原作とミュージカル脚本は違う部分が多いけど
音楽がウェーバーなのだからその脚本で解釈するのが基本だと思うけどな
クリスティーヌが怪人の素顔を見るのは最初の夜だし
(クワドの後の顔撫でがその場面を暗示してるのかと解釈した)
シャンデリアが落ちる場面は順序的にサーキュラーに入るとこだけど
プログラムでは省略されている
5連ジャンプの音楽は怪人の自作オペラで
クリスティーヌと結ばれる計画のため時間をかけて用意したもの
(その間怪人は現れなかったのでオペラ座で仮面舞踏会を開けた)
上演しろと要求してスコアを渡すのがサーキュラーの仮面舞踏会の場面
ストレートラインの音楽はさらわれたクリスティーヌをラウルが追跡する場面
メインテーマは劇中そこかしこで何度も使われるが
最初のファンタジアからの旋律が怪人の登場を意味してるのは同意見
ステップの音楽は劇中でも最も緊迫する場面の編曲で違う解釈はむしろ難しい
最後に1幕終りのシャンデリア落ちの音楽を使っているけど
2幕終りの、オルゴールと同じ仮面舞踏会の旋律でしめるには時間がなく
やむなくそうしただけだと思う
そもそもガストン・ルルーの原作はゴシックホラーの色合いが強い怪奇小説だし。
何度も映画化されたけどほとんどがホラー要素が強くて怪人もジェイソン扱い。
そこに恋愛要素を濃く持ちこんだのがアンドリュー・ロイド・ウェーバーのミュージカルと映画。
あれを見てから原作読んだらあまりの違いに唖然とするよ。
原作の怪人はひきこもりでキモオタで犯罪者だしな
スレチだが
デ・パルマ監督のロック版「ファントム・オブ・パラダイス」もけっこう好きだ
顔の潰れっぷりはグロいけどw
怪人は、生まれつきのその奇怪な面相ゆえに、世間から忌み嫌われ蔑まれ、母親からさえも疎まれ、
ついには地下に潜って隠遁せざるを得なかった。
そんな彼にとって、地上の劇場から漏れ聞えてくる音楽は、もともとの音楽的才能をいっそう研ぎ澄まし、美への憧れを募らせるものだった。
その、純粋な美への執着がやがて、劇場を影から恐怖で支配する怪奇な力に変化してしまった。
・・・・という、怪人の哀しい生い立ちがまず前提にあるわけだよ。(ロイドウェーバー版)
そんな怪人の煩悶を表現しているのではないかと高橋の演技を見て思った。
仮面をはぎとるような振り付けから最後のslstあたり、醜い姿を自ら晒して絶望的な賭けに身をを投げ出す怪人の心の嵐、
という感じだった。
「この禍々しき怪物は地獄の業火に身を焼かれながら、それでも天国に憧れる」というセリフはウェーバー版だっけ?
金田一一?
サムソンとデリラ
ジェフリー・バトル0506FS安藤美姫0708SP
メリチャリ0809FD
など
旧約聖書の話をもとに簡単に説明します
サムソンの母はずっと子供が産まれず悩んでいました。ある日神から、あなたは子供をみごもったと啓示を受けた。それとともに三つの戒めを与えられた。その中の一つが髪の毛を剃ってはならぬというものであった。
神から言われた通り、サムソンの母はサムソンを産んだ。サムソンは怪力の持ち主でありその怪力は一部から目障りのものであった。
サムソンを嫌うもの達が絶世の美女デリラをサムソンの元に送り込み、サムソンを誘惑し弱点を見つけだそうとした
サムソンは初めはデリラの誘惑に耐えたが、結局自分の弱点をしゃべってしまった。「頭を剃られると非力になると」
その結果サムソンは頭を剃られ、監禁されてしまった。サムソンは自分を落としれた人達を憎み、髪の毛が少し生えた時に最後の力を振り絞り監禁されていた建物を破壊した
その結果彼をはめた物どもはサムソンもろとも建物の下敷きになった。
サムソンは自分の命を引換に復讐を果たしたのだ
この間の題名のない音楽会、仮面の解説おもしろかった。
知らず知らずに踊らされていく、巻きこまれていくっていうワルツの解釈いいなあ。
佐野さんの真央の選曲のコメントも良かったし。
協奏曲系でよくスケートに使われるのってなんだろう。
あ、ラフコン以外でw
メンデルスゾーンVN協奏曲、チャイコフスキーVN協奏曲/PN協奏曲1-2番、
黄河協奏曲、アランフェス協奏曲・・・あたりとか。
>>98 補足するとサムソンとデリラは民族が違うし宗教も違う
サムソンはヘブライ人でユダヤ教徒
デリラはペリシテ人でダゴン神を信仰している
サムソンは怪力で対立するペリシテ人からガザの街を奪還した英雄
デリラは強い復讐の決意でサムソンを陥れた
バトルが主に使ったデリラの歌部分「あなたの声に心は開く」は
巧みにサムソンを誘惑するデリラの偽りの愛の歌
安藤が使った有名な「バッカナール」は直訳すれば「バッコス(酒の神)の祭」で
一般的に邪教の非理性的で淫らなタイプの祭を指す言葉
ワーグナーのタンホイザーでは愛欲の女神ヴェヌス(ヴィーナス)の
宴の場面をバッカナールと称している
この作品ではサムソンの怪力が失われペリシテ人が再び勝利した喜びの宴の場
なお、デリラを歌うのはカルメンと同じメゾソプラノで
両方を得意にしているタイプの歌手はアグネス・バルツァを筆頭に多い
同じ悪女でも本能的で嘘のつけないカルメンと計画的で嘘のうまいデリラでは
全く違うキャラクターではあるのだが
オペラファンだとどうしても「キャラ被る」と感じがちかもしれない
>同じ悪女でも本能的で嘘のつけないカルメンと計画的で嘘のうまいデリラ
ヘぇ〜(AA略
たしかに納得。勉強になりました!
