファンは、阪神タイガースが日本の兵庫県にある阪神甲子園球場を本拠地にしていることもあり、
近畿地方を中心として日本全土に存在している。また日本国外にも少なからず存在している。
阪神ファンの実数は明確に調査されたことはないが、阪神タイガースがセ・リーグで優勝した
2005年には、日本全土で2053万人存在していると宮本勝浩教授により推計されている。
阪神タイガースの観客動員数が、2005年、2006年、2007年と三年連続で300万人を突破しており、
日本球界では阪神ファンが巨人ファンの次に多いと言われる。
阪神ファンの特徴として、優勝時の道頓堀に飛び込む行為などにより、
他の球団のプロ野球ファンと較べても熱狂的として認識されている。
阪神ファンには、自らその熱狂度を誇る、あるいは競うファンも多く、
そのようなファンを特にトラキチと呼ぶこともある(あるいは自称する)。
また、東京と大阪の歴史的な対抗意識から、アンチ巨人志向を持つ人がほとんどである。
関西以外の地域においては、「関西出身、在住の人間は総じて阪神ファンであり、
熱狂的かつ派手に応援している」というイメージが広がっている。
しかし当然ながら例外も多く、一般化はできない。
呼称
阪神ファン・タイガースファン
最も一般的とされる。タイガースという球団名は日本のプロ野球以外にも存在する
(デトロイト・タイガースなど)が、日本でタイガースファンと言えば通常は
阪神タイガースのファンのことをさす。
トラキチ
トラ(タイガース)のキチガイという意味の略語であり、特に熱狂的な阪神ファンの呼称
(あるいは自称)として用いられる。
1985年の流行語大賞(銀賞)にもなった言葉であるが、
日本ではキチガイという言葉は蔑称に当たるので、使用には注意が必要である。
阪神ファンの応援
阪神ファンの甲子園球場での応援は他チームの応援よりも賑やかで、熱狂的である。
巨人の上原は2006年WBCの際、韓国側の熱狂的な応援について質問されると
「甲子園の応援の方が揺れてすごい」と答え、また2007年北京オリンピックアジア最終予選後
チャイニーズ・タイペイ戦での完全アウェーの応援について聞かれても
「甲子園の阪神巨人戦が世界一」と語っている。
応援スタイル
この節には『独自研究』に基づいた記述が含まれているおそれがあります。
解釈、評価、分析、総合の根拠となる出典を示してください。
ファンの応援スタイルは、ヒッティングマーチを歌いながらメガホン
(応援バット、カンフーバット)を叩くというオーソドックスなものが浸透している。
服装
応援時の服装は様々であるが、レプリカユニフォームや法被をはじめ、
黄・黒・白・グレーとピンク(女性用レプリカユニ)のいずれかを使ったものが主である。
他にも、オリジナルの服、刺繍を縫いこんだもの、
プロレスラータイガーマスクの仮面を被っている者や、虎柄の水着を着たファンまでいる。
トラキチ
トラ(タイガース)のキチガイという意味の略語であり、特に熱狂的な阪神ファンの呼称
(あるいは自称)として用いられる。
1985年の流行語大賞(銀賞)にもなった言葉であるが、
日本ではキチガイという言葉は蔑称に当たるので、使用には注意が必要である。
六甲おろし
阪神タイガースの歌の通称。阪神ファンはタイガースの試合前、
阪神の選手がタイムリーや本塁打を放ったとき、勝利確定後など、
ことあるごとにこの歌を合唱する。
(六甲おろしの詳細はリンク先参照)
ヒッティングマーチ
レギュラークラスの選手には、1人1曲ずつヒッティングマーチが作られており、
打席に立った際に各選手のヒッティングマーチが合唱される。
控え選手や活躍目新しい選手など、ヒッティングマーチの作られていない選手の打席の際には、
全員共通の「ヒッティングマーチ2番」を、投手には「ヒッティングマーチ1番」を使用している。
蛍の光
相手投手がノックアウトされて降板する際、「さよならさよなら○○(降板する投手の名前)」
とコールした後、皮肉を込めて「蛍の光」が大合唱される。
それに続いて六甲おろしが大合唱される。
かつては、まんが日本昔ばなしのエンディングテーマとしてもお馴染みの「にんげんっていいな」
の替え歌が大合唱されていた。
ジェット風船
7回の攻撃前、および勝利確定時、ジェット風船が一斉に上げられる。
7回の攻撃前の打ち上げは、ホームではファンファーレの後に、
ビジターでは六甲おろしを歌った後に打ち上げられる。ジェット風船の色は統一されずカラフル。
あと一人
9回(または延長戦の場合はリードして決着が付く可能性がある回)
守備で阪神タイガースがリードで2アウトの際、「あと一人」と合唱で連呼される。
更に、2アウト2ストライクに達するとそれが「あと一球」と変わる。
鳴り物応援およびチャンステーマも参照
応援団およびファンクラブ
「阪神タイガース応援団」(2007年度まで阪神タイガース私設応援団)が、
阪神の中で鳴り物応援を行う唯一の応援団である。(2008年現在)以前は「阪神タイガース応援団」の他に
「中虎連合会」いう団体とで全体の応援を統率していたが、
2004年に中虎連合会の幹部がヒッティングマーチに関する著作権法違反容疑で逮捕された
ことなどもあり、阪神タイガース応援団のみという状況になった。
2003年からは、球団公式ファンクラブが設立されている。
阪神タイガース応援団および中虎連合会も参照
応援スタイルに関する批判
「蛍の光」に対して
ワンポイントによる降板など仕事をきっちり果たした、敵チームの投手が降板する際なども
「蛍の光」が歌われ、一部ファンからも「一生懸命試合をしている相手チームの選手に対して
辛辣すぎる。相手を馬鹿にしている」との意見も多い。
