ようやく、しおらしくなってきた韓国フィギュア127

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975ヨンヨ・ペイン歴史(途中整理)
ヨンよスレ17にあったまとめ

643 氷上の名無しさん   Mail : sage  2007/01/16(火) 18:37:15 ID:E0p0FT/60

とりあえずまとめといた

2004-05
・武田に負けたとき点数に不満を表しエキシ棄権。

・時を同じくして台頭してきた浅田真にJGPF、ジュニアワールド何れも敗れる。

・結果母親のスパルタ教育を促進させ、学校にもテストの日以外は通うことなく
 これを機に精神的にやばくなってくる。

・ブログの写真に「障害者みたいだ」というようなコメントを添付、ファンに指摘される。

2005-2006
・2005年11月のJGPFのときも膝や腰を痛めて2週間前までひどい状態で、11月のアジア
 選手権は代表だったのに放棄した。しかし、直後のJGPFでは平気な顔ででてきて優勝。
 このころから、小さい大会は「怪我のため」パスするようになる。

・JGPS完全制覇。このときの「日本人の鼻をへしおってやったわ」発言はあまりにも有名。

・浅田真のGPF優勝の感想として「こけろと思ったが優勝してしまった」と発言したことも
 あまりにも有名。

・ジュニアワールドにあたって、靴が合わないためケガをしているという情報が流れ出す
 が特に問題もなく2007年現在までの中でも最高の演技で優勝。

・ジュニアワールド優勝後、新規ファンとの交流を深め出すが、浅田真のルッツ・キムの
 フリップについて議論をしているとき「私のフリップだけは正常です」と発言し、これを
 契機に海外ボードで韓国人がフルッツの御旗を掲げ暴れまわり出す。

2006-07
・2006年10月のスケカナに出てくる前は、怪我で引退さえ考えていたと取材に答える。
 しかし、スケカナでもエリボンでも大活躍した。

・2006年12月GPFのときは時差ぼけや睡眠不足で2時間しか練習できなかったうえ、
 ひどい腰痛で痛み止めを打って出場した。それで優勝。

・2007年01月ヘルニアで韓国選手権は欠場するもワールド出場権は特例で獲得。

・2007年01月ユナママと朴コーチとの間で契約問題等での泥仕合
 切られた原因となる対立(引際が悪かっただけで主張はいたって正論)
  ・3A反対派だった。リスクが大きすぎる。
   GPF後「私は真央や安藤のような天才じゃないから無理」とユナが発言。
  ・試合ごとに怪我怪我と大騒ぎする戦略に反対した(やはり戦略だった)。
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  ・オーサーは経験不足で、ユナの負担を考えずプログラムを強引に変えようとするので、
   もっと経験のあるコーチがいいと考えていた。
・FSUにて今回の騒動を海外に暴露する韓国人が現れる。
・韓国ファンは国内海外の工作活動開始。朴コーチを脅して言論封鎖、ユナとユナママには
 全く非はないと宣伝。