フィギュアスケート☆キム・ヨナ Part35 ☆妖精☆

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32氷上の名無しさん
最初の拉致被害者とされているのが、福岡県の久米裕さん(当時52歳)。
 当時、日本に潜伏していた北朝鮮の工作員は、日本人に成りすまして工作活動を
するために、身寄りの無い日本人に戸籍謄本を取らせた上で、北朝鮮に拉致し、本
人になりすまして日本に入国する事を計画していた。北朝鮮の工作員は在日朝鮮人
に適任人材の紹介を要請した。そこで目をつけられたのが、久米裕さんだった。久
米さんは人付き合いが少なく、肉親とも疎遠であった。久米さんの友人の在日朝鮮
人は、久米さんに密貿易の商談を持ちかけたところ、久米さんは喜んで話しに乗っ
た。
 1977年9月19日夜、久米さんは在日朝鮮人と共に石川県宇能登町の海岸に
向かった。そこで、久米さんは北朝鮮の工作船に連れ込まれ、北朝鮮に拉致された。
 この事件は、拉致に協力した在日朝鮮人が、久米さんの拉致直後に公安に逮捕さ
れ、自供していることで全貌が明らかになった。
 しかし当時は、警察・検察ともに、北朝鮮がらみの事件が起こっても事を大きく
してはいけないような風潮があり、宇出津事件の処理にもそういった風潮が大きな
影響を与え、立件もされずに終わった。
 2002年9月17日の安否調査結果では、久米さんは北朝鮮に入国した記録が
ないと説明された。

原敕晃(はら・ただあき)さん 1980年6月
 原さんは大阪市内の中華料理店員だった(当時43歳)。
 身よりの無い原さんは、久米さんの場合と同じく、北朝鮮の工作員が日本人に成
りすまして工作活動をするために拉致された。
 辛光洙(シン・ガンス)という大物工作員は、大阪朝鮮商工会の会長に拉致対象
者の紹介を要請した。在日朝鮮人の会長は、自分が経営する中華料理店の店員であ
る原さんを対象者候補にした。
 1980年6月、理事長と辛、その協力者、金吉旭は良い就職先を斡旋すると原
さんを騙して宮崎県におびきだした。6月20日の夜、辛と金は原さんを青島海岸
に散歩に誘った。原さんは海岸で待ち受けていた4人の工作員により工作船に乗せ
られ、辛も同行して北朝鮮に連れ去られた。
 実際辛は、原さんに成りすまして日本に入り、韓国に対する工作を行っていた。
辛は1985年6月28日に韓国の安企部に逮捕され、その自供により、原さんが
北朝鮮によって拉致された事が判明した。
 2002年9月17日の安否調査結果によると、原さんは1984年に田口八重
子さんと結婚、1986年7月19日に肝硬変で亡くなったとされている。