フィギュアスケートの芸術性については、
あんまり「こうタイプでなければ駄目だ」とか「こういうタイプこそいい」とかすると、
妥当性に欠くことにならないかな?
強いて言えば、音楽に合わせたスケーティングから生み出される感興や美的造形
といった感じになるんだろうか。
その上で様々なあり方があると思う。
あんまりバレエ表現に頼りすぎると邪道だろう。
しかしバイウルの、例えば氷上を滑る白鳥のような表現は、
バレエ的素養があってのものでもあるけれど、
フィギュアスケートだから実現できるものでもある。
バレエで鍛えられた動きを生かしたスケーティングは見てて面白いけどな。
同じ門下のペトレンコも、ダンサー的要素や動きの美しさや情感と
スケートならではの表現が融合していて、くるみ割りのドロッセルマイヤーなんて素晴らしい。
でも、バレエ板では評価の高いコーエンの場合、ひたすら「バレエの素養を
生かした私の表現は美しいでしょ?」と言わんばかりで、それ以上の印象に乏しいのは、
やはり表現者としてのコーエンに何か欠けているものがあるとか。
演技仕立てや演出を生かした演技も、スケーティング要素を生かしたものなら面白いが、
演技や演出の比重があまり高いと、芸術性といよりはエンターテイメントっぽくなる。
ビットも表現力のあるスケーターだけど、
カルメンは演技や演出や衣装に頼り過ぎて、「芸術性」とは違うように感じた。