2009-10 オリンピックシーズン開始。キムヨナの007、安藤のレクイエム、鈴木のウエストサイドなど
勝負プロが確立する中、重厚な「鐘」の披露が期待されたが、すでに完全に跳べなくなった
ルッツ・サルコウを完全に捨てたため、トリプルアクセルを3回跳ばないとあとはジュニア以下の
低レベルになってしまうプログラムしか演じられなくなっていた。
シーズン開幕。しかし新プロはいずれもジャンプがガタガタでトウループ以外のジャンプは総崩れ、
アクセルも失敗続きで音楽表現もグダグダになり、見た誰もが言葉を失う惨状となった。
開幕と同時に日本で開催されたジャパンオープンでロシェットに完敗、GPシリーズの初戦エリック・
ボンパール杯ではキムヨナになんと36点差を付けられ惨敗、同じくGPシリーズの2戦目ロス
テレコム杯では安藤に完敗。2009世界選手権メダリストの3人との差が明確に現れた。
結局ファイナルに出場できず。マオタは「荒川とコース同じ。金メダルが見えた」などと強がったが、
4年前に荒川がレベルを上げるために世界中を駆け回っていた時期、真央はコーチもつけずに
中京にこもって独自練習を続ける。しかし着地転倒をしないことしか考えない練習で、踏切の
崩れをむしろ体にしみこませる悪癖を定着させてしまう。 しかもこの期に及んでもタラソワの
もとにアドバイスも仰ぎに行かず、マスコミには「タラソワがダブルブッキングした」「タラソワが
急病で倒れた」とその場しのぎの嘘を連発、ロシアの人間に「そんな事実はない」と否定される。
スケ連・スポンサーらがなんとしても代表に選出したい全日本選手権スタート。しかしここでも
トリプルアクセルの回転のインチキぶりを指摘される。しかし技術基礎点がノービスの子供にも
劣る11位だったにも関わらず、謎の超高得点PCSで無理やりトップに祭り上げられ、4連覇を
達成。連盟ぐるみの恥知らずなゴリ押しにもマスコミは「華麗な復活」「高密度の内容」などと
皮肉のような報道を続けた。しかし時期が落ち着くとあちこちで「スポンサーもホッ」「これでは
キムヨナには勝ち目はない」という報道が漏れてくる。