1 :
名無しさん:
についてのスレッドです。
2 :
低学歴なので:2000/02/05(土) 04:48
よくわからないんだな。
3 :
名無しさん:2000/02/05(土) 04:48
宮台ってリベラルとポストモダニズムをいっしょに唱えているが、
これは相容れないものではないか。
その点、浅田は、ポストモダニズムを趣味世界に限る所がお利口。
そうは言ってもポストモダンなんて80年代の遺物だわな。
会社にごろごろいる30代バブリーマンみたいなもんだ。
4 :
ポストモダンと言えば、:2000/02/05(土) 04:51
昨日古本屋で「金魂巻」を30円で買った。
5 :
浅田は:2000/02/05(土) 08:07
「この国はまだ共和制にすらなっていないのだ」とか
この前の文春で言ってたが、「まだ『モダン』にすらなってない」って
こと?
実はポストモダニズムの書は殆ど読んでないんで
わからないことばかり。
浅田は反天皇だが、蓮見重彦は東大を訪問した
天皇陛下に頭下げて色々解説してたし。
6 :
名無しさん:2000/02/05(土) 10:10
なんか5以外は雑誌とかの受け売りっぽいよな。
なんで現実の政治の話と思想の話を絡めて文を書ける奴がいない
わけ?
「思想」業界の専門用語をただ解説するとか、業界人の動向を書く
だけだよね。
7 :
>6:2000/02/05(土) 10:22
ポストモダンで政治を見るならば、「現実の政治」と「思想」を
分けることはできないと思うんだが。メタレベルで何を見るか決
めてしまっているのなら、現実もそのレンズを通して歪んだもの
にしかならないしね。
8 :
フーコーだろ。:2000/02/05(土) 12:41
やっぱ。
9 :
名無しさん:2000/02/05(土) 14:29
俺の厨房レヴェルの頭脳で理解したところをすげえ簡単に言うと、
浅田は80年代には近代批判してたんだけど、
実は日本は近代化すらしてないんじゃないかと思うようになったと。
だからこそ、「現代思想」的なお戯れは東くんに譲って、
割と現実的な政治経済の問題に関心をシフトさせていったと。
そういうことでよろしいのだろうか。>all
10 :
>5:2000/02/05(土) 19:56
浅田飴がなんとお言おうと日本は、「共和制」にも「モダン」にもならねえよ。
大体共和制ったってお隣の「共和国」みたいじゃあね。
11 :
名無しさん:2000/02/06(日) 10:59
Q フーコーについて何か知ってますか
ここの板の右翼「振り子?」
ここの板の左翼「監獄の…なんだっけ?」
12 :
かいと:2000/02/06(日) 11:56
ポスト・モダニズムと政治思想の関係で言うと、
マルクス主義の後を襲うもの(批判者ないし批判的継承者)として
登場したのがポスト・モダニズムである、という点が重要なのでしょう。
直接的にはパリ5月革命の余波として登場してきます。
以前に別スレッドでも書きましたが、発端はフランス共産党知識人、
ルイ・アルチュセールの<認識論的切断>(後期マルクス評価)から。
ミシェル・フーコーはその弟子です。
13 :
名無しさん:2000/02/06(日) 12:10
14 :
名無しさん:2000/02/06(日) 12:29
「フーコーの振り子」のフーコーは、ミシェル=フーコーとは違うだろ。
15 :
14>11:2000/02/06(日) 12:33
ああ、ごめん。ネタだったな。
16 :
名無しさん:2000/02/06(日) 12:36
なんだ、ポストモダニズムって?
あと300年以上は近代資本主義社会だよ!!!
17 :
名無しさん:2000/02/06(日) 16:07
▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼高級スレッド▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼
本スレッドは、その論理性、内容、程度の高さにより
高級スレッドであると認定いたします。
△▲△▲△▲△▲△▲△▲△▲△▲△▲△▲△▲△▲△▲△▲
18 :
>17:2000/02/06(日) 16:09
???どこがやねん???中身のある話ほとんどしてないぞ。
19 :
阪京:2000/02/06(日) 16:29
>18
こういうのをお里が知れると言うんや。アカキティくんは、自己の信仰
を絶対視してるから、自家撞着が目にあまる。
アカキティくん=ちんここすりくん
とでもいうべきやな。
20 :
>19:2000/02/06(日) 16:48
反共さあん、18のカキコのどこから俺が「アカキティ」だって
判断したわけ?
じゃあ聞くけど、このスレッドの成果ってなんなの?
ほんと中身ないじゃん。気持ち悪いレッテル張りはよしてよ。
21 :
阪京:2000/02/06(日) 16:55
>20
すんまへん。17でしたわ。
18に呼びかけたつもり。
了解。こちらが早とちりでした。
23 :
かいと:2000/02/06(日) 20:37
ところで、ポスト・モダニズムと政治思想について、
何を書けばいいのですか?
24 :
ネタだし君:2000/02/06(日) 20:45
じゃあねえ。80年代のニューアカばやりとその失墜の意味について、
まずどなたか語ってください。
25 :
名無しさん:2000/02/07(月) 21:47
あげ
26 :
>24:2000/02/07(月) 21:51
すべてバブルだったのよ。
それにしても宮台って本当は、ニューアカの頃出たかったんだろうな。
今じゃ、周回遅れのニューアカオヤジ。ガキ供騙して信者づくり。
見苦しいね。
27 :
>26:2000/02/07(月) 21:53
是非とも貴方の宮台の言説に関する具体的な批判をお聞きしたいが
無理かな?(笑)
28 :
名無しさん:2000/02/07(月) 21:59
よしりんが宮台氏ねって言ってるから
ぽっくんも宮台嫌いぶぁいってのはナシね。
29 :
>27:2000/02/07(月) 22:07
さっそく信者が出現したな。
別に具体的に批判するほどあのオヤジ大したことい
ってねえんだろ。まあ、浅田が言ってたことに「自
己決定権」を付け加えて社会学で薄化粧しただけの
ことだ。
どどのつまり、時代遅れの中年オヤジだ。
30 :
名無しさん:2000/02/07(月) 22:14
どうして宮台が受けているのか、誰か俺に教えてくれ!!!!!
さっぱりワカラン!!!!!
31 :
>30:2000/02/07(月) 22:22
奴の本ネタの浅田その他なんて読んですぐに分からんだろう。
奴の本は中学生でも分かるから受けてるだけだよ。
32 :
かいと:2000/02/07(月) 22:37
(日本型の)ポスト・モダニズムないしニューアカデミズムとは、
つまるところフォーディズムに代表されるハイアラーキーな
システムが牽引した大量生産主義の時代から、
多様な消費と流通のスタイルが乱立する成熟した消費社会へと日本社会が
転換していくというあの時代の状況に対応するものだったと思います。
彼らが盛んに述べていた「リゾーム状況」とは、現在のような消費と流通の多様性、
ミニコミュニティの林立する状況を予見するものだったわけです。
しかしながら、それでもやはり「近代」は終わらなかったわけで、
彼らの問題は、彼らが捉えた「近代」が、極めて近視眼的で、
生産主義やフォーディズムあたりをモダニズムの本体だと
見誤ってしまったということでしょうね。
33 :
名無しさん:2000/02/07(月) 22:40
>多様な消費と流通のスタイルが乱立する成熟した消費社会へと日本社会が
転換していくというあの時代
が完全に終わってしまった90年代に勘違い中年オヤジ宮台の存在は全く不要だ。
34 :
名無しさん:2000/02/07(月) 22:53
>浅田が言ってたことに「自己決定権」を付け加えて社会学で
>薄化粧しただけのことだ。
そして、そんな薄っぺらい論理にいともたやすく打ち負かされてしまった
哀れなる保守論客の皆さんは、首を括るしかないでしょう。
信者信者と大騒ぎするのならば、信者に向かってどこが間違っているか
理論的に説明するべきじゃないのかな?
特に貴方のお嫌いな、宮台教徒は幸いにも一般教養レベル程度の知能は
あるみたいだし、小林教徒とは違って、ちゃんと説明すれば理解する能力は
あるでしょうから。
35 :
名無しさん:2000/02/07(月) 22:54
>が完全に終わってしまった90年代に勘違い中年オヤジ宮台の存在は全く不要だ。
90年代がどう展開しどう終わったか説明せよ
36 :
名無しさん:2000/02/07(月) 23:03
宮台否定論が結局の所、空虚な感情論と論拠を格紋切り型の言説で
終わっている限り、宮台の優位は続くだろう。
37 :
名無しさん:2000/02/07(月) 23:04
>そんな薄っぺらい論理にいともたやすく打ち負かされてしまった哀れなる保守論客
そんなことは初耳だな。信者には妄想が見えるのかね。
サヨク全滅時代の繰り上げ当選宮台如きと比べるなんて保守論客に失礼だぜ。
38 :
名無しさん:2000/02/07(月) 23:09
>空虚な感情論と論拠を格紋切り型の言説で終わっている
のはワンパターンな宮台の思想(思想なんてもんじゃないか)だよ。
よって、ワンパターンにはワンパターンに反論するだけ。
39 :
名無しさん:2000/02/07(月) 23:12
結局、負け犬の遠吠えだな。
具体的な事は何一つ言えないようだ(笑)
40 :
かいと:2000/02/07(月) 23:14
宮台さんは社会学というよりも、「権力の予期理論」に見られるように、
ローカルな行動ゲーム理論がその中核で、
社会学としての全体性をまだもっていないような気がします。
しかしながらそれゆえに自我論に即座に切り込める足の軽さがあります。
社会から個人まで、繋いでいこうと思えば相当に精緻でコストのかかる
研究の必要な現代にあっては、他の理論よりも有利であることは間違いないでしょうね。
宮台さんへの批判点は別スレッドにも以前に書きましたが、
全体性としての「生産論」と「執権論」を欠いている、というところだと思いますが。
41 :
>35:2000/02/07(月) 23:17
信者の頭の中ではバブルが続いているらしいな。
42 :
答えろ!バカ!:2000/02/07(月) 23:45
質問に答えろ低脳!
43 :
>40:2000/02/07(月) 23:55
宮台くんは、ルーマン社会学(社会システム論)に関してはちゃんと
修行したと思うよ。社会システム論は、ルーマン自身が、あらゆる社会
現象を説明できる一般的普遍的理論を目指しただけあって、全体性を
欠いてるという事はないと思うんだけど。
あと、宮台くん自身、いまは理論的問題にあんまり関心ないんじゃないの?
象牙の塔に篭って社会学してる学者サンたちを馬鹿にしてるみたいだし。
いったん彼の<場>(つまり渋谷、郊外のテレクラ、etc)に身を埋めて、
それから自分の社会学を作って行こうとしてるんじゃないかな。
44 :
名無しさん:2000/02/08(火) 00:24
宮台>>>>>>>>『発言者』系保守>>>>>自由主義史観系
小室直樹氏の評価:宮台真司博士>>>>>>>>>その他(左右両翼)
45 :
おいおい:2000/02/08(火) 00:41
>44
レッテル張りはもういいから中身のある話をしようぜ!
46 :
宮台氏の評価:2000/02/08(火) 01:47
小学生>>>>>>>>>>>>>バカ論壇保守
47 :
>43:2000/02/08(火) 01:51
学界の「引きこもり」よりはいいわな。
48 :
かいと:2000/02/08(火) 01:52
>43
なるほど…そうなんですか。
ただ、確か宮台さん自身が「枢軸国的理論」だとして、
体系的全体性を回避する自身の理論の限定性を述べた
くだりがあったと思うのですが…。
49 :
↑:2000/02/08(火) 02:42
>ただ、確か宮台さん自身が「枢軸国的理論」だとして、
>体系的全体性を回避する自身の理論の限定性を述べた
>くだりがあったと思うのですが…。
いやはや、それは知らなんだ。
なんか、宮台氏って愛国者だなあ(笑)。
僕なんか「あれもこれも」のヨーロッパ的な壮大な理論に憧れちゃうけど。
50 :
日本なんかどうでもいい:2000/02/08(火) 05:02
本場ではどうなのよ???
51 :
名無しさん:2000/02/08(火) 05:05
>本場ではどうなのよ???
ソーカル事件くらいしか知らない俺は思想弱者なんだろうね。
52 :
>50、51:2000/02/08(火) 05:16
おフランスの現代思想はソーカル事件で大ダメージ、なんですって?
こつこつハーバマス読んできて良かったあ、なんて思ってる人も
いるんでしょうね。
53 :
>52:2000/02/08(火) 05:29
ソーカル論文って訳されてるんですか?
昔読んだら(英訳版)さっぱり分かりませんでした(笑)
まあ俺バリバリの文系ですし。
物理の専門家級の知り合いに読んでもらって物理面のデタラメを検証
してもらおうとしたら、「哲学は勘弁して下さい」と読んでくれませ
んでした。
英語力は英文で学術論文を書くレベルでも、思想アレルギーのある人
は多いですね。
ちなみにその人は思想的には右です。
よしりんファンじゃありませんけど。
54 :
52ではないが:2000/02/08(火) 06:24
55 :
名無しさん:2000/02/08(火) 10:45
しかし、「枢軸国的理論」はやめて欲しいな。SF映画なみの単純な頭してるんだろうなこいつ。>43
ところで奴が信者に受けているのは、社会学云々じゃなくてポストモダン的物言いに80年代の思想を
知らないガキが騙されているってことじゃないのかね。
80年代知ってるオトナは2番煎じなんてアホらしくて読まないわな。
56 :
名無しさん:2000/02/08(火) 13:08
若い奴らの中の高偏差値の連中が80年代ニューアカデミズムに
憧れを抱いて(あのころは頭の良い人間がデカイ面出来たけど、
いまじゃドキュンの方がデカイ面してるもんな)宮台とかに
流れてるんじゃないのか?
57 :
名無しさん:2000/02/08(火) 13:17
奴(宮台)は、「枢軸国的理論云々」とか言っとるが、敗戦で意味がなくなった
世界で強度を求めた連中がナチじゃないかね。そういう意味であの手の民族主義
ってのは、ポストモダン的状況から生まれるような気がするな。
この辺どう考えてるのかな。
58 :
あ:2000/02/08(火) 16:23
げ
59 :
宮台が:2000/02/08(火) 17:51
80年代ポストモダン焼き直しで、オトナにとっては恥ずかしい
といっても、彼の近代主義者的な理論と行動を全然本質的に
批判できていないのがこの国の論壇のレベルの低さ。
60 :
>59:2000/02/08(火) 18:09
>彼の近代主義者的な理論と行動を全然本質的に批判できていない
おいおい、近代主義者なんていくらでもいるぜ。浅田だって政治的
にはもう「モダン」なんだよ。今更耳にできたタコにカビが生える
ような「近代主義者的な理論」なんて聞きたくないね。
61 :
>60:2000/02/08(火) 18:13
ようは単なる感情論か。保守論壇も今更の似たようなことを
言っている奴は多いと思うが。
62 :
>61:2000/02/08(火) 18:18
つまるところ、宮台はダメ保守並みの時代遅れってことよ。
63 :
>62:2000/02/08(火) 18:51
また、なにが時代遅れか具体的に言えてないな。
女子供の感情論か。
64 :
山岡史郎:2000/02/08(火) 19:06
モダン焼きって美味しいよね。
65 :
>62:2000/02/08(火) 19:17
紋切り型の決まり文句で罵倒することによってしか
反論できない哀れさ。
実はこの人宮台の本なんて一冊も読んでないんじゃないの?
