五木裕之著「風の王国」

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1名無しさん@お腹いっぱい。
を昨晩読んで心を突き動かされました。
読まれた方、いらっしゃいますか?
2名無しさん@お腹すっぱい。:2001/01/31(水) 00:50
昔読んだような気がする。あれだろ、山エッタの話だろ?
いいこと教えてやろう。鳩山一族は今でこそ田園調布に棲んでる
けど、元々岡山県山間部のさんかの出身なんだ。
さんか、あなどるべからず。
3名無しさん@お腹すっぱい。:2001/01/31(水) 00:55
それと、おめえ、五木裕之って何か違うんじゃねえかあ?
もいっぺん、本の表紙見てみ。
4名無しさん@お腹でっかい。:2001/02/07(水) 19:34
沙羅仕上げ
5名無しさん@お腹いっぱい。:2001/02/07(水) 21:27
戒厳令の夜も読みなさい
6名無しさん@お腹いっぱい。:2001/02/09(金) 03:47
you
7>1:2001/04/03(火) 21:57
私はまだ未読です。どういうストーリーなのですか?
8名無ささん@お腹すっぱい。:2001/04/03(火) 22:37
>7
たぶん、文庫で出てるから、自分で買って読みなさい。
それと、>1が、可哀想だから揚げないように。
9三郎:2001/04/04(水) 01:41
 五木寛之『風の王国』新潮文庫について、昭和30年頃まで、「サンカ」と俗に呼ばれる人びとが山間部を移動しながら生活していたんですね。
 封建社会では、公権力による人口の「監視」というのが、緩かったんですね。
年貢なんかも隠し田なんかがあってアバウトでしかなかったし、東海道の箱根では
山賊が出た。伊勢参りの途中でも強姦が多かった。戸籍も同じで、幕府や藩や寺院が掌握していない人口がかなりあったんです。
 サンカはその一部なんですね。昭和になってからも少なくとも数万単位でいたようです。
多く見積もると数十万です。
 明治のはじめの「サンカ狩り」がこの小説に出てきます。堺県知事の税所というやつが、
二上山あたりで「サンカ狩り」をしたんですね。捕まったのはサンカだけでないんですが、
彼らが強制労働やらされているんです。しかし、明治になってからも、税金も払わず、
兵役の逃れ、学校に行かないサンカがずいぶんいたんです。
 戦後、三角寛のサンカ小説が流行るとか、ラジオで特集するとかで、ブームになったこともありました。わたしも、当時撮られたサンカのセブリ(テント)生活の写真を見たことがあります。
 小説は、野に下ったサンカが見えない相互扶助のネットワークを張り巡らしているという想定で話が進むんですが、上に書いた明治期の事件の話が出てくるわけです。
 同じ著者の『戒厳令の夜』(新潮文庫)は、さらに構想雄大ですが、サンカが出てくるのは、この本の下の部分です。つい2日ほど前、圧倒される思いで、読み終えました。
この本では、日本古代史が出てきます。柳田国男のサンカ(山人)論も批判されています。なお、『風の王国』も『戒厳令の夜』も、刊行された当時大評判で、すでに映画化されています。
 いずれも、「日本国家」について、考えさせる本です。 
10納豆食う:2001/04/04(水) 01:57
『戒厳令の夜』の外道って、サンカのことだったんですか。
11三郎:2001/04/04(水) 02:27
>10
「外道」とサンカ(シャンカ、ケンシ)とは違ったはずですよ。

 わたしが『風の王国』という本を知ったのは、
山田満という人が、統計学の論文の冒頭に引用していたからです。
人口統計ということでしょうか。本文は読まなかったんですが、
引用されている『風の王国』の内容に衝撃を受けてこの本を読みました。
 なお網野善彦や隆慶一郎と重なり合う内容だとも言えますね。
隆慶一郎『吉原御免状』(新潮文庫)は、わたしが読んだ小説で
一番面白いエンターテイメント小説です。
 五木氏の本については、下記でも書きましたので、なんなら読んでください。
http://www.megabbs.com/cgi-bin/readres.cgi?bo=sisou&vi=984800504
12名無しさん@お腹いっぱい。:2001/04/04(水) 02:44
 宮崎駿夫は、サンカの家系の人だと聞きました。
1310:2001/04/04(水) 03:28
『戒厳令の夜』は映画しか見てません。
映画は、いまいちでしたが、原作は面白そうですね。

megabbsのスレ、これから読んできます。
14名無しさん@お腹すっぱい。:2001/04/04(水) 04:08
ぢゃあ、サンカの講釈を少し垂れよう。

「山窩」とも「山家」とも「散家」とも書くが文字も語源も不明だ。
彼等は自分達の仲間を「ショケンシ」「ケンシ」「ケンタ」等呼んだが
これは「世間師」の訛りだろう。彼等は、漂泊放浪の民で、生涯旅に暮らし
見聞を広め人生の種々相を体験する。それを「世間をする」という。
まあ、日本のジプシーだな。

