織田オタ他sageの歴史
【05-06シーズン】
◆05全日本選手権
・織田のザヤック見逃しによる採点ミスの結果
織田の優勝が取り消され高橋大輔が優勝となったことを根に持ち高橋を叩き始める。
当日のやり直し表彰式で何も悪くない高橋を「織田君に謝れ!」と罵倒 (目撃者多数) 。
・採点ミスは高橋をトリノに行かせたい当時の強化部長城田憲子の陰謀に違いないと城田叩き
(仮に織田が優勝でもトリノ五輪代表は選考ポイントトップの高橋だったことはスルー)。
◆06世界選手権(カルガリー)
・兄弟子のジェフリー・バトルが6位織田が4位となったことで
当時のコーチ、リー・バーケルの1番弟子は織田であるとしてバトルを見下し
バーケルは織田を最優先して当たり前という態度を取るようになる。
【06-07シーズン 】
◆引退した本田武史が高橋のサブコーチになったことに対して
本田なんかがコーチになったらプラクティス・チャンピオンが移るとpgrする。
◆06N杯・全日本選手権
・織田に対する本田の解説が冷たいと実況で暴れる。
高橋の4Tが安定しだしたので前言を撤回。本田のアドバイスを欲しがり出す。
同年のCSスポーツブレイクで本田が「高橋のライバルである織田にジャンプを教えるつもりはない」
ときっぱり宣言したのも根に持つ。
◆07世界選手権(東京)
・織田SPでやらかして14位スタート。
同門のカナダ人バトルはSP2位、クリストファー・メイビーはSP7位と好スタート。
この結果にバーケルが「カナダにとって今日は良い日」と発言したことに対して
織田の結果を無視するバーケルは酷いと逆恨み。