ようやく、しおらしくなってきた韓国フィギュア373

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91氷上の名無しさん@実況厳禁
永遠の女子高時代の友人|軍浦(クンポ)スリ高同窓キム・サラン
“ヨン坊や文字メッセージでインタビューを許諾しました”

思いやり多くて情深い友人

キム・サラン氏は軍浦(クンポ)修理高等学校2,3学年の間キム・ヨナと同じクラスだった。
キム・ヨナが時々登校をする時ごとに学校生活に適応することができるようにそばで黙黙と助けてくれた。
時々文字もやりとりして、サイワールドでは一親等間とし歯校正(校庭)期を表わしたまま明るく笑う姿が何となくキム・ヨナと似ていた。

“ヨンは学校に入学する時からすごいスターでした。 ヨン坊や学校にくる時ごとに全校生がヨンに駆せ参じました。
ところでヨンは一度も面倒だとかいやな憂いの表情をしませんでした。
本来人見知りが激しい方なのに、そうでないために努力する姿が残念でした。”

キム・ヨナは有名税に苦しめられながらも家から学校まで歩いて通った。 キム・サラン氏は登下校をキム・ヨナと共にした。
キム・ヨナは路上で自身を調べてみる人々がコソコソ言っても全く意識しなかったという。
キム・サラン氏はそのようなキム・ヨナを見ながらおおらかな友人という気がした。

“初めにはヨンに話しかけるのが迷われました。 私を負担になると考えるかと思って心配になりましたよ。
そのようなある日偶然に共に下校することになりました。 私が通う学院(塾)とヨン4戸方向が同じだったんですよ。
ヨン坊や私に‘何か勉強しに学院(塾)に行くのか’で尋ねましたよ。 それでピアノを専攻して音楽学院に行くといったし、
私はヨンにフィギュアスケーティングがおもしろいかと尋ねました。
すると自分はフィギュアスケーティングをしたのが本当に幸いだと、幸せだと話しましたよ。”

キム・ヨナが学校にくるときは残念な瞬間が多かった。
キム・ヨナの机の上には四人用紙がたっぷり積まれていて、友人らが携帯電話で写真を撮りまくったせいで
キム・ヨナは休み時間にも気楽に休むことがなかった。

“一度は私がヨンに‘大変だろう?’と尋ねるから‘オ、大変で’といったのです。
ア! ヨンとおもしろい話を交わしたことがあります。
ヨンは主に試験期間に学校にきたが、いつか試験を受けた後よく見たかと尋ねるから、そのまま寝たといいましたよ。
後ほどヨン点数を見たが、本当にとるからだったのか20点をむかえましたよ。”

キム・サラン氏とキム・ヨナはゆっくり近づいた。
そして二人はミニホームページの一親等を結んだし、文字メッセージをやりとりする間になった。

“私が先に携帯電話番号を尋ねました。 ヨン坊や誰にも知らせてはいけないと言いながら番号を知らせました。
そしてミニホームページに一親等申請をしてもかまわないかと尋ねるから快く許諾をしましたよ。
それでその時から文字メッセージもやりとりして、ミニホームページに文も残す間になりました。
今回のインタビューもヨンに文字メッセージで許諾を受けたのです。(笑い)
どうしてもヨン話をしなければならないから、当然尋ねなければなければならないと考えましたよ。”

今回のオリンピックでキム・ヨナが金メダルを取った後祝いメッセージを送ったというキム・サラン氏.
彼女は友人が世界舞台で名前を知らせることになったのがひたすらうれしくて誇らしいが
有名になる友人と共にすることができる時間が多くないということが残念だ。

“ヨンなの! 私は君が学校にくれば疲れて疲れるとみられて写真を取ろうという言葉も取り出すことができなかった。
考えてみるから団体で取った写真しかなかったよ。 君に本当に良い友人になりたかったが、君があまりにも
忙しくてまともに話を交わすことができなかったようで。
ヨンなの! 韓国に入ってきて時間出れば電話して! 会えて君が好むパンも食べて、カラオケも行こう。”

ttp://danmee.chosun.com/site/data/img_dir/2010/04/06/2010040601443_3.jpg
写真右が┃┃┃┃同級生キム・サラン。
携帯の画像はインタビュー受けていいかと聞いた時┃┃┃┃から帰ってきた返事。
「私はべつにいいよ。あんたがやりたければやればいいし嫌なら断ればいいよ。 ヨナ」