サンカ研究の第一人者は、やはり「山窩物語」を書いた三角寛で有ろうが
戦前にサンカの中に入って研究した民俗学者の後藤興善の説とは少し異なる。
後藤興善の研究の方が、古いだけによりサンカの実態に近いと思われる。
三角と後藤の1番大きな違いは、親分が有るか無いか、だと思う。
三角は、約1千年前の一条天皇の御代に発祥した、丹波の「乱破道宗」を最頂点の
統率者とするピラミッド型の階級制全国組織を持つと言い、後藤はショケンシの
中でも、伝統正しい正真正銘のサンカ「ヤコモン」は親分の存在を否定すると言う。
サンカの生活のモットーは「メンメシノギ」で有る。
「メンメシノギ」とは、誰にも支配されず誰の干渉も受けず、各自が独裁独立自由の
生活をしながら、サンカ仲間の一員として義理を護り、連絡連係を保つ、彼等の生活の
根本を表わしている。つまり、放浪のアナーキストで有る。

面倒になってきた。もう止めよう。

1つ書いておこう。名字に「鳥類」の文字が入ってる日本人は、
どこかで「トケコミ」したサンカの家系である可能性が高い。
(全部ぢゃ無いぞ。先祖の出身地の関連も有る。可能性が高いだけ)
15名無しさん@お腹いっぱい。:2001/04/04(水) 09:52
司馬遼太郎の『風の武士』もサンカのことを取り扱ってなかった?
16名無しさん:2001/04/04(水) 12:57
『日刊ゲンダイ』の記者の二木さんも、サンカ出身の家庭に
生まれた人だと言うことを聞いたことがある。
 
17三郎:2001/04/04(水) 13:15
 サンカは「アウトサイダー」(外部の存在者)です。
これに対して、被差別部落民は、「アウトサイダー」ではありません。
被差別部落民は、身分制秩序にがっちりと組み込まれていたわけで、戸籍も持っていました。お寺の過去帳にも名前が載っています。彼らは「共同体」の秩序の内部に存在する非自由民だったのです。
 しかし、サンカは「共同体」の外部に生きる「アウトサイダー」であり、自由民です。被差別部落民による朝鮮人差別は近ごろよく指摘されるようになりましたが、
サンカはそういうこと(日本帝国主義のアジア侵略)と無関係な存在です。
 五木寛之『戒厳令の夜』によると、サンカは列島先住民(彼ら自身が太古の昔に列島に移住してきた可能性が高いのですが)の一部であり、外部からの侵略勢力によって、山間部に
駆逐された人びとであった。その侵略勢力は数波に及ぶわけだが、その一つが「天皇」族による侵略であったわけです。
 サンカは「山人」ですが、『戒厳令の夜』には「海人」も出てきます。この本の末尾には、古代史やサンカ関連の参考文献があがっています。去年、三角寛の著作集の刊行が始まりました。数年前まで、季刊だったでしょうか『マージナル』という雑誌が出ていて、サンカのことがよく出ていました。わたしはこの雑誌でサンカの写真とインタヴューに接しました。
昭和になってからも、国家のテリトリーの内部にありながらも、政治的、経済的、精神的にはその外部に
存在した人びとがいたことには、多くの人がロマンを感じるのには、十分理由があると思います。
18名無しさん@お腹すっぱい。:2001/04/05(木) 21:37
>三郎
「共同体」という表現は問題が有る。サンカはサンカの強固な「共同体」を
形成していた。サンカにはサンカの道徳も秩序も有る。
彼等の掟は「ヤエガキ」とか「ハタムラ」と呼ばれている。掟に反した者は
「ウメガイ」でぶっすり殺したそうだ。

