川o゜_ゝ゜ エフゲニー・プルシェンコたん Part139

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731氷上の名無しさん
>>708のを訳すね。訂正いれます。>>729みたいな人は読まなくて結構。


2009年1月29日ユーロ後サンクトに戻ったミツン&プルインタビュー(動画あり)
ttp://www.tv100.ru/news/view/4846/

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Andrew Lutay と Katarina Gerboldtは、フィンランドのヘルシンキの氷の上で、
メダルがないままにユーロを終えた。このことはアレクセイ・ミーシンに
ある考えをもたらした。かつてヨーロッパ選手権で行われたものと
まったく異なるスケートが今や行われているということを。

プルシェンコ(五輪優勝者):みんな同じレベル。ロシアのリーダーがいない。
ロシアには、もはや突出した選手がいない。数年前には、ヤグディン、
自分がいてリーダーだった。だけど今は…いない。
今日のフィギュアスケートは面白くなくなった。四回転は少なくなった。
みんな同じ事をやるようになった。それはフィギュアスケートにとってはよくないことだが、
僕にとっては非常に幸いなことだね。
(註:復帰を考えているから、自分にとっては復帰しやすい状況だということだと思います。)

ミーシン(ソ連とロシアの優れたコーチ): Nikolai Alexandrovich Panin の頃は、
スペシャル・フィギュアというものが行われていました。選手たちは、氷の上に
ユリや薔薇を描いた。そして、ジャッジはそれを見るけれども、ユリと薔薇の
どれがよりよいものかを判定することは非常に困難だった。
そしてスペシャル・フィギュアは廃止され、選手たちはシンプルな2つ3つの
円を描くコンパルソリーが行われるようになった。そしてすべては公平になり、
審判もより客観的にそしてやりやすくなった。
(註:でもこのあと、コンパルソリーがつまらないものとして廃止されたことを
思い浮かべて続きを読んでください。)
現在は、ウルマノフ・ヤグディン・プルシェンコ、選手たちが創造性や
より輝くようにすばらしいことをしようと思ってするさまざまな個性に代わって、
とても限定されたものになってしまっている。競技のレベルも一定になり、
同じようなものになってしまっている。
思い出してみてほしい、我々はユリや薔薇を描くことから円を描くことへという変化を
通過してきた。新採点システムの本質は、フィギュアスケートを後戻りさせることでは
なかったはずだ、それはフィギュアスケートをより輝かしく、より面白いものに
するためだったはずだ。しかし、審判によりやりやすくすることは、
スポーツにとってよくないものになる」