また、過去にはクロスプレーなどで負傷退場した相手チームの選手に対して歌われたこともあり、
これには多数の批判が集まった。
球団OBの江夏豊が2006年6月5日付のデイリースポーツ紙のコラムに
「『蛍の光』は相手投手を侮辱するもので、これを喜んで歌う観客は阪神ファンとは呼べず、
観戦する資格はない」と寄稿するなど、快く思わない人も多く、
これを受けたヒッティングマーチ管理委員会が、新たに同点時及び阪神劣勢時の相手投手交代時に
演奏する「オペレーションビクトリー」なるヒッティングマーチを作製、
同年7月28日の対ヤクルト戦より演奏されることになったが、引き続き「蛍の光」は
阪神優勢時に相手投手がイニング途中で交代した際に演奏されるため、
結果的に完全撤廃には至っていない。
「にんげんっていいな」に対して
2003年シーズン、横浜スタジアムなど関東地方のビジター球場では「蛍の光」の代わりに
「にんげんっていいな」の替え歌が使用されていたが、相手投手をバカにする内容であり、
同様に他球団ファンから反感を買っていた。
(ただし、この楽曲は中虎連合会主導で演奏されたものであり、
同会が出入禁止となった翌年からは演奏されていない)
ジェット風船に対して
ジェット風船が打ち上げられる7回阪神攻撃回の直前に、相手チームの攻撃が長引いてしまうと、
待ちきれずに打ちあげるファンが見られることもある(俗に『見切り発車』と呼ぶ)。
阪神の勝利時に打ち上げるジェット風船に関しては、ファンがそれを準備のため
試合が続いている段階から膨らませるため、「試合の様子や勝利の瞬間が
風船のせいで見られなくなる」といった批判がある。
また、かつてはジェット風船の使用の禁止をアナウンスしている球場でも、
平気で打ち上げるファンが大半であり、2006年に私設応援団が動くまでは
それが通例的な扱いになっていた。
「あと一人」などのコールに対して
「あと一人」、「あと一球」コールや相手チームのバッターが2ストライクに追い込まれた時の
「ウゥー、三振!」のコールが起こるが、これは相手チームの応援の邪魔になり、
各所から反発がある。阪神の藤川球児投手はこのコールに関して、
「ピッチャーには結構な心理的負担がかかる」との発言をしている。
ただしこれらのコールは他のプロ球団や大学野球の応援でも使用されている。
阪神ファンの動員力
甲子園球場(ホーム)
1985年の日本一になるまでの時期や、チームが低迷していた時期(1990年代)は
巨人戦以外では空席も目立った甲子園であったが、近年(2002年以降)では
レフトスタンドの外野ビジター応援席以外は全て阪神ファンという光景が、
日常茶飯事になっており、その地鳴りのする応援は他に例を見ない迫力を作り出す。
そのため、プロ野球中継の際には高確率で「甲子園は360度全て阪神ファン」のような
球場の様子を見聞きすることが出来る。
応援団とごく少数のビジターファンを除けばビジター応援席ですら
阪神ファンばかりということもしばしばある。
(ビジター応援席でのホームチーム応援が東京ドームなどでは徹底的に禁止されているのとは
対照的に、甲子園球場においてはビジター応援席での阪神の応援は特に禁止されていない。)
ちなみに、外野ビジター応援席エリアは巨人あるいは千葉ロッテ応援団が来場の際は、
エリアが広く取られる設定になっている。
また、2007年度からは16番ゲート真上の上部外野ビジター応援席エリアも
巨人・千葉ロッテ戦の際には、その応援団用エリアとなった。
ビジター
ビジターでの横浜戦やヤクルト戦、オリックス戦、西武戦では、ビジターチームの応援席が
ホームチームの応援席より埋まっている試合も多い。
それ以外での対戦カードでも、ビジター応援席は阪神ファンで満員になり、
ビジター側の内野席もほぼ阪神ファンで埋めつくされるということが日常茶飯事に起こっている。
特に関東圏でのビジター試合では、関西地方在住以外の阪神ファンが多くなっていることもあり、
ホームチームのファンより阪神ファンが多いこともしばしばある。
ヤクルト戦、オリックス戦では本来ホーム側の応援席であるライトスタンドの一部まで占めることがある。
同じ関西圏のオリックス戦ではスタンドの約8割が阪神ファンで占める。
横浜スタジアム(横浜戦)ではライトレフトが完全隔離されており
相互の移動は不可能となっているが、外野席が少ないためレフト側は早々に売り切れ、
非常識なファンは敢えてライト側に陣取る者もいる。
そのため横浜ファンとのトラブルの元凶になることがある。
また、本来ならばスタンドほぼ全体がホームチームのファンで占める東京ドーム(巨人戦)、
ナゴヤドーム(中日戦)、福岡Yahoo!JAPANドーム(ソフトバンク戦)、札幌ドーム(日本ハム戦)、
クリネックススタジアム宮城(楽天戦)でも、全体の人数こそホームチームのファンには劣るものの
阪神ファンが多く、ビジター応援席やビジター側の内野席は、大半が阪神ファンで埋めつくされる。
阪神ファンの特徴
六甲おろしにもあるように我等が阪神タイガースと、阪神ファンは阪神タイガースに対し
強い一体感を持っている。
阪神タイガースは、読売ジャイアンツと並んで第二次世界大戦以前より存在するため、
古くからのファンも多い。そのためファン層は幅広い年代で存在し、特に偏りは確認されていない。
阪神ファンの存在する地域としては、阪神甲子園球場のある兵庫県や、
近隣の大阪府を中心とした近畿地方が特に多いと言われる。
また、四国(徳島県・香川県・高知県は全県的に多いが、愛媛県は東予地方と、南予地方に多い)
と山陰2県・岡山県・福井県・三重県の一部地域(伊賀地方や紀州地方)も阪神ファンの多い地域である。
星野阪神が優勝した2003年以降は、全国的に阪神ファンの数は増え、
