ようやく、しおらしくなってきた韓国フィギュア412
ウリももたもたしてるうちに避難所の変態の流れがなくなってしまったニダ... 長いのでこちらに貼らせていただくニダ、dミヤネ!!
ttp://sports.media.daum.net/general/news/col/ge_cyj/view.html?gid=5089&newsid=20091209124504140&p=xportsnews (蒟蒻リンク
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エクスポツニュス|入力2009.12.09 12:45
[エクスポツニュス=チョ・ヨンジュン記者] 'フィギュア女王'キム・ヨナ(19,高麗(コリョ)大)が2009年に参加したすべての
(長いので省略)
専門化されたコーチング システムの中で育った幼いキム・ヨナ
キム・ヨナが初めてフィギュアを始めたところは果川(クァチョン)室内アイスリンクだ。 キム・ヨナがちょうどスケートを履いた頃、
こちらはフィギュア中心に訓練をすることができるシステムが構築されていた。 むやみに果川(クァチョン)アイスリンクを訪問した
キム・ヨナの才能を初めて発掘したこれはアイスダンシング出身の指導者であったリュ・ジョンヒョン(41)コーチであった。
リュ コーチの勧誘でフィギュアを始めたキム・ヨナは果川(クァチョン)アイスリンク チームが持っている体系的なシステムで成長した。
当時、リュ・ジョンヒョン コーチとともに果川(クァチョン)アイスリンクのフィギュア講師であった変成陣(39)コーチは'果川(クァチョン
)チーム'のシステムに対してこのように説明した。
"その時期、フィギュアスケートはショートトラックやスピードスケーティングと比較してリンク長貸与比率が非常に低かったです。
だが、果川(クァチョン)リンクの場合、フィギュア中心に戴冠が合わされていましたよ。 他の種目と5:5の割合で戴冠が捕えられた
点は非常に異例なことでした。 そしてコーチング システムもコーチ1人が全てのものを教える方式ではありませんでした。
特定分野を細部的に分けて指導しました"
リュ・ジョンヒョン、変成陣コーチがあった果川(クァチョン)リンクに辺境地研(42)コーチが入ってきながら完全なチームが完成された。
これらは各々メインで教える弟子らがあった。 リュ コーチは自身が発掘やり遂げたキム・ヨナを指導したしさほど経過せず辺境地研
コーチに移った。
主に教える弟子らは少しずつ違ったがこれらは一つのチームであり各自自信がある分野も間違いだ。 このようなシステムは
フィギュアの先進国の北米と日本などに取りそろった体制でありキム・ヨナはそれぞれ違った指導者に専門的な指導を受けて成長した。
"リュ・ジョンヒョン コーチ様は主に(海苔)ヨンにスケーティング技術を教えられました。 私はプログラムを引き受けたしジャンプは
辺境地研コーチ様が指導(地図)したでしょう。 私がプログラムを組んで地図をし終えれば五コーチ様がジャンプを教えたし
リュ コーチ様はスケーティングを教えました。 アイスダンシング出身だったリュ コーチ様はスケーティングに一見識があったが私は
個人的にアイスダンシング出身である方々にスケーティングをはじめとする基礎を俳優という点に賛成をします。 ヨンは良いスケーテ
ィングを習うために多くの努力をしました"
-変成陣コーチ
キム・ヨナはフィギュアと関連した細部的な事項をそれぞれ違ったコーチらに学びながら成長した。 また、基礎を習う過程で
スケーティングを疎かにしなかった漸移良い影響を及ぼした。
"リュ・ジョンヒョン コーチ様はスケーティングと共に地上(紙上)訓練も担当しました。 基礎体力江華島(カンファド)ヨンに良い影響を
及ぼしました。 氷板の上で持続的にジャンプをしようとするなら地上(紙上)で実らせた体力が必要だったんですよ"
>>684 -変成陣コーチ
ttp://i2.media.daumcdn.net/photo-media/200912/09/xportsnews/20091209124505173.jpeg フィギュアを習う有望株らにスケーティングは必須要素だ。 しかしフィギュア専用リンクがない国内の状況はこのような訓練を
消化するのが手にあまる。 戴冠時間に追われて見たらジャンプ訓練に注力することになって目前に迫る大会で良い成績を
出そうとするなら最も点数配点が高いジャンプにこだわるほかはない。