サンカは「国つ神」の子孫とも、大和朝廷に滅ぼされた「土蜘蛛」の子孫とも
言われているが、元来、出雲で製鉄に従事していた連中が、サンカの日本に於ける
祖で有る。サンカ伝承によれば、出雲のサンカの多くは、砂鉄を鍛えた鉄剣を持ち
神武東征のお供をして、朝廷成立前には全国を平定し知事を置いたと言う。
朝廷成立後、彼等は拠点を丹波に移した。三角の「乱破道宗」(オオヤゾウと呼ぶ)は、
一条天皇の正暦年間に、当時の関白道隆が妾腹の子「道宗」を丹波の山奥に捨て、
彼とその家来が、丹波に移っていた出雲族の「みづくり」(蓑作り)と密接な関係を持ち
やがて「蓑作り」の長になる話だ。

穢多とサンカは、元来別物だが、家康が「弾」家当主を「初代弾左衛門」として、
関東二十八座の支配権を弾家に戻した当時、二十八座の中の十三座は、明らかにサンカ職業で有る。
サンカの「トケコミ」や「イツキ」「ヂツキ」の者は、江戸時代に既に穢多と同化している事は明らかだ。
現時点で、サンカと穢多を殊更違うと強調するのは無意味だ。

現在「部落差別」と呼ばれる「身分差別」は、もともと「職業差別」で有る。
職業による「区別」は、当然古来より存在するが、一定の職業に従事する者を
殊更貶める「差別」は、日本の思想では無い。
これは、ヒンズー教のカースト制が仏教にに混入して、日本に輸入されたものである。
カースト制の更に下に置かれるアウト・カーストを「チャンダーラ」と言うが、
これを日本仏教では「旃陀羅(せんだら)」と呼んだ。平安時代には「屠者」と訳した。
「旃陀羅」の職業を定義し「穢れ多き者」として「差別」を定着させたのは、
「浄土真宗」で有る。室町時代、真宗は宗勢拡大のため「旃陀羅」でも仏にすがれば
成仏出来る、として、全国に「穢れ寺」を広めた。「旃陀羅」の職業で有る「連寂衆」の中にも
元来サンカの稼業で有る「山守」「渡し守」「弦指し」などが認められる。
まあ、「差別」を定着させた張本人が、自分の管理する身分帳に載せるのは当然だろう。

浄土真宗の教えに「旃陀羅」とは「さんか(三家)」なり、と有り(三家の末孫が連寂衆)
「三家」を「燕丹(えんたん)」と呼ぶ、と規定されている。判ると思うが「燕丹」は
「穢多」の語源で有る。「連寂衆」の中には「癩者」が含まれている。
「らい病患者」も「燕丹」なわけだが、前回示した後藤興善の研究に、「ショケンシ」の中に
「ヤコモン」と「ラコ」が有る、と述べられている。
「ヤコモン」は由緒正しいサンカの事だが、「ラコ」とは「らい病患者」を中心とする
「身体障害者」が多く含まれる後天的「ショケンシ」の事だそうだ。
サンカは、捨てられた「らい病患者」を哀れみ、彼等の「セブリ(キャンプ)」に
置いて、よくいたわったそうだ。
室町時代にさえ、サンカと穢多の部分的同一化が窺える。

ああ、面倒になったから止める。

>三郎
五木寛之は、フィクションライターだという事を忘れるなよ。
鵜呑みにしてると、恥かくぞ。
19名無しさん@お腹すっぱい。:2001/04/05(木) 21:52
ああ、書き忘れたが「ウメガイ」というのは、
サンカ独特の武器で、両刃の直刀の事。
「アメノムラクモノツルギ」を模して作られている。
20三郎:2001/04/05(木) 23:51
>18
 勉強になりました。
21名無しさん@お腹いっぱい。
70年代のアカの置土産ともいふべき「原住民史観」によつて
サンカ/アイヌ/蝦夷=原住民=出雲 /国津神=縄文人
      大和朝廷=侵略者=高天原/天津神=弥生人
といふ図式が作られた。
こんなのは冷戦下での第三世界論(左翼のアジア解放論)のもじりで、
初期には政治的プロパガンダであることが意識されてゐたのだが、
今は古代のロマンを売る通俗本のネタになるだけ。
これで歴史がわかったなどとは思考停止も甚だしい。
たんじゅんな二項対立で世界が理解できるなら、学問はいらぬ。
階級闘争史観で十分、といふことだ。