66 :
名無しさん:2000/02/08(火) 19:24
ちょっと見ないうちに信者がうようよ出現しとる。
>65
宮台は、一応ほとんど読んでるぜ。読んで分かったことは、
この男は、どの本でもガキが分かるような「紋切り型の決
まり文句」しかいってないってことよ。
>63
つまり、宮台は、80年代はやったポストモダン言説のパクリ
(或いはパロディ)ってこと。
67 :
名無しさん:2000/02/08(火) 19:26
あいつの本なんか読まなくても
顔見りゃ充分じゃないか・・・気持ち悪い。
68 :
名無しさん:2000/02/08(火) 19:34
モダン焼きと回転焼きはどう違うの
69 :
名無しさん:2000/02/08(火) 19:35
>「紋切り型の決まり文句」
例をあげて欲しいな
ついでに「紋切り型の決まり文句」=「常識」
すら理解していないおバカさん達がウヨウヨしている
ことについてもコメントを。
70 :
名無しさん:2000/02/08(火) 19:40
よしりんが悪いって言ってるから悪者なんだ!
よしりんマンセー。
71 :
>69:2000/02/08(火) 19:42
>「紋切り型の決まり文句」=「常識」
う〜む。信者には、宮台教祖のお言葉が「常識」に見えるらしい。
ライフスペースの「定説」を笑えんな。
72 :
名無しさん:2000/02/08(火) 19:44
内容について全く触れず、感情論だけでスレッドが続いてるなぁ
73 :
傍観者:2000/02/08(火) 19:46
プレモダン<モダン<ポストモダン<現在
保守論壇<宮台<浅田<(誰?)
と言うことでよろしいですか?>両派
74 :
名無しさん:2000/02/08(火) 19:47
宮台真理教・・・信者数不明 若年層の馬鹿に信者が多い
教典「終わり無き日常」―― 文系大学生の一般教養本の寄せ集め
教祖の説教 得意げに何かを言い切って見せる
教祖のテレビでの際立った露出で信者を増やした
立教の地 都立大の研究室
信者獲得手段 メディアを使った
教祖は女子高校生にめっぽう弱い
75 :
名無しさん:2000/02/08(火) 19:49
文系大学生の一般教養本の寄せ集めレベルには達しているんだから
小林真理教よりは100倍マシだな。
76 :
名無しさん:2000/02/08(火) 19:50
是非とも具体的な例を交えて、彼の言説を批判して頂きたいのだが
何故にだれもそれをやらない?
揚げ足取りと感情論ばっか。
77 :
名無しさん:2000/02/08(火) 19:55
この時間からチャットって珍しいね。
78 :
>76:2000/02/08(火) 20:04
パクリ野郎宮台は、批判する価値もなし。
ポストモダン自体に対する批判としては、プレモダンへの逆戻りの可能性
ありということだろう(浅田の転向の理由はこれだ)。
ブラジャックやらが何故ファシストになったか考えるべきだな。
79 :
名無しさん:2000/02/08(火) 20:08
10年後 宮台が言論界に残っていないに一票!
その前に淫行条例で逮捕に二票!
80 :
名無しさん:2000/02/08(火) 20:22
>パクリ野郎宮台は、批判する価値もなし。
批判出来ないんでしょ。
まぁパクリが気に入らないのなら、パクリ元を
ちゃんと批判してよ。どこがどうなると
プレモダンへの逆戻りの可能性があるの?
私はプレモダン野郎(=小林信者)が蔓延ってるような
現状を考えると、宮台の存在にはまだ価値があると思うよ。
81 :
>80:2000/02/08(火) 20:28
宮台先生ですね。お忙しいところご苦労様です。やっぱり自分の評判気になりますか。
82 :
>90:2000/02/08(火) 20:29
反論する気も起こらんな。
あのね、パクリ元が80年代のポストモダン思想なの。
それ以上は、「批評空間」かなんかで浅田の発言を読んでくれ。
ガキ相手は疲れるね。
83 :
名無しさん:2000/02/08(火) 20:40
だからさ、そんなことはどうでもいいんだよ。
このスレッドはそもそも、その「ポストモダン」っていったい何なのさ?
じゃないのかい?
84 :
>83:2000/02/08(火) 20:41
そんなことも知らずに議論してたのか(驚)。
85 :
名無しさん:2000/02/08(火) 20:44
>だからさ、そんなことはどうでもいいんだよ。
>このスレッドはそもそも、その「ポストモダン」っていったい何なのさ?
自作自演?寒い。
「ポストモダン」批判はどうなったの?
86 :
>268:2000/02/08(火) 20:51
そうは言うけど、そもそも、「モダン」と「ポストモダン」について、
これまでだれかこのスレッドで正確に定義して議論した奴がいるか?
だから、「○○を読め」みたいな阿呆な逃げ方で終わっちゃうんだよ。
>84、85
87 :
>86:2000/02/08(火) 20:53
そんなもん一致した見解なんかあるかよ。
88 :
>86@`87:2000/02/08(火) 20:57
「一致した見解がある(ありうる)」と考えるのがモダンで、
「ありえない」とするのがポストモダン、てことでいかが?
89 :
>88:2000/02/08(火) 21:13
教えて下さい。
そうすると教祖のお言葉を世間の「常識」と信じる宮台信者は、
いったいどういう何なんでしょうか。
90 :
>89:2000/02/08(火) 21:27
判断停止するドキュン。
91 :
85>88:2000/02/08(火) 21:28
一致した見解がなければこそ、各人なりの
「モダン」「ポストモダン」理解を示さねば、
議論がかみ合うはずがないでしょう。
92 :
>90:2000/02/08(火) 21:30
そうだったのか。
やっと彼らの気持ちの悪い言動が理解できました。
93 :
91:2000/02/08(火) 21:31
86>87,88の間違い。失礼。
94 :
っていうか:2000/02/08(火) 21:33
小林よしのりや井沢元彦、西尾幹二、藤岡信勝、渡部昇一
などのパクリのドキュソよりよほどマシ
95 :
>89 宮台です :2000/02/08(火) 21:36
とりあえず私の本を全て買って(立読みで済ませられる程度の内容ですが
立読みは厳禁です)テレクラにいって、援助交際して、後は何も考えない
で下さい。内の信者に自分の頭で考えられる人はいませんから。それと私
の出る番組は要チェックですぞ。
96 :
名無しさん:2000/02/08(火) 21:41
ついに本物出現か?
97 :
>96:2000/02/08(火) 21:43
あほか。
98 :
>96:2000/02/08(火) 21:43
95に続いてこんな書き込みができるドキュソ
99 :
宮台信者:2000/02/08(火) 23:04
このスレッド、レヴェル低すぎ(わらh
ニューアカと市民社会論者との区別すらできない教養の低い
方々ばかりだねー。
100 :
名無しさん:2000/02/08(火) 23:40
いい加減ドキュン丸出しなレスは止めて、ちゃんと答えたらどうだ?
1 ポストモダンはどう否定されたか?
2 宮台に関する具体的批判
3 二番煎じである宮台信者にも劣るバカ思想(J右翼)が蔓延ってる事についてどう思うか
101 :
口答え(横槍):2000/02/08(火) 23:47
1.いま既にポストモダン。ソーカル事件。結局戦後左翼思想の
延長。社会や政治を動かす力にならなかった。その他。
2.めんどい。レッツゴー社学板、哲学板。
3.下を見ればきりがない。つーか宮台理論ではJの現実に通用
しない・納得させられない。
102 :
>100:2000/02/09(水) 00:00
ポストモダンなんて単なるファッション
いってることはすでにモダーンの枠内で論じられたこと
西欧コンプレックスに凝り固まった実用性のない学問ってことでは
大正教養主義と50歩100歩
実効性のない理論偏重学問への恐怖心がフィールドワークにむかわせる
そのことの自覚のない社会学者はちょっと滑稽でもある
103 :
101:2000/02/09(水) 00:10
宮台はニューアカ批判もしていたけどな。
でもニューアカの尻尾がどこかまとわりついてる感じは、
確かにある。
104 :
miyadai信者:2000/02/09(水) 00:20
バカには何を言っても無駄か。
105 :
名無しさん:2000/02/09(水) 00:24
現実に対して何ら力を持たなかったと言う点については賛成。
かといって(例えば宮台小林に流れているような)人々に対して
説得力をもつ言説があるかというと疑問。
(私が知らないだけかも、あったら教えて)
この知的空白を埋める文化的ニッチ産業(笑)が宮台・小林
なんじゃないかな。両者は共犯関係にあり、宮台が高い層を
小林が低い層を分担して、マーケットとしている…と。
106 :
>104:2000/02/09(水) 00:35
おいおい、しまいにゃそれかよ・・・それじゃ
本当に死んじゃ、いや「信者」じゃねーか
107 :
かいと:2000/02/09(水) 01:47
宮台さんは(その内容がごく近いように見えても)実際のところ、
ポスト・モダニズムを志向するような発言していないですよ。
周到に「輝き」といった用語を用意して、モダニズム全体に関する議論を回避しています。
99さんのおっしゃるように、「リバータリアン」はまさしく近代の繋留ですから。
ニューアカデミズムの破綻(?)については、
先にそれが捉えた「近代」の近視眼さ、ということを書きましたが、
簡単に言えば「充分に近代でない場所でその超克を唱えてもしかたがない」
ということだったのではないでしょうか?
最も早く、それがプレモダン志向を呼び込むということを警告したのは
80年のハバーマスだったと思いますが、彼を(この時日本に)招致した
浅田さんはこの時点で「転回」したのですかね?
ここまでなんだか知的レベルが云々という話になっているようですが、
そもそも(日本型)「ポスト・モダニズム」の最大の誤りは、
西欧のように倦むほど体系の積み重ねられてしまった場所では有効であるとしても、
「論壇」(これは「画壇」や「詩壇」でもいいのですが)の重層化されていない
(つまり、モダニズム批判といっても攻撃する対象が実際上、いないということです。)
この日本で取り組めば、それは単なる「抽象的な知識人つるし上げ」を繰り返す、
「悪場所」を生むことになるということだったと思うのです。
このことは小林さんもそうですが、知識人批判こそが知識人、といったトートロジー
をばら撒いた責任の一端を「ポスト・モダニズム」は担っているのでしょうね。
108 :
つまりじゃ、:2000/02/09(水) 02:05
「空白の中心」は「脱-構築」できん、というようなことじゃな?
109 :
101:2000/02/09(水) 02:24
かいとさんの話は毎度毎度タメになるねえ。
では恥かき覚悟で、敢えて反抗してみよう。
宮台がニュー・アカ/日本版ポストモダンの尻尾を引きずって
いるように思われる所。
・「成熟社会」説はポストモダニスストの「脱工業化社会論」の
言い直しに聞こえる。
「終わりなき日常を生きろ」も同様。近代的線状時間観/終末
論への批判はニューアカにもあったと記憶する。
・>知識人批判こそが知識人、といったトートロジー
これは宮台も同罪と思える。正直いって宮台と小林の差など
なきに等しい。バッシングのためのバッシング、自己の政治的
立場≠維持せんがためのそれではないか。
・マーケティング戦略的態度
これはうまく説明できないのだが、思想や言説を流行モノに堕した
点。だから腰が据わってない。いかに受けるかが問題となってしまい
本質が見えない。
女子高生云々なんて特にそう。これは宮台自身が損してる。
こんなところかな。
110 :
miyadai sinjya:2000/02/09(水) 02:27
別に宮台信者も小林信者も唯一絶対の対象として教祖を見ていない
と思うよ。ていうか「近代」とか「ポストモダン」みたいな観念論
はどうだっていいと思うがな。
111 :
補足:2000/02/09(水) 02:33
・「知識人批判」について、補足。
浅田彰における「(ビ)左翼」→宮台に於ける「オヤジ知識人」
先行世代に対する安直なレッテル貼りで批判の代わりにしよう
ってのも、似てると思います。
112 :
111は:2000/02/09(水) 02:35
109の補足ね。
113 :
miyadai sinnjya:2000/02/09(水) 02:39
ほんと、おまえらイタすぎ。遅れてきた宮台批判かな?
全く同じ事、数年前、大月信者が言ってて失笑をかってたよ。
114 :
わかった。:2000/02/09(水) 02:45
大月信者>>>>>>>>>>>>>>>>>>宮台死んじゃ
ということなのか。
115 :
名無しさん:2000/02/09(水) 03:06
イタいのはお前>113
ウヨ坊と同レベル。ウヨ相手にしすぎて舌が荒れちゃったんじゃないの?
116 :
かいと:2000/02/09(水) 17:09
>109さんへ
「ポスト・モダニズム」と宮台さんの主張が似通っていることも確かですし、
>知識人批判こそが知識人、といったトートロジー これは宮台も同罪と思える。
も全くその通りだと思います。
ただ、「ポスト・モダニズム」がそれを「近代を超える」ものだと述べたのに対して、
宮台さんはそれを述べていないという違いがあります。もう少し正確に言えば、
ポスト・モダニズムの攻撃対象を宮台さんは小さく日本的なものに絞った、
ということになるでしょうか?
思想や言説を流行モノに堕した…とありますが
これはニューアカの失敗を踏まえての事ではないでしょうか。
ニューアカが衰退した理由として、結局サロン的談義に終始し
現実からは遠ざかってしまったという点があると思います。
同じ轍を踏まないためには、思想や言説に現実を動かす力を
与える必要があった…と。
118 :
>117:2000/02/09(水) 19:43
>同じ轍を踏まないためには、思想や言説に現実を動かす力を与える必要があった
確かに彼は現実を動かしている。かれが関わった分野ほとんどで大きな変化が起こった。
例えば、援交防止条例ができたり、小林信者が増えたり、盗聴法が成立したりしたね。
かれは、現実を動かす天才だ。
、
119 :
101:2000/02/09(水) 21:03
>かいとさん
レスありがとうございます。
宮台とポストモダンについてはもう少し勉強してみます。
>葛根湯さん
えーと、この点でニューアカと宮台は同じじゃないか、というのが109で
書いたことです。
ニューアカがマーケ屋的手法をとったのも、現実へ影響力を与えるため、でした。
で、ところがそれに逆に足を掬われ、サロン的談義に後退した、と。
わたしには、宮台サンも(まだいまのところは)同じ轍を踏みつつあるように
見えるのです。
120 :
名無しさん:2000/02/09(水) 21:42
宮台って友達いなさそうね。腰巾着のテツヤ君ぐらいか。
それに比べて浅田は、福田みたいな極右ともつきあってる。
小林とも一時一緒に運動してた。所詮、人間の幅が違うね。
宮台氏はおそらくその事に気づいて、新しい路線を探そうと
しているように見受けられますが(ロビー活動とか)
そのあたりの事情について詳しい方おられませんか?
