ネトウヨの本音

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739薔薇の騎士団
1919年、ベルサイユ条約の締結により日本はパラオを含むドイツ領南諸島の
委任統治権を得ることになりました。日本はこの地に沢山の移民を送り学校や医療
施設、様々な工場をつくりました。町は整備されパラオの人々は日本人と共に平和に
暮らしていました。パラオの学校では使われている歴史の教科書には、このように
記されています。日本の教育は非常に厳しくしかし礼儀正しく、生徒がどのような
氏族に属し、どのような身分であろうともそのようなことは重視せず!人格を尊重し、
授業の成績を重視するところである、その頃、世界各国では戦火の炎が激しくなってき
ました。パラオのペリリュー島は戦火に備え日本軍の陣地が作られました。村の若者も
老人も喜んでその作業に参加しました。村の人々と日本兵は非常に仲が良く、日本の
歌を一緒に歌ったりしました。しかし平和な日々は長くは続きませんでした。次第に
戦火はパラオに及んび、やがて米軍は対日包囲網を圧縮し、米軍ハルゼー大将率いる
第三艦隊約八百隻の艦艇、総兵力四万二千がこの地にやってきました。パラオの
ペリリュー島を守備する日本軍は水戸第十四師団座下の歩兵地区隊、隊長である
中川州男大佐率いる一万二千名。ペリリュー島が壮烈な戦場になることは明らかで
した、日本軍は村の民間人を犠牲にしてはならぬという判断によりペリリュー島の
全村人を強制疎開させることにしました。しかし島民達は日本軍と一緒に戦うことを
決意し、代表者数人が日本の守備隊長の元に訪れ「自分達も一緒に戦わせて欲しい!」
島民のその言葉を聞くなり、中川隊長は激高し叫びました。「誇り高き帝国軍人が貴様ら
土人なぞと共に戦えるか!島民達は思いました。
740薔薇の騎士団:2012/06/11(月) 05:23:51.21 ID:W3xVao8G
「日本人は心からの友だと思っていたが
見せかけだったのか・・・」島民達は裏切られた想いで皆涙を流して悔して悔しがり
ました。そして日本軍は、島民に強制退去を命じました。それは空襲を避けるために
夜に行われました。日本兵は、誰も見送りに来ない・・・悲しみと悔しさで打ちのめさ
れた島民達は愕然と船を島から出しました瞬間日本兵の全員が浜辺に走ってきました。
そして、一緒に歌った日本のあの歌を歌いながらずっと、ずっと手を振って彼らを
見送ったのでした。先頭には優しい笑顔で手をふる隊長の姿。その瞬間、島民達は悟り
ました。「全ては我々を救うための言葉だったのだー」そして戦いが火蓋は落とされ
ました。米軍は兵力14倍以上、戦闘機や戦車は100倍以上という圧倒的な
兵力だったのです。既に制空権、制海権を獲得している米軍は狭い小島にいる日本兵に
猛烈な爆撃をあびました。米軍は9月15日航空母艦を含む機動部隊を背景に
上陸作戦を敢行日本軍は二度までなんとか上陸を阻止するも、米軍の圧倒的物量に
はかなわず三度目には上陸を許してしまいました。