月に到達出来たかの再検証。
http://www3.nhk.or.jp/kaigai/spacerace/index.html アメリカの宇宙開発を率いるフォン・ブラウンはサターン・ロケットで、
コロリョフはN1ロケットで、人類初の宇宙遊泳、有人月周回飛行、そして月面着陸を狙っていた。
しかしアメリカ政府とNASAのバックアップを受けることになったフォン・ブラウンとは違い、
ソ連の共産党指導部はコロリョフを予算面で必ずしも優遇しなかった。
そのためソ連は新しい技術の開発ではなく、すでにある技術のフル活用を強いられた。
フォン・ブラウンのサターン・ロケットが打上げに必要な推力を大型エンジン五基で得ていた
のに対し、コロリョフのN1ロケットは従来の小型エンジンを24個(後には30個)も使うものだった。
しかしそのような苦境にあってなお、コロリョフはさらなる偉業を達成する。1965年3月、
レオノフが人類初の宇宙遊泳に成功したのだ。ようやく党指導部から満額ではないものの予算を獲得し、
コロリョフはN1ロケットの製造に着手する。彼が月面着陸のために作ったカプセルはソユーズであった。