「お話を聞かせようか。」
不意に
僕は君に言った。
君は何も言わなかった。
静かな病室。
無機質で神経質な建物。
窓の外から夕陽が射していた。
「お話を聞かせようか。」
不意に
僕は君に言った。
君は何も言わなかった。
静かな時間。
日毎に細くなる君の身体。
其の細い腕に繋がる細い管。
夕陽が眩しい。
気が付くともうすぐ夏だった。
そうだ。
痩せていくのは暑さのせいだ。
きっと。
君は何も言わなかった。
だから僕は静かに話し始めた。
「お話を聞かせようか。」
点滴の液が、ポタリと、落ちた。
ボクラが残したコトバ
夏の話 『海』
中にばかり居た僕は
考えたら殆ど何処にも
出歩いた事が無いから
君が此処を出られたら
何処かに遊びに行きたいね。
なぁ、綺麗な景色を見たい?
なぁ、綺麗な景色を見たい?
君の好きな景色はどんな景色かな。
例えば此処を出たら何処へ行こう。
何処でも君の好きな場所で良いよ。
なぁ、綺麗な景色を見たい?
なぁ、綺麗な景色を見たい?
もうすぐ夏だし海なんて良いね。
君は海が好きだって言ってたし。
それじゃ一緒に海を見に行こう。
海へ行こう。
海へ行こう。
何処でも君の好きな海で良いよ。
贅沢に海外へ旅行でもしようか。
イタリアの海なんて良いかもね。
やがて海に着いたなら
君はどうするんだろう。
海を眺めているのかな。
日を浴びて光る波は
打ち寄せる波の音は
とても心地良いだろうね。
だけど、綺麗な景色を見たい?
だったら僕と海に潜らないか。
僕と一緒に海の中に潜ろうよ。
きっとね
もっとね
綺麗な景色が見られると思う。
ほら、目を閉じて。
大きく息を吸い込んで。
僕等はもっと綺麗な景色を見る為に
少しずつ海の中へと潜って行くんだ。
互いの手を繋いだ侭。
海の中へ潜って行く。
水が肉体を包んだら。
別の世界が始まるよ。
地上の雑音は消える。
地上の常識は消える。
地上の意識は消える。
ほら、目を開けて。
水の中。
静かだ。
光が射す。
頭上から。
繋いだ手。
僕と君しか
存在しない。
そんな感覚。
透き通った水の向こうには
光の粒と岩と草と沢山の魚。
其れ等が何処までも続いて。
なぁ、とても綺麗な景色だろう?
だけどね
何時だって
此の侭ずっと
綺麗な景色を
見続ける訳にはいかないんだ。
息苦しくなるから。
一緒に手を繋いで潜った君は
何時か必ず息苦しくなると思うよ。
何も考えずにずっと此の侭黙って
綺麗な景色を見続ける訳にはいかないんだ。
息苦しくなった時に君はどうするだろう。
繋いだ手を離して水面に上がるかな。
其れとも僕に息苦しいと伝えるかな。
だけど水中では言葉を発すれないよ。
其れに僕の呼吸はまだまだ平気だよ。
身振り手振りで伝えようとするかな。
強引に乱暴に繋いだ手を引っ張るかな。
其れとも潜った事を後悔でもするかな。
息苦しさを感じながら全て諦めるかな。
あのね。
あのね。
黙って僕にキスすると良いよ。
僕の息を持っていって良いよ。
僕は君を理解して
僕の息を君に分けてあげるから。
息苦しいならキスをすれば良い。
息苦しいならキスをすれば良い。
そうすればもう少し一緒に
綺麗な景色を見られるだろう。
2人が同時に息苦しくなったらどうする?
其の時は一緒に水面に戻って
息をすれば良いんじゃないかな。
其れじゃ全然さっきの例えの意味が無い?
確かにそうかもしれないね。
でも其れで良いと思うんだ。
2人で手を繋いで潜って
どちらかが息苦しくなったら
どちらかが息を分けて助けて
2人が共に息苦しくなったら
手を繋いで水面に戻れば良い。
そして沢山呼吸をしたら
また2人一緒に潜れば良いよ。
其れを何度でも繰り返すんだ。
そうすればきっとね
海に潜って居られる時間が
長くなっていくと思うんだ。
息苦しさの扱い方にも馴れて
綺麗な景色を長く見られると思うんだ。
更に深く海を潜って行けると思うんだ。
手を繋いだ侭
深く
深く
深く
深く
深く
奥底まで。
深く
深く
奥底まで。
やがて辿り着いた其処はね
きっととても綺麗な景色とは
呼べないような場所だと思う。
光も
無い
冷たい
寂しい
深い海。
其処で僕と君が唯一確認できるのは
互いが繋いだ手の感触と温度だけで
だけど
其の手が在れば大丈夫な気がするよ。
僕と君が繋いだ手は。
手は
深い深い深い
暗い冷たい海の底でも
互いの生を感じさせて
僕等はキスをしながら泳ぐ。
だから決して君は
息苦しさから逃げるように
其の手を離してはいけないよ。
人と繋がって居なくてはいけないよ。
深い海の底でも生を感じさせる暖かい手を。
もしも息苦しいのならキスをしにおいでよ。
何時だって僕等は互いの息を助け合えるよ。
なぁ、綺麗な景色を見たい?
海に、行こう。
君は海が好きだと言ってたね。
海に、行こう。
一緒に手を繋いで海に行こう。
海に、行こう。
水の中を一緒に手を繋いで泳ごう。
目前の君の腕に繋がる細い管のように
此の声が届いて無いかもしれない君に
こうして僕が手を差し伸べているように
息苦しい現実なら手を繋いで生きれば
今よりもっと綺麗な景色が見れるはず。
息苦しくても
手を繋いだら
今より、もっと、綺麗な景色が見れるはずだ。
残り少ない点滴の液が、音も立てず、落ちた。
なぁ、行こう。
なぁ、行こう。
必ず、行こう。
此処を出られたら
手を繋いで行こう。
此処を出られたら
一緒に、海に、行こう。