122 :
名無しさん:2000/02/10(木) 13:49
宮台は兎も角、宮台ファミリーがウザイ
バカ囲いすぎ
123 :
名無しさん:2000/02/10(木) 13:53
>(ロビー活動とか)
いやらしいね。論壇で無視されてるからかね。
124 :
名無しさん:2000/02/10(木) 16:19
宮台の今後は啓蒙活動に移るか(馬鹿が多くてどうにもならないっていう
この国の実態に気づいたから)サロン的談義(信者も多いし
サロンは成り立つだろう)に落ち着く二者択一だと思う。
125 :
>142:2000/02/10(木) 16:26
ちょっと違うな。
あんな2番煎じのオヤジに「啓蒙」されるのは、信者だけだよ。
おれは、信者集めて教団を作る選択肢しかないと思うね。
目指せ、第2の中沢。
126 :
>142:2000/02/10(木) 22:40
>馬鹿が多くてどうにもならないっていう この国の実態に気づいたから
宮台ってそんな日本が大好きなんだろ。
たしかに小林よしりんや保守系オヤジ論者相手に喧嘩するのも、そろそろ
飽きてそうだけどね。
127 :
>126:2000/02/10(木) 22:47
>保守系オヤジ論者相手に喧嘩する
彼は、保守にも相手にされなくなってるんだよ。
福田も東か浅田らしか相手にしていない。
あせりがあるんじゃないの。
128 :
タコツボ:2000/02/11(金) 04:54
>48
「枢軸国的理論」と、かいとさんがおっしゃっているのは、「枢軸国的価値観」と「連合国的価値観」のことでしょうか?
人間の「尊厳」のかたちとして、宮台氏は2種類の価値観を挙げています。
a;「尊厳」とは、大いなるものとの一体化であるとする価値観。18世紀ドイツ国法学をルーツとする。これが「枢軸国的価値観」
b;「尊厳」とは、自由な試行錯誤の結果得た自尊心であるとする価値観。17世紀イギリス哲学をルーツとする。これが「連合国的価値観」
この二つの価値観は、互いに全く相容れない。人々は、この二つの価値観の選択を迫られる。
「枢軸国的価値観」と「連合国的価値観」のどちらがより有効かは、すでに1945年に歴史的に証明されている、というのが、宮台氏の言う「枢軸国的価値観」「連合国的価値観」
小林よしのり的思想は、「枢軸国的価値観」の亡霊、とまではまだ宮台氏は言っていない…かな?
129 :
>128:2000/02/11(金) 07:20
宮台氏の「尊厳」についての議論がもしそのようなものであるとするなら、
「連合国的価値観」 が歴史的に「証明」されるというようなことはありえ
ないのでは? もしもそれを「証明」と呼ぶのであれば連合国側の勝利と
いう1945年の「大いなる歴史的ドキュメント」にその命題の正当性について
の判断をゆだねているのであり、どちらかというなら「枢軸国的価値観」に
もとずく判断ということにならないかな?
130 :
タコツボ:2000/02/11(金) 10:50
「証明」という言葉を使用したのは私の不注意だ。それは反省する。
129氏の「大いなるもの」という言葉の解釈が、私にはよく理解できない。「大いなるもの」とは、共同体主義が依拠する共同体を指す。
129氏は「大いなるもの」を、「普遍概念」を指すと解釈されたのではないかと私は想像する。だとしたら、その解釈は誤りだ。
131 :
>128:2000/02/11(金) 14:11
まるでスターウオーズ。
こんなもん信じる奴は、よっぽど単純なんだろうな。
132 :
タコツボ:2000/02/11(金) 15:21
>131
簡潔と単純は同義ではない。簡潔なものと単純案ものの区別がつかない人間は、単純である。
133 :
>132:2000/02/11(金) 15:38
「簡潔」だってよ(ワラ
信者の屁理屈にはあきれるしかねえな。
134 :
>133:2000/02/11(金) 15:53
ぷっ
135 :
正しいこと言ってるのかもしれないけど:2000/02/11(金) 16:00
「枢軸国的」というレッテルは政治的過ぎて、ちょっぴり辟易。
正直な感想です。
136 :
名無しさん:2000/02/11(金) 16:13
「枢軸国的」っていうけど、ナチってポストモダン的状況からでたんじゃないのかね。
そのくせ「意味より強度」ってのは分からん。
137 :
>136:2000/02/11(金) 17:16
バカ発見。
138 :
>136:2000/02/11(金) 17:55
ナチは実存主義の状況から出たのかな?
詳しい方瀬戸さんに説教してさしあげてください。
とにかく構造主義以前だから、「ポストモダンうんぬん」は間抜け
だよね。
139 :
かいと:2000/02/11(金) 18:00
>128さん
?…混乱の種を蒔いててしまったようですね。ごめんなさい。
もともとはハバーマスとルーマンの対比で宮台さんが述べた、
「旧枢軸国」的な、つまり意味の通じない「場所」での限定された理論、
という意味ですよ。128さんのおっしゃる「価値観」のお話ではなかったのですが…。
140 :
かいと:2000/02/11(金) 18:12
>138さん
実存主義のルーツには20世紀初頭のフッサールの「近代の内省」
があるわけですから、あながち「ポストモダニズム云々」は
あたっていなくもないです。
ポストモダニズムはむしろ、積極的に1920、30年代を
射程にするという作業を行っていて、アドルノやベンヤミン評価も
(さらにはアヴァンギャルド芸術の評価がありますね。)
ここらへんに絡んでいるわけですから、
ポストモダニズムとナチスの関係はかなり焦眉の課題だと思うのですが…。
141 :
かいと:2000/02/11(金) 18:30
続けての書き込み、すみません。
もう少し詳しく書くと、独、仏のポスト・モダニズムは、
近代の総決算としてナチスがあり、アウシュビッツがあるという
(仏ではさらに仏共産党のスターリンショックが加わっていますが)
暗い歴史認識を共有していますし、そこが理論の開始点なのです…。
142 :
名無しさん:2000/02/14(月) 21:06
こういうスレッドに右派からの反論が少ないのは何故だろう
143 :
名無しさん:2000/02/14(月) 21:36
理解できないからです(どきっぱり)。
144 :
>138:2000/02/14(月) 21:57
だから、ポストモダン「的状況から」といってるだろ。だれが「ポストモダンから」と言った。
既存の価値感が消失した魑魅魍魎のワイマール時代からナチが生まれたことやフランスやイタリアの
ファシストのの多くが放蕩を経て、ファシズムに走ったことを言いってんだよ。
145 :
>144:2000/02/14(月) 22:08
既存の価値観喪失と言うよりは、既存の価値観が揺るがされたことに
対する保守的市民層とファシズムイデオロギーとの連合、というのが正しいのでは?
146 :
>144:2000/02/14(月) 22:15
「揺るがされた」っていうぐらいじゃハイデガーやシュミットを生み出した
あの時代の衝撃は表せないと思うね。
完全な秩序、価値観の喪失が彼らの思想を生んだんじゃないのかね。
それからナチは保守ではない。少なくともその本質である突撃隊は保守とは
全く別のものだ。
147 :
145>146:2000/02/14(月) 22:25
145の2行目は、保守的市民層とファシズムとの連合、といってます。
ナチが保守でないことは私も同感。問題は、ナチズムという運動が、
それ単独では政権には達しなかったろうと言うこと。
ある意味近代のゆがみをもっとも端的に示していたであろうナチズムと、
敗戦、インフレ、世界恐慌という経済的要因、および社民の台頭という
政治的要因、
この二つの特殊ドイツ的な要因で動揺した市民層との利害が一致したのではないか、というのが
私の見方。
148 :
>147:2000/02/14(月) 22:42
ある程度は納得するが、経済的要因を強調しすぎでは。
ナチ運動とは価値観の廃墟の上に、そのような価値がもうないことをうすうす知りつつ
それでも、あえて祖国を求めた運動ではないか。それがあの時代の終末論的な状況で人
々をとらえたのではないか。
そういう意味でポストモダン的状況から生まれたと言ってるわけだ。
少なくとも旧左翼の言うような「ファシズムは資本主義の最終形態(だっけ?)」という
ような見方はアホとしか言いようがない。
149 :
144>148:2000/02/14(月) 22:48
うん、運動それ自体の性格についてはそんなに理解の相違はないと思う。
そして、そういうファシズム的な思潮自体は、全ヨーロッパ的な現象で
あったようにも思う。
ただ、運動が巨大なうねりとなる条件というのが、ドイツには備わっていた、
ということだね。
その場合、当時イギリス、フランスでも同様に存在したファシズム運動が
どうして国民的なうねりとはなり得なかったのか、と考えると、
やはり市民層を取り込むか否か、というのが決定的になると思う。
経済的要因を強調しすぎ、と取られるのは、
このような比較の観点が入っているからかもしれない。
150 :
149:2000/02/14(月) 22:55
145>148。
151 :
>149:2000/02/14(月) 23:10
まあ、そんとおりだな。しかしフランスなんてのはファシズム一歩手前だったわな。
それからオレは右だぜ、アホの旧左翼ども。
152 :
名無しさん:2000/02/15(火) 12:13
しかし、小林信者みたいにファシズム一歩手前どころか
ファシズムに両足を突っ込んでいるような連中が出てきている
現状を考えると、憂鬱になりますね。
153 :
>152:2000/02/15(火) 12:51
まあ、そうはいっても宮台信者よりはマシと思うが。
154 :
>153:2000/02/15(火) 12:56
その論理的な理由は?
155 :
>152:2000/02/15(火) 13:01
石原知事ってファシストなのかしら。
もしそうだとすると日本ってファシストだらけね。
156 :
名無しさん:2000/02/15(火) 13:20
どっから石原慎太郎が出てくるんだ?>155
157 :
>154:2000/02/15(火) 13:23
論理的基準など一切あろうはずもない。
よしりん教徒が悔しさの余り耳を真っ赤にして
書き込みしているのだから。かといって宮台信者が偉いわけでもない。
まぁ50歩100歩だな。
158 :
名無しさん:2000/02/15(火) 13:39
皆さん 宮台=小林ということでよろしいでしょうか。
159 :
>158:2000/02/15(火) 13:52
宮台と小林を同列に並べたいキミの教祖様に対する熱い思いは
理解できなくもないが、同列に並べるのは無茶である。
宮台>小林が正しい。
もっと正しく言えば
浅田>宮台>小林
160 :
名無しさん:2000/02/15(火) 13:55
漫画屋と思想屋を比べるどういった基準があるというのか。
161 :
>160:2000/02/15(火) 14:22
単なるバカなんでしょう。
162 :
名無しさん:2000/02/15(火) 20:38
宮台と小林を単純に比べるには無理があるが、
信者は皆ドキュンなので比べるまでもない。
163 :
>160:2000/02/15(火) 20:59
思想パクリ屋が正しいのでは。
164 :
>163:2000/02/15(火) 21:01
それいったら両方ともそうなるな(笑)。
165 :
>164:2000/02/15(火) 21:06
小林は本職が漫画家。宮台は本職が思想家。本職でパクル方がよっぽど
恥ずかしい。
166 :
しょしんしゃ:2000/02/15(火) 21:08
ポストモダニズムがわかりません。
だれかおしえて。
167 :
164:2000/02/15(火) 21:17
宮台は自分が思想家じゃなくてただの研究者だし、
小林もギャグ漫画屋で思想家じゃないし。
そういう点でパクリってのは全く一緒。
で、双方ともまともな取り巻きが皆無ってあたりもよく似てる。
168 :
>167:2000/02/15(火) 21:31
宮台は電波芸者。
169 :
>167:2000/02/15(火) 21:40
宮台は、パクリ野郎だが自分では大した思想家だと勘違いしている。
小林はあくまで自分は漫画家だと思っている。そこが大きな違いだ。
170 :
名無しさん:2000/02/15(火) 21:42
小林は、パクリ野郎だが自分では大した思想家だと勘違いしている。
宮台はあくまで自分は大学教員だと思っている。そこが大きな違いだ。
171 :
>170:2000/02/15(火) 21:51
↑こういう文書を見ると信者も教祖もパクリ野郎だということがよく分かる。
172 :
タコツボ:2000/02/15(火) 22:29
あらゆる思想にはルーツがあるし準拠枠がある。下敷きとしている準拠枠を指して「パクリ」と仮に呼んでいるのだとしたら、パクリでない文化産物など存在しない。
小林よしのり氏はエンターテナーとしてのマンガ家として一流で、思想はロクでもない民族主義者だ、と、私は思う。社会的発言をし世に影響与える手腕は一流だが、そこで語っている内容は、「SAPIO!」に描くようになってからは、トンデモに陥っていると思う。
宮台真司氏は、学者として要求される能力は一流で、アングラ趣味を学問対象として、発表の場所としての学会に見きりをつけ一般人向けの本を描いているのだと思う。学者さんのわりにはリアルな現実やアングラな世の裏事情をよく把握しているし、言っている内容は学問的に間違っていないと思う。
本来、学問は現実に対し名を与え、現実を研究し、研究結果を現実にフィードバックし、という効能のためにあるのだが、日本では、学問は学問で自動化し、現実は現実で自動化し、と、互いに無関係に動いている。日本のどこでも人間関係にまつわるつまらないくだらない事柄で効率が阻害されているのだが、学問と現実の動的な交換によって好転するどころか、互いの自動化によって問題が深刻化している。宮台氏の存在意義は本来の対応関係を復活させるのに貢献しているところにあると思う。ただし、当人がどの程度そのことに自覚的かは、若干疑問があるし、宮台氏一人でできる話でもない。
173 :
>172:2000/02/15(火) 22:45
宮台がどういう影響を現実に与えたのかね。小林がトンデモというが、
世間の印象は逆だ。
東京都売春条例制定のとき彼が出てくることによって、どれだけ反対
運動がダメージを受けたのか考えるべきだろう。
174 :
名無しさん:2000/02/15(火) 22:53
>173
部分的に同意します。
宮台氏の真意がどうあろうが、私のような者には
ただの「売買春擁護」にしか見えない。
「援交をやるやらないも本人の選択」
私には、少女売春の肯定にしか思えません。
宮台氏は「そんな単純な話じゃないんだ!」と言いたいかもしれませんが
とりわけ興味の無い限り、一々かれの著作を熟読したりしません。
テレビ、雑誌等の発言からの印象で判断します。
175 :
>174:2000/02/15(火) 23:54
僕も宮台さんのテレビなどの発言から察するに
「少女売春の肯定」してると思いますよ。
彼の主張は「他人に迷惑をかけなければ何をしてもいい」
ということだと思うので、僕は大賛成です。
176 :
タコツボ:2000/02/16(水) 00:37
>173
「世間」という語を173氏は無限定に出されているが、私は「世間」とは発言者の脳内にある妄想にすぎないと思う。小林よしのりをトンデモとは感じることができない人間と、トンデモだと把握できる人間がいるだけだと私は思う。
宮台氏の「影響」については、インターネットでの匿名氏たちの言説を、「小林よしのり派」「宮台真司派」と大雑把に捕らえる人が無視できない程度に多い、ということで示していると思う。
東京都売春条例制定のさい反対運動がどうダメージを被ったと173氏が捕らえているか、私には判らない。説明頂けると嬉しい。
ちなみに私は宮台氏のリベラル思想には共感し肯定するが、売春している・自傷している女性たちの内面の捉え方は、宮台氏とは見解が異なる。
>「援交をやるやらないも本人の選択」
その通り。他人が口出しする筋合いは無い。
なぜ否定意見が出るのか理解に苦しむ。
178 :
名無しさん:2000/02/16(水) 01:11
>宮台氏の「影響」については、インターネットでの匿名氏たちの言説
>を、「小林よしのり派」「宮台真司派」と大雑把に捕らえる人が無視
>できない程度に多い、ということで示していると思う。
小林派対宮台派ですか。
割合としては10対1くらいでしょうけどね。
しかし笑えるのは、「共同体」を否定しているはずの宮台真司のシンパ
が「共同体」をこしらえてそこに安住してしまう滑稽さです。
「小林派」「右派」は共同体に浸って、大きな物語にシンクロして良い
のですよ。
それを「個人主義」「リベラル」なはずの宮台派がやったらギャグ以外
のナニモノでもないでしょう。
そういうば「中間共同体」主義者の宮崎哲弥には、それを支持するネッ
ト共同体は全く存在しませんね。
宮台の手下扱い。
これまた笑えます。
あ、私は右派です。
「小林信者」と言われたら心外ですけど、まあそういう括り方をされて
も構いません。
179 :
miyadai sinjya>小林信者:2000/02/16(水) 01:12
近頃の宮台は小林なんて相手にしてないんだから、宮台を目の敵
にするのは止めてな。それより、小林をバカにしまくっているの
は、福田和也・宮崎哲弥の中堅保守だろ。
180 :
タコツボ:2000/02/16(水) 01:25
178さんへ。「宮台信者」共同体の滑稽さは批判に値すると思う。
ただ、共同体的視点を前提にすると、コミュニケーションツールとしての話題を共有している人々が、共同体的に見えることがあると思う。
初期の宮台氏の言説は、ストリートという名前の閉鎖的共同体の中で「まったり」することを肯定していたので、そこのところは当人いわく戦略の誤り、他者の目から見ると論理の不徹底矛盾があるかもかもですね。徹底さえしていればいいというものではないですが。
181 :
179>178:2000/02/16(水) 01:25
お前、狂五郎だろう?
