フィギュアスケート☆キム・ヨナ Part35 ☆妖精☆

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82氷上の名無しさん
キムヨナは何人?朝鮮人
キムヨタは何人?朝鮮人

正論 平成17年 11月号
引揚民間人を襲った略奪・暴行・殺戮の嵐
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「満州や北朝鮮からの初期の脱出者は悲惨で、今も念頭を去らないいくつかの
エピソードがある。
 北朝鮮で農業を営んでいた老夫婦は、年頃の娘二人を連れ、辛苦のすえやっと
38度線近くの鉄原にたどりついた。そこで見たものは、日本人の娘達が次々にまず
ソ連兵に犯され、ついで朝鮮人の保安隊に引き渡されてさらに散々に辱められたう
え、虐殺されている光景であった。
       〜〜
「吉州や端川の海岸線にでた人たちに対するソ連兵や朝鮮保安隊の略奪と暴行は、
残酷をきわめた。
 夜中に雨戸を蹴破って侵入してきたソ連兵は、17になる娘を父親からひったくる
ように連行。娘は明け方になり無残な姿で、涙もかれはてて幽鬼のごとく帰ってき
たという。
 みなソ連兵を朝鮮人が案内したのだった。
 部落ごとの保安隊の関所では、厳重な身体検査が行われ、金や着物や米などが取
り上げられた。
 靴の底や、女の髪のなかから金を探し出すのはふつう。一糸まとわぬ姿にされ、
取調べられた若い女性もあった。城津での惨状は言語に絶した。
〜〜
朝鮮人の男女が数十人の団体でおしかけ、干してある洗濯物から赤児の着物まで
剥ぎ取って掠奪され、あげくは婦人の“提供”を要求されたという」   

博多港から車で40分ほどの二日市温泉郷につくられたのが、「二日市保養所」で
ある。強姦によって妊娠させられた女性たちには、堕胎手術が施された。また、
性病に感染した女性たちにについても、匿って回復するまで治療が行われた。
昭和21年の春、堕胎のための専門病院設立のきっかけになる出来事があった。
医療救護に従事していた医師・田中正四は、港で引揚船から降りてきた教え子と
再会した。
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京城女子師範を卒業して朝鮮北部の田舎の学校に赴任していた彼女は、進駐して
きたソ連兵に暴行されたのだ。しかも一度では済まず、相手も変わった。兵隊同士
が情報交換をしていて、部隊の移動のたびに新しい兵隊に襲われたのである。
救療部の関係者は悩んだあげく堕胎手術に踏み切った。
医療設備や技術の不備、そして何よりも、当時は堕胎を禁ずる法律があったからで
ある。しかし手術は失敗し、娘は命を落としたのである。
「二日市保養所」の産婦人科部長だった橋爪医師の証言が、「水子の譜」に収録さ
れている。同医師が昭和21年6月10日付で救療部に提出した報告書によれば、強姦の
加害者は朝鮮人が最も多く、次いでソ連人、中国人、アメリカ人、そして台湾人、
フィリピン人も登場する。        〜〜
中絶された胎児は、黄色人種もあれば、白人の子もいた。