バッコスってギリシャ神話の神様だっけ。
きっと、カルメンもデリラも、本当の恋愛をしてる時は駆け引きな
んてできなくなるんだよ。
注:デリラはサムソンに1mmも恋していません。
そのへんは人によるからなあ
戦略に美貌を使われてばかりのデリラはほんとは誰かに本心に触れてほしかったんだとか
やたらロマンチックな解釈する人も居る
大筋が合ってれば登場人物の解釈は多様だよ
川原泉でサムソンとデリラを知ったから、実は恋してたデリラなんていうロマンチックな解釈の余地はなかったな。
そんなあなた個人のこと言われても…
サムデリはもとが旧約で、小説じゃないから細かな性格設定はないんだよ
ロマンスではないと考えるのが一般的だけど、実際はそこらへんの描写はないから
人それぞれの解釈があるもので、そのへんの自由度の高さも面白いところ
ペリシテ人の領主たちは彼女のところに上って来て言った。「サムソンをうまく言いくるめて、その怪力がどこに秘められているのか、
どうすれば彼を打ち負かし、縛り上げて苦しめることができるのか、探ってくれ。そうすれば、我々は一人一人お前に銀千百枚を与えよう。」
金のためにやったとしか読めない。
いやだからロマンスではないと考えるのが一般的だけど
デリラの本心がどこにあったかとあれこれ考える人も居るって話だから・・・
どの解釈が正しいとかなくて、あなたがそう読めるならそれがあなたにとっては正しい筋書きであるように
実はもっとロマンチックな女だったと思いたい人にあなたの解釈を押しつける権利はないんだよ
オペラとかもそうだけど、人格の解釈にある程度振れ幅があるのも魅力のひとつだから
川原泉のサムデリはものすごく聖書に忠実だと思うw
本来はサムソンの信仰の物語なわけだし
安藤さんとメリルのデリラだけ比べても全然性格が違いそうに見えるしね
こういうのは自分はこう思うとあれこれ話をするのが楽しいんじゃない?
古典だって現代映画ですごい解釈されたりするもんだし、そのあたりはゆるくいきませんか
もちろんオペラやスケートの作品はいろんな解釈があるのが楽しいと思うのね
安藤のはお姫さまとか言ってたけど、モロはどんな解釈をしたんだろうw
少なくともメリルデリラにはサムソンへの情があったように見えた
メリルのデリラはちょっとデリラに見えなかったなぁ
プロとしては素敵だったけど。
メリルのデリラは既存のデリライメージとはかけ離れてるのに
なぜか違和感を感じなかったw
チャーリーの暴走があまりにサムソンにハマっていて
キャラクターはどうあれちゃんとメリルが絶世の美女に見えてたからかな。デリラのメリルはほんと綺麗だった
それにサムソンが大暴れしてデリラが美しくて最後に共倒れするという
ものすごく大ざっぱなアウトラインには沿っていたよw
あれはひとえにチャーリーの暴走が役にハマりまくったことにあるのかなあw
曲のつなぎ方も上手かったけど。バッカナールの位置はほとんど反則だった
バトルのサムデリは音楽表現メインと言われてるけど、
デリラたん待ってよアハハウフフ→髪切られたアタフタ→髪生えたあー!→どんがらがっしゃん
ってちゃんとひととおり全部やってるところが律儀でいい
120 :
氷上の名無しさん@実況厳禁:2009/08/01(土) 14:10:11 ID:mmcrj++M0
キムヨナ08-09SP
カミーユ・サンサーンス「死の舞踏」
, - 、 オバケダゾー
ヽ/ 'A`)ノ . - 、
{ / 、('A` }ノ ヒャー
ヽj )_ノ
久しぶりに書き込みが!と思ってのぞいたら・・・。
和んだ。
「くるみ割り人形」のおとぎの国で
「中国の踊り」を踊ってるのは
中国人なのかおとぎの国の人なのか
>>123 あれはお茶の妖精ですよ。
ちなみにロシアの踊り(トレパーク)はチョコレートの妖精、
アラビアの踊りは蛇使いと蛇の踊りです。
>124
それ、どこのバレエ団のくるみ?