近畿地方から離れた地域での試合に関わらず、時にホーム球団を凌ぐ動員力を
阪神ファンが発揮するように、近畿地方以外の地域にも日本全土に幅広く存在する。
阪神ファンの問題行動
ファンの熱狂度が高い分、チームが勝ち続けた時の喜びや負けた時の反動は大きく、
迷惑行為を行うことがある。
このため球団側もイメージの低下を恐れて甲子園への缶・瓶類持ち込み禁止チェックや
立ち見応援の規制呼びかけといったマナーの向上に熱心になっており、
一部の良識あるファンを発端としたマナー向上の呼びかけも展開されている。
トラブル
阪神ファンが起こした代表的なトラブルとしては、以下の事例が挙げられる。
1972年10月7日、甲子園で巨人に敗れ巨人の優勝が決定した際、ファンがグラウンドに乱入して
巨人の胴上げは中止となった。だがこれは、翌年の大騒動に比べればまだ大人しい方であった。
1973年10月22日、甲子園での最終戦で巨人に0-9と大敗し優勝を逃した際、
不甲斐ない試合に激高したファンがグラウンドになだれ込み、対戦相手の選手らに暴行を働いた
(阪神タイガース#キーワードの「伝統の一戦・阪神vs巨人戦〜世紀の落球とV9」を参照)。
これにより巨人のグラウンドでの胴上げは中止となった。
29年後の2002年、巨人は再び甲子園でリーグ優勝を決めたがこの事件を受け厳重な警備体制が取られた。
1984年8月15日の巨人戦(後楽園)の試合前に、阪神ファン数十人がレジー・スミス外野手を取り囲み、
人種差別と受け取れる罵声を浴びせる。
その後数名がスミスに暴行を受け、スミスが書類送検される騒動に発展した。
1985年5月23日の広島戦(甲子園)で、北別府学投手がバスターで右翼ポール際に本塁打を放った際、
判定を不服とした阪神ファンが線審にチェーンを投げつけ負傷させた。
同年6月30日の巨人戦(甲子園)で、開場後に天候不良で試合中止となったが、
ライトスタンドに入場していたファン約1000人がグランドに乱入。「優勝前祝い」と称し
リリーフカーを奪いグランド内を暴走したり、1塁側ベンチにも乱入するなど
球場内は30分にわたり混乱した。
その後、阪神球団及び甲子園球場はライトスタンドフェンス際にファンの乱入を防ぐための
有刺鉄線を設置するなど防御策を推進。
また、この混乱の際に一部のファンがレフトスタンドにも乱入し、
既に入場していた一部の巨人ファンを取り囲み暴行するなどの行為もあった。
1992年9月11日のヤクルト戦(甲子園)で、八木裕選手が岡林洋一投手から放ったレフト方向への本塁打が
エンタイトルツーベースに覆されたことを不服とした阪神ファン数人がグラウンド内に乱入し、
逮捕者が出る事態へと発展した。
また、同年10月10日には最後まで優勝を争ったヤクルトとの直接対決(甲子園)に敗れ、
ヤクルトの優勝が決まると、野村克也監督の胴上げや優勝インタビューの際に
阪神ファンから一斉に「帰れコール」が発生し、さらに引き揚げるヤクルトの選手や監督に対し
大量のメガホンを投げつけた。
これにはサンテレビの野球中継のゲストのダンカンが苦言を呈していた。
2001年、開幕戦の巨人戦(東京ドーム)で3-17と記録的な大敗を喫した試合、
最後の打者がレフトにフライを打ちあげると捕球態勢に入った清水隆行に対し、
レフトスタンドの阪神ファンからメガホンが投げ込まれた。
2003年、それまで16連勝と好調だった横浜戦で敗戦した際、9回裏藤本敦士の放った
3アウト目となるレフトファウルフライを周囲への注意が散漫になりやすいスライディングキャッチをした
多村仁めがけて一部の阪神ファンがメガホンを投げつけるという行為を働いた。
多村は「本当に危ない。怪我するかと思った」とコメントしており、
横浜ファンのみならず阪神ファンからも糾弾の声が上がった。
当時の星野仙一監督も「こんな事やったら甲子園で胴上げはやらん」と激怒した。
同年6月11日、岐阜長良川球場の中日−阪神戦において阪神が7−2で勝利した後に
阪神ファンがグランドに乱入し中日ファンを挑発、中日ファンもグランドに乱入し乱闘となった。
その際に防犯用トウガラシ系催涙スプレーの様のモノが噴射され観客53人が
目やのどの痛みで治療を受け、内31人が病院搬送、7人が入院する事態となり、警察も捜査をした
(結局事件は未解決のまま、うやうむやになったままである)。
この一件に関し(当時の)山田久志中日監督、星野仙一阪神監督、片岡篤史、桧山進次郎、
赤星憲広などが暴挙を非難するコメントを出した。(詳細は長良川球場#主なエピソードを参照)
2005年6月2日の交流戦・福岡ソフトバンクホークス戦において、金本知憲への頭部付近への死球を
危険球投球と判定され退場する三瀬幸司に対しゴミを投げつけたり、
試合終了後に帰路につくホークス選手を乗せたバスをファン100人が取り囲みメガホンを投げつけたり罵声を浴びせるなどで進行を妨害した。
2005年の日本シリーズで、「千葉ロッテマリーンズのファンと口をきいた」という理由で
そのファンに対し暴行、逮捕される騒ぎとなった。
また、このシリーズでは他にも暴行や器物破損容疑で10人以上の逮捕者が出ている。
2006年9月16日、首位中日と5.0ゲーム差の2位で迎えたナゴヤドームでの直接対決3連戦の第2戦、
山本昌に41年ぶりのノーヒットノーランを達成され、なおかつシーズンの同球場での10連敗目となる
完敗を喫してしまった。
一部の阪神ファンが左翼3階席通路の防煙垂壁(火災の際、煙が客席への流入を防ぐもの)につかまって
応援していたが、この試合終了後に何らかの強い力が加わり、崩れ落ちているのが見つかった。
