前から同じ阿呆なこと書いてる子がいるみたいだけど、南満鉄調査部の北氷洋の資料(1939年)によるとこう書いてある
「然し此の二つの原理の科學的根據は甚だ薄弱なものであつた。三五年度、三六年度の北氷洋航海の成功は極北地方の氣象が的確に豫測し得るに至った爲ではなく、全く偶然の結果でしかない。
氣象硏究及通報の爲の極地ステーション並にラジオ網が逐年整備され、氷狀偵察及船舶の嚮導の爲の極北航空も陣容に於て技術に於て益々充實され、碎氷船の陣容も大いに擴充されたにも拘らず、
三七年度、三八年度の北氷洋海運は氣象障害の爲に痛烈な打擊を蒙つたのである」
簡単にいえば、当時の国家=党の体制下で採算度外視の膨大な資源投入ができる特殊な条件があった。それでもなお気象条件は苛酷で失敗の恐れがある
各ステーション当該地域の夏場の気温・過去の気象からの航行可能推測日数も詳細に載っている
もちろん当時の気温は今より高かったりはしない(どこでもよいがたとえばチエリユスキン岬の8月の平均気温は0.5℃、ウランゲリ島は1.8℃ 今より低い)
>>448 頭悪いのは充分わかったから妄想を書き散らかすのはもうやめてね。こんなレア資料もちださなくてもわかりきったことだから
>>449 レアな資料ねぇw
この辺りでは「山梨葡萄」みたいな明らかな作り話を平気で書き込む脅威論者が徘徊してるんでそれだけじゃ信用出来ないんだけど。
せめてその資料名が分かる文献の表紙とその記述の有る部分のコピーを画像でアップしろよ。
ちゃんと字が読める様にな。
後、その文献が何処で見られるかも。
俺はこの書き込み真に受けただけだけど。
383 名前:名無しのひみつ [sage] :2012/08/11(土) 08:04:54.63 ID:KLwFCV9i
>>377 http://ja.wikipedia.org/wiki/チェリュースキン_(蒸気船)
>「チェリュースキン」はベーリング海の入り口で氷海に閉じ込められたので、ソビエト連邦政府は
>この探検ではひと夏の間に北極海経路で太平洋に出ることが可能であることが証明され、おおむね成功であると評価した。
>その後の実験の後、北極海経路は公式に開かれ、1935年に商業利用が開始された。
>1936年には、赤旗勲章受章バルト艦隊の一部が日本との武力紛争が迫っている極東に北極海経路で移動した。
>第二次世界大戦中には、逆に太平洋艦隊の艦船が同じルートで北方艦隊などへ編入するため回航されている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/太平洋艦隊_(ロシア海軍)
>ソ連政府はユーラシア大陸の南を航海せずにすむ「北極海航路」の開発をすすめ、北極海経由での艦船回航にも成功している。