日本版の二十四節気つくります

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14名無しSUN
立春、立夏、立秋、立冬は、太陽高度をもとに、
春の気、夏の気、秋の気、冬の気が立つというもの。

今まで数千年間こうした暦を使ってきて、その中には,温暖期もあれば寒冷期もあった。
中国内陸部のような大陸性気候の場所もあれば、日本のように海洋性気候の場所も
ある。

にもかかわらず、こうした伝統的な節気が広く様々な時代・地域で使われてきたのは、
その本質が太陽高度を基本とした、太陽暦で、それによって生ずる微妙な「生気」
(生物気象)や「地の気」(地学的気象)の変化を感受性豊かに感じ取ることを通じて、
季節を先取りで予感・予知してきたから。


ただ、太陽高度の影響が、もろにダイレクトに反応しやすい大陸性気候の中国と、
海というファクターを一枚通した海洋性気候の日本では、「気」の現れ方が異なる
こともある。
15名無しSUN:2011/05/11(水) 18:19:21.33 ID:n64zaXlD
日本の方が婉曲的で、(例えば、海水温や、気圧配置の変化など)回り回って
変化が現れるので、太陽高度の影響ををダイレクトには反映しにくい。

極論すれば日本では、気温の上での最寒月は2月〜3月、最暑月は8月〜9月になる
こともある。
けれども、日本人は古来よりそれこそに季節の変化・進行を感じ取ってきた。


「なごり雪」(オホーツク海高気圧と流氷の上を吹いてくる北東気流、春の南岸低気圧
・台湾坊主(大陸寒気の衰え./南の水蒸気活動の活発化)の合作)
「残雪」(冬の最盛期の冬将軍の日本に残した置き土産)
「流氷」(ロシア東部で真冬に作られる冷たい海氷の溶けだした最後の置き土産)
「花冷え」(深まる春を惜しみつつ、春爛漫の桜を長持ちさせてくれる粋なダークヒーロー
の存在)

こういった、「冬の残滓に春を感じる」季節感は、日本や特に関東地方ならではのもの。
16名無しSUN:2011/05/11(水) 18:21:07.49 ID:n64zaXlD
霜降は、10月24日頃で良い。
関東平野部や都内でも、昔、10月10日の体育の日に霜が降りたこともある。
放射冷却とは本来そういうもので、「霜に警戒しなさい」という注意喚起の意味も
あるからね。

要するに、降霜のポテンシャル(リスク)が増してくる時期だということ。

>霜が降りるころを示す霜降(そうこう)は10月24日だが、東京の初霜は平年で12月14日ごろだ。

都会のマスコミの大手町基準ではなく、関東平野民は、
少なくとも東京近郊全体でで考えてみるべきだ。
東京近郊では、10月も下旬となれば、降霜の危険が高まる。2002年の大霜降の
大被害は記憶に新しい。
また、そこまでの大霜降ではなくとも、一応例年留意しておくべき事象ではあるし。

さらに言えば、日本全体で考えるべき。
「農耕の盛んで比較的温暖な南部日本で霜の懸念を考え、北日本で、
本格的な冬への備えをしなくちゃいけないのが、この時期ですよ。」

つまりは、そういうこと。
17名無しSUN:2011/05/11(水) 18:23:03.42 ID:n64zaXlD

確かに二十四節気は、元々、中国の大陸性気候の特色を反映している面も
あるけれど、
日本だって、そういう特色≒初秋や晩春の放射冷却

を甘く見ちゃいけない。

何年か前に、狭山のお茶畑がゴールデンウィークの降霜で全滅したことがあった。

だから、

「八十八夜の別れ霜」(夏の近づく頃になっても油断しちゃいけないよ。
忘れた頃が一番危険だからね。)

「九十九夜の泣き霜」(ごく稀に、この時期に霜が降りて、甚大な被害が出たことが
かつてあった。ちなみに、東京の降霜最晩は、5月16日。)

というような、純然たる太陽暦をベースに、「立春から数えて○日目」という、
日本の地域独自の解釈が付け加えられた。
18名無しSUN:2011/05/11(水) 18:24:02.29 ID:n64zaXlD
小雪・大雪も降雪・積雪のポテンシャルが増してくる時期と考えれば妥当。
もっとも、地域によってそのそもそものポテンシャル自体には差があるけどね。

それから、東京の木枯らしの吹く平年日は立冬頃。
シベリア気団や揚子江気団のような大陸性気候の影響をも多大に受ける日本では、
そうした時期においては、中国のより本来の意味合いに近くなる。

熱帯気団(台風)の影響を受ける日本(本州)では、立春から数えて、「二百十日」、
「二百二十日」は、警戒しなくちゃいけない。
こういうのも、日本の気候に合わせて独自に解釈され直したたもので、室戸台風、
伊勢湾台風などが襲来したのもこの時期に当たる。

二十四節気は、地域ごとに解釈し直すことで、とても豊かな表現になる。

現代の季節感に合わなくなったというよりは、季節を敏感に感じ取る感性が
鈍っているというべき話。

清明なんて、学校名にもなってるくらいだし、4月の桜の咲く頃の季節感の清々しさ
が感じられないかなぁ・・・。

節気って感じられにくいんじゃなくて、感じ取ろうとするものなんだと思う。
19名無しSUN:2011/05/11(水) 18:25:23.79 ID:n64zaXlD
そもそも、農業などをしている人にとって、10月や5月の降霜がどれだけ怖いものか。

たとえ、「九十九夜の泣き霜」が滅多に起こらない事象であるとしても、
「たまにしかない話をして、季節感が感じられない」でいいものか。
昔はそれが、すぐに飢饉などの深刻な事態に繋がっていた。

想定外なのではない。統計的・先人の経験的に、何十年に一度の天変地異が
起こることも織り込み済みでの春雷、雹、メイストーム、青嵐…
そういう激しい現象をを内包した上での季節感なのだ。


都会にいると降霜や降雪の怖さも、分からなくなってしまいがちだ。
だから、そういう自然への畏敬の念をを思い起こさせてくれるべきものとして、
季節感は大事に報道されてほしい。


古来からの二十四節気は言うに及ばず、それを地域の実情に合わせて解釈する
ものとして、新たな季語を作るのであればいいのだが、
昔から使われてきた二十四節気を軽視するのはいただけないな。