普通は、チョコレートはスペインの踊り、
アラビアの踊りはコーヒーの精のことが多いと思うけど。
男子スレで話題が出ていたので
死の舞踏
リスト作曲のものとサン=サーンス作曲のものがある
(それ以外の作曲家も作曲してるかもしれないが、有名なのはこの2つ)
リストのはTotentanz、サン=サーンスのはDanse macabreと表記されることが
多い
どちらもグレゴリオ聖歌の「怒りの日(Dies irae)」のメロディをモチーフにしている
・リスト
ピアノ独奏つき管弦楽曲 S.126
※S.はイギリスの作曲家サールが分類したサール番号
1849-59年頃作曲(何度か改訂している)、1865.4.15初演
これを編曲したもので
S.525 ピアノ独奏版
S.652 ピアノ用編曲版
がある
・サン=サーンス
交響詩 作品番号40
フランスの詩人アンリ・カザリスの詩『死の舞踏』をもとに1873年に作曲された歌曲、
1874年に交響詩として改作、1875.1.24初演
1876年にリストがピアノソロにアレンジ(S.555)←紛らわしい!
さらにこの編曲版にホロヴィッツが手を加えたものも存在する
「バイオリンを弾く死神」と「骨を鳴らして踊る骸骨」を表現するための
バイオリン独奏と木琴が印象的な曲
しかし発表当初は酷評を受け、のちに作曲した「動物の謝肉祭」(1886年)の
「化石」という曲で、この「死の舞踏」の一部を転用している
……というところまで調べた。詳しい人補足・訂正おながいw
127 :
氷上の名無しさん@実況厳禁:2009/11/17(火) 15:26:30 ID:VZ1eYfyZP
age
128 :
氷上の名無しさん@実況厳禁:2009/11/17(火) 17:55:22 ID:PFrzn2iAO
セルゲイ・ラフマニノフって、『ラフマリノフ』って呼び方もあるんですか?
私、今までラフマニノフをラフマリノフと読んだり書いたりする方を聞いたことも見たこともないんですけど、最近『ラフ・ファン』というスケオタさんが『ラフマリノフ』と表記してきたので、ものスゴく違和感を感じたんです。
ラフマニノフ、ですよね??
ラクマニノフとも言うよね。
黛敏郎は題名のない音楽会でよく「ラハマニノフ」って発音してた。
>>125 ディズニーのファンタジアじゃないかな?
>>1にもあるし、クロード・ドビュッシーの「月の光」行きます。長文なので注意!
ドビュッシーと言えば「月の光」を思い出す人も少なくないと思われるほどの有名な曲。
しかし、「月の光」とは「ベルガマスク組曲」のうちの一曲で、もともとは
第1曲:前奏曲 第2曲:メヌエット 第3曲:月の光 第4曲:パスピエ という構成の組曲です。
「ベルガマスク」の意味は諸説あるようですが、
一般的には詩人・ヴェルレーヌの詩の一節から採ったものと言われています。
(「月の光」という第3曲の表題も、ヴェルレーヌの詩の題から採った)
メヌエットとパスピエはいずれも伝統的なメヌエットやパスピエからは乖離した大胆な曲ですが、
どちらも舞曲(ダンスのための曲)です。
そんな中、第3曲の「月の光」だけが異色で、和音や8分音符を巧みに使い、
ピアノの音色だけで朧月の輝きを自在に表しています。
また、冒頭の主題がのちに再現されますが、その際に長調から単調に転調し、さらに1オクターブ上げることにより、
月が遠ざかったかのような時間の経過やもの悲しさも繊細に描いています。
(このへんも、いろいろな説があって一概には言えないのですが)「印象派」と言われるドビュッシーならではの
情景や時間の微妙な震えを表現する力、描写する力を感じられる一曲で、
それゆえ単独で演奏する、耳にする機会も圧倒的に多いのでしょう。
フィギュアスケートでは、ぱっと思い出すのは08-09シーズンの浅田真央選手のSPです。
ベルガマスク組曲の中でも異色のたゆたうような幻想的な旋律のこの曲は、
スピード感あふれるシャープなスケーティングというよりも、
どこか柔らかいスケーティングの浅田選手にぴったりの選曲だったように思います。
ただ、編曲が個人的には??? です。
5分ほどのピアノの原曲を通して聴いてみると、
静かに始まる主題→緩急をつけながらも徐々に強くなる月の光→主題の再現(月の光が遠ざかりまた静かになる)
という構成です。
SPで2分50秒に縮めなければいけなかったためか、音源がピアノ盤でないためか、