2006年のシーズン終盤には神宮球場のヤクルト対中日戦や横浜スタジアムの横浜対中日戦で、
首位の中日を負けさせるために阪神の法被やユニフォームを着用してライトスタンドにて
ヤクルトや横浜を応援するファンが目撃された。
>>287にほとんど反応なしなんてwww
ここの住人、耐性あるなあww
006年10月8日の横浜対中日戦では、中日の逆転時にグラウンドにメガホンを投げ入れ、
試合終了後には横浜公園内にて中日ファンとの乱闘騒ぎも起こしている。
2008年5月7日の対巨人戦(東京ドーム)で巨人のアレックス・ラミレス選手のオーバーフェンスの打球を
左翼席最前列にいた阪神ファンの男性が手でブロックし、ボールがグラウンド内に落下。
協議の結果、ツーベースになった。
2008年7月20日にナゴヤドームで行われた中日−阪神戦において中日が勝利した試合後に、
阪神ファンが中日ファンに因縁をつけ、暴行を加え逮捕される。
道頓堀川への飛び込み
道頓堀の飛び込み禁止看板
2005年の阪神優勝時に設置された飛び込み防止のためのフェンス
1985年
21年ぶりのリーグ優勝が決まった1985年10月16日、大阪市の繁華街ミナミを流れる道頓堀川では
熱狂的なタイガースファンが優勝を祝って夜中にもかかわらず戎橋の橋梁から飛び込む姿が相次いだ。
さらに、ケンタッキーフライドチキンの創始者カーネル・サンダース像を
この年のMVP・バースに見立て胴上げして道頓堀川に投げ込まれる事件もあった。
これにちなみ、その後の低迷を「カーネルの呪い」などと呼ぶ冗談が一部のファンの間で流行した。
2003年、2005年
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2003年8月、阪神タイガースがリーグ優勝を目前としていた頃、当時の星野仙一監督も水質汚染などを理由に、
ファンに道頓堀川への飛び込みはやめるよう呼びかけていた。
この当時、道頓堀川は川の側面に歩道を設ける工事を実施しており、
また川自体も大腸菌やヘドロなど環境上の汚染が深刻であるため、
橋梁からの飛び込み行為は絶対やめるようにという注意書きの看板が掲げられていた。
のべ5300人を超えるファンが道頓堀川に飛び込んだ。
16日には泥酔したファンの1人が欄干上を歩いているうちに落下、溺死体で発見されるという事件が起きた。
2005年の2年ぶりの阪神のリーグ優勝時には、大阪市と大阪府警察本部は、
戎橋に高さ3mの透明強化プラスチック製のフェンスを設け、また2年ぶりのリーグ優勝が
確定しそうな日には「とんぼりリバーウォーク」を出入り禁止にするなどの対策をとった。
結果、飛び込みを少数にとどめる事ができた。
その他、派生した飛び込み
優勝時の道頓堀への飛び込み行為が他球団のファンに影響を与える例として、
1998年の横浜ベイスターズ優勝時(横浜市内の川に飛び込んだファンのうち1人が亡くなった)、
1999年の中日ドラゴンズが優勝時(納屋橋から堀川に)、福岡ダイエーホークス優勝時
(中洲の福博であい橋から那珂川に)、道頓堀では2001年の大阪近鉄バファローズ優勝時
(その数は2003年の阪神優勝時よりは少なかった)などがある。
また、道頓堀への飛び込み行為はサッカーファンにも飛び火しており、
2002 FIFAワールドカップで日本が決勝トーナメント進出した際にも多くのサポーターが
飛び込む事態があった。
道頓堀川への飛び込みに対する批判・エピソード等
ちなみに戎橋と甲子園球場は10キロ以上離れており、現時点では公共交通機関で
両地点を乗り換えなしで往来する事は不可能であるが(2009年に阪神なんば線が完成すれば可能)、
これらの騒動の為か、関西地区以外の人間の中には「甲子園球場と戎橋が至近距離」
「甲子園球場は大阪府にある」と勘違いする者も少なくない。
更に、戎橋は甲子園球場へのアクセスである阪神線のターミナル・梅田駅のあるキタではなく、
南海ホークスの本拠地であった大阪球場や、大阪近鉄バファローズの本拠地であった
大阪ドームに近いミナミに位置する。
仁義なき戦い
『仁義なき戦い』(じんぎなきたたかい)は、戦後の広島で実際に起こったヤクザの抗争を題材に
飯干晃一が著したモデル小説。またこの小説をもとに東映で作られた映画。
本文で特に記載なき場合は映画について述べている。各作品についてはリンク先を参照。
小説
主人公である美能幸三が獄中で書き綴った手記がベース。
小説では団体・人名・地名も全て実名(映画本編では実名をもじった名前に変えられる)記述された。
1972年に週刊サンケイ(現・SPA!)で連載。
手記
飯干晃一の小説より先となる獄中手記を、美能幸三が執筆した原動力は1965年、
月刊文藝春秋四月号に掲載された中国新聞報道部記者・今中瓦が執筆した
「暴力と戦った中国新聞 ― 菊池寛賞に輝く新聞記者魂 "勝利の記録" 」という記事への
反論からであった。
この中に"美能が他の組幹部の意向を無視して山口組と勝手に盃を交わした"
"破門された美能が山口組と打越会に助けを求めた" という記述があって、
特に美能は "打越会に助けを求めた" という部分にプライドを傷つけられた。
助けを求めたなどと書かれては、ヤクザとして生きていく以上、黙ってはいられない。
ウソを書かれて悔しい、と翌日から舎房の机にかじり付いた美能は、
こみ上げてくる怒りを抑えながら、マスコミに対する怨念を込め、
七年間にわたり総計700枚の手記を書き上げた。
手記は汚名返上の執念が書かせたものであった。
このため廻りまわって週刊サンケイ(現・SPA!)から連載が決定した時、
"登場人物を全て実名で掲載する事" を連載の条件に付けた。
実名を出せばトラブルになることは分かっていたが、あくまで名誉回復のためなので