182 :
名無しさん:2000/02/16(水) 02:17
ていうか宮台は共同体そのものは否定してないでしょ。
178は勉強不足というか、自分の文章まで御都合主義的に物語化
して悦に浸る他者を欠いた馬鹿。
183 :
しょしんしゃ:2000/02/16(水) 11:18
ポストモダニズムがわかりません。
だれかおしえて。
184 :
名無しさん:2000/02/16(水) 12:21
Post(接頭辞:〜の後に、〜に次ぐ)
modernism(名詞:現代主義、現代思想など)
よって、ポストモダニズムとは、本来の意味からすると、現代の思想の
次に来るもの、つまり「新しい基軸となりうる思想」ということだわな。
185 :
しょしんしゃ:2000/02/16(水) 12:40
>184
ありがとう。
郵便は関係ないのか。
186 :
>179:2000/02/16(水) 13:02
「戦争○○論」なんていう下らない便乗本書いて、相手にしてないはないだろう。
だいたい、最近の論壇の話題は、「戦争」とか「公」とかばっか。他の話はないの
かって感じ(柄谷の共同体論パクってる宮台含めて)。
この状況からしてそもそも論壇自体が、小林の手の内に載ってしまってるってこと
よ。
187 :
名無しさん:2000/02/16(水) 13:10
>186
>小林の手の内に載ってしまってるってこと
論壇の話題が戦争や公なんていう方向にいったのは、あんな殆ど脈絡も
ない勘違い右翼思想の詭弁に、あんなにも多くの若者が影響されたとい
う事態を重く見て、敢えてそのことを話題にしてんだよ。
あと、「手の内に載る」という日本語はないぞ。
188 :
>187:2000/02/16(水) 13:23
>敢えてそのことを話題にしてんだよ。
おいおい、そんな崇高な動機があるわけないだろ。便乗本書いて、名前売りたいだけなんだよ。
189 :
>188:2000/02/16(水) 13:30
じゃ、どんな論評がいいわけだ?
それが論理的に言えないなら、ただの君の狭い感覚が受け取った
印象の表明。
言ってみてごらん。
>名前売りたいだけなんだよ。
なにも言ってないに等しいな。
190 :
>188:2000/02/16(水) 13:39
便乗本にいいもんなんかあるかよ。
オレの斜め読みの感想を言うと、
宮台(妄想論)→柄谷のパクリ。問題外
吉本(本の名前忘れた)→オヤジの繰り言。自分の思いでを語ってるだけ。
週金→化石。
3冊よんでこんな感じだったんで他読むの止めた。
191 :
>190:2000/02/16(水) 13:43
それって、君の知識欲、期待を満たせてもらえなかったってだけ
じゃん。
宮台に関しては。
192 :
パクリでも:2000/02/16(水) 13:49
べつにいいじゃん。柄谷の悪文よりは読みやすかろうよ。
193 :
>192:2000/02/16(水) 15:09
柄谷の魅力はあの文章だと思うが。違うかな。
194 :
>191:2000/02/16(水) 15:36
パクリ以外内容がないんだから、知識欲が満たせんのは当たり前。
195 :
miyadai sinjya:2000/02/16(水) 16:09
>186
おまえ、柄谷読んだことあるの?まず、それからだ。
宮台は柄谷の共同体理論に批判的だと思っていたよ。オレは。
後、パクリって(笑)。偏差値低そうなこと言うなよ(笑)。
最近の論壇?もう、どこも自由主義史観なんてやってないよ。
>192
柄谷のどこが悪文なの?論理的で読みやすい方だと思うが。
パクリとか言ってるヤツは、『知の技法』くらい読んだ方が
いいんじゃないか?マジで。小学生みたい(笑)。
196 :
miyadai sinnjya:2000/02/16(水) 16:27
こんなことだから、西尾・小林系は福田和也や宮崎哲弥
からも見下される。
197 :
名無しさん:2000/02/16(水) 17:16
パクリだパクリだといって大騒ぎされている、おバカちゃんは
ボードリヤールあたりから読んでみたら。
198 :
名無しさん:2000/02/16(水) 17:20
西尾が藤岡とはレベルが違う、それを同じにする奴は
バカだって言う奴は、ちゃんと西尾の学者時代の本を
読んでその業績が理解できているのか?
いや、西尾・小林系(と思われる)の書き込みをみてるとさ。
199 :
傍観者:2000/02/16(水) 17:23
>西尾の学者時代の本を
爆笑、過去形で書いてあるってことは
今はもう学者の資格無しですかい(笑)
200 :
名無しさん:2000/02/16(水) 17:33
そのとおり(笑)。
けど昔はほんとにまともなこと言ってたらしい。
201 :
>195、196:2000/02/16(水) 18:51
宮台がどう言い訳しようと奴の「妄想論」の共同体に関する記述は、共同体の外
におけるユダヤ的コミュニケーションを評価する柄谷の理論にそっくり。
それにしても腰巾着野郎宮崎を福田と並べるあたりアンタのレベルが分かるね。
202 :
>198:2000/02/16(水) 19:28
信者は、宮台しか読まないあから言っても無駄。
203 :
名無しさん:2000/02/16(水) 20:55
だからさあ、現代において言説のオリジナリティーってのは…
言うのもアホらしいな。
204 :
>190:2000/02/16(水) 21:23
妄想垂れ流しの小林戦争論より吉本パパの本の方が実体験に
基づいてるだけ説得力有ったね。
205 :
>204:2000/02/16(水) 21:28
ああいう繰り言って団塊オヤジには受けるんだろうな。
206 :
>203:2000/02/16(水) 21:40
オリジナルらしく見せるのも芸のうち。
宮台はすぐネタがばれる。
207 :
名無しさん:2000/02/16(水) 23:03
宮台がパクリで批評に値しないならパクリ元に
ついて批評して欲しい。無理か、キティガイ君には。
208 :
名無しさん:2000/02/17(木) 07:49
ウヨ坊沈黙!
209 :
講評:2000/02/17(木) 18:04
宮台氏信者の質の低さもさる事ながら
それ以上にウヨ坊の無知が露呈する痛々しい結果に
終わりました。
210 :
名無しさん:2000/02/17(木) 19:09
無知な奴のことをウヨ坊って呼んでるんだから
露呈もクソもないでしょう。
211 :
>207:2000/02/17(木) 23:06
教祖をけなされたからって怒り狂うんじゃねえ。見苦しいぜ。
宮台のパクリ元については個人的には、
柄谷の共同体論は、逆に他者の存在しない世界、他者の抹消につな
がるという永井の批判が妥当
宮台の天皇論は松木健一のパクリだが、この「天皇主義の本質は、天皇に対
する恋愛感情であり、これのみが過去の日本の革命を可能にした」という意
見には賛成
というところだ。
212 :
名無しさん:2000/02/18(金) 10:52
宮台の天皇論はお師匠さんの受け売りでないの?
213 :
あ:2000/02/18(金) 11:51
げ
214 :
名無しさん:2000/02/18(金) 13:45
宮台信者は反撃できず沈黙したようだな。
215 :
名無しさん:2000/02/18(金) 14:00
つーか普通、思想とか言説つーものは先行世代から継承するもの
だからパクリとかいうのもおかしいだろう。
まったくパクって無かったら学習能力0って事だろ
216 :
>215:2000/02/18(金) 17:47
そのとおり。ウヨ坊は論理的に宮台を批判できないので
宮台はパクリだと罵倒して論破したつもりになっている。
ところで、宮台監修の小室直樹全集はどこまで進んでいるのだろうか?
217 :
>215:2000/02/18(金) 17:53
先行世代から継承し、「発展」させるものなんだよ。
宮台のどこに80年代ポストモダンからの「発展」があるんだ。
なんもねえよな。
218 :
>217:2000/02/18(金) 18:05
発展があった論者を挙げてみろ。
その論がまだ有効だったりするならそれはまだ「新しい」。
219 :
かいと:2000/02/18(金) 20:24
>183
「ポスト・モダニズム」とは現代思想の次、ではなくて、
簡単に言えば「近代を超える思想」ないし「近代批判」のことです。
その開始が幾何学設計を中心とした近代建築とは異なるアンフォルメル的な建築と
その直下の影響を受けた芸術学から始まったことはよく知られていますが、
要するに18世紀に完成した(と見られる)この近代を構成する様々な主義、主張、様式、意識を
照射してその反省ないし超越を試みようとするものです。
ちなみに、どうして宮台さんの話に流れてるんでしょうね…。
前に書いた通り、似ていたとしても宮台さん自身は
「ポスト・モダニズム」ではありません。
宮台さんの、「ポスト・モダニズム」にはない部分、
(というより、わざと日本型ポスト・モダニズムが軽視した部分)
それは自我論に食い込んでいる、というところでしょうし、
それこそが宮台さんの中核的な部分でしょう。
要するに「社会学」とは一つの客寄せ看板に過ぎないのであって、
「どうしてこれに怒るヒトや心酔するヒトがでてくるのか?」
という観点から見るべきなのだと思いますが…。
>211
永井の批判、とは永井均さんのことですか?
、
220 :
名無しさん:2000/02/18(金) 21:41
>それは自我論に食い込んでいる
私はそういう印象を受けないのですが、解説願います。
>要するに「社会学」とは一つの客寄せ看板に過ぎないのであって、
そうだね。たぶん彼は社会学者でなくいわゆる「思想家」になりたいんだろうね。
しかし、踏み込んだ所もたいしたことがない。
>永井の批判、とは永井均さんのことですか
そうです。
221 :
かいと:2000/02/18(金) 22:10
>220
それは自我論に食い込んでいる
ちょっと書き方が悪かったかも(ごめんなさい)知れませんが、
「自我とはこういった構造で…」云々のことではなくて、
要は「自我の琴線に触れるような」問題を平気で扱う、という意味です。
「生きにくさ」「しかし○○といった存在は…キツイ…」
などなど、いとも簡単に宮台さんは述べてしまうのですが、
こんなことをポスト・モダニズムは言わなかったと思うのです。
ちなみに永井さんの批判は半分しか当っていないような気がします。
薄い記憶(間違ってたらごめんなさい)では、確かデカルトのコギトー論にまつわる
批判だったように覚えているのですが、柄谷さんの立論の本体は
それでは語りきれないような気がするのです。
222 :
miyadai sinnjya>220:2000/02/19(土) 02:09
それ以前に宮台はニューアカと違って、リベラリズムという
市民社会的な倫理を説いてるだろう?宮台をポスト・モダン
と誤解する連中は一概に無教養。
永井均は三冊読んでるが、柄谷批判は読んでいないので反撃
できないが、一応、推測から引用する。
>もちろん、子供や外国人を<<他者>>としてとりだすのは、方
>法的懐疑である。しかし、どんなコミュニケーションにも、
>それがコミュニケーションならば、他者性がある。大森荘蔵
>は、日常言語ではコミュニケーションはふつうになされてい
>るではないか、といっている。しかし、何か一言いうだけで
>相手がわかってくれるとしたら、相手がそれをすでに学んだ
>結果にすぎない。言語ゲームを共有するまでに、<教える−
>学ぶ>過程が先行しているのである。(『探究I』講談社)
223 :
†∈→←∋♂:2000/02/19(土) 02:46
宮台は一応「ポストモダニズム」の議論をふまえた上で「リベラル」
ということを言っているのが興味深い。
224 :
名無しさん:2000/02/19(土) 05:42
「ポストモダニズム」の議論をふまえるどころか
100年前の議論に終始している方々も見受けられますし…
この板でもね。
225 :
名無しさん:2000/02/19(土) 14:40
あげ
226 :
名無しさん:2000/02/20(日) 05:57
>100年前の議論に終始している方々も見受けられますし…
殺人肯定派とか、男女差別肯定派とかな
227 :
名無しさん:2000/02/20(日) 14:26
「ポストモダニズム」の議論をふまえたるのが困難であるが故に
「ポストモダニズム」の議論自体を「無かった」事にして
思考停止してしまおうという人が出てきているような気がしますが
いかがでしょうか?
228 :
名無しさん:2000/02/21(月) 01:40
???
229 :
†∈→←∋♂ :2000/02/21(月) 02:25
宮台的な「リベラル」は、実は「ポストモダン」議論を「無かったこと」
にするしか成り立たないんだけどね。
宮台氏はそのへんあいまいにしているだけでさ。
私は「ポストモダン」議論を「無かったこと」にしてもいっこうに構わない
と思っているんだけどね。
だいたい「ポストモダン」論者と言われていた人たち自身が「無かったこと」
にしているわけだから(笑)
彼等は湾岸戦争以降、一斉に「左翼」に総転向した。馬鹿馬鹿しいにも程がある
とはこのことですよ。しかし宮台氏はその点ではしっかりしてるよ。
230 :
名無しさん:2000/02/21(月) 03:35
「ポストモダン」思想が残したもの、あるいは(今も生き残っているとすれば)
作り上げつつあるものって、なんなんでしょうねえ。
231 :
†∈→←∋♂:2000/02/21(月) 04:13
>230
それは、悪しき思想的権威主義ですよ。
それだけ。
2ちゃん見てても分かるでしょ?
232 :
>146少し古くてすいませんが:2000/02/21(月) 04:23
ハイデッガーやシュミットの思想的な鍵を握るのは権威主義的な
カトリシズムでしょう。ハイデッガ−の実存主義と
近代の超克の思想は関連してるだろうし、京都学派もその影響が強い
ような気がします。それは興味深い問題ですね。
「近代」自体が西欧のフィクションで翻訳された概念で
日本には実態がないもので理念や理想、表象物に過ぎないのでは?
ポストモダンもフランス等西欧の現代思想でのアカデミックなレベル
での表象ゆえ、現代日本や現実の西欧社会を説明したりするには
もともと限界があるのではないでしょうか?