なんとなくぼんやりと流れていってしまうつかみどころのない曲、という印象を受けてしまいました。
原曲では、ピアノの細かい連打などによって緩急をつけることで、
静かで幻想的な曲を飽きさせず聴かせていますので、そのへんが少し損なわれたかもしれないな、と思います。
フィギュアの編曲っていうのは難しい。
余談ですが。
ヴェルレーヌの「月の光」の詩の一説に「masques et bergamasques(≒仮面仮装の人の群)」という単語が登場します。
上記のとおり「ベルガマスク組曲」とは、「masques(≒仮面)」と韻を踏むようにヴェルレーヌが使用した
「bergamasques」から採ったという説があります。
それを思うと、08-09シーズンの浅田選手がFSで使用したのが「『仮面』舞踏会」だったというのは不思議な縁のような気がします。
(さすがに、そこまで考えて……というようなことはないと思いますので)
長文失礼しました。こんなもので果たして需要はあったのか……
ちなみに音楽畑の人間ではないので、いろいろと間違っているかもしれませんが笑って許してやってください。
>>133 読みやすく、かつ面白かったです。
ありがとうございます。
原曲CDを探してきてじっくり聴いて、そのあとで真央SP月の光を聴いてみたくなりました。
適当なCDを探してみます。
アボットの使っているサン・サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」について
安藤が昨シーズン使って一躍有名になった曲
作曲者サン・サーンスは元々オルガニストであり演奏家としても名手
そういう意味でリストなどに共通する部分がある
全体は4つの部分からなり伝統的な4楽章形式の構成だが
サン・サーンスは前半の2部を1楽章、後半の2部を2楽章とし
1-1、1-2、2-1、2-2という楽章構成にしている
音楽展開自体に非伝統的なとこはないのだがそうする理由は
あえてあげるなら1-1楽章と2-1楽章にオルガンが登場しないことかもしれない
オルガンなしとオルガンありのパートを合わせて
1つの楽章と位置づけてるのかと思われる
安藤の構成は始めに2-1の速いスケルツォを持ってくる
その後に1-1の主題を繰り返し最後だけ2-2のフィナーレを使用
オルガンの入った部分はフィナーレだけだが
安藤のプロではフィナーレに自然に繋ぐための一工夫として
ステップ終盤から1-1の旋律にオルガンの和音をかさねる編曲を施している
アボットの使用しているのは1-1、1-2、1-1
中盤のスローパートが正しくオルガン付きの音楽となっている
この部分は現代のオルガニストたちが
「歴史上のオルガン付き交響曲の中で最も美しい楽章」というくらい
サン・サーンス作品の中でも屈指の名旋律
確かにインパクトは劇的な2-2に劣るし中でもおとなしめの部分ではあるのだが
1-2を使った作品を「オルガン抜き」などと揶揄するのは
実はとんでもない話なのである
135の解説にある
「歴史上のオルガン付き交響曲の中で最も美しい楽章」というくらい
サン・サーンス作品の中でも屈指の名旋律 について
スレチですがこの曲を使ったバレエ作品を紹介させてください。
ローラン・プティの「プルースト」です。
失われた時を求めてをイメージした作品でサン・サーンスの曲が
随所に用いられてますが、アボットFSの中盤のスローパートは、
主人公とその恋人の踊りに使われています。
恋人に対する無関心と嫉妬という相反する感情の間で揺れるなか、
眠っている恋人に、彼女の美しさと彼女への愛を感じる場面です。
バレエとしてはとっつきにくい観のある作品ですが
サン・サーンスのほか、ドビュッシー、フォーレ、フランクといった
フランス人作曲家をはじめ、ベートーベンの弦楽四重奏など
原作に関わる音楽が使われていて、それらを名曲アルバムとして
そのまま楽しむことができます。
また、作シーズン日本の女子選手(名前を失念しました)が
使用していたサン・サーンスのヴァイオリンとピアノのためのエレジーも
同曲のオーケストラバージョンと続けて使われいます。
うろ覚えなので使用曲はオーケストラバージョンの方かもしれません。
オルガン付き、って何か、狐憑き、みたいな禍々しい響きがある。
オル癌ってかw
日本語で考えなければおk
ガン付きって呼んでるオケもあるよw