実名でなければ断る、と頑なであったという。
なお前記、中国新聞の記事は、広島抗争時に中国新聞が「暴力追放キャンペーン」と銘打ち、
ペンの力で暴力団に立ち向かった成果を『ある勇気の記録』(1965年、青春出版社、
1994年、社会思想社)として出版。
これは1965年の菊池寛賞を受賞、また同名タイトルでテレビドラマ(NET、1966年10月〜1967年1月)
にもなり、これを見てジャーナリストを志した者も多いといわれる名作だが、
今日『仁義なき戦い』の原作・映画に比べると比較にならないほど知名度が低い。
また『仁義なき戦い』の映画化にあたり「ある勇気の記録」のテレビ化と同様に、
暴力団追放のキャンペーンにもなると考えていた広島県警が当初、協力をしてくれたという話がある。
映画
1973年、東映配給網により正月映画第2弾として公開されたヤクザ映画。監督深作欣二。
シリーズを通しての主演は菅原文太。製作東映京都。公開時の併映は『女番長 スケバン』。
シネマスコープ。99分。やくざ同士の抗争を題材にしながら仲間を裏切り、
裏切られることでしか生きられない若者たちを描いた。本作の特徴として手持ちカメラによるブレや、
方言による迫力あるセリフの応酬が挙げられる。
助監督をつとめた土橋亨はインタビューで以下の点を指摘している。
(i.e ドキュメントタッチになった原因について)
土橋 そうね。とにかくミッチェル・ズーム [i.e 映画撮影用のカメラのこと。
パナビジョンの前に使用された。深作はこれにズームレンズをつけて、かつ、ライティングにより
光量減をカバーするという手法を選択した] というのはこの映画が初めてだったし、
成功した要因だろうね。それだとシンクロ(同時録音)できるからね。
アフレコだったら広島弁のやりとりが噛んでいくあの感じ、絶対出ないんですよね。
アフレコだとどうしてもスターティックになるから
第一作の制作前にシリーズ化が決定されていたが、予想以上の大ヒットとなり
興収は邦画の中で年間第2位となり、21世紀の現在も名画座を満員にできるコンテンツである。
長らくビデオ化されなかったが、その間も土曜日のオールナイトなどでシリーズ作がよく上映された。
1987年12月にレンタルビデオがリリースされ、邦画としては桁外れの売上を達成し、
以後もロングセラーを続けた。
スポンサーの付き難いヤクザ映画にもかかわらず、繰り返しゴールデンタイムの地上波で放送されている。
この映画が登場するまでのヤクザ映画の多くはいわゆる、チョンマゲを取った時代劇
と言われる虚構性の強い「仁侠映画」であり、義理人情に厚く正しい任侠道を歩むヒーローが描かれていた。
68年から始まる文太主演の「現代やくざ」シリーズで既にヤクザを美化した従来の任侠映画の常識を
覆す現実的なワルを主人公にしたが、この映画では実在のヤクザの抗争を「実録路線」として、
リアリティを表現させたところが新しい。
本作に出てくるヤクザの大半は金にがめつく、弱者に強い社会悪としての姿が大いに描かれており、
仁侠映画のようにヤクザを美化することはない。
一時英雄的に表現されるキャラクターも最後には惨めに無残に殺される場面が多い。
また、この映画はヤクザを主人公にはしているが、優れた群集活劇でもあり、
暗黒社会の一戦後史でもあり、青春映画であり、また自己啓発としての側面もある。
ただし、基本的に娯楽映画/エンターテイメントであるため、
登場人物に感情移入させるためにもヤクザを魅力的な存在であるかのように描いており、
犯罪者を美化するのかという批判もつきまとうことになる。
この映画の大ヒット後、ジャーナリズムは様々なヤクザ抗争を俎上に上げて料理し、
それを原作とする多くの「実録ヤクザ映画」が製作されたが、30年以上経った今日でも、
未だこの映画を凌駕するものは生まれていない。
このため、その存在価値は年々増すばかりで、ヤクザ社会を知りたければ、まずこの映画を見、
原作を読まなければ始まらない。
おはよー(・∀・)
アンパンマンチョコ(・∀・)うまー
>>493 こにゃにゃちわー
ジャムパンツまんじゃないのかね?(・A・)
ヤクザ社会を知ることができる数少ないガイドブックでもある。
深作オリジナル五部作
仁義なき戦い(1973年)
仁義なき戦い 広島死闘篇(1973年)
仁義なき戦い 代理戦争(1973年)
仁義なき戦い 頂上作戦(1974年)
仁義なき戦い 完結篇(1974年)
深作新シリーズ
新仁義なき戦い(1974年)
新仁義なき戦い 組長の首(1975年)
新仁義なき戦い 組長最後の日(1976年)
他監督作品
その後の仁義なき戦い(1979年) ※工藤栄一監督
新・仁義なき戦い。(2000年) ※阪本順治監督
新・仁義なき戦い/謀殺(2002年) ※橋本一監督
映画化までの経緯
映画化の経緯には諸説あるが、有力説としては広島県呉市美能組の元組長美能幸三が1970年、
網走刑務所を出所後に獄中で書いた手記を作家の飯干晃一が入手。
入手経路は美能の知人に出版関係者がいて、いくつかの出版社を経て週刊サンケイ(現・SPA!)から
飯干に渡ったなどの説がある。
翌年暮、東映京都の日下部五郎が飯干と別件の打ち合わせにより自宅を訪問時に手記の存在を知る。
当時の日下部は俊藤浩滋プロデューサーの下にいたが、映画化に意欲を燃やす。
1972年、5月に週刊サンケイ(現・SPA!)に連載が開始されるが、
ゲラ刷りの内容を岡田茂東映社長が入手していたとする説がある。
この後、9月に東映はシナリオ作成を笠原和夫に指示。
笠原の「ノート『仁義なき戦い』の三百日」によると「実在する登場人物や組関係者がどのように