日本語への思想関係の翻訳はひどいし、抽象観念や造語はそもそも
実態がなく、少数のインテリにのみ共有された言葉が多い。
言語的に閉じています。議論としても共有するのが難しいくらい狭義なもの
のように思えます。具体的な日本やフランスの論壇・学者の論争ならわ
かるけど言語のツールとしてはやはり限界があったんじゃないでしょう
か?さっぱりわかりませんから。
233 :
230>231:2000/02/21(月) 04:37
私の考えを少々述べさせていただきます。
大体日本の学校教育じゃ文章を論理的に読みこなす訓練なんかろくに
していません。
ゼミ等でも、学生が出してくるレジュメの質は年々顕著に落ちています。
ポストモダンが論理構造という呪縛からテクストを解放する、と言ってみたところで、
日本人には論理構造それ自体をとらえる能力すらないのです。
文章読解の基礎能力が欠落した土壌でのポストモダン思想など、
デッサンもろくにできないうちからピカソのマネをする厨房と同等です。
それでは、脱構築など単なる恣意的読解ないしアナーキーでしょう。
日本で日本人がすべきことは、モダンの枠内でできることを徹底的に
考え、実践することではないでしょうか。
234 :
230です。:2000/02/21(月) 04:58
>231さん
私が言いたかったことをほぼおっしゃって頂きました。
それと、思想、哲学など含め、翻訳語の難解さ、非日常性は、
改善されるべきだと思ってます。知性が言語的に(エリートに)
閉じてしまう運命にあるのはしょうがない面もあるとは思いますが。
それと、原書で読む意味が大学でも軽視されすぎと思います。
母国の語感やレトリック等を吟味する作業が疎かにされすぎではないで
しょうか。つまり、学者・知識人と読者・学生、それぞれが
共有できる言語レベルでの理解、読解(翻訳見直しと原書で読む意義)
が必要と思います。そうでないとポストモダンやらの話しはただでさえ
文脈が異なり難解な議論が、現実のわれわれの生活から離れすぎて
ますます宙に浮いちゃいます。
235 :
>221:2000/02/21(月) 13:16
それって自我とかなんとかというレベルじゃなくて単に自分の好き嫌いを言っているだけ
だよな。
それから永井の批判については、共同体を超えるユダヤ的なコミュニケーションってのは
マルクスを隠喩してるんじゃないかと思うんだけど、まさにソ連や中国には、他者いなか
ったわけだ(あるいはいないことにされている)。別にマルクスだけじゃなくてキリスト
教も含めての隠喩と思うが、キリスト教だって普通の土着的な宗教に比べれば、はるかに
抑圧的だわな。
それでオレは永井の批判が妥当していると思うわけよ。
236 :
>233:2000/02/21(月) 13:24
おいおい、今更、モダンなんて耳にできたたこにカビが生えるようなことを説教
するのは頼むからやめてくれ。
それから、戦後思想界の体たらくを日本人の論理構造のせいにするんじゃねえ。
九鬼がハイデッガーと論争したり、サルトルを教えたのは知ってるだろ。
昔はこういうまともなレベルの思想家もいたわけだ。
それをこんな体たらくにしたのは、宮台(師匠筋の丸山に特に責任があると思う
が)を含む日本の戦後アカデミズムのアホさなんだよ。
237 :
>236:2000/02/21(月) 13:33
宮台の第一の師匠の小室直樹もなー
238 :
名無しさん:2000/02/21(月) 17:24
信者沈黙
239 :
かいと:2000/02/21(月) 19:45
>235さん
「共同体を超えるユダヤ的なコミュニケーション」が
マルクス(やキリスト教)を暗喩している、という解釈はおかしいのでは?
大枠で言えば、マルクス主義的「民主集中制」=内なる天皇制に
対抗するものとしての「共同体を超えるユダヤ教的コミュニケーション」
という見取り図のはずですよ?
240 :
タコツボ:2000/02/21(月) 20:08
>236
九鬼周造が優れた思想家であることは否定しないが、ごく一部エリートがある時点で優れた仕事をしたこと(九鬼の仕事)は、233氏の言説の批判としては全く有効ではない。
有効ではない手段を用いているにもかかわらず、それで何かを批判したような気になっている236氏の思考形式は、233氏の言う
> ポストモダンが論理構造という呪縛からテクストを解放する、と言ってみたところで、
> 日本人には論理構造それ自体をとらえる能力すらないのです。
> 文章読解の基礎能力が欠落した土壌でのポストモダン思想など、
> デッサンもろくにできないうちからピカソのマネをする厨房と同等です。
このことの実例のように見える。
241 :
かいと:2000/02/21(月) 20:24
それから、ここまでのレスで書いてきたように、
私は別に宮台さんを擁護しているわけではないですよ。
宮台さんの中心にあるのは、要するに「傷を癒したいならテレクラで遊んでみたら?」
といった世俗的な機知(このことは小林さんも書いてらっしゃいましたが)だろうし、
そんなことは昔からど演歌な(失恋→水商売)世界で延々繰り返されてきたことです。
但し問題は、それが「つまらないこと」で済むことなのではなくて、そういった世俗的な機知が
伝わらないという、青年達を取り巻く教育や共同体の状況(これが彼の言う「システム社会」です。)
の困難が現にある、という主張でしょう。従って「東大生にも受け入れられるように」理論的な体裁で
世俗的な機知を語る、というよりは東大生でさえ「理論的に説明されているから」受け入れられる、
ということなのだと思うのです。(といっても私は東大の方がそんな方ばかりだとは思いませんが。)
ところで、日本におけるポスト・モダニズム受容のていたらくは別にしても、
5月革命の荒波の下に登場したポスト・モダニズムの
(日本では何故かポスト・モダン=バブルの80年代という文脈で語られますが、
ポスト・モダニズムそのものは学園紛争の70年代がその源泉です。)
インパクションそのものは、「もはや後戻りは出来ない」という意味で
無視することの出来ないものでしょうね。
242 :
>239:2000/02/21(月) 20:51
柄谷は、マルクスそのものとマルクス主義者を区別し、後者を批判している。
よって、民主集中制云々を批判するのは当然。
243 :
>240:2000/02/21(月) 21:01
九鬼だけではない。アンタは知らんだろうがあの時期には、西田、小林
(よしのりじゃねえぞ)、保田といった連中がいた。
今の論壇にかれらに匹敵する者は1人もいない。彼らはむろんエリートだ
ろうが、1人のエリートも生み出せない現在のアカデミズムのあり方は問
題だ。
244 :
かいと:2000/02/21(月) 21:19
>242さん
ですから、235さんの言う「まさにソ連や中国には、他者いなかったわけだ」
これは「マルクス主義者」のことですよね(柄谷さん的用法としては)。
その上で「ユダヤ教的なコミュニケーション」=「マルクス主義者」というのは
おかしいのでは?ということです。
245 :
タコツボ:2000/02/21(月) 21:39
236と243が同一人物だという前提で243氏に言う。君が挙げた人々が一流であることは認める。そして現在のアカデミズムのあり方に問題があることも認める。
だが、236がその責任を、宮台や丸山に負わせるのは、明かに誤りだ。236氏は「アカデミズム」という言葉をどういう定義で用いているのか私には不明だ。宮台は学問的訓練を積んだ人物だが、「アカデミズム」から見ると、大衆啓蒙へ行っちゃった人物で、「アカデミズム」内において影響力を持つ、という位置ではない。丸山真男も大衆啓蒙へ力点を置いたという意味で同様だ。
243氏は、単に(たまたま)知っている学者を、気に入っている人物と気に入らない人物に、デタラメに(戦前を美化し、戦後を侮蔑し)振り分けているだけのように読める。
私は学問的訓練を積んでいないが、243氏のように、学問的訓練を積まない人物が、このスレッドの学問的訓練を積んでいる人物に、こういう場であっても自説を述べることができるようになったのは、戦後の大きな財産だとは思う。
そして、そこから浮き上がるのは、日本では、論理訓練が積めていない・しっかりとした共有財産になっていない、たんに断片情報のパッチワークを用いることで、何かを語っているようになっている、そういうものが知性だと錯覚されている、という現状だと思う。大きな責任の一端は受験までの教育にあると思うし、大学入試のシステムにもあると思うし、学問と社会が良好なフィードバック関係にないことにもあると思うし、そのことが政治の争点にできない政治と学問との間のフィードバック機構の不在にあると思う。
246 :
>244:2000/02/21(月) 21:42
確かに柄谷はマルクスの可能性を救済するためだろうが、
マルクスとマルクス主義を区別している。
しかし、あの手の思想は教祖(キリスト、マルクス)が
どうあろうと体制側になると結局ああなってしまうんじ
ゃないの。
マルクス主義であろうとマルクスであろうと旧来の共同
体(民族など)を打破し、「他者」がいない世界を作ろ
うとしたわけだ。しかし結局は、いわゆる旧共同体の
「外の外」の「他者」を抹殺してしまった。
それはキリスト教とて同じ。
ソ連や中国以外の「独自路線」をとった国も同じだわな。
よって柄谷の夢は白日夢に終わると思う。
247 :
かいと:2000/02/21(月) 22:00
>246さんへ
まさに最近の柄谷さんの転回(「可能なる『コミュニズム』」)が
マルクスそのものから協同組合的運動の可能性を掬い取る、ということ
だと思うんですが、しかしながら批判の当時の段階では、柄谷さんの
「共同体を超えるコミュニケーション」の源泉はライプニッツの
開放された「モナド」論だったと思うのです。
もう少し言えば、当時の柄谷さんはマルクスそのものに可能性を見る、
というよりも「多数の窓」からマルクスを変節的に捉える(換骨奪胎する)、
という方向だったと思いますよ。従って「ユダヤ教的コミュニケーション」と
マルクス主義の間にはかなりの断絶があるように思うのです。
ちなみに、少し議論を戻してみたいと思うのですが、
西田幾多郎やハイデガーのような「大思想家」は今や不可能だ、
というのがそもそもポスト・モダニズムの提示だったと思うのですが、
(その前提にはナチスとハイデガーの「結託」の問題があります。)
そこらへん、どうなのでしょう?
248 :
>247:2000/02/21(月) 22:20
そうでしょうね。「思想は死」んだのさ。
249 :
>245、247:2000/02/21(月) 23:13
むろん宮台や丸山の責任だけではないだろう。オレがこいつらの名を上げたのは、
てめえらが体たらく論壇の一員でありながら、「日本人は民度が低い」とほざい
てるから例示にあげただけよ。
それから別に戦後を貶めるわけではないが、軽蔑すべきものは軽蔑してもいいん
じゃないの。戦後、日本論壇がどうしようもなくなったのは、ポストモダン以降
の若手の間では左右を問わず共通認識だろ。
まあ、これは論壇には限らないがね。>245
詳しく解説して下さい。>247
250 :
かいと:2000/02/21(月) 23:19
>249
今日はもう重くなってきたので、また今度…なのですが、
何を?ですか?
251 :
>250:2000/02/21(月) 23:33
大思想家の不可能性と「結託」とやらの関係って何ですか。
252 :
名無しさん:2000/02/22(火) 11:55
>日本人は民度が低い
それは論壇の問題とはあまり関係なくないか?
むしろ教育とか社会の気風とか社会の成熟度の
問題だろう。
253 :
>252:2000/02/22(火) 12:49
確かに戦後の日教組の洗脳教育からは、西田幾太郎のような大思想家が
生まれないのは当然だね。
254 :
名無しさん:2000/02/22(火) 15:43
ポストモダニストの生硬なジャーゴンが自らの発言力の広がり、対話可
能性を狭めたのではないでしょうか?あれはフランス語だともっと分か
りやすい話しではないでしょうか?
日本にはインテレクチュアルが大衆と議論したり、公開書簡で議論しあ
ったりする場がほとんどないですね。ここあたりに西欧の思想世界や
知識人の討論の位相とは異なる性質が伺える。
255 :
>254:2000/02/22(火) 16:40
大衆をバカにするために知識人になったような奴もいるからね。
特にリベラル野郎は。
256 :
名無しさん:2000/02/22(火) 17:04
日教組云々以前の問題、教育の基本方針の問題でしょう。
国語教育で論理的思考を養成するという意図がほとんど感じられないのが
致命的です。
257 :
名無しさん:2000/02/22(火) 17:10
∧ ∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
〜′ ̄ ̄(゚Д゚)< なんだこの厨房どもの会話は!!
UU ̄ ̄ U U \_____________
258 :
>256:2000/02/22(火) 17:21
しかし、西田や保田が論理的思考の養成を受けたと言えるのか。
今の方がまだ充実しているんじゃないの。
確かに日教組教育は問題外だが、大思想家が出ないのは、そう
いう問題が原因なのかね。
259 :
>257:2000/02/22(火) 17:34
小林信者と宮台信者が、「おれはウヨじゃねえ」「おれはサヨじゃねえ」と
罵りあってるだけの他のスレッドよりマシだと思う。
260 :
かいと:2000/02/22(火) 23:07
>251さん
日本ではかなり誤解があるようですが、要するに「ポスト・モダニズム」の
本体とは、60年代末期の学園紛争のインパクションに
思想的に応答しようとするものです。「性の歴史」をのぞくフーコー、
バルト、デリダなど主要な業績は70年代のものです。
知の枠組みを問う、というポスト・モダニズムの動機は、即ち当時の
「大学と学問の意味を問う」といった諸々の試みを整備したものに他なりません。
ところで、ハイデガーについてですが、ドイツでは戦後もその頃まで
実存主義派が大きな勢力を大学では占めていました。ハイデガー自身、
終戦直後、一時的に教授権を剥奪されるものの、すぐに復活しています。
ここで大きな問題となったのが、ハイデガーの「33年問題」です。
ハイデガーはナチス政権奪取の1933年、多くの知識人が亡命するさなかにあって、
フライブルグ大学の学長に就任、の上に恩師フッサール(ユダヤ人)の
研究室への出入りを禁じてしまいます。その年の秋にはナチ党の選挙演説会で
応援演説。やがて彼はナチスからは距離を置くことになりますが、
しかし、戦後も自己批判をしなかったことも知られています。
アドルノの「アウシュビッツの後に詩を書くことは野蛮である」
がしばし引き合いに出された学園紛争の当時にあって、
ハイデガーのナチス協力問題は、学問の抑圧性や非人間性を糾弾する
格好の材料となりました。これはドイツでの事情ですが、
フランスではリオタールの短い論文「知識人の終焉」あたりが
この頃の状況を良く伝えています。要するに大学と学問は戦争や
資本主義的非人間性に奉仕してきたではないか?という告発ですね。
261 :
かいと:2000/02/22(火) 23:09
日本でのポスト・モダニズムの受容は文芸畑のバルトの
ポスト構造主義論あたりを中心にして始まったので、すっかりそこらへんの
「熱狂」が飛んでしまっているのですが、日本で言えば本来は
70年代学生運動に連結するものであるはずだったし、
保田さんらの「近代の超克」あたりが指弾されるようなものです。
逆に日本では丸山さんら「進歩的知識人派」が機動隊を導入する立場に
立ちましたね。(ドイツでもアドルノが社会科学研究所の封鎖にあって
機動隊の導入に追い込まれていますが。)そういう「ねじれ」を
ポスト・モダニズムの評価においては見ておく必要があると思うのです。
262 :
名無しさん:2000/02/22(火) 23:34
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ポストモダニストの生硬なジャーゴンが自らの発言力の広がり、対話可
能性を狭めたのではないでしょうか?あれはフランス語だともっと分か
りやすい話しではないでしょうか?
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
お、そうなの?
私は英語しか読めないのだけど、英語のポストモダン系の文献もよく知らん
ジャーゴンがやたら出てきたというのが感想だったけどね。
フランス語だともっと平易な言葉なのかな?
