【ああ】キム・ヨナ アンチスレ422 【無用】

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939氷上の名無しさん@実況厳禁
朝鮮国王に「凶徒」と罵倒された安重根
 安重根の伊藤暗殺は、当時の世界を震撼させた大事件であった。
日本人への衝撃はもちろん、世界の世論はほとんど伊藤への同情と、
安重根への糾弾によって占められた。
 『安重根と日韓関係史』という資料集には、当時の全世界の反響が収録されているが、
それは伊藤が国際的にも賞賛されるほどの人物であったことを立証している点で興味深い。
 その主旨は、偉大な国際的政治家の業績を讃え、死を惜しむとともに、韓国にもロシア
にも強硬政策ではなく国際的平和政策をとったことに集約される。

 この事件は、当時の韓国内でも空前の衝撃を与え、高宗は「伊藤公を失ったことで
東洋の人傑がなくなった。公はわが国に忠実正義をもって臨み、骨を長白山に埋めて、
韓国の文明発達に尽くすと明言していた。
伊藤公は他の日本人と違って東洋の平和を念じた者で、実にわが国の慈父とも
いうべきである。その慈父に危害を加える者があるとすれば、物事の理非を解さない
ことはなはだしく、おそらく海外流浪者であろう」と述べた。
 ソウルの奨忠壇では、官民一万の盛大な追悼会が行われ、地方でも朝鮮民族の
謝罪キャンペーンが盛んになり、銅像や頌徳碑建立運動も各地で沸き起こっていた。
 また当時は、旅順監獄につながれていた安重根のところに面会に行く韓国人が
いなかったのとは対照的に、伊藤に対しては「朝鮮の大活仏」「東洋の英雄」「朝鮮国の
恩人」と賛辞が絶えることはなかった。

 このことは、今日から見るときわめて興味深い事実である。
当時、高宗から「凶徒」と罵倒された安重根である。あれほど韓国から非難されたあとに、
一転して「愛国英雄」に変身した。
 当時「朝鮮の大活仏」としてまつり上げられた伊藤は、戦後は「韓国侵略の元凶」と
変質したのである。
 なぜ同じ人物に対する評価にそれほど天と地の差がありえるのか?
 それは、人物評価も、ある時期やある目的によってつねに変えられるという
韓国の歴史的真実をよく表している。(韓国人、金文学)