反応するか憶測もつかない」ため、笠原本人も映画化は実現不可能と二の足を踏んだが、
岡田社長の強い指示で取材に着手。実際に美能に面会した結果、
「呉での抗争事件だけならなんとかまとめられる」と引き受けた。
当初の予定では佐々木哲彦(劇中では坂井鉄也)を主人公にし、
この役を菅原文太にあてる予定だったが、シリーズ化を考えた東映によって急遽、
美能を主人公モデルにさしかえた。
第一作の撮影中に2作目「広島死闘篇」制作が決定し、東映は広島抗争の映画化を求めたが、
笠原は「広島事件を描くと当然神戸の山口組が登場することになり、かなり慎重な配慮と
手続きをしなければ」と苦悶。そ
の結果、第一次広島抗争を実際の時代設定より後にずらし、山上光治を軸にした
ストーリーを展開した。
だが、結局、シリーズ大ヒットで、東映は笠原に「私がいやだいやだと逃げ回ってる広島事件を
とうとうやれと言い出し」、本人も開き直った。
後日、笠原が小林信彦に語ったところでは、代理戦争における合田一家(劇中では豊田会:
笠原は合田一家の東進が広島戦争の原因としている)の評価も難しかったという。
監督の深作欣二は10月、別映画の編集中に俊藤浩滋から京都で製作するやくざ映画の
監督をする気があるか打診されている。
俊藤浩滋は東京撮影所で製作していた人斬り与太を評価。
これにより深作欣二の起用を強引にすすめたとされる。
深作自身は当時日本で最も評判の悪かったスタジオである京撮(京都撮影所)に対して
幾らかの先入観があったとされるが現場に入ってからは「深作組」の名の下、縦横の活躍を見せる。
なお、俊藤浩滋と岡田茂の両巨頭は大川博前社長の後任人事をめぐって抗争があったとされている。
そのためか、第2作以降に俊藤浩滋の名前はない。
これをして岡田茂−高岩淡−日下部五郎ラインの勝利とする向きと、
これとは別にやくざ映画に美学を求めた俊藤浩滋は実録路線を最後まで認められなかったのではと
する意見に分かれており、今も結論は出ていない。
この映画がビデオ化されたのは、他のヤクザ映画より大幅に遅れ1987年末。
これに関して深作は「映画が公開された頃は、描かれた人たちの多くが刑務所に入っていた。
いわば鬼に居ぬ間に公開してしまったようなところがあった。
ところが映画のビデオソフト化が始まった頃は、もうその人たちは社会復帰していた。
そのため、ビデオ化の方が色々と問題が多かったわけです」と語っている
2006年現在で、国内でDVD化されており、海外でもDVDが英語字幕つきで販売されている。
本作の余波・逸話
物語においてモデルの団体・人名は仮名で登場する代わり、地名は実名でテロップや台詞で登場する。
この映画のあまりの大ヒットの影響で、主要な設定場面である広島、神戸には
「ヤクザ」のイメージが定着してしまった。
当地では今もヤクザ映画に抵抗を覚える人は少なくないとされる。
なお、「広島死闘篇」以外の大半の撮影は京都市内で行われたが、第1作の作中では
広島駅構内で無許可で撮影を強行したシーンが存在する。
この作品の登場人物のモデルは大半が実在の人物で、関係者が見れば誰が誰なのか一目瞭然のため、
初公開時には映画を見た当事者達が大変なクレームを付けた。
映画なのでより劇的にキャラを膨らませたり、話を面白く脚色するのは当然なのだが、
それを理解できない人達からクレームがあった。「
事実と違う」とか、「ワシはそがいなこまい男じゃない(私はそんなに肝の小さい男ではない)」とか、
現役で子分など回りに格好がつかない人達もいたようである。
>>494 カレーパンツマンはシャレにならんよね><
中には「ワシが出とらん(私が出ていない)」というのもあったらしい。
試写室に呼ばれた某親分の謎の一言が逸話として有名。
現在は初公開時からは既に30年以上が経過し、モデルとなった人達の多くは他界している。
初公開時には『ゴッドファーザー』の影響を指摘され、評論家筋の評価は低かった事は有名。
キネマ旬報ベスト・テンでは2位であった。1位は『津軽じょんがら節』。
同じ年に公開された『代理戦争』が8位、『広島死闘篇』が13位となっているので、
シリーズモノで票が分散したという不利な点はあったかも知れない。
但し読者の選出では見事1位(『広島死闘篇』4位)となっている。
脚本の笠原和夫は『ゴッドファーザー』の影響を否定し、戦前1936年のフランス映画、
ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の『我等の仲間』を参考にしたとしている。
もう一本、笠原の脚本執筆にあたり多大な影響を与えたのは神代辰巳監督、1972年の日活作品
『一条さゆり 濡れた欲情』である。
広島抗争の取材を重ねて材料は充分に整ったが、その料理法に行き詰まった。
エネルギッシュで生々しく、残酷でいてなにか浮世ばなれしたズッコケたヤクザ・ワールドの
人間葛藤図は、それまでの任侠映画のパターンに収まりきらず、といって他にパラダイム(典範)
として模すべき映画は見当たらず。『ゴッドファーザー」や『バラキ』といったマフィア物も見たが
参考にならなかった。『
仁義なき戦い』は戦後日本の風土のなかで描いてこそ活きる素材だったからである。
八方塞がりの時、たまたま入った映画館で観たのが『一条さゆり 濡れた欲情』で、
一条さゆり、白川和子、伊佐山ひろ子の三女優の裸身が、文字通りず組んずほぐれつ、
剥き出し性本能をぶつけ会う1時間余りの映像は、この上なく猥雑で、従順で、
固唾を呑む暇もないほど迫力があった。
これからの映画はこうでなければならないと信じ、この手法を持ってすれば『仁義なき戦い』の
材料は捌けると強い自信をも抱いた。
>>498 ムーニーマンつけてりゃ大丈夫なんじゃね?