ただ、現代思想野郎が最初からディスコミュニケーションを目的としてジャ
ーゴンのみから成る文章を多用する傾向は確実に存在すると思う。
偏見を持って言えば、だいたい哲学とか興味ある人間は自我が普通の人間よ
りかなり脆弱で、その脆弱な精神を補うためにジャーゴンで武装していると
言う現象は多く見られると思う。
シロウトです。すいません。
263 :
名無しさん:2000/02/23(水) 07:53
ソーカル事件についての意見を聞きたいね。
264 :
>261:2000/02/23(水) 13:30
ハイデガーの話と知識人の終焉の話は別なんでは。
知識人の終焉ってのは、ハンガリー事件等による代々木=前衛の威信失墜
と平行するものなんじゃないかね。そういう観点で見ると日本の「進歩的
知識人」やらアドルノやらの化石野郎の権威失墜は、旧サヨから新サヨへ
の学生層の移行と同時に機を一にしているわな。このころ吉本隆明がはやったのも同じ現
象。
それがおフランスでは、フーコーやらなんやらの形を取ったわけだ(日本
はちょっと遅れて疎外論が主流だったけど)。ハイデガーはダシに使わ
れただけのような。
そうは言ってもハイデガーやら京都学派はともかく日本浪漫派が何で極右
なのかは大きな論点なんだろうな。大体日本じゃこの連中がいなくなって
から日本文芸は体たらく論壇になっちまったからな。
265 :
かいと:2000/02/23(水) 17:37
>264さん
先には書いてない(ごめんなさい。説明として抜けてます)ですが、
「プラハの春」が大きな影響を与えたことは間違いないでしょうね。
というより思想的土台の大きな養分となっているでしょう。
しかしながら、後代の人達がどう評価するかは別にして、
あくまで当時の雰囲気としてはハイデガーを象徴とする知識人の
「抑圧性」が大きくクローズアップされていたことも間違いないです。
主に共産党が包囲されて糾弾された運動だったのではないですから。
ちなみに、アドルノの権威が失墜したわけではないのです。
ポスト・モダニズムは積極的にアドルノを評価していますよ?
(というより、アドルノやフランクフルト学派は学園紛争を
思想的に準備した側です。まだ進歩派よりも吉本氏に近いです。)
266 :
名無しさん:2000/02/23(水) 17:46
六十年代にサルトルが学生の集会に参加したとき、学生から
スピーチを五分ぐらいにまとめてくれ、と書かれたメモがまわってきたそうだ。
このエピソードは、なんにでも介入するサルトル型大知識人(=前衛党)の
終焉を示していて興味ぶかい。
「大きな物語」から複数の「小さな物語」への移行にともない、サルトル型知識人
であることは、もはや不可能であり、代わって登場するのがフーコーのような
マイノリティの/についての知識人である。
267 :
>265:2000/02/23(水) 20:10
>主に共産党が包囲されて糾弾された運動だったのではないですから。
う〜ん、しかし革共同やらブントってのは、権威失墜した共産党に変わる
新たな「前衛」を目指したわけだよね。そうはいってもあんまり成功した
わけでもないから、その後、知識人批判だけが遺産として残ったというの
は正しいのかもね。
漫画家が乱入して「公」「戦争」の議論に血道を上げる今日の論壇は、知
識人批判が行き着いた極限だわな(福田が受けてるのもそのせいなんだろう)。
しかしハイデガーがその当時そういう文脈で言われたのは分からんでもな
いが、彼はまさに「資本主義的非人間性」(すごくおおざっぱに言えば)
を打破するためナチスになったわけだから、すれ違ってるような気がする
ね。
268 :
名無しさん:2000/02/23(水) 21:14
人としてのハイデガーを問うのもいいけど、
彼の思想にはナチス支持に繋がる部分はあっ
たの?
269 :
名無しさん:2000/02/23(水) 21:20
本人は否定してるけど、
実存主義っぽいところがあるのは否定できないでしょう。
ひとは「死」について問うことを忘れ、日常生活に埋没してしまっている、とか。
「民族」等の有機体的に理解された団体への奉仕を人間の真の存在意味なり、とする
ような考え方になじみやすいのは確かだと思う。
270 :
>269:2000/02/23(水) 21:43
別に否定してないんじゃないの。
講義でも「今のナチの思想と言われているものは、国家社会主義の内的真理と偉大さには関係ない」
(つまりオレ様の哲学こそ真のナチ哲学)といってるわけだからね。
その他「討論や学説などではなく、唯一彼だけがドイツの掟だ」とも言ってる。
戦後の雑誌のインタビューでも完全には否定していない。
そこでは、「ナチズムは最初その方向(技術と?の止揚)を目指したのです。」と言ってる。
271 :
かいと:2000/02/23(水) 22:03
>267さんへ
日本の状況や勢力配置を元にして考えると、様相が異なってしまうと思うのです。
(ここまで書いてきたのは、要は日本での受容の「ねじれ」を指摘したいのです。)
ドイツの場合、フランクフルト学派の主だった学者達が
亡命知識人(ユダヤ人)だったという事情も大きく作用しますし、
アウシュビッツの当事者となった国の思想的な自負は少し日本からは
計り知れない部分があります。今から当時の雰囲気を見るに、
様々な権威をナチスに結びつけて告発するやり方がよく使われました。
ドイツではゴーデスベルグ綱領によって国民政党路線へと転じたSPDの
学生組織のうち、その国民政党路線に納得しない部分から、フランスでは
アナキストグループ「黒と赤」ないし「社会主義か野蛮か」グループを中核にして
学園紛争は進展したのですが、大枠で言えば「共産主義の再構築」を
目指しつつ「資本主義の根源的批判」を企てるもの、だったと言えます。
しかしながら日本と状況が違うのは、ヨーロッパにおける
共産党(ポルシェビズム)批判とそこからの独立は、
早く20年代からの流れを持っていて、必ずしも共産党(ポルシェビズム)が
戦後の諸運動、とりわけ知識人世界を強力に指導してきたわけではない、という点です。
従って日本的な「左翼の新旧交代」(ないし進歩派対新左翼)という観点で
見てしまうと、少しポスト・モダニズムへといたる流れを
矮小化してしまうきらいが生じてしまうのです。
272 :
>271:2000/02/23(水) 22:38
>従って日本的な「左翼の新旧交代」(ないし進歩派対新左翼)という観点で見てしまうと
少なくとも70年代安保はそうじゃないの。おフランスの68年の思想が日本に影響したのは、
80年代以降、ニューアカからだよね。確かにニューアカは左翼の枠には入らんわな(湾岸戦
争で左翼に転向してしまったけど)。つまり遅れた訳だ。
それとポストモダンとハイデガー非難というのは結びつくのかな。少なくともフランスのポスト
モダン連中は、擁護してたような気がするけどね(例えばデリダ)。
そもそもポストモダン思想自体ハイデガーの射程から出ていないからね(戦後フランス思想全部
そうだという話もあるしな。)
273 :
名無しさん:2000/02/23(水) 23:18
>272
おいおい、話の流れを読んでやれよ。
かいとはヨーロッパと日本は違うって話をしてんだろ?
(日本の話をここではしてないだろうに。)
デリダがハイデガーを擁護?そりゃ誤読だって。
ハイデガーを素材にすることと、擁護することとは違うよ。
274 :
>273:2000/02/23(水) 23:29
誤解を与えたらすまんが、要は、日本はポストモダン受容がおくれたってことを
言いたいわけよ。
それからデリダは必死にハイデガーを擁護しようとしたのは周知の事実。
275 :
>273:2000/02/23(水) 23:30
誤解を与えたらすまんが、要は、日本はポストモダン受容がおくれたってことを
言いたいわけよ。
それからデリダは必死にハイデガーを擁護しようとしたのは周知の事実。
276 :
かいと:2000/02/23(水) 23:49
???
>274さん
西欧と日本とではポスト・モダニズムのあり方が違う、というのは
確かにその通りで、それをずっと述べてきたつもりだったのですが…?
(というより、日本の話がしたかったのかな?だったらごめんなさい。)
ちなみに、いつも批判的な書き方ですみませんが、
デリダの実存主義に対するコメントは、
例えば「差延」というエッセーにヘーゲルやニーチェに並べて
ハイデガーを先駆者として挙げる個所がありますが、
しかしながら同時にその体系の無限後退性を指摘して、
体系の「決定不可能性」を導きだすという批判的な内容です。
さらにフッサールに対する根底的な批判は、主著「声と現象」に詳細です。
277 :
名無しさん:2000/02/23(水) 23:57
∧ ∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
〜′ ̄ ̄( ゚Д゚)< お前等がどうこう騒いだところで何も変わらない
UU ̄ ̄ U U \_____________
278 :
>272:2000/02/24(木) 00:01
>そもそもポストモダン思想自体ハイデガーの射程から出ていないからね(戦後フランス思想全部
>そうだという話もあるしな。)
誰が言ったのさ、そんな話?聞いたことないよ。
279 :
>:2000/02/24(木) 01:44
Λ_Λ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
Λ( ´∀`) 抽象論議は時間のムダ オナニーして寝ろ!
( ⊂ ⊃ \_______
( つ ノ ノ
|(__)_)
(__)_)
280 :
>279:2000/02/24(木) 01:50
たまにはサヨの弁護してやろう。
歴史が終わっちゃったからサヨはそれしかないの。
抽象論議=オナニー
は、全然弁護になってなかった。
281 :
>280:2000/02/24(木) 02:01
議論についていけないなら正直にそういえばいいのに。
282 :
>277、279、280:2000/02/24(木) 02:18
バカは「大東亜戦争」スレッドで噴き上がってろ。
283 :
名無しさん:2000/02/24(木) 02:20
そうだなバカは現代社会の議論についていけないから
50年前で一生思考停止。(笑)
284 :
名無しさん:2000/02/24(木) 02:22
頭の不自由な方々は複雑化する現代社会についての
議論についていけないので、歴史議論に興じることしかできません。
50年前の世界で思考停止(笑)
285 :
>:2000/02/24(木) 02:50
Λ_Λ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
Λ( ´∀`) 西欧コンプレックスは象牙の塔の中だけでケッコウ うせろ!
( ⊂ ⊃ \_______
( つ ノ ノ
|(__)_)
(__)_)
286 :
>285:2000/02/24(木) 02:58
ここはね「政治思想」板なの
キミみたいなアホは日本茶にでも行きなさい。
287 :
名無しさん:2000/02/24(木) 04:25
ちょっと、話が面白くなったとこでアホレスするなよ。
仏ポストモダニズムとハイデガーについて、278の横やりに272は何と
答える?
288 :
>279、285:2000/02/24(木) 08:08
このスレッドのどこが抽象論議でどこが西欧コンプレックスなんだ?
それぞの単語の意味を知らんだけだろう。語られてる内容はかなり具体的だよ。
それに、西欧コンプレックスって?どうしてそんな結論になる?
(議論の流れと内容がわかってないようだ)
289 :
>287:2000/02/24(木) 10:25
例えば、「脱構築」という観念は、デリダと思われているが、実際はハイデガーのものだ(デリダ自身がそう言っている)。
ポストモダンを始め、ハイデガーが戦後フランス哲学に大きな影響を与えたことはよくいわれてるんことじゃないの。
柄谷も「戦後フランス哲学は結局ハイデガーの解釈をやってきたようなもんだ。」といってるしな。木田も同じようなことを
言ってた。
具体的には、実存主義が「存在と時間」(これはモロにそうだね)、ポストモダンが後期ハイデガーに対応しているというこ
とだが。
290 :
>276:2000/02/24(木) 12:00
すまねえな。
オレとしては、外国思想を10年遅れで輸入して最新思想みたいに喧伝して
た「知の3バカ大将」どもを揶揄したかったのよ。ひいては、日本の「戦後」
アカデミズム(こう書かないと戦前の方に失礼ね)の不毛さをいいたかった
の。
デリダのハイデガー擁護というのはそういうレベルの話じゃなくて、「政治的」
な話。「ドイツ大学の自己主張はナチを精神化するためだった」というような
擁護。
291 :
名無しさん:2000/02/24(木) 14:34
>289
デリダ的「脱構築」とハイデガーのそれはちがうのでは?
ハイデガーの場合、真理Aを否定する「破壊」(逆説的に真理Bをたててしまう)であって、
デリダの場合、命題が真理Aと同時に真理Bをたててしまい決定不能を
導くもの。
たしかにデリダ、ドゥルーズ、フーコーの著書には影響はあきらかだが、それからの
批判と切断が68年革命以後あらわになる(たとえばドゥルーズの「差異と反復」から
「アンチオイディプス」へ)
292 :
>:2000/02/24(木) 15:40
Λ_Λ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
Λ( ´∀`) 形而上学が優越学問だと勘違いしているイタイ奴ら
( ⊂ ⊃ \_______クソの役にも立たないからでてけ
( つ ノ ノ
|(__)_)
(__)_)
293 :
>292:2000/02/24(木) 15:55
両信者どもにはついていけないらしいな。
ここは政治思想なんだが、「小林対宮台」と勘違いしている奴がほとん
どだね。
294 :
miyadai sinnjya>293:2000/02/24(木) 15:57
おまえ、小林信者だろう?小林と宮台を並列するあたり(
295 :
名無しさん:2000/02/24(木) 17:00
∧ ∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
〜′ ̄ ̄( ゚Д゚)< 考えては駄目です、感じるのです。
UU ̄ ̄ U U \_____________
296 :
>294:2000/02/24(木) 18:15
話についていけない宮台信者が出てきよったな。
このスレッドを上から下までよめば、なぜ宮台がゴミだということが分かるぜ。
297 :
立ち入り禁止:2000/02/24(木) 18:36
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■犬、猫、偏差値50以下の者のこのスレッドへの立ち入りを禁止する■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
298 :
>297:2000/02/24(木) 18:43
犬、猫、宮台信者を立ち入り禁止にすべきだ。
宮台信者、小林信者、精神病患者、引きこもりなどは
偏差値50以下に含まれます。
300 :
>291:2000/02/24(木) 19:21
ハイデガーによる過去の哲学の読み直しの手法(再解釈)がポストモダン
に大きな影響をあたえたと思う。これとニーチェ(歴史はなく解釈のみ)
がポストモダンにとっては決定的ではないか。
「真理は何か」を目指す大知識人(サルトル)から「真理はどう決定され
るか」を解釈するいわゆる小知識人(フーコー)への移り変わりはこれを
証明している。
301 :
かいと:2000/02/24(木) 20:37
ハイデガーの存在と影響力の大きさは否定しようのないものです。
哲学の世界で、どちらが阿呆か、どちらが偉大か、どちらが右翼か左翼かを
罵倒しあい、競い合うことほど虚しいことはないですからね。
しかしながらこれはあくまで解説としてですが、ポスト・モダニズム自身は、
ハイデガーの影響を認めつつ(学問の世界では当たり前ですが)、
批判的な継承、ないし認識論的な切断を強調するだろうと思うのです。
291さんが述べる通り、または先に著作での展開を紹介した通り、
デリダをはじめとする諸派は、ハイデガーに「問い」の有効性を認めつつも、
その体系の先験的な限界(というより、体系化することそのもの)を
批判する立場です。ニーチェとは少し扱いが違ってくるでしょうね。
302 :
>301:2000/02/24(木) 22:07
>ハイデガーの影響を認めつつ(学問の世界では当たり前ですが)、
>批判的な継承、ないし認識論的な切断を強調するだろうと思うのです。
そうかね。そういうがポストモダンでフーコー以外残る奴がいるのかね。
>ニーチェとは少し扱いが違ってくるでしょうね。
2流のポストモダン(例えば宮台やら市民運動系サヨ)がニーチェを引
き合いに出すのは何故かな。
303 :
名無しさん:2000/02/24(木) 22:47
>301
結局かいとはずっと解説をしてきただけなのだと思うし
かいと自身、ポストモダニズムを積極的には肯定しないんだろ?
