そもそも、見家グループは外食産業で栄えた会社です。
それが、ある時突然パチンコ屋を始めました・・・
オープン当時、CR機の全盛期で花満開等が大当たり!!釘を閉めても閉めても
客が付く状態に、これならボロ儲け!!とばかりに店舗数を増やしました。
その勢いもCR機の改正で徐々に衰え始め、店舗閉鎖が相次ぎ、
次第にボッタNO,1が確立されたのです。釘を閉めることは出来ても
開ける技術が店舗幹部にないからです。スロットも同様です、AT機でALL1でも
普通に営業出来ましたが、爆裂機廃止でストックメインの昨今、
利益確保の為には、ストッコ飛ばしも当たり前!です。
時には、出玉を見せるために打ち子も使います。
店長クラスは、所詮雇われです!上層部の指示された純利益を確保しなければ、
即クビです。旺盛を誇った時代の売上が忘れられない上層部とのミゾが未だに
あるようですね。
>>168の言うように、シンガー日鋼跡地に大々的にオープンした
ショッピングセンターは、診屋グループがU○Kと共同で土地を買収し、
開発した経緯があります。途中でU○Kが手を引いたり、悪し銀がパンクしたり
して、アタフタしたのは事実ですが、そもそも日銭の入るパチ屋があったから
どうにかこうにかしのげたのです。
しかし、この頃からパチ屋はボッタに変貌しました。
やはり、餅は餅屋で本業に精を出せば良いのですが・・・
元某店幹部より