1 :
あえて名無しとする:2008/06/09(月) 19:46:14
2 :
は:2008/06/09(月) 19:46:36
2
ここでレスキューでもかたるかw
4 :
あえて名無しとする:2008/06/10(火) 17:12:08
おいおい
あっちの路線かよ
5 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:2008/06/10(火) 17:25:45
医療事務なんてわかんないよ
6 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:2008/06/10(火) 18:18:48
7 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:2008/06/11(水) 19:11:29
なんや
これで終わりか
お前ら頭ねえな
8 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:2008/06/13(金) 02:16:14
レスキューヘリコプター?
9 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:2008/06/13(金) 18:54:54
レスキューと言えば、internationa rescue
これが常識だろうが!!
10 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:2008/06/14(土) 18:27:51
震度6。
きてますきてます
11 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:2008/06/15(日) 19:08:00
6月9日生まれの有名人
http://www.d4.dion.ne.jp/~warapon/data00/birth-0609.htm 1886年6月9日 武内 義雄 (たけうち・よしお) 【中国哲学者】 〔三重県〕
1886年6月9日 山田 耕筰 (やまだ・こうさく) 【作曲家】 〔東京都〕
1936年6月9日 柳田 邦男 (やなぎだ・くにお) 【ノンフィクション作家】 〔栃木県〕
1964年6月9日 薬師丸 ひろ子 (やくしまる・ひろこ) 【女優】 〔東京都〕
1976年6月9日 内田 恭子 (うちだ・きょうこ) 【アナウンサー/フジテレビ】 〔神奈川県〕
1979年6月9日 国仲 涼子 (くになか・りょうこ) 【女優】 〔沖縄県〕
1980年6月9日 くまきり あさ美 (くまきり・あさみ) 【タレント】 〔静岡県
12 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:2008/06/15(日) 19:10:21
・ドナルドダック
1934年生まれ
13 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:2008/06/15(日) 19:11:32
松本まりな
14 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:2008/06/15(日) 20:22:55
オレ
15 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:2008/06/16(月) 08:28:54
16 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:2008/06/19(木) 19:15:18
69に対する思い入れを書けよ
17 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:2008/06/29(日) 12:32:03
シャーミークリーム
18 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:2008/06/29(日) 12:52:41
うんこっこ。
19 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:2008/07/13(日) 11:28:16
あげ
20 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:2008/07/20(日) 19:31:55
