野麦峠スキー場

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514名無しさん@ゲレンデいっぱい。
南京大虐殺」はなかった ――― 意図的宣伝に騙されるな ―――

1. 市民は全員無事であったと、南京安全区国際委員長から日本軍に感謝の書状が出されています。
当時の中国の首都南京が陥落したのは昭和十二年十二月十三日ですが、十二月一日に
  南京市長は、市内残留市民に対して、市内に設けられた安全区に避難するよう命じました。
  この安全区を管理したのは、当時南京に残留していた米・英・独人による十五人の国際委員会でした。
  その委員会の記録によりますと、全市民二十万人は全員無事であったと、ジョン・H・ラーベ国際委員長
   (反日的ドイツ人)が日本軍に感謝の書状を出しているのです。

  2. 日本軍が占領したことにより治安が回復し、市民生活に不安がなくなったのです。
   日本軍が南京市を占領したことにより、市外に避難していた市民は安心して続々と市内へ帰り、
  二十万人だった市民は一ヶ月後に二十五万人に増加し、治安も格段によくなりました。その様子は
  当時の朝日新聞に写真入りで報じられ、新聞縮刷版に残されています。

  3. 大勢いた内外の報道記者の誰もが、虐殺を報道していません。
   南京陥落と同時に取材のため入城したのは、新聞記者・カメラマンの外人記者五名を含め約百二十人と、
  その他著名な作家・詩人・評論家たちもいましたが、その誰一人として虐殺・強姦の場面や屍体の
  山・血の川等を見ていないので、全く報道されていません。

  4. 便衣兵の掃討は正常な戦闘行為なのです。
   一九〇七年のヘーグ陸戦条約(付属規則)によりますと、戦闘員は非戦闘員との区別ができるように
  遠方から確認できる標識をつける事、陸戦条約を守る事などが定められ、これに違反した場合の
  罰則は「捕虜としての待遇が受けられない」となっています。最高指揮官が逃亡したのでパニックに
  陥って、潜入が禁止されている安全区に逃げ込み、民衆の着衣を着て抵抗する便衣兵を捕らえて
  処刑する事は、戦時国際法にのっとる正当な戦闘行為であって虐殺ではないのです。