■怠惰とゴマカシの女王・浅田真央が4年間をどうすごしてきたか
2005-06 大量増殖したマオタが「在日荒川の金メダルは八百長」と騒ぐ中、当の浅田は
悔しさいっぱい、荒川の名前は聞かれても口にせず、対抗心丸出しで「4回転を
フリーで跳ぶ」と宣言して乗り込んだジュニア世界選で格下と侮っていた韓国の
キム「ユナ」に惨敗。太田以来3年続いていた日本の王座を手放す。
主な敗因はこの年の規定ジャンプであったトリプルルッツに苦戦したこと。
何と4年前から弱点は露呈していたのにこの欠陥が4年後まで尾を引く。
キムヨナに惨敗後、話題逸らしに会見で「4回転サルコウを跳ぶ」と宣言。
このハッタリも以後の定番として今日に至っている。
2006-07 トリノ五輪メダリストの荒川、スル、コーエンの事実上引退によってシニアの
新世代としてスタートするも、初戦のスケートアメリカで安藤とマイズナーに完敗。
実際にはTESでさえマイアーにも負けていたのだが、謎のPCSでどうにか3位になり、
ファイナルへの可能性が残された。すでにこの頃から技術的欠陥を審判のPCSで
救われていたのが真央の実態だった。
続くNHK杯では地元八百長採点によって当時の世界最高得点を爆ageでマーク。
全日本でも爆ageで初優勝。これにより勘違いも増強、新年の抱負では「世界選手権で
220『点、』」などと大法螺を吹く。「国外でミスをして惨敗するが、国内では謎の加点で
優勝し、課題を手つかずのまま放置する」という悪癖がスタートする。
世界選手権ではSPのコンボで要素抜けを犯し最終グループ落ちは確実な状況だったが、
謎のシーズン最高PCSテンコ盛り得点でどうにか最終グループに残ることが出来た。
(これによりSPでは中野が7位となり被害者となる。)
フリーのトリプルアクセルでは明らかなツーフットなど威張れた演技ではなかったにも
関わらず、演技途中でガッツポーズ・演技直後には泣きべそと、後にマイズナーと安藤が
控えていたのに優勝したかのような勘違い振る舞い。けっきょく最終滑走の安藤がノーミス
演技で優勝するとインタビューまで拒絶して便所に篭る狂乱ぶりを見せる。
恥をさらした後で、キムヨナに負けた後と同じく「4回転ループ」宣言。