フィギュアスケート☆浅田真央 Part74

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436○シカゴ・トリビューン訳1
http://www.chicagotribune.com/sports/
今更ですが>>143さんを受けてもっと硬めに訳してみました
勿論自信のないところもあるので、ツッコミ赤入れ叩き台にどうぞ〜
自分カタカナ多用が好きじゃないので字面硬いです。

フィリップ・ハーシュ
「氷の上も悪くないかもね」(niceとice)
-退屈なシーズンの見通しを明るくした日本の浅田、織田-

Published October 30, 2006
ハートフォード、コネチカット州 --
五輪の翌年と言えば、フィギュアスケートにとって大体低調な年と相場が決まっている。
今回も、当初は非常に精彩を欠いた大会になるのではと目されていた。
五輪の優勝者はいない。女子に至っては五輪のメダリストすらいない。男子の銅メダリスト、カナダのジェフリー・バトルは負傷中。
三回の全米優勝者ジョニー・ウィアーは冥王星にいるも同様、五輪決勝の銀河系溶解まではジョニーが定められていたはずのスケート競技惑星の非常なる高みから、すっかり離れている。

そしてポイント式の採点法規定は、競技会の最大の魅力的であるFSを、新式のコンパルソリーに変え続けている。

と言いながら、シーズン最初の競技会、スケートジャパ…おっとっと、スケートアメリカで起きたのは新鮮な驚きだった。
今季がどうなるか述べるにはあまりに早い。だが興味深い要素がいくつか、ハートフォード市民会館の三日間で浮上した。市民会館では日本人選手が男女シングルで優勝したのだ。
437○シカゴ・トリビューン訳2:2006/11/01(水) 20:48:14 ID:dVS2RRih0
浅田真央は間違いなく世界で一番才能のある選手だ。だからと言って名古屋出身の16歳のこの少女が、来年3月の世界選手権勝者になると決まったわけではない。

浅田は去年のGPFで優勝したかもしれない。けれども浅田はまだ安定した競争能力を養えていない。
そして浅田は次の日本開催のGPS(NHK杯)まで5週間も競技予定がないのだ。
「浅田はあらゆる選手のはるか先を行っている」と、スケートアメリカのSPを見たディック・バートンは語った。
その浅田は、完全に凡庸なLP付きのとんでもない試みに従った。彼女はLPを「残念」と評している。
結果浅田は、同郷の安藤美姫と、昨年度世界選手権優勝者でアメリカ選手のキミー・マイスナーに、最終順位で抜かれてしまった。

マイスナーには、国内に当面の競争相手はいない。2006年度の全米選手権でマイスナーに追随していたオリッピック出場選手のエミリー・ヒューズとケイティ・テイラーは、その差を縮めることが出来ていない。
アメリカのスケート界における次の大物は、身長4フィート9インチでたった13歳の、キャロライン・チャンだ。

ヒューズはSPをつっかえながらこなし、FSでは予定していた二つのジャンプを不恰好な立ち稽古に変えてしまった。
テイラーは2プログラムで3回轟沈(転倒)、11選手の最後尾が相応だった。ふたりとも、シニアレベルの能力と認められるものはなにひとつ持っていない。

安藤の、オリンピックでの惨憺たる結果(SP8位、FS16位)を含む2006年シーズンからの強力な復活は、マイスナーにとって、世界での順位付け等々を複雑にするものだった。

マイスナーは土曜日のLPではよく滑ったし、スピンやフットワークの基礎レベルは、全体的には安藤のそれと同等と認められた。
しかし日本人選手は技術点で膨大な優位性を積み上げた。安藤がおおむね冷静なジャンパーであったことには何の変わりもなかった。
安藤は(TES)70点台で勝利した/安藤は(PCS平均)7点近くで勝利した。(<-「7点近く」なので後者ですよね…?)

(エヴァンとアルバンは一旦飛ばします)
438氷上の名無しさん:2006/11/01(水) 20:48:52 ID:06dfMjQO0
ID:2zUA4gsx0もあぼ〜ん推奨です。芸スポ行けっていうの
今日は女子スレも真央スレも最悪だね
中身のある話が全く無い
439○シカゴ・トリビューン訳3:2006/11/01(水) 20:49:01 ID:dVS2RRih0

男子シングルで優勝した織田信成(2006年世界選手権4位)は、氷上では旋風、そして心和む爽やかな個性の持ち主だ。
「自分の成績に驚いています。そして勝てて嬉しいです」と、織田は笑みを絶やさず語った。「ジャンプ、スピン、ステップ、全部がうまくいきました」

スケート界の重鎮、バットンも、織田は浅田同様類まれな技術の持ち主だと頷く者の一人だ。
「私は真央と織田ほど滑らかさ、しなやかな優美さ、創造性、著しく厳しい技術要項をこなす集中的な運動能力を備えた選手を見たことがない」とバットンは言う。

浅田の場合、(演技の)部分部分が全体に勝ることは問題ではない。浅田のSPは、私(フィリップ・ハーシュ)が26年間この競技を見てきたなかでも最も偉大な演技のひとつに数えられる。

それは1956年五輪優勝者であるテンリー・オルブライトが、私に語ったことを思い出させる。彼女が初めて、1994年五輪勝者になる直前のオクサナ・バイウルを生で見た経験のことだ。

「あれこそ」オルブライトは言った。「私たちが夢見るスケートそのものだわ」

結局、まんざら魘されるような年にはならないかもしれない。