『スキー』 点数を付けた検定員に言いたい一言

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751名無しさん@ゲレンデいっぱい。
将来いつか、抑圧された検定員と合格を夢見る人たちが手に手を取って
兄弟姉妹となり得る日が来る夢が。 私には今夢がある!
いつの日にかすべての谷は隆起し、丘や山は低地となる。
荒地は平らになり、歪んだ地もまっすぐになる日が来ると。
「そして神の栄光が現れ、すべての検定を目指す者が共にその栄光を
見るだろう。」
これが私達の希望なのだ。この信仰をもって私はゲレンデへ行く。
この信仰をもってこそ絶望の検定からも希望の合格を切り出すことが出来るのだ。
この信仰をもってこそ私達は検定にうずまく不協和音をすばらしい交響曲に
昇華することが出来るのだ。この信仰をもってこそ、自由がいつか来るのだということを
信じながら、私達は共に滑り、共に祈り、共に苦しみ、共に震え、
共に自由の合格ために立ちあがることが出来るのだ。
そしてその日が来れば、その日が来れば神はみなおしなべて、
新しい意味をこめて滑れるのだ。
「我が祖国よ、美しい雪山をたたえ私は歌う。
父がスキーを始めた国、スキー検定を誇りとする国。
すべての山々から、自由よ鳴り響け」と。
真に素晴らしいスキー国となるためには、これが実現しなければ
ならない。

雪山の偉大ないただきから自由の鐘を鳴らそう。
本州山々からも、北海道の山からも、自由の鐘を鳴らそう。
関西の山々からも、九州の山々からも、自由を鳴り響かせるのだ。
それだけではない。ニュージーランドからも、カナダからも、
ヨーロッパのアルプスからも、「すべての山々から、自由の鐘を鳴らす」のだ。

そうすれば、私達が自由を鳴り響かせば、すべてのスキーヤー
が手に手を取って検定という歌を共に歌える日がより早くやって
来るのだ。「やっと、やっと自由になれた。全能の神に感謝しよう。やっと自由になれたことを」と
歌える日が。

不正と戦うのだ。