しかし当時果川(クァチョン)リンクで訓練を受けた選手たちはこのようなシステムで成長した。 各自の分野で熱意を注いだ3人の
指導者は'一度してみよう'という熱意がすごかったと便コーチは明らかにした。 そしてこのような情熱に油をぶっかけた有望株が
キム・ヨナであった。
"ヨンという幼い子供に対しては全部知っていました。 リュ・ジョンヒョン コーチ様もとても才能が多い子供と絶賛をしたでしょう。
ヨンアルル教えながら感じた点は話を非常によく聞いたしコーチが導いて上げ次第良く従ってきました。 ジャンプをどのように走れと
指示をすれば表情もなくて頭もたてに振らなかったです。 だが、即座に氷板で行って私が指示したのをそのまままねましたよ(笑い)"
-辺境地研コーチ
変成陣コーチは幼い時期のキム・ヨナを'軍人'に比喩した。 あまりにも無愛想で言葉がなかったが指示し次第直ちにまねるキム・ヨナは'
軍人'のような感じがしたと回顧した。
恐れがなかった子供、からだを投げるジャンプを駆使する
キム・ヨナは現役女子シングル選手中、最も正確で完ぺきなジャンプを走るスケーターで有名だ。 ジャンプの礎石を間違って踏めば
選手の成長に莫大な支障を与える。 誤ったジャンプを直してまた出発する誤りをなくすのに最も大きい貢献をした人がすぐに
辺境地研コーチであった。
"ヨンは幼い時にも用心深くジャンプを走らなかったです。 一言でからだを投げてジャンプを駆使しましたよ。 恐れが全くなかったし
失敗に対する恐れもさがせられなかったです"
-辺境地研コーチ
ジャンプを教えるのはやさしいが'正しくなされた'ジャンプを教えるのはそうではない。 キム・ヨナが登場した後、国内選手大部分は
正しくなされたジャンプを駆使している。 また、問題点があれば定石に合わせて直そうと努力している。 キム・ヨナという良い手本が
出てきた点がこのような影響を及ぼしたし幼いキム・ヨナも立派な先輩らのジャンプを見ながらそれを教本とした。
"ヨンは当時国家代表でありオリンピックにも出場したイ・キュヒョン(29,現フィギュア コーチ)とパク光って(25,現フィギュア コーチ)の
ジャンプをそばで見守りながら成長しました。 良いジャンプを駆使する先輩らが周辺にあったので良い影響を受けることができましたよ"
>>685 -辺境地研コーチ
当時、五コーチは国際大会を観戦しながら'ロシア式'ジャンプが前に繰り広げられる国際舞台で良い点数を受けるのが難しいと思った。
今はロシアと北米のジャンプ スタイルがほとんど似てきたしはっきりと区分しにくくなった。 精巧なテクニックより力を前に出すロシア式
ジャンプはばねのように跳躍する力が魅力的だ。 しかし精巧さが落ちるから腰をねじることになって中心軸が揺れる短所も持っている。
ロシア式と比較して力よりはすっきりしているということと安全性に中心をあたえる漸移北米式ジャンプの特徴だ。しかしこのような
特徴は歳月が流れながらたくさん変わったし今はほとんど差がなくなったと五コーチは明らかにした。また、'フィギュア皇帝'の
エブゲニープルルセンコ(27,2006トリノ冬季オリンピック金メダリスト)が出演しながらロシアのジャンプはたくさん変わったと加わった。
"ヨンはジャンプが高くて上がる瞬発力がだいぶ良かったです。 また、脚力もすごかったんですよ。 だが、ジャンプの力がすごいと見ると
ジャンプ自体がきれいなのはできなかったし整えなければならない部分が多かったです。 他の見方をすればロシア スタイルに近かっ
たがこの点を修正しようと努力しました"
この期間の間五コーチは誤ったクセをつけないために集中した。 シングル ジャンプもまともにできなければまた反復させたし
悪いクセがからだに慣れないように指導した。
五コーチは誤ったジャンプを校正したり新しいジャンプを習う時、常にコーチが見る前で訓練をさせた。 誤った姿勢と跳躍などに
慣れればわれ知らずその方法が習慣になるためだ。
また、キム・ヨナは小学校5学年夏にダブル アクセルを完成した。キム・ヨナは10代初めにトリプルジャンプ五種類を完成した。しかし
ダブル アクセルを征服するのにかかった期間は決して短くなかったと五コーチは強調した。
"この頃子供たちに比べてヨン坊やダブル アクセルを走ることになった期間は長かったです。 基本姿勢とワーキング、そしてジャンプ
回転を満たすのに時間が多少かかりましたよ"
ジャンプを初めて習う期間、キム・ヨナは一つ一つに精魂を込めて完成していった。 ジャンプの基礎を硬く実らせたキム・ヨナはダブル