なのに、顔を真っ赤にして自分のお気に入りがケナされたと思う奴が多いんだろ
議論以前に姿勢の問題だから
うんざりする気もわかるがそれを言っちゃおしまい
ここは2CHなんだからすなおに罵倒したら?
いい子ぶっちゃいけねえよ
304 :
名無しさん:2000/02/24(木) 23:01
何かを叩きたい人が多いんだよ。
よく知らずに批判するのはみっともないと思うがね。
ポストモダンをなかったことにしたい人が多いらしい。
宮台信者と小林信者の共同戦線ってか、ケケ。
305 :
名無しさん:2000/02/24(木) 23:02
>何かを叩きたい人が多いんだよ。
↑そりゃお前だろう。
306 :
>302:2000/02/25(金) 00:01
フーコーが残ればいいんじゃない(笑)
いまさらポストモダニズムを「なかったこと」にはできない。
後期ハイデガーの技術論とポストモダニズムを並列に論じるのは無理があるだろう。
どう考えても敵同士で噛み合わない。
ところでニーチェを引き合いに出す市民運動系サヨって何だ?
ニーチェの不可知論って嫌いじゃないの?サヨ(特に共産党)って。
307 :
宮台信者>304:2000/02/25(金) 00:58
フッ、「ポストモダニズム」なんて神学的な観念論じゃないか。
バカバカしい。なかったことにしてる?ほんと女にもてないバカなん
だろうな。いや、笑わせてもらいましたよ。>このスレッドのall
まあ、政治思想だから仕方ないか(
308 :
名無しさん:2000/02/25(金) 01:06
>307
ポストモダンを神学や形而上学だと思ってるバカは、
多分、ここに挙がってる学者の著作、一冊も読んだことがない。
ポストモダンって、神学的学問批判の代名詞なんだけどな。
ってえより、これ、ウヨか小林信者の自作自演だろ?
宮台自身はそんなこと言わないしね。
彼はポストモダンをなかったことになんかしていない。
309 :
名無しさん:2000/02/25(金) 01:12
上の続きだが、このスレッドのウヨ、かいとに徹底的にへこまされてるしね。
いや〜こんなにきっぱりへこまされてるバカっぷり、愉快やわ。
で、それを宮台信者におしつけてんだろ。
310 :
名無しさん:2000/02/25(金) 01:19
だから小林信者も宮台信者も大して差は無いんだよ。
311 :
宮台信者>308@`309:2000/02/25(金) 01:24
まあ、いいよ。おまえの次元でやればいい。
312 :
名無しさん:2000/02/25(金) 01:25
まあ、小林も宮台もどうでもいい立場とすれば、
かいとさんの誠実さだけが目立つスレッドではあります。
313 :
>304,307:2000/02/25(金) 13:14
>技術論とポストモダニズムを並列に論じるのは無理があるだろう
技術論ではない。アリストテレスからニーチェに至る過去の哲学の再解釈のこと。
それに市民運動系ってのは、もちろん代々木(旧サヨ)ではない。
>フッ、「ポストモダニズム」なんて神学的な観念論じゃないか。
バカバカしい。
アホかお前。大体そんなら、ポストモダンの切り張り野郎宮台はもっと滑稽だ。
314 :
名無しさん:2000/02/25(金) 13:39
315 :
名無しさん:2000/02/25(金) 17:20
>宮台自身はそんなこと言わないしね。
そりゃそうだろ。奴からポストモダンのパクリを取ったら、コケの生えた
丸山みたいな単なるリベラル野郎になってしまうからな。
316 :
かいと:2000/02/25(金) 21:09
>303さん(312さん)
どうもありがとう。少しほっとしました。私自身、(ずいぶん上に書いたかな?)
ポスト・モダニズムに対してはやや批判的です。その上で、
>302さん
対象を過小評価しても仕方なく、その範囲を正確に確定していかないと
批判にはならないと思うのです。ポスト・モダニズムがハイデガーの
射程を出ていない、で済ませてしまうとすれば、彼らの責任(学問上に
そういうものがあるとすればですが)の所在さえ不明確になってしまいます。
その上に、何故そしてどのような影響が現にあったのかが不明になります。
ハイデガーとポスト・モダニズムの切断点は、要するに(誤解を恐れず単純化すれば)
ハイデガーのように学問を「体系化」することをポスト・モダニズムは
回避する、というところにあります。そして、そこにこそ
ポスト・モダニズムを色づける最大の特徴(「公理(思想)の死」)があります。
ポスト・モダニズムへの批判は、この点を焦点にすべきなのだと思うのです…。
317 :
あ:2000/02/25(金) 21:10
げ
318 :
かいと:2000/02/25(金) 21:12
ごめんなさい、「公理(思想)の死」ってなんの言葉だろう。
ボケてますね。
319 :
名無しさん:2000/02/25(金) 23:14
もうちょいあげてみよう
320 :
>316:2000/02/26(土) 00:06
>ハイデガーのように学問を「体系化」することをポスト・モダニズムは
>回避する、というところにあります。そして、そこにこそポスト・モダ
>ニズムを色づける最大の特徴(「公理(思想)の死」)があります。
戦後、ハイデガーも体系化を破棄していると思うが。体系的施策は今後、
不可能でありそれ故に詩による探求(?忘れた)を指向してたと思う。
>ハイデガーのように学問を「体系化」することをポスト・モダニズムは
>回避する、というところにあります。
「体系化」という定義は厳密に何を意味するか知らないが、少なくと
も嵐のようなあの時期「体系化」つまりおもいっきり単純に言えば
「知的決断」をすることを回避することは不可能ではなかったのか
(あえて言えば政治的にも)。
逆に平和で退屈な冷戦末期にはそのような「決断」は必要なかった。
(日本のポストモダンは湾岸戦争を契機にトンボ帰りして「モダン」
の体系にもどったけど(政治的には)。)
ということではないか。そこに彼らが90年代についてこれなかった
理由もあるのではないでしょうか。
321 :
名無しさん:2000/02/26(土) 00:53
ハイデッガーの実存主義とカールシュミットの政治的決断主義は
共通項が多く、「決断」する行為自体を過剰に強調するものであり
「価値判断」のモメントを排除していき、政治的にはヴァイマルリベラ
ルデモクラシーでの民主的な手続きを形骸化するのに重要な役割を
果たしたことを忘れてはいけないでしょう。ナチとの微妙な位置関係
ナチに悪用され、またそれを正当化する文脈も持っていたことも。
政治的「決断」主義自体は何を実行するかという行為と目的との因果
関係を多数によって選択する機会を摘み取ったゆえ、能動的ニヒリズム
と呼ばれています。思想は時代やナショナルな特殊性に規定される
ゆえ、個々の背後の状況を考えることが大事です。ポスト・モダンも
日本に輸入されるまでにタイムラグがあったゆえ、現実との関係、
説明能力に限界があったと思いますね。
322 :
かいと:2000/02/26(土) 18:49
>320さん
「知的(政治的)決断」と「体系化」は違います…。
体系化批判の要点は、メタレベルで超越論的根拠を要求する、
という例の流行した言い方のものです。それと政治的選択は別のものです。
(政治的選択に関する批判はむしろヤスパースかレービットの方ですね…。)
後期(30年代後半からの)ハイデガーの思索は、近代的な「技術」への批判を
手がかりにして認識論的「対象化」や存在の「忘却」を問い詰めるという
流れだと思いますが、(だから、詩による探求ではなくて、
<詩人は、存在の家としての言葉のうちに真に生を営むべきもの>
という言い方であって、ハイデガー自身が詩作を実践したわけではないでしょう。)
実存主義的<企投>を促す前期ハイデガーと、それを技術論批判を焦点にして
切り詰める後期ハイデガーの間に、決定的な「切断」を見出すのは困難です。
むしろ連続こそが特徴であって、<世界内存在>としてその存在の忘却を
<憂慮>するというハイデガーの全体に大幅な修正があったとは考えられません。
(切断があったとすれば、大きくハイデガー像は変更を迫られるでしょう。)
ポスト・モダニズムによる批判の手法は、(ハイデガーよりもむしろフッサールに戻りつつ)
<世界内存在>であることを決定するものとは何か?という内在的に問いを立ててみる
ことによって、そこに浮かび上がってくる超越論的根拠に疑義を唱えるものです。
323 :
かいと:2000/02/26(土) 19:09
従って、むしろポスト・モダニズムへの批判として妥当なのは、
(あるべき実存主義からの疑義として妥当な問いは、)
ハイデガーの射程に彼らを吸収してしまうことではなくて、
<世界内存在>であることを内在的批判から突破して解体てしまう
ことによって、彼らポスト・モダニズムが常に(思考なき)外部でしかない、
憂慮なき知的遊戯に堕するのではないか?という問題なのだと思います。
324 :
名無しさん:2000/02/27(日) 10:57
「形而上学が優越学問だと勘違いしているイタイ奴ら
クソの役にも立たないからでてけ 」
って煽りっぽい批判があったけど、ポストモダンに致命傷を
与えたのはこういう意見だと思う。
325 :
あのう、:2000/02/27(日) 11:11
ポスト・モダニズムってどんな局面に役立ったりするんでしょうか?
326 :
名無しさん:2000/02/27(日) 14:45
形而上学じゃないだろね。って「形而上学」の意味知ってる?
少なくともポスト・モダニズムがサブカルチャーを用意する
流れを作ったことは確か。ハイデガーが宝島に執筆したりはしないだろう。
どんな局面?まあ教授の鞄持ちをしなくて済むようになったてことで。
327 :
>322:2000/02/27(日) 18:43
確かに前期ハイデガーつまり「存在と時間」は、実存主義的的な投企
、存在の共生起という方向が行き詰まり、途中で放棄してしまったも
のなわけだから、周りに誤解されただけで実際は、やり方が「転回」
しただけで彼の思考は一貫していたというのは確かだろう(無論そこ
には政治的に失敗したことも絡むと思うが)。
しかし、後期から技術批判を媒介にというのはどうかね。
そもそも技術批判が大きな契機でナチになったようだし(戦後のイン
タビューを見る限り)、そもそもたいした事をいってるわけじゃない
よね。
後期ハイデガーの主眼は、ヘルダーリンなどの詩人まさに、「存在の
家としての言葉のうちに真に生を営むべきもの」の解釈を通じて存在
を探求したことではないか。
><世界内存在>であることを決定するものとは何か?という内在的
>に問いを立ててみる
ポストモダンにそんな奴いたっけ。
>彼らポスト・モダニズムが常に(思考なき)外部でしかない、
大賛成だね。いかなる意味でも「本当の」外部のない柄谷見る
につけても。
328 :
>324:2000/02/27(日) 18:51
形而上学の解体こそがポストモダンの主眼なんだよ。
まあ、確かに「西洋2000年の形而上学を解体する」とかいっ
てる奴らが「日本国憲法擁護」とか言ってるのは、お笑いだね。
それからこういうことをそもそも言い出したのがやっぱナチ哲学
者のハイデガーなんだよね。
329 :
知的弱者:2000/02/27(日) 19:07
私は現代思想本を何冊か読んだは読んだのですが、理解できなかった
ことを自覚している知的弱者です。
このスレッドの哲学に詳しい方に質問です。
浅田彰読んだのですが、言ってることは「日本は戦争責任への反省
が足りない」(外人との対談より)とか、どうも辻元レベルに思え
るのですが、これでも浅田は凄いのでしょうか?
凄いとすればどう凄いのでしょうか?
それとも、浅田は凄くて、日本はやはり戦争責任への反省が足りな
い。旧型左翼は正しいというのが正しい見方なのでしょうか?
それとも最近本を出さない浅田は、そのあたりの旧型左翼っぽいと
ころを軌道修正する準備をしているのでしょうか?
330 :
名無しさん:2000/02/27(日) 19:08
浅田はどう凄いのか理解できません。
根本的に理解すら出来ませんでしたし、面白いとすらおもいません
でした。
私は完全にシロウトですが、オルテガやイーグルトンを読んだとき
はなんとなく面白いと思いました。
しかし浅田は何も面白く無いのです。
面白く無いのは私の知的能力が足りない(認めます)からでしょう
か?
それとも、誰が読んでも面白く無いのでしょうか?
331 :
名無しさん:2000/02/27(日) 19:31
俺も「面白くない」に一票。
いいよ、「どうせ理解できなかったドキュソだろ?」とか言われても。
本当に面白くなかった。『逃走論』。死ぬほどつまらん。
332 :
331:2000/02/27(日) 19:36
というか、どうしてこんなに頭を使う割に面白くなくて役に立たない
本をわざわざ読むのか、それが知りたい。柄谷とか東とかも。
なんで読むの?>読む人
簡潔にお願い。
333 :
miyadaisinnjya:2000/02/27(日) 21:24
おい、このスレッドで活躍してる連中、どこが面白いのか解説しろ。
334 :
かいと:2000/02/27(日) 21:52
>327さん
時系列的に見るならば、ハイデガーの技術論批判は30年代後半、
即ちナチスへの政治的コミットメントから退いた後の展開ですよ。
ハイデガーの技術論批判には、<技術の暴走>として一方で
アメリカニズムへ、そして同時にナチスへの遠まわしな批判を込める
というある種の戦略があります。従って詩人を軸とする後期ハイデガーへの
道程において、技術論がやはり転回点になっているのです。
> <世界内存在>であることを決定するものとは何か?という内在的
> に問いを立ててみる
これは例えばデリダのフッサール解釈(「声と現象」)ですよ。
>332、333さん
面白くないに決まってるじゃないですか(笑)。そんな問題じゃなくて、
仕事だから仕方なく読んでるんです。別に薦めてるわけじゃないですよ。
335 :
名無しさん:2000/02/27(日) 22:05
中村雄二郎は読まないの?
336 :
形而上学:2000/02/27(日) 23:02
私はアリストテレスの「形而上学」(と訳されている講義録、岩波文庫
版)を読破したことがある。1ページ1時間ぐらいかけて、毎日
2ページぐらいずつ真剣に読み込んだ。私はヘーゲルなんかもすこし
読んだことがある。しかし、「形而上学」は、ほとんど1ページも
理解できなかった。こんなに一生懸命読んで、ほんとに全然わから
なかった(わかったような気持ちにならなかった)本は他にない。
337 :
タコツボ:2000/02/27(日) 23:05
若干このスレッドの主旨から外れるかもですが。
私は浅田や柄谷は読んでいませんが、東浩紀の本や、ポパーの解説書(ポパー本文はまだ読んでいない)知的興奮、知恵熱が出る面白み、今まで漠然としか感じていなかった事柄に対してしっかりとしたロジックや言葉を与えられた喜び、というというものは、少しは判るように思います。宮台真司を読む喜びも、ある側面でそういうところにあると私は思う。ちなみにポパーの解説書読んで、宮台真司氏がいかに多くポパーに負っているか知ったのは、低次元な喜びかもですが、私にとって発見の喜びの一つです。そのことでもって宮台真司氏の価値が下がるものではないと私は思う。宮台氏はそれ(ポパー)を踏まえていた、そのことを自分は今まで知らなかった、ポパーのロジックは世界を捉えなおすために有効だと自分は思った、だからポパー本人による本も読みたいと、私に動機が芽生えた。
(続く)
338 :
素朴な疑問:2000/02/27(日) 23:06
かいとさんの仕事って、なんなんですか?