評論家とは逆に、安保闘争の敗北など、当時の無力感を吹き飛ばすエネルギーに満ち溢れた映画に
観客は熱狂的に迎え入れた。
またそれまでヤクザ映画に見向きもしなかった朝日新聞の映画評で絶賛され、
朝日が誉めたことで影響は各紙誌に及び、映画の大ヒットに繋がったともいわれる。
19歳のとき、大阪の道頓堀東映でこの映画を見た井筒和幸は、オレたちの青春とシンクロしすぎて、
熱いものがガーっときて、プー太郎だった自分がウワーとなって、もっていかれたという。
それまでは洋画一辺倒で日本映画なんて馬鹿らしくて、この映画がなかったら
日本映画なんて観に行かなかったろうと話している。
当時はビデオやDVDがなかったので、再上映を待って朝日ベストテンの1位(1〜3部)受賞での
再上映でまた観に行くと、今度はインテリ風の観客が多くて、こんな映画を見せていいのか
心配になったという。
その後は高い評価で定着したが、近年も人気は持続し関連本・研究本が続々刊行される他、
大友勝利など、メインキャラのフィギュアなども発売されている。
2003年5月3日にはNHKで特集が組まれ、ETVスペシャル"「仁義なき戦い」をつくった男たち"
のタイトルで放送もされた。
ヤクザ映画をNHKが特集するのは画期的な事と思われるが、これも前述されているように、
この映画が単純にヤクザ映画の範疇に収まっていない証明でもある。
深作はもともと客が入らない監督として知られていたため、この映画の大ヒットには戸惑っていたという。
映画が製作された1970年代の始めは広島抗争はまだ燻っていて、いささか危険な状況で、
過去にもこの題材は東映をはじめ各社が映画化に取り掛かっては頓挫する、
折り紙付きの難物であった。
このため当初は広島ヤクザをあまり刺激しないよう当事者に取材はせず、
チャッと撮って正月第二週あたりの添え物で、ノン・スター、1時間10分くらいの白黒映画で
やる予定であった。
それが普通サイズのカラー映画でいこうと変わり、東映内部でも後難を恐れ映画化に
消極的な声はあったが、広島出身の岡田茂社長がやる気満々で実現に至った。
『仁義なき戦い』の成功は、深作欣二のダイナミックな演出、絶頂期に向かう役者達の名演技、
実録ならではリアリティなど、多くの複合要因から成り立ち、それら幸福な出会いともいえるが、
やはり原作にはない膨大な資料を掻き集めてシナリオにまとめた笠原和夫の巧みな脚本、
広島弁の珠玉の名セリフの数々によるところが大きい。
笠原は獄中手記を書いた美能幸三親分にも人を介して会いに行った、
当時の美能は8年の刑期を終えシャバに出てきたばかりで、現役バリバリの殺気に笠原は縮み上がり
「映画なんか信用できん」と美能の一言にその場を一目散に逃げ出した。
ところが美能が追い駆けて来て色々話をしてるうち、戦中共に海軍の大竹海兵団にいた事が分かって
美能は喜び自宅にまで招かれた。
手記を書いただけに脚本家という仕事に興味を持ったようで「絶対に映画には使わない」
という条件でたっぷり広島抗争の真実を聞く事が出来た。
別れ際、美能に「絶対に映画にしないんだな」と念を押されたので「しません!」と答え帰京、
さっそく脚本に取りかかったという。
初めて聞かされる専門用語がふんだんに登場する等、暴力団の内情をうかがわせた脚本は、
笠原が綿密な取材を重ね膨大な資料を集めた成果である。
それは "血風ヤクザオペラ" とも "広島弁のシェークスピア" とも称された。
プロデューサーの日下部五郎は「笠原さんが『仁義なき戦い』シリーズで残した最も大きな功績は、
広島の方言、やくざ言葉を巧みに拾い上げて、映画の名台詞と言われるまでにしたことでしょう」と述べている。
笠原は東京の出身で、終戦間際に海軍幹部候補生として3ヶ月の広島滞在歴はあるが、
広島弁はあまり知らなかった。
綿密な取材を重ね膨大な資料を集め、広島弁も研究し広島弁の辞書まで作っていたと噂されたが、
広島弁独得の語感は文字の上からだけでは捉えられない。
>>500 オムツつけたヒーローのチョコなんて
(・∀・)イイ
そこで思い当たったのが、自身の苦心作を脚本の本読み席上でクソミソにコキ下ろした岡田茂の語調だった。
あの時、この時の岡田のニクたらしい言葉の数々と岡田の面貌を併せて思い起こしていると、
菅原文太や金子信雄のセリフが生き生きと回転し始めた。
それは昔の仇を取ったような溜飲が下がる思いがしたという。
1990年代初めにゴールデン洋画劇場でシリーズ5作が定期的に放送された事もある。
テレビ初放映時は1週間おきに5部作まで放送し高視聴率を記録した。
この映画はいわゆる放送禁止用語が何箇所かあり、そういったシーンはカットされた。
このため例えば第1部の名シーンの一つである広能が海渡組本宅前で土居組長を暗殺するシーンでは、
広能がこれから殺らないといけないプレッシャーで憂鬱にしていたところ
「土居じゃが」とターゲットの土居組長が訪ねてきたとたん、獲物を狙う狼のような表情に
豹変する展開があるが、その前の憂鬱だったシーンで「ないか?」「ポンか(ヒロポンのこと)」
というセリフがあり、このためか、これらのシーンは全てカットされ土居組長の来訪シーンから
