885 :
†交響曲†:
美しい女は、そんな彼の誠実な態度に、己の軽はずみな欲望を恥じた。
(彼を…あまり困らせちゃ可哀相…)
正直、欲求不満だったけど、超狼の自分への熱い想いを考えると、軽率な態度は取れなかった。
いつの間にか、2人はベッド上で寄り添い合うようにして眠っていた。
時折、悪夢に魘されるらしい女に起こされ、銀髪の男は彼女を優しく慰めた。
(願わくば、この時間が永遠に…)
男は彼女の美しい寝顔を見つめながら、心の中で幾度となく呟いた…。
886 :
†交響曲†:2006/04/17(月) 15:32:20 ID:P0hBkXji
【―練習部屋―】
今、練習部屋では、サクラと霞が『合わせ』をしていた。
隅の椅子に腰掛けて、足と腕を交互に組んだまま、厳しい目つきで審査する超狼。
その目の下には黒い隈が出来ている。
「はい、ここで物陰よりロミオ現る。二階舞台のジュリエットの気配に気づいて、霞さん。」
超狼の掛け声に応じて、彼女はスッと空を仰ぎ、右手を天に差し伸べると―――。
「一千倍も辛い。君の光が消えて。恋人と会う時は…。」
霞の演技は非常に上達が早い。もうすっかりこの戯曲の内容とロミオ役を理解してしまったみたいだ。
「はい、二階の窓辺にジュリエット再び登場! サクラさん。」
超狼がパンと手を叩くと、サクラはスムーズに役柄に入る。
887 :
†交響曲†:2006/04/17(月) 15:34:53 ID:P0hBkXji
「ねえ! ロミオ、待って! ああ、立派な声があればいいのに。大きな声が出せないなんて…」
流石にベテランだけあって、堂々とした演じぶりだ。超狼は鋭い眼光のまま、無言で頷く。
「我が名を呼ぶのは、我が魂。夜に響く恋人の声はまるで銀の鈴の音だ。耳を澄ますと…。」
発音も完璧。霞の演技の端々に、大器の片鱗を垣間見て、思わず超狼の顔が嬉しさに綻ぶ。
「ロミオ!」
(窓枠から身を乗り出すジュリエット。)
「ジュリエット。」
(彼女に向かって、両手を差し伸べるロミオ。)
「明日、何時に使いを遣りましょうか。」
そこのサクラの台詞の箇所で、霞の胸がズキンと痛んだ。
888 :
†交響曲†:2006/04/17(月) 15:36:10 ID:P0hBkXji
「9時…に。」
声が、微かに震える。
「きっとね。それまでが20年に思えるわ。どうしてあなたを呼び戻したのか忘れちゃった。」
サクラの台詞。その箇所で、霞の胸がまたも、ズキン…と痛む。
「思い出すまで…ここに…立っているよ…。」
超狼が霞の変化をいち早く察した。はっとして、ガタンと椅子から立ち上がる。
続けて、サクラが情熱を込めて次の台詞を口にした。
「じゃあ、思い出さない。いつまでもそこに居て欲しいから。」
「カット! カットです!」
889 :
†交響曲†:2006/04/17(月) 15:37:24 ID:P0hBkXji
超狼がたまりかねて口を挟んだ。厳しい顔つきで、霞を呼び寄せる超狼。
「ど、どうしたの? 超狼。」
心の動揺を押し隠せない霞の前で、超狼は優しくそっと彼女の美しい黒髪を撫でた。
「順平くんの事が、…心配ですか?」
「…!」
霞の表情が歪んだ。目をギュッと瞑り、体を震わせる彼女の背中に、そっと手を回す銀髪の男。
「心配事なら、…いつでも私に言ってください。私に出来る事なら…くっ!」
超狼は、歯を思い切り食いしばった。この様な矛盾した台詞など、…彼の本意では、無い…。
「…ありがと。チャオラン。」
彼女の体の震えが、少しずつ止んでいった。声のトーンも、心なしか、さっきより落ち着いている。
「……」
だが、超狼は、眉間に皺を寄せたまま、ググ…力一杯彼女の体を抱き締めていた。
「ゃっ。痛いよ、超狼。」
890 :
†交響曲†:2006/04/17(月) 15:39:32 ID:P0hBkXji
「は! ご、ごめんなさい。」
彼らしからぬ言葉が口から洩れてしまう。明らかに動揺しているのは、彼女よりも、むしろ彼の方…。
くすくす。不意に、女の微かな笑い声…くぐもった熱い息が超狼の耳元にかかる。
「か、霞さん!」
バッと彼女の肩を掴むと、彼女の表情を確かめるべく、真剣な視線をその美しい顔に投げかける。
(はっ…!)
彼女は、目の縁にちょっぴり涙を浮かべつつも、彼を見つめて微笑している。その黒い瞳が濡れている。
「抱いて…超狼…」
「くっ…!」
一瞬、悔しさに唇をギッと噛むと、サッと目を伏せる超狼。
「…あ…」
2人の複雑なやりとりをずっと見ていたサクラが、呆然とした顔で突っ立っている。
(い、…いけない!)
超狼は、霞の背中から手を離すと、ととっ…口を手で覆ったまま、ふらりと後ずさった。
891 :
†交響曲†:2006/04/17(月) 15:41:52 ID:P0hBkXji
その鋭い眼光は、木造りの冷たい床にジッと注がれたままだ。青冷めたまま、彼女の顔を正視出来ない超狼。
(打つ手なし、…という、わけですか…!)
ガシャッ… 背後の椅子にぶち当たって、よろよろと尻餅をつく超狼。床に座り込んだまま、沈黙…。
室内は、…シーンと静まり返ってしまった。気まずい雰囲気が漂う。
忽ち重苦しい空気に支配されてしまった無機質な室内。
「あ、あの、私…ちょっと、廊下をお掃除してきますね。えへへ。」
ひくっと口元を吊り上げると、サクラが愛想笑いを浮かべて、テテテ…と走り去った。
パタン…。扉が閉まり、室内は再び、2人きり。静寂が包み込む重苦しい密室――。
【次幕】→順平、ギャラッツ登場。