339 :
タコツボ:2000/02/27(日) 23:09
(続き)…私の教養レベルはここで語り合っている方々よりずっと貧弱なので、ここで語られている言葉の多くがまだ私には判らない。ここ数日アクセスできない状況にいたのだけれど、アクセスできる状況になったら、自分に理解できる限りの範囲で、言葉の解説を試みたいと私は思う。「判らない」「知らない」苦しみは私にはよく判る。教養が「面白くて」「役に立つ」ことも、自分なりに経験的に判る。物事を考えるしっかりとした補助線が与えられるのは、不安を解消させる。
「知る」には、「アンテナ」が立っていることが、必要だと思う。「アンテナ」さえ一旦立てば、知の連鎖が始まり、教養的情報を求める必然が内的に作られると思う。
本来、「学校」「教育」はそのために存在していたと思う。けれど現在、多くの場合、「学校」はコンプレックス製造マシンとして動き、「大学」は知を守る殿堂ではなく、知を社会から隔離し独占する利権集団になっていると思う。
かいとさんのように誠実に匿名掲示板に参加下さっているかたがいらっしゃって下さるのは、とても喜ばしいことだと私は思うし、多くの人が感じていると思う。(「面白くないに決まってるじゃないですか(笑)。」という返信は、半分本心で、半分照れ、諧謔だと思う)私はまだこのスレッドの内容をしっかりと理解できていないが、理解できるようになりたいと思うし、理解すると、多くのものを得ると思う。
340 :
名無しさん:2000/02/27(日) 23:33
タコツボさんもパネルディスカッションに呼ばれてますよー。
341 :
>タコツボさん:2000/02/28(月) 01:17
学校教育や教養については同感できます。大学も知を特権化する制度
になってしまったところはかなりあるでしょう。特にドイツの国法学や
日本の帝国大学法学部は近代化の要請を担っていたわけでエリート官僚
を育成する統治技術を教える制度としての意味が強かったように思います。
知が権力を獲得していくルートは、フランスなどが最たるものではな
いでしょうか?民衆に分からないように敢えて差違化された用語を統治
技術(特に法学に)に体系化していった側面もあるのではないかと。
ポストモダンの話しは少し位相が異なりますが、タコツボさんがおっし
ゃるような難解さに知的な独特の「いやらしさ」があり、それが
停滞している原因のような気はしますね。浅田彰に限らず良くわかり
ませんもの。
342 :
かいと:2000/02/28(月) 07:20
>338さん
余計な煽りを受けそうなので、ひみつです。でも、ほんとうの領分は
美学(現代美術)のほうです。
>タコツボさん
ありがとうございます。いつまでも諧謔でいられるかな?
最近なんだか適当になってきて…。結構間違いあるので、どうか指摘して下さい。
>341さん
ほんとうはそういうものを打ち破る、というところにポスト・モダニズムの
初発のインパクションがあったのでし、例えばフーコーの「言葉と物」が
「知が権力を獲得していくルート」を追う労作なのですが、それでもね…。
ところで哲学書の難しさ、ということであれば、逆に日本語の難しさ、
というのを感じます。ヘーゲルを一例に挙げますが、「ある」ことと
「ない」こととはなにか、とかいったところから始まって、概念規定が語文的に
しっかりしていてドイツ語で読んだほうが意外に分かりやすいです。
日本語訳文で読んだときに、「なんだろこれは」と思った覚えがあります。
(おまけに誤訳もつきものですからね。)作者次第ですけれども…。
343 :
>334:2000/02/28(月) 12:30
講義録に現れはじめたのはそうですが、ハイデガーへの戦後の雑誌インタビューで
「ナチは最初まさにその方向(技術との止揚)に向かっていました。しかし・・」
ということを言っています。また、「アメリカとソビエトは同じ平凡人の技術的暴
走(?)」というようなことを言っていますので、彼がナチになった理由の一つと
はいえるのではないでしょうか。
つまり最初は技術を止揚させるものとして期待→政治的に失敗→今のナチはソ連や
アメリカと同じだ→今のナチを批判ということになったのではないでしょうか。
ところで美学って何。
344 :
名無しのじじ:2000/02/28(月) 21:24
かなり昔の話ですが、浅田彰は84〜85年頃雑誌のインタビューの中で逃走(闘争)について話し、みんな勝手に逃げろ自分の後は追うなという様なことを話していたと思います。たしかに誰かの考えをそのまま受け入れるのは耐え難いけれどしかし、内容自体が判らないのでついて行きようがないよなと思った記憶があります。宮台さんも自分の信者のことをあまり良く言わないですよね。教祖さんたちにとって信者ってどういう存在なのですかね。
345 :
341:2000/02/29(火) 02:15
>かいとさん
言語的な構造の異なるヨーロッパ系言語を日本語に翻訳するのは
ホントに難しいと思いますね。特に抽象概念が日本語にはそもそも
ないわけだし、存在しないものを造語として無理に作らねばならない
ケースも多くあったでしょう。また、学術用語の多くが、難解に思え
るのは、アカデミックなタームがヨーロッパ言語から中国の漢字を通
して、日本語へと、二重の形で、翻訳されているルートにあるようにも
思います。それゆえ、視覚文化の日本語では読む際に、一見馴染みにく
い難しい言葉に見える。また、それが重く見える効果もあるでしょう。
哲学などは、原書で読むと結構馴染み易く読めたりするかもしれません。
特にドイツ人がヘーゲルを原書で読むと、日本人が読むのとかなり
異なるイメージで読めるんではないでしょうか?もっと自然に入るって
いうか。
346 :
341:2000/02/29(火) 02:31
>かいとさん
続きです。
ヨーロッパ系言語に特徴的なのは、英語でいう「Be」動詞があって
それらが動名詞的な機能を持ち(Being)、Sein(独)、Etre(仏)
などのように存在自体を表わす概念にもなってるところではないでしょ
うか?
確かに哲学や法学も原書で読んだ方がしっくり来るっていうか
すっきり読めたりします。文の美しさも感じられるし。
誤訳は結構多いかもしれません。ヘーゲルも名訳と言われている
ものでも祥訳されてる部分があったり、あまり信用できないなって
思ったり。それに訳者の日本語自体が固くて古くなってたりします。
名著と呼ばれるものも再度訳し直されて、見直すべき時期なのかもし
れませんね。
347 :
かいと:2000/02/29(火) 08:29
>343さん
ハイデガー自身の内的な「物語」としてはまさにそういうことだったと思いますよ。
当初、ナチに関する思い入れがあり、そこからの回避があるという。
但し上述していることは動機ではなくて、思索の方法に関するポスト・モダニズムとの差異です。
美学についてはまた述べますね。
>345さん
そうですね。応答レスはまた今夜にでも書きますね。今バタバタしてます。
348 :
かいと:2000/03/01(水) 22:01
パネルディスカッションスレッドで手一杯でした…。
美学について
「美学」という学問領域それ自体はバウムガルテンの「美学」を
起点とする近代的なものです。「美とは何か」「芸術とは何か」
を問うものですが、実際にはプラトンの「饗宴」の詩学や「国家」の
芸術模倣論以来、カントの「判断力批判」(の美的判断力批判)や
ヘーゲル「美学講義」、ハイデガー「芸術作品の根源」などなど、
連綿と哲学史に隣接する分野です。
>345さん
「翻訳学」という領域があるぐらいですから、ほんとに概念や文化の
移入はややこしい問題ですね。おっしゃる通りBe動詞の動名詞的用法の
定義が厳密なのが原書の魅力だったりします。
349 :
名無しさん:2000/03/05(日) 16:47
あげ
350 :
名無しさん:2000/03/13(月) 15:56
age
351 :
スレッド移動のためにage:2000/04/10(月) 06:54
「ポストモダニズム」という言葉の前提は、
「モダニズム≒演繹的世界観」ということで、それに対置して
体系性の緩い世界観(ないし整合的全体像という観念の放棄)
を提唱するのが「ポストモダニズム」である。
この用語法だと、ギリシャローマの多神教的世界はポストモダンで、
ヨーロッパはキリスト教の受容でモダニズムに入ったことになる。
日本は明治時代以前からそもそも「ポストモダン」で(笑)、
キリスト教徒やマルクシスト以外の大半の日本人は、
「自分がそうだと知らないポストモダニスト」ということになる。
その意味で、「ポストモダン」は、むしろ文化人類学的区分であり、
「ポストモダニズムン(近代以後思想)」という
歴史的区分を含意する名称は適切ではない。
しかし他方で、世界史的段階としての「近代」が
次の段階に移行しつつあるというのも確かである。
「ヨーロッパ優位の時代」「第二次産業優位の段階」という
歴史段階が終わりつつあるのは、単なる統計的事実だろう。
多文化競合と三次産業段階として特徴付けられる次の時代、
既に始まりつつある(ジャーゴンではない)近代以後は、
科学技術の発展に向いた未来志向の社会が勝ち残る時代である。
したがって、合理主義が放棄されることはないだろう。
近代以後の思想は現れるだろうし、社会の常識も変わるだろう。
しかし、それは「ポストモダニズム」ではないだろう。
352 :
名無しさん:2000/04/10(月) 07:54
「ポストモダン」という用語を正確に定義づけることは大切だろうけど、
それはつまらない。知的オタクのギロンになるだけ。2ちゃんでやる必要なし。
ポストモダンの「本来」の意味と、実際に流通し使われている意味とは違うわけ
だから。よって例えば具体的な人物の思想を想定すべきで、一番インパクトが
あり且つ流通しているという意味で
「フーコー、デリタ、ドゥルーズ」=「ポストモダン」ということでやって欲しい。
353 :
名無しさん:2000/04/11(火) 00:57
ポストモダンとはなにか?
ある形式的(⇔内容的歴史背景的)イメージで あげてみる:
浅田彰 森毅 ドゥルーズ ニーチェ
([大前提:徹底的なツリー状での]対象の 数学的論理構築的思考と
認識論的枠組み、その極限としての論理それ自身の脱臼・横ずれ、
大笑い、忘却、すれっからし、ネアカ、
この上なく悲惨な戦争を経た上での[日常=戦争]観、[終わり=目的]の終焉、
つまりはある一点からのツリー状の分析・構築による目指すべき超越的な目的を
過剰に経た上でのその目的、さらには目的というもの自身の脱臼・ずれ・ずっこけ
=[近代の]超克)
354 :
名無しさん:2000/04/11(火) 01:11
理想を追う近代主義の徹底が ナチスだったてことだろ?
近代主義は、というかどんな体系的に無矛盾な主義もそれ自身ではあほな落ちをするから
ものをいうときには文脈を考えなきゃしょうがないってことだな
355 :
素朴でごめん:2000/04/11(火) 01:37
わたしは「あっ軽い」イメージ先行のニューアカ・ポストモダン駄目なんです。
たとえば山之内的ウェーバー解釈のような、じとじとぎとぎとした
モダニティとの格闘のなかからでてこなきゃ嘘だと思うんですが。
356 :
名無しさん:2000/04/11(火) 01:47
うん、355を経た上での353,354て感じだと思うよ>ポストモダン
357 :
>355:2000/04/11(火) 02:15
山之内のウェーバー論が盗作というのは
本当ですか。
『未来』に書いてありました。
それから、ウェーバー本人さんの
『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』が
詐術の書であるという『思想』論文がありましたね。
ルターが書いていないことを、ウェーバーがでっち上げたという。
「モダニティとの格闘」というのは、どういうことでしょう。
358 :
355ですが:2000/04/11(火) 02:52
思想、未来両誌の当該号に当たっていないので何とも言えんのですが…
山之内靖的な、つまりニーチェに引きつけたポストモダンの先駆者としての
ウェーバー解釈が、山之内以前に多数存在したことは確かです。
それを盗作と言えるかどうかは解りませんが、あそれは自分の論述と二次文献との
関係をどれだけ明示したかに尽きるでしょうね。
それから、ウェーバー自身の論述への実証的批判も、多数出ています。
このへんは、最近では椎名重明氏あたりがやってるところではないでしょうか。
問題は「モダニティとの格闘」ですが、極論すると、山之内的なウェーバー解釈の核心が、
「プロ倫」の末尾の章句
「ピューリタンは職業人たらんとした。我々は職業人たらざるを得ない」
に集約されるのだと思います。
大塚久雄がこれを(大塚の活躍した時代を背景として)資本主義的エートスの退廃を
日本の現状と重ね合わせたとすれば、
山之内が理解するウェーバーにおいては、まさにそのような職業倫理の制度化・機構化・
世俗化・非人格化といった側面をこそ強調するのでしょう。
アメリカ社会学的な近代への楽観を共有していたのが大塚的ウェーバーだとすれば、
同じく近代をテーマとしつつも近代が呈しつつある諸々の限界面を見通したのが、
山之内の考える「ニーチェ系譜のウェーバー」というところでしょうか。
359 :
351:2000/04/11(火) 06:33
そういう理解してると、「ポストモダニズム」というのは、
そもそもアカデミズム内部の文章作法の問題でしかないことになる。
それなら「回答以前に問題設定がくだらないのでどうでもいい問題」
ということにしかならないので、それ以上何も言うことはない。
そもそも「ポストモダニズム」が問題なのは、
それが現に何らかの<実社会への>影響をもたらしたことにあるんで、
その功罪を論じるには、まず社会的問題として
「ポストモダニズム」の影響を検証する必要があると思う。
まあ、近代の超克という数百年スパンの歴史的問題が、
アカデミズムの文章作法に矮小化されてしまった、
ということこそがポストモダニズムの罪ではあると思うので、
その実例を提供してくれたという点で、
352〜358の書き込みは興味深いしありがたくもある。
360 :
名無しさん:2000/04/11(火) 06:41
359さん、都合がいいな
あるときは、理論は役に立たない、理論は現実の後追いだと散々ののしるだろ?
そもそも、その問題とやらが文として記述される以上は
純粋な文章作法もなければ、文章と切りはなれされえた
純粋な問題なるものも存在しない
したがって、文章に矮小化されえた「問題」なる事態も存在しない
おまえが ひとりで 矮小化を えんじてる それだけだな
361 :
三郎:2000/04/11(火) 11:39
>351
>しかし他方で、世界史的段階としての「近代」が
>次の段階に移行しつつあるというのも確かである
「ポストモダニズム」というのを知らないんですが、
私は、「近代」はまだまだ終わっていない、と思います。
知識社会とか、情報化社会とか、多文化社会とか、
国民国家の転形とか、グローバリゼーションとか、
いうのは、すべて「近代」の射程内での出来事ではないでしょうか。
現在の世界では、「近代化」と「再帰的近代化」
(ベック、ギデンズ)とが重なり合いながら、
進行しているのではないでしょうか。
21世紀は、新しい近代の可能性を追求する
時代だと思うんですが。
362 :
>357:2000/04/11(火) 13:34
「みすず」?号に詳しく載っていたような気がする。
363 :
名無しさん:2000/04/11(火) 23:09
あげ
364 :
名無しさん:2000/04/12(水) 02:38
近代とナチなら、ウェーバーってどうよ?
C・シュミットも弟子だったんだべ(自称だけど)
少なくともハイデガーよりは政治を知ってたみたいだけど。
山之内さんがいうようなニーチェ=ウェーバーって図式はあんまり
評判よくない気もするが。少し前だと「マルクス=ウェーバー」だし。
ウェーバー単体で十分おもしろいと思うけどな。
365 :
言呉酉己age:
言呉酉己age