フィギュアスケート★女子シングル Part589

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65氷上の名無しさん@実況厳禁
801 名前:氷上の名無しさん@実況厳禁[sage] 投稿日:2010/03/24(水) 12:18:57 ID:1mhkDSgSO
これって既出?

ttp://tony-wheeler.blogspot.com/2010/03/sonia-bianchetti-role-of-judge-now-is.html


前々スレくらいで出てた、引退するジャッジインタビューに対して元審判の人が意見だしてる
今の審判はスーパーのレジ係だとさ…



813 名前:氷上の名無しさん@実況厳禁[sage] 投稿日:2010/03/24(水) 14:31:45 ID:1mhkDSgSO
>>801
ごめん、訳載せるの忘れてた


ソニアビアンチェッティ:
「ジャッジ役は、今やスーパーマーケットのレジ係並みの興奮度」

ソニアビアンチェッティは、以前ISUのジャッジでレフリー、そして、40年間事務局にいたが
私のパトリックイベンスとのインタビューへの返事として、次のような手紙を送ってきた


ハイ トニー、

パトリックイベンスとのインタビュー、大変面白く拝読しました。
大変素晴らしいインタビューで、彼の言ったことはほとんど完全に真実です。
私が同意できないのはただ一つです。
ジャッジの10%しか正直ではないということです。
残念ながら、今でも、そしてこれまでも、不正なジャッジはいつもいましたが、それほどの割合ではありません。
少なくともそうでないことを願っています。

でも、パトリックのような、善良で正直で有能な若いジャッジたちがジャッジをやめてしまうのはとても悲しいことです。
私が受け取ったいくつかのコメントを読むと、他のジャッジたちも多くが彼の例に従うかもしれません。

その理由についてはすぐに思い当たります。
この競技は変わってしまい、システムも変わりました
そして、ジャッジは6.0システムの時に得ていたのと同じような興奮や関与の仕方、情報を得られなくなっています。

今ではジャッジの役割はスーパーマーケットのレジ係と同じような興奮しか得られなくなってしまいました。

66氷上の名無しさん@実況厳禁:2010/03/25(木) 07:56:23 ID:2RswEYck0
IJSが導入されるまでは、ジャッジをすることは、本当にやりがいのあるものでした。
ジャッジは、技術点と芸術点の両方を使って正しい結論を出すために最善を尽くさなくてはなりませんでした。

新しいシステムのもとではすべてがなくなってしまいました。
試合が終わった時にジャッジは自分がどの順位にスケーターを置いたのかさえ知ることがないのです。
彼にはどうすることもできません!
このごろのジャッジの関心はよく知られている「規定範囲」内に間違いなく収めることです。
もしスケーターがとても難しいことを何かやろうとしても、ジャッジにそれを点数に反映しようとする勇気のある者はいません。
自分の視点を説明するチャンスを与えられませんから、規定範囲を外れる危険を冒さないのです。

こういうやり方を好むジャッジもいますが、中にはこれを憎み、その能力や経験を考えると屈辱的だと感じている人たちもいます。
私もその一人です。
しかも、ISUは 、決められた試合に、大会の前日にしか来ることを許可していません。
そして、試合の当日に帰らなくてはいけないのです。
このスポーツの社交的な魅力はなくなってしまいました。
どれほどのジャッジが、12時間以上も飛行機に乗り、2日間ジャッジをして、残りの試合を見ることもできずにまた戻るというようなことを喜んでするでしょうか。

パトリックのプログラムコンポーネンツに関する意見はとても興味深いものです。
「このシステムで私が一番いやなところは、「それほどよくない」ジャッジを救済するために作られたところだ。
あるべきやり方(すべてのコンポーネンツを別途に)で点をつけている本当にいいジャッジは
平均的な点数の範囲を超えるリスクがあるし、審査を受ける羽目になるリスクもあるのだ。
基本的に、知識の足りないジャッジはすべてに間違った点をつけることがありうるし
完璧に思いこみで平均的な点をつける事態に陥ってしまうこともある。
だが、コンポーネンツの間に大きな差をつけようとする者はそうすることで糾弾されてしまう。
例えば、世界選手権で最初の3つのグループには5.5から7.0のコンポーネンツスコアを与えれば安全な場所
最終滑走グループが氷上に現れたら、7.0から8.5を与えれば、それもまた、安全だ!」

これ以上ないくらい、賛成です。

このことは確かにすべての大会で見ることができます。
PCの点はスケートではなく、むしろ、滑走順やスケーターの評価を反映しています。
プログラムコンポーネンツの点が絶対評価で採点されている限り、正しいものになることはあり得ません。
パトリックの言葉に、完全に同意します。「我々のスポーツは『スポーツ』というものから外れている」
 スポーツとは、ある者が別の者よりはいい、その別の者はさらに別の誰かよりはいい。というものだ。
もしスピードスケートについて言うなら、時計があって、もちろん、技術や芸術性につける点はない。
早くなければいけないというだけだ。試合で10点満点制だけで点をつけるのは不可能だ」

私が幾度も言っているように、フィギュアスケートの試合の目的は、その日、どのスケーターが一番いい演技をしたかを決めることです。
67氷上の名無しさん@実況厳禁:2010/03/25(木) 07:57:13 ID:2RswEYck0
フィギュアスケートのようなスポーツでは、実際には、スケーターの演技の中のどのエレメンツの質も客観的に数量化することは不可能です。

全体的な大会を通して矛盾のないようにするただ一つの方法は
いつも今与えている点がそれ以前に与えられた点と比べて筋が通っているかどうかを考えることです。
そして、それはつまり比較ということなのです。

IJSのもとでは、ジャッジは他の演技と比べることなく絶対評価で演技を採点することを要求されています。
これは、プログラムのそれぞれのエレメンツの採点にはまだ考えられますが
プログラムコンポーネンツでは無理なのです。完全に違う考え方ですから。

さまざまなプログラムを他のものと比べることによってのみ、ジャッジはどれがより高い点を得られるかを決められます。
ですから、“絶対評価的”ジャッジは、とくにプログラムコンポーネンツにおいては道理に合わないのです。

ジュニアの大会においては、もっとそうです。
ISUの専門家の誰が、今日ハーグのジュニアワールドのショートプログラムで滑った55人の年若い少女たちのそれぞれに
絶対的評価に基づいて正しい5つのコンポーネンツスコアをつけることが可能だと信じているでしょうか?

もしいるとしたら、お会いしてみたいです。

いい週末を

ソニア



※フィギュア死んだスレからいただいた。訳してくれたかた、本当にありがとうございます