■ハングル板観察スレッド今日のハングル板■2

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815ボク板でみかけたコピペ
◆◆◆◆◆◆◆ 強制連行なんて無かった、ダマされた日本人 ◆◆◆◆◆◆◆◆

1974年の法務省編「在留外国人統計」によれば、在日韓国・朝鮮人の日本上陸は
日本政府が朝鮮人の来日を取締まっていた昭和10年までに渡来したものが全体の
53.7%と半分以上になる。

昭和11〜15年はまだ民間の自由募集の期間であり、次の16〜19年の中でも、国民
徴用令による徴集は19年の9月以降の僅か4ヵ月間であるから、単純に計算しても、
この期間に徴用された者は16〜19年間の1万4514人の12分の1、つまり1210人ほど
にすぎない。そこに次項「昭和20年9月1日以前」 の679名を加えた概算1889人ほど
が、真に徴用の名に値する在日朝鮮人だという事になる。仮に「官あっせん」を徴用
の概念の中に入れ、官あっせんが行われていた昭和17年2月〜19年8月の来日者の
推計数を全部加えても約1万1300人ほどである。従って、昭和20年8月終戦当時の在
日朝鮮人の全人口が約210万人ほどであったから、何れにしても当時の在日全体の
僅か0.5%以下にしかすぎない事になる。(2002年現在の在日人口は約63万人)

当然これは正式な徴用としての徴集であるし、日本人も全く同じ条件であった訳で、
それが強制連行などではなかった事など説明するまでもない。この推定は、昭和16
〜19年間の月間来日数を均等として考えたものであるが、実際には、関釜連絡船の
運航は終戦が近くなるにつれ次第に困難になりつつあったから、19年後半からの来
日徴用者は激減しているはずであり、どんなに徴用の概念を広く解釈しても、終戦
当時の在日全体の1%を超えるような事など有り得ないし、その僅かな徴用者達さえ
も実際には戦後まもなく帰国してしまった者がほとんどなのである。

更に、大正時代からの白丁などの被差別階級の大量の密航者や、朝鮮戦争時に
受け入れた大量の難民や密航者もこれに加えると、今残っているほぼ全ての在日が
徴用とは全く関係の無い、単に自主来日した人達ばかりであるという事が分かる。
1974年の法務省編「在留外国人統計」によれば、在日韓国・朝鮮人の日本上陸は
日本政府が朝鮮人の来日を取締まっていた昭和10年までに 渡来したものが全体の
53.7%と、半分以上になる。

昭和11〜15年はまだ民 間の自由募集の期間だし、次の昭和16〜19年の中でも、国民
徴用令による徴集は昭和19年の9月以降のわずか4ヵ月間であるから、
単純に計算すると、この期間に徴用されたものは昭和16〜19年間の1万4514人の12分の1、つまり1210人(全体 の1.46%)
にすぎないことになる。これに、次項「昭和20年9月1日以前」 の679名(0.8%)を加えた概算1889人(2.3%)ほど
が、真に強制連行の名に値する在日朝鮮人だということになる。かりに「官あっせん」を強制徴用
の概念の中に入れ、官あっせんが行われていた昭和17年2月〜19年8月来日者の
推計数を全部加えても、約1万1300人余(14%)にすぎない。
この推定は、昭和16〜19年間の月間 来日数を均等として考えたものであるが、
実際には、関釜連絡船の運航は終戦が近 くなるにつれ次第に困難になりつつあったから、
昭和19年後半の来日徴用者も減少し ているはずである。
すなわち、どんなに強制連行の概念を広く解釈しても10%を大 きく超えることはまずあるまい。
817 :02/01/13 09:58 ID:???
>>801
このスレの法則によって、貴方はハン板住人です。
818名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/13 10:06 ID:???
>1974年の法務省編「在留外国人統計」

これは恐らく、【1974年当時】日本にいた在日一世のうち、
8万人強について、日本に来た時期を聞いたものじゃないの?
そこから出てきた「約1万1300人」を、何故か上のコピペは
【終戦当時の】在日人口で割っている、、、、