2007-08 「各要素の精度を上げる」という趣旨でルッツとフリップのエッジエラー厳格化がスタート。
世界女王・安藤、前世界女王・マイズナーらはエッジエラー対策に時間を割くため前半低迷。
しかしジャンプの基礎にもともと難のある山田門下・浅田はというと、なんと「エッジエラー
上等。減点できるものならして見やがれ」という放置・対立姿勢を強める。
ロシア杯でキム・ヨナが(シニア転向後、初めて)フリー・ノーミス演技を披露し、世界最高
得点をマーク。事実上のキム・ヨナ時代の幕を開ける。浅田はフルッツを姑息に利用し、
世界選手権では負傷したキムヨナのSP出遅れによってどうにかタナボタ世界女王へ。
しかしながらこの優勝は世界選手権での歴代最低得点という低レベルな優勝であり、
外国人選手たちから浅田の採点に疑問を呈される結果となった。
2008-09 「現役世界女王」として迎えたシーズンだったが、ますます成功がなくなってきたルッツを
とうとうフリーでは跳ばずに回避するという作戦に出る。
第二の祖国ともいえる韓国で行われたグランプリファイナルではキムの自爆によって再び
タナボタ優勝を得るも、四大陸選手権と世界選手権ではキムにフルボッコ。さらにロシェット、
安藤にもボコられとうとう台落ち。このころからすでに国際大会では勝てなくなってくる。
世界選手権後、お遊び大会である世界国別対抗戦で地元爆ageによって200点超をマーク。
この大会はジャパンマネーを対象としたお遊び大会であり、ほとんどのフィギュアファンから
相手にされないローカルイベントであったが、本人は有頂天となり天狗になるいつもの悪循環。
オフシーズンはジャンプの強制どころか、タラソワがつけるよう命じたジャンプコーチも拒絶、
コマーシャル撮影などにうつつを抜かし、芸術性追求の勉強もすっぽかす。