アクセルを持って遊ぶ水準に到達した。 ダブル アクセル期間まで習った基本技があまりにも良いと見るとトリプルジャンプをはやい
期間に征服することができた。
キム・ヨナぐらいすごかったお母さん、一人でできないことを互いに助けた漸移キム・ヨナを完成
キム・ヨナを話す時、お母さんのパク・ミヒ(50)の功労(空路)も省けない部分だ。 幼い時期からキム・ヨナの最も強固な後援者であり
'リンクの外のコーチ'であったパク・ミヒ氏の存在はキム・ヨナに絶対的なことだった。
"ヨン坊やスケートを乗るのを見ながら辺境地研コーチ様にこのように話しましたね。 'お母さんに表彰状だと差し上げなければならない
ことではないですかって'(笑い)ヨン坊や大層スケートをよく乗った理由もあるがお母さんの努力も本当にすごかったです"
-変成陣コーチ
キム・ヨナの成功要因の中の一つはリンク外で成り立った徹底した地上(紙上)訓練にあった。 この点が広く知られながら多くの
有望株は地上(紙上)訓練の重要性を認知している。 キム・ヨナの幼い時期にもこの部分はフィギュア コーチらが強調した事項だった。
だが、実際に地上(紙上)訓練を体系的に消化するのは大変だった。 リンク戴冠時間が限定されているからリンク訓練が終われば
急いで出て行かなければならなかったためだ。 しかしキム・ヨナはリンク外で成り立つ訓練も疎かにしなかった。
"訓練が終わる時間は11時で12時でした。 競技が終われば急に荷をまとめてはやくリンクを空けなければならなかったがヨンと
お母様はそうではありませんでした。 常に訓練する1時間前に到着して着実に地上(紙上)訓練を消化してリンクに入りましたよ。 また、
訓練が終わった後に成り立つストレッチングも常に完ぺきに終わらせて帰宅しました。 これを実践することは非常に骨を折ったが
ただ一度も漏らしませんでした"
>>686 -辺境地研コーチ
ttp://i2.media.daumcdn.net/photo-media/200912/09/xportsnews/20091209124505453.jpeg パク・ミヒ氏はより積極的にキム・ヨナを指導する'一生コーチ'で知られている。 リンク外ではキム・ヨナのジャンプと地上(紙上)訓練を
引き受けるがリンク中に入れば全てのものをコーチに一任したとこれらは明らかにした。
リンク中で成り立った細分化された地図と徹底した地上(紙上)訓練が今日のキム・ヨナを完成する礎石になった。 コーチ陣と父兄、
そして選手間の信頼が互いに通じたのでこのようなことが可能だった。
各分野で専門的な指導力を発揮した'果川(クァチョン)チーム'は1997年、国内大会をさらいながら最高の一年を送った。 たとえ、この
ようなシステムはその後に解体されたがいまだに手本で残っている。
"ヨンは基本技を忠実に習ったし私たちが教えたものなどを着実に消化しました。 指導者を信じてついてきた点が良い結果につながった
と考えます。 また、リンク外でしなければならないことに忠実だった点もヨンの成長に大きい助けを与えましたよ。 そして指導者らが各自
の分野で最善を尽くした点も省けません。 一人でできないことを互いにしたので良い結果につながりました"
-変成陣コーチ
"良いジャンプを完成するのも難しいが維持するのもそれだけ大変です。 力が少しずつだけ違ってもジャンプの質が変わります。
ヨン坊やトリプルジャンプを幼い時期に完成しておいて数十度数万度練習する漸移このような理由のためです。 優れた選手としても
二日以上を休めばジャンプの感覚をなくしてしまいます。 世界的な選手たち中でも正確なジャンプを走る選手は非常に珍しいです。
完ぺきにプログラムを遂行する場合が1年に1〜2度あるほどです。 どんな選手は一生に一度もできない場合もあります。 ヨン坊や
他の選手と違った点はここにあります。 プログラムを完ぺきに遂行できる確率が違う選手より高いという点であり大きい競技に強い
精神力があるという点でしょう"
-辺境地研コーチ
* 変成陣コーチが選定したキム・ヨナ最高のプログラム:ロクサンヌのタンゴ(2006-2007キム・ヨナ ショートプログラム) * 辺境地研コーチが
選定したキム・ヨナ最高のプログラム:死の無道(2008-2009キム・ヨナ ショートプログラム)
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変成陣 =ビョンソンジン
辺境地研=オジヨン