始まってしまった。
映画のテーマ曲は、シンプルなメロディで非常に高い演出効果を上げあまりにも有名だが、
近年はテレビで「ヤクザ」や怖い人が出たり、武闘派タレントが激怒すると、
このテーマソングがよく流れ定着している。
また「仁義なき戦い」というタイトルも今や慣用句として定着、雑誌の見出しなどでよく使われる。
2008年1月には『佐々木夫妻の仁義なき戦い』という稲垣吾郎主演のTBS系ドラマのタイトルにも使われた。
そのほか第三部と第四部のそれぞれの副題“代理戦争”、“頂上作戦”も時折使われる語である。
もともと“代理戦争”は国際社会の東西冷戦を、“頂上作戦”は警察による暴力団取締りを
当時のマスコミがこう呼んだもので、三部と四部の映画の副題として採用した。
いずれも当初の意味では死語となっているが、現在も時折使われるのは、
この映画の副題として残っている理由もあると思われる。
>>503 だれかさんは、よくおにゃのこのパンツ
頭からかぶってるらしいけどね
あと、最近は男性用のブラが売れてるんだってねw
なんか、やさしい気持ちになれる効果があるらしいwww
井筒和幸や三池崇史、高瀬将嗣といった日本の映像作家はもちろん、
クエンティン・タランティーノやジョン・ウーなど、海外の映像作家にも多大な影響を与えた事でも知られる。
また映像関係者、作家、漫画家など著名人にもファンが多い。
浅田次郎、新田隆男、中田潤、秋本鉄次、神無月マキナ、大川俊道、パンチ佐藤、仁科貴、橋本一、
佐々木亜希子、冷牟田竜之(東京スカパラダイスオーケストラ)ら。
奥山和由は、本作や「ゴッドファーザー」を観て映画が好きになり、
自身が実話ばかりを映画化するのは、事実に食い込んでいったこれらの映画に凄い迫力を感じ、
その時代に育ったせいと思うと話している。
きうちかずひろもこの映画に強い影響を受けたとインタビューで述べている。
頂上作戦の山場で梅宮辰夫扮する岩井信一が放つ「おんどれらも、吐いた唾飲まんとけよ!」は
「ビー・バップ・ハイスクール」にも語り継がれた名ゼリフ。
日下部五郎プロデューサーは最初、渡哲也の東映主演第1作として考えていた。
渡に話を持って行ったが、渡は当時熱海で病気療養中で1年くらいかかると断られ、
前からやりたがっていた菅原文太主演に決まった。
菅原は本作の映画化を聞く前から「週刊サンケイ」の連載を読み、その魅力に圧倒され、
東映に「映画化するなら俺を出せ」と言っていたという。
このため渡の東映出演は『仁義の墓場』まで延期となっている。
他に役者の変更では山守義雄役は当初三国連太郎の予定だったが、岡田茂の一声で金子信雄で決まった。
しかし金子がクランクイン直前に倒れ出演が危ぶまれ、代役に西村晃が候補に挙がった。
しかし話を耳にした金子が病床から這い出てきて「この役を降ろされたら生きていけない。
死んでもやるからやらせてくれ!」と出演を熱望したため、西村の代役話は流れた。
その他『代理戦争』で川谷拓三を世に出した西条勝治役は、最初荒木一郎が予定されていたが
「広島ロケが恐い」という理由で降板したため、川谷拓三の大抜擢となったもの。
第二部『広島死闘篇』で千葉真一が演じた大友勝利役は、
シリーズ中1、2を争う名キャラクターとして人気が高い。
近年も若い俳優がヤクザを演じる時、「仁義なき戦いの千葉真一さんがやった大友勝利のような」で
あるとか役作りの参考にもされる。千葉自身も忘れられない役柄として挙げている。
この役は当初北大路欣也がやって、北大路のやった山中正治役を、千葉が演じることになっていた
事でも有名だが、実際山中のセリフは全て覚えていたにも関わらず、
北大路が山中役を切望したこともあって、深作から急に「大友やれ」と言われ
役を交換したそうである。
しかし当時の千葉はブロマイドの売上げが4年連続No.1であり、
台本に「オメコの汁でメシ食うとるんで」のセリフもあり非常に悩んだ。
撮影時の金玉を掻くシーンでは、深作から「やれ!」と強制されたが、
調子に乗ってその後アドリブで、臭いを嗅いだら「やりすぎだ!」と言われた。
映画の後半、山中に銃口を向けられるシーンでは、慌てふためきダンボールで自分の顔を
隠すように掲げる、という台本にないアドリブをやった。
「相手に自分の顔が見えると撃たれてしまう」と人間のとった、とっさのバカげた行動が、
よりリアリティを生んだ瞬間だった。こういうのは役者冥利に尽きる、と話している。
北大路も第一作を仕事先で観て共鳴し、シリーズ化の決定を知り、自ら出演を直訴した。
この『広島死闘篇』のラストで北大路演じる山中正治が銃口を口にくわえて自殺するが、
笠原の脚本ではこのシーンはこめかみに銃口に当てて自殺することになっていた。
深作は「ガン宣言」をしていた2001年11月3日に行われた母校・日本大学芸術学部学園祭の
トークショーで、このラストが変更された理由は、との質問を受け
「僕は戦争に行った世代ではないが、学校では毎日軍事教練だった。
戦地に行ったら、捕虜になるぐらいなら自決しろ、と言われ、戦場での兵隊さんの死に方を
いつも教えられていた」