インド発言の意味について

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1ドキュリ ◆/Pbzx9FKd2
教えて下さい。
2( ´∀`)ノ7777さん:04/04/15 21:45 ID:+hsmuK8j
3( ´∀`)ノ7777さん:04/04/15 21:45 ID:QqlnbZO9
『酸下吐(さんげと)』

「煮解賭(にげと)」により、毒にやられて命を落とす者が続出したのは前述の通りだが、
全国的に流行するにつれて、これは深刻な問題となっていった。
そこで、時の皇帝である崇禎帝は、新しい規範を作り出した。
煮解賭に失敗した人間でも、その毒素を完全に吐き出すことができれば
煮解賭の勝利者に準ずる豪傑という評価を与えるというものである。
肉体を酷使して、大量の胃酸とともに吐き出すことから
庶民の間で、酸下吐(さんげと)と呼ばれるようになった。
酸下吐の登場により、煮解賭に参加できない文民の中には、
これを専門とする者も現れ始めた。
彼らの策謀能力を、朝廷が重宝したことは言うまでもない。
己の戦略を進言する機会の少なくなった現代社会においては、インターネットで
の「3ゲット」と形を変えて、現代人が狡猾さを競っているのである。

( 民明書房刊 「DNAに刻まれた中國 現代人の行動のルーツを探る」 より )
4( ´∀`)ノ7777さん
(先)尼外道 せん「にげどう」

「仏性の言を聞きて、学者おほく先尼外道(せん「にげどう」)の我のごとく邪計(じゃけ)せり。
それ、人にあはず、自己にあはず、師をみざるゆえなり。
いたずらに風火の動著(どうじゃ)する心意識を仏性の覚知覚了とおもへり。
たれかいふし、仏性に覚知覚了ありと。
覚者知者はたとひ諸仏なりとも、仏性は覚知覚了にあらざるなり。
いはんや諸仏を覚者知者といふ覚知は、なんだちが云々の邪解(じゃげ)を覚知とせず、
風火の動静(どうじょう)を覚知とするにあらず。ただ一両の仏面祖面、これ覚知なり