煤板で見たイタイ奴 Part6

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222名無しさん@ゲレンデいっぱい。
スス板イタイ奴外伝1 「群馬の神の落日」A

山田は群馬県北部の温泉地で旅館を営む山田家に1966年、生を受けた。
スキーヤーであった父親は、息子が歩けるようになった年の冬にスキーを始めて履かせた。
父親譲りの運動神経を持ったその子供はスキーを目に見えるスピードで上達し、周囲は神童と褒め称えた。
小学校、中学校では少年団のスキーチームでその才能を開花させ、高校になると県の強化選手に指定された。
周囲は山田少年が将来、日本のレースシーンの第一人者になると期待していた。

高校を卒業すると、形式的には父親の旅館業を手伝うこととし、もっぱら冬は群馬、夏はNZでスキー漬けの生活を送った。
家業の旅館業は折柄のスキーブームで非常に流行っており、建物を増築して、売上を伸ばしていた。
山田少年が手伝わなくても、多くの従業員を雇用し、発展していけるだけの利益をあげていた。
しかし、群馬の神童と呼ばれた山田も、激しい競技の世界ではなかなか成績を上げられない。
そして、山田が26才の時、父親が急逝したことから彼の人生が一変した。
家業の旅館業を継がなくてはならなくなったのだ。
223名無しさん@ゲレンデいっぱい。:02/11/17 13:10
スス板イタイ奴外伝1 「群馬の神の落日」B

日本では1990年末に株式市場はピークアウトし、バブル経済の崩壊が始まった。
実体経済においては2年のタイムラグがあり、日本経済は景気下降に転じた。
そんな時期に山田青年は家業を継いだが、スキー三昧で過ごしてきた彼は経営能力はない。
不景気と経営者の無能から、旅館業は傾いていった。
また、増築時に借り入れた借金の利払いも、金利の上昇から経営を悪化させていった。

山田はこうした状況に歯ぎしりをしながらも、競技者としてちやほやされたことからプライドだけは高く、
旅館業の経営悪化を不景気のせいにして、競技の世界からは引退したものの、
冬はスキーに100万円以上費やす生活をしていた。
そんな山田を心配した親戚は見合いをさせ、山田は美人ではないがしっかりものの女性と28才の時に結婚した。
224名無しさん@ゲレンデいっぱい。:02/11/17 13:21
スス板イタイ奴外伝1 「群馬の神の落日」C

山田は結婚当初は多少大人しくしていたが、そのうちスキーとキャバクラ通いを復活させていた。
旅館業は妻が中心になって立て直そうとしていたが、日本の景気はいっそう落ち込み、
スキー人気の下降から、客が入らず、将来に見切りをつけた従業員は次々と止めていった。

山田も30才になり、家業に本腰を入れるかと思われたが、スキー少年団のコーチ、
消防団の役員などにかり出され、家業に力を注げない状況だった。
資金繰りも厳しく、長期借り入れの返済も金利だけの支払いはなんとか行う状態だった。
債権者であるK信金からは事業の譲渡や廃業も勧められるようになっていた。

21世紀に入っても、不良債権処理の加速から中小金融機関の合従連衡が生じ、
その家庭で地域金融でも貸し渋りが起こり、山田の家業は傾く一方であった。
225名無しさん@ゲレンデいっぱい。:02/11/17 13:29
スス板イタイ奴外伝1 「群馬の神の落日」C

山田は家業の経営に苦しみ、彼の唯一の生き甲斐であったスキーからも自然に足が遠のいた。
そんなときに出会ったのが「2ちゃんねる」と呼ばれるインターネット掲示板であった。

スキー・スノボ関連の書き込みがなされている板を見ると、幼稚な知識と議論、誤った情報が流布していた。
かってはスキーの世界で名をなした山田は、低レベルの板の状況に耐えられず、書き込みを始めた。
家業の苦しさから自らはスキーをほとんどやらなくなったが、
過去に蓄積された豊富な知識を基盤にした書き込みは他の書き込みの中で輝いていた。
すぐに他の参加者から賞賛を受けることになった。

現実の世界では賞賛されることもなくなり、反対に罵られていた彼にとって、これほど嬉しいことはなかった。
山田は2ちゃんねるへの書き込みが日常化し、そのうち「ハム太郎」という固定ハンドルネームを使って活動することにした。
226名無しさん@ゲレンデいっぱい。:02/11/17 13:39
スス板イタイ奴外伝1 「群馬の神の落日」D

固定ハンドルネームを持つと、必ず叩かれるのは2ちゃんねるの常識。
ハム太郎も、脳内、糞スキーヤーなどと叩かれるようになった。
こうした事態に対してプライドの高い山田は耐えられなかった。
すぐさま正論で反撃をするが、それが叩いていた参加者の行動をいっそう激しいものにした。
ハム太郎にトリップをつけていなかったため、狡猾な少年コテハンがハム太郎の名を騙りもした。

はりまお、横スキー、でら、吉澤、タイマヨ、kana、そして多くの名無しさん@ゲレンデいっぱいが、
ハム太郎を叩き、それまで生き甲斐であった2ちゃんねるが、
山田にとって新たなストレスに変わるのも時間がかからなかった。
自分を叩く奴をこらしめたい。
山田が2ちゃんねるにアクセスする時間は日増しに増えた。
家業不振、援助交際による浮気がばれて生じた家庭の不和、2ちゃんねるのストレスから、
酒に溺れるようになり、髪が薄くなり、体重も増えていった。
227名無しさん@ゲレンデいっぱい。:02/11/17 13:48
スス板イタイ奴外伝1 「群馬の神の落日」E

K信金からの電話を切ると、山田はため息を付いた。
「もうだめぽ・・・」
自分が家族にしてあげられることはなにか。
山田はある決心をした。
そう、追いつめられた経営者の誰もが考えることである。

「最後にもう一度丸沼で滑りたいな。」
山田は11月13日の朝、決心をした。
愛車のレガシーを走らせ、藤原湖に立ち寄りしばらく冬の湖を見つめる。
「オイラも楽になるし、家族も楽になる。」
それから丸沼に向けて再び愛車を走らせた。

丸沼でのその日の山田の滑りは鬼気迫るものがあったと知人が証言している。
ロングターンの深いカービング、リズミカルなショートターン。
全盛期の山田を彷彿させるモノであった。
そして、丸沼も日が暮れ、最後の時が来た。
「ハム太郎、逝ってよし。」
山田は弱々しくつぶやくとレガシーのエンジンに火を入れた。