フィギュアスケート☆キム・ヨナ Part35 ☆妖精☆

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83氷上の名無しさん
いつものまとめ張っときます
2006-07
・2006年10月のスケカナに出てくる前は、怪我で引退さえ考えていたと取材に答える。
 しかし、スケカナでもエリボンでも大活躍した。
・2006年12月GPFのときは時差ぼけや睡眠不足で2時間しか練習できなかったうえ、
 ひどい腰痛で痛み止めを打って出場した。それで優勝。
・2007年01月ヘルニアで韓国選手権は欠場するもワールド出場権は特例で獲得。
・2007年01月ユナママと朴コーチとの間で契約問題等での泥仕合
 切られた原因となる対立(引際が悪かっただけで主張はいたって正論)
  ・3A反対派だった。リスクが大きすぎる。
   GPF後「私は真央や安藤のような天才じゃないから無理」とユナが発言。
  ・試合ごとに怪我怪我と大騒ぎする戦略に反対した(やはり戦略だった)。
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  ・オーサーは経験不足で、ユナの負担を考えずプログラムを強引に変えようとするので、
   もっと経験のあるコーチがいいと考えていた。
・FSUにて今回の騒動を海外に暴露する韓国人が現れる。
・韓国ファンは国内海外の工作活動開始。朴コーチを脅して言論封鎖、ユナとユナママには
 全く非はないと宣伝。
・2007年02月履くつもりなんてさらさら無かったのに、日本の職人が作った靴が大きすぎる
 と宣伝。当然韓国世論は靴職人がわざとやったと大騒ぎ、ユナサイドの思い通りに事が運ぶ。
・2007年03月腰痛で練習不足を必死にアピールするが、その少ない練習時間ではGALA用の
 プログラムを練習、まさに取らぬ狸の皮算用。
・東京ワールド公式練習、転びまくりのグダグダ演技で腰痛をアピール、しかし本番前日には
 案の定腰痛がおさまりパーソナルベストのSPを披露。
・翌日FP、腰痛の演技に集中しすぎて体力不足であることをすっかり忘れていたのか2コケと
 コンボの跳びすぎで総合3位になる。
・優勝して鬼の首を取るつもりが3位になってしまったため単独でショーに呼ばれる可能性が
 激減、急遽一年も前の写真を持ち出し日本人と仲が良いことを強調、金魚の糞でもいいから
 出演料頂戴と必死にアピール。