フィギュアスケートの芸術性については、
あんまり「こうタイプでなければ駄目だ」とか「こういうタイプこそいい」とかすると、
妥当性に欠くことにならないかな?
強いて言えば、音楽に合わせたスケーティングから生み出される感興や美的造形
といった感じになるんだろうか。
その上で様々なあり方があると思う。
あんまりバレエ表現に頼りすぎると邪道だろう。
しかしバイウルの、例えば氷上を滑る白鳥のような表現は、
バレエ的素養があってのものでもあるけれど、
フィギュアスケートだから実現できるものでもある。
バレエで鍛えられた動きを生かしたスケーティングは見てて面白いけどな。
同じ門下のペトレンコも、ダンサー的要素や動きの美しさや情感と
スケートならではの表現が融合していて、くるみ割りのドロッセルマイヤーなんて素晴らしい。
でも、バレエ板では評価の高いコーエンの場合、ひたすら「バレエの素養を
生かした私の表現は美しいでしょ?」と言わんばかりで、それ以上の印象に乏しいのは、
やはり表現者としてのコーエンに何か欠けているものがあるとか。
演技仕立てや演出を生かした演技も、スケーティング要素を生かしたものなら面白いが、
演技や演出の比重があまり高いと、芸術性といよりはエンターテイメントっぽくなる。
ビットも表現力のあるスケーターだけど、
カルメンは演技や演出や衣装に頼り過ぎて、「芸術性」とは違うように感じた。
ジャネット・リンの演技の動画を見ていると、本当に情感のある演技だと思わされた。
でも塩湖の頃までの女子は、情感系芸術の風潮が強すぎて、逆にスケート表現の
幅を狭めているような印象も持っていた。
こういうのも本人の資質も大きいし、トリノの荒川のように演出の上手の
影響も大きい場合もある。(本人の技量を生かしてものもだから、演出頼みではない。)
で、情感や演技仕立ての勝ったあり方に食傷気味になってくると、
音楽に合わせて、フィギュアスケートの技を美しくこなしてくれる選手の価値が
感じられてくる。但しこれも、本人の技量なり表現センスなりを伴わないと単調に陥る。
このうちの造形の美しさ型では西洋の選手が有利だけど、
一方で、様々な持ち技と体の柔らかさというかなり正当な表現手段を用いた
上で、音楽の世界を表現できる真央は、このスレで言われているように王道なんだろうなー。
今の所、可愛い衣装の似合う可憐な容姿をしている強みもあるし。
と、くるみ割り、ノクターン、チャルダッシュを見て思った。
(だからこそ、本人の滑りの出来によってプログラムが良く見えたり悪く見えたりする。)
他にもいろんなタイプがあるんだろう。
例えばウーソワ&ズーリンの「冬」や、トーヴィル&ディーンのボレロも、
スケート表現を用いつつ、音楽世界を表現してくれている満足感が凄くあった。
みどりは、芸術点が課題で、踊りのセンスやスタイルに恵まれてなかったけど、
しっかりとしてスピードがあるスケーティングに、爽快な感興があったし、
そういう豪快さがあるからこそ、「シェヘラザード」の音楽が引き立ったりしてたし、
曲に合わせることは上手い方だった。
以前、即興でペトレンコと組んだことがあったけど、バイウル&ペトレンコの
ダンスコンビとは違って、スケーティングレベルの高い者どうしの迫力があった。
ま、何に芸術性を感じるかもある程度主観な所はあって、
以上の自分の意見も例に漏れずなんだけどさ。