織田信成アンチスレ Part24

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186氷上の名無しさん@実況厳禁
・08年4月に連盟幹部同席の復帰会見でコーチをニコライ・モロゾフに変更することを発表
 酒気帯び運転で検挙→謹慎という不祥事にもかかわらず、復帰会見には連盟幹部が同席してバックアップをアピール。
 09年1月20日の毎日新聞に不正会計疑惑で引責辞任した城田元強化部長が織田とモロゾフの間を取り持ち
 その見返りに彼女の連盟復帰を織田が直訴し、復帰を果たさせたという経緯を記事にされる。
 なおこの時同席していた当時のフィギュア強化部長伊東秀仁氏は、不祥事で連盟を追放されていた城田元強化部長の側近。

・10年バンクーバー五輪FSで靴ひも切れで演技中断をして準備不足を露呈するがスケート連盟からはお咎めなし
 JOCからは名指しで批判されたが、スケート連盟は一切注意も処分も行わず。

・10年世界選手権はSP28位でFSに進めなかったにも関わらず特別強化指定継続
 06トリノ五輪で18位だった安藤美姫選手は06年4月付で特別強化指定を解除され
 強化指定に格下げされていることを考えれば甘い措置。
 
・10年ドリーム・オン・アイス不出場でもお咎めなし
 日本スケート連盟主催のアイスショーであるDOIは現役トップ選手の出場が半ば義務化されている。
 しかし織田は直後に行われた別の日本のアイスショーには出場し
 フリーのプログラムの振付も8月以降と余裕のある滞在だったにも関わらずカナダ滞在を理由に出場を拒否。
 07年に怪我で出場を辞退した安藤は診断書まで提出したにもかかわらず
 診断書が医師の手書き(実際は手書きでも問題はない)だったことで伊東強化部長(当時)に仮病扱いされて批判され
 08年にスケジュールが合わず五輪用プログラムの振付を優先させた小塚崇彦選手と浅田真央選手は
 スケート連盟林泰章会長代行(当時)にメディアの前で嫌みを言われ自筆の文書まで提出させられたが
 織田に関してはなんのお咎めも幹部からは聞かれなかった。