AV見てると、69から合体ってパターンが多いけど、みんなどうしてる?
おれは口なんてもったいないから、準備OKになり次第入れる
続・サウスコルでブリーフダンス
(前回までのあらすじ)
ブリーフダンスの正当なる継承者・いわもと(41・派遣SE)は、有望な弟子たちがふんどしおどりに転向し、深刻な後継者不足に悩んでいた。
そこに彗星のごとく現れたのが、こすりつけ最高である。みるみるうちに上達し、入門一年でイコールパートナーに成長した。
その半年後、いわもとはふんどしおどりに転向した弟子たちを強引に呼び戻し、ブリーフダンスの原点とも言うべきサウスコルにて渾身の演技を披露し、自分のすべての技を弟子に伝えた。
そこでいわもとは、新しいパートナーと出会い、下山後は彼の住むフランスに移住した。ブリーフダンスのレッスンは、こすりつけ最高が引き継いだ。
zinは、あらすじに登場しないほどの人物でしかなかった。
+++++++++++++
大方の予想通り、いわもとは日本に帰ってきた。フランスで恋人との三年間に渡る同居生活に、終止符が打たれたからだ。池袋に戻ってきたときの所持金は、1万5千円だった。
棲家はすぐに見つかった。貧乏派遣社員時代の大家さんが、物置代わりに使っていた部屋をあてがってくれたのだ。また、風呂なしアパートからの再出発である。
この大家さんには、何かと世話になってきた。隙間風対策で窓にビニールを張ったときなど、ガス自殺かと心配して見に来てくれた。食べるに困ったときは、残り物を分けてくれた。家賃滞納は数知れず。
職は、手足さえついていればOKの派遣社員として、自動車部品工場で働くことになった。作業つなぎがなくなる、解雇通告がなされて取り下げられるなどのトラブルに見舞われたが、他は難なくこなした。
帰国後1ヶ月で当面の生活が確保できたので、ブリーフダンスのレッスン場を訪れた。ビルが改装され広くなったレッスン室では、こすりつけ最高が80人の弟子を指導していた。しかし、そこにいわもとの帰る場所はなかった。
ふんどし踊りに転向した後で戻ってきた弟子たちの技を積極的に取り入れ、こすりつけ最高を中心とした、新流派が出来ていた。もはや、彼らにいわもとの指導は必要なくなっていたのだ。
各地の裸祭りから公演依頼も多く、冬場は日程調整におおわらわだった。
自分が継承したブリーフダンスの本流がなくなってしまったことに、少なからず失望した。
日本にいた間に蓄積されたものは、すべてなくなっていた。
しかし、この時こそ、いわもと第二のサクセスストーリーの序章だった。(つづく)
いわもと、傷心の帰国であったが、更に追い討ちをかけたのは、自分に引き継がれこすりつけ最高に引き渡した正当なるブリーフダンスの流派が、消滅したことであった。
帰国後目にしたのは、こすりつけ最高を中心とする、ふんどし踊りを取り入れたまったく新しい流派だった。
もう、自分の居場所はない。そう悟ったいわもとは、一人で踊ることから始めた。ゼロからの出発は慣れたものだ。今はなくなってしまった秋葉原の歩行者天国で踊ることが、再出発の第一歩だった。
パフォーマンスが始まると同時に、たちまち人が集まるようになり、口コミとネットで評判が伝わり、遠方から見物に来る人まで現れた。いわもとが踊る場所はどこでも人だかりができ、踊りがない時はいわもとの姿を探し求めてうろうろする人であふれた。
ブリーフ姿で歩き回るファンが出てきたこともあり、人気が高まると同時に警察のマークも厳しくなった。秋葉原で踊り始めて2ヵ月、禁止されている路上パフォーマンスを行ったとして、当局に逮捕された。
この逮捕は二つの意味で救いであった。
ひとつは、拘留中、パフォーマンスの場所で17人殺傷事件があり、事件に巻き込まれなかったことだ。いわもとという男、運が良いのか悪いのか、わからないところがある。
もうひとつは、後々長いパートナーシップを結ぶ、アイドル・沢本あすかとの出会いであった。
(つづく)
ブリーフダンスはもともと、ベースキャンプを出発するアタック隊の士気を鼓舞するために、サポート隊が始めたものである。登山家の宴会芸になり、それを芸術の域まで高めたのが、いわもとの師・ホクTである。
いわもとは、数々の有名登山家の登頂成功に貢献してきた、影の功労者である。
ローツェの南壁のテラスで踊りトモチャセンに勇気を与え、友人のメスナーやシュイナードに「最高だ」と賞賛された実績のある彼には、歩行者天国での成功は単なる通過点でしかなかった。
こうした、ブリーフダンスの本流中の本流にありながら、いわもとはサウスコル以前からかすかな引っ掛かりを持っていた。
ブリーフダンスは男だけのものか???
いわもとと沢本あすかは、釈放された場で出会って意気投合した。お互い有名人同士、出会う以前から興味を持っていたようだ。その日から二人のレッスンが始まった。
いわもとはまず、木につかまるあのポーズから習い始めた。いわもとはプライドの高い男だが、自分を磨くためには謙虚になることを惜しまない。
切磋琢磨の共同作業が続いた。決して恋愛関係に堕ちることはない、ホモとレズビアンの不思議な友情だった。
二人共同のパフォーマンスの形が出来上がると、活動の場を新宿二丁目に移した。いわゆる、地下活動である。ゲイバーを中心に活動を始め、観客の手ごたえを感じ取りながら、技を磨いていった。
サウスコル以前と違い、自前の舞踊団は持たず、行く先々で共演者を獲得していく方式を採った。固定パートナーは、沢本あすかだけである。
しかし、沢本とも別れの時がやってきた。
(つづく)
沢本との間にあったのは、決して恋愛関係に堕ちることはない、ホモとレズビアンの不思議な友情だった。
いわもとは、息抜きにと入った一万円浴場で地球外生物に遭い、安物の女に辟易していたとき、コンビニで客の女性に声をかけた。行き着けの店の店員が次々彼女になるzinとは、ここら辺が根本的に違っていた。
その女性と意気投合し、池袋で一緒に酒を飲んでいるところを偶然、沢本に目撃された。偶然、実はzinの仕組んだ必然だが、そこで沢本はいわもとがバイであることを知り、静かに去っていった。
その彼女ともたった二週間後に別れ、再びいわもとは一人きりになったが、沢本の残したものは大きかった。新体操の技をふんだんに取り入れることができたからだ。
体の柔らかさを活かしたクネクネした動きに、いわもとはあらたなブリーフダンス表現の可能性を見出した。zinが大空あすかに魅了された理由が、ようやく理解できた。偶然にも、二人とも“あすか”であった。
いわもとは、柔軟体操をそれまで重視していなかったが、とことんやるようになった。これにより、女性的な表現も可能となり、ブリーフダンスの表現力は飛躍的に高まった。
(つづく)
27 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:2008/08/18(月) 11:36:35
つまらない
沢本は、小倉優子が着用していることで一躍有名になった女性用ふんどし“パンドルショーツ”一枚を残して去って行った。
zinはこすりつけ最高の命令により、沢本あすかといわもとを引き裂く機会をうかがっていたようだ。いわもとが“偶然”声をかけた女性も、zinがあてがったものだった。
zinは行く先々で必ず新しい彼女を作る。今も、派遣先の女性総合職の家に転がり込み、半ヒモ生活を送っている。
zinの生活態度はフラフラと日和見的で目標もなく惰性で生きるだけで、zinに見習うべきものは何一つない、といわもとは思っていたが、女関連だけは真似しようと思っても出来なかった。
沢本と一緒にいたメリットのひとつは、彼女の巨大スポンサーの恩恵にあやかれることだった。少なくとも、レッスン場所には不自由しなかった。それもこれも、レズビアン実業家のお陰だった。
一人となった現在、弟子たちがいた時代と違って、スタジオを借りる余裕はない。いわもとは自宅ボロアパートに大きな鏡を据え付け、汗だくになりながら踊りのチェックをした。このため、隣の引きこもりの妨害を受けることも、しばしばだった。
冬が近づくと同時に、活動の場を裸祭りに移す準備を始めた。いわもとはダンスにおいて競うことを嫌っていたが、こすりつけ最高との直接対決は避けられなくなってきた。
いわもとは祭りの主催者と交渉し、自分のダンスを積極的に売り込んだ。それまでは、一方的に依頼を受けるばかりだったので、こういう努力は初めての経験だった。しかし、行く先々で、こすりつけ舞踊団との先約があるから、と断られた。
こすりつけ最高だけで、こんなたくさんの祭に参加できるはずない、と疑問に思った。日程的にバッティングしている祭も多い。全ては、こすりつけ最高によるいわもと封じの裏工作だった。旧知の氏子青年団員が、帰り際にそっと耳打ちしてくれた。
いわもとがわざわざやって来たのだから、主催者側としてはのどから手が出るほど出演してほしいところだが、泣く泣く断った、ということだ。いわもとが調べたところ、案の定、いわもとを断った祭には、無名の、あるいは評判の悪い舞踊家しか招かれていなかった。
なんと、zinが主役の祭まで存在した。
そんな絶望的状況にもかかわらず、愛知県稲沢市の国府宮神社が、いわもとに出演を打診してきた。
(つづく)
30 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:2008/08/18(月) 19:34:04
つまらねい
いわもとは、活動の場を裸祭に移そうと、祭の主催者に出演交渉したが、行く先々でことごとく断られた。それは、こすりつけ最高の裏工作によるものだった。
そんな絶望的状況にもかかわらず、愛知県稲沢市の国府宮神社が、いわもとに出演を打診してきた。神社は、こすりつけ最高を招くか、ギリギリまで迷った末、いわもとを選んだ。これほど由緒正しい神社となると、こすりつけ最高の裏工作も通用しなかったのだろう。
ただし、いわもとを選んだ理由は、バックダンサーの都合である。こすりつけ最高は独自の舞踊団を形成しているため、神社おかかえの舞踊団に出番がなくなるからだ。裏情報で選定理由を知ったいわもとは、プライドが少なからず傷ついた。
経緯はともかく、いわもとは、伝統ある祭の神男と同格の存在として、祭の重責を負うことになった。
そして、いよいよ祭りの当日を迎えた。神社おかかえの舞踊団との競演になるが、リハーサルなしのぶっつけ本番である。しかし、そこはプロ同士。不安は一切なかった。
来賓席には、いわもとの他に、JR東日本・蘇民祭ポスター掲載拒否の件で一躍時の人となった佐藤真治氏らが同席していた。いわもとには、親友のプロスキーヤー・川本凛氏が同伴した。
いわもとの出番直前、主催者が気を利かせて褌をもってきた。純白の絹で出来た特注品である。しかし、白いブリーフ以外を着用しないいわもとは、それを丁重に断った。
いわもと愛用ブリーフのブランドは謎のままである。供給元としては公表したくてしょうがないのだが、いわもとが頑なに拒んでいるからである。この事情は、小島よしおと真逆である。
神男めがけて裸の男たちが群がる「なおいの神事」が終わると、祭のもうひとつのクライマックスを待つ間、息を呑む静けさが境内を支配した。そして始まった。流れてきた曲は、なんと、パフュームのポリリズム。そして、100人のダンサーが楼門前に雪崩れ込んだ。
バックダンサーのふんどしは、半数が白、半数が赤で、それぞれ交互に並んだ。
下手から純白ブリーフ姿のいわもとが現れ、中央に躍り出た。いわもとが現れると同時に、割れんばかりの拍手と歓声が沸き起こった。観衆は、いわもとを忘れてなかったのだ。
バックダンサーには、zinがちゃっかり加わり、いわもとの左サイドのポジションをキープしていた。川本凛から聞き、自分で応募したようだ。つくづく、節操のない男だ。
いわもとの演技は、サウスコルのような極度の緊張状態ではなく、むしろ、全ての緊張から解かれた踊りだった。生まれたての赤ん坊とでも言うか、老人の大往生とでも言うか。
女性的な動きを取り入れクネクネと体をしならせる、それまでのいわもとのスタイルを打ち破る演技に観衆は驚き、大きな拍手を送った。
それを影からそっと見守っていたこすりつけ最高は、「なるほどなるほどなるほどー」を連発した。
プログラム全部が終わると、観衆の強烈なアンコールが沸き起こった。いわもとは、こすりつけ最高を発見し舞台に呼び寄せた。曲をリクエストし、二人で即興ダンスを始めた。身長160足らずの小男が、やけに大きく見えた瞬間だった。
曲は、「嵐」。いわもとの、この曲への思い入れは、別の機会に語ることにしよう。
その夜、いわもとがブリーフの下に沢本のパンドルショーツを履いていることを、こすりつけ最高は知った。
こすりつけ最高は、いわもとに帰ってきて師匠になってもらうことを懇願した。しかし、いわもとはこれを断り、根付き始めたばかりのふんどしおどりと融合した新流派を完成することを命じた。
いわもとは、再びサウスコルを目指す決意をした。次は、単独で。
どっちつかずのコウモリ的行動をとったzinは、二人から放りだされた。
(続編は、またの機会に)
34 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:2008/09/05(金) 18:35:39
zinしね